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半年に一度の定期的な検査がありました。それまで忘れているのですが、いざ 検査となるとドキドキ。。。検査を受けてからの二週間は、知らんぷりしているようでドキドキ。。。結果は問題なしでした。これで、半年は忘れていられるゎ。ほかの悩みは尽きないけど、命があるだけで良いと思う気持ちを忘れないようにしなくちゃね。人間は自分勝手で、すぐに忘れちゃうから。欲張っちゃいけないのかもね。
2011年01月31日
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PETとMRI検査を7月7日にしまして、結果を聞きに行きましたところ、両方とも問題なしとの事。良かった、良かった。主治医はそれよりも私の体重が増えたことに驚いて、また、喜んでくださいました。治療を始め、半年入院の後帰宅後、みるみる体重は減り、とうとう32キロに。。2年半の間に、身体はずっと体調が良くなり、横になっている時間も減りましたが、どういう訳か体重が増えず。。。処が、離婚して夫から解放され、恐い思いをしない生活の心の穏やかさを知り、今までの生活がいかにストレスだったのかを思い知りました。未だに、嫌がらせのメールは来ますし、子供達に私の悪口を言うので、まだまだ100%ストレスが無いわけではありませんが、夫が家に居ないというだけでも、充分に幸せです。だからか、体重が一気に上昇!本当は太りたくないんですけど。。。母や、子供達は安心したようで嬉しそうです。それにドクターまでもが喜んでくれるので、まぁ、良いか。食べている物は前とさほど変わらないのに、なぜ体重が増えるのでしょう?不思議でなりません。しかも、仕事を始めたので結構急がしいのにな~。仕事のストレスもあるはずなんだけどな~。心に暗くのしかかる 重い影の様な痛みでは無いので、仕事のストレスは、結構楽しいから?夫からのストレスは、二度と味わいたくないものです。早く、縁を切れたらいいのに。。。子供達が成人したら 縁が切れるかな?養育費さえ一切貰っていないのに、父親面するな!って~の。
2010年08月04日
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NGSナイン ゴッド スター九神星です。九神星占術を元にした、結婚相談所と運命鑑定の会社が出来ました。本社は 福岡です。私は、代理店第1号店。(株)NGSさいたま会社だって!凄いですよね~。自分の人生に迷いがある人、解決できないでいる悩みの助けになりたいです。自分の人生は自分のもの。私は、救われました。悩みや迷いは 日々格闘中ですが、心はスッキリしています。大切な物を教えてもらったから。この会社は変なんです。利益を上げることが目的なのではありません。誰かの役に立ちたい、困っている人を助けたい、の精神で出来ています。だから、余分な利益が出たら、寄付をするのだそうです。予想の利益も、もう出されています。すごい事になっていますよ~。会員制なので、会員数が大切なのですが、もう、来年のビジョンも出ています。会社が出来て2週間で、北京に支店が出来ました。すっごいビルのワンフロアーを貸しきりです。次は、麻布らしい。。。来年には、大阪、さいたまに進出。私が任されているのが さいたまです。ここで鑑定のウィザードの為に講師をするのだそうです。来年が楽しみですね~。少しでも多くの方に知って頂きたいです。そろそろメディアにも。。。ビジョンが出ています。そのときには、ブログでも紹介しますね。とても楽しい 明るい社長です。女性の方ですが、正義感が強い、優しい肝っ玉母ちゃんの様な人。痴漢を追いかけて、傘でひっぱたいたり。。。曲がったことが大嫌いで、とことんやっつけます。はやくメディアでお目に掛かりたいな~。
2010年06月08日
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なんという久しぶりの日記!2月の末に離婚、3月に引っ越し。新学期からの転校。就職と、忙しかった~~~~~!引っ越しから2ヶ月あまり、やっと平常の生活になってきました。まだまだ問題は山積みですが。。。取りあえず、健康を害することなく 生きてる^^これで良いよね~。ペット検査も半年に一度となり、ドキドキの検査結果待ちは、一年に2回。7月に、行ってきます。寄りによって七夕さまの7月7日。どうか健康な身体で有りますように。。。これだけで良いです。御守りのブレスレットも付けてるしね~。
2010年06月08日
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これはね、自分だけの御守りのブレスレット。調べてもらって、作りました。私の魂が、最初に生まれた場所を、部族と言うのです。私の部族は、恩留部族。色で言うと、オレンジ・白・緑 の純に並びます。この3色の石を3セット入れて、水晶で囲むと出来上がり~!恩留部族は、もともと木星が故郷なのだけど、ある星が爆発したときに、避難するために地球に来たのだそうです。地球は、それまで、人は住んで居なかったんですって。太陽系の惑星。それぞれの惑星から 合わせて81部族、810000人の人が、地球に避難してきました。新しく、地球で生まれた部族もあるそうです。健康の為には、もちろん、災難からも守ってもらえる御守りなんですよ!自分だけの故郷の色で作られた特別なマイブレス。お風呂に入る時以外、いっつも付けてます~。御守りだからね。今年は、自然災害が多くなるそうです。先日のハイチの地震。。。大雨。。。これから、何が起きるの???
2010年02月01日
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気が付いたら、2月ですね。年末年始と、忙しくて、病院に行って検査しても、なかなか日記まで来られませんでした~。昨年の暮れに撮った、MRI今年の始めに撮った、PET両方とも、異常なしでした^^めでたし、めでたしです。取りあえず、半年後の検査までは、心おきなくのんびりと過ごせそうです。検査してから結果が出るまでの 2週間ったら!やはり、ナーバスになるわいな。先日は、夫の叔父の49日の法要に行って来ました。昨年13日に天に召された叔父様。糖尿病で、10年もの長い間、頑張って来ました。お疲れさまでした。どうぞ、天国で、のんびりしてください^^私はといえば、徐々に体力も回復し、体重も増えて来ましたので、仕事でも、始めようかと思っている処です。と、言うか、生活が変わるかも!です。
2010年02月01日
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とんでもないくらい、ご無沙汰しちゃった。。。SNSに入会して、そこで遊んでいたら、あっという間に、100年が~、なんちゃって.でも、元気に生きていました~!家庭内では、様々な事がありましたけどね。新型インフルエンザ騒動。夫が別居。色々、色々。でもって、元気です。未来に向かっての第一歩を踏み出そうと、じわじわと考えて居ましたが、とうとう、動き出すことにしました。先週、ハローワークに行って来ました。そこで紹介された、パートの面接に、昨日行って来たのです。2人の採用に対して、40人の応募。若い人も、大勢いました。不況で仕事が無いんだな~っと思っちゃいました。だって、まるで就職試験みたいなんですもん。これ、パートですよ。結果は、1週間から10日後だそうです。まぁ、ご縁があったら、使ってくださいね~^^
2009年12月04日
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マイ 鼻洗浄セットハッハッハッハ・・・・・大成功って言ってもらって、とっても嬉しい私です。この歳になって、なかなか人に褒めてもらえる事も無くなり、褒める側一方通行だった昨今・・・なんか、すっごく嬉しいんですけど。がんになり、もちろん本人も、家族もみんな、たくさん辛い思いをしたけれど、頑張った。みんなで。そしたら、辛かったこと以上に素晴らしい事もいっぱい経験出来た気がします。辛く長い入院での治療も、退院後の後遺症と闘う日々も、家族と一緒に、病気と向き合いきちんと話し合った事も、みんな、無駄にはならなかったと思う。こうして、自分の経験をブログに書く事も出来るし、私のつたないブログにコメントしてくださる方から、労りの言葉や、勇気のでる言葉、前向きな情報など、大切なものを頂きました。がんになんかならなかったら、出来なかった事もいっぱいです。先日、コメントを下さった、Hayateさんから教えて頂いた、鼻洗浄をしてみました。それまで、悶々と鼻から喉の不快感と付き合ってきましたが、鼻を洗浄する、と言う考えは、全然無かったのです・・・そう言えば、入院する前に、先生から聞いたような気もするのですが・・・鼻洗浄するといいよ、って。でも、すっかり記憶から消えていました・・・どうしても、鼻がすっきりしないので、顔を洗うときに、ちょこっと鼻から水を吸って、鼻をかむ程度の事はしていたのですが、こんなんでは、駄目ですね・・・先日、放射線科で視て頂いた時に、先生が、おっしゃった”今、鼻の中を綺麗にしましたよ”と言う言葉で、あぁ、やっぱり鼻のなか、綺麗になってないんだな・・・と思いました。綺麗に出来るのかな?どうやって?なんて、考えながらも、鼻洗浄機なるものの存在を知らなかった、私。教えて頂いて、本当に良かったです!早速購入して、昨日初めてやってみました!始めは、ちょっと痛いらしいけど、だんだん慣れて来るとの事でしたので、最初は、ドッキドキでしたが、いざやってみると、プールで、鼻に水が入ってしまった時のような、ツン、とする痛み。でも、何回も繰り返すと、痛みがなくなりました。今朝で、2回目ですが、なんか、ちょっと昨日より上手に出来るようになった気がします。ハハハハ・・・2回目だよ・・・うまくなったと言えるレベルかな・・・いいの、いいの、前向きに行くのです。でも、ほんと、やった後が気持ちいい~ん。鼻、すっきり!のど、すっきり!か・い・か・ん・・・って、古いなぁ。歳がばれるって。本当に、気分爽快でした~。教えて頂き、ありがとうございました!
