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ブリーチ見たよ。ここに書きに来る時間も惜しんでだか惜しまずにだか、ブリーチを見た。見た。見た。どれくらい見たかっつーと、カリヤ(アニメだけなので漢字知らない)があっちの世界に攻めていって白夜(こんな字でいいのか?)と闘い始めたところまで見た。見たっつーか、仕事しながらなんで、半分以上は音だけかも。ブリーチは、死神・・・ていうか、あまり死神じゃないとおもうんだけど・・・の力を手に入れた高校生・・・って、デスノートとはぜんぜん意味が違うんだけど・・・のお話。週刊少年ジャンプ連載・・・だけど、今回原作は一切読んでないっす。なんつーのかなー、キャラクター設定はかなり面白いですね。たくさんキャラが出るわりに、みんな個性があって。特にアニメの場合は声優さんの力もあいまって、ザラキとかいいかんじ。ただ、その反面、世界観が安定してない・・・というかストーリーを展開しながら作っていってる、週刊連載のつらさがはっきりわかるのがつらい。細かいところはさておき、大きなところでずれてくるのは、つらい。それでもキャラの魅力で十分面白い。ていうか、世界観にはいくつか新しいアイデアはあるけど、それもどうでもいいかもしれない。というのも、今のところそれがストーリーに絡んでこないんだもん。この世で生を受けた者が死後にたどり付く先は、ほとんど現実世界とおなじような(なぜか日本の江戸時代のような風俗^^;)世界。そこは死神によって支配されている。死神の上位となるような神はたぶん存在しない。輪廻はなく、一方通行の世界。死神だけが現世と行き来できる。また、その世界と現世の間に怨霊のようなものが住んでいる世界がある。死神はその世界に住む怨霊が現世で悪さしないように、現世で怨霊大事もしている。というんだそうだ。また、それとは別に、地獄が存在している。この設定だと、死神と人間にどんな関係性が発生するのかとか。それ以前に、では魂はいかにして発生するのか、また死神はいかにして発生するのか、またなぜ人の魂のみとそのような関係にあるのかとか、とっても興味深~~~~~~~い、おいし~~~~設定があるのに。そして一番気になるのが、地獄の存在。地獄を稼動させている力とはいったいなんなんだろう?また、地獄の価値判断基準とはいったい?そんなことはさておいて、主人公たちは「友達」をまもるために命をかけて闘うのだった。うん。もう設定はそれを浮きだ足させるための部品にすぎない。また主人公の友達たちは、あるいは血筋のために、あるいは任務のために命をかけるのだ。また、それかよ。そればっかりだよ。少年ジャンプ。子供はそれを求めているのか?本当に求めているのか??解決方法はひたすら「パワー」。敵対者もひたすら「パワー」。最後の最後は「パワー」VS「パワー」。思いが強ければパワーアップするって、そんな世の中ちゃいますよ。でも、キャラがええ味でてるので、おもしろい。たぶん、ぜんぜん違うストーリーでも、このキャラだと面白い。あ、そっか、ドラゴンボールもキン肉マンも、キャラか・・・。
July 18, 2007
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いつ出来るかわかんなくなってきた(明日にでもできそうだけど、ずっと出来そうにもない)ので、途中をアップ。銀魂の沖田君。銀さんとかヅラとか高杉よりも鬱屈している分、なんかすきなんだよねぇ。高杉よりも!高杉といえば、ほんものの高杉晋作のほうは、竜馬がゆくのイメージがええな。そして顔はというと、小山ゆうのお~い竜馬の高杉が出てくる。それはそうと、今日はちゃんと日記を書くぞ。日記というのは、その日にあったことを書くものなのだ!夏休みの日記を一度もまともに書いたことがないけど、大人になったらかけるもん。えっと、今日は朝から小雨で、会社にいった。今日はかなり涼しいですね。まだ会社にいます。蝉がフェイントくらって自暴自棄になってないか心配です。冷蔵庫にお客さん用のウーロン茶が入ってなくてショックでした。ドキンちゃんについてかかれたブログが面白かった。あと、抹茶の賞味期限が切れていて、おなかすいた。さ、日記も書いたし、何か書こうかな。ていうか、まじで腹減った。よし、紛らわすために、まじめに書こう。というわけで、銀魂についてはまたゆっくり書くとして、銀魂とナルト、ワンピースに共通するキーワードについて書こっかな。少年ジャンプの人気漫画、銀魂の主人公、銀さんは、オレの武士道を守るといいます。ナルトの主人公、ナルトも、オレの忍道を貫くといいます。ワンピースの主人公、ルフィも、何があろうとオレの仲間を守るといいます。これらのセリフは主人公が社会のルールでは対処できない問題に直面する時に、そのルールを破る根拠として示されます。この三つに共通するのは、何が正しいかは自分で決める、という強烈な意志です。法律やルールを犯してでも、本来その根拠となるような何かに忠実であろうとする強い意志です。同じ少年ジャンプのマンガでも、10~20年前ではこのようなメッセージは強くなかったと思います。たとえばドラゴンボールや北斗の拳、キン肉マン、男塾、ジョジョなどでは、主人公はもっと自由に理由をつけずに闘っていた。理由など考えなくても敵はあからさまに「悪」だったり、もしくは「運命」としてただ乗り越えるべき試練として受け入れられていた。ジャンプのマンガを全部読んでいるわけじゃないので正確じゃないかもしれないけど、それが変わったなと思ったのは封神演義とるろうに剣心だったとおもう。敵対者が単純に悪とは言えないばかりじゃなく、人公側の正義にも疑わしい点がでてきたりしたんですね。後で振り返れば、ウルトラマンのメフィラス星人なんかもそうだったらしいけど、ヒーローもの、少年漫画にはつきものの、絶対的な正義はあるのかという矛盾が、ここにきてサブテーマからメインテーマになってきているようなんですね。それをはじめて感じたのがワンピースでした。ワンピースは主人公は「海賊」です。略奪行為はしないけど、仲間を守るためならかなりの破壊活動を行うため、犯罪者として指名手配されています。彼らはいったい正しいのだろうか?それでもまだ主人公は自分に疑いを持たない点、ヒーローの資格があるとは思うのですが、ナルトではもっときわどいことになってて驚いた。ナルトの主人公は、自分の中に、かつて里を襲ったという妖狐(善悪を判断しない破壊)が封印されている。自分自身の存在理由さえ信じられないところから、何とか正義を見出そうとしていく。しかもナルトの職業である忍者は、物語の世界では各国の軍事的均衡保つ武力としてかかれており、ナルトの出生には見つけることが出来ない。銀魂はギャグマンガなのでその分割り引いて考えないといけないですが、主人公、銀さんにいたっては、だらだらと自堕落な日常で、もう積極的な正義を見出すことは出来ない。いつも受動的に事件に巻き込まれていく。だけど、いざとなると、自分尺度の決定を下す。これらのマンガでは以前からあったありきたりなキーワードが、かつてなかったほどに強く明確に打ち出されています。「仲間」と「約束」です。単純な正義が見出せない時に、仲間と約束を大切にしろというわけです。でも、ここまで鮮明なメッセージを出すなら、なぜ「話し合い」が入ってこないのか、実は危惧しています。これらのマイルール的なものが社会的に許されるためには、たとえ事後的になっても話し合いが必要なはずなんです。それぞれの物語の背景となっている世界では、そのための条件すら整わないわけです。現実では、法そのものが矛盾をしていたり、モラルハザードがおきていたりと、制度上の問題から「仲間」や「約束」を守らない決断をすることもしばしば。また高度成長からバブルのときに信じられてたような、科学技術が解決してくれるドラえもん的未来を夢見ることも、もう難しいです。冷戦のような二極化した世界ではなく、いきなり国家じゃない敵対者によって平和な都市が破壊されるという状況も、単純なヒーロー像から力を奪ったと思います。かつて僕らが見たヒーローたちの正義のように、あいまいなままでは信じることが出来なくなったってきた。だから「仲間」や「約束」を守ることに力点が置かれるのかもしれないけど、ただただ主人公たちがわが意志を貫くことを強調することが目立っていて、その背景となる、道徳とか自然権とかについての描写がまだまだ薄いように思う。なぜ、仲間を守るべきなのか。なぜ、約束を守るべきなのか。そのマイルールの根拠となるものについても描いて欲しいもんです。で、オレがたびたび今後の展開に期待とか言っているのは、コーユーことなんです。こういう個人的なルールがいかに社会に適応していくのか、そのあたりをどう描いてくれるか・・・、楽しみにしてるんです。きっと彼らならそれを無視できないと期待してるんです。
July 10, 2007
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久々に美術館に行って来た。いつも思うんやけど、大きい美術展て作品多すぎ。疲れるっちゅうねん。時間も限りあるから急ぎ気味になってしまうし、ていうか今回も2時間ほど立って見てると、それだけで疲れてくる。おなかいっぱいになっちゃうし、半分くらいでちょうどいい。絵を見る時は何歳くらいに描いたかチェックするんです。というのも、最晩年の作品を見るのがすきなんですよ。長く活躍された方の最晩年、7~80歳、90歳の作品に、つぼにはまる作品が多いんですよ。なんていうですかね、技術もさることながら、深くてピュアで、かえって若々しい作品が多いんですよね。それでまーこの美術展はなんとその最晩年作品特集ということで、絶対行きたいと思ってたんやけど、あしたで終わりというぎりぎりになって、ギリギリギリギリになってギリギリギリギリジンジン、ギリギリジンジンジンになって、竹馬でやっといってきた。まー、おなかいっぱい。あたまいっぱい。昭和初期の人は、若くして病気で、または自殺していっちゃった人が多かったので、それはお目当てじゃなかったんですが、ジジィどもの作品は、期待通り、すごかった。ほんまに、芸術家は長生きしなあかんよ。あの境地に達さんと、なんのこっちゃわからん、ていうくらい、深くて、まっすぐで、そして新しいんですよね。ほんと、人間てたぶん、最晩年が一番新しいんじゃないかと思うくらい。いろんなジャンルの作品があったんやけど、ひときわ目立つ抽象画の大作があった。瑛九という人の作品なんですが、筆をぺたっとつけたくらいの大きさの点描でぼんやりと何かが描かれている。大きいですし、色がきれいですが、何が具体的に描かれているかはわからないやつです。で、となりでみてたおばさんグループの一人が、作品の解説プレートを見て「ツバキ」やてこれ、と言った。ちょっと離れて見て、画面中央上くらいのぼんやりとなんとなく丸くまとまって見えるところをさして、あれがツバキやわ、とか何とかみんなで言っている。オレはその前にタイトルを見ていた。そして多分、周りのほかの人も思っていただろう。タイトル、「つばさ」ですから。そして最後に大おまけとして、神戸の国際何とかかんとかのあの、なんていうんです、あれ、あの、舞台のカーテン、わかります? 舞台の始まる時にあがるカーテンありますやん、あれの、下絵を東山魁夷描いてて、完成を待たずに魁夷は他界したらしいんですが、その下絵となった作品が展示されてた。ちょっとその前、ほとんど終わりのところでエロチックな大作があって、ヌード写真をコラージュしているんですけどかなりの人数分あるんですね。印刷か堂かも気になったんですが、あれが新たに写真を撮ったのか、誰かが協力して提供したのか、それが気になって仕方なくって。あんなポーズやこんなポーズをさせたんですかー?あなたがさせたんですかー?このエロジジィめ!と、一気に脳みそがエロスモードになってしまった。が、最後の最後で魁夷で一気に静寂と精霊の風景にもどしてくれた。おかげでいい気分で帰れました。ありがとう魁夷。
July 7, 2007
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地元でショッピングしとると、ある店先で、きになる服がある。あのー、昔は煉瓦でいいかんじの倉庫だったのに、環境破壊的なデザインの、とオレがいつも言っている、あそこです。その南側のマンションが自転車置き場を酒蔵風デザインにしているのを全く無視する精神にはびっくりする。ま、それはええねんけど、オレはそんなわけで極力行きたいくないんやけど、あんまりぐちゃぐちゃいうとると怒られるので・・・、ん?だれにって?うん。まー、その、あれだ、誰かにだよ。そゆことを言うと「はいはい」って右から左へ受け流す、あのひとだよ。で、そこにはいっとる服やさんでね、写真のようなもんがあった。なんじゃろ。デザインにしては変やな。あぁ、ブランドのロゴとかサイズのシールがずれて変な位置にきとるんかな?なんやろなー、おもて近づいてみると・・・まー、それだけなんですけどね。うん。それだけ。
July 2, 2007
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いやー、おもしろかった。おもしろかったなー。やっぱりキラ様の声の、あのキラ様の時(目が赤く光る時)の声、ええなー。
June 27, 2007
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もう帰りたくないと思う世界に出会っていつも困惑するがうれしい。Bjork "Homogenic" をitunesに入れてみた。
June 23, 2007
