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この映画は2日から東京などでも公開中であるが、お客の入りも良さそうで、うれしい限りだ。映画「いつか読書する日」の撮影協力には「ながさき観光地映像化支援センター」という名前の団体がクレジットされている。これは長崎県のオフィシャルなフィルム・コミッションである。長崎県に数多ある観光地に映画のロケに来てくれるはずだという県の願いがこめられている。しかし、これは随分とひとりよがりの考えによるネーミングである。映画のロケは観光地(これは既に知られた観光地という意味)に来てくれるという勝手な思い込み。そして、映画業界からみて「観光地映像化支援センター」という名前が「フィルム・コミッション」であると理解してくれるはずだというこれまた勝手な思い込み。設立前に、映画製作側のニーズはどういう点にあるのかについて知っておくべきと考え、全国各地へのロケ経験が豊富な有名な撮影監督においでいただき、実際に市内を歩き回ったのであるが、その時にその方は「我々は観光地を撮りに来るのではない。作品のイメージにぴったりで作品やテーマの肉付けができる風景を求めている」と言われたのである。市内を歩きながら、その方が特に良かったと言われたのは「小さな路地」、「町の日常風景」などである。それらは観光案内に掲載されているような場所ではない。映画「いつか読書する日」は、ほぼ全編を長崎市内でロケを行っている。長崎ロケを決めるにあたり緒方監督は次にように言っておられる。「脚本の青木は、舞台を“何の変哲もない町”と想定していて、最初、長崎で撮るのには難色を示したんです。あまりにも歴史が染み付いている土地だから。でも、この文学性の強い脚本を僕は“肉体化”させたかったんです。具体的には“坂”ということですよね。坂を駆け上がる女性の肉体が、この話には必要だと思ったんです。それで、長崎で撮るけれども、架空の町という設定にして、海も映さないことに決めました」(この部分は「映画芸術」(411号)に詳しく掲載されている)結果は成功である。すぐれた作品になっており、長崎の町の特性が見事に作品を生かしている。物語の舞台は「長崎市」ではない。有名な観光地は一切登場しない。海も写されない。原爆のことも出てこない。異国情緒もない。それでもこの映画は、長崎市ロケでなければできなかったことを思わせる。そして、長崎市に住む者に長崎再発見をさせてくれる。このことを「ながさき観光地映像化支援センター」の運営に関わる人々はよく考えて欲しい。(まさか、「グラバー邸も天主堂も出てこないような映画を撮って何やってんだ、あの監督は」などということは言っていないだろうな!)
2005年07月08日
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原田芳雄という俳優は、出演しているだけで、その作品に重みを与えたように思える。「亡国のイージス」では総理大臣の役で出演。事件発生の報告を受けたときの「なんで、俺のとき(任期中)に起きるんだ」という意味のことを、ある種投げやりに言い放つその口調は、原田芳雄だからこそ、作品の中で活きてきたのではないか。阪本順治監督作品の常連出演者であったが、主演ではなく、常に脇役で作品を引き締めていた。そして、阪本監督と原田芳雄の願いがかなって初の主演作「大鹿村騒動記」が遺作になってしまったことが悲しい。この作品は原田芳雄自身が発案であったという。この作品は、長崎では公開予定がなく、私自身が見ていないのであるが、黒木監督の戦争レクイエム3部作への出演の延長線にあるのかも知れないと勝手な予想をしているところである。
2011年07月24日
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