耳をすまして

耳をすまして

Peru(1)

Peru(1)


南アメリカ

Apr 30, 2001

5 a.m. フロリダからLima空港へ到着。
感動のペルー到着は明け方で薄暗く、湿気があった。
大学の知人Juanのお母さんの家に泊めていただくことになっているため、
タクシーで向かう。
ペルーに来て最初の交通機関。
間違いなくぼったくりだろうと思ったけれど、$25払う羽目に。
しかもドライバーはかなり年のいったおじいちゃん。
私の心配をよそに、飛ばす飛ばす!!
ペルーの交通事情おそろしや。。。
メキシコよりすごいと思う。
空港をでて、初めてウィンカーを使ったのが25分後。 ((注)もちろんそれまでも曲がってます。)
車線なんてあって無いようなもの。

無事目的地に到着。Juanのお母さんの家は大きかった。
3階建て。1フロアに9部屋くらいある。目の前は海。
ここに一人で住んでいるんだからすごい。
朝早くからお邪魔する私を笑顔で迎えてくれる。英語も流暢。
ペルーでは中流階級でメイドさんがいるのは普通らしく、
この家にも笑顔の素敵ななんだか憎めないおばちゃんメイドさんがいた。

一眠りしたあと、これからのペルー旅に向けて
バスチケットとMate de Cocaを買いに☆
高山病にはコカ茶が効くらしい。
しかし翌日がLabor dayにあたるものだから、バスセンターはお休み。
帰り道、Limaの中でも高台になっているところに連れて行ってくれた。
そこから見るLimaは悲しかった。裕福な人の家のすぐ隣に、
貧しい人の暮らす家(というか小屋)が並んでいる。
人の表情が悲しく見えてしまうのは、私の色眼鏡のせいかな。

夜、Juanの兄弟と友達が映画に誘ってくれた。
けど、、、何を見たか覚えていないほど、私は眠かった。。。
旅の疲れですね。

ペルーでは政治、経済すべてが悪い状況。
MasterやPh.Dを持っている人でさえも仕事がない。
だからみんなタクシードライバーになるしかないという。
一つ職業をもって、その空いた時間でタクシードライバーをやるひとも かなりいるらしい。



May 1, 2001

今度こそ、チケットを買いにバスターミナルへ。
その後、別の友人の実家へお邪魔することに。
Juanのお母さんの家でも十分広いと思っていた私に、
貧富の差というものをことごとく見せ付けてくれる家に行くこととなった。
とにかくでかいお屋敷。
お金持ちしか住めない住宅街らしく、入り口にはセキュリティゲートと警備員が。
昨日みた貧しい地域とのギャップが激しすぎて、複雑な心境。

5p.m.
バスにのっていざ、Arequipaへ。
Lima-Arequipaのバスはs/65($18)。なんと、食事つき。
そして、やっと飲めました☆INCA COLA。
日本のメローイエローといったところかな。



May 2, 2001

16時間のバス旅後、Arequipaへ到着。7:30a.m.
バスで隣に座った女性と仲良くなる。
バスターミナルで、恒例のタクシー勧誘に困り果てていた私を
セントロまで送ってくれた。
まだ旅のはじめで警戒心が強かった私に、特にお金を請求するでもなく
本当に気持ちよく笑顔で送ってくれた。
感謝☆

さてさて、まずはArequipaでの拠点を見つけなくちゃ。
地球の歩き方を参考に最初に行ってみた激安Hostelは
超暗い。。。窓もなにもなく牢獄感ただよう部屋に
笑顔でお断り。
2つ目に訪れたのはHostel Regis。
入り口がわかりにくかったけれど、入ってみたらさっきのとことは
比べ物にならないくらい明るいし、管理人さん英語話せます!Yeah!
料金も$5だし、ひとまずここに決定☆
次の目的地Puno行きの電車は2日後に出発。
それまでCanyon de Colcaへ行くことに。
急遽ということで、ツアーを予約。
$20でホテル、朝食つき。
いざ、コンドルに会いに♪
ツアーの予約をした小さな旅行会社のおじいちゃんがまた、いい人だった。
彼は英語をしゃべれるんだけど、
私がスペイン語を勉強中だというと、「じゃあ英語はなるべく使うな。
スペイン語で話した方が何倍も旅が楽しくなるぞ!」と
いって旅のスペイン語を教えてくれた。