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「黄金のラフ~草太のスタンス~」はビッグコミック連載中のゴルフマンガ。作者はなかいま強。ストーリーは、プロだけどぜんぜんゴルフだけじゃ食えない3人がそれぞれの個性を活かすために集まってチームを結成。一人は主人公の藤本草太。集中力とパワーと強心臓はトップレベルだけど、バカ。実際にプレーする人。モンキーローンという街の金貸しの従業員。そこの社長がチームスポンサーになって資金を融資してくれてる。もう一人は太子治。芝目や風を読んだりするの抜群だけど、めっちゃ弱気。プロを辞めてキャディーとして草太に、どこの方向にどれくらいの力でうてばいいかを指示する役割。将来海外ツアーをまわるときのために勉強したという英語は英検準一級という実力。もう一人は谷田部光一。お医者さん一家で知能は抜群。ゴルフの理論も抜群だけどいかんせん体力がなくぜんぜん飛距離が出ない。チームの参謀で、技術指導を担当。自称リーダー。一人一人ではうまくいかないんだけど、それぞれの特徴を活かして三人でやれば何とかなるだろうという発想からチームを結成。谷田部のスイング理論でさらに飛距離を伸ばし、安定性もまして、太子のキャディでコース上でもばっちりなはずなんだけど、いかせん草太がバカだったり太子が弱気だったりで、うまく言ったときはものすごくうまくいくんだけど、歯車が狂うとぜんぜんうまくいかなくなる、そう簡単にことはすすまない、というお話です。ちなみに連載中の現在は、いろいろあってアメリカで武者修行状態。で、まー、オレはゴフルなんて、みんなのゴルフもやったことないくらいしないんだけど、ゴルフマンガは嫌いじゃない。草太はとにかくスイングが気持ちいい。なんやろね、ああいうのって、マンガであっても読んでて爽快やよね。で、それを再発見したんやけど、話の中で「昨日」は、草太はスイングを崩してて、なかなかフルパワーでうてる状態じゃなかった。その日1日四苦八苦して、あの、ギャグマンガですから一応、まーあのー、そのー、男性の、あそこの、アレが、その、まー、ああなったら嫌だなーと、一人の男として、超嫌だなーと、言う感じの一日だった。で、どうなるかはあの、立ち読みでもしてください。ふと気づいたんですけど、でね、やっぱり読んでて、なんかこっちもすこしフラストレーションたまってくるんですよね。なんかね、すっきり直して豪快に打って欲しいと、思っちゃったりするわけですよ。スポーツマンガの醍醐味って、努力で克服するとかというのもあるんかも知れんけど、常人ではできないことを、ばちっと決めてくれるあの緊張感と、勝手に共感した達成感がええんよね。アスリートのサクセスストーリーは読んでても気持ちええよ。ちょっとこっちもプチ興奮するし、後ひかへんし。気分転換にはもってこいや、ということをマンガを読み続けて二十ン年にしてようやく認める気になってきた。そやから、小山ゆうのスプリンターなんて、後味悪いで!(笑いや、アレはアレでめっちゃおもろいねんけどね。
June 23, 2007
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↑ちょっと違うような気もするけど、Webにのってたプラモデルの写真見ながら描いてみた。あの頃は、いっぱいロボット描いたなー。あんまりうまくなかったけど、ようさん描いたと思う。思春期の頃に影響を受けたのは確かたやけど、いまやZガンダムは肯あんまり定できないものになってしもた。結局、ガンダムよりも色濃く「おもちゃや」のことを考えなくっちゃならなくなったZガンダムは、ガンダムのように着地点を見出すこともできなかったんやろうな。Zガンダムはガンダム終了の5年後、85年から1年間で放映されたアニメ。作品の時代設定はガンダムの7年後となっている。当時からけっこうずっと、ガンダムの中で一番すきなのはZガンダムやと思っていたけど、色々考え方がかわってくるとともにZガンダムへの評価は下がっていった。ひとつは、もともと説明不足になりがちなくらい詰め込み感の強い作品だったのではあるが、もうひとつ商業的な理由からだと思うけど、結末がとても散漫な感じになってしもとったっていう、小説やらいろんな物語を読んで目が肥えたというのもある。翌年つづけてZZガンダムというシリーズが放映され、コレにつなげるためにおそらく最初に構想した着地点につけなかったんだろう。ZZガンダムは監督も富野さんじゃなくなって、生命観もクソもない作品で、ストーリーもはちゃめちゃで、ガンダムがヒーローのごとく活躍するという、シュワルツェネッガーの映画のような作品だった。当時はそれもありかな、ていうか楽しんでたんですけど、後から振り返るとZガンダムのラストはありえないと思うようになったんよね。実際、富野さんもどうかとおもっとったんか、今の時代とあわんと思ったんかどうか知らんけど、最近公開されたZガンダムの映画版じゃこのラストが変更されているらしい。それを聞いて、ちょっと映画がみたくなった。ところで、こりゃガンダムにも共通するんですけど、今にして思えば、というのは冷戦後ということですよね、冷戦のまるで永遠に続くようなイデオロギーの対立から何とか脱した後からみれば、戦争で解決しようとする勢力が強すぎる感があるんですよ。今の調子で民主主義がすすんでいくと、問題解決のためにはもっと対話が価値を持つはずなんですよね。ていうか、そんな対話ばっかりのアニメ面白くないやろけど(笑)、戦争になる前段階も後段階もプロセスが宇宙世紀らしくないというか・・・。ガンダムでも戦争と平和に対する倫理観までもが第二次大戦中のような雰囲気があって、新しい人々の登場を待つまでもなく、われわれの社会は対話と受容をもっと高度に育てていっているはずなんですよね。そういうのがあって、生命観とか倫理観とか、人類に対する期待感といっても言いし、社会の可能性の予測でもあるんですけど、オレの中で価値観がかわってきた。そんな今からみればでやけど、Zガンダムはあまりに非民主主義的で、ごくわずかの人たちだけによって実に悲惨なシナリオが遂行されちゃう、それほど人類は無力じゃなかろうというのが、今から見た感想やね。
June 18, 2007
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(時間帯によって寝室やらリビングになるマルチな)リビングでねっころがっていると、頭をぺしぺししながら「ん」「ん」「ん」言うとる子がおる。なんかな、と起きてみると、玄関のほうへつれてった。靴を持って、脚にくっつけて、「ん」「ん」「ん」・・・どうやら外に行きたいらいしい。そっか、お父さんを引っ張っていく知恵がついてきたか。よしよし。
June 16, 2007
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ガンダムを知らない方のために。「機動戦士ガンダム」は79年4月から80年1月までに放映されたアニメです。普通なら3月までするのですが、最初は人気がなく、短縮されたんです。ガンダムブームでプラモデルやさんに列ができた頃っていうのは初回の終了後で、80年~82年に総集編みたいな感じで映画が三部作で上映される頃なんですね。ストーリーは時代設定は近未来。世界は統一されていて、地球連邦政府というのができている。地球の環境問題やら人口増加を解消するために、地球の周りにコロニーと呼ばれる巨大な人工衛星をつくって、多くの人々がそこに移民している。ですが連邦制の中でも特殊なポジションになってしまってるんでしょうね。その辺はストーリーでは書かれていませんが、とにかく連邦政府と宇宙移民の間で軋轢がうまれていた。コロニーはたくさんあるのですが、重力の関係だと思うけど、いくつかずつがまとまってあるんですね。それぞれをサイド1~7というふうに呼んでいて、それぞれのサイドにたくさんのコロニーが属している感じです。詳しくは書かれていないのですが、たぶんサイド単位で自治権があるようです。その移民の過程で、かなり強制的なこともあったようです。強制じゃないにしても、大量移民をするわけですから、色々あったんでしょう。そのサイドのひとつ、サイド3でジオン・ダイクンという政治家が「ニュータイプは人の革新」というのを提唱するんです。宇宙環境で生活するようになって世代を重ねていくことで、新しい環境に適応した人々、ニュータイプが誕生し始めている、というんです。平たく言えばスペースノイド(コロニー移民者たちのこと)の自治権の拡大(その辺もストーリーには詳しく出てこないので、たぶんそうだと思います)をめざすのですが、道半ばで謎の死を遂げます。その後、サイド3で彼とともに活動をしてきた人々のうち、有力な政治家一家、ザビ家が実権を握り、英雄的になったジオンの名をとってジオン公国を名乗り、全体主義的な国家体制を作っていって、地球連邦政府に独立戦争を仕掛けます。地球全体体ひとつのサイド、という非常に不利な状況ですが、兵器の優位性と、そして非常に非人道的なコロニー落とし(ひとつが10kmほどもある巨大なコロニーを地球に落とす攻撃)を仕掛けて、地球連邦政府に大打撃を与え、優位に和平へもって行こうとします。しかし、ザビ家の中でも強硬派が徹底攻撃を訴え、また地球連邦政府との交渉もうまくいかず、戦争はこう着状態に入っていきます。ザビ家は軍事開発には熱心で、人型の巨大兵器モビルスーツを最初に開発するのもジオンのほうなんです。地球連邦政府軍も、宇宙の治安維持のためにいくらかの兵力を持っていましたが、モビルスーツに対抗できるものは持っていなかった。そこで連邦軍もようやくモビルスーツ開発に力を入れるんですが、その責任者となるのが主人公アムロの父親なんですね。アムロは父親と2人で、モビルスーツを極秘開発しているサイド7のコロニーにふつうの高校生?だよね? として住んでいた。母親は宇宙を嫌って地球に残っている。後に地球で再開するんですが、その母親の劇場版の声はなんと倍賞千恵子なんですよ。ま、どうでもいいですけど。さて、ここまでがストーリーの背景で、第一話はそこから始まります。(笑そんなある日、ジオン軍がこの極秘開発をかぎつけて、偵察に来るんですが、ついでに破壊しようとします。極秘開発というわりには警備が手薄で、このあたり連邦政府がまだもビルスーツ開発に本腰を入れていないという、官僚社会のとっても微妙な描写があるわけですが、それはともかく、ごっちゃらごっちゃらしているうちに、アムロ君が開発中のモビルスーツ「ガンダム」に乗り込んで操縦する。操縦はでたらめなんですけど、マシンが高性能なので敵をやっつけちゃうわけなんですね。そのドサクサで父親は行方不明になり、とりあえず戦闘で壊れて空気が漏れ出したコロニーから避難する必要もあって、なりゆきで連邦軍と行動を共にすることになってしまう。で、まー、いろいろあって、正式に入隊して、やがて「ニュータイプ」に目覚めていって、結局終戦までガンダムのパイロットを務めるというお話です。ガンダムでは「ニュータイプ」っていうのがとっても重要なキーワードなんです。ガンダムはなにもアムロ君が超人的な活躍をして一人でジオン軍をやっつけるという話じゃありません。大活躍はしますけど、戦争全体でのアムロ君のポジションはあくまでサブです。この「ニュータイプ」というのは、簡単に言うと、宇宙で生活するという環境の変化によって、人が今まで使っていなかった能力を目覚めさせ始めた人々、なんだとおもいます。遺伝的進化なのかどうかは不明ですけど、多分そうじゃないと思います。あの、公式ガイドブックみたいなのも色々あるんだと思いますけど、もしかすると違うことが書いてるかもしれません。それは作品中では「人より感がいい」とか「テレパシーにちかいもの」といった感じで表現されます。また、軍事面では、その能力を電気的に増幅して兵器の遠隔操作につかったり、センサーなしで敵を察知したりとかといった感じで表現されます。アムロ君はこの能力で、超人的な活躍をするわけです。ですが、ニュータイプの最大の能力は、理解力が広がるということです。直感的に、相手の考えを理解する力。作品の最後のほうでアムロがいう「人は分かり合えるんだ」というメッセージこそ、ガンダム最大のメッセージです。当時は冷戦真っ只中。イデオロギーの対立がはっきりと核戦争という悲惨なシナリオを思い起こさせてた時代です。そして今でも、原理主義的な社会勢力の愚かしい対立や、民主主義を否定する政治指導者による弾圧など、分かり合えるかどうかはリアルな問題です。ガンダムの中でも、ジオン公国の描写はかなりファシズム的で、旧大日本帝国やナチスドイツがイメージされています。それに対して連邦政府はいちおう民主主義なんだけど、官僚的なんですよね。ですからどこか緊張感がなかったり、自分たちだけは大丈夫って楽観してたりするんですよね。なんか、旧日本と現日本の戦いのようにも見えますね。最終的にはジオン公国が和平交渉するタイミングをのがし、なにせ世界全体と闘うようなもので、他のコロニーの賛同も得られず、ジリ貧になっていきます。それでも壮絶な総力戦になるわけですが、最後のシーンがいかにも象徴的なんです。人はみなニュータイプになれる可能性がある、と、この作品では、言いたかったんだと思うんです。それがラストのエピソードにもこめられているのだと思います。オレはあのラストのエピソードが大好きで、何度みても泣けちゃいますよ。で、今、当時キャラクターデザインをした安彦良和さんが、ガンダムエースとかいう雑誌に「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」ていうタイトルで連載中で、コミックも15巻まで出とります。アニメよりも背景について書かれていたりしますし、人の絵もアニメのガンダムそのものだし、メカがちょっとリアルになってデザインされ直されてたりするのがオレ的には残念なんだけど、安彦氏の独自解釈が随所にあって、面白いです。ニュータイプについてどういう解釈が付け加えられるか、られないか、そして、どんな風にラストシーンを書いてくれるか、めっちゃたのしみですねーっ!
