わたしは価値を創る

わたしは価値を創る

November 30, 2004
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もう11月も終わりなんですね。
私の休暇も終わりを遂げようとしております。
今日は、またもや例の補助金申請の残務で本町へ。。。
どこまで時間がかかるんだろう。

時間があいたので、コンビニで立ち読みする。
ちょうどNHKの「その時歴史が動いた」漫画版がでていたのである。今、マイブームの「三国志編」があったから。

これが放映されたのは、3,4年前だったのではないかな。
最初に観た時は感動して涙が止まらなかったのを覚えている。

劉備玄徳が死ぬとき。枕元に孔明を呼び、いうのである。

これが帝といわれる人の言葉であろうか。まさに劉備玄徳の真骨頂!国は民衆のものであるという理念を最後まで貫いたのである。

もちろん、孔明にはそんな気持ちはなかった。その言葉を受けて、生涯の忠節を誓う。

この場面を見て泣かない人います?(TT)

劉備の没後、孔明は蜀(劉備が建国した国)のために、七面六腑の大活躍をする。6倍もの国力を誇る魏を向こうに回して、一歩も引かない奮闘ぶりである。

孔明の好敵手であったのが、魏の軍師 司馬懿仲達 である。孔明に並び劣らず有能な人物であった仲達であるが、三国志においては、孔明の引き立て役でしかない。なにしろ、孔明が死んでからでさえ、遺言の計略にかかって敗走し「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事まで作ってしまったのであるから。

横山光輝の「三国志」では、その後、五丈原の孔明の陣形跡を仔細に調べた仲達が陣の配列の合理性、独創性に驚き「あのような天才はもう二度と現れないであろう」と感嘆するのである。

後に政争に破れ失脚した司馬懿であるが、NHKのテレビによれば、敵である孔明の考え方や策に傾倒し、子供たちにその理念を伝えたという。

司馬懿の子孫によって晋が建国された時、それはあたかも、長い間受け継がれた劉備玄徳や諸葛亮孔明の理想が結実したかのようだったという。

ここも泣き所ですね(TT)

中国には、今も、孔明の子孫たちが暮らす村が残っているという。彼らは、今でも質素な暮らしを好み、学問で身を立てることに価値を置いている。家の中には、代々の学問を究めた祖先たちの名前が飾ってあるということだ。(TT)






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Last updated  December 1, 2004 10:12:00 AM
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