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2010.05.31
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カテゴリ: 飛鳥里山クラブ
自転車でお買い物に行くついでに白鳥陵に寄ってきました。日本武尊(ヤマトタケル)の墓と伝えられている古墳です。

古事記や日本書紀にはヤマトタケルのことが記されています。父は景行天皇、息子は仲哀天皇。父の命で東国征伐に行くも、国に戻る途中で亡くなり、その魂は白鳥となって故郷に戻ったというお話です。ヤマトタケルの陵はこの軽里のほかに絶命した三重県の能褒野、白鳥が休んだとされる奈良県の琴弾原にもあります。三重の名はヤマトタケルが「足が三重に曲がるほどに疲れた」と言ったことに由来するとも言われています。羽曳野の名も羽を曳くように飛び去った白鳥から来ているそうです。

日本武尊白鳥陵
税金を投じて周辺の道が整備されいます。古墳の濠に沿った北側はお散歩によいです。白鳥陵拝所のとなりは民家。というか民家の並ぶ中に突然あるというかんじでした。
日本武尊白鳥陵
お濠に亀はつきものなのか…

私がヤマトタケルの伝説を初めて読んだのは手塚治虫の「火の鳥・ヤマト編」でした。中学生の頃だったと思います。その後、大学で梅原猛さんの講義を選択したときにも授業で白鳥伝説について聴きました。西洋と日本の古代文化を比較するような内容でしたが、梅原猛さんの説は日本の古代文化やアニミズムが西洋のものに比べて圧倒的にすぐれているという内容でした。当時は信じられませんでした。そのころ執筆されていたのが戯曲「ヤマトタケル」です。後に市川猿之助がスーパー歌舞伎として演じた古典歌舞伎の常識をやぶる作品でした。梅原猛さんはギリシャ悲劇、シェイクスピア悲劇、モリエール喜劇、能、狂言、新派などあらゆる舞台芸術の長所短所などを比較しながら、ヤマトタケルを書いている、楽しみしてください、といつも言われいました。そんな思いを抱きつつ初演ヤマトタケルを京都南座に観に行ったのでした。舞台芸術は朝倉摂。衣装は毛利臣男。あまりにも強烈な印象でこれこそが日本の芸術だって感動したことを今でも覚えています。

そんな私が今、羽曳野に住んでいるのも何かの縁なのかもしれません。





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Last updated  2010.06.02 09:41:10
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