June 15, 2007
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PLUTO(プルートウ)は、手塚治虫の鉄腕アトムのエピソードの一つを原作に、浦沢直樹がビッグコミックオリジナルかいてる。手塚治虫は、自分が鉄腕アトムで描きたいことと、ファンが要求することのギャップにいくらか悩んでいたらしい。プルートウは話は多分、描きたかった方の作品の一つだと思う。まー、毎回楽しみにしているんだけど、それにしても・・・おぼえられん。まったくもって、おぼえられん。アブラーってだれだっけ?ていうか、あんたはだれよ?あれ、あのロボット死んだの?間違えて一回飛ばすと、さらにぜんぜんわからんくなる。もうかなりあやふや。ボン・クレーよりもあやふや。というわけで、プルートウは連載完了後、まとめ読みだな。※プルートウのなかで人工知能についてかかれとるが、プログラムで自我を作ることは可能なんだろうか?自発的な発想じゃなくって、また個別認識でもなくって、自我。聖書の神はまるで無慈悲なんだけど、完璧って言うのはああいう自我のない方なんだろうと思う。プログラムが作った仮想の無意識から、自我が生まれるのかな?ゲジヒトは夢を見るけど。
June 5, 2007
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最初に買ったマンガ雑誌は多分、ボンボンだったと思う。コロコロみたいな大きさの。なぜかコロコロはほとんど読んだことがなかったな。いつまで、どれくらい買っていたのか覚えていないけど、続けて買ってたと思う。たしか、ガンダムのプラモデルで戦うマンガがあったような、なかったような。つぎにマンガ雑誌を買ったのは・・・小学6年生のとき、毎週アレルギー性の気管支炎の検査のために通院していた。月曜日だったとおもう。どういう経緯か忘れたけど、電車に乗って大きな病院まで行くんだけど、そのときジャンプを買っていた。たぶん、キン肉マンや北斗の拳が連載されていた頃。それからしばらく飛んで、高校になって、またジャンプを買い出した。ぺたんこの鞄にマンガだけ入れて、教科書は全部学校においている子でしたから。今思えば、もっと勉強しとけ、バカーっ!!大学時代にはスピリッツを買っていたと思う。吉田戦車や松本大洋が人気で出した頃だと思う。それから社会人になって、次の年に配属された職場は休憩室に漫画雑誌がいっぱい転がってる事務所だったので、ヤンマガやらスピリッツやら読んだ。会社を辞めてぷらぷらしてるとき、ヤンマガを買っていたような気がする。なんでヤンマガだったんだろう?たぶん、その職場で読んでいた流れだと思う・・・でもってしばらく買ってなかったんだけど、今の職場になってからしばらくして、マガジンとモーニングを買い出した。マガジンは「はじめの一歩」が面白くて買い出したので、一歩があるときから劇的に面白くなくなってきて、買うのをやめた。いまはモーニングだけ買っている。だから、他のは全部立ち読みっ!!普段、「コンビニって多すぎだよねー」とか言ってますが、月、水、木、金、必ず行ってますっ!ま、火曜も土曜も行くんだけどね。コンビニって多すぎだよねー。いやね、うる星やつらとか究極超人あ~るとか、いっときすごくサンデーのマンガが好きだったんだけど、週刊少年サンデーってほとんど読んだことないよなーって思って、ま、それだけなんだけど。
May 23, 2007
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宇宙人だからですか?ハイッ! そーですっ!!でかい犬とでかい猫っ!立て札でしゃべるペンギンみたいなのと、パンダみたいなの(それはらんまだよ。)ほらね。ほらほら、また読んでる人にしかわかんないじゃん。そのまえに、おれは、銀魂はアニメの方しか見てないから。実は比較のしようがない。えーっと、『銀魂』(ぎんたま)は空知英秋のマンガ。週刊ジャンプに連載中。アニメもやってる。江戸時代にいろんな宇宙人がきちゃって、いきなり宇宙に開国しちゃったよ、っていうかんじのギャグ漫画。『うる星やつら』はいわずとしれた、高橋留美子のマンガで、漫画史に残る最高傑作の一つ。麻生大臣、そのマンガのノーベル賞はうる星やつらにあげてください。まーなんだ、エリザベスちゃんとか神楽ちゃんとか、うる星っぽいなーっておもっただけだよ。それだけなんだ。すとーりーとか、たぶん違うよね。アニメちょっと見ただけだから、よくわかんないし。アニメでは、かなり気になることが・・・ひとつは政治が頽廃しているのに経済が繁栄していること。もうひとつは、政治と市民の距離がとても離れていること。ま、ギャグ漫画だから、別にいいんだけど、すくなくともうる星では政治はほとんど出てこなかったからね。出てくる以上はギャグにしたって、その距離感は、現実の何かを繁栄しているのかな。明治時代の政府のイメージだろうか?それもちがうとおもう。とはいえ、日本の議会制民主主義のイメージとは違うから、その辺がちょっぴり気になりますなー。そのギャップは何を意味するんだろうなー。ちょっくら考えてみっか。あー、なんかうる星おもいだしちゃったなー。レベッカと同じ時代だねー。あー、あー、なんか、やる気がなくなってきたぞー。思えばあの頃はさ、何も考えなくてもなんとなく明日を信じられたもんだよねー。自分に自身が無くても、未来の夢が無くても、ただなんとなく、将来の夢はサラリーマンって書いちゃうような子だったオレでも、なんとなく明るい未来を信じていた。
May 22, 2007
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面白い記事を見つけたので、どぅえりゃぁ。悪魔霊術、蝉蚊淫妖!!!よいしょっと、> ハエに「自発的意志」 米独研究チームが計測実験>> 昆虫の行動は外部からの刺激だけによって決定されているわけ> ではなく、例えばハエには特殊な「自発的で自由な意志」があ> ると推論されるとの実験結果を米独の研究チームが16日、発> 表した。>> 実験は、ベルリン自由大学のビヨルン・ブレムプス氏らが> ショウジョウバエを使って行ったもので、ハエが外部の刺激に> 反応して行動するだけの「入力・出力装置」とみなす仮説が妥> 当かどうかを検証した。>> オンライン科学・医学誌プロス・ワンに掲載された論文によ> れば、実験では、体の動きをコンピューターでデータ化する装> 置にショウジョウバエを入れて頭を固定。装置の内部はむらの> ない白色にし、ハエが視覚刺激を受けない環境をつくった。そ> の結果、ハエは視覚刺激を受けていないにもかかわらず、羽や> 脚を激しく動かした。>> その運動をコンピューターで解析したところ、極めて複雑な> がら一定のパターンを持っており、研究チームは「ハエも自発> 的意志のための脳内メカニズムを持っていると考えられる」と> した。(時事) 引用元http://www.asahi.com/science/update/0517/JJT200705170008.html?ref=rss自発的意思ってなーに?うーん・・・。ちょっと、虫を見る目が変わってしまうな・・・
May 18, 2007
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MEGADETHの新譜 "United Abominations" かっちょええ。かっちょよすぎる。実は、METALLICA、MEGADETH、OVERKILL、SLAYER、ANTHRAX、TESTAMENT・・・大好きなんよね。スラッシュメタルとかブラックメタルとか。そのなかでもMETALLICAとMEGADETHは特別。オレは "YOUTHANASIA" がベストだと思っている変な人なんやけど、もしかするとその思いを塗り替えるかもしんないくらいに、最高のできじゃないっすか、というと "RUST IN PEACE" をベストだとする人たちはがっくりするかもしんないが、大丈夫、amazonの解説によると、{デイヴ曰く、「評論家に言わせれば前作が"原点回帰"の作品だと言う事らしいが、それを言うなら今作のほうがより意味合いが強い。『RUST IN PEACE』や『COUNTDOWN TO EXTINCTION』の時代に出てたとしても、なんら違和感がない作品だ」との事。}ていうか、あのころのデイヴがこれを作れただろうか?音楽のことはよくわかんないけど、表現の深み(いつも独自尺度で計るのでなかなか共感されないんやけど、シンプルでも深みを感じたりする。経験であったり、ひらめきであったり、もしかしたらプロデューサーやエンジニアの感性とかも重要かもしんない、なんつかー、そんなんがあるねん。)がやっぱり断然アップしていると感じる。"A Tout Le Monde" のセルフカバーがはいってんねんけど、これがまたかっちょええ。なみだちょちょぎれもんでっせ。ギターのテクニックとかさっぱりわかんないけど、メタルっぽいリフが随所にちりばめられとったり、メタルっぽいコーラスがあったり、ほんま、かっちょよろしおまっせ。ぜひ,家庭に一枚。
May 18, 2007
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これからはこの漫画のこの話のここはおもろい!という感じのを中心に行こうと、さっき決めた。しかも、その漫画を読んだことない人が読んでもわかるように書くことにした。今決めた。つーわけで、ピューと吹く!ジャガーの2巻第33笛、34笛について。ピュー(この言い方ええですね)で一番落ちた人、ポギーが壊れる話。この壊れる瞬間、越えたらあかん一線を越えちゃう瞬間がたまらん。上の写真はポギーじゃないよ。念のため。ポギーは人気ロックバンド、ジュライのベーシストで作詞を担当している。1巻でのりのりのスターな態度で主人公のジャガーさんに絡んで返り討ちにあってしまい、ジャガーさんに仕返しするために再登場するのがこの話。あの、これはオレだけだと思うンやけど、「武士沢レシーブ」(ピューのまえの作品)にもビジュアル系のキャラが出てきたんだけど、なんかどっちもGLAYのがTAKUROモデルのような気がすんのよね。いや、似てるとかじゃないねんけど・・・。ジャガーさんは一応、ミュージシャン養成学校ガリプロで笛科の講師をしている。進めパイレーツがほとんど試合をちゃんとしないのと同じくらいまともに授業してないんやけど、ポギーはジャガーさんをぎゃふんと言わせたくて、金にものを言わせてセガールに化けて授業に潜り込んできたってわけさ。ま、いつものようにジャガーさんがボケまくる展開。ただただおちょくられるポギー。ま、それだけでおもろいねんけど、この話、それだけやないねん。さすがはうすた京介というか、ここで、一人だけ真剣なポギーは、人生の歯車が大きく狂いだしちゃうんですよ。いや、狂いだすというか、はまり出すと言った方がいいのかもしれない。新しい自分、多分オレはあれはポギーの真の自分なんやと思うンやけど、を発見してしまうんですよ。そうです。変態に目覚めるのです。なんか、XjapanのTOSHIを思い出しちゃった。いや、変態ちゃうけど。それからのポギーは、今までの虚像の自分をだんだんと演じられなくなって、あるがままの変態になっていって、もう最近じゃジャガーさん並のボケを素でできるように成長しています。オレは、コレはいい話だと思うんだよ。真の自分に素直にね。そうするとなぜか、別な孤独がやってくるかもしんないけど。
May 11, 2007
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実家から1~10巻を発掘して読んだ。実はまだ18巻までしか持ってない。なんでかというと、モーニングで読んでるから。ビンボーの関係で、あまり好きじゃなかった小次郎の関ヶ原エピソードのとこで止まったわけや。↑これは画集「Water」じつは、連載当初の方が描き込みがこまかかったんちゃうか、と思い込んでいた。比して現在は情動的になっとると。初めてこの絵を見たとき、ずいぶんきれいやと思ったもんだ。久々に1巻を読んでみた。単に慣れてしまったみたい。そんなことは無かった。今の方が背景も登場人物の表情の表現も、どちらも豊かになっている。一応、知らない人は少ないとおもうけど、概略。週刊モーニングに中断しながら連載中。バスケの漫画「スラムダンク」で有名になった井上雄彦の超人気まんが。吉川英治の「宮本武蔵」をベースにしているが、いろいろ独自の変更が加えられとる。98年連載開始。現在25巻まででてる。ふと、疑問に思った。胤舜とのエピソードでの武蔵の成長。部分にとらわれると全体が見えなくなる。見るとなく見る。なるへそなるへそ、そーゆーもんか。と、思いつつも・・・井上雄彦は、それを理解して、表現しているかな?何言ってんだ、あたりめーだろうが、と思うかも知んないけど、言葉では理解できても、体で理解しなきゃいけない、みたいなのって、その類似体験なしに、表現するほどの理解に至るんだろうか?つーことは、井上せんせーの人生で、たとえば漫画の表現において、個を見て全体みず、といったとらわれの体験をして、かつ、全体を見ることによって個の表現ができる、という体験もなさってる。でなきゃ、それを表現して伝えることは不可能だろう。そういう心持ちで仕事をしたこともない。が、それが自分にも、もしかすると応用可能だとは、ちょっとわくわくするような想像だ。どーしても元になっている、吉川英治の宮本武蔵を読みたくなってきた。戦前の作品ということもまた、興味を引く。
May 7, 2007
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NARUTO HAKUどこが?って言わんでね。ナルトのハク、の死です。言われればハクっぽいでしょ?うん。ハクだ。もっと凍っている感を出したかったんだけど・・・ハクとザブザの話はナルトで特に好きなエピソード。
May 2, 2007
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「おおきく振りかぶって」はアフタヌーン連載の野球マンガ。作者はひぐちアサ。ウィキペディアによると、1970年生まれ。女性。大学在学中はスポーツ心理学を専攻だそうだ。ひさびさ、中をまったくみず、予備知識もなく、本屋ではじめてみて、POPと帯と表紙だけで、面白そうな予感がした。なんやろね。以前・・・、今よりもっとたくさんマンガを読んでいたころは、そういうのんがよくあったんやけど、何年ぶり・・・10年ぶりくらい?、に、直感的に、コレおもろいんちゃうかいなと、きたわけや。さっき気づいたんだけど、くろぬこさんとこの日記にあったので、それも記憶に残っていたんだろう。とにかく、久々の当たりくじをひいた。期待以上におもろい。主人公の三橋君がいくことになった高校は野球部が新設で、オール1年生というところから始まる。まず、主人公のキャラクタがおもしろい。三橋君は中学でもぱっとしないどころか、めっちゃ弱気で、めっちゃいじいじしとる。人と目をあわしてものも言えないくらいのへなちょこっぷり。球速もないし、身体能力も特別じゃない。ただし、数種類の変化球と、抜群のコントロールがある。それを巧みなリードで引っ張っていくキャッチャーがいて・・・なにやら優秀そうな監督がいて・・・という感じ。小さな巨人里中くんと山田くんみたいかっていうと、里中くんはやたら強気だし、山田君は最初からスーパースラッガーだし、ちょっとちがう。並の選手っていうか、最初弱気って言うところではキャプテンの谷口君とも似ているけど、結局谷口君の努力とリーダーシップでチームを引っ張っていくっていうお話だし、それもちょとちがうみたい。みんなが個性を出し合ってといところではルーキーズなんか似てるんかも知れんけど、試合運びのスポーツとしての心理描写とかは、まだドカベンのほうが豊かやし、それもちょとちがう。一巻を読んだ限りじゃ、わりと登場人物一人一人の心理がよく考えられているのがわかる。ちょっとした会話でもリアリティがあって面白い。大御所野球マンガでは特に主人公や、個性際立つスーパーキャラの活躍が中心になっちゃう。その点多分、このマンガではもっとチームワークというか、適材適所というか、色々なシチュエーションでの心理的描写に期待できそうや。あのー、いまふと思い出した漫画・・・タイトル出てこうへん・・・きもちわるい。すごいすきやってんけどなぁ。
May 2, 2007
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ヒャッホーッ!!遥さんの助言どおり、てか、単に夜中にマンガ読んだだけやけど、NARUTOを読んで寝たら、NARUTOのカブト君がオレの夢にご出演くださいましたー!!いやー、出たねー。オレも案外単純やねぇ。ただ、一点だけ、うん、少し、少しなんやけど、気になるって言うか、気に入らんって言うか、ま、なんでかなー?っていう気がする事が、ひとつだけあるんやけど、あのー、その夢で、オレはカブト君にですねクナイでめった刺しに殺されました。なんで?