ツアー予約後、サンタ・カタリナ修道院へ。(入場料s/45)
そこで日本人の女性に出会う。彼女も一人旅。かなり旅なれた方。
彼女から重大ニュースを聞く。
なんと、ボリビアが今ストライキで入国が難しいかもとのこと。
ガーん、、、、当初の予定ではペルーとボリビアへ行く予定だったから、 これは計画変更だわ。

Arequipaの街をうろうろ。
タクシーがめちゃ安い。
ちょっと駅へいくとか、大体s/2。インターネットカフェは30分s/1.5だった。
カテドラルの前に座っていたら絵を売る兄弟が。
憎めない笑顔でしゃべりかけてくるもんだから、
ついついかいそうになる。
おしゃべりが楽しかったから、じゃあ、金曜日に買うね!と約束☆
また会えるのが楽しみだ。
なんだかスペイン語がしゃべれている気がする!
ペルーを一人で旅するときは人を信じるなというけれど、いまのところ その心配はなし。



May 3, 2001

8:30a.m.発 Canon del Clocaへ。
途中標高4800mのところがあるらしく、高山病が心配。
ツアー客は全部で12人。スイス、ドイツ、イギリス、ニュージーランド、現地ペルー人など出身も様々。
ガイドのウガールは英語上手で人懐っこい笑顔が素敵な人。
大自然の中をリャマやアルパカが通り過ぎていく。
高山病対策にコカの葉とアメを終始口にしていたせいか、
今日は頭痛もない。
明日は標高4800mの場所を通る。徐々に慣らしていくのがいいらしい。
夕方Chivayの街へ到着。ペルーで温泉に入るとは。(s/5)
レンタルの水着を着て、絶景に囲まれての温泉は最高♪
昼食、夕食ともにs/15。
フォルクローレにのって踊ったりおしゃべりしたりの楽しい夜でした。



May 4, 2001

Chivayでの朝。コンドルを見に行くために5a.m.起き。
Canon del Colcaへ。トイレに行きたくなった私。
みんなどうしてるんだろうとおもいつつ、ガイドのウガールへ聞いてみる。
すると、笑顔で「Bano ecologica!」だって。
エコロジートイレ。つまり、その辺で。
というわけで、ツアー客が結構いる中、人がいない適したところを探してうろうろ。
ここならいいだろうと、座り込んで用を足す。。。。
と、そこに「もお~~」という低い声。
振り返ればそこには牛の大群。
なんて素敵なトイレタイム。気分爽快です(^^;



May 5, 2001

Punoへ向かうために、8:00a.m.発の電車に乗る。
駅で昨日Canon del Colcaであった夫婦に再会。
アジア人に見えた男性はインドネシア生まれのオランダ人。
Henkと奥さんのAngelina。
Punoまでに電車旅をご一緒させていただく。
迷ったあげく、決めたTurismo Incaは超豪華客席。
NHKの「世界の車窓から」な雰囲気たっぷりな電車旅がスタート。
車中、同じく一人旅中のオランダ人女性(26)Jolandaも仲間になり、4人での 旅となる。
Jolandaは英語、スペイン語を流暢に使いこなす。

4人での旅とはいえ、3人とも旅なれた人達で、
おしゃべりが終われば本を読んだり外をみてぼーっとしたり、
気を使うことなく快適な時間が過ぎていく。

電車からの景色は本に出てくる世界のようだった。
雲の白、といってもただのwhiteではなく、ミスティ山の雪の輝く白や雲の綿菓子みたいな白。
空の青。
山の緑。
岩のなんともいえない力強い色。
ずっとみていたら、わけもなくなきたくなるような景色達が目の前を 贅沢に通過していく。
Jolanda達のおかげでホテルを一人探し迷わずにすんだ。
Punoの街はArequipaやLimaとはちがい、道は狭いしなんだか汚い。
でも、別にそれで嫌いになるような街でもない。