2009年05月30日
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久しぶりに病院に行って来ました。久しぶりと言っても、放射線科は1ヶ月に一度通っているので、久しぶりと言う程ではないかな・・・放射線科では、がんの原発の部分の診察をしてもらっています。鼻の穴から、管を入れて覗くのだ。もう、慣れちゃったから、全然恐くないけど、入院中には、週に2回放射線科の診察があったんだけど、入院中はまだ、鼻から管を入れられるの、恐かったっけなぁ。何で、いつの間に恐く無くなって仕舞ったのかは、分からないけど、慣れちゃった見たいね。多少の痛みはあるけど、我慢出来ない程ではないし、患部を、しっかり視てもらうと安心するというか、保険の様な感じとでも言いますか・・・今日も、先生に視て頂いてきました。結果は、オーライ!綺麗になっているそうです。どう綺麗なのかは分からないけど、何も出来ていない、と、言うことなんでしょうか?ただ、鼻の中から、奥の方(上咽頭)にかけて、この上咽頭ががんが出来た処なのですが、ずっと、放射線が当たっているので、やっぱり、未だに変。鼻水と言うものが出ない・・・さすがにくしゃみをすると、ちょっとは出るけど、ふだん、全くと言って良いほど、鼻水が出ない。出ないと言うのは、鼻の穴から出ないと言うことです。変な話、鼻の奥の方に、流れて行き、喉に落ちてくるのです・・・なんで?なんで?どうしてなの?普通、鼻の穴から出てくるべきものが、どうして、喉の方に言っちゃうんでしょう・・・放射線を当てただけで・・・これは、今日、先生にお聞きして判明した事なんだけど、今日まで、どうして鼻水が出ないのか、不思議でしょうがなかった。放射線治療の後遺症だと、先生からお聞きして、あぁ、やっぱり…と、言う感じでした。すっごく変なんだもの。鼻水が出てこないで、喉の方に落ちてしまう感じが。気持ちが良いものでは、無いです。それどころか、気持ち悪いです。鼻水飲んでいるのと同じだもん。それも、すんなり飲み込む事は出来ないので・・・だって、唾液があまり出ないから…だもんで、鼻の奥から、微妙に下に下がったところに、張り付いている。しばらくのあいだ…それが、しだいに乾燥し、徐々に硬くなるので、喉の奥に、魚の骨が刺さった時の様に、違和感が出てくるのです。こうなると、もぅ、喉のと言うか、喉の少し上、喉と鼻の間というところが、気になって、気になって、仕方ない。これも、いずれは剥がれて仕舞うのですが、この間、ずっと気持ちが悪いのです。ずっと、鼻の奥が気になって、鼻をふがふが言わせている姿も格好悪いし・・・困ったものです。でも、この症状は、一生続くと先生に言われてしまいました。あぁ・・・一生のつき合いなのね・・・覚悟を決めましたゎ。ほんとうに、命があれば、ね。先日コメントで頂いた言葉。うれしかったなぁ・・・『生きているだけでまるもうけ』ほんとうにその通りですね。
2009年05月20日
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最近、通院の期間が長くなり、内科の通院は3ヶ月に1回。放射線科は2ヶ月に1回。明後日は、放射線科に行って来ます。内科は7月の終わりにある、ペット検査まで無し。でも、歯科は毎月・・・歯の大切さが、今頃になってひしひしと感じられます。がんになり、放射線治療をするにあたり、まず、歯の治療から始めたと言うほど、歯では苦労しているのですが、この放射線治療前の治療では、終わりでは無かったのですね。この時にも、かなり辛かったのに・・・たくさんの奥歯を抜歯されちゃった。もともと、自分が悪いのですが、歯の手入れをおろそかにしていたから・・・・子供に手が掛かるのを理由に、自分の歯のメンテナンスを、殆どしていなかったのです。昔に治療して銀を詰めたところが取れてしまったのに、治しに行かなかった歯が何本もありました。殆どが奥歯で、今では、奥歯はほとんど抜歯されてありません・・・放射線治療の後の説明は、たくさんして頂いてありましたが、放射線をあてた後の歯がこんなにもろくなるとは思っても居ませんでした。もう、殆どぼろぼろ状態です。すぐに欠けてしまうのです。でも、今は良い治療方法があるんですね、欠けてしまった部分を簡単に綺麗に直してしまえるのです。昔だったら、即、差し歯!と、言う処でしょうが、痛みも無く、簡単に歯が復元できるのです。まぁ、歯磨きすると欠けてしまったりもするのですが。でも、これからも、こういう細かいメンテナンスを続けて行くしか無いそうです。子供の頃のトラウマで、大の歯科嫌いだった私が、毎月、歯科に通っているなんて!何かの罰かな・・・でも、今思えば、歯科治療なんて何でも無かったのね。医療は進んで居るんですもの。いつまでも、麻酔無しで前歯の差し歯治療なんかする訳ないものね。あぁ。でも、痛かったゎ・・・歯医者さん。今では、毎月の歯科通いは、必至です。でも、いいの。治療を続けていけば、ちゃんと食べられるし、生きて行ける。ありがたいです。人生、いろいろあるけど、命があるだけで、幸せですね。
2009年05月18日
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3月の中頃から、ずっと色々な事で忙しかった・・・家族でインフルエンザにかかったり、末っ子の卒園式や、息子の空手で黒帯を取るための昇段審査を受けることが決まったり、娘の塾の成績が、どっかんと落ちてしまったり、夫の酒癖が悪くなり、家族で避難してみたり、4月に入り、春休み中だけど、娘の塾は春期講習があるので、送り迎えをしたり、新学期の準備をしたり、入学式の準備をしたり、何を着ていこうか、すっごく迷たりしていました。何来ても似合わないんですもの。入学式に上級生として参加していた娘に、家に帰ってきて言われちゃいました。ままってすっごく目立ってた・・・普通のお母さん達って、ピシッとスーツを着ているのに、ママはダッブダブで、洋服が歩いているみたいでおかしいんだもん・・・ですって・・・はぃ、ごめんなさい・・・似合う服が無かったのに、スーツを買うのをケチったのです。だって、今しか着られないサイズを買ったって、もったいないじゃないの。これから、太る予定なんだもの。そうそう!インフルエンザの治った後から、おにぎりを水分無しで1個食べられるようになったのです!家族で、公園に出かけたときに、お昼のお弁当を作るのに忙しく、朝食も何にも食べてなくて、さすがにお腹が空いた私は、公園に着くや、おにぎりにかぶりついたのでした。熱いお茶しか持って来て居なかったので、どこかで、お茶を買おうとポケットに120円を入れて。そうしたら、少しずつではありますが、小さいおにぎりを、1っこ食べちゃったんですよ!水分無しで!これって、とても凄いことじゃないの?去年の今頃は、ご飯を一粒も食べていなかったのに、まずいし、口の中が気持ち悪くて、ご飯は絶対に食べられなかったのに・・・嬉しくて嬉しくてしょうがありません!ご飯を美味しく食べることが夢だったので、夢に一歩近づけたのです。まだまだ、味わうところまではほど遠いですが、水分無しで、ごっくんと飲み込めただけでも感謝感激です!これからもっと美味しくご飯が食べられることを信じて、頑張ろうと思います。その後、放射線科の外来で、担当の医師にその事を話したら、口の中を見てくれて、”本当だ!少し唾液が回復してきているね!”と言っていました。先生たちと看護師さんが拍手をして喜んでくれました。嬉しかったなぁ・・・こうして、治療の成果が記録され、資料となってこれからの治療に役立ってくれることを、レベルこそ違うけど、先生達と私とで、まるで同士のように喜んで居ることが、また、嬉しくて。なんか、生きていてよかったなぁ、なんて、思っちゃいました。5年生存率を上げるぞっ!なんてちっさい事じゃなく、もっと、もっと、たくさん生きて、私にしてくれた、治療方法の成果とともに、いい結果が出せたらいいな。いいえ、出しますよ!出しますとも!そうそう、このところの埼玉県は、初夏のように暖かいのです。久しぶりにゆっくりと煮物をたくさん作っていたので、部屋が暑くなり、キッチンの窓を開けたところ、いい匂いが窓の外から入ってきたのです。甘い、優しい匂いでした。良く見ると、小さいけれど、ジャスミンの花が咲いていました。まだ、ジャスミンの花が咲くには季節が早すぎるので、気のせいかと思ったのですけど、やはり、ジャスミンです。お日様の当たるところではなく、窓の一番そばにあるつぼみが開いたのでした。家の中が暖かいから?窓に近いつぼみが開いたの?以前の悲しいジャスミンの思い出より、この優しい気持ちの方が勝って、とても幸せな気持ちになりました。ありがとう。
2009年04月11日
