全109件 (109件中 1-50件目)
映画「白い巨塔」に出演たときの田宮二郎は30歳から31歳になった時期であった。彼の実年齢を考えるとこの映画における貫禄と存在感には驚くばかりである。そこでこの映画の主要な出演者たちの映画公開時の年齢について調べてみたくなった。誕生日との関係で1つくらいの差はあるかもしれないが、この映画の公開時1966年の年齢をあげてみると次の通りである。東教授:東野英治郎(1907年生まれ) 59歳里見助教授:田村高廣(1928年生まれ) 38歳 鵜飼教授:小沢栄太郎(1909年生まれ) 57歳 菊川教授:船越英二(1923年生まれ) 43歳 船尾教授:滝沢修(1906年生まれ) 60歳 佐枝子:藤村志保(1939年生まれ) 27歳ケイ子:小川真由美(1939年生まれ)27歳 野坂教授:加藤武(1925年生まれ) 41歳いずれも現在、我々の周辺の実年齢と比べると大変な貫禄である。これは俳優の演技力や化粧、服装などの演出によるものとは言えないのではないか。同じ30代、40代、50代などと言っても60年代にそうであった人と現在のその年代の人では大きく印象や実体が異なるのではなかろうか。もしかしたら、我々自体が実は幼くなっているのではなかろうか?
2009年10月01日
コメント(0)
田宮二郎主演、山本薩夫監督の「白い巨塔」という大作は2時間30分という長さ、しかもそのほとんどが会話劇という内容であるが、その長さを全く感じさせないスピード感と重量感。この映画を見て思うのは、「仁義なき戦い」とりわけ第3作目の「代理戦争」は、この「白い巨塔」に影響を受けたのではないだろうか。どちらにも加藤武が出ているのであるが・・・。
2009年09月24日
コメント(2)
実にスピーディーな展開で、気軽に楽しめる娯楽映画の典型である。監督がこの種の娯楽映画作りの名手である職人・田中徳三であること、そして脚本が藤本義一という点でも新シリーズの第1作としての意欲がうかがえる。この作品の成功の大きな要素には藤本義一の脚本にあるのではないか。大阪弁のスピード感が実にいい。方言をうまく使った作品としては広島弁の「仁義なき戦い」、熊本弁の「緋牡丹博徒」に匹敵するのではないかと思う。田宮二郎はもちろんいいが、天知茂と成田三樹夫も強烈な印象。こういう作品がプログラムピクチャーとして量産され、特に話題にもなっていないことが当時の日本映画界のすごさではなかろうか。
2009年09月21日
コメント(0)
映画「地下室のメロディー」の舞台はカジノとホテルというほぼ限定された場所であり、室内劇であるが、非常に大きなスケール感をいだくのは、2大スターの貫禄と魅力、そして演出力であろうか。二人の出演料はかなりのもの、但し、この映画が製作された当時はジャン・ギャバンの方が圧倒的に高額であったろうが、製作費のほとんどは、この二人の出演料ではなかったろうか。仕掛けではなく、出演者だけで作品のスケールを大きく見せる、そんな作品は最近はほとんど見当たらない。その意味ではこの作品は最近では、見ることの出来ない作品といえよう。
2009年09月20日
コメント(0)
「地下室のメロディー」は一種の犯罪映画、泥棒映画であるが、この種の映画にしては珍しい構成となっている。何よりもこの種の映画にありがちな、狙われた金庫を守る側との攻防が描かれておらず、また強奪後の警察の捜査陣との攻防も描かれない。これは犯罪映画、泥棒映画としては極めて異例ともいうべきものである。このことによって印象に残る脇役が不在となっており、また、スリルを盛り上げる要素もないのであるが、このようなマイナス要素を見事にカバーしている。その意味ではこれは奇跡的な映画である。この映画の成功の要因は、何よりもジャン・ギャバンとアラン・ドロンという大スターの魅力を徹底的に描いたことである。また、金庫を攻める側と守る側の攻防ではなく、徹底して金庫を攻めることを描いたプロジェクト遂行型の内容であることも成功の要素である。「地下室のメロディー」に最もよく似た構成の作品としては「劔岳 点の記」があげられる。
2009年09月19日
コメント(0)
スタイリッシュな音楽をバックの冒頭からひきつけてくれる。タイトルは実写の風景であるが、直線的な高層建築を中心に鋭角的なデザインがいい。これはおそらくアメリカ映画のタイトル・デザイナーソウル・バスへの対抗意識から生まれたものではなかろうか。登場人物についてもずっと絞り込んで、ジャン・ギャバンとアラン・ドロンにスポットをあてて、女性関係を広げていかなかったことは良かったと思う。ラストは二人の表情をあまり見せないで、また、セリフもなくしたことが非常に効果的である。モノクロの画面が実に美しく、ドラマ的効果を生んでいる。このドラマでは結局、誰も死んでいない。誰も死ななかったドラマとしては最近では「アマルフィー・女神の報酬」があるが、作品の出来としては天地の隔たりがある。「地下室のメロディー」上映中の第6回浜んまち映画祭は只今、開催中!
