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六条 旭

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2016年09月11日
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カテゴリ: 報道


 /   _ノ  \
 |    ( ●)(●)  蓮舫って血統的(父が支那人)に考えても
. |     (__人__)  学歴的(北京大学)に考えても
  |     ` ⌒´ノ    中国共産党の工作員だろ、状況証拠的に考えて…
.  |         }
.  ヽ        }
   ヽ     ノ        \
   /    く  \        \
   |     \   \         \
    |    |ヽ、二⌒)、          \



以下、ニュースより引用
http://agora-web.jp/archives/2021343.html
「日本旅券、嫌だった」蓮舫氏、朝日新聞で発言の過去 (追記あり)
2016年09月09日 08:30
蓮舫さんが声明出すも昨日の夕刊フジをご覧になっていない様子
蓮舫さんがネットに二重国籍問題について所見を出されました。良いことだと思います。しかし、いろいろ突っ込みどころがあります。とくに、昨日発売の夕刊フジに 『日本のパスポートになるのがいやで、寂しかった』(朝日新聞1992年6月25日夕刊)と蓮舫さんが気が進まないまま日本国籍を選んだことをかつて告白されていることが明らかになった のですが、それを知らないで書かれたような気がします。その声明全文は下記の通りです。
※蓮舫氏の声明(Facebookより)
私は日本人です。 日本で生まれ、日本で育ち、日本の風土で育てられ、日本で結婚し双子を育ててきています。

私は、生まれたときから日本人だという気持ちが強いのですが、法律的には、女子差別撤廃条約の締結を目前にして改正国籍法が施行(昭和60年1月1日)された直後の昭和60年1月21日、日本国籍を取得しました。17歳のときでした。
日本法の下で適正な手続きを行い、国籍の届出を行いました。私は、日本人です。
私が台湾法において、籍があるのかというご指摘がありました。
高校生の時、父親と台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍放棄の手続きを行ったという記憶があります。私は、台湾籍を放棄して今日に至っているという認識です。
この点について、今般、確認を行いましたが、いかんせん30年前のことでもあり、今のところ、確認できていません。
今後も確認作業は行いたいと思いますが、念のため、台湾の駐日代表処に対し、台湾籍を放棄する書類を提出しました。
この間、大好きな父が否定されるかのような。また、最愛の娘と息子にまで言及する 書き込みに触れました。家族が本人に責任のない中傷誹謗にあうのは母として耐えられませんでした。
日本の法律では、私が日本国籍しか持っていないことは明らかになっていますが、台湾法での問題について、ご心配をおかけしたことをお詫びいたします。
少し解説しましょう
私は日本人です。 日本で生まれ、日本で育ち、日本の風土で育てられ、日本で結婚し双子を育ててきています。(中略)主観の問題ですか私は、生まれたときから日本人だという気持ちが強いのですが、ここは大変問題です。
上記の 朝日新聞のインタビューによると、この手続きの数年後の24歳のとき、以下のように仰っています。


昭和60年1月21日、(法改正で)日本国籍を取得しました。17歳のときでした。 日本法の下で適正な手続きを行い、国籍の届出を行いました。私は、日本人です。私が台湾法において、籍があるのかというご指摘がありました。
高校生の時、父親と台湾の駐日代表処に赴き、台湾籍放棄の手続きを行ったという記憶があります。私は、台湾籍を放棄して今日に至っているという認識です。
85年と87年の手続きの記憶を混同?
ここは少し分かりにくいところです。法改正によって、17歳のときにそれまで中華民国単独籍だったのをういったん日本との二重国籍にする手続きをして、その後。日本国籍選択宣言をされたということなのではないかという気もします。
というのは、先の朝日新聞インタビュー、あるいはなど1990年代に行われたインタビューや1997年の「天声人語」などでは、日本国籍を選択した(以前はご自身、帰化したという表現を使われることも多かったようです)は19歳のときと大体されており、このふたつを混同されているようなのです。