Punoの夜は寒かった。
ここが標高3850Mということを考えると当たり前だけど。
夕食を、一番にぎやかなIndependencia streetへ。
偶然みつけたレストランはとても感じがよく、安く、なによりおいしい。
Punoは陶器がとてもかわいい。
Jolandaは豚肉をたべない。HenkとAngelinaは肉を一切食べない。
健康を考えてのことだという。
食べることへの意識が高い人たちだと感じた。


tra3
このHostelにはこの後すんごくお世話になることとなる・・・


May 6, 2001

4人でツアーへ参加。 午前中はトトロと呼ばれる葦科の植物を積み重ねて作った浮島、ウロス島へ。
Punoの港からモーターボートで40分ほど。

感想は、、、非常に複雑。
というのも、あそこまでその土地の文化が観光のために使われているのを見たことが無い。
Angelinaがいっていた、「floating market for tourist」という言葉が妙にはまる。
学校があった。毎日Punoから先生が来て教えているとのこと。でも本当だろうか。
本当にこの島にすんでいるんだろうか。

午後は、sillustani遺跡へ。
行く前は特に遺跡に興味はなかったのだけど、行ってびっくり。
インカ帝国時代のお墓なんだけど、建物がインカ特有のかみそり一枚 通さないという建造物。
そしてなんといってもよかったのが、チチカカ湖とは接する部分がないというウマヨ湖。
この湖、私は非常に気に入りました。
とにかく静かで広く深いイメージ。
題名を付けるとしたら「母なる湖」という感じかな。

ウマヨ湖からPunoへ帰るバスからみた風景を私は今でも思い出す。
ちょうど日没で、痛いくらいにきれいにかがやく夕日が目の前にあった。
景色に感動して涙があふれた。

tra2
sillustani遺跡。ここからの帰り道に見たすばらしい日没は
一生忘れません。


夜、Trusha(マス)料理を食べにいく。
ペルーのお酒、ピスコサワーがとってもおいしいらしい。
お酒好きな私としては、非常に心惹かれる。
高地にもなれてきたようだし、一口くらいなら、 高山病も大丈夫なのでは?と油断し、
本当に一口ピスコサワーを飲む。 うまい!

しかーーーーし!この一口が私に地獄をもたらすこととなる。

飲んで30分くらいして、気分が悪くなる。
おいしい料理を食べているはずなのに、吐き気が。
3人に断って一人で先にHostelへ戻る。
朝までずっと寒気と頭痛とだるさ、そして嘔吐。
2時間おきくらいにとてつもない吐き気。
水を飲んでも吐いてしまう。
乗り物よいも普段しない私。
意識ももうろうとしてきて、これはやばい。。。死ぬかも。。。。 と弱気になる。



May 7, 2001

朝、限界を迎え、Jolandaを起こしてホステルの人に来てもらう。
医者は8a.m.にならないと開かないらしく、しかもべらぼうに高いだけ。
同じ薬を薬局で買ってきてあげるから、薬と特別なお茶(マテ茶よりさらに高山病に効くらしい。
レモン入りのピンク色のお茶)を飲みなさいという。
※もちろんJolandaの通訳です。
この吐き気がなくなるならもうなんでもいい!!!という私は
ただうんうんとうなずくだけだったはず。。。(あまり記憶が無い)
旅なれたJolandaが高山病にきくというトローチをくれ、
彼女のやっているヒーリングをやってくれた。
彼女いわく、自然のあらゆるものからパワーを得ることができ、
その力を使って痛みを弱めることができるらしい。

一人旅だとかいって、浮かれていた私。
結局自分ひとりでは何もできない自分が情けなくて涙が出る。
もうろうとした意識のままベッドで1日を過ごす。
今までのいろんなことが浮かんでくる。

