わたしは価値を創る

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December 21, 2010
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カテゴリ: 映画の話
レスラー



いい映画ですよ。

ボクサーの引退後の姿を描いた映画はいくつかありますが、プロレスラーの話は珍しいのではないでしょうか。

■主人公はかつての名レスラー。いまでも現役ですが、公民館や小さな講堂などでドサ回りのような興業に参加する身です。

若い頃の無頼がたたって、家族にも捨てられ、トレーラーハウスで過ごす日々です。家賃滞納で、部屋から閉め出されたりもしています。

唯一の気休めが、場末のストリップ小屋で、馴染みの高齢ストリッパーと話をすること。このあたり「ロッキー」の前半を思い出させる切ない雰囲気です。

■この映画が素晴らしいのは、プロレスラーの裏の姿をきっちりと描いていることです。

試合前の筋書きの打ち合わせ。流血のための剃刀の仕込み。ステロイドの取り引き。

それにお互いがいたわりあい、リスペクトしあう様子。



プロレスの興行そのものはビッグビジネスではありませんから、好きでないとやっていけない職業です。主人公のような低所得者も、あるいはビジネスマンとして成功した者も、試合になれば集まってきて、再会を喜びます。

試合中は、ベビーフェイス(善玉)とヒール(悪玉)それぞれの役割に入って、観客を沸かせるのですが、試合が終わった控室では、お互いが健闘を称えあいハグしています。

■心臓病を患った主人公は、引退を決意します。しかし、ショービジネスで生きてきた身よりのない男が、まともな職業でやっていけるわけもなく、再びプロレスの世界へ戻っていきます。

「おれの引退を決めるのはファンしかいない!」と言い放って。

■リアルな話です。プロレスという高いテンションを求められる職業についたために、虚飾の役割に自分をチューニングし、私生活を犠牲にせざるを得なかった男。

だからこそ実生活では居場所がなくなってしまったわけです。

演劇をする人の中には、いくら赤字でも辞められないという中毒のような人がいるそうですが、虚飾の役割にスポットライトが当たってしまったら、そうなってしまうんでしょうね。

そんな人生を選んでしまった男が、自分の生き方に決着を付けようとするのが、この映画の悲壮なクライマックスです。

■監督はダーレン・アロノフスキー。レスラーの裏側を丹念に描いているのですが、カット割りが短く、ダレさせません。(その分、軽い印象になったかも…)

監督は、ミッキー・ロークの採用にこだわったといいます。

確かに、人気絶頂のセックス・シンボルから、八百長ボクサーへ転落してしまったミッキー・ロークは、この映画にうってつけだったかも知れません。



理由の1つは、彼にはどうも、主人公の悲哀と悲壮なプライドを表現する演技力に欠けるのではないかと思われること。最初の企画通り、ニコラス・ケイジなら、問題なく表現していたでしょうが。あるいは10年前のロバート・デ・ニーロなら完璧だったでしょう。

もう1つは、彼にはまだ色気が残っていて、余分なものを感じさせてしまうこと。ありていに言うと気持ち悪い。にやけ顔が、この主人公にはそぐわないと感じてしまったのですが、いかがですかね。





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Last updated  June 10, 2014 06:39:23 AM
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