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思ったより長くなってしまいました。後編、浪人期です。3つ目のターニングポイント。愛する臨海セミナーは現役予備校だったので浪人の私は強制退塾させられました。また予備校探しに逆戻り。予備校といえば世間では河合塾(一番人気)駿台予備校(スパルタ)代々木ゼミナール(消えつつある)の3つです。ちなみに早稲田の浪人勢にきくとやっぱり河合が多いですね。合格割合は知りませんが、合格実績では圧倒的に河合じゃないでしょうか。私はというとスカラシップ制度(ちなみにscholarshipを大学生になるまでスクーラーシプと読んでいた)という授業料割引制度が決め手でした。河合は10万。代ゼミは15万。金に目が眩んで代ゼミに決めました。(のちのち聞くと15万って最低額で誰でも出るらしい。まじか。)高校の浪人友達も何人か代ゼミに入ってきました。特に受験期に仲良くやっていた奴らも一緒に入ってきたので、やりやすかったです。志望校は早稲田に決めました。ノリです。両親が早稲田(内部進学と夜間だからそんなにあれだったけど)だったのもあるかな。代ゼミの早稲田志望クラスはLWというクラス。さらにそれが実力順にLW1とLW2に分かれていて、私は2組でした。この制度、すごい劣等感生まれるんですよ。1組はすげー有名な先生に習うんですけど、2組はなんかいまいちパッとしない先生に習うんですね。そもそも合格実績よくない代ゼミでさらに2組って受かるわけないんですよ。クラス分けの時点で負け組なんですよ。悔しくて悔しくて、当面の目標は1度しかない夏のクラス昇格のチャンスで確実に1組に行くことでした。早稲田なんてどうでもよかった。運がよかったのは、2組のクラスレベル設定がちょうど自分に合っていたことです。わかっていることはわかっているものとして、わからないことは丁寧に教えてくれたので、自分でも目に見えるほど学力が上がっていきました。第1回早大プレやセンター模試では成績優秀者の冊子に載り(あれめっちゃ嬉しいで!)、無事夏に1組に昇格できました。途中からは眠くなるような授業をほとんど切って、英文読解と日本史しかでなくなりましたが、毎日自習室に通い詰め、模試では偏差値65まで到達し、早稲田もA判定でるようになりました。その時、たまたま代ゼミ主催の大学説明会で同志社大学ブースに行き、説明をききました。なんか、めっちゃよかった。第一志望が早稲田よりも同志社に傾きました。そして迎えたセンター試験。英語 168(悔しい)リス 40(奇跡)国語 156(運が良かった)日本史 100(浪人生の強み)英語250点換算だと87パーセントという得点率でセンター利用全合格!さあ、出願!とおもったその時。同志社大学の出願締め切り終わってた。おい!!!!関西だけなんでセンター前に出願なんだよ!!!!3日間くらいショックで引きこもりました。そんなこんなで受験結果慶應義塾大学 不合格(当たり前)早稲田大学 合格明治大学 合格同志社大学 不受験(はあ)学習院大学 不合格(えっ)中央大学 合格(センター利用)国学院大学 合格(センター利用)4勝2敗1分けでした。親に合格報告すると「奇跡だね!!!」だって。実力じゃコラ。学習院は顔と素行で選んでいるに違いない。そんなこんなで早稲田大学に合格することができました。学部は教育学部の社会科地理歴史専修です。こうして私は今大早稲田大学に通っているわけです。早稲田大学の利点はあまりありません。日常で他大に劣等感を抱かないくらいじゃないですかね。基地外はやっぱりいます。一部ですけど。でも、あの勉強に打ち込んだ日々は確実に人生の自信になっているし、してよかったなって思う。いかがでしたか?おもったより長く書いてしましましたが、偏差値47の高校で高3から偏差値20あげて三教科受験で早稲田受かったんだから、明治学院付属からほぼ一教科受験のSFCにいったビリギャルよりもすごいんじゃね?って勝手に思ってます。浪人したけど。次回から勉強法やおすすめ参考書を書いていきます。大丈夫。今は周りからバカにされてても必ず受かるから。周りを見返した時のエクスタシー半端ないよ。君でもできる!!だって私ができたんだから!!!大納言
