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ビッグジョン7777 @ Re:どうにかなるということ(10/06) >でも、どうにかなる、と思う。 今ま…
ビッグジョン7777 @ 動物園の英会話 家の中での英会話もいいでしょうが 動…

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Mar 9, 2006
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カテゴリ: カテゴリ未分類
子どもが英語を話せるようになる、話せるようにならない、そんな問題じゃないな、と
ここ数日考えています。
たしかに始めるきっかけは英語を話せるようになるために、でしたが、今は少しニュアンスが違っています。
仮に息子が英語が話せないまま終わったとしても、母が精一杯がんばってくれた、ということを感じ取ってくれたら、
と今は思っています。
精一杯がんばる、ということを学んでほしいのです。

私は幼い頃、教えられるまでもなく「ハンディのある者は人の倍努力しなければならない」ということを感じました。
私は物心ついたとき、四、五歳のときだと思います、普通の発音というのができませんでした。
どうしても発音を明確にできませんでした。

でも、発音不明瞭という状態でしか発音できない。
これは、おかしい、おかしい、と自分の中で常に葛藤がありました。

おかしい、おかしいと思いながら私は小学生になりました。
近所で近所の子どもたちと遊んでいるときのことです。
発音不明瞭の人ならみんなそうだと思いますが、自分の意思を伝えるために自然と声が大きくなる。
すると近所の奥さん方に「うるさい!」と怒鳴られる。
私は子ども心にすごく傷つきました。うるさがらせるつもりは全然ないのに・・・。

私は、このとき思いました。
どの子がどういう事情をかかえて大声を出しているかわからないから、私は絶対に他人の子どもを叱らない、
そんな大人には絶対にならない、と幼心に誓いました。

私は発音不明瞭という障害から、だんだんとコミュニケーションを取るのがおっくうになっていきました。

私は母親に自らの障害を訴えました。
でも母は「お母さんが障害のある子どもを生むはずがないでしょ!」と言って取り合ってくれませんでした。

私は、どんどん孤独な子どもになっていきました。
自分の意思が伝わらないもどかしさ、言葉を出すと大人に怒られる恐怖心、
母親が取り合ってくれない心の壁。


でも小学生の私には、母親しか訴える相手はいませんでした。
私は何度も何度も訴えました。
そのたびに帰ってくる言葉が「お母さんが障害のある子どもを生むはずがないでしょ!」。
とうとう母親にうとまれる存在になりました。
親を暗くさせる子と認識され、母親のサンドバッグにされました。
私を使用人のように命令し、こき使い、ことあるごとに私を三歳年上の兄と比較し、
「(兄の名前)ちゃんは正常、あんたは異常」と呼ぶようになりました。
私はその頃のこういった生活の後遺症からか、今でも自分のことを異常者か何かのように感じることが多いです。
「家の恥」とも言われました。

今の私なら、自分のことは自分で解決すべきだと考えます。
無理解の人間に訴えるほうがおかしいと思います。
でも、その頃の私は小学生で、母親しか救いを求める相手はいなかったのです。
私は障害をかかえたまま、実の母親に放置されることになりました。
なんら医学的な処置はしてもらえませんでした。

子どもだった私は、こう思いました。
障害がある子どもは、親に愛される資格がない。
家の恥、障害があるのは本人の責任。悪いのは本人。
ぜんぶ私が悪いんだ。

私は孤独の中で育ち、自分のハンディをカバーするために勉強だけはがむしゃらにして、社会に出ました。
軽蔑している母に生活のために金銭的に頼らざる得なかった私は、自分のことを
同じ穴のむじなのつまらない人間だと思っていました。
そんなくしゃくしゃした、表現しようのない陰鬱な中で、
ある歯科医に巡り合いました。
その歯科医に出会って、ある重大なことが判明しました。
私は「顎と歯の先天的奇形である」ことがわかったのです。

そうだったのか・・・。やっと今までの暗雲が晴れた気分でした。
疑問がすべて一掃された。
その歯科医に巡り合ったおかげで歯の形成にとりかかりました。
歯の形成をしたことで、健常者に近い発音が出せるようになりました。ほんとうに!
そこから少しずつですが、人生が好転しだしたように思います。
就職、結婚、離婚、再婚、今にいたっています。

また、あることもわかりました。
私は難聴というほどではありませんが、耳も通常の人より悪いです。
私の場合は、顎の障害と耳の障害が連動していたようなのです。
それで自分の声の大きさを判断する能力が欠けていたんだとようやくわかりました。


今は、実母のことを、子どもの面倒をみてくれる人・子どもに物を買ってくれる人
として感謝の気持ちをもっている私です。
でも、できるかぎり、昔のことを思い出さないように、あたりさわりのない話題しか選ばないようにしています。
母は常に健常児の親という間違った優越感に満足し、それだけの子育てをしました。
母は母なりに精一杯だったと思います。
母は、子どもを食べさせていくことだけが精一杯だったと思います。
人間としてかわいそうな人だと思います。同じ人の親として同情します。

長い間、私は、母を理解しようともがいてきたように思います。
母が理解できたら、他の人たちをも理解できるような気がして。
私がけして理解できない人たち、例えば物を買わなかったら豹変する営業マンとか
そういった人たちを理解できるような気がして、ずっと彼らを理解したいと苦しんできました。
でも今の夫に出会って、母を理解する必要はないんだ、ということがだんだんわかってきました。

幼い私は、ひとつの人格として認めてもらいたかった、生まれてきてもよかったんだ、と思いたかった。
でも母がそれを許さなかった。障害のある子どもはいらないよ、私の子どもじゃないよ、と拒否した。
幼い私は、実母に地面に叩きつけられて大きなショックを受けたけれど、
でも悪いのは私じゃなかった、と今は確信をもっています。
私は私の意思でこの世に生まれてきたわけではありません。
障害があるのは私のせいではありません。

障害のある子どもはいらない、というのもその人の価値観の問題だと思います。
世の中には、そういう人もいると思います。
そういう人を否定するつもりはありません。
私が彼らを否定したら、母が私を否定したのと同じになるからです。
価値観に優劣などあるはずがありません。

でも、私は彼らとは違います。
私は自分の子どもに障害があったとしても受け入れるつもりです。
それは、私の子どもだから。私が生んだ子どもだから。
私が、ただこの子を生んだ、責任があるとしたら私にあります。

自分が理解できないことは理解しなくていいんだ、と今は思います。
実の親だから理解しなければならないということはないし、
世間の仲のいい親子のようにわかり合えなかったさみしさはあるけれど、
今は自分の家庭があればいいと思っています。

そして、今しあわせなせいか、心の余裕からか、逆のことを考えたりします。
もし自分に障害がなかったら、もしまったくの健常者としてこの世に生を受けていたら、
私はどんな人間になっていただろうか?と。

きっと、あのような母親に育てられたのですから、恐ろしい人間になっていたと思います。
ブログを書くことも英語を勉強することもなかったと思います。
結果的には、障害があってよかったです。

これを読まれている人で、もしかしたら自分の子どもは障害児かもしれない、と思っている人がもしいれば、
一度冷静になってお子さんを観察してあげてください。
じっくり観察してあげてください。
我が子が障害児かもしれないとあなたが苦しんでいるよりも、
その何倍もお子さんは孤独で苦しんでいるということをわかってあげてください。

子どもに障害があれば、それは今の医療で最大限まで回復できるものかもしれません。
とにかく最善を尽くしてあげてください。
障害があるのは、子どものせいでもなんでもありません。
責任があるとしたら、生んだあなたに責任があるのです。





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Last updated  Mar 9, 2006 08:58:29 PM
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