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2026.06.04
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介護の夜は突然に|脱衣所に落ちていたもの【50代】
介護の朝は突然に来る。
そして、介護の夜も突然に来る。
ようやく一日が終わると思った頃に来る。
風呂に入って、あとは寝るだけ。
そんな生活の終盤に、遠慮なく割り込んでくる。
昨夜もそうだった。
お風呂に入りに行った娘が、脱衣所から戻ってきた。
表情で、だいたいわかる。
また例のアレである。
母が娘の前に風呂へ入っていた。
だから当然、そういうことはある。
本来なら、母には一番最後に入ってもらうのが一番いい。
こちらとしては、それが一番安全で、一番後処理もしやすい。
だが母は、一番風呂でないと嫌なタイプだ。
人が入ったあとの風呂は嫌。
他人のあとに入るのは嫌。
清潔でなければ嫌。
そのわりに、こういうことが起きる。
この矛盾に、いちいち腹を立てていたら身がもたない。
だが、腹が立たないわけではない。
人間である。
こちらも。
今回は脱衣所だった
今までは、風呂場だった。
もちろん風呂場でも大変だ。
だが、まだ洗い流せる。
排水口もある。
掃除の動線も想定できる。
ところが今回は、脱衣所だった。
少しとはいえ、数カ所に落ちていた。
あぁ、マットが。
一瞬、そう思った。
もうボロくなってきていたマットだった。
この際だから、捨ててしまうことにした。
介護をしていると、物の寿命が妙に早まる。
タオルも、マットも、シーツも、衣類も。
生活の中で消耗していくというより、介護の出来事に巻き込まれて退場していく。
マットもまた、そういう退場の仕方をした。
脱衣所を確認し、処理をする。
風呂場もチェックする。
とりあえず、そちらは大丈夫そうだった。
ほっとするというより、被害状況を確認する気持ちに近い。
小さな災害のあとに、家の中を見回る感じである。
なぜ、は愚問である
なぜこんなところに。
一瞬、そう思う。
だが、その「なぜ」は愚問だ。
母は認知症であり、高齢者である。
身体の感覚も、判断力も、こちらが思っているようには働かない。
もはや説明不要。
頭ではわかっている。
責めても意味がない。
本人に悪意があるわけではない。
問いただしても答えは出ない。
だから普段は、何も言わない。
言葉はぐっと飲み込む。
飲み込んで、処理する。
飲み込んで、片づける。
飲み込んで、次のことを考える。
介護は、言葉を飲み込む作業でもある。
だが、飲み込んだ言葉は消えるわけではない。
体のどこかに沈む。
沈んで、溜まる。
溜まって、いつか少し漏れる。
昨夜は、その少しが出てしまった。
火に油を注いだ夜
私と妻と娘で、慌ただしく処理をしていた。
母は、いつもの調子で言う。
「何か落ちていたの?」
「なんだろう?」
そして勝手に言い出す。
「まさか、そんなところでするわけないし」
こちらは黙っている。
黙って処理している。
だが母は、さらに続ける。
「私がしたっていうのか?」
突然、キレ始める。
こうなると厄介だ。
言っても無意味なのは重々わかっている。
火に油になるのもわかっている。
ここで正しさを主張しても、何ひとつ良いことはない。
わかっている。
わかっているのに、私はつい言い返してしまった。
もう何度もあることだ、と。
その瞬間、自分でも「あ、やってしまった」と思った。
案の定、火に油である。
「私がしたのか?」
「ありえない」
「もししたのなら、もう終わりだわ」
「死んだほうがいい」
いつものパターンが始まる。
この言葉が出ると、家の空気は一気に重くなる。
母の怒りと被害者意識が膨らみ、こちらの疲労も膨らむ。
そして、そこへ父も合わさる。
こうなると、家の中は修羅場に近くなる。
介護は一人だけを見ていればいいわけではない。
一人が荒れると、もう一人にも波が伝わる。