2009年09月17日
コメント(0)
ヘラクレスやローマ帝国の剣闘士などが暴れまわったスペクタクル史劇、ヒゲ面のガンマンたち、そしてあるいは金塊や札束を知恵と力で強奪する泥棒たちが活躍するイタリア製娯楽映画は決して大作ではないものの、そこには洗練された名作とは違った圧倒的な存在感と魅力があった。本当はB、C級作品であるにも関わらず、いかにもA級のようなふりをした宣伝もまた魅力であった。こうしたイタリアの娯楽映画は現在、どのようになっているのであろうか?「続・荒野の用心棒」上映中の第6回浜んまち映画祭は只今、開催中!
2009年09月16日
コメント(0)
「続・荒野の用心棒」の主人公ジャンゴは西部劇などのアクション映画によく登場する流れ者とは違って非常に異色で不気味な存在である。寡黙であることとその不死身さ、そして復讐の念。多くの西部劇の主人公が馬に乗るが、このジャンゴは物語の中で1回も馬に乗らない点も異色である。このジャンゴは愛する女性が殺されたことへの復讐の為にやって来たのであるが、もしかしたら、彼自身も死んでいるのではないかと思わせる不気味さがある。つまり、この映画に登場するジャンゴは幽霊ではなかろうか?クリント・イーストウッドの「荒野のストレンジャー」と「ペイル・ライダー」の主人公は、このジャンゴからインスパイアされたものではなかろうか?映画「続・荒野の用心棒」は、我々の想像以上に映画史の中で重要な位置づけにあると思う。 第6回浜んまち映画祭は只今、開催中!
2009年09月15日
コメント(0)
「第6回浜んまち映画祭」の上映作品として久々の鑑賞。こうして見ると、娯楽性に満ちた非常によく出来た作品であることがよくわかる。寡黙でミステリアスなヒーローとそれを取り巻く登場人物たちの配置も全く無駄がなく、娯楽映画の典型である。ヒーローの登場、攻勢、危機、復讐という展開にも無駄がなく、凝った構図とキャメラワークで描かれる。上映時間が92分ということが、最近の無駄の多い間延びしたような映画と比べると、最近の映画作家たちは、この映画を見て学ぶべきではないか。アメリカの西部劇の素材を借用しつつ、実はイタリア映画オリジナルのアクション映画を作ったという意味では、これはマカロニ・ウエスタンの原点的作品であり、最大の傑作と言っても間違いない。
2009年09月13日
コメント(0)
「浜んまち映画祭」も6回目である。今年のテーマは「かっこイイ男特集」である。アラン・ドロン、田宮二郎、フランコ・ネロ、イ・ビョンホンの主演作が並んでいるが、実はここは共演者にも注目していただきたい。更には今年はヌーベルヴァーグ50年という年で、その代表作としても1作品が上映される。作品と上映期間は次の通り12日から18日までは「地下室のメロディー」「宿無し犬」「続・荒野の用心棒」19日から25日までは「白い巨塔」「甘い人生」「いとこ同志」この映画祭は周辺のいろんなお店から協賛をいただき、半券でいろいろとサービスがついてくるという特典つき。今年は全部で30の店舗や団体の協賛があり、これはこれまでの最大となった。次は観客を最大にしたいものであるが、まずはお客様に楽しんでいただくことが一番である。詳細はこちらを!さあ、おいで下さい!
2009年09月12日
コメント(0)
昨日の日記に書いた「第6回浜んまち映画祭」について書いておきたい。2004年のフランソワ・トリュフォー映画祭からスタートして6回目となった。県や市の名称ではなく、「浜んまち」という長崎市の繁華街の名称をつけたところがポイントで、会場もその中にある地元の映画館である。周辺のお店での半券持参の方へのサービスもこの映画祭の特徴で、今回はこれまでで最大の30の協賛を得られた。今年のテーマは「かっこイイ男特集」で上映作品は次の通り。「地下室のメロディー」「宿無し犬」「続・荒野の用心棒」「甘い人生」「白い巨塔」「いとこ同志」オールナイトや劇場ライヴというイベントも開催。9月12日から25日まで。只今、前売券発売中!詳細はここをご覧下さい。更に詳細を知りたい方は私書箱からどうぞ!