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今日は朝からいい天気!全く最高のドライブ日より!朝、早起きして、部活で大会に出場するかわいい息子と、私が通院している間、勉強をして留守番をしていてくれるかわいい娘、一緒に病院に付き合ってくれる、かわいい末っ子、そして、仕事に燃える夫。みんなに母の愛の弁当を作り、年度末、月末、週末の三重末で相当込んで居るであろう高速道路を見越して、いつもより1時間早めに出発!インフルエンザ上がりで、少しばかり頭がくらくらするが、楽しいドライブで、気分も良くなるでしょう。途中、やはり渋滞していたが、渋滞でイライラすることが無いように早めに出発しているので、渋滞くらいじゃこの気分の良さは消せませぬ。と、気分良く運転していると、家で留守番をしている娘から、着信あり。のろのろ運転していたので、末っ子に出て貰う。娘が言うには、今向かっている、国立の病院からの電話で、今日の歯科は休診だとの事。え”~~~~~~~~~~~~~~~~?もうすぐ着くんですけど・・・突然の休診であっても、診察時間は9時からでしょう?何ですぐに連絡してくれないの?9時に連絡してくれたら、高速料金払ってまで通院しなくて済んだのに・・・とほほ・・・埒があかないので、途中のインターで降りて、病院に電話してみた。そしたら、娘の言うとおり、歯科は今日休診なのだそうだ。だんだん腹が立って来たので、何で、もっと早く連絡してくれなかったのか?と聞くと、こちらの不手際で・・・と謝るばかりで、もっと埒があかない!運転中の事もあり、後でかけ直してくださいと伝え、Uターンして家に帰ってきた。もう、ぷんぷん!渋滞の高速道路を、往復3時間かけて、ようやく12時過ぎに帰宅。なんかとても疲れてしまい、ぐったり・・・何にも用が無いのに、高速道路代金、¥1900、時間、3時間。早起きして、家族にお弁当を作った労力。+病み上がり代金?なんか、すっごい損した気分!普段、あまり腹を立てる性格じゃないのに。さすがの私もあったまに来ましたよ。釈然としない!それから、約束通りに病院から電話がありました。ただ、謝るばかりで、無駄になった高速道路の料金や、ガソリン代などの返金処理はしてもらえないそうだ。謝ることだけしか出来ないそうだ。ただ、このときの電話で分かった事が!なんと、今日の休診は1月から分かっていたという。で?何で、診察日の今日になって連絡なの?なんで、もっと前に連絡してくれないの?1月から分かっているなら、私何度も通院しているんだからさ・・・と、思っていたら、1月に一度連絡をしてくれたそうなのだが、不在で連絡が付かなかったので、再度連絡しようとしたものの、忘れて仕舞ったのだと言うことが、発覚した。なぁ~んだ!連絡ミスか!そんな事今聞いたよ・・・もっと早く言ってよ。それなら納得しましたよ。はいはい、ミスですね、ミス。電話一本のミスで、こんなに損害が出ているの分かってます?病院側からすれば大したこと無いでしょうけど、とても迷惑な話ですよ・・・ほんとに疲れちゃった。もう・・・嫌な事はとっとと忘れちゃいましょ!っと。
2009年03月27日
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ようやく元気になったので、ちょっと書いています。実は息子からインフルエンザをうつされてしまいました…あんなに頑張って元気でいたのに…私から、娘二人にもうつり、次々に自己紹介の様に病院にかかるので、最初は苦笑いをしていた看護師さんと先生も、四人目が病院に来た時には、大笑いでした。私はインフルエンザで熱があるのに、何回も病院に連れて行かねばならず、ほんと、大変でした…娘たちは、大して熱も上がらず、インフルエンザとは思えない程元気で、あっという間に治りましたが、さすがに私は駄目でしたね…歳のせいなのか、がん治療後の身体で弱っているのか…ゆっくり休む事が出来ないからなのか?ようやく今日ぐらいから、食べられる様になりました。最初は声も出ず、40度まで熱が上がってしまい、さすがに起きてはいられなくて、家事をササッと済ませ、寝ていました。でも、熱が上がってしまった後の方が楽ですね。発熱する前の、寒気の方が辛いです。それよりも、抗がん剤の治療後の、骨髄抑制で、立っているだけでフラフラするぐらいの頃に比べたら、インフルエンザの方がなん万倍も楽。あんなこんなで、今はすっかり元気とは言えませんが、どうにか復活しましたよ。明日はまた、病院にドライブです。明日は歯科です。また差し歯が取れそうなので、補強してもらわなくっちゃ。インフルエンザにかかり、口の中が最悪な状態…味は全く分からないし、腫れていて、痛いです。退院したばかりの頃に近いかな。何を食べても美味しくなくないから、食欲さえなくなってしまいましたが、頑張って食べています。やっぱり、食べないと力つきませんね。しろくまさんに教えて頂いた、トロミの力をおかりして、頑張って身体にパワー送っています。トロミ。今では、私の必需品です。早く味が分かるようにならないかなぁ…インフルエンザになる前は、結構調子よくて、随分いろんなものが食べられる様になって来た所だったから。未だに、白いご飯が美味しく食べられる夢が諦められません。まだまだ、匂いが一番のご馳走状態ですが、いつか、絶対に白いご飯が味わえる様になりたいです。では、明日の天気予報でも見て、早く寝ましょ。息子は春休みになったと言うのに、朝から部活の大会。お弁当作らなくちゃね。
2009年03月26日
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今日、突然息子が熱を出して学校を休んだ。兄弟3人とも、今学年は皆勤で来たのだが、ここに来て、いろいろな病気になっちゃった・・・先日、末っ子がインフルエンザにかかり、一週間ほど休んだが、出席停止扱いだったよ。次に、夫からうつされた胃腸炎で、長女が今も学校を休んでいる。家族3人がウィルス性の疾患にかかたにも関わらず、私と息子は、いたって元気だったのだ・・・が、ついに息子が熱を出した。学校に休む旨の連絡を入れたところ、現在、中学校でインフルエンザがはやって来ているらしいとの事。息子、インフルエンザか?でも、その割には元気だけどな。検査に行ってこなくちゃ。それにしても、一番身体の弱そうな、やせっぴの私がこの冬、風邪一つ引いていないのには驚きですね。何ででしょ?ノニジュースの効能か?でも、結婚してから、寝込んだ事なんて無かったし、がんで入院するまで、健康だけが取り柄だったからな・・・とまぁ、前置きはこれぐらいにして、息子の為におでこに張る熱取りパットを捜していたら、このアズノールが出てきたんです!いろいろと思い出すこともありましたので、入院中のことをちょこっと書いておこうと思います。写真の、この青い色、綺麗でしょ?アズノール。火傷した首にべったりこんと塗ってガーゼを当てて、細菌感染を防いでいました。この子で、何代目でしょう?この大きな容器が3日ほどで空っぽになっちゃったんですよ。思いっきりべ~ったりガーゼに塗って、1日4回くらいガーゼを取り替えたので。私は、抗ガン剤の気持ち悪さよりも、髪が抜けてしまった悲しみよりも、骨髄抑制で貧血でふらふらのつらさよりも、放射線での首から喉、鼻の穴の火傷が一番辛かったです。先生に話は聞いていましたが、とにかく、あと3週間すれば痛みがなくなるから!あと2週間!と時間がたつのをただひたすら待っていました。抗ガン剤の副作用の吐き気もへっちゃらだったのに、火傷の痛みで吐き気がするのには閉口しました。病院で出来る治療を全て終え、退院した時も、この症状は酷いままでしたが、無理を言って退院させて頂きました。時間がたって治るまで寝ているしかなく、火傷の治療法がないのなら、家で子供達の側にいたかった・・・と言うわけで、帰してもらっちゃったのです。家に帰ってからも、火傷の手当は2週間続きました。ナースさんがおっしゃっていた通り、ぴったり2週間で痛みが治まったのです!ナースさん、さすがです!それまでは、痛みで夜も眠れず、夜中に2回ほどガーゼを交換していました。火傷が熱を持っているので、たっぷり塗ったアズノールが乾いてしまい、ガーゼが直接患部に当たるので、ガーゼを交換しないと痛くて我慢できなくなってしまう。季節が夏だったのが唯一の救いでした。Tシャツ一枚でいられるので、手当をするときにTシャツを脱ぐだけで良いのですから。胸から上をすっぽんぽんになって、包帯とガーゼをそ~~~~~~っと剥がす。これが又痛いんです・・・そうして、患部を消毒。それからアズノールを患部にべったりこんと塗り、ガーゼにもたっぷり付けて、首に巻く。最後の仕上げに包帯でぐ~る、ぐ~る。そう言えば携帯で写真撮ってあるかもデス。そんなこんなで2週間の戦いも幕を閉じ、あらまってな感じで痛みも治まってしまいました。嘘のようにケロッと良くなってしまい、今までずっと忘れていました。薄情者!ごめんなさい・・・火傷といえばもう一つ。首の火傷が一番酷かったのですが、喉は今でも後遺症と闘っておりますです。もうこれが私!と諦めて居ますので、何て事無いですが、もう一つありました。鼻の穴!これも今では忘れ去られている程、後遺症の欠片もありませんが、入院中は、鼻の穴全体が火傷でケロイド状態になっていました。もちろん喉も口の中も火傷中なので、食べることはおろか、口で息をすることも出来ず、自分の唾液も飲み込めなかった状態。喉の火傷の痕から出てくる膿のようなものが寝ている間に喉をふさぐも飲み込めないので息が出来ずに苦しくて目が覚める。くちから、ぺっ!とする行為さえ出来ないので、ティッシュを棒状に作って置いたもので口の中をそっと拭う。入院中、私はきっと窒息死するんじゃないか?と思っていましたよ、本気で。呼吸が苦しくて、夜中に目が覚める。口では息が出来ないので、息をするのにどうしても鼻の穴サンが必要不可欠でありました。大事な大事な呼吸確保の鼻の穴サン!ここがケロイドで、かさぶたになってしまった!かさぶたで鼻の穴サンが占拠されると困るんですけど!一度かさぶたになると、取り除くのが至難の業で、もちろん傷口を守るためのかさぶたの役割を全うしているに過ぎないのだが、私にしてみれば、反逆者にしか思えない!強制撤去すると、かさぶたを剥がすのだから、もちろん血を見る結末が待っている。そして又、かさぶたが出来る・・・の悪循環に陥ってしまった・・・これでは、ガンじゃなく、窒息死だぁ!と焦り、必死で鼻の穴の確保方法をひねり出した。フフフここでアズノール様が活躍してくれたんですね。アズノール様はラードのようなぬるぬるべたべた。先日お見舞いにいった特別養護老人ホームでも床ずれの患部に使っていたぞ。このべたべたを鼻の穴にぐるりんと塗ってみた。べたべたで鼻の穴が乾燥しないので、なかなかかさぶたになることなく、患部を優しく守ってくれていた。あぁありがたや、アズノールさま!あなたのおかげで今の私があるのと言うのは、決して過言ではありません。ほんとにお世話になりました。ずっと忘れていてごめんなさい!