May 2, 2007
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ママーッ!!くっそうるさいうちのガキが叫んでるので目が覚める。オレの寝起きはかなり悪い。やかましいわくそがきがぁ、何を泣いとんねん、おねしょでもしたんか?でもズボンは濡れてない見たいやし、「なんやっ?」ってきいてもいわないで、ママママとやかましい。洗濯機の部屋にいるとここからの声は聞こえない。とにかくうるさいから、「聞こえへんから、ママんとこに行って言え!」と寝起きの機嫌の悪さで言ったらなんか知らんけど泣きながら行きよった。それでママが一緒に戻ってくるなり、何コレ? はいたん?ん?何?もしかして、ほんとうに泣くようなことがおきてたのか??悪いことしたなと思いつつも、布団の中で聞いていると意外な展開を見せる。あれ?これ?ウンチ?なにゅ?ウンチですと?もしかして、やばいかな?とおもいつつ、とりあえず言い訳を考えつつ、息を潜めていると、案の定・・・何コレー?カーペットにもついてるやん?そらそやな、うんちたれぞうにもかかわらず、ママのとこまで行かせてしまった。風邪薬のせいでおなかがゆるくなっていて、起きたところで、ゆるゆるうんちをぶりぶりっとやっちまったらしい。そら泣くわな。とりあえず、だって、ちゃんといわへんからやと言い訳しながら、朝からうんちを拭かせていただきました。ゴールデンウィーク初日。
May 1, 2007
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ついに日記記入率が80%をきってしもた。100%めざしてたのに。。。それもこれも、NARUTOの毒のせいや。NARUTOでちょっぴりヘビーな書き方をしてしもたがために、軽い視点で書く事になんや欲求不満を覚えてしまう…。ちばてつやや白土三平とか鴨川ツバメとか江口寿で書きたいネタはいっぱいあるんだが、実家にしまいこんどって手元になくてかけへん。ちゃんと覚えてないし。というフラストレーションもあいまって、またNARUTOかこっかな。また古本屋で1~10巻を買って、6巻の途中まで読んだ。また夜中に読んでたんだけど、若かりし頃は全部読んだんやろなと思いつつ、眠くてギブアップしてもた。特に最初のほう、アニメって原作に忠実やってんね。とはいえ多少は、微妙な意図的な変更箇所は別にしても、やっぱり原作の表現を正確にトレースしてない箇所があった。チャクラとか戦闘シーンの表現はさすがにアニメのほうが迫力あるけど、心象表現すこし違った印象になってたり、間の取り方で文脈が微妙に変わっていたりと、原作を読んで納得するシーンもいくらかあった。ま、微妙なとこなんやけど、放映時間にあわせて間を作ってたり、絵の質の違いってのもおおきいんやろ。最初に下忍の説明会で、ナルトがサスケに化けるエピソードも原作のほうが自然だったし、ザブザのエピソードでも全般に原作のほうが自然だった。そして逆の部分もあるんやけど、アニメのほうが補完されていてわかりやすい箇所がある。とくに後のほうでは、オリジナルシーンがいっぱい追加されますが、そのなかで重要な補完があったりする。オレの好きな大蛇丸の君麻呂に対して言ったセリフもアニメだけのもの(だよね?)やけど、「きっと、生きていることに意味なんて無いのよ」「でも、生き続けることによって面白いことを見つけられるかもね」「あなたがその花を見つけたように」「私があなたを見つけたように」大蛇丸の思想がはっきりしてくる。このセリフにはアニメスタッフも恐るべしと思った。また、サスケが里を抜けようとしてナルトと闘うシーンのラスト。アニメのほうはあのシーンのラストで、厳しい表情から多少和らいだ微笑にちかい表情が加えられているんだけど、これは原作にはない。どちらも当然作者も了承しての追加だと思うんだが、より意味がはっきりしてくる。原作を補完しているのか、それともアニメ向きに追加・変更されたのかよくわからないけど、一貫したテーマ・・・個人と社会とのかかわり方について・・・からは逸脱しないと思うのだけど、気になる箇所ではある。とりあえずもうちょい読んだら、個人と社会のかかわり方について、それぞれの立場から考えて行こうと思う。ナルトの立場、サスケの立場、大蛇丸の立場、我愛羅の立場、ハクや君麻呂の立場、イタチの立場がそれぞれ特徴的やとおもうんやけど、そのあたりをつらつらと書きたいなー。もひとつ書きたいのは軍事力についてですな。砂が木の葉を攻撃した理由は、軍縮が原因ですわな。軍縮によりパワーバランスが崩れる・・・これってめっちゃリアルな話で、パキスタンとインドの核開発競争みたいなね、軍事力が外交上重要な役割を果たしているところでは下手な軍縮はできないっていうお話ですわな。軍事力の均衡が必要で、木の葉が突出することで周りが危惧を抱く・・・それはヨーロッパでの戦争の歴史そのものでもある。つまり、木の葉くずしがおこなわれたのは5大国の外交の失敗ともいえるんですよね。この軍縮したから戦争になたっという、パラドキシカルな問題に最後まででにいくらか答えを見せてくれるのかなーって期待しているんやけど・・・世界的な作品になってしもた以上は深入りできなくなったんじゃなかろうかと心配であったりする。というのも暁って存在がなんとなく、某テロ集団とイメージがかぶるからななんやけど。。。そこは進行中のお話というとこで、期待しつつ見守っていきたいなー。たくさんのファンがいるんやからね。岸もっさん!つーわけで、今ハクを描いとります。
April 24, 2007
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昼から出社。午前中は下の子、らーちゃん(仮名)1歳ちょいと9時すぎから1時間ばかり公園へ。ええ天気やねぇ。って、おい。なんじゃこの早起きぶりは・・・上の子が幼稚園に行き始めてから、早起きになってしまって、8時におこされちゃった。ママの怒鳴り声と2人の泣き声で。ねむたいっちゅうねん。今日はママもお仕事。お兄ちゃんのほうはとっととおきにいりのじいちゃん家に行ってしまった。つーわけで、ひさしぶりにらーちゃんと二人きりで遊んだわけやけど、おもしろかった。らーちゃんはとにかく活発な子で、通常の1才児の三倍の速度くらいはあるんちゃうかと、頭にツノついとるんちゃうかと、すくなくとも同家兄比ではあきらかに速いんよね。今日もずっと見ていたけど、あ、こいつ、ここが兄貴と違うな、と思ったのが、一歩踏み出す勇気。もしくは好奇心。兄貴もらーちゃんも、好奇心から行動し始めるところは一緒。びゅーっととびだしていく。違いが出るのが、怖いとき。兄貴のほうは怖いとき、完全にストップする。むしろ尻込みするくらいなんだけど、らーちゃんはちがう。怖くても好奇心が勝ってしまう。じりじりと前進する。すべりだいで、もちろんまだ一人ではすべられへんけど、階段は自分で登っていきよる。でも上につくと高いのが怖いらしい。まだ一歳なんで、そんな状況把握能力はあらへんけど、なんとなく落ちたらやばいんちゃう?ってのはわかるみたい。最初は何もわからず勇敢に突進して行きよったんやけど、だいぶ学習してきたみたい。壁にぶつかったり、いろんなとこから落ちたり。怖いってこともわかってきとるんやろ。ちょっと成長しとるなーと、パパ的にはにんまり。それでちょっと固まって、頼りない声で「ふんふん…」と何かを訴えているんだけど、黙ってみといとあると、じりじりと前に進んでいきよる。おお、なにやら意志のようなものが形作られていきよ、まさのその最中なんやろな。うんうんと思いながら、最後の段はらーちゃんには上れない高さなので、抱っこしてすべり口までいっておろしたら、こんどは無謀にもそのまますたすたすべり口に突進してきよる・・・やっぱりまだわかってへんか・・・らーちゃんはまだよちよちダッシュ状態なので、階段を登ったり降りたりは手をつかないとできない。でもちょっとした段を手をつかずに降りるのがどうも楽しいらしい。とはいえ、弾みがついちゃうので、自分では止まれない。当然コケル。でも楽しいみたいで、段を見つけると挑戦しようとする。最初はパパが受けてあげたんだけど、受けなきゃどうするのかと思って見ていたら、ちょっとやばいのは感知したみたい。じりじりと段の端まですすんで、躊躇する。でも、しばらくすると、思い切って一歩踏み出しよった。おお、こやつ、好奇心が勝ちよった。で、もちろん、こけた。泣くか? と思ったけど、こけたことをアピールするのに、砂を払ってあげて応えれば、またくるりと段を上っていった。またもや同じように躊躇しながらもじりじりと段の端までやってきて、そしてまた同じように一歩を踏み出す。こんどはこけないように受けてあげたけど、この勇気というか好奇心というか、ちょっぴりうらやましくおもう。変な話だけど、らーちゃん1歳だから、まだはっきりはしていないだろうけど、成功したときのよいイメージをちゃんとイメージできとるんやろな。だから好奇心が勝つ。でも、子供のころのパパや、兄貴(4歳)のほうは、失敗したときの悪いイメージをしてしまってるんやろな。だから恐怖が勝つ。ほんのちょっとの違いなんやけど、これを教えるのは難しい・・・ていうか、同じ親やねんし、まだ教育云々っていうのが反映されにくい1歳児との差やねんから、先天的な性格っていわざるをえん。逆に、兄貴のほうはその慎重さゆえに、人が見ないものに目を向けることができるはず。恐怖ゆえに、些細なことにも疑いを持てる。それは視点の広がりにつながる。歩みはマイペースだけど、しつこさを持てば、気がつけばずいぶん遠くへきたもんだというタイプだと思う。だから、その疑り深さ、想像の豊かさに自身さえ持ってもらえればとおもうんやけど・・・。でもなぁ。。。この2人なぁぁ。。。何であんなに笑顔かわいいんやろ?
April 21, 2007
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モーニング連載「ひまわりっ」東村アキコ。おお、作者のブログが・・・東村アキコのブログまー、一言で言うと、宮崎県のギャグマンガ。今週の表紙のコピーに「めぐりあい宮崎」ってあるくらい、ほんまに作者は女子か? と思うほど、20年前の男の子のこころをわしづかみにするギャグばかり。魔夜峰央やらお父さんは心配性やら、でてくるキーワードの世代がビンゴだ。1975年生まれなんだねー、東村アキコさん。まー、主人公は漫画家を目指しているOL。職場を舞台にバタバタコントというかんじ。おもろいですよ。まー、まいかい、こ、こいつはいいやぁ、というセリフがある。で、今週の、これ・・・主人公アキコのことを好きな男、健一が好きな節子が空港でアキコと健一が抱き合っていたというのを聞いて、「あたし 自分の目で見たもしか信じない人なんで」といったのに対する主任のセリフ、「こーゆー軸がしっかりした奴が低級霊に憑かれることもなく心も病むこともなく幸せな人生送るんだよなー」うんうん。そうそう。軸がね、ぶれないって、強いよねー。そっか、軸が弱いと、とり憑かれるのか・・・妙に納得してしもた。
April 19, 2007
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実は、マンガ日記の更新ペースが落ちたのは、仕事のせいも多少はあるけど、ほんとはナルトのせいなんだ。うん。アニメはテレビの方をたぶん全部、コミックは30巻まで読んだ。ちょうどアニメのすこし先のところまでだ。うん。ナルト、ハク(カタカナでいいのか?)、サスケ、リー、ネジ、我愛羅と、自己の存在理由を問う話が連続する。ハクの話が一番泣けたなぁ。ザブザが泣くとこで超泣けたわい。あ、キャラが超かわってしもうた。ま、とにかく、最初は思春期を懐かしむ感じだった。だから軍事力と平和についてって観点から書こうなんて、気楽に思っていた。のだが、大蛇丸が出てきたあたりから、あることに気づき始めた。それは、妙に大蛇丸に納得してしまう、心の闇の存在。その気になれば世界を憎みきれてしまいそうな自分。それを自覚的に、または無自覚に抑制してきた自分。存在理由を自分の外側に必要としないでいようと努めてきた自分。大蛇丸は不死をめざす。しかしそれは生きつづけることではなく、それを通じて自己を表現し続けることを自己存在の根拠としているようで、ある種の美しさを伴っている。それはナルトの生命の美しさとは対極に位置づけられてはいるが、どこか同類の生き生き感がある。サスケのようなある物事を目的として生きているのではなく、自己表現そのものが目的となっているものの生き生き感である。ロック・リーにも同じ生き生き感がある。生き物はただ生きることで既に十分美しい、それ自身であろうとすることの美しさを、自己表現といっていいのだと思おうけど、それにどこまで迷わないでいられるか、また迷ったときにどうするか、ナルトの強さはそこにある。大蛇丸とナルトとどこが違うかというと、ナルトやリーは社会に評価基準においているが、大蛇丸は自分を基準においているということ。いずれにせよ舞台は社会に他ならないが、自ずとその表現は変わってくる。でさ、アタイさ、いままで自分を基準におこうと、してきたんだよ。お、変なキャラ出てきたぞ。でさ、でさ、そしてさ、そのこと自体がさ、社会とアタイを隔てる真空の闇をつくってきたんだよ。そしてもしアタイに力がなければ、この闇をアタイを蝕んでいくんだよね、きっと・・・。キショ!キモッ!それが上に書いた、社会を憎みきる可能性につながっていくんだけど、いまさらながらこの危うさに気づいた。一歩間違えればオレは、とてもつまらない人生を送ってしまうんだろうってね。最近、ある友達とのやり取りでも気づいたことなんだけど、何かを媒介として社会に通じているという意識はほとんど持っていない。人は関係性の総体だといっていいと思っている。つまり、媒介は必要なく、基本的に社会のすべては人で構成されるとおもっています。だが、自分がそれに対していつでも客観的で支配的であろうとすると、結局真空の闇で自分を包んで守る・・・我愛羅のフルオートの絶対防御は無意識の自己防衛をうまく描いていると思う・・・しかないわけだ。そこで自分の意思に反して、無意識に客観的な結果を求め、かえって関係性から自分が浮き上がってしまい地に足がついていない状況になってしまう。サスケのように。この媒介について、オレは無自覚でいすぎたと気づいたわけだ。そのことがあって、他のマンガのこともあまり書く気になれなかったんだけど、またもや同じ友人とのやり取りのなかで、自分が前提条件としているもののネガティブさに気づいた。オレはこうみても超プラス思考なんじゃ。超大抵のことなら超プラスに受け止めることができるんじゃ。あ、また超キャラが出てきた。超天性・・・、って、ここに超を使っちゃうと意味が変わってくるじゃん。あ、また違うキャラが・・・天性のものもあるだろうけど、オレ自身が意識して改造してきた性格じゃん。20歳前後の頃、何年かかけてセルフ自己啓発キャンペーンをしたんじゃん。で、プラス思考に自分を改造したんじゃん。ええい、うっとうしい。しゃーんなろーっ!でも、幼い頃から思春期を通してずっと持っていたネガティブな性格が、やはり根底あるようなんだ。この二重性こそが自分の個性なんだろうけど、我愛羅が積極的に社会との関係性の経験値を上げていこうとしたことには、自分にも心当たりがある。そのキャンペーンの一環としてだけど、人との関係性に自分から飛び込んでいかねばならないと考え、そして実行し、ある程度の成果を得たわけだ。そのおかげで多少は自信と社交性をもてたのだろう。しかしその後も、自分と社会との連関を、いつも恣意的なものであるようにとしてきた。それはおそらく前向きな動機からではなく、たんなる防衛かもしれない。だってその二重性のおかげで、素の自分っていうがわからなくなってしまったのだから。その二重性という矛盾が、自己表現すべき自己をわかりにくくしてしまっている。ナルトみたいになれればなと思いつつも、大蛇丸のある部分に光すら見出すことも忘れないでいたい。そうやって真空の闇に混沌を流し込んで、二重性が渾然としていけば、いつかの総体が具現されるのだろうか?あー、書きながらだいぶ考えをまとめられた。すっきり。さて、どれくらいの人がこれを読んで引かずにいられるのだろうか?(笑