2009年09月07日
コメント(0)
公開第2週目の「グッド・バッド・ウィアード」であるが、長崎市では上映回数が第1週目の5回から2回に激減。この作品はどういうわけか人気がなさそうであるというかそもそも配給会社も興行者も話題を盛り上げていない。イ・ビョンホン、チョン・ウソン、ソン・ガンホの韓流3大スター共演だけではなく、マカロニ・ウェスタンの面白さとか、イーストウッドとからめるとか、客層を広げる方法はいくらでもありそうなのに、全くやれていない。韓流ファンではない観客で、たまたま「甘い人生」を見た映画ファンが、キム・ジウン監督という過去の映画を知り尽くしたような監督の映画術に驚いて次回作を期待したそんな観客をひきつけることは出来たのであろうか。「グッド・バッド・ウィアード」の上映回数が減った長崎市であるが、イ・ビョンホンの日々は続く。「かっこイイ男特集」をテーマに掲げている「第6回浜んまち映画祭」では、その「甘い人生」と共にマカロニ・ウェスタンの原点的作品である「続・荒野の用心棒」が上映される詳細はここを!
2009年09月06日
コメント(2)
今年は第6回目を迎える恒例の浜んまち映画祭。今年のテーマは「かっこイイ男特集」。いわゆるかっこいいと言われる男優たちが主演の作品を集めたもの。この映画祭はこれまでヨーロッパ映画が中心で開催してきたが、今年は日本と韓国も登場。韓国から登場するのはイ・ビョンホン。上映作品は、彼自身が自らの代表作と意気込んだ「甘い人生」。同じ上映作品にはアラン・ドロンの「地下室のメロディー」が並ぶ。「甘い人生」はまさにフランスのフィルム・ノワールの世界が再現され、イ・ビョンホンは、まさにアラン・ドロンのイメージであった。こうしてフランスと韓国の暗黒映画が並ぶことになり、それぞれに新しい発見が期待できるはず。
2009年08月21日
コメント(4)
これは59年のソビエト映画で、この映画については根強いファンが多いと言われている。実際に今回の浜んまち映画祭期間中に作品の問い合わせでは、この作品が一番多かった。お客様の中にも「よくぞ上映してくださった」と声をかけてくださる方も。実際にファンの多い作品であることが実感できる。内容であるが、非常に素晴らしい。「清純」とか「瑞々しい」とは、この映画のためにある言葉ではないかと思った。少年兵の旅を通して戦争の残酷さとそのような状況においても人を想う心は変わらないことを描き出す。
2008年09月30日
コメント(6)
26日、第5回浜んまち映画祭が無事終了。映画館まで足を運んで見ていただいた方々、本当にありがとうございました。長崎以外の方が多く読まれるこのブログでも何度も書いたわけだが、そんな中、応援いただいた方々に深くお礼申し上げます。映画祭を行う毎に、この町において映画自体やその観客が置かれた状況を新たに認識したり、発見したりする。それは単に映画ファンや映画観客についての課題ではなくこの町全体の課題ではないかと思うことがある。もしかしたら、地方都市の課題かもしれない。25日に記載した「シネコン問題」も同様である。ここでいただいたコメントにはまだ回答していないが、それも含めて今後、このブログで書いてみたい。もちろん、上映作品のレビューも今後、書きます。浜んまち映画祭、来年もお楽しみに!
2008年09月29日
コメント(1)
アラン・ドロンの出演映画をすべて見ているわけではないが、この映画ほどドロンの存在感がない作品も珍しいのではないか。他にあげるとすれば、「パリは燃えているか」であるが、これはオールスター・キャストの一人であり、そういうもの。しかし、この「あの胸にもういちど」は、アラン・ドロンは主演であり、しかもこの時期は絶頂期である。この映画では完全にマリンヌ・フェイスフルに食われてしまい、しかもちょっと間抜けな感じ。そもそも大学教授という役柄がミスマッチ。もしかしたら、作品の注目度をあげるためにドロンをキャスティングしただけか?もし、そうだとしたら、これは実に大胆不敵なキャスティングだぞ。
2008年09月28日
コメント(0)
前編にわたりジャック・タチのパントマイム演技で見せる。非常にスローなテンポなのであるが、次はどのようなことが起きるのかと実にスリリングな期待を持たせる。爆笑というより、思わずニヤリとさせて、ほのぼのとさせる不思議なタッチの作品である。モノクロの映画であるが、ラストでカラーが登場。このセンスの良さに思わず拍手したくなる。浜んまち映画祭ではジャック・タチ作品は、これで2作目。この人の作品は全部取り上げたい。さて、浜んまち映画祭はいよいよ26日まで!お見逃しのないように!