2009年03月10日
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昨日の夕方からの雪も、積もること無く、ホッとしました。雪は大好きなのですが、なんせ病院へ行くのは車なもので…子供の頃は、明日の心配などせずに、素直に雪を喜べたのに、なんか悲しい…そう言う訳で、無事に病院に行ってきました。まずは採血から。血液は問題ありませんでした。体調も少しずつですが、よくなっているのが分かります。次に、MRI。音がけっこう大きいのですが、私は別に平気で眠ってしまうほど。技師さんが耳栓を渡してくれたので、大丈夫ですよ、と言ったら、機械が新しくなったら、性能は良くなったんですが、音が大きくなってしまったのですよ。ですって。渡された耳栓は、オレンジ色のカラーコーンを小さく小さくした様な形をしていた。結婚したばかりの頃、夫のイビキと歯軋りの酷さに閉口して、耳栓を買って以来、久しぶりに試しましたが、性能の良さに、ビックリ!昔の耳栓は一体何だったの!と言うくらい耳にはめやすい。しかも、ジワジワと膨張して行き、最終的に耳にぴったりこん、とはまる。すごいぞ、耳栓!これさえあれば、恐いものなしだ!夫のイビキと歯軋りだって太刀打ち出来まい…ハハハ、ハハハ今さら、同じ部屋で眠るなんて御免ですけどね。ちょっかいだされて安眠できません!と、言うわけで、すんばらすぃい耳栓さまをゲットしました!
2009年03月04日
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退院して2年半になろうとしている。内科での検診も3ヶ月に一度になり、放射線科の検診は、1ヶ月に一度、歯科の検診も1ヶ月に一度、MRI検査とPET検査が半年に一度。CT検査が1年に一度。まだまだ医療費がかかりますね…でもちゃんと検査をしておけば安心、と言うか、何て言えばいいのでしょう?3月4日にMRI検査をするのだけれど、以前は、検査をするのが恐くて恐くて…検査を受けるのがすごく嫌だった。自分の身体にとても敏感になってしまい、少しでもいつもと違いところがあると、再発したんじゃないか?と恐くてしょうがなかった。当たり前なのでしょうが、再発とか転移って言葉は聞きたくないですね。これは今も変わりません。って誰だってそうじゃろがい!何年たてば、がんは完治と言うのでしたっけ?10年だったかな?がんの場所によって違ったかも知れません。まだまだがん患者歴の浅い私なので、勉強不足ですみません。なるべくならこの先の勉強は経験したく無いですけど…今日は、検査について書こうと思っていたのでした。いろいろな種類の検査をしましたが、どの検査も、せっま~い機械の中に入って、じーっとしていれば良いのです。ただ、狭くて、動いちゃ行けない、つばもごっくんしてはいけません。やってはいけないと言われると、あまのじゃくな私は、なぜかやってしまうんですよね…決して、わざとやっている訳では無いんですよ…つばごっくんしないで下さい、と言う簡単な事なのに、やってはいけない、やってはいけないと言われると、やってしまうのです。ごめんなさい!今度の検査もどきどきです。あと、CTだったかな?音がすっごくうるさいの。初めてCT検査を受けたところでは、たしか耳栓をしてくれたのだけど、今見て頂いている大学病院では、耳栓は無し。大きな音でかなりびっくりしますが、初めてCT検査したときに、その音がおもしろくて聞き入ってしまった。何種類かあるんだけど、これは南の方の太鼓のリズムだ、これは中国っぽいかも、これはどう聞いても工事現場。とかね。1回笑いそうになってしまったこともありました。私は閉所恐怖症は平気なのですが締め付けられるのが苦手で、放射線治療の時にかぶるお面が死にたくなるほど嫌いでした。でも、これも不思議なもので慣れてしまえば眠ってしまうようになるのです。ほかの検査は、お面を被ることもなく余裕でOKなので、お昼寝に行くような感じです。家にいると昼寝も出来ないから…なんか病院に行くのもちょっとしたお出かけ気分でちょっと楽しいかも往復4時間のドライブも出来るし。なんてポジティブなんでしょ!自分で言ってしまいますゎ。
2009年02月28日
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節分を過ぎた。暦の上では、春?まだまだ寒いですが、確実に春に近付いているのがわかりますね。お日様は暖かいし、日も大分長くなって、夕暮れが遅くなってきたし。でも、暖かくなって来たとは言え、まだまだ朝晩は寒いです。がんの治療後の身体には、寒さはつらいです。なので、背中とお腹のカイロは必需品。この秋からいくつ使い捨てカイロを使ったんだろう?子供の保護者会やマラソン大会などで、学校に出向くときは、さらにふくらはぎ、足先、ポケットの中にカイロを忍ばせる。ちょっとでも、寒いっ!と感じると、もうだめ。風邪をひいてしまいます…だから、いつも先手を打って厚着攻撃。雪山に登山にでも行くかの様な、防寒対策。夫が、お風呂上がりの私を見て、びっくりしていました。これから登山か?って…だって寒いと、手先、足先がしびれちゃって、痛いんだもの。これでも、退院したばかりの最初の冬よりは、ずっとましになったんですよ。あの頃は、痺れがひどくて痛みになってしまい、布団に入っても痛くてねむれず、子供たちが交代でマッサージをしてくれた。おかげでどうにか寒い季節を乗りきりました。やはり、身体には暖かい方がいいみたい。温泉だって身体を温めるから、気持ち良いんだしね。身体を温めると、がん細胞をやっつけるのに良いと言われます。ゆっくりとお湯につかって身体を温めなさいと、お医者さまにも言われています。早く暖かくならないかな…
2009年02月22日
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睫毛って、髪の毛と同じように生えかわる、って。知ってはいたけど、いつ抜けて、いつ生えてくるのかなんて、気にした事無かった。なんで、こんな事話しているのかと言うと、放射線治療をした際に、顔中に放射線をあびている為に、色々な後遺症があるんだけど、放射線を当てたところは、毛の生える速度が、放射線を当てていない場所と全然違うの。抗がん剤の副作用で、髪の毛だけが、ぬけてしまうイメージがあるけど、本当は、身体中のあらゆる毛が抜けてしまうのです。すみずみまで。もちろん、睫毛も、眉毛も!それどころか、からだの産毛も無くなって、お肌、つるんつるん!一見、赤ちゃんのお肌を連想するけど、そんなんじゃあないの。赤ちゃんって、意外に毛深いのよ。産毛がないと、つるっつるしそうなんだけど、実際は、ぺたんぺたん。指でこすると、普通では有り得ない音がする。まるで、浴槽をスポンジで擦るような、キュッキュッって音。あれにはおどろきましたね…あぁ話がそれてしまいました。睫毛ね、まつげ。そういう訳で、睫毛も一旦全部無くなったわけなんだけど、なっかなか伸びない~!後ろ頭を見れば一目瞭然で、放射線を当てた、頭の半分から下だけはげっぽい。未だに…上から頭頂部の髪の毛が覆っているから分からないけど。睫毛も一旦は元の長さまで生えたんだけど、次に生えてくる睫毛が伸びる前に抜けてしまうの。だから、しばらくの間、1ミリぐらいの睫毛と付き合わなければならない。この1ミリくんが、ようやく一人前にまで育ち、次の睫毛が生えてくるまで踏ん張ってもらいたいところなのだが、そうは問屋がおろさないのだ!やっと育った睫毛が抜けないよぅに、大事に大事にしているのに、はらりと抜け落ちてしまう、虚しさ…残されたのは、新米の1ミリくん…悲しい…この繰り返し。普通、睫毛の生える速度が早いから、抜けても次の睫毛がちゃんと長くなっているので、生え変わっているのさえ気付かないんだけど。あぁ、また1ミリくんから育てなくちゃ…マスカラバリバリにしてせめて濃く見せないと。今、若い女の子は普通に付け睫してるよね。あれしてみよっかな?
