わたしは価値を創る

わたしは価値を創る

November 27, 2004
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篠田さんの薦めで「蒼天航路」という漫画を読む。「三国志」を題材にしたものだ。

単にストーリーを追うのではなく、王と軍師の関係であるとか、王と民の関係であるとか、哲学的な記述が多くみられる。従来目立たないキャラクターにスポットをあてているのも特徴である。

私が初めて三国志に触れたのは、高校の頃、吉川栄治の本を読んでからである。長かったが、これは面白かった!

ただその頃から疑問に思っていたのが、なんで主人公が劉備玄徳なんだろうということだ。曹操、孔明という恐ろしく有能で魅力的なキャラクターがいる中で、なんで劉備なんだ?
関羽や張飛などという英雄が兄と従い、中華民族の誇りといわれる諸葛亮孔明が生涯を捧げる程の人物にはとても描かれていなかった。劉備よりも呂布の方が魅力があるぞ。

この漫画ではそこに「器」という概念を持ち込んでいる。
つまり、なんのとりえもない劉備玄徳に、英雄たちは底知れない「器」を観たというのである。

ただしこれは、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」の焼き直しの感がしなくもない。この小説では、力みなぎる項羽を光星とすれば、ブラックホールのような存在として劉邦を描いており明確であった。有能な士が次々と弱い劉邦の元にあつまり、遂には天下の英雄:項羽を打ち負かしてしまうのである。

「力は山を抜き、気は世を覆う。時、利有らずして、騅行かず。騅行かざるを如何せん。虞や虞や汝を如何せん」(私には天下を担う力があるのだが、天がそれを許さなかった…という意。騅は愛馬、虞は妃の名)

この漫画では意図的に、劉備玄徳を劉邦に似せて描いている。戦に負けて逃げる時、子を車から投げ落とすところは、劉邦のエピソードである。

私は、先ごろ、劉備玄徳の能力は「ビジョン構築力」にあるのではないかと解釈した。
関羽、張飛はもとより、諸葛亮孔明といえども、「民衆のための国をつくる」という理念を大真面目に語り、それを実行すようとする思いはなかった。
彼らは、自分のあふれる才能を活かす道を、劉備の語るビジョンに見たのではないだろうかと。
劉備の語る理念が本気であった証拠が、後世がこの三国志という壮大な物語の主人公に(大きな理想を抱きながら、力及ばず、歴史の中に消えてしまった)彼を選んだことが示しているのではないだろうか。

王と軍師の差は、やはり責任の取り方である。
軍師は、ビジョンに至る道を具体的に示す。ただ、それをまとめあげ、実行し、結果に責任を持つのは王でしかない。

それだけではない。王には、民衆も兵も将も歴史さえも負わなければならない責任がある。
責任を引き受ける。王の責任とは、他人の引き受けるべき責任を、自分のものとすることだ。
かれらすべてを引き受けるというのは、やはり「器」という抽象的な言葉しかないのだろうか。


ひるがえって私にどの程度の器があるのだろうか…

いろいろ考えてしまいました。いやあ、最近の漫画は深いですねーー
ただ、この漫画、諸葛亮孔明のキャラクターが異様すぎて、イマイチ好きになれませんでした。





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Last updated  November 29, 2004 09:29:28 AM
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