2008年09月24日
コメント(0)
この映画のラストの群舞シーンは踊りというより一種の格闘技であり、まるでアクション・シーンである。そういえば、このムーラン・ルージェの構造は、「キル・ビル」の青葉屋、あるいは「グリーン・デスティニー」で章子怡が暴れる旅の茶屋の構造にも良く似ている。「キル・ビル」も「グリーン・デスティニー」もアクション監督はユエン・ウーピンであるが、もしかしたら、ユエン・ウーピンはこの「フレンチ・カンカン」のラストの群舞シーンから影響を受けたのではないかと思う。
2008年09月23日
コメント(0)
19日夜から20日朝にかけての「第5回浜んまち映画祭」のオールナイトは盛況のうちに終了。リンギンベルズ・ロンドクラブのスクリーンを背にしての演奏からスタート。最後の曲では予告編の映像を映しながらの演奏であった。そして真夜中の30分間には「長崎水辺の映像祭」のスタッフが映像祭の紹介を行い。過去の作品紹介を行った。この映像祭と浜んまち映像祭は、ほぼ同じ時期にスタートして今、こうしてコラボレーションが出来たわけだ。その映像祭の作品紹介の後の上映作品がヌーヴェルヴァーグの創始者の一人であるエリック・ロメールの「春のソナタ」であるというのもなかなか面白い。そして「フレンチ・カンカン」のあの歓びに満ちた群舞シーンでオールナイトの一夜は終了。最後まで残った方は40名以上。みなさん、ありがとう。
2008年09月22日
コメント(2)
この映画のラストは実に躍動感と歓びに満ちている。思わず涙が出そうになる。もちろん感動の涙だ。これほどまでに歓喜に満ちたラストが、これまでにあっただろうかと思う。それに色彩も素晴らしい。その群舞シーンから離れて一人、感慨にひたるジャン・ギャバンの様子がなんとも云えない。群舞の動、ギャバンの静という対比が素晴らしい。
2008年09月21日
コメント(1)
第5回浜んまち映画祭、本日(19日)はオールナイトです。21時に開場、21時30分からリンギンベルズ・ロンドクラブの映画館ライヴ。そして22時30分から明け方の6時15分まで映画上映。上映作品はフレンチ・カンカン春のソナタざくろの色そして覆面作品の4作品。「ざくろの色」はこれが日本最後の劇場公開となります。覆面作品に注目が集まっていますが、これは映写機が回りだすまで秘密。長崎市のセントラル劇場へかけつけることの出来る方、是非、おいでください。前売券は2000円当日は2800円映画4本にライヴ付き、そして最後までおられた方には特典付きですから、かなりのお得です。詳細はこちらの「イベント」欄をどうぞ!
2008年09月19日
コメント(0)
この映画のヒロインは二つの部屋(家)を持って住んでいる。それは彼女だけではなく偶然に出会った若い女性の父親もまた、旅行の時以外は恋人のところに行っているという複数の部屋(家)に住んでいる。そして、この物語では登場人物たちが部屋から部屋へ移っていくことによってドラマが展開する。複数の部屋に住むこと、知人とはいえ、他の人の部屋を借りることが日常の人物たちが、まるでやどかりのようでもある。ここでふと思い出したのであるが、キム・ギドクは、このロメールの「春のソナタ」を見て、「うつせみ」を作ったのではないかと思ったのである。
2008年09月17日
コメント(0)
エリック・ロメールの「四季シリーズ」の第1作。ロメールらしいタッチと展開で、ほとんどドラマらしいことは起きないと感じさせるゆるやかな展開。しかし、映画の世界に引き込まれていく。終わってみるともう一度見たくなるそんな映画である。セリフが多い。しかし、そのセリフによって映像が引き立ち、逆に映像によってセリフが引き立つという見事なアンサンブル。途中に展開される哲学談義が実に面白い。そんな哲学談義もまったく浮くことなく、自然にそこに収まり、そしてそれを語る女優もまた、自然に感じられる。こういうドラマを下手な監督がやったら眼も当てられない有様になったであろう。ロメールの映画術のすごさである。浜んまち映画祭では時間をかけてロメールの「四季シリーズ」を上映していこう。
