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2010年06月12日
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昭和12年7月7日夜、中国の北京市西南部の永定河に架かる橋・ 盧溝橋 盧溝橋事件 です。

当時の中国は、 蒋介石 率いる中華民国革命軍がほぼ中国全土を制圧し、南京を首都としていました。

ただ、中国北部はまだ充分安定しておらず、日本はこの地域の権益と在留邦人の生命財産を保護するために、5000人ほどの駐屯軍を置いていました。

子供の私は、日本の軍隊がなぜ中国で演習していたのか、大人の人に聞いた覚えがありますが、そのわけはよく分かりませんでした。

ずっとのちになって、明治33年(1900年)に、当時の清国が欧米列強や日本に対して宣戦布告した 北清事変 の講和の際に、北京や天津のある河北省一帯に日本の駐屯軍を置くことが決められた、ということを知りました。



盧溝橋周辺では、日中両軍が交戦し、日本軍にも10名以上の死者が出ました。

盧溝橋
現在の盧溝橋

事件は局地的な事件として治まるはずでしたが、当時の中国では抗日意識が強く、それまで敵対していた国民政府軍と共産軍とが、協力して日本軍に対抗することになり、戦火はさらに拡大してゆきました。

小学校では、事件の数日後の朝礼のときに、校長先生から、戦争のような状況になったことについての説明がありました。

日中戦争は、その年の内に中国中部に広がり、翌年には中国南部にまで及んで、両国間の全面戦争になりましたが、双方ともそれぞれの事情で宣戦布告はせず、日本では 事変 と呼んでいました。

この盧溝橋事件が、その後8年間も続く大戦争の始まりでした。





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最終更新日  2010年06月12日 14時52分35秒 コメント(2) | コメントを書く


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