一方、同じ時期、アルゼンチンの首都であるブエノスアイレス市は、レストランやバーに換気装置を設置すれば喫煙してもよいという緩い規制を導入した。 アルゼンチン保健省の研究者らは、この状況を利用して「受動喫煙」と「健康」のあいだの関係を明らかにしようとした。規制の厳しいサンタフェ州(「介入群」と呼ぶ)と緩いブエノスアイレス市(「対照群」と呼ぶ)を比較しようと考えたのである。 喫煙に対する規制の厳しいサンタフェ州の住民(介入群)と、規制の緩いブエノスアイレス市の住民(対照群)は、「制度の変更」という偶然の要素によってたまたま分かれたと考えられる。つまり、あたかも「喫煙に対する規制を厳しくするかどうかをランダムに割り付けられた」(「ランダム化比較試験。第3回 を参照」のと同じ状態だと考えられる。 喫煙に対する厳しい規制を受けるかどうかを本人の意思で決められなかったのだから、介入群と対照群のあいだで、喫煙に影響を与えそうなほかの要素が似たもの同士になる。つまり、両者は「比較可能」になるのである。 介入群と対照群が「比較可能」な状態ということは、この2つのグループの違いは「喫煙に対する厳しい規制を受ける」かどうかだけ、ということになる。この状態で、健康状態を比較すれば、「喫煙」と「健康」の関係を明らかにすることができるというわけである。 この研究が示した結果は実に興味深い。2つの地域では規制が導入された後も喫煙率は変化しなかったことが示された。喫煙者は規制が導入されたとしても、たばこを吸うのをやめなかったのである。 それにもかかわらず、厳しい規制を導入したサンタフェ州(介入群)では心筋梗塞による入院患者がブエノスアイレス市よりも13%も低くなった(図表1)。つまり、たばこを吸っていた当人ではなく、受動喫煙を強いられていた人々の健康状態が改善したと考えられる。 受動喫煙を防止すると 飲食店の売上は減るのか しかし、このような反論が聞こえてきそうだ。「あまりに喫煙に対する規制を強くすると、バーやレストランでの売上が減り、地域の経済に悪影響を与えてしまうのではないか」と。経済に悪影響を与えるのであれば、喫煙に対する規制をとにかく強化すればよい、ということにはならないのかもしれない。 実はアルゼンチンの研究は、健康面だけでなく、「喫煙」と「地域の経済」のあいだの関係も明らかにしている。 規制の厳しいサンタフェ州(介入群)と緩いブエノスアイレス市(対照群)のレストランやバーの売上を比較したその後の研究では、2つの地域の売上に統計的に有意な差がなかったことが示されている
(「有意な差がなかった」というのは、その差が偶然による誤差の範囲で説明できてしまうということだ)。 アメリカでも複数の州や都市で同様の規制が導入されており、メキシコシティでも2008年に同様の規制が導入されている。そして過去の研究より、それらの規制は レストランやバーの売上だけではなく、ホテルや施工業界の売上にも影響を与えないことが明らかになっている
(ブエノスアイレスやアメリカの複数の都市では飲食店の全面禁煙によって逆に店の売上が増加したことが示唆されている)。さらには、39個の研究を統合したメタアナリシスでも、飲食店の完全禁煙化は店の売上に悪影響を与えないことが明らかになっている。 日本は受動喫煙を防止する規制や対策が十分ではない国として知られるが、この研究から、ブエノスアイレス市のように部分的な受動喫煙防止策では、たばこを吸わない人々を受動喫煙の被害から守るだけの十分な効果が得られないことがわかる。 日本人を対象にした研究ではないのだから結果は違うはずだ、という反論もあるかもしれない。しかし、アメリカの複数の都市や州、メキシコシティ、アルゼンチンなど世界中の複数の地域において同じような「因果関係」が明らかになっているものの、日本だけ何の根拠もなく違うという主張をするのには無理があるだろう。 日本だけは違うと主張するのであれば、違うというエビデンスが必要である。日本発のエビデンスが明らかにされるまでは、飲食店の全面禁煙は日本人の健康は改善させ、飲食店の売上に悪影響を与えないと考えるのが日本にとって最良の政策だと言えるのではないだろうか。 次回は、日本人を対象にした、受動喫煙に関する研究も紹介する(2/24公開予定)。 参考文献 Ferrante, D., Linetzky, B., Virgolini, M., Schoj, V. and Apelberg, B. (2012) Reduction in Hospital Admissions for Acute Coronary Syndrome after the Successful Implementation of 100% Smoke-free Legislation in Argentina: A Comparison with Partial Smoking Restrictions. Tobacco Control, 21 (4), 402-406. Gonzalez-Rozada, M., Molinari, M. and Virgolini, M. (2008) The Economic Impact of Smoke-free Laws on Sales in Bars and Restaurants in Argentina, CVD Prevention and Control, 3 (4), 197-203. Glantz, S. A. and Smith, L. R. (1997) The effect of Ordinances Requiring Smoke-free Restaurants and Bars on Revenues: A Follow-up, American Journal of Public Health October, 87 (10), 1687-1693. Glantz, S. A. and Charlesworth, A. (1999) Tourism and Hotel Revenues before and after Passage of Smoke-free Restaurant Ordinances, JAMA, 281 (20), 1911-1918. López, C. M. G., Ruiz, J. A. J., Shigematsu, L. M. R., Waters, H. R. (2011) The Economic Impact of Mexico City's Smoke-free Law, BMJ, 20 (4), 273-278. Cornelsen, L., McGowan, Y., Currie-Murphy, L. M., Normand, C. (2014) Systematic Review and Meta-analysis of the Economic Impact of Smoking Bans in Restaurants and Bars, Addiction, 109 (5), 720-727.