2008年09月16日
コメント(2)
いつの間にか映画館という独自の建物がなくなり、映画館が総合的なビルの中の一室になってしまい、ついにはシネコンになってしまった今、失われたものは大きい。それは「映画看板」である。その昔、ネットもない時代、映画雑誌も少なく、映画についての情報はポスターと映画館のウィンドウに飾られたスチール写真、そして入り口に華々しく掲げられた大きな看板が、観客の映画の情報源であった。しかし、映画館の形態の変化によって、今や看板製作業という職業はあっても、映画看板製作という仕事はない。そんな映画看板をひそかに描き続けておられる方が福岡におられる。三六堂という看板屋さん。今回の「第5回浜んまち映画祭」では、その方の作品と今回の映画祭の上映作品の看板を新たに製作していただき、アーケード街で展示会を開催。大変なインパクト!そして、14日にはその方のトークショーを開催。その様子はこちら。
2008年09月14日
コメント(0)
第5回浜んまち映画祭がいよいよスタート。オープニングはジャン・ルノアール監督作品「フレンチ・カンカン」である。ラストの群舞シーンはダイナミックでしかも歓喜に満ちている。思わず自然と涙が出そうになる場面である。登場人物たち一人一人が実に楽しそうな表情。主催者としてはお客が多く来て欲しい。どれをとっても確実に「良かった!」と言える作品ばかりです。第5回浜んまち映画祭の詳細はこちら。
2008年09月13日
コメント(0)
13日より第5回浜んまち映画祭である。第1週目は「フレンチ・カンカン」「ざくろの色」「春のソナタ」ルノアール、パラジャーノフ、ロメールの作品が並ぶというのはなかなか壮観。こういうことは「映画祭」ならではであろう。「ざくろの色」はこれが日本での最後の劇場公開である。長崎近辺の方、是非おいでください!詳細はここ。
2008年09月12日
コメント(3)
現在、九州を中心に活動中のアコーディオン、ピアノ、ヴァイオリンのユニット「リンギンベルズ・ロンドクラブ」。ヴァイオリンの中西弾さんは長崎OMURA室内合奏団コンサートマスターを務められる方で、その点でもこのユニットは長崎にも深い縁がある。そんなこともあって、彼らの曲のうち「nina」を「浜んまち映画祭イメージソング」に、そして「Ringin'Bells Rag」をハマスカ(浜んまちストリートカルチャー)のイメージソングとして提供してくださった。そんなわけで「浜んまち映画祭」は第5回目でついにイメージソングを持つことができた。試聴はこちらから。「第5回浜んまち映画祭」は、いよいよ13日から!
2008年09月09日
コメント(2)
昨日6日夜、長崎市の中心部の観光通りアーケードで屋外上映会が開催された。これは13日からスタートの第5回浜んまち映画祭の「前夜祭イベント」。ちょうど1年前に初めてアーケードで上映会を行って以来、今回で3回目。過去2回の試行錯誤を経て今回はほぼ完璧な上映環境となった。(専用のスペースではなく、しかも屋外ではないので、いろんな予想外の事態が発生するのである)今回の上映作品はヤン・シュヴァンクマイエルの初の長編映画「アリス」。実写とアニメを組み合わせた不思議な世界。観客はかなり引き込まれた感じである。私自身は、改めて映画館の暗闇でゆっくり見たいと思った。完璧な上映環境の為にご協力をいただいた商店街の皆様に感謝!13日からの「第5回浜んまち映画祭」についてはこちらを!