April 18, 2007
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んまー、モーニングに連載のワインマンガ「神の雫」が韓国で大人気らしい。今週のモーニングに特集記事があって、コミックの売り上げが日本と韓国で同じくらい(国内で100万部、韓国でも100万部)なんだと。あんまり大人がマンガを読む文化じゃない韓国で、大人に人気があるらしい。もともとワインブームが起こり始めてたってところに、このマンガが大人、それもビジネスマンとかに読まれてワインブームの一翼を担っているらしい。んまー、ヨン様もよんでると書いてある。日本でも「神の雫」でぐぐるとネットショップがてんこ盛りヒットしやがる。確かに、マンガの内容はともかく、出てくるワインは必ず飲みたくなる。価格も手ごろなものから高いものまで幅広く紹介されてとるし、ワイン知らんもんにとってはちょうどいい教科書だな。というのも、主人公の神咲雫は父親が世界的に有名なワイン評論家やっていたが、反発してビール会社に就職しちゃって、ワインの知識はほとんどない。でも子供の頃から仕込まれたテイスティング力だけは抜群という人なので、毎回うまいことワインの基礎知識を、知識だけは抜群だけどテイスティング力は並というヒロインが説明してくれるのだ。んまー、そんなこんなで、今週から韓国料理とワインのマリアージュだと。ビジネスに走りやがって。こんちくしょー。美味しんぼの路線狙ってるな?でもワインって一回あけちゃうと飲みきらないといけないから、なかなか買えないんだよね。
April 13, 2007
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NARUTO OROCHIMARUもうちょい老けた感じにしたかってんけど・・・もうちょいナヨナヨ感がほしかってんけど・・・唇も中途半端になってしもてんけど・・・ギブアップ。ていうか、暗いなー。暗いの大好物よ。ナルトの中で好きなキャラといえばロック・リー、大蛇丸様、我愛羅。なかでも大蛇丸様。アニメのくじらさんの声がまたええねん。最高や。
April 12, 2007
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今描いてる大蛇丸の参考にしようとでイメージぐぐって見ると、江戸後期から明治にかけて書かれた『児雷也豪傑譚』にでてくる児雷也の敵が蛇を使う妖術使いなんだと。蝦蟇使いの児雷也の奥さんが蛞蝓使いの綱手。大蛇、蝦蟇、蛞蝓の三すくみってこの話から来てるんか。上の浮世絵は歌川国周ってひとの明治の作品の大蛇丸。ウロコをモチーフにしたって言う着物がおしゃれじゃ。こちらのサイト↓から拝借・・・いっぱい圧縮しかたら許してね。立命館大学アート・リサーチセンター所蔵浮世絵名品展 第一期 出品目録お話はこちらのサイトを参照http://www.kiseido.com/printss/jij.html
April 12, 2007
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ONE PIECE ZOROゾロを描いてみた。結局こんなんなった。あの鷹の目に着られた傷ってこんなんやっけ?もっと傷があったような気がするけど、まええやろ。バガボンド風って、まーあんな井上さんみたくはとても描けないんやけど、なんかこう自然体みたいなイメージに、ちょっとはなってるかな。次は、ウソップか、ナルトのロック・リーか、もし描けそうなら大蛇丸にとらいしたいな。
April 6, 2007
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ナルトっていえばぐるぐる。ほっぺにぐるぐるなるとがあるからナルトだ。って思ってたよ。ちがったのね。なかったよ、ぐるぐる。少年主人公のニンジャねたなんて、おっさんが見ておもろいもんかよ、って無視してきたが、ヨーロッパでも放映されていると聞いて、そんな人気あるんかと気になってはいたが、ちょっと意地はって無視してた。で、カレー屋さんにコミックがあったのをついつい読んでみれば、あらら、これ面白そうよ・・・で、まぁ、最近youtubeでアニメをぼちぼち見てるんだけど面白い。かんなり面白い。まだ連載中のマンガやし、ていうかまだ最初のほうしか見てないんやけど、戦争と社会の描写とか、今までの少年漫画ではなかったような深い突込みをしているのに驚いた。ワンピースの革命にも期待しているんだけど、おなじ雑誌に二本もこんなすごいマンガがあったとは。つい、指輪物語とかゲド戦記とかと比較してみたくなった。そのためには続きを読まないといけないけど・・・今のところ、オレらが少年時代に読んだマンガにはなかったいろいろが認められる。忍空とか、るろうにとか(あ、ごめん、どっちも子供のころじゃないや^^;)で描ききれなかったものがワンピースやナルトでついに結実しつつあるんかなと、おもったりしてみたいり。
March 30, 2007
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グラフィックデザイン事務所をネタにしたマンガで、モーニングに6ページで連載しとる。かなりリアルなんで経験者かなとおもっとったら、どっかのサイトに「漫画家・イラストレータ」ってプロフィールになっとった。イラストレータ2人とよくわからん社長(この3人が同級生だっけ?)・・・・たぶんADみたいなポジションでしごとしてるんやとおもう・・・と、デザイナー(アシスタント)みたいな若者が1人、バイト1~2人ってかんじみたい。デザイン事務所だから「誰も寝てはならぬ」。製作会社が安く請け負って政策部隊がぱつんぱつんで寝てはならぬ、というのとはちょとちがう。切羽つまらなしないのでそうなるという健全(?)なタイプ。そんなデザイン事務所の日常の話。いちおうギャグまんがなんやろうか?まーその、仕事の脱線の仕方がリアルでおもろい。そうそう、みたいな。あるある系かな?さすがに前日に逃亡するかって感じ何やけど、おるもんなー。打ち合わせの資料つくらあかんのに、前日飲みに行って酔いつぶれて警察に捕まって打ち合わせぶっちした人おるもん。登場する事務所の人たちは、作中でも変な人っていわれているが、けっこうこの業界、変な人だらけなんで、あんな感じの人はそんな違和感ないというか、周りによくおる。そやからオレ的には心地よさげな事務所の話に見えるんやけど、一般的にはどういうポジションなやろ。基本的にクリエーターさんたちはわがまま。マイペースな人が多い。気を使っているようでわがまま、というのが一番多い。ものすっごい機嫌悪くなったりするが、そんなんは無視すればいい。そんな中で仕事するには、大抵のことは相手が悪いと思える、広い心が必要や。そして都合の悪いことはすぐ忘れる。反省する前に忘れるから繰り返す。でも大丈夫、相手も忘れとる。好奇心だけは旺盛で、かくれオタクが多い。オタクじゃなければナルシストや。オタクかナルシストとか、オタクでナルシストかしかおらん。世界の中心に僕がいると叫びたい人ばっかり。自己演出しすぎるひとは、クリエーターじゃない業界人に多い。広告代理店の人とか。このマンガの登場人物たちも、とっても自己中で、バスマニアだったり重機マニアだったり、思いつきで行動したり、クリエーターやなぁと思える行動がいっぱい。バスって公共の乗り物のバスね。重機ってユンボーとか。実際、オレ、電車の下の機械のとことか好きなんですよねー、といったら、オレもオレもっていってくれる人がいる世界。あ、電車の下好きなんよ。あと、錆びたプラントとか。かっちょいいぞ。錆びたプラント。プラントっていうのは工場設備のアレね。ある仕事で工場に行ったとき、めっちゃかっちょいい錆びて放置されてるプラントがあって感動した。っで、何の話かというと、あのー、オレも現在プチ逃避中ということや。
March 29, 2007
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「デーナ・イブラヒムハはアラブ首長国連邦に住む18歳の女の子。大学に通い、キャンパスライフを楽しんでいた。しかしある日、何者かに拉致され、地中の暗い穴にほうり込まれる。土を掘り、必死で脱出を図るデーナは、やがて小さな宝石箱を見つける。そこに入っていたのは・・・古代の英知の力を授ける99個の「ノーア・ストーン」の一つ。データには、人の心を読み解く力が与えられ、やがて彼女は、闇に打ち勝つ光「ノーラ」へと変身していく。」The99を紹介してたニューズウィーク(2007.3.28)の記事。そうそう、これがいいたかってん。ほらね、面白そうでしょ。「『99』は、中東の子らに親近感のある英雄像を与え、イスラム圏に欠けていた理想の人物像を示した。こういう選択肢がなければ、イスラムの若者たちは原理主義の美化する暴力に引き寄せられてしまう、とアルムタワは心配する。」アルムタワさんってのはこのプロジェクトの責任者みたいやね。いまのところ、中東、北アフリカを中心で、アジアとヨーロッパでもそこそこ売られてて、今度アメリカに進出するんやと。
March 28, 2007
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同じくニューズウィークにめっちゃ興味深い記事があった。The 99 って言うマンガの記事。クェートの人が書いた現代のイスラム社会を背景にしたアドベンチャーコミック。ニューズウィークの記事では宗教的、政治的活動ではないとしている。イスラム社会を背景にした娯楽作品。とわいえ、主人公は当然イスラム教徒だし、テーマ的にもイスラム教をあつかっている。クェートっていうのはちっこい国だけど石油のおかげでとても豊かな国で、原理主義的な国やない、たぶん親米なんだとおもう。ちがったらごめん。あんまり今まで前例のないことらしいんやけど、アラブの子供たちにいろんな考え方のヒントになれば、みたいな、いかにもコミックらしい試みでもあるみたいやし、それについてアラブ諸国のコンセンサスも得ているみたいなことを書いてた。昨年の9月から連載開始で、アラビア語版と英語版とあるんやと。こちら公式サイトhttp://www.the99.org/またこちらのブログに詳しい説明がありんす。 The 99 アラブ版「ネギま!」>作品の制作は、チームで行われている。原作のFabian Niciezaや>作画のDan Panosianは、ともにX-Menの制作に携わっていた人物である。だってさ。なーるへそ。でね、結構ストーリーが面白そうなんよ。えっと、なんか知らんけどつかった子が逃げようとしてさまよってると99個のあるうちのひとつのなんかがあって、それを手に入れるとなんかの能力が手に入って、えっと、えっと、えっと、わすれた。うぉい。わすれたよ。なんだっけ。とにかく、ドラゴンボールと悪魔の実とコーランが合体した印象(笑)の何かが99個あって・・・、それを手にし人が戦う(もしくは冒険する)というお話らしい。あれー、なんかありきたりやなぁ・・・おかしいーなー・・・ニューズウィークの記事読んだときはおもろそやおもてんけどな・・・ていうか、ニューズウィークどこいったんや・・・コミックを使った社会的な試み、という視点で、イスラム的考えにのっとった上で、行動の可能性を子供たちに示していくっていう考え・・・、もうはっきり原理主義に陥らない宗教のことだろうし、そして他文化の子供たちにイスラムを紹介する一助になったりして、相互理解に役立ったりしちゃたらすてきやん。マンガの基本ともいえるような、単純には正義は必ず勝つみたいなものから・・・文学の持っている教育的な要素・・・児童文学とか、絵本とか・・・、とっても興味深い!ぜひ入手したいんだけど、いまのところamazonとかでは売ってないのかな?どうもオフィシャルサイトで買えるようになるっぽいけど、英語わからないので買ってどうするんだって気もする。(笑まー、でも、とにかく読んでみたい!
March 27, 2007
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なんとなーく17巻までで止まってた。モーニング読んでるし。で、なんとなーく、じゃなくって、ちょっとぴりりっとした空気が欲しくて、買ってみた。ちょうど小次郎の関ヶ原のとこ。関ヶ原っていったことある?そんなに広くない。田んぼ、畑がいまでもいっぱいあるとこなんやけど、ていうか、田んぼや畑を踏み潰しながらじゃなきゃ、大軍が戦えるような場所じゃない。そこから大阪まで、車でも遠く感じる。関ヶ原から国道を大阪へすすむと、まず西へ琵琶湖岸の彦根に向かい、そこから琵琶湖と山のあいだの少しの平地を南へ大津まで行って、山を越えて京都となる。そのルートを避けるなら、もう山の中しかない。京都を避けて大阪までどうやっていく?なんて思いながら読む。そして、こんな雰囲気でゾロを描いてみたい・・・むりか?
March 25, 2007
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ニコ・ロビン描いてみた。にみえる?
