フェリアの「ひみつダイアリー」

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フェリア0322

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2007.01.04
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くったりした私であるが、いつまでも悩んでいても仕方がないなあと思う。


切れたらそれまで、続けば「よかったわ」と思うことにしよう。
私としては大事にしたい関係だと思ったから詫びを入れたわけだし。その気持ちには、今でも代わりはない。

私にとっては、もっとも自分のヴァイオリンを聴いてほしい人の一人である。
その人に拒絶されたということはとても悲しいことだが、相手が「いやだ」と言う以上は、私にはどうすることもできない。

PTSDになった彼女のことも、恨む気持ちはない。そうか、誤解されたんだなあ、残念なことであったと思うのみだ。
申し訳ないことをしたという気持ちは、正直言って「ない」。相手には悪いが。思い込んだのは相手なのであるから、私に非があるとは思えぬ。

ただ、「あの日記に書いたことは、あなたのことではない」ということだけは伝えたい。






人間関係というのは面白いものだ。わずらわしいが面白い。

でも若いころはそうは思えなかったなあ。それこそ白黒はっきりさせずにはいられなかった。

一番ショックだったのは、高校時代、もっとも仲のよかった友達と、21歳のとき物別れになったことだった。
私は大学、彼女は2浪してOLになったのが分かれ目であった。

当時、私は頭でっかちの娘っ子で、本ばかり(それも今から考えると、くだらないやつ)読んでいた。
一方、彼女のほうは社会でもまれ、男の人とも大人の付き合いをするようになっており、溝ができていった。

が、私はそのことに気づかなかった。
そして決定的な言葉を投げつけられることになる。

「私にはいろんな友達がいるけど、あなたのように話題を選ぶのに気を遣って疲れる人はいないわ」

いやもう晴天の霹靂なんてものではない。たいへんなショックであった。

その後、何年間も人と接すると「相手が疲れているのではないか?」と気を回すようになったのだから、これこそまさにPTSDと言っていいだろう。


妊娠して「ママになること」が方向づけられてから、私は急に自分の将来が開けたようでうれしく、久しぶりに彼女に手紙を出して、結婚と妊娠の報告をした。

「お祝いしたかったのに残念です」と返事が来たので「21歳のとき、ああ言われて強いショックを受け、自分に自信をなくしたけれども、子どもが生まれるのを待っている今、ようやく自分を肯定できるようになりました」と書いて送ったら、お詫びの手紙が来た。

本当にごめんなさい、そんなひどいことを言っていたなんて、遠くから幸福を祈っています、とあった。

私としては、自分を取り戻すことができたので、もう一度彼女の関係をスタートしたかったのだが、その後、彼女との音信は途絶えた。

お互いにとんがっていた。若かった。今ならどうってことないのにね。



もちろんもう全然気にしてはいないので、ぜひ会ってみたいなあ。
きっと楽しいだろう。





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最終更新日  2007.01.04 18:38:38


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