2008年09月07日
コメント(0)
毎年、このブログで紹介しております「浜んまち映画祭」は今年、第5回を迎えました。過去4回の「浜んまち映画祭」の実績から、「文化・芸術をベースにした商店街の魅力と個性の創出に力を入れよう」という気運が高まり、本年度より長崎市の中心商店街である浜んまちが、新しい長崎文化の発信拠点であり、「まちなか再生」の起爆剤となることをめざして「ハマスカ」(浜んまちストリート・カルチャーの略)が立ち上がり、映画祭はその中心的イベントとなった。現在、あと2週間に迫った第5回浜んまち映画祭の宣伝活動中である。今年の目玉は、といえば、6作品がすべて目玉であるのだが、中でもマリアンヌ・フェイスフルの「あの胸にもういちど」とこの映画祭では初めて登場するロシア映画の名作「誓いの休暇」であろう。映画祭の詳細はこちら。そしてハマスカの全体像はこちら。
2008年08月30日
コメント(2)
10日の「『小劇場演劇』と『単館映画』、この観客の差は?」について明彦さんからコメントをいただいた。ありがとうございます。これを読んで納得です。このような人的なつながりの有無だけではなく、演劇は目の前でリアルな人が動くわけですから、映画とは違った集客力があるのではないかと思った次第。さて、いただいたコメントから考えたことであるが、マスコミやチラシ・ポスターなどの量的な宣伝以外に人的なネットワークが重要だと改めて認識した。これは演劇だけではなく、映画でも音楽でも通用することだと思う。岩崎正裕さんは3年前の「市民参加ミュージカル」で演出をされてそれがきっかけとなってそのようなネットワークが出来たわけである。すべてのジャンルで岩崎さんのようなことが可能ではないので、それぞれで工夫が必要なのであろう。映画の場合は、映画館の支配人やスタッフに、わが浜んまち映画祭では実行委員会のスタッフにそれぞれその工夫が求められているということだ。そこにはジャンルや団体毎の縦割りではなく、団体やジャンルの境界を打ち破り越境するエネルギーが必要なのではなかろか。
2007年10月12日
コメント(1)
貧しいイタリア南部の故郷を捨てて富める大都市ミラノにやってきた一家が、そのメカニズムの中で崩壊していく姿を描いたこの作品を見ながら思い出したのは山田洋次の「家族」である。この作品でも一家は故郷を炭鉱閉山によって出て行き、日本列島を縦断していく中で高度経済成長の日本の影の部分を体験していく。この2作品をもっと比較してみたくなった。
2007年10月01日
コメント(0)
新書館から出ている「ヴィスコンティ秀作集」のひとつに「若者のすべて」がある。内容はシナリオと監督と脚本家の製作にあたっての言葉や撮影日誌の一部であり、非常に貴重なものだ。そのシナリオであるが、実際に鑑賞したものとは違う。この本に記載されているシナリオから、実際の作品ではかなり欠けている。鑑賞した作品は上映時間3時間で「完全版」と言われているものであるが、実はそれすらも「完全版ではない」ようだ。他にも欠けている部分があるかもしれない。そのうち、この「若者のすべて」の「最終完全版」が登場するのかも知れない。
2007年09月29日
コメント(0)
映画「5時から7時までのクレオ」では死に向き合っている人物が二人登場する。一人はもちろん、主人公のクレオ。自分はガンではないか、それによって死ぬのではないかと不安にかられている。もう一人は死の不安の中でパリの町を彷徨している中で出会った男。アルジェリア戦争から休暇で帰ってきた男である。やがて、再び戦線に戻るという男。次回に生きて戻れるかどうかは判らない。クレオとこの男のどちらが悲劇的なのであろうか。また残酷な運命というべきあろうか。健康で病気の心配もないにもかかわらず、戦場で死ぬかも知れない男の置かれた立場は実に残酷で悲劇的である。彼はまさに強制的に死に直面させられているのである。そのような強制する力とは何であろうか。また、そのような力は許されるのか?「5時から7時までのクレオ」を「反戦映画」というジャンルに括る人はいないかも知れないが、戦争というものを日常の視点から考えさせる。
2007年09月28日
コメント(0)
ファーストシーンが非常に素晴らしい。貧しい南部からミラノに到着した一家。列車の中で慌しく降車の準備をする姿からホームに降りて身を寄せ合う姿。そして、駅の出口に向かって階段の隅っこを降りる一家の姿。その場面ではミラノ駅の巨大な構造が一家を押しつぶそうとしているようだ。これらのシーンは、これからの一家の運命を暗示しているようだ。このシーンは映画ならではの素晴らしい表現であると思う。ここから見る者は物語に引き込まれていく。
2007年09月27日
コメント(1)
ラストはスターボクサーとなったロッコの写真が何列にも並んでいる情景である。それはロッコの野望が叶ったものではない。むしろ贖罪として引き受けたものである。それはまるでロッコを演じたアラン・ドロンというスターの行方を暗示しているようにも思える。
2007年09月26日
コメント(0)