March 24, 2007
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スカイピアの話のほうがおもしろくて、ルフィは結局戦争に加担していないよね。これ一万もするよ。ていうか、楽天アフィリエイトの画像きたねーなー。小さいし圧縮かけすぎ。微妙なんやけど、スカイピアでは侵入者と原住民の戦いなんやけど、ルフィは冒険の目的は、栗のオッサンとの約束を果たすことに終始する。アラバスタのときはクロコダイルって言う悪者がはっきりいたけど、スカイピアノ場合は問題はエネルじゃなくって歴史をずっとさかのぼることになるやろ。問題はかなり微妙で、もしエネルがいなかったら、ああいう結末にはならなかったんじゃないかとさえ思える。だって総力戦に出るきっかけが双方にないわけだから、双方が譲歩するなんてことはなかなかむつかしかろ。そして結果的に歴史が実証されて、結果的に大地信仰みたいなものをドラムの話からだんだん話は難しくなっとる。子供たちはあのストーリーをどう受け止めているのか聞いてみたい。尾田先生は意識的にルフィを中立したんだと思う。インディアンよりもパレスチナをどうしてもイメージしてしまうんやけど、ワイパーたちに頑固さはよく書けてると思うし、偶然の結末というのもよくできていると思う。イスラエルとパレスチナをイメージしたら、お互いが許しあうことが如何に難しいかようわかる。スカイピアみたいに二勢力だけの対立に単純化したとしても、ややこしい。もしルフィが仲良くしようなんていってそのとおりになったりしたら、超つまんないお話になっちゃうやろな。そして歴史の解明がなければ、シャンディアたちに対する差別はなくならないかもしれない。あの鐘の証明がなければ・・・。一時的ものになるかも知んないし、ロビンが追っているのとは別にしても歴史がとっても重要な役割を果たしたんよね。いうまでもなく、OEN PIECEでは最初から約束ってのが強いキーワードになっとる。信頼ということも強いキーワードになっとる。そしてその信頼を裏付けるのは、許容ということだ。ルフィは誰でも分け隔てなく許容する。理解するわけじゃない。ただ容認する。受け入れる。これは民族対立とかにも通ずることなんよね。尾田っちがどこまで意図しているのか、または表現しようとしているのかはわかんないけど、グローバル化社会でのアイデンティティの持ち方について、何かを示してくれるんやろうと、めっちゃ期待しとる。皆さんもその辺も注目してみるとおもろいんちゃうかな。なんでルフィがその判断をしたのか、尾田先生はその都度かなーり考えているように見受けられるんやけど、年齢的に考えてもすごいなぁ。子供向けにかいとってな、あんまりこんな漫画ないよ。その、内容の賛否はいろいろあるやろうけど。そしてですよ。オレ的にはこれが一番すげぇとおもうんやけど、たいていこういう問題を扱うと、お話がシビアになって、暗い調子になっていくもんや。るろうにとか封神演義とか、お話が深まるにつれて、最初の軽い調子がうるれて、なんや硬い調子になってしまったでしょ。尾田先生はこの点非常に気をつけていると思う。明るさをなくさないように・・・まぁロビンの話なんて重いから、よくも明るく回帰できるもんだと感心するよ。ていうかいまだかつて例がないんちゃうかな。あのペースで描いてて、あんなにぶれない・・・、ほんまに前例のない構成力やよね。と、どんどん期待は膨らんじゃうのでした。そういや、ストーリーのレベルを一定保つ工夫では、ジョジョもうまいことしてたな。ジョジョも好きなんでまたゆっくりぃぃぃぃぃぃ、かぁぁぁぁぁぁぁくぅぅぅぅぅつぅぅぅぅぅぅぅぅもぉぉぉぉぉぉぉりぃぃぃぃぃぃぃぃ。
March 20, 2007
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尾田っちが戦争をどう描こうとしてるのか、今のところわからん。アラバスタの話では世界政府から公認・・・どういう根拠によるのかわからないけど・・・を受けている王下七武界の一人、クロコダイルが民衆蜂起を利用して王政の転覆を図るわけや。アラバスタの国王がいくら開明っぽいといっても、実際に民衆蜂起を抑えられなかったし、なによりも王不在時に軍のトップが王政を牛耳っていたように、かなりの中央集権だ。それにいくら国土が広いとはいえ相当数の軍を持っていながら、クロコダイルに活躍の場を与えているし、支配体制はそれほどうまく機能していないようにも思えるんよね。そしておそらく、そうさせているのは世界政府さえも脅かすような海賊の存在だろう。そして革命・・・これが民主主義革命なのかどうかはわからないが、これが海賊たちとどう対立していくのかは楽しみだけど、不安を別の形で解消して行こうとする動きなんだと思う。七武海っていうのは、相当に妥協的な存在であり、普通に考えれば任命責任を政府が追及されようものだけど、そのあたりをもみ消すことにアラバスタも同意せざるをえなかったのだろうか。現実問題として世界政府サイドでもめるわけには行かない事情がある。つまり、世界は戦争状態にあるわけだ。世界政府は国連よりもかなりの特権を持っていて、独自の軍隊、独自の司法制度をもっているのだけど、それでも世界を掌握しているわけじゃないんよね。最初のほうのエピソードでいともたやすく海賊勢力に征服されてしまった島がいくつか出てきてたし。さて、こうなってくるとホント楽しみなんやけど、ルフィたち海賊はいまのところは、世界政府の正義とも、革命の正義とも対立しとるわけで、それじゃまったくハッピーエンドは期待できへん。オレはここんとこをいっちゃん尾田っちに期待するところやし、さすがやなぁとおもとるとこやん。革命・・・何の革命家わからんけど、とにかく革命・・・がなくて、単に世界政府と海賊の争いやったら、結局ありきたりのエンディングにしかならへんやろう。実はルフィって、いままでものすっごい個人的な事情だけでたたかっとるやろ。途中でいずれかに協力するのか、もしくはこれを最後まで貫いていくのか。いったいなにがのこるんやろうね。
March 20, 2007
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東周斎雅楽原作・魚戸おさむ画、ビッグコミックオリジナルで連載中。アトランティスを探求する考古学者、入矢修造が主人公。ある財団から依頼を受けて、アトランティスの秘密を守ろうとするなぞの闇組織の妨害を受けながら探求をしていく・・・こういうのはサスペンスっていうのかな。アドベンチャーかな?主人公は考古学者。イギリスで活躍してたががせねたを発表してしまい、失意のまま日本に帰ってきて骨董やをやってたところ、くそほど金を持ってるある財団からアトランティス探求の協力を依頼される。最初は、はっ? アトランティスだって? そんなもんあるわけないじゃん、寝言言ってんじゃねーよ、なんつってたんだけど、なんやかんやあってやる気を出してはった、つーわけさ。ところが、調べていくと謎の闇組織の妨害を受けることになる。なぜアトランティスについて調べることをじゃまするのか? またアトランティスは本当にあったのか?謎が謎を呼ぶサスペンスアドベンチャー。なんか、B級映画みたいやな。いや、ちゃうんよ。おもしろいんよ。マスターキートンが歴史探求専属になったような感じ・・・と言えば余計わかりにくいか、インディージョーンズがもっと歴史マニアになった感じ、かな。ハリソン君がオタクになった感じ?いや、おもしろいんだって。マスターキートンもすきやったけど、マスターキートンから戦闘色を少し減らして、考古学的謎解きをアップさせた感じ。ヒューマンドラマ度は一緒くらいだけど、ワンエピソードだけのキャラかと思わせといて再登場する登場人物が多くて、主人公の周りだけで進行していくんじゃないとこらへんは特徴的や。ちょくちょくストーリーに関係のないヒューマンドラマが入るんだけど、それはそれでおもろいんよ。めっちゃ味覚が発達しとる幼稚園児とか、入矢さんのおかぁさんとか、ストーリーに深入りしない頻出サブキャラたちも、結構ちゃんとキャラが立ってとるんよ。なんにせよ、イリヤッドは最近のお気に入りの一つなんやけど、書こうか書くまいか結構悩んだ。というのも、考古学的な部分をどう評価してええかわからんから。世紀の大発見的なのは創作やろうけど、推測としてどれくらい信憑性があるんかがしろーとにはさぱりさぱ~りわからへん。とわいえ、舞台はなんつっても有史以前ですから。アトランティスって言うのはプラトンのなんとかっていう本によると1万年いじょうまえに存在したことになっとる。そんな遺跡は痕跡さえ発見されていない。しかし、世界中が発掘されたわけじゃない。キートンでもあった話だけど、政治的な事情で現代考古学のメスが入っていない地域ってのもあるだろうし、その時代次代の事情で意図的に隠されたり、すっかり忘れ去られたりした文化も沢山あるんやろ。そやから、実証はされてへんけど、推理としては面白いレベルなのか、それともたんなる創作なのか、が、わからへんのよね。それともう一点は、たびたび出てくる無神論者というキーワードが、まだどのような意味が持たされているのか、ていうかどんなオチにつながっていくのかがわからんうちに、いろいろ書きにくなともおもった。西洋の人たち・・・ていうかキリスト-イスラム教文化の人たちが思う神は、日本人が知っている神とは違うもんだと思っていいらしい。旧約聖書の最初のほうを読んでみると、わりとオレらでも理解しやすい神の像があるように思う。ある民族の繁栄だけをねがっとる、とうか言葉の端々に他の神の存在までは否定してないようなニュアンスがあると思う。いろいろ神もおるけれど、ただ、あんたらの神はわしやでと、言う感じでね。祖先=神っていうんかな、そんな感じやね。ずっとのちのちに教義が固まっていった時期ってのがあって、それまでの神話はどこかそのニュアンスが薄いんやろね。その神話は、オレらのよく知っている気安い神さんに近いように思うんよ。って、こんなことかいたら怒られるんかも知らんけど。じゃ、日本の神さんって何やろ?ゴミの不法投棄に手を焼いた役所が、そこに簡易の鳥居を立てたら効果覿面やってんて。これって一種の宗教やよね。社会通念やけど、ある宗教的シンボルに畏怖の念を持つわけやから。十字架もいっしょちゃうんかと思っちゃうけど、ところが、こういう感覚は、西洋で言うところの信仰にはならないんだよね。西洋の神さんってのは、もっとぐっと人間存在の根源に踏み込んできて、そもそも論じたり否定したりする余地のないものらしい。その名さえ呼ぶことが禁じられて、挙句の果てに本当の名前の呼びかたがわからなくなっちゃったんだって。ヤハウェやエホバってのは神を表す文字から推測して呼んでいるだけで、もともとなんて呼ばれていたのかはわからないんだとよ。そんくらい絶対なものが生まれたのはなんでか、オレら日本人にとってはどうもピンとこんところや。イリヤッドがなんで無神論を扱うのか、いまのところちょっとずつ明らかになってきとるけど、まだじぇんじぇんわからん。そのあたり、どんな考えを展開してくれるのかもとても楽しみなんよね。って、そんな重たい雰囲気ちゃうよ。この漫画。マスターキートンよりも明るいよ。主人公、未婚やし。いや、まぁ、その辺がようわからんってものあて、どない書こうかなぁとおもって迷ってたんやけど、そのまんま書いたった。
March 16, 2007
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ジャンプに連載中のワンピース。このウソップは英語ばっかりのサイトからぱくってきたんやけど、オレはウソップが一番好きだ。一番感情移入できる。ウソップの存在だけじゃないんだけど、ワンピースはまさに成長してるマンガや。なんにしても、歴史に残るような作品だってことに誰も異論はないやろ。まだ連載が終わっちゃいないんやからなんとも言えんのやけど、売り上げとか別にしてマンガだけで見ても、Sクラスやよね。メッセージ性の高さ、しかも社会的価値観にかかわるようなメッセージですから、ドラゴンボールやスラムダンク、北斗の拳とも比べられない。ウソップという存在のみならず、仲間の一人一人をみていっても、尾田っちが指標する自由、価値観の許容というところにはとても共感するもんがある。そしてなにより、感動しちゃうのよ。泣いちゃうよ。いい大人がマンガ読んで泣いちゃうよ。羊号、じゃないわ、メリーの話なんて、泣かずにおれまっか。ヒラルクの話もええはなしやったよ。鹿さんがんばれ!主人公ルフィは多様な価値観を受け入れるやろ。孫悟空とおなじ超越感を感じるルフィだけど、ルフィは悟空よりもよりもずっと多く、リアルな決断をしている。尾田っちは決断ってのを意識的に書いているように思う。自分で考え、決めるってことの重要性とかね。いわば、右か左か選べない、自分で道を切り開いていく決断。ゾロ、サンジ、ナミはルフィが選んで仲間にした。ウソップ、ロビンは成り行きだったけど、結局その清算を後で払うことになった。このあたりは、並みの構成力じゃないですよ。尾田っちすご。そしてなにより、まず、これが言いたかってんけど、第一巻の最初のページでロジャーが出てきるんやん。ロジャーが秘宝をどうのこうのいうところから始まるやんか。そこやねんけどな、ロジャーの口ひげな、鼻毛に見えてしゃーないんですけど。な。ビールおかわり。あ、ごめん。その他醸造酒や。うまい生、まずいよね。ところで、ルフィはどうして女子に興味が無いんだろう?それを補完するようにサンジがおるやろ。ルフィはくそ正直だよな。それにはウソップだ。ルフィは何もかもを許容する。それにはゾロ。ルフィは計画性が無い。それにはナミ。ルフィはいつも楽観的だ。それにはロビン。く、く、くっくろびん! あ、すまん。で、ルフィーは何も作らない。(笑それにはフランキーだ。そして、決めるのはいつもルフィだ。ワンピースには作者尾田っちのいろんなメッセージがこめられている。ティーチにいわせた「人の夢は、終わらねぇ!」なんて最高だね。子供に読ませたいマンガナンバーワンだよ。これはドラゴンボールには無いこと。ドラゴンボールは結局行き当たりばったりだからね。夢を紡ぐには努力が必要だ。その努力しだいで、夢は終わらねぇ。いい言葉じゃねぇーか。うーん。ワンピースは書き出すと色々あるなぁ。今後なんかいかに分けてテーマごとに書いていこう。次回は、反乱と戦争について書くつもり。夢、法と無法、仲間・・・いろいろ。。。じゅるり。うまそうなねたじゃ。
March 14, 2007
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あー、むかつくなぁ。また画像ないよ。楽天。アマゾンのほうがよかったなぁ。くそー。あー、アマゾンも無いわ。弓月光のエッチなマンガ。えっと、浪人生のところにお金持ちのお嬢さん(高校生)がいきなり押しかけ彼女にやってくるというような話だったとおもうっちゃ。まーラムちゃんを飛べなくしてエッチ好きにして、あたるをもっとむっつり助平にしたような話だ。こないだ日記に書いたなつかしの書店から連想で思い出したんやけど、まだエロ本を買えないうぶなオレさまのあれだった。あれな。あれ。アニキが買ってやがって、本棚の奥のほうに隠しているのをこっそり読んでたわけだ。アニキサンキュー。今にして思えば、当時ってこんなにおっぱいぽろぽろ出てくるマンガ他にあったんかな? 最近でも漫☆画太郎先生くらいだろ。エッチで合体したまま彼女のあそこが痙攣して離れられなくなって、やばいからそのまま病院へ歩いていく話とか、ものすっごいまじめっ子だけどサルみたいにオ●ニーする子の話とか、その子のおてぃんてぃんがコカコーラの缶くらいあるとか、彼女側の金持ち親族がよってたかって彼のあっちの能力を試そうとする試練ものストーリーで彼が自分おかんに瓜二つのおばはんとやらなあかん話とか、こうやって書くとさいてーだなー、おい。ていうか、よくおぼえてるなーオレ。それもさいてーだな。でもコメディだからね、ちゃんとギャグになってるからいいじゃん。あー、単なる思い出話だな。映像連鎖で「ガッツ乱平」をおもいだした。百里あきらというひとが月刊ジャンプにかいていたギャグマンガ。まゆげにムカデを飼っている天才少年が主人公。で、金持ちの息子ですごい髪型の九鬼君がライバルだ。つめが武器。なんか戦うんだよ。なんじゃそりゃ。かなりおもろかった印象。なんだっけなー、ストーリー覚えてないなぁ。頭のいい学校に入るんだっけなぁ。あー半分くらいおれは鉄平とごっちゃになってるなぁ。お父さん医者だっけ?なんで九鬼くんと仲悪いんだけ?またよみたいなぁ。どこにあるんだろうなぁ。以上、アニキが持ってた80年代ギャグマンガのコーナーでした。
March 14, 2007
