わたしは価値を創る

わたしは価値を創る

July 3, 2004
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カテゴリ: 映画の話
唐突ながら、高校生の頃、私にとってのヒーローは、野口英世とビトー・コルレオーネだった。変な取り合わせであるが。

野口英世というのは、殆ど誇大妄想的な明治の男だと思っていた。そのスケールの大きさと偏屈さが好きだった。
とにかく自分の野望というか、コンプレックスを埋めることに忠実で、そのためにかけるエネルギーが凄まじい。
「人類愛」というはったりとも本気ともつかないことに殉じるラストも皮肉でいい。

逆にビトー・コルレオーネは、自分を犠牲にする禁欲的な人生の象徴だった。
イタリア移民が、家族や仲間を守るためには、カネや権力や暴力を利用し、時には殺人も犯さなければならなかった。そのため、息子の代になると、家族を守るために、当の家族まで排除しなければならなくなってしまう。あの映画では、そういう逆説を描いていた。
しかし、当のビトーはいたって幸せに人生をまっとうする。
原作では「人生は、こんなに美しいものなのか」とかまで言うらしい。映画ではトマト畑で孫と遊びながら死んでしまうのだが。。

彼は、マフィアのボスでありながら、息子の女遊びに怒り、娘の結婚を祝福し、息子の死には慟哭し、最後に跡をついだ息子(三男)に言う。



なんと、かっこいい男なんだろう。
確かに、映画では、そんな生き方の愚かさや矛盾をテーマにしていた。それでも自分の決めたルールと信念をそこまで貫き通す生き方はやはり素晴らしい。
私自身は、ふらふらと迷ってばかりいるので、余計、あこがれるわけである。
(表題の台詞は、息子に向かって、遺言のように人生を述懐するシーンのものである。私がこの映画の中で最も好きなシーンである)

マーロン・ブランドは、幸せに死んでいったのだろうか。。。

『ゴッド・ファーザー』1970年
監督:フランシス・フォード・コッポラ
マリオ・プーゾの同名のベストセラー小説をパラマウント社が映画化した。原作者自身が脚本化に加わり「原作よりもリアルだ」と言われる脚本を作り上げた。プロデューサーは、スタッフ、キャストともにイタリア系を徹底して起用、特にまだ無名だったフランシス・フォード・コッポラに監督を任せたことが大きな成功の要因となった。
しかしなんと言っても、この映画の成功は、マフィアのビッグボス、ドン・コルレオーネを演じたマーロン・ブランドの存在によるところが大きいだろう。
当初、パラマウント社の幹部連は、金髪のマーロン・ブランドの起用に懐疑的だったと言われる。コッポラは、早朝、わざわざブランドの家に赴き、そのことを伝えた。するとひねくれ者のブランドは、その場で髪に靴墨を塗り、頬に綿をつめて、しわがれ声のビトー・コルネオーネを完璧に演じ始めたという。
大スターでありながら、その偏狭な性格ゆえか、ヒット作に恵まれなかったマーロン・ブランドであるが、この映画では、満を持していたかのような一世一代の名演技を見せた。

おかげで、本来の主人公であったアル・パチーノの存在が霞んでしまい、作品そのものを自分の色に染めてしまったのだが、そんなことはどうでもいいぐらいに素晴らしい演技であった。
映画の歴史の中でも、これほどの演技を見せた俳優はいないだろう。私は個人的にだが、そう感じる。

『ゴッド・ファーザーPART2』では、マーロン・ブランドが気まぐれを起こして主役を降りてしまったため、代役で、まだ無名だったロバート・デ・ニーロが若い日のビトー・コルネオーネを演じた。禁欲さに特化した演技は、それはそれで、かっこよかった。





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Last updated  July 7, 2004 01:13:44 PM
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