ホステルの人が買ってきてくれた薬は本当によく効いた。
何度も様子を見に来てくれ、お茶を入れてくれる。
病院関係のスペイン語なんてなにもわからない私と、英語をしゃべらないホステルの夫婦とのやりとり。

吐き気がおさまると今度は下痢。
水分を補給しなきゃとは思うのだけど、吐きすぎて
水やお茶を飲むだけでお腹に激痛が走る。
夜、Hostelに帰ってきたJolandaが水とミネラルをとるための粉をくれる。
Hostelの人がアスパラガスのスープを作ってくれる。
部屋の電気はまぶしすぎるだろうと、スタンドライトをわざわざ持ってきてくれる。
何もかもが涙がでた。
情けなかった。
ありがたかった。
くるしかった。
うれしかった。

夜、Jolanda, Henk, Angelinaが部屋にやってくる。
私の様子が落ち着いてきたので、明日朝クスコに向けて発つらしい。
「迷惑をかけて本当にごめん」とあやまったら
「私達も前に旅に出たとき、いろんな人に助けてもらった。これはそのpay backだよ。あなたが私でも同じことをするはず。」
そいうってくれた。
また涙がでちゃうよ。ありがとう。
偶然であっただけの人たちなのに、こんなに助けてもらうなんて。
本当に感謝☆
また、会えることを祈って、3人にひとまず別れを告げる。



May 8, 2001

今日も一日動けない。Punoに2日寝たきりになってしまった。
けれどこの経験から得たものは大きい。
ボリビアにはやっぱり行けなくなってしまったけれど、
生きている限りまた次の機会がある。
今は身体の回復を第一に考えよう。

夜、やっとすこし動けるようになる。
国際電話をかけれる電話ボックスへ。
久々に日本に電話をし、なぜかまた涙がでた。



May 9, 2001

7:30a.m. Cuscoへのバスに乗る。
お世話になったHostelのsenorにせめてものお礼をと思い、
感謝の気持ちを込めてスペイン語の手紙とお金を少し。
そして持ち歩いていた千代紙で鶴を折って渡した。
本当にお世話になりました☆

バス旅はなかなか快適。
おもしろいオーストラリア人Brianと知り合いになる。
クスコについたのは3:30p.m. すこし雨がぱらついている。
バスターミナルを出るとまたもや「Taxi? Hotel?」の勧誘の嵐。
またもどうしようと決めかねて弱っていた私のところへ Brianが声をかけて一緒に借りていたワゴンに乗せてくれた。

Brianは予約していたホテルで降り、ここからはこの運転手が 安いホテルを案内してくれるからといってくれた。
運転手の名前はAdrian。

メールでAngelinaが教えてくれたホテルへ行ってみると そこは1泊$25。私にとっては高い。
そしてとても清潔でかわいい外装のせいか、欧米人がいっぱいで 満室。
聞いてみるとAngelinaとHenl、Jolandaみんなここに泊まっている模様。
今は外出中とのことで、伝言を頼んで別の宿を探す。

ここまで来ただけでなぜかAdrianにs/10もぼったくられる。(普通はs/2のはず!)
連れて行かれた宿はs/10。でもなんか、いまいち。

さらに別の宿へ。ここはなぜかツインルームに通され、$15。
一日何も食べていない&病み上がりの身体でくたくたになっていた私は ひとまず今晩はここに泊まることに。
ちょっと昼寝をして、4日ぶりくらいのお風呂(^^;

まだ高山病のなごりで胃腸の具合が本調子じゃない。
地球の歩き方にのっていたCuscoの日本料理屋「KinTaro」に行ってみる。
久しぶりにうどんを食べる。(s/11)
こういうときは、やっぱり日本食が一番☆
店員さんはインディヘナの女性2人だったけど、
接客がなんだかとても日本的。料理しているのは日本人の女性。
非常においしかったです。

宿へ戻って少し休憩するつもりが朝まで爆睡。
12時間ほど寝てしまいました。


Peru(2)へ進む

旅トップへ戻る

Homeへ戻る




© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: