ところが 31 日三日目の朝から再び鈍痛がぶり返してきた。
一日 3 回平木医師が訪問、 3 ~ 40 分のカウンセリングが行われ、 その時彼女が痛みがぶり返したこと
を訴えると
「痛みが来たらじーっと熱いお湯につかっているみたいに、痛いな^と思いながら耐えて
下さい。受けとめて逃げ出さないのですこうやって必ず治るのだと自分に言い気かさえて
下さい。あなたの頭の中には、私はもう元の元気な身体に戻れないのではないか、という間違った
情報がインプットされている。それを塗り替えるのです」
と彼は言った。
療法に入って、彼は聴く事から積極的に指導するように変わっていった。
「あなたの人格の中で夏樹静子が占めている割合はどれくらいですか?」
「子供が小さいころ 50 ~ 60 、発症時は 70 ~ 80 、今は限りなく 0 」
と彼女が答えると
「夏樹静子をとりはぶいたとして生きていけますか?」
「身体が元気になれば生きていけます」
「椅子に腰かけることからどんなことを連想しますか?」
「書く事、会食、乗り物の旅行・・・」
「みんな仕事がらみですね」
彼女が
「そんなことばかりしていたので、すっかり筋肉が弱くなって」
と言うと、
「いろんな知識を持つあなたがなぜいつまでも筋肉弱化に固執しているのですかね。
水泳を勧めた整形外科医も今ではメンタルの問題とおっしゃっておられるのでしょう。
心因を認めると何か心理的に都合の悪いことでもありますか?」
「とんでもない、私は病名など何でもいいのです。 ただ、病名の カオ、様相としてどうして も筋肉
弱化と感じられるのと、心因が思い当たらない。 心身相関と言うのが今一つ納得でき ないのです」
「心因は必ずしも自分で納得できるものばかりではありません」
「性格的なことも有ります。私は心の病に落ち居るほど純粋でないと自覚しています。
たとえば文章一つ書くのにも、最善の表現が見つからなければ次善を探り、さっさと妥協し て楽な
道を歩いてきたような気がします。 何かにつけ、病気になるまで自分を追いつめるほど不器用でも
純粋でもないのです」
すると
「あなたは自分で考えていらっしゃる以上に完全主義者だと僕は思います」
と彼は苦笑した。
昼間の鈍痛が続いたまま夜の 10 時ごろわずかにまどろんだ次の瞬間、どんと腰の奥にパイ プでも撃
ち込まれたような衝撃感で、彼女は目を覚ました。
それは、
「絶食初日の夜以上の、三年間の痛みの集大成のごとき桁違いの苦痛」
だそうで、彼女は睡眠薬の注射を頼むも、看護師からの平木医師の返事は
「痛みを受け止めて我慢してください」
だった。
再び一睡もできなかった彼女は
「今度こそこんな療法は中止て帰ると断固心に誓った」
翌朝訪問した平木医師のカルテには
訪室するなり恨めしそうな目つきで Dr を見上げ、憤懣をぶつけるような早口で
「 Dr は心理的に修飾された痛みと言ったが、眠っていて突然痛くなったのだから修飾等し
ている暇はない。子の痛みは本物だと思うと、騙されたみたいで腹だしかった」
平木医師は
「この療法の特徴として、商用が波状的に表れてくるのです。症状は自動的、条件反射的に
形成されるようになります。この条件付けを取り除く方法が、痛みをそのまま受けとめるこ
となのです」
不満を言う夏樹氏に
「それにしても治療者を攻撃するエネルギーは相当なものですね。エネルギーの強い人ほ
ど痛みに敏感だし、怒りと痛みには密接な関係がありますからね。そりゃあさぞかし痛いだ
ろうと思います」
そうこう、彼女が平木氏に、抗議を続けていると、またしても波が引くように痛みは消えて
いった。
平木医師曰く
「偶然ではありません、カタルシスが行われているのです」
再び穏やかな時間が訪れた。
「絶食初日と、三日目の激痛、二日目と四日目の静けさは驚くばかりに対象だった」
と彼女は書いている。
「一種不可解な経験が始まりつつあった」
とも・・・


