てるりん天使の歌
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佐藤春夫の有名な詩ですな。佐藤春夫の詩はものすごい好きで、いろいろ暗唱したりもしました。ただ、この詩だけはいい詩だけどあまり意味がわからなかった。面白いので解説しておきましょう。 佐藤春夫は、文豪谷崎潤一郎と友人でした。谷崎ってのは、耽美派と言われるくらい、ネジが吹っ飛んだ人です。春琴抄や刺青などを書いた人ですねぇ。で、この人の奥さんが谷崎千代さん。良妻賢母の典型な人です。とはいえ、完璧な女性じゃ谷崎は物足りない。なんと千代さんの妹さんと結婚しようと動き始めます。千代さんは悩み、離婚したばかりの佐藤春夫に相談します。相談するうちに、佐藤春夫は千代さんに恋をする。千代さんも佐藤春夫が好きになります。で、谷崎もそれに気づき、佐藤春夫に、千代さんを譲ってやる、と言う訳ですな。まー、自分の奥さんをあげるってのもすごい話です。佐藤春夫は狂喜乱舞します。しかし、話はそこまで。谷崎は千代さんの妹とうまく行かなくなったので、約束を反古にします。佐藤春夫は激怒。谷崎潤一郎と絶交して、神経症、ま、今で言ううつ病になってしまったわけでして。郷里に引っ越します。そのときに詠んだ歌が、かの有名な秋刀魚の歌。載せておきましょう。 あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ ー 男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて 思いにふける と。 さんま、さんま、 そが上に青き蜜柑の酸をしたたらせて さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。 そのならひをあやしみなつかしみて女は いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。 あはれ、人に捨てられんとする人妻と 妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、 愛うすき父を持ちし女の児は 小さき箸をあやつりなやみつつ 父ならぬ男にさんまの腸をくれむと言ふにあらずや。 あはれ 秋風よ 汝(なれ)こそは見つらめ 世のつねならぬかの団欒(まどい)を。 いかに 秋風よ いとせめて 証(あかし)せよ かの一ときの団欒ゆめに非ずと。 あはれ 秋風よ 情(こころ)あらば伝えてよ、 夫を失はざりし妻と 父を失はざりし幼児とに伝えてよ ー 男ありて 今日の夕餉に ひとり さんまを食ひて、 涙をながす、と。 さんま、さんま、 さんま苦いか塩っぱいか。 そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。 あはれ げにそは問はまほしくをかし。 というわけで現代語訳に解釈。『切ないねぇ…。秋に吹く風さんよ。あんたにもし心があるならば伝えてくれねぇか。 男がいてよ。今日の夕食に一人秋刀魚を食べながら思いにふけっているとよ さんま さんまそのうえに青い蜜柑の酸っぱい汁をかけてさんまを食べるのがその男の故郷のならわしよ。そのならわしを不思議に思って、それでも面白がった女はなんどか青い蜜柑をもいで夕食を共にした哀れだなぁ、夫に捨てられようとしている人妻と妻にあざむかれた男とが食卓に向かえばさ愛情薄い父親をもった小さな女の子は小さな箸をどうにかこうにかこねくりまわして父ではない男にさんまのはらわたをあげると言っているよ…悲しいねぇ…。秋風よお前だけは見ていただろ。世間では普通あり得ないあの団欒を。どうだろう秋風さんよせめて、せめてよ…。証としてくれねぇか。あの団欒が夢ではないことをさ…。ぐふっ…。うぅぅぅ…。秋風よ…。お前に情けがあるならさ伝えてくれねぇか。夫を失った妻と父を失った幼子に男がいてよ今日の夕飯にひとりさんまをたべて涙を流してるって…。さんま、さんまさんまは苦いのかな、しょっぱいのかなぁ…。さんまのうえに熱い涙をしたたらせてさんまを食べるのはどこの里のならいだよ…。悲しいなぁ…。ほんとにみっともねぇ話だよな』 訳してみるとすげぇ切ないねぇ…。とはいえ、これを文壇で発表するってある意味すごいと思う…。俺は人妻に横恋慕していて、かつ谷崎潤一郎はすでに奥さんの愛を失っている。俺って情けねぇ男だよなぁと歌ってるわけだから…。こりゃすごいなぁ。 ちなみにこのあと佐藤春夫は別の女性と再婚するが、すぐに離婚。千代が忘れられなかったらしい。で、またしても谷崎は別の女に熱を上げ、とうとう佐藤春夫に妻を譲るわけですなぁ…。ま、まだ家長制度があったとはいえ、すげぇ話だと思う。ちなみに、佐藤春夫が千代を娶ったのは、昭和五年。すごい時代だと思う。俺もたいがい情けないことはしたけど…。佐藤春夫には遠く及ばないねぇ…。面白いですな。テルテル心の一句『俺なんて まだまだノーマル ちと安心』
2009.11.02
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