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2024.02.16
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◎これは昨年の7月20日付西日本新聞からです

下記の内容は、すべて、2023年の7月20日付のものです
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炭坑絵師の山本作兵衛(1892~1984)に

インタビューをしていた旧山田高(福岡県嘉麻市)の元生徒たちが

7月23日、半世紀の時を超えて、取材当時の作兵衛のカラー写真や肉声の録音テープ、提供された記録画などの資料を田川市石炭・歴史博物館に寄贈する。専門家は「1970年代前半の作兵衛のカラー写真は希少」と話す。

 寄贈するのは、中原和生さん(68)=嘉麻市牛隈=や写真家片山文博さん(66)=福岡市博多区=ら1975年に卒業した同窓生たち。作兵衛にインタビューしたのは2年生だった73年9月。

きっかけは「炭鉱をテーマにした高校の文化祭」だったという。

 当時、旧山田市(嘉麻市)も炭鉱閉山によってピークの59年には4万人近くいた人口が急減。中原さんは「人がどんどんいなくなる街を見る中、文化祭で炭鉱をテーマにした展示をしようとなった」と振り返る。

 まずは市内の実情を知ろうと、生徒たちは商店街や炭鉱住宅(炭住)を訪ね、生の声を集めた。写真部長だった片山さんは取材風景を丁寧に活写。「いろんな人を撮った。プロカメラマンになろうと思ったきっかけだったと思う」と話す。

 そうした活動を続けるうちに、作兵衛と縁がつながった。

 当時、炭坑絵師として知名度を上げつつあったが「そんなにすごい人とは知らなかった」と中原さん。田川市弓削田の自宅で取材に応じてくれた際の印象について「とにかく記憶力がすごかった。戦前の文化や物価の推移、炭鉱特有の風習などをよどむことなく話してくれた」と述懐。用意したテープレコーダーの録音時間が途中で終わるほど話してくれたという。

 カラー写真はその際に撮影した。片山さんは「自分が撮ったものなんだろうが、まったく記憶にない」と笑う。作兵衛は十数枚の記録画も気前よく提供してくれたという。

 生徒たちの活動は、きちょうめんだった作兵衛の手帳にも残っていた。手帳の内容を読み解いた県立大の研究報告叢書(そうしょ)第54巻によると、73年の9月9日、16日に高校生たちが来訪したことや、文化祭翌日の10月2日に絵の返却のため彼らが訪れたことが記されている。中原さんによると、今回寄贈する記録画は作兵衛にプレゼントされた1枚という。

 テープや写真、記録画などの資料は生徒たちが長年、各自で保管していた。中原さんは「散逸することへの不安が年々大きくなっていた」と寄贈の理由を説明する。

 作兵衛の記録画について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界の記憶(世界記憶遺産)への登録に尽力した1人でもある県立大の森山沾一名誉教授(地域社会学)は「カラー写真や肉声テープは貴重なもの。公的機関が安定的に管理することになって良かった」と話す。寄贈式は23日午後0時半から、のがみプレジデントホテル(飯塚市)で開かれる。







​ 山本翁の音声は、このURLをクリックして、出現する当該新聞記事からどうぞ! ​






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最終更新日  2024.02.16 18:24:37
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