2002年06月21日
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あれは結婚5年目のことだった。

バブルが弾けて地価が下がってそろそろ戸建てを買うのも悪くないと思って、双方の両親に相談すると、ちょうど金利は安いし、預けていてもしょうがないから生前贈与ということでと2000万円ずつのお金が瞬く間に自分達の懐に転がり込んできた。
今まで社宅に住んで貯めて来た貯金がやっぱり2000万円。合計すると6000万円になった。
会社に打診したところ、給料の5年分までだと30年固定金利3パーセントで、しかも抵当権の設定無しに貸してくれるという。
年収は、昨年の源泉徴収表を見てみると、約1000万円。つまり、5000万円まで会社から借りられるということだ。
先の資金と合わせて、1億1000万円。

バブルの頃は坪1000万円とも言われた都内の地価も今はそんな時代があったことを忘れさせるかのように下落した。
もしかしたらもっと下がるかもしれないが、自分達は運のいい方だと思う。自分と同じ頃結婚した同期のAは、結婚と同時に都内でマンションを買ったが、1億出しても70㎡そこそこのマンションがやっとだった。

今やこの辺の地価は、この規模だと坪150万円で手に入る。
家に2500万円。ちょっときついかなと思ったが、会社の取引先であるB建設が格安で建ててくれるというので何とかなりそうだ。
ガーデニングが趣味の妻も最近ピアノを習い始めたあやも充分満足できる家が立ちそうだ。
あやのピアノ室は防音にしよう。近所の住民と事を起こすのは困る。
自分の書斎も、防音にして好きなクラシック音楽を心置きなく聞きたい。
色々意見交換もして、自分達のほぼ満足の出来る家が出来た。何て自分達は恵まれているんだろう。。。
傍らでは優しく聡明な妻と子が微笑んでいる。ガレージには新品のベンツ。
庭には色とりどりの季節の花が植えられている。まるで何処かの住宅雑誌のようだとちり夫は1人でほくそえんだ。

しかし、こういった満足感からだろうか。ある日、ふっと口を滑らせてしまった。
「ちり、僕は君をそんな風に育てた覚えはないよ。」 あくまでほんのしゃれのつもりだった。
現に最初ちりは、その美しい顔を綻ばせて言った。

どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。今更後悔してももう遅い。
ちりが微笑んでいるのに気を良くした僕はつい言ってしまった。
「何を言っているんだ。ちり。君のこのお肉も(ちりのお腹の厚くなった贅肉をつまんで)そしてこのお肉も(お尻の下の何処からが足か分からなくなるくらいへばりついた肉をつまんで)、僕と結婚してから付いたものじゃないか。僕が育てたものだよ。」
いつも控えめで僕の言うことに素直にはいと頷いていたちりの顔色が変わった。
彼女は、自分が出産も経験し、いい年になっても、同年代の人とは違ってスタイルがいいと密かに自慢に思っていたのを、僕は、毎日全身鏡に映して満足げに微笑むちりの様子から気付いていたにも関らず、ああ!何てことを言ってしまったんだ。。。。

ほんの少しの気の緩みから僕はなんてことを言ってしまったんだろう。

その日から会社から疲れて帰ってきても、夕食はシリアルだけになった。朝もシリアル。
広くてすっきりしていたリビングには、所狭しと妻の買い込んだ痩身器具が並べられた。
通信販売で売られているようないかにも胡散臭そうなものばかりだ。
気味の悪い錠剤もクリームもしこたま買い込んでいる様子だ。
僕が心置きなく音楽を堪能しようとして作った書斎は、妻のダンススタジオになった。
取り付けられた大きな鏡とバーが、僕を全身で拒絶し、批判している。
僕のオーディオセットは納戸に押し込まれ、本当に僕の失言を恨めしそうに見ている。
その成果も虚しく妻はちっとも痩せてこない。元々部分太りの妻はたいそう痩せにくいそうだ。
訪問エステのエステシャンが、訳知り顔に妻に囁いて、回数券を1年分買わせているのを、先週たまたま早退してきた僕は横目でちらっと見たところだ。

最近、体の調子が悪い。検診にでも行った方が良いかもしれない。体重もあれ以来10キロも痩せた。
ほぼ標準体重だった僕の体重は、今や明らかに痩せすぎだ。顔にも深いしわが刻まれるようになった。
ああ、本当にいくら後悔してもしたりない。自分は調子に乗っていて口が滑っただけなのだ。
来月のカード請求明細を見るのが恐い。毎月限度額一杯の金額が引き落とされていく。
この家にもいつまで住めるんだろう。ローンの支払いを払うのが当初の予定では楽々払えるということだったのに、最近はきつい。
ふと気が付くと、リビングのテーブルの上に生命保険会社からのお知らせが。。。
増額???そんな話は聞いていない。こんなものを不用意に僕の目に付くところに置いておくなんてちりの宣戦布告だろうか?
3億もの保険に一介のサラリーマンの僕がよく入れたもんだ。
そうか、ちりの父上は某大手生命保険会社の常務だった。きっと、どうとでもなったんだろう。。。
はっ!書類が消えた。そんな馬鹿な。さっきまで確かにそこにあったのに。。。
ああ、あの不用意な一言が僕をこんなに追い詰めている。
口は禍の元という諺をもっと真剣にとらえていたら調子に乗ってしゃべりすぎると言うことはなかったのに。
ああ、分からなくなってきた。優しく聡明な妻は本当に存在したんだろうか?
最初から妻は今のような性格だったんだろうか?ああ、分からない。頭が混乱してきた。
痛い!頭が割れるようだ。。。

はっくしょん!!!目が冷めるとそこはいつもの狭いリビングだった。妻は太ってもいなければ、優しげな微笑を浮かべてもいなかった。
どうやら疲れてこんな固いフローリングの床の上で転寝してしまっていたようだ。
毛布の一枚くらい掛けてくれてもいいのに。。。。僕が風邪を引いてもお構いなしなんだろう。
僕のくしゃみで振り向いた妻が言った。
「ねぇ、あなた。私、最近太ってきたような気がするんだけど、どうかしら?」
僕は、恐くなって大声で叫んだ。
「君は少しも太ってなんかいないよ。その年にしてそのプロポーション。モデルでも君のようにスタイルの完璧な人はそうそういないよ。」
僕の言葉に満足そうに微笑むちりがそこにいた。。。





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最終更新日  2002年06月21日 23時12分07秒


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