その波を止めようとしているこちらにも、当然ぶつかってくる。
まるで狭い家の中で、複数の火元が同時に燃え始めるようなものだ。
人間性の話にしてはいけない
こういう時、つい考えてしまう。
母の人間性はどうなっているのか。
元からこうだったのか。
認知症でこうなったのか。
本当の母とは何なのか。
だが、そこへ行くと危ない。
人間性の話にし始めると、出口がなくなる。
認知症だから仕方がない。
でも、もともとの性質もある。
昔から上から目線だった。
傲慢なところもあった。
こちらを見下すような言い方も多かった。
そんな過去の記憶まで一気に掘り返される。
そして目の前の便の処理より、心の処理のほうが難しくなる。
だから本当は、そこへ行ってはいけない。
処理する。
片づける。
妻と娘を守る。
父に火が回らないようにする。
夜を越す。
こなす。
だが、そう割り切れるほど私はまだできた人間ではない。
妻と娘を離す
妻と娘には、他の部屋へ行ってもらった。
もう、これ以上この場にいなくていい。
娘には娘の生活がある。
妻にも妻の疲労がある。
介護は家族全員に影を落とす。
だからこそ、できるだけ巻き込みすぎないようにしたい。
もちろん、完全には無理だ。
同じ家にいる以上、見えてしまう。
聞こえてしまう。
匂いも、空気も、感情も伝わってしまう。
それでも、少しでも距離を取らせる。
その間に私は、ただ処理を進める。
もう何も言わない。
説明もしない。
反論もしない。
正しさも主張しない。
処理する。
拭く。
捨てる。
確認する。
また拭く。
そして、時が過ぎ去るのを耐える。
介護の夜には、解決ではなく通過しかない場面がある。
揺らさぬ心など、まだない
私は、まだ揺らさぬ心をものにできていないようだ。
そう思った。
日々の介護の中で、少しずつ強くなっているつもりだった。
怒りを飲み込むことも覚えた。
説明しすぎないことも覚えた。
母の言葉を真正面から受け取りすぎないことも、少しずつ覚えてきた。
それでも昨夜は、言い返してしまった。
たった一言。
でも、その一言で火がつく。
介護は、本当に油断ならない。
ただ、だからといって自分を責め続けるのも違うのだと思う。
こちらも人間だ。
毎日、父を見て、母を見て、家を見て、仕事もして、家族も見ている。
疲れが溜まっていれば、言葉の蓋が少しずれる夜もある。
理想の介護者など、たぶんどこにもいない。
いるのは、汚れたマットを捨て、脱衣所を拭き、怒鳴り声を聞きながら、それでも翌朝また起きる人間だけである。
まだ終わらんよ
介護は、美談だけでは書けない。
きれいな言葉だけで包むと、現実がこぼれ落ちる。
便もある。
怒鳴り声もある。
被害者意識もある。
自己嫌悪もある。
家族を別室へ逃がす夜もある。
それでも、朝は来る。
マットは捨てた。
脱衣所は拭いた。
風呂場も確認した。
妻と娘を離した。
父の火元も何とかやり過ごした。
完璧ではない。
まったく完璧ではない。
でも、夜は越えた。
それでいい。
介護の夜は突然に来る。
こちらの都合など聞かずに来る。
そして、何事もなかったように生活の中へ沈んでいく。
私はまだ揺れる。
言い返す。
腹も立つ。
まだ迷う。
だが、まだ終わらんよ。
この言葉だけは、少しだけ自分を支えてくれる。
ゆるぎなく、まっすぐに。
たとえ昨夜、少し揺らいだとしても。
また姿勢を戻せばいい。
今日も家は続く。
介護も続く。
私も、まだここにいる。
このような50代の身体、介護、ロスジェネの日常、元FAX修理CEの視点を毎日書いています。
また読みに来ていただけたら嬉しいです。





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最終更新日  2026.06.04 06:35:52 コメントを書く


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