初公開のときに見て、今回が二度目の鑑賞。今回の発見は、主人公の少年イングマルを演じたアントン・グランセリウスと伊藤淳史の顔つきや表情がどことなく似ていることだ。
2007年09月25日
コメント(1)
なんとも不思議な映画である。不思議なだけではなく非常に洒落ている。勃興したヌーヴェルヴァーグの勢いがそのまま画面に出ているが、それが時代を超えても感じられる点、単にその時代だけの作品ではないことが判る。劇映画は、その出演者のドキュメンタリー映画であるという見方も出来るが、これはまさにそれを実現した作品ではなかろうか。「はなればなれに」が疾走する映画であるとすれば、この「5時から7時までのクレオ」は歩く映画である。
2007年09月24日
コメント(0)
オールナイトが終了したのが午前6時11分。翌朝土曜日の開場は9時30分で、それまで一休み。そして、10時に上映が開始されて、その日の上映終了は24時10分。つまり日曜日の午前0時10分ということ。まさに映画祭スタッフにとっては金曜日から日曜日までまさに耐久映画マラソンであった。
2007年09月23日
コメント(0)
21日夜に「浜んまち映画祭」初のオールナイトが開催された。夜10時に劇場でのバンド演奏からスタートして「ニュー・シネマ・パラダイス」、「道」、「はなればなれに」が途中30分間の「予告編大会」を挟んで上映され、上映終了は6時11分である。まさに本格的文字通りのオールナイトである。最近はこのような興行形態がなくなって果たしてどれくらいの方々がこのような遊びに参加してくださるのか、不安であったものの、なんと60名が参加。最後まで参加された方は約40名。最後まで完走(?)された方には「特典つき証明書」を差し上げた。最後は徹夜で奮闘して下さった映写技師へ感謝をこめた拍手であった。
2007年09月22日
コメント(2)
「はなればなれに」はトーチを翳す女神のコロンビア映画のマークから始まる。ゴダールとアンナ・カリーナによって設立されたアヌーシュカ・フィルムの第1作にいかなる経緯でコロムビア映画のマークが付いたのかを是非、知りたいところだ。このことによってタランティーノに影響を与えるなど、その影響は大きい。映画史が実に様々な要素から複雑系的に影響を与え合って成立っていることを考えると、これは作品とは違った面白さを感じることが出来る。
2007年09月20日
コメント(0)
フェリーニ監督作品「道」はイタリア映画の、あるいは古典名作の代名詞ともいうべき作品。それだけに知名度が抜群で、電話での上映時刻問合せは、この作品にについてが圧倒的に多い。考えてみれば、この映画は少なくともこの20年間は長崎市では映画館でもホールでも上映されていないのである。地方都市では古典的名作といえども上映される機会はめったにないということだ。その意味でも、この映画祭の存在意義があるのかも知れない。
2007年09月19日
コメント(0)
「浜んまち映画祭」では第2回に「軽蔑」第3回に「女は女である」そして今年第4回では「はなればなれに」とゴダール作品を選んでいる。いずれも「おしゃれな映画」として宣伝しているつもりであるが、観客の受けはなかなかよく主催者としてはうれしい限り。「はなればなれに」は「軽蔑」と「女は女である」の延長にあるような感じがするが、このことについてはもう少し考えてみたい。そして「はなればなれに」では「気狂いピエロ」を予告しており、やはり次はこの「気狂いピエロ」かルーツの「勝手にしやがれ」を上映すべきであろうか。
2007年09月18日
コメント(2)
走ることと音楽が心地よい映画である。ゴダール作品は難解だという人は多い。確かに難解な作品はあるが、ほとんどは非常におしゃれで見る快楽を与えてくれる作品が多い。これもそうである。疾走と音楽が快適な映画とでもいうべきか。それに女優がキュートな映画でもある。とにかく見ている間に「ずっと終らないで欲しい」と願いたくなるそんな映画である。伝説的な3人のダンスシーンとルーブル疾走シーンは、素晴らしい。一人の女と男二人という組み合わせは「突然炎のごとく」からこの映画を経て「冒険者たち」や「明日に向かって撃て!」へとつながっていくのであろうか。
2007年09月17日
コメント(1)
第4回浜んまち映画祭で新しく実施したイベントに「映画館探検」というものがある。これは映画祭の会場であるセントラル劇場の中をすべてお見せしようというもの。考えてみれば、我々は映画館にはよく行くものの、その中をよく知らないのである。例えば、スクリーンはどんな材質なのか、すぐ近くまで行って見た方はほとんどいないであろうし、映写室の中は見たことはないであろう。今回はそれらをすべてお見せしようというもの。但し、映写室は狭いのでこの探検は1回に5名限定というもの。15日に行われた探検では4名の方が参加。皆さん方、支配人や映写技師のお話に夢中ですっかり大喜びの様子に企画者としてはうれしい限り。最後におみやげは映画館ならではのもの。さて、それは?22日、23日もこの企画はありますので、是非!