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オレがもっとも敬愛する漫画家の一人、うすた京介先生の最高傑作。ただいまジャンプ連載中。現役最高ギャグマンガ。これを読まずして死ねるか。かーちゃん質に入れてでも読みやがれ。でも、オレはひとこと言いたい。たしかに、これだけのギャグを毎週繰り出す難しさはわかる。コントで新ネタを毎週作り続けるようなもんだし。それはわかる。せやし、休んだかて文句いわへんわ。休むときは休むでええやん。作者取材につきって書くなっちゅうねん!どこいっとんねん!スタジオの話のときも、無理やりって書いてたやん!白いワニでええやんっ!!あかんかっ!!!えー、いわずと知れた、ギャグマンガ四天王のうちの一。ギャグマンガ四天王とは、内閣のマンガ文化国際化諮問会議でとりまとめられたものだ。四天王にうる星やつらをいれるかどうかで衆議院解散総選挙になったことは記憶に新しい。まー、ギャグマンガですから、ストーリーなんてどうでもええでしょ。ストーリーっつぅーと、ホナウドとかます太郎とか、主人公というか、メインキャラが一切出てこないはなしがこれまた面白い。むしろこっちのほうが面白い。特にホナウドの話は最強。あ、ホナウドの話しちゃうわ。あおすじなんとかや。どうでもええわ。ホナウドの話では定番展開(たとえば主人公が一回負けて努力してなにかを超越して敵に勝って、その敵が味方になって・・・)がネタにされとる。徹底的にからかいつくすと言う感じで、最高ですよ。ホナウドの話はこのあと何時間でもかけそうなんですけど、でも先日の日記でドラゴンボールを半肯定してもうたから、なんかかきにくなってしもたな。でもマガジンの花形とかね、ああいう安易なマンガが陵辱されつくしているネタなんよ。それに、最後の落ちはヨギータのショート落語、守りたい、みんなの地球。にも通じるのかな?マンガがどういうメッセージを発するのか、っていうことへの痛烈な批判でもあると思う。ピューと吹く!ジャガーが面ろいのは、そういう隠れたメッセージを暗示させるところやね。単にもろいだけじゃなくって、うすた先生がどこに突っ込みを入れようとしているか、その着眼がすでに面白い。タブーをいらおとするし、時々読んでるほうがハラハラするぜ。あとはー、一話もんのキャラが面白い。全力でつっこむ人、突吉こむ平すきやなぁ。もう一回でてこんかなぁ。あの名せりふ、「凍るに狂うと書いて凍狂(トウキョウ)」が出てきた回じゃ。ほかに・・・忘れた。そ、そして、忘れていけないのが、ヒロインさ。ジャガーさんたちボケをさらっと受け入れることの出来るすっごいキャパの広い、スーパーヒロイン。マサルさん時のモエモエですわよね。ジャガーではサヤカちゃんですよ。あんな人、世の中におるんかい、言うくらいの理想ですよね。ていうか、ジンナイ死ねっ!ひとつ気になるのは、ぴよ彦とハマー、ポギーがだんだんダメ人間になっていくこと。まさにジャガーさんは逆ドラえもん化していること。トリックスターとしてのジャガージュン市の要素かな。この鬼才、うすた先生の作品に匹敵するギャグマンガは現在無い。(おい、いいきってええんか?)まさに日本を代表するモンスターになりやがった。グレイテストや。グレイテスト、モンスター。モンスト、モンスター、モンテストやー。
March 13, 2007
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世の中にはすげー人がいるもんや。あの、デトロイトメタルシティの曲(を勝手に作ったの)が聴けるサイト発見。その名もファッキンガム宮殿!http://dmcopy.seesaa.net/この恨みはらさでおくべきかグロテスクSATSUGAIなどなど、名曲が・・・しかも、テトラポット・メロン・ティの曲までありよる。ええ曲やん。売れるんちゃうか。
March 12, 2007
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完全版しか楽天に画像なかった…こないだの日記に近所の本屋さんのことを書いていて、思い出したシーン。けっこう店内が明るかったとおもう、なんか光あふれるイメージ。Dr.スランプの連載が終わって、しばらくして、平積みにされていたドラゴンボールの第1巻を発見した瞬間。当時はちょうどジャンプを読んでなかったし、まわりもそんなにマンガ好きがいなかったため、あんまりタイムリーに情報を持ってなかった。ていうか新連載が始まっているのも知らんかった。コンビニで立ち見読みとかせんかったなぁ。なんでやろ。コンビニがなかったんかなぁ。それはともかく、今でも鮮明に覚えているくらい、ワクワクしたんよ。鳥山明の新連載だ! とにかくDr.スランプが好きだったし、終わっちゃって間のなくだったってのもある。もう出た、うっひゃー、みたいなん。こっちも完全版しかなかった…もともとDr.スランプが好きだった。アニメもしていたし。ギャグマンがだけど書き込みの細かいきれいな絵っていうのが気に入ってた。アラレちゃんも連載当初は二頭身じゃなかったし。センベイさんももうちょっと背丈あったし。メカ好きお子様だったオレとしても、メカの造形のかっこよさにもあこがれたし、いろいろまねをしてかいたりした。ストーリーに関係ない扉の絵にでてくるメカとか、だいたいディフォルメしたずんぐりむっくりの乗り物なんだけど、とにかくかっこよくって、リアルにみえて、ライブ感があるっていうんかな、絵を見ているだけでも楽しかった。というわけでオレ的には、鳥山明=ギャグマンガ+メカがうまいっていうイメージで、今でもそれは変わっていないよね。だから当然、ドラゴンボールもギャグマンガとして期待したし、メカイラストを期待した。そしてドラゴンボールはこっちの予想を超えて、それに西遊記モチーフの冒険っていう要素も加わっていて、コミックを買って読んだかわいい少年のオレ様は大満足した。ホイポイカプセルから出てくるメカにも大満足。その最初の出会いの瞬間が鮮明なのは、その期待の大きさと、結果の満足さに美化されとるんかもしれん。ところが、いまやドラゴンボールと言えば、世界規模の大産業。超ビッグネームになってもた。しかも、dragon ballでイメージ検索すればスーパーサイヤ人ばっかり出てきよる。あのかわいいちっこい悟空はめったにおらへん。海外のサイトもいっぱいヒットするけどサイヤ人ばっかりや。漫画では見知らぬキャラもいっぱい出てきよる。オレが子供のころに感動したドラゴンボールはあんまりでてこーへん。wikipedeiaでも格闘漫画と書かれてしまっている。ドラゴンボールはピッコロっていうかマジュニアの話でひと段落なんよね。それは作中でもあきらかにそうやと思われる展開やったし、オレもそのつもりで読んでた。だから「もうちょっとつづくよ」とかかれて次の話が始まったときは、まーうれしかったもんです。うれしかったけど、エピソードを重ねるごとにストーリーの質は落ちてった。まだ最初のサイヤ人のエピソードまではよかったんだけど、だんだんとね。ところがそれに反してドラゴンボールはどんどんメジャーになってった。Wikipediaにもかいてったけど、もう産業規模が大きなりすぎて、いろいろ難しい事情があったみたいやね。まーそれでも、孫悟空のキャラはぶれんかったよね。孫悟空って全般を通じて軽いでしょ。なにごとも、ま、いっか、みたいなね。その軽さ、アラレちゃんにも通じるのかな、最強の軽さ。本気で悩みがないのかもしれへん。かっこつけへん。飾らへん。見え張らへん。欲張らへん。それも自制してそうするんやなくって、ナチュラルに。強くなることにも思い悩んだりせぇへんよねぇ。あのウルトラマンでさえ悩んだと言うのに(笑wikipediaで鳥山明がインタビューに、連載中はつらかったけど、がんばって描き切ってよかった見たいな事を言ったと書いてあった。作者も悩んでいたんだ。あらら?最後のほうはおもんなくなったぞーって書こうと思って書き出したんやけど、憎みきれない孫悟空。う~ん。世界規模のヒーローなだけのことはある。なんかもう一度読みたくなってきたぞ。
March 12, 2007
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昨日本屋さんでマンガ見ていて、そういやむかしは表紙をみて面白そうな漫画を探してたのを思い出した。お小遣いで買ってる頃だから、そりゃ、気合入っていた。無駄な漫画は買えない。立ち読みして買ったとは思うけど、なかなかの眼力を持っていたと思う。(笑カールビンソンとか陸軍中野予備校とかKISSXXXXとかアップルシードとかパイナップルアーミー、バナナフィッシュ、あ~る・・・。当時週間で読んでたのはジャンプくらいだったけとおもう。スピリッツも一時期読んでたっけ。けっこういろいろ単行本を買って読んだ。でもいまや表紙を見てもピンと来ない。それどころか、デスノートとか絵で拒否してしまう。面白いのにね。ていうか立ち読みできない店多くなったし。
March 11, 2007
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昨日からずっと頭の中で久石譲のサウンドトラックがまわってますわ。オレあれ、カセットテープで持ってた。しかもダビングしたんじゃなくって、買ったんだよ。なんでレコードにしなかったんだろうな?はるかな地へ・・・鳥の人・・・↑これはCDですそれにしてもこの久石譲のサントラ、ぴったりですわよね~、奥さん。ほんとに好きで、繰り返し聞いた。お子様だったオレも、なんでサントラが二つに分かれているんだと理不尽に感じながらも、テープを買ったのでした。らん♪らんらららんらんらん♪ららららんらんらん♪ぬぉ~。また聴きたくなってきたけど、もう家にカセットデッキないよ!あんときに子供のオレが何を感じたのか、もう正確には思い出せない。ナウシカの続きを読んでしまったので感想が更新されてしまったって言うことのほかに、言葉にできなかったころの思いやからね。きちんとした形になってなかったろうし。昨日もう一度、この日記のためにナウシカの7巻を読み返してみた。アニメージュ1993年1月~1994年1月掲載とある。そのなかで、あらためて印象に残ったセリフがある。あるひとがナウシカに言った言葉やけど、「お前は破壊と慈悲の混沌だ」映画の方でもあったシーンやけど、ナウシカがトルメキア兵の横暴に耐えかねて怒りに我を忘れ、トルメキア兵を殺してしまいよるでしょ。でも、テトとかミトとかに見せるように、誰に対しても、ていうか人間だじゃなく生き物すべてに対して分け隔てなくやさい。まさに、その言葉のとおりのナウシカなんやけど、この彼女の怒りはストーリーを通して最後まで意味を持つわけなんです。そんで俺ら読者は、ナウシカが何に怒っていて、何にやさしいのか、まさに混沌としたとものの極地を見ます。最後のクライマックス。いったい誰が何と戦っているのか? それさえも二重、三重の意味が感じられて、一言でいい表すことができないんよね。何度も言いますけど、映画ってのはマンガのほうの2巻の半分くらいまでがベースになっとります。そこから、あんなことやら、こんなことやら、あんなひとやら、こんなひとやら、あんなものやら、こんなものが出てきて、もうそりゃ、映画2~3本分のエピソードがあります。それにしても、宮崎駿はとんでもない問いを読者に突きつけたのだと思う。考えてみてください、どころじゃない。考えろ! という痛烈なメッセージだと思う。ストーリーは読んでもらいたいから書かない、というスタンスでこのブログをはじめたんだけど、逆にナウシカでは、ストーリーを書くことの不可能何じゃないかと思う。だってさー。読み返しても、オレもわからないんだもん。もう、マンガをそのまま見せる以外に、シンプルなことかもしれないし、複雑なことかもしれない、いろんな要素だないまぜになっているんだもん。これはもう皆さんにぜひ一度読んでいただいて、そして皆さんに判断していただきたいっすわ。もうね、超まじめに書いちゃいますけど、ひとつは社会(人間)とは何かということ、ひとつは自然とは何かということ、ひとつは生命とは何かということ、それらがクライマックスの混乱の中で、それぞれの主張をしているように思うんです。たとえば、映画であったところ、ナウシカの序章の部分でですね、人間のエゴが招いた自然破壊と文明衰退が描かれているっしょ。腐海は自然の逆襲ともとれるし、そんな危機的状況でも戦争をやめて協力できない・・・というか危機がさらなる荒廃を招いてとるわけですよね。当時は冷戦でしたし、世界戦争の危機って言うのも今よりもずっとリアルやったよね。子供ながらにもそれは感じてたもん。あ、でも、よく巨神兵は核兵器を象徴しとるといわれてますが、原作では巨神兵はとっても重要な役割を果たすので、それは読んでのお楽しみです。それはそれとして、その、冷戦終結後、民主主義国家における戦争って、なんやと思います?1990年の湾岸戦争とか。もちろん、先にイラクがクェートに侵攻するという暴挙を行ったのを受けてですが。民主国家である以上、戦争は民意であり、市民一人一人の合意とまでは言わなくても、多数の承認をえて行われたわけですわ。これと、ファシズムとどないちゃうのか?そんなもんは結果でしかないと言うなら、ナウシカの怒りの意味は分らないかもしんない。もっと身近な例でもええです。たとえば河川工事。できるだけ自然環境に配慮してとお国もいっとるのに、いつまでたってもコンクリート固めにしてしまう工事がほとんどや。確かに水害は恐ろしいけど、もしそれをやもえないとするならナウシカの怒りは不当だとおもうかもしんないよ。これはオレの感想でしかないんやけど、人間社会も自然の一部に過ぎないという考えなんとちゃうんかな。たとえばラピュタの大木もね、オレにとっては繁栄なんか衰退なんかわからへんのですよ。だって、木に覆われた城はとても美しいじゃないですか。そして、腐海は人間にとっては恐ろしいが、そこには幾多の生命が営んでいる。自然を壊さないなら人間は人間を殺してもいいか? なんていう問いには、殺人と自然破壊は違うよ、バッカねーって言うのが普通でしょ。でも、本当にそう言ってしまっていいのだろうか?そういわずに、他に何か考え方はないのだろうか?自然とは、つーことをもっともっと考えてみろと。もっともっとみんなで話し合ってみと。もっともっと考えがあるだろうと。オレは宮崎さんがそう言っているような気がしてならないんよね。ナウシカの最後の一言を、そんな思いで今思い返している。↑セットで2,780円バラで買ったほうが1円やすいですね。
March 10, 2007
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アニメの世界的の巨匠、宮崎駿の作品。ってしっとるわな。アニメ映画「風の谷のナウシカ」の成功がスタジオジブリ誕生へとつながっていくわけですが、このナウシカにはめずらしーことに監督自ら書いた原作の漫画がある。ジブリでの作品でも原作があったりしますが、ナウシカは監督自らアニメージュっていうアニメ雑誌に連載していたんですね。もともとアニメの監督だった宮崎駿が原作漫画を書くに至ったのには色々いきさつがあったみたいで、そのへんの話wikipediaでまとめられてます。おもろいでっせ。簡単に言うと、まだジブリ創設前の話で、映画を製作した徳間書店側から映画ありきで原作をつくらないかという依頼があったいうことみたいですね。※(徳間書店と博報堂の共同制作)映画公開は1984年で、漫画の連載は1982年から行われた。原作は全部で7巻まである。映画はちょうど2巻の途中辺りまでの話がベースになっており、原作のほうは映画とはちょっと違った展開で以降も続くんです。しかも、のべ13年もかけて。中断したこともあって連載が終了したのは1994年。それは、宮崎駿本人もその間におきた冷戦終結などの歴史的な出来事に影響を受けたと認めているように、また、ジブリの作品もつくりながらということがあったにしても、ストーリの完結のために妥協しなかったと言うことの証だと思う。そして、連載が終わって、また13年がたったわけだ。まーあまりに有名なので、いまさら書くまでもないような気がしますが、じつはこないだ整理をしていたら全7巻がひょっこりでてきたんですね。あのー、ナウシカの原作って大判っていうんですか、雑誌と同じサイズなんですよ。それで分けておいてたみたいなんですけど、記憶にございませんなところから出てきた。もちろん、整理ほったらかして読んだ。そしたらですねー、時間たって読んでみると、いろいろ誤解してたなーと思ったわけですよ。それでですね、アニメは見たけど原作は読んでいないと言う人が多いと思うので、これはぜひ原作の漫画を読んでいただきたいとおもったわけですな。それに、めっちゃ思い出深いんですよね。俺自身もアニメ映画のほうを先に見た。映画館で見たかテレビで見たかはさだかじゃない。ちょうど思春期真っ盛りのころ。とにかくですな。感動したわけです。こらすごいと。こらえげつないと。どーんときたわけですよ。それで、なんで原作が出てるのを知ったのか忘れましたが、まーしょっちゅうマンガ屋さんに行ってたので棚においてあるのを見たんだろう。すぐには買えんかったんですよね。お小遣いなくて。それでオレが躊躇している隙に兄が買っちゃったんですよ。普通ならそれで読めてラッキーってとこなんやけど、えらい悔しくってね。よく覚えてますわ。20年くらい前やよね。近所の商店街からすこし横道に入ったところにあった、今は商店街の中に店を移した、あの本屋さんでしわ。しってるやろ。あそこね。そこでなんと、お小遣いをはたいて自分用に3冊まとめて買ったんよね。こんなことしたのは後にも先にもナウシカだけだよ。では、ちょっとだけあらすじを、まずですね、トルメキアのクシャナがですな、風の谷にきて、一緒にドルクと戦争せーへーん? と、誘いに来るところからはじまる。ドルクは映画には出てこなかった世界を二分するもう一つの大国。そして、その二国内の後継問題もかかわって戦争が展開していく。そこへ、巨神兵など古の技術、腐海にすむ森の人たち、腐海のいきものたちがからまってストーリがすすんでいきます。これ以上ストーリーを書かずに、どこが面白いか説明できるのだろうか?粘菌は、ミラルパは、オーマは、それを説明なしに書けるのか?というわけでつづく。お、七巻セットもでとるんですな。7巻は499円。それ以外は380円、安いですよ。