つまり、17歳のときに法改正で日本国籍がとれるようになったので、1985年1月21日にお父さんと一緒に区役所に行って合法的二重国籍になって、引き続きそのむねを東京にある台湾の代表所に届けに行かれた。
1987年になって、お母さんと一緒に区役所に行って日本国籍選択宣言をしたが、中華民国国籍の離脱手続きはしていない(少なくとも誰と手続きをしに行ったかも含めて実際に代表処に行ったとは言及されていない)ということなら、すべて辻褄が合います。
もちろん、辻褄が合うと言うだけで、蓮舫さんやご健在でばりばり活躍されているお母様から具体的な証言がないということで、断定などできませんから、あくまで蓮舫さんの記憶がよみがえるのをお手伝いしたいということです。
それから、日本国籍を選択した日は、台湾当局に問い合わせなくても戸籍謄本をみればわかります。さらに、中華民国の国籍を離脱するのを、そんなことないと思いますが、失念していたとしても、中華民国籍のままだというお父様が1994年にお亡くなりになったときに相続手続きをとる過程で分かるはずだと思います。
いずれにせよ、遠からず中華民国籍の離脱時期の証明書類が出てくるでしょうからあとはどうでもいいことですから、このあたりをしつこくいうつもりはありません。
この間、大好きな父が否定されるかのような。また、最愛の娘と息子にまで言及する 書き込みに触れました。家族が本人に責任のない中傷誹謗にあうのは母として耐えられませんでした。
日中・日台の問題で日本側に立って「行動」できるか
大好きな父が否定されるというのは、この議論の過程で、昭和41年11月1日の日本の国会でバナナの輸入利権について、公明党の黒柳明議員から蓮舫さんの祖母である陳杏村さん、父親の謝哲信さんの絡んだ案件で追究が行われたことが明らかになったを指すのでしょうか。しかし、これは国会の議事録にのっていることです。また、 お子様については、「翠蘭」「琳」という中国人らしい名前をつけたことは蓮舫さん自身が従来から公開されていることです 。それから、お父様については、父が忘れたのでないかといって亡くなったお父様に責任を押しつけられたのは、蓮舫さん自身です。
そして、我が国のために働きたいと国会議員として仕事をしています。日本を良くするために、まだまだ努力をしようと強く思っています。
大いに結構なことですが、尖閣問題を初め、山積する日中・日台の問題について日本の側にたって断固戦うという見解を明確にされ実行されることが抽象的一般的な決意表明より重要です。アメリカの上院議員だったダニエル・イノウエ氏など晩年はともかく若い頃は非常なる対日強硬派でしたし、そうであればこそ、日系の上院議員でありえ日米友好の増進に迂遠ですが貢献されました。また、台湾のために北京の機嫌を損じても戦うと宣言されるなら、それは多くの日本人も歓迎するのでないでしょうか。
そもそも、私が蓮舫さんの問題を取り上げたのは、少なくとも都知事だ首相という日本を代表する顔になっていただくには、日本文化への愛着、日本の国への忠誠という点ではっきりして欲しいことが多いという意識からであって、国籍問題だけが課題ではないのです。
(追記9:40)
日刊ゲンダイが中国籍放棄の手続きを自分でする必要があると報道
民進党代表選前になぜ…蓮舫氏“二重国籍騒動”混迷の真相
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/189446/1
日刊ゲンダイにしては穏当な記事です。注目すべきは「一般論として言えば、台湾国籍を持つ人が日本国籍を選択した場合、日本が国家として承認している『中華人民共和国』の法制によって規律されます。日本国籍の取得と同時に中国国籍を失うことになるのです。ただし自分で中国への国籍離脱の手続きを行わなければなりません」(法務省民事局民事第1課担当者)としていること。「一般論としては」という部分が含蓄があるのですが(実は台湾はその例外ということが言外にある)、いずれにせよ、自分で離脱手続きが必要ということです。





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Last updated  2016年09月11日 13時23分14秒
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