2015.09.02
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まず、早稲田に必ず受かると豪語したからには、根拠となる私の受験遍歴をお話したいと思います。ビリギャルが世間を賑わせていますが、負けず劣らず私も結構すっごいバカでした。中学は地元の公立中学校へいきました。なんというか、荒れていました。一夜漬けやカンニングでテストを乗り切り、授業はほとんど聞いていませんでした。当時は喧嘩番長4が流行っており、他校に喧嘩をうったり(しかし全部負けた)、給食を略奪したり(女子から嫌われた)、なんというか本当に頭が悪いことをしていました。私たちの代が卒業した年の入学式では校長が「もう問題のある学年の人たちは卒業しました」と言い放ったほどです。受験勉強も一応したにはしましたが全く身が入らず、結局授業態度が底辺だったので素内申24。推薦の話なんて担任から一切出ず、都立の偏差値47くらいのほぼ全入の高校に適当に進学しました。高校でも相変わらず勉強せず、毎日ボーリングかカラオケか選ぶみたいな高校生活を送っていました。高3のときなんてたまたま隣の席が当時の彼女で、カンニングし放題だったのはいい思い出です。高校自体も受験意識が著しく低くて、「君たちはどうせ一般では受からないからAO入試を受けなさい。」と進路指導のメガネから言われ、極めつけは、進路指導の長が専修2浪というなんとも言えない経歴の持ち主でした。しかし私には小学校の時からの夢がありました。「教師になりたい」というものです。理由は恥ずかしいので伏せますが、教師になるには最低でも大学を出なければなりません。どうせいくなら、、私は進路指導の集会で友達にこう言い放ちました。「俺、明治大学いくわ」友達は一言。「嘘っしょww」とくに明治に行きたい理由はありませんでした。日本史が好きなので、文学部に行きたいなとは思っていましたが。ただ知名度があったからくらいの理由です。そこから受験勉強が始まる、、かのように思えましたが、当時やっていたスーパーのレジのバイトがあまりにブラックで「人が足りないからやめないでください」といわれ、週4でバイトに入らなければいけませんでした。当時部活も剣道と軽音部を兼部していたので、勉強する時間なんてほぼ皆無でした。「引っ越すんでもう無理です。バイトやめます。」こういって強引にバイトを辞め(電話の向こうでマネージャーはヒステリックになっていた)、本格的に勉強を始めたのは高3の6月でした。どこの塾ももう2か月分進んでおり、絶対に授業についていけないと確信した私は明光義塾という個別指導の塾へ通い始めました。大学受験で1番目のターニングポイントです。担当になった先生はいつも鼻毛がでている人でした。大学で心理学を専攻していたらしいのですが、そのせいかやたら褒めてくる。「いい質問だね」「ここに気付いたのは素晴らしいね」あの手この手で褒めてくる。私は見事にやる気スイッチを押されて(他塾だけど)メラメラやる気を出しました。しかし個別指導といっても一人の先生が二人同時に教えるシステムなんですね。そしてもう一人の生徒がめっちゃ意識低い高1のJK。「せんせーい、わかんなーい」「きゅーけいしたーい」と連呼するせいで先生が私につく時間が少なくなる。おいJK黙れ!こっちは人生かかってるんじゃ!!とは言えず。さらにチラ聞きした先生の衝撃の一言。「俺、英語苦手なんだよね。」やる気スイッチを押されて1か月で意識高い受験生に育っていた私は「こんな低レベルな環境で勉強していたら自分も低レベルになる」と過去の自分を一切省みない思考で明光を退塾しました。先生、お元気ですか。心理学を専攻しているとのことですが、鼻毛はカットしたほうが相手に好印象だという講義に出会えましたか。きっとオペラント条件付けなんてやるより人生に役立ちますよ。次に見つけてきたのが臨海セミナーという塾。家から自転車で20分とやや遠い距離でしたが、そこの売りは「途中入塾の人に無料で補講しますよ何度でも」という神制度でした。ここが2つ目のターニングポイントです。しかし事件は起こりました。