March 9, 2007
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山下和美の天才柳沢教授の生活。主人公の柳沢教授をオレは尊敬している。あんなオッサンになりたい!(笑今週もなんなく携帯メールを使って見せた。さすがコンピュータの暦明記からパソコンにかかわってきただけのことはある。現在モーニングに月一で連載中。wikipediaによると、連載開始は88年だって。その後途切れ途切れになりながら現在に至る。続きものの長い話もあるし、一話読みきりの話もある。モンゴル編はおもしろかった。あ、読みたくなってきた。後で読もう。昭和20年編がおわってからは、一話読みきりが続いている。さて、このお話。知らない人に紹介しますれば、おっそろしく理論的な思考をする経済学者、柳沢教授が主人公。64~5歳くらいの設定か?ただ終戦の時には成人してるので、もし時間をきっちり計ると80際くらいになっちゃうけど、連載開始が88年なのでそんなもんだろう。奥さんが一人、娘さんが4人という家族構成。で、このおじさん、どれくらい理論的かというと、道のあるきかたの根拠を道路交通法に求めてしまうので、道路交通法をしっかりと遵守しなくちゃならないとなる。またあいまいなことが嫌いなため、曲がるときは直角に曲がらねば気がすまない。公園で散歩するときもカクカク曲がる。だが、なぜかスーパーの売出しが好き。閉店間際にアジが安くなるのを狙ったりする。その時間に合わせて行動するんじゃなく、それをわざわざ待つんだから、その待機時間を損失と考えればとっとと買ったほうが合理的だと思うが、なにせ自分が体験することを実験と称するようなお方ですから、それでも納得らしい。スーパーに買い物に行くのも散歩に出かけるにもスーツを着たり、いつも蒼天の関羽かっ、ていうくらい背筋をしゃんと伸ばしている。基本的に、曲がったことが「できない」らしい。ただ、曲がる、曲がらないの価値判断がつねに自分の理論が基準になっているため、世間的にはタブーとされていることでも平気だったりする。このあたりがオレが一番尊敬するところだ。自分の考えで、自分の価値判断ができる。元自分の生徒の幽霊が出てきたエピソードでは、幽霊が自分の存在を証明したら、それをすんなり認めてしまった。普通なら自分の感覚がおかしいんだろうか、とか疑うところだが、そんなふうには一切考えない。存在を認めてしまうと、幽霊とコミュニケーションして、幽霊を研究し始めちゃう。理論的思考に加えて、好奇心と探究心が教授の行動を決定する。そして、それだけなんです。この人、それだけでいつも行動するんです。あるいみ非情な人です。昭和20年編でも若い頃、子供のころは理論だけで人の気持ちを考えない人として書かれています。前回の話でも指摘されたように、このお方の最大の弱点は人の心が分らないことなんですね。でも、オッサンになった今はやさしいんですよ。昭和20年編でもそのあたりのくだりが出てきます。というか昭和20年編の一番のテーマがそのあたりにあったりするんです。頭がよくってちょっと人間味が薄い青年が、人間に興味を持っていく過程とやさしさの関係が書かれております。ITの時代に、ぜひとも理論派の人や、官僚の人たちに読んでもらいたい。(笑とにかく教授は人間に興味を持ち、人間に好奇心を抱き、人間を探求することで、やさしくなってきたらしいんです。やさしいけど、人の心が分るからじゃないんですよね。共感するからとかじゃないんです。人間そのものに対する好奇心が根源にあって、あるべき社会の理想系を意思決定の基盤としてもっているんでしょうね。それに対する実践者、というかそれに対する実践でしか意思決定ができない。だけど、やさしい。教授は多分やさしくしているつもりなんてない、というだろうけど。とはいえ、やさしくない人だもんだから、身近な人、とくに奥さんは、ご苦労なさっています。いや、むしろ教授の人間くささが一番出るのが、この家族とのエピソード。お父さんと一緒に歩くの嫌といわれて涙ぐんでみたり。そして、奥さんとのエピソードはどれもまぁ、悲惨なもんです。(笑なにせ回想ではすらっとした美人なんですが、いまやぽっちゃりおばちゃん。アラレちゃんかパタリロか、いうくらい縮んでるくらいですから。>>全巻一覧はこちら
March 8, 2007
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最新は4巻「ダイヤのA」週刊のマガジンに連載している高校野球ものです。根っからの文科系のオレだが、スポーツモノは結構好きだ。ていうか、避けてとおれないほどスポーツ漫画はたくさんあるわけだが、SFみたいに無限にジャンルがあるわけじゃないので、同じスポーツの漫画がたくさんあるって言う状況になってくる。そうなってくると、どうしてもあーなんか見たことあるぞ、ってなりやすい。同じマガジンでも花形のほうは定番のオンパレードになっている。見たことあるぞ、読んだことあるぞ、っていうシーンをつなぎ合わせたんじゃないだろうか。だいたい喧嘩で試験遅れるって、どんだけ定番だ!大リーグボールは血と汗と涙の結晶だぞ、こんちくそー。あーもうついでだ。同じマガジンの名作野球漫画「巨人の星」の主人公、星飛雄馬は高校までは速球でもって抑えていくピッチャーだった。ライバルの花形たちとど根性対決して成長していく。でもってプロになってみると、体格に恵まれない飛雄馬は、球速はあっても球威がないためぽんぽん打たれてちゃうんよね。なんてこったい、ボカァもうだめぽ、なんていいつつも試行錯誤して絶対的な変化球を生み出していく、っていうのがかの有名な大リーグボールなんだ。そんなおもいをして生み出したのに、ライバルの花形満や左門豊作が非情にも打ち崩していく。でまたオイラうんち以下、なんてなりながらまた苦労して次の変化球を開発する、といういたちごっこ、うぉい! 切磋琢磨のど根性ガエルだ、てやんでぇ。まー、オリジナリティあふれると言うか、他に追随を許さない、こゆいキャラたちが目白押しなのが、巨人の星だ。で、その一人の名をかりて書いてるのに、なんじゃありゃー!と、いうような漫画ができやすいのが、圧倒的に作品の多い野球漫画だと思う。そんな激戦区にあえて名乗りを上げるのだから、なーんか新しいアイデアがあるんだろうと、読むほうも自然ときびしー要求をしちゃうよね。たとえば水島新司大先生のあの高校野球漫画群もキャラの宝庫ですよね。成功する野球漫画はかならずこゆいキャラの宝庫である!といってもいいんじゃなかろうか。さて、それはさておき、ダイヤのA。田舎の中学校から野球の名門高校に推薦ではいってきた、ルフィ系の天然キャラ沢村栄純くんが仲間たちと切磋琢磨してレギュラー目指すというおはなし。名門高校でレギュラーを獲るといえばドカベンを思い出す。でもドカベンは自分でがんばって自分の知恵で勝ち取っていくんだけど、この沢村君はみんなに助けられまくりなかんじ。スラムダンクの桜木くんみたいかといえば、もっと熱血っぽい。しかも人の中心になっていく性格がだんだんはっきりしてきているし、最初思ったよりもオリジナリティのあるキャラになってきた。最初はそれほど期待していなかった、というかステロタイプの予感がしたんだけど、話を重ねるごとにだんだんとキャラが立ってきて、面白くなってきている。エピソードを重ねながら脇役たちもだんだんとキャラが立ってきている。じっさいの人間関係でも、人のことが分っていく過程ってこんな感じだと思う。山田君にしろ桜木くんにしろ、レギュラーを勝ち取ったというよりも最初からレギュラーの力があったり、メンバーが不足していたり、そのポジションを勝ち取ったって言う感じは少ない。でも沢村くんのばあいはほかにも有力な選手がたくさんいて、うかうかしていると主力にもなれない、という設定がリアルにしっかりしている。すこし練習したりヒントもらったりしたくらいでぱっと開花してエースになっちゃう、なんてならないあたり、高校野球漫画としても目新しいかも。だいたい少年漫画では主人公の学校は弱小だと相場が決まっているんか。あんまり好きじゃなかったので詳しく知らないんだけど、名門!第三野球部とかね。ジャンプのルーキーズとかね、キャプテンとか、なんかこう、エリート集団に立ち向かっていく、見たいな構図があるでしょ。そのあたりもね、このダイアのAの確か最初のほうで、名門校の競争の厳しさに立ち向かっていく子供らを肯定するような意見がはっきり書かれているし、あえて難しいところを描きにいっていてるみたい。そいういうチーム内の人間関係みたいなところも、それぞれのキャラの個性を立てつつ進行している。なんかそれぞれの人物が最初に登場したときはどうもありきたりに思えてしまうんだけど、話がすすむうちにだんだんと個性が見えてくる。気がつくと他の漫画で比べられるキャラがぽっと思いつかないような個性あるキャラになっていたりする。ストーリーとともにキャラも成長している、っていうか人間味がはっきりしてくるのは計算なのかな?今後、他校にどんなキャラが出てくるかが楽しみだ。
March 7, 2007
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今度の話でロードスターのウィングが壊れたけど、それに比べても、しかし、タフな車だな、トレノ。ほへー。もう1巻が出て10年かぁ。最近はセンターラインに出っ張りを埋め込まれたり、マフラーも車検の規制強化したりするみたいやけど、峠は今もにぎやかなんかな?お、しげの秀一って、バリバリ伝説の作者なんだぁ。そうやったんかぁ。グンマとタモツな。何人たりとも俺の前は走らせねぇ!ん? それはFか。10年以上前だけど、オレの知り合いがアメリカ使用の2ドアだけどトランクがある左ハンドルの86を乗っていた。ありゃしぶかった。あの時すでに10ねんオチくらいだったはず。86っていつの車だ?←こんなんあった。これ86。なになに、1983~87年か。87年に駆動方式をFFに変えたAE92。そっか。連載が始まったときはまだ10年オチで買えたんだ。そのころのトレノはAE111っていうやつで、結局それが最後のトレノになってしまった。現在トレノって言う名前の車はもうない。←これが111のトレノ。ちゃんとプラモデルある。ついでに、これが初代トレノ。これ、3400円もする^^;そういえばあのころ、トヨタからでFRが出るってうわさが何度も出たけど、結局アルテッツァだったんだよね。まー、オレも結構車好きだし、連載当初から注目していた。ちょうどあのころ職場にマガジンが転がっていたころで、FF好きのオレとしてはいつもFFが出てくると応援していた。シビックかインプレッサくらいしか出てきてないんちゃうかなー。プジョーとか出してほしいなぁ。一度でも車を思いっきり走らせたことある人なら分ると思うけど、限界(車の性能でも、自分の運転能力でも)に近づいていくって事は、死に近づいていくってことなんですよね。大げさなって思うかもしれないけど、一つ間違えたら死んでいたとか、奇跡的に助かったとか、そんな話をいくつも聞いたことがある。たとえば、たまたま山がちょっと崩れて、コーナーの死角になっているところに砂が巻き散らかっていたら、それでスピンするかもしれない。ちょっと間違えてアンダーを出して突っ込んだ先ががけっぷちかもしれない。曲がりそこねて横転したり、そんな速度が出てなくてもこけるときはこける。(拓海くんみたいな人はべつだけど)わけのわからない闘争本能みたいなものが、なーんで車って機械に向かっていくんのはなんか気持ち悪いような気もするけど、やっぱり生身の人間じゃありえない速度で移動できる。道具を使うことによってだけど、まったく感覚の世界。頭文字Dの主人公、拓海くんは車に自分の神経が通っているかのごとく感じ、コントロールする。あんなふうに車のことが分ればなー、なーんて思いながらも、その超人的能力の描写に読んでいるほうまでわくわくしてきちゃうんだよね。まー、ストリーなんておまけみたいなもんだな。(笑誰とどう対決して、拓海君がどう成長していくかなんて、どうでもいい。恋愛話とか絶対上手くいかないし。だから、ときどき10ページくらいしかなかったり、しかも走行シーンだけでせりふが一切なかったり、どんどんお休みしちゃうと、臨場感が切れ切れでわかんねー。結局まとめ読みしなくっちゃなんないので、ある意味、単行本化が絶対必要なめずらしいマンガだ。(笑い
March 6, 2007
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作者は、朔ユキ蔵。ずっと男だと思ってた。女なんですね。なまえというかですね、前作の「つゆダク」ですよ「つゆダク」。あの笑えるエッチさ加減、ありゃー思春期の男の子の発想ですよ。(笑ていうか、ああいうエッチさは男だけのもんだと思っていたのが間違いだったのかな。みんなエッチなんだ。そーだ。そーだ。ま、そりゃともかく、こんどのは一転、まじめな話です。主人公は女子学校の先生。まー「つゆダク」のノリだと生徒と・・・、と思いたくなるのだけど、先生同士の恋愛が展開していく。いや、最初は結構流して読んでたんですよね。わりと普通の恋愛話かなぁと。けどね、ここに来てはまってきた。離れようとしても離なれられない、とういかむしろ、離れたくないことを認識できない、もしくは認めたくない、という人の心のふか~い描写がね、結構ながい時間をかけて変化していく、そのじっくり具合にだんだんたまらなくはまってきた。原多香子先生32歳独身、あだ名はタカコサマ。と、小津晃太朗先生25歳、遠距離恋愛の婚約者あり、のお話。この設定が実にリアルに作用していて、たまらんチンです。マリッジブルーのっていうんですか。ブルーまで行かなくても、結局結婚という決断に、なにか決定的な裏づけがある人なんてそうないと思う。ていうか、そのために十分な決定材料なんてもてないだろうし、ない中でお互いに決定していく。結婚って言うのがなにか方程式の解のように出来るのなら、不倫したり離婚したりってことにはならないんだろうけど、そうじゃないよね。いままで過小評価してきたことが、何かの弾みでぽんととても大切なこと、それいじょうになくてはならないものに思えてきたりすることがある。そのために今まで大切だと思っていたことが、ぜんぜん大したことじゃないような気がしてくることがある。それを乗り越えていけば乗り越えていったで、また新たな段階へとすすんでいくんだけど、そのときはそんなことなんて分らない。むしろその大切なものが手に出来なくなってしまうことこそ、人生の一大損失だなんて思い込んじゃったりするんよね。そういうビミョーな心理描写を、男女両側から描かれているんですよね。しかもどちらかに特にウエイトが置かれているってわけじゃない。このへん、オレからしてみれば、よく異性のことをうまくかけるもんだなと感心してしまう。リアルなんですよねぇ。こりゃなかなかどちらのサイドからも描いていくってのは、とくに少年・青年むけマンガでは、普通は一人の主人公がおりますんで、珍しいと思うんですよね。大抵どちらかはサブになりますからね。さー、今週、あんなことになっちゃいましたね。来週、どきどきですよ。
March 5, 2007
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