2009年02月20日
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昨日、病院に行って来ました。昨日は放射線科。放射線科は一ヶ月に一度視て頂いている。鼻からカメラを入れて、喉のがんのあった部分を見るんだけど、これがちょっと痛い!もうずいぶん慣れちゃったけど、カメラを入れる時はさすがにどきどきする。結果は異常なし。めでたし、めでたし。始めに行った地元の大学病院でリンパに転移した原発のがんを捜すために、初めてカメラを鼻から入れたんだけど、がん細胞を採取するためのはさみの様な物がくっついているカメラだったので、昨日使ったカメラよりもちょっと太かった!喉に麻酔何種類かして、鼻からカメラを入れたときは、もう死ぬかとおもった。鼻の方は少し痛いだけなんだけど、鼻から喉に入れていくときに辛かった!吐き気がして、オエッ!となる。ちょっと汚い表現でごめんなさい。でも、胃カメラの様にベッドに横になって、さぁ入れますよ~とかでなく、椅子に座ったままだったので、涙はぽろぽろ落ちてくるわ、鼻水は出て来るわ。もちろん恥ずかしがっている余裕はありませんでしたが…上咽頭がんというあまり症例の無いがんだったので、たくさんのドクターが周りで見ていたんですよ…今更ながらあぁ恥ずかしい。それよりもこのときの麻酔のせいで、1時間ほど、喉が麻痺していて、その方が辛かったかも。ごっくん!が全然出来ないの。これほど、ごっくん!する為に喉の筋肉が総動員して働いてくれているとはつゆ知らず…今までのご無礼をお許し下さい!っていう程でした。飲み込めない恐怖!その前に喉の奥のがん細胞をちょん切られたので、出血も少々あり、その血も喉に落ちてくるのにごっくん!出来ない…まぁ飲み込まない方が良いのでしょうけど、本能で、喉に落ちてくる物は飲み込もうとするんだよね。でも飲めない。パニックになりそうでした。ティッシュに何回も出したんだけど、1箱、ティッシュが無くなってしまうほど。今は唾液、ほっと~んど出ないけど、このときは唾液の大切さを知らない純情な私だったので、唾液を恨みましたよ。あぁ懐かしの唾液さん…早く帰っておいで~。昨日見て頂いた先生がおっしゃるには、放射線治療後、2年経過した頃から、唾液が復活した症例があるらしい。私はまだ、1年半だ…先生も私も唾液復活に大いに期待している。MRT(強度変調放射線治療)の成果をみせてやるために!生存率もアップさせるぞ~!
2009年02月19日
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いつから看護婦さんと呼ばなくなったのでしょう?看護婦さんに婦長さん。今では、看護師さんに師帳さん?なんか未だに馴染めませんねぇ…呼ばれている看護師さんは、どうなのでしょうね?まぁ呼び方はこれくらいにして、今日は、入院していた国立病院の看護師さんについて、書いておこうと思います。まず、この柏にある病院で働いている看護師さんって、とっても優しい!とっても親切!今までお世話になった病院や医院での看護師さんの中にも親切で優しい方は、いらっしゃったけれど、この病院の看護師さん達、なんと全員がそうなのだ。例外なし!これはあくまでも私個人の目からみた意見なので、こんな事はねぇよ、とおっしゃる方がいるかとは思いますが、どうぞ許してください。抗ガン剤治療中の患者さんや、手術をしてベッドから起きられない患者さん、お年寄りの方、若い方、女性、男性…たくさんの患者さんが居るけれども、どんな患者さんにも、同じく優しい。患者さんの言うことを否定で答えない。まず、話を聞いてくれる。そして、それから意見を言ってくれる。どんな我が儘な事を言っても…私が入院したのは、お産の時とがんの治療の為の2回だけだが、本当に感動的なほど。どんな時も笑顔で、明るく、口調も優しい。白衣の天使、と言う言葉はださださだけど、このかっこ悪い表現がぴったりなんだもの。とある看護師さんで、何回か目の抗ガン剤治療の時に担当してくださった方が言っていた。”看護師の勉強は、医療についても、もちろん大変だけど、””患者さんとの関わり方や対応の出来るような人間になるための勉強の方が難しい”って。人間性を磨く、って言うこと。大きな人間じゃないと勤まらないと言うのは、本当に良く分かる。ここの看護師さんを見ていれば。こう言った看護師さん、もうじきに退職するのだそうだ。この国立病院の看護師を勤めるのは、とても厳しいと言っていた。なんか淋しいけれど、担当してくれて、お世話になった何人かの看護師さんたち。私は、たぶん、ずっと忘れる事は無いでしょう。
2009年02月17日
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末っ子が4歳になった頃、仕事を始めた。パートなんだけど、友人に紹介して貰った。オペレーターの仕事だった。初めての職種で、上司に、1年間頑張れば、どうにかなるから…と言われていたので、頑張った。それでも覚えることも多く、指導してくれる人からは、毎日叱らてばかり。まぁ、考えを変えれば、叱られるのも仕事!今になって思えば、辛かったけど、教えて頂いたことは、ちゃんと身に付いている。ありがたいです。仕事を始めて、半年。ようやく、慣れてきて少し余裕も出来、おもしろく成ってきた頃、がんであることが分かった。仕事が楽しくなってきた所なのに…とてもショックだった。上司に話をして、休職することにして頂いた。思った以上に入院が長くなり、復職は無理かな…なんて考える様になってしまった。でも、1から勉強をし直して、復職をするつもりでいた。でも、いざ退院したものの、放射線を胸から上全体にかけたので声がうまく出ない。話す事が仕事なのに…いつもそばに水がないと生活できない。コンピューターを操作するのに…どう考えても復職はむりだった。人とコミュニケーションを取るのが好きだったので、オペレーターの仕事を選んだのに…声が出ないのでは、無理だ…悩みに悩んだ末、上司に相談した。いつでも歓迎するので、電話をしてくれれば復職出来るから、と言われ、泣く泣く退職した。とても辛かったけど、退院したばかりで体力的にも無理があったので、仕方のない事。今は、とにかく元気になる事を考えよう。そう思った。現在は、退院後のこの時期に比べ物にならない程、元気!急にしゃべると、声がかれたりもするけど、ちゃんと話も出来る。まぁ、水はいつも手元にありますが…
2009年02月16日
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差し歯がぐらぐらする…去年、差し歯が突然にポロっととれた。歯科に行くまで格好が悪いので、ポリデントで止めていたんだけど、気になってうまく喋れない。歯科に行きようやくくっつけて貰った。でも、元の歯の方が欠けて来ているので、ぴったりとはくっつかなくて不安定。差し歯に限らず、歯という歯が、もうぽろぽろと欠けてきている…これは放射線の後遺症で、歯の治療というよりも、欠けてきたり虫歯になった歯をどうにか見た目にきれいに保つ様に修復して貰う、と言うような事しか出来ないみたい。虫歯の痛みは以前と同じように痛み、疲れてくると、歯茎も痛み出す始末。ほんとうに、ちょっと固い物を噛むと、ポロポロ欠ける。大好きなおせんべいも、カリッと出来なくて…最近は、濡れ煎餅というのがあって、よかったな。って言う…奥歯は、治療前に抜歯してしまったのでもうほとんどが無い。前歯も時間の問題だね。唾液がでないので、歯磨きがとっても大切なんだけど、歯磨きしていても歯がかけてしまう。そして、歯科に行って修復してもらう。今の歯科治療のすばらしいのにも驚きました。簡単に、欠けた歯がきれいになってしまうんですよ。昔では考えられない…痛みもほとんどなく、歯がきれいになってしまう。すばらしい!