2007年09月15日
コメント(1)
15日から28日まで第4回浜んまち映画祭。長崎市にあるセントラル劇場はこの2週間はこの映画祭に占拠されるわけだ。今回のテーマは「わたくしの大事なもの」上映作品は次の6作品。「ニュー・シネマ・パラダイス(完全版)」「道」「はなればなれに」「若者のすべて」「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」「5時から7時までのクレオ」今回は映画上映だけではなく、いろいろと趣向を凝らしているが、そのひとつが「映画館探検」これは映画館の中を映写室も含めてすべて公開しようというもの。今回は、映画館も「作品」のひとつなのである。1ヶ月前のプレイベントから既にスタートしている第4回浜んまち映画祭はいよいよ佳境なのである。長崎市内、及び周辺の皆様方、どうぞおいで下さい!
2007年09月14日
コメント(0)
観光通りアーケード街での屋外映画会は、まず映写機とスクリーンの設置からスタートした。これは単に機材の設置ではなく、映画館の建設と同じことである。作業しているみんなは「私たちは、今、映画館を造っている」という気持ちであった。映写機やフィルムなどを間近に見る人が多く、取り出されるひとつひとつの機材にみな感嘆の声。11メートルの道幅のほぼ全部をスクリーンで占拠(?)した様相は壮観である。ここに映し出されたのは勝新太郎主演の「座頭市シリーズ」の第12作目「座頭市地獄旅」宣伝は口コミ、メーリングリスト、ネットの掲示板ブログなどによるゲリラ的宣伝が主体であったが、最後まで見ていただいた方は40から50名ほど。途中立ち止まったり、途中で帰られた方などを含めると100名程度はお客となったのではなかろうか。周辺の商店の照明がスクリーンに入り込むなど難点はあったにもかかわらず最後まで見ていただいて「完」の字が出たときに拍手をして下さった方々へは感謝!本当にありがとうございます。もちろん解決すべき課題は多いが、来年からは「浜んまち映画祭」の前夜祭になりると実感!さて、今年の第4回浜んまち映画祭は15日からだ!これが本番!
2007年09月08日
コメント(0)
2日間にわたり、ストリートライヴを開催。その中で「浜んまち映画祭のコーナー」を設定して4回の演奏会を行った。映画音楽が商店街のアーケードの中で、しかも生演奏を楽しめるというのはいいものである。こうした企画が映画祭をきっかけに実現できたということがうれしい。8月18日からは毎週土曜日に、同じ場所でキネマコンサートを開催。ミュージシャンたちも張り切っておられ、大いに楽しみである。今回、集って楽しんでくださった方々には大いに感謝!
2007年07月21日
コメント(0)
このブログで毎年紹介している浜んまち映画祭であるが、今年は第4回目。今年はいろいろと新しい試みにチャレンジしているが、そのひとつが音楽イベント。映画と音楽とは、非常に親密な関係にあるはず。そこで音楽ジャンルの方々ともっとコラボレーションできなかいと考えて、今年は「キネマコンサート」を実施。それも、地元で活躍、または地元出身のミュージシャンの協力を得てというもの。7月20日から21日にかけての商店街の夏のイベントである「浜んまちほおずきフェスタ」のストリートライヴから、今年の浜んまち映画祭はスタートである。「浜んまちほおずきフェスタ」のストリートライブの中の「映画祭PR演奏」がそれ。8月中旬からは、キネマコンサートの本番がスタート!
2007年07月20日
コメント(3)
マーティン・スコセッシの「ラスト・ワルツ」は、ザ・バンドの解散コンサートを描いたドキュメンタリー映画であるが、タイトルの「ラスト・ワルツ」とは「山猫」のサリーナ公爵とアンジェリカの踊りからのものである。時代の覇者交代を象徴的に表現した場面であるが、映画「ラスト・ワルツ」もまた音楽における時代の覇者の交代時期を描いた作品であった。マーティン・スコセッシは「山猫」によってカラー褪色問題を提起したことも含めて、彼のこの映画への尊敬の証明であろう。「山猫」をリメークする場合、監督候補の第一にあげられるのではなかろうか。
2006年10月01日
コメント(0)
上映が終了したフィルムは配給会社に返送される為に劇場のロビーに並べて置かれる。ふと、これらのフィルムをこのまま自分の家に置いておきたくなる。映画好きの夢は、映画そのものを所有することであるということが改めて実感される。ビデオやDVDでの所有ではない、フィルムでの所有なのである。夢は映画館経営であると同時に配給会社の経営でもある。
2006年09月29日
コメント(2)
全109件 (109件中 1-50件目)