めっちゃ勇気をだして体験入塾へいった英語の授業でした。その先生の授業はわかりやすく、特に困ることなく授業は進みました。確か関係代名詞だったと思います。「じゃあ、、この訳を、、大納言くんいける?」「はい」黒板に書かれていたのはこんな文章。That woman is my wife who is lawyer.関係代名詞自体の理解はしていたのですが、わからない単語が。ここはわからないフリしてごまかそう。そう思って首を傾げながら申し訳なさそうに「わからないです」といいました。しかし先生は満面の笑みで「lawyerは弁護士って意味だよ!!」と教えてくれました。いや、違うんだ、、、そっちじゃないんだ、、、Wifeってなんだ?????きっと「環境に依存されない独立した性質をもつ正八角形の物体」的な難単語に違いない。だってターゲットにでてきてないもん!!!そう思い「wifeってなんですか?」そう聞きました。40人の大教室に訪れる静寂。先生「え、マジ?」え?ここは「いやーわかんないよねー当然!」みたいな反応じゃないの?ほかの39人の生徒も「俺もわかんなかったわ。あれ俺らには難しすぎるよなー」的な反応じゃないの?授業後先生に「お前まじ単語やばいぞ」と呼び出され、プリントを40枚渡されましたとさ。(ターゲットやってたからやんないで捨てたけど)そんな失態を犯しながらも強靭なメンタルで臨海セミナーに入塾して、私は運命的な出会いをしました。英語のK先生と古文のH先生です。K先生のThatの識別は浪人期でさえ他人を一歩リードできたし、H先生の夏休みの宿題、品詞分解で古文が一気に得意科目になりました。偏差値は結果的に10上がり55くらいになりました。しかしどうも明治には届かない。F判定しか出ず。1年目の結果センター 英語 147(模試では100点前後だった。奇跡。)リス 18(は?)国語 106(この年の現代文鬼畜)日本史 63明治大学 不合格学習院大学 不合格国学院大学 不合格駒澤大学 不合格読解力で押すタイプだったので、知識系の問題が多い駒澤大学の問題が一番できなかった。明治もボーダー8割3分くらいのところ7割しか取れず。いや明治7割取れただけでも奇跡でしょ。って感じでした。長くなってしまったので波乱の浪人期編は次の記事で。
2015.09.02
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こんにちは、はじめまして。このブログの管理人の大納言と申します。よろしくお願いします。私は今、早稲田大学に入学して2年になります。自分で言うのもなんですが、高校時代の私の早稲田大学の印象は「頭いい人が行く大学」でした。私は一浪ですが、現役の時なんて志望校の候補にすら上がりませんでしたし、現に今の早稲田の友達も偏差値が60ある高校を出ていても「バカ高出身なんで」と平気で言う人ばかりです。そんな私がどうして早稲田に行くことができたか。それがこのブログを書こうと思ったキッカケです。インターネットでは早稲田にいく勉強法なんて山ほど書いてありますし、もしそれを実行できたならばきっと合格できるのかもしれません。しかし、それは「ある程度勉強してきた人」向けに書かれたことばかりです。私は恥ずかしながら中学、高校と全くと言っていいほど勉強してきませんでした。結果、高校3年生の6月でSVCどころかwifeやwalletの意味すら分からなかったのです。よく「ネクステ10周しろ」なんてサイトにはかいてありますが、はたしてほとんどの単語がわからない、ほとんどの文法がわからない私のような人が急にネクステ10周なんてできるでしょうか。私はそんな「勉強をやってこなかった人」に向けてこのブログを書きます。正直いって、そういう人は早稲田合格への道のりは遠いです。遠いです、が方向さえあっていればいつか必ず早稲田にたどり着きます。そういう人でも必ず早稲田に合格できます。私が証明です(パクリ)。今、早稲田に無謀にも挑戦している人の少しでも勇気になれば幸いです。大納言
2015.09.02
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