2009年02月15日
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今朝、キッチンの窓から、ジャスミンが蕾をつけ始めたのをみつけた。今から10年以上も前に鉢植えの羽衣ジャスミンを買ってきた物を、狭い庭に植えたもの。蔓がどんどん伸びるばかりで、全然咲かなかった…10年間…ところが、一昨年初めて咲いたのだ。それも、これまで、伸びに伸びた蔓全体に!キッチンが南東にあるんだけど、キッチンを囲む様にぐるりと伸びている蔓に。一面、真っ白!窓を開けると、家中がジャスミンの香りに包まれるほど。これを何年間待っていたのだろう?私の夢だった。ところが、一昨年というのが、かん治療の真っ最中で、しかも抗がん剤治療…匂いに敏感で、吐き気が起きない匂いは、レモンぐらいしかなかった時…あれほど待ちわびたジャスミンの花なのに…香りに拒否反応。悲しかった…今朝、そんな事思い出しながら、今、以前のように、香りを楽しめる事がこんなにも幸せなんだと、心から思った。
2009年02月13日
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抗ガン剤治療は、全部で7クールやった。放射線治療の前段階で3クール放射線治療と平行して4クールクールが進むにつれて辛くなっていくというのは知っていた。確かに、前半の3クールはまだまだ余裕があった。でも、放射線治療の副作用もあってか、最後の2クールはちょっと辛かったな。前半の治療では、抗ガン剤を投与してから3日目くらいからだるくなり、食欲がなくなり、吐き気がする。でも、7日目ぐらいからは、吐き気も収まりずいぶん楽になる。ここがポイント!すっご~く気分悪くても、時が過ぎれば元気になる。1クール目は何も分からず、いつ吐き気が始まるのか?いつまで続くのか?不安でいっぱいだった。そして、10日が過ぎる頃から、どんどん元気になっていく。ここもポイント!他の患者さんと話をしたときに、殆どの人がこういっていたよ。10日間の辛抱!でもね、ちょうど元気になったぞ~と言う頃に次のクールが始まるのだ。うまく出来ているよなぁ…なので、この繰り返しが、7回続く長期戦と言うことになる。ひたすら、耐えた。時間が過ぎるのを…救いは、抗ガン剤を投与してから7日すれば、退院出来ること!後はのんびり、家で過ごせるの。私の場合、子供が3人いたので、そうそう寝ているわけにも行かず、炊事、洗濯、子供の世話はしていた。休み休み。10日目までは、ちょっと辛かったので、ほんと、休み休みにしか出来ないけど、10日後からは、徐々に元気になるので、耐えられた。やっぱり家が1番!子供達のそばにいてやれるのがなにより嬉しい。抗ガン剤治療のつらさは、半端じゃ無いけど、時間がたてばほんと、回復するんだよ。とにかく、体力勝負だから、食べられる物を食べられる時に食べる。私も必死に食べて、治療前よりも体重が増えた…悲しいような、嬉しいような…
2009年02月10日
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なにそれ?ウイルスが喉に付いて、がんになったのだろうと、先生が言った。中国に行った事はありますか?とも聞かれた。そのEBウイルスと言うのは、日本に比べて、中国にたくさんあるウイルスだそうで、このウイルスによって上咽頭がんにかかるらしい。だから、日本では、中国に比べて発症例が少ないのだと。私のがん細胞の生検でも、しっかりとEBウイルスが発見された。ただ、少なくとも、誰の喉にもウイルスはいるらしいが、健康な身体であったら問題なし。身体の免疫力が落ちていたりすると、がんになってしまうのだそうだ。だから、今はとにかく免疫力を上げる生活、食事を心がけている。これがなかなか難しいのよね…
2009年02月06日
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放射線治療の後遺症のせいでかなり体重が落ちたんだけど、その事でおもしろい事があった。現在の私しか知らない人達は、私の事を痩せてるね、とは言わない。遠慮して言わないでいてくれるのが分かっちゃう。がんになったことは、本当に親しい友達にしか言わなかったので、殆どの人は知らないから…だから、治療の後遺症で痩せているとは知らないのだ。あまりにもがりがりで、普通じゃないから多分、拒食症?と思っているかもしれないなぁ。ちょっと、悲しい。しかた無いけど。母や夫や子供達はもっと太って欲しいと言う。当たり前よね。健康的なお母さんになりたいな。みんなが心配しないように。そして入院前の私を知っている人。この人達に答えるのが一番難しい。素直に、ガンの治療の後遺症で、食べられなくって痩せちゃったの…と言っちゃいたい!でも言わない。死んでも言わない!こんなふうに意地を張っているのにも理由がありまして…次回にでも書こうと思う。とにかく、やせちゃった理由に答えるのにとても困る。ダイエット? ストレス? 心配事?嘘を付くのって難しいよね。素直に言ってしまいたいのをぐっと押さえて、ちょっとね、とごまかす事もあるけど、どうしても理由を聞き出したい人もいるわけで、泣く泣く嘘を付いてます。そして最後に!この人たちのおかげでどれだけ救われた事か!ありがとう!と、声を大にして言いたい。救ってくれて、本当にありがとう。それは、結婚前からの知り合い。以前私は、仕事の関係でかな~り痩せていた。当時の私にには痩せている自覚は無かったんだけど。今、冷静に思えばちょっと病気(これこそ拒食症)?だったんだね、と思う。結婚後の私しか知らない人は、知るはずもない過去の私。今と殆ど体重が変わらなかったから。だから、病気の事を話さなくてもいいし、空しい嘘を付く必要もない。だれも痩せちゃったね~とは言わないから。だって、昔と変わらないんだもの。みんな、昔と全然変わらないね~と、言ってくれるのだ。あぁ、嬉しい!滅多に会う機会もない昔の友達。たまたま会う機会があり、10年ぶりで再会した時の事だった。素直にうれしかった。なんの嘘もなく、身構えることもなく再会できて、本当に嬉しかった。再会の喜びと、素直な自分でいられる機会をありがとう!
