世界整復への一歩

2003.05.31
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こうやって自分の思いや日常の事をHPや掲示板に書いたりするのは、その書いたことを誰かに見てもらいたいという思いが少なからずあると思う。

よく「『構ってちゃん』は嫌い」という人もいるが、もちろん度の過ぎた「構ってちゃん」は困り者だが、そういう人だってどこかに自分で気がついてない「構ってちゃん」なところがあるのではないだろうか?
例えば、人を自分のやっているスポーツなどに誘ったりするのはもちろんその人と一緒に遊んだり楽しい時を過ごしたいという気持ちがあるからであるが、裏を返せば自分が一緒にやって欲しいというある種の「構ってちゃん」だとも考えられる。
またネットで自分の実際の病気や怪我の事を書けば、それを見た人は少なからず心配することぐらい考えれば分かるだろう。
相手に心配をかけることが分かっていて、病気や怪我の事を書くのは自分の状態を相手に分かって欲しいというある種の「構ってちゃん」とも考えられる。
その逆に、例え自分が重い病気であってもそれを隠して、強がって「出かけて楽しかった」と書くのも、自分がネットの中では元気な人間であることを演じてバーチャルな人間として他の人と交流したいという「構ってちゃん」とも考えられる。
もし本当に自分が「構ってちゃん」じゃないというのなら他の人と全く交流を持とうとはしないはずだし、人が何言おうがそれに対しても興味を持たず意見もすることはないだろう。
よく最近「ひきこもり」という人がいると耳にするが、その多くが部屋に閉じこもって、リアルでは誰とも会いたくないと言いながら、パソコンで掲示板には書き込みをしていたりする。

最近自殺ネットなどで「一人で死ぬのは恐いから」といってネットで一緒に死んでくれる人募集しているような馬鹿げた自殺志願者だって人を求めているのは「構ってちゃん」だからではないだろうか?
ただ人によってそれが素直に表現できるかどうか、自分自身が「構ってちゃん」であることを認められるかの違いがあるだけで、本質は一人になるのが嫌で誰かを求めているというのには違いがないのではないだろうか?
もちろん自分に注目を向けるために他人を傷つけたり、屈折して度が過ぎた「構ってちゃん」行為は困るが、自分自身も相手にもそういうところがあると認めたら、少しは気が楽になるのではないだろうか?
みんな「構ってちゃん」でもいいじゃない!





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最終更新日  2003.06.01 01:39:01


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