2009年02月03日
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すべての治療を終えてはや1年5ヶ月たつ。がんの宣告を受けてもうすぐ2年だ。2年前の自分と比べてみる。体力はかなり落ちてはいるけど、普通に生活出来るほどに元気になった。ただ、口の中の乾きと、痛みでうまく食べられないために困っている。食べるときには水分が必須で、食べ物よりも殆どが水分で満腹になってしまう。自分では結構食べているつもりでも、量的には少ないらしく体重がなかなか増えない。もちろん口の痛みも原因だが、食べても美味しくない、という味覚障害が一番の原因!入院中の放射線治療も後半になると、口内炎や火傷で口から喉まで腫れ上がり、食べるどころか自分の唾液さえ飲み込めなかった。(そこで、胃ろうさんが活躍してくれたんですが。)いざ、食べられなくなってみると、食べると言うことの大切さがよく分かる。食欲は普通にあるので普通に食べたいのだけれど、口は何も食べられない状態。あぁ思い出しても辛いわ。毎日、隣で同じ治療をしているNさんと何でもいいから食べたいねぇ、とため息混じりに話しをしていた。テレビで美味しい物を紹介する番組やお料理の番組を捜しては、ず~っと見ていた。なぜか、食べられない時期はず~っとそんな番組ばかり見ていた。口が治ったら、あれ食べようとか、これ食べたいとか考えながら。おもしろいのは、必ずとなりのNさんと同じ番組を見ていたこと!必ず!いつも!間仕切りのカーテンを開けて、二人でため息混じりに見ていたものです。でも、この頃の方が今に比べたら食べ物への期待が大きかった分、楽しかったのかも。まだ、食べる事への興味があったから。退院後、しばらくは胃ろうから栄養剤を流し込んでいるだけの食事。まだ、水さえ飲めなかったので、水も胃ろうから。その後、胃ろうのトラブルもあり、急きょ胃ろうも外してしまったので、頑張って口から食べる努力をした。それは、もちろん、流動食。始めは、野菜ジュースや果汁。少しすると、水分が多く甘い物であれば、果物も食べられるようになった。美味しく食べられたのは、みかんとマンゴーと桃かな。ほぼ半年の間、果物と野菜ジュースで過ごしたのだ。それでも、量はたくさん食べられないので、少しずつ少しずつ一日中食べていたなぁ。そんなこんなで体重がみるみる25キロも減ってしまった。徐々にでも固形物も食べなくてはとトライしてみるが、美味しくない。味覚障害は徐々に良くなってはいるものの、口の中が腫れて、唾液も無いのでなにを食べても美味しくない。手を水で濡らさずに、おにぎりを握っている状態とでも言いましょうか。もう飲み込めないどころじゃなく、噛めもしないの。無くなって初めて分かる唾液の偉大さ。健康なときには、想像もしなかった状況に、ていうか、想像なんて出来ないよね、普通。唾液がいかに大切なものなのか。鼻の方は後遺症もなく、火傷が収まった時点で復活していたので美味しそうな匂いを嗅いでいるときが一番美味しかった気がする。これは、今でも同じ。匂いがごちそう!こんな感じで、もう食べても美味しくないのが本能的に分かってしまうと、不思議なことに食欲ってわかなくなるのよね。美味しそうな番組を見ても全然食欲わかないって、すごく悲しい。それでも、家族に食事を作らなくてはならない…何も食べたくないのに、自分で料理するのがこんなに辛いとは。入院前は小太りで、40代になってからは、痩せたくても痩せなくて困っていたのに…放射線治療を始める前にやった抗ガン剤治療でも、体重は落ちずにかえって太り、先生を驚かせた程なのに…食欲って大切だよ。健康のバロメーター。それでも、日々、美味しいと感じる食べ物を捜しては何とか食事の楽しみを復活させたいと思っている。今のお気に入りは、茶碗蒸し!さぁて、これからも美味しいもの捜すぞ~。
2009年02月03日
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胃ろうについて書きます。放射線治療をするに当たり、しなければならない事があった。まず、歯の治療。放射線を当てた場所は、あとから治療をするのにいろいろ問題があるので、悪い歯を治療しておかねばならない。私は、歯が弱く、子供に手が掛かると言うのを理由に歯をケアを怠っていたのだ。奥歯の詰め物がとれてしまったいるのにほおっておいたのがたくさんあり、歯が駄目になっていたので、7本も抜歯された。一気に抜歯したので、痛い痛い。でも、これは序の口だ。歯の治療以外にもあったのだ。ある日、看護士さんが私の治療プログラムを見ていった。胃ろうするんですね。先生から説明を受けましたか?えっ?胃ろう?って何?あまりにもたくさんの事が一度に説明され、たぶん、説明されたんだと思うけど、記憶にない。インターネットで調べてみた。何これ?口から食べられなくなるから、胃ろうを作るのはわかった。理由はわかった。でも、これって、手術?早速、となりの仲良くしてるおばあちゃん(Nさん)に聞いてみた。”大丈夫!麻酔でぼ~っとしているうちに終わっちゃうから””術後の痛みの方が辛いのよ”ですって。そうか、意識無い間に終わっちゃうんなら大丈夫か。ところがどっこい、いざ、手術の日。胃ろうを作るんだけど、最初に胃カメラを飲むためにのどに麻酔のスプレーをかける。そして胃カメラを見ながら手術するのだ。胃カメラは以前経験があるので、そうとう辛いのは知っていたし、苦しいのは胃カメラの違和感で吐き気が来る事。これなら我慢出来るのも分かっていたので大丈夫。余裕余裕。そして血管から麻酔?を入れて意識をぼんやりさせるんだけど、全然聞かない。意識はっきりしてるし!え~?こんなんで始めちゃうの?ところが。そこで、先生がおもむろに私のお腹を出し、部分麻酔を注射し始めた。感じますか?と私のお腹を押し、先生が聞いた。感じます。痛そうです。怖いのでそう感じるのだろうけど、怖いよ。麻酔を一本足した。それから、おへその左上あたりにメスを入れた。少し痛い気もするけど、我慢出来る。でも、問題なのは、麻酔の注射したのに、意識がはっきりしていることだぁ~!喉から胃までカメラのワイヤーが通っているので、しゃべれない!そのまま、今度は、口から胃ろうを入れる。意識あるんですけど!これで良いの?苦しいんですけど!あうあう良いながらもあっという間に胃ろうは口から胃まで到達しメスで開けた穴からおへその上に出現。あとは、胃と表皮を縫いつけて終わり。患部の痛みはそれほどでは無かった、気がする。それよりも意識がはっきりしている事での動揺の方が大きくて、よく分からない。後で先生に聞いたら、お年寄りは意識が朦朧としやすいんだけど、若いと中には麻酔が効かない人もいるらしい。そう言えば、以前もそんなことあったなぁ。お酒が強いと麻酔が効きにくいって聞いた事あるし。ほんとかどうか分からないけど。と言う具合に私のお腹には半年の間胃ろうさんがいたのです。写真撮っておけばよかったなぁ。今になったからいえる言葉なんだけどね。胃ろうについて、もう少しあるので次回にします。
2009年01月31日
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今朝、突然歯茎が痛み出した去年の秋の終わりにも1度あったけど、どうも身体が疲れていたり、寝不足だったりすると発症するらしい。放射線治療の後遺症で、治療前にさんざん説明があったけど、本当にいろいろと出てきてくれること。まだ出てこない後遺症もたくさんあり、ちょっと不安。あごの関節にも放射線が当たっているので、口が開かなくなる可能性がある。口が開かないと言うことは、食べることが出来ないって言うこと?おしゃべりが出来ないって言うこと?大きな口を開けて笑えないし、子供達とのコーラスも無理・・・今の所どうにか開くけど、大きな口は開けられないし、物をかむとかくかくする。まぁまだ大丈夫だ!と思う。今、一番辛いのは、歯茎の痛み、あと口の中の痛み。1年前に比べれば、何て事無いんだけど、食べると痛みが出てくるのには閉口している。お腹が空くので、何かを食べようとしても、痛くて食べられん!食べたいものと、食べられるものとのギャップが辛い。もともと辛党でマイ唐辛子持参していた程。大好きなキムチも、明太子も、カレーも、酢の物も、チョコレートも、飴も、その他もろもろが食べられないのです。まず、唾液がほとんど出ないので何を食べるのにも水分が不可欠。以前、パンの試食をうっかりしてしまい、口に入れたが唾液が出ないので、全然噛めなくて、ひたすら歯にこびり付くばかりでえらい困った事があった。あれ以来試食はタブーなのだ。さみしいぃ~。もちろん、他の何でも歯にくっついてしまい、うまく食べられないのは同じ。何でもかんでも水で流し込む。ほんと唾液って大切よ~!無くなって初めて分かる唾液の偉大さ。一日2リットルくらい分泌されているらしいのね。その分を水で賄ってあげないとならないと言う事ですか。かるく2リットルは飲んでいると思う。サンドイッチ1つ食べるのに、水を500ccは必要だもの。もう水でお腹ぱんぱんです。だからちょびっとしか食べられませんの。でも退院した頃に比べれば、もの凄~く食べられる様になったのです。退院した時は、まだ胃ろうが付いていたので、胃ろうからテルミールや水を注入していた。口からはかろうじて、少量の水を飲み込むのが精一杯だったから。胃ろうに関しては、また別の機会に書きますね。胃ろうだけに、いろいろあってね、なんちゃって。と、言うわけで、2シーズンはみかんと、マンゴーと、水と、野菜ジュースと、果汁と、健康茶しか口に出来なかった。それで、体重はみるみる落ち、結局25kg痩せた。まぁ、元が小太りだったのと、結婚前は、がりがりだった事もあり、ダイエットが出来てよかったわぁ、っていう。でもちょっとスーパー銭湯では恥ずかしいかも。もう慣れちゃったから全然平気だけど、ちょっと視線が痛かった事もなきにしもあらずってとこかな。口の中はその頃に比べれば、ものすごく良くなってきたけど、唾液の分泌だけは改善されないなぁ。特に今、冬で乾燥しているから、口の中が乾く乾く。いつも手の届く所に水がある。コーヒーだったり、紅茶だったりもするけど、基本水かな。食べるときに、ものの味が変わらないのが水なんだよね。水、神!でもえらいトイレが近い。これには参った参った。
2009年01月30日
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今回は、がんの宣告をされてから始めた健康食品(?)や身体の免疫力を上げるとか言われている商品について。いい加減な性格な私は、きちんとした説明が出来ないので、きちんと説明してある他の方のホームページを紹介しますね。http://www.geocities.jp/pino55v/daitai.htmlこのサイトは上咽頭がんの情報を探していて、たどり着いたふじみとむ。さんの記録です。闘病中、その後とたくさん読ませて頂きました。闘病中やその後の事など、詳しく書かれています。とても参考になりましたし、勇気も頂きました。自分でためした代替え療法も書いておきますね。1 食事療法 ゲルソン式食事療法。 これはガン細胞は塩や油などで大きくなるとかで、 身体に必要な最小限の食事?でガンを飢えさせる。みたいな感じ。 でも、医師はこんな事決して言わなかった。 何でも食べて良いですよと。 費用はかかりません。2 玄米繊維の微粉末(アラビノキシラン) 植物発酵食品(万田酵素) これはセットで始めました。 入院前から、入院中に飲みました。 いいお値段でしたので、1回だけ。3 ノニジュース 夫の知り合いの奥様が、 やはり上咽頭がんで 退院後に飲み始めたと言うことで紹介してもらった。 10年前に知ったが、 そのころは¥6000もしたので一回きりでやめた経験あり。 TVでエイズについての放送があったときに、 薬も届かない地域の治療に、唯一これだけ飲んでいますと、 ノニジュースを飲んでいたので、信じてのみ続けている。 安く手に入る所もあるので費用的にはOK。4 法師茸 これは煎じて飲むきのこ茶。 夫の両親が田舎に行ったときに買ってきてくれ、薦めてくれた。 まさにきのこ茶。退院後半年続けた。 飲み物しか飲めない時に一日中飲んでいた。 免疫力をあげてくれるらしい。 費用は不明だが、普通に買える値段らしい。5 フコイダン ぬるぬるバージョン がんの宣告を受け、まず最初にはじめた食品。 以前から知られているもずくのねばねば成分の凝縮されたのも? と言う感じ。まずい!でも入院中、退院後と続けた。 ドリンクバージョン シズル社の健康食品。友達からの薦め。 半年飲んだが、いいお値段のため今は中断。 ブルーベリー味で飲みやすく、出来れば続けたい食品。6 プロポリス 入院前に自分で薬局で購入。 味にどうしてもなじめず、1回で断念。7 尿療法 入院前に実施。 がんをやっつける為には何だってするぞ! の勢いで始めた。 朝一番の自分の尿を飲む。始めは抵抗あったが、慣れた。 費用もかからず、経済的! ただし、治療中は出来なかった。 また再開しようと考えている。8 タヒボ茶 1回購入するも、口に合わず断念。こんな所でしょうか。たぶん、忘れてしまっているものもあると思いますが、とりあえず。
2009年01月29日
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もし、誰かこれから放射線治療をしなくてはならない状況になり(私だ)、わらをもつかむ気持ちで、抗ガン剤や放射線やその他もろもろを検索し(私だ)、不安で、怖くて少しでも情報が欲しくて(私だ)、たまたまここを訪れてくれたとしたら(私だ)、どうしても伝えたいことがある。私がそうだった様に。私が経験したことを伝えておきたい。私は上咽頭がんで、先生にはあえて聞かなかったのだけど、ステージで言えばかなり悪い(たぶん4期)。治療方法は1,抗ガン剤治療 タキソテール、シスプラチン、TS1(3週間で1クール) ×4回2,1の後に、 抗ガン剤治療 タキソテール、シスプラチン (3週間で1クール) ×3 平行して、放射線照射{IMRT(強度変調放射線治療)}34回1の終了時には、タキソテールの後遺症で髪は抜け落ちてはいたものの、体力的には、まだまだ元気だった。これは最後までいけるかも?なんて結構お気楽だったのでした。問題は、放射線治療!IMRT(強度変調放射線治療)という治療方法だったのですが、照射部位が頭頸部な為に頭から顔、肩までを固定するお面の様な物を作った。これを被って照射するのだが、これが何よりつらいかぶるだけでなく、お面をベッドにぎゅ~っと押しつける様に固定するのだ。もちろん、顔面にも押しつけられて瞼も動かないわ、つばを飲み込もうと思っても、ごっくんのご、さえ出来ないくらいにピッチピチ。くしゃみするときはどうしたらいいの~?放射線科の先生に”苦しかったり、パニックを起こしそうだったら手をあげて知らせてください”と言われた。それを聞いただけで、がくがくぶるぶる。この状態でどのくらいの間?こうしていればいいの?本当にパニックに陥りそう。ベッドに貼り付けられ、固定され、そのまま20分。耐えに耐えた…途中、幾度手が上がり掛けたことか!本当にパニック寸前でしたね。そのたびに、心の中で「平常心、平常心」と唱え。ここはリゾートの浜辺で、私は日光浴をしている…ちょっと苦しいのは、きっと暑さのせいね…なんてイメージを頭に思い描いて。とにかく初めての体験をどうにか乗り越えたのでした。でも、これ何回やるんだっけ?安堵するのもつかの間、恐怖と不安が再びやってきました。暗ーい顔で病室に帰り、舌ガンで私より2週間まえからちょうど同じ治療をしているおばあちゃんに泣きつきました。そうしたらおばあちゃんが”大丈夫!大丈夫!””治療をしていくうちに慣れて、怖くなくなるから!”と励ましたくれたのです。少しほっとはしたものの、不安は消えませんでした。次の日になり、放射線治療の為に部屋を出ていく私に、おばあちゃんが”大丈夫だよ!”と言ってくれたのが、とても嬉しかった。これだけ読んでいると、本当に憂鬱を通り越して恐怖になってしまうかもしれませんね。ごめんなさい!違うのです。ここからが言いたいこと!あの苦しくて、怖くて、狭くて、息も出来なくて、もちろんくしゃみも咳もできなくて、ただただ耐えるだけのお面でベッドに縛り付けられる治療も慣れる!!!!!!!!!!!!のです。閉所恐怖症で、帯を締めているだけでもパニックになってしまう私でも慣れたのだから。声を大きくして何回も言うよ!放射線治療のお面は慣れま~~~~~~~~~~~~す。怖くなくなりま~~~~~~~~~~~~~~~~す。そのうちにうたた寝さえも出来るようになりますよ。音楽が流れていれば最高!最初からこう言えば良かった?でも最後までよんでくれてありがとうね。経験した私は、このことは絶対に伝えたかった。不安で押しつぶされそうな人に言いたかった。注:もしかしたら、最後まで辛い人もいるかもしれません。 絶対に慣れるという保証はありません。 そういう場合も考慮にいれて読んでくださいね。 その時は、ごめんなさい。気を持たせてしまいごめんなさい。 でも、気の弱い私が出来た事だから。 きっと大丈夫だと思います。
2009年01月28日
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放射線があたった口の中は、いまだに悲惨な状態。お腹がすいて食べたいのに、食べてもおいしくないのが分かっているから、何にも食べたくない。味は徐々に分かって来たけど、味が少しでも濃いと口の中が大変な事になってしまう。因幡の素うさぎの肌に海水を浴びせるのと同じ事になってしまうのよ。でも食べたいから、痛い痛いと言いながら食べるんだけどね。すっこしだけ。お水は欠かせません
2009年01月27日
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上咽頭がんの全ての治療を終えて、はや一年4ヶ月。人間って不思議だね。嫌な事やつらい事は忘れてしまう様に出来てるんだね。今では、思い出そうとしない限り、私の頭の中にはつらかった思いではない。そう言えば、つらかったのかも…そうだ。かな~りつらかったなぁ。退院してからも、放射線あたったところはずっとトラブルつづきで、何にも食べられなくて20キロ以上も体重がへってしまったし。血液もやられてしまい、洗濯物を干すのに腕を上げるだけで貧血起こすし、立ち上がれば、必ずたちくらみ…うゎ思い出さない方がいいかも。でも現実だったこと、忘れちゃダメなんだよね、たぶん。
2009年01月27日
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つづきます。悪性リンパ腫だろうと思っていた医者さんは、原発を探すのに必死です。また検査検査。結局、鼻の穴からのカメラで、上咽頭にがんを発見したのでした。めでたしめでたし。じゃあな~い!先生ったら隠しもせず、本人に向かって、しかも躊躇もせずにがんの宣告しちゃったのですよ。えっ!って感じです。テレビとかで見る、どなたかご家族の方いらっしゃいませんか?とかないの?しかも余命、聞きます?ですと。なんたる無礼な。でもこいつ、いや医者のおかげでファイトわきましたね~。ぜってーいきのびてやる!ってね。即、紹介状を書いてもらい、がんの専門病院へ。なんか文がへたで短くできないや。また、続きかきますわ
2009年01月27日
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ちょっと本当は思い出したくもない話だけど、あえて書く。事の始まりは2006の夏のこと。首の左側に1つしこりが出来た。なんかイヤな感じはしたけど、忙しいのにかまけて無いことにした。秋になり、子供が風邪で通院した時に一緒に視てもらった。血液検査の結果は、問題なし。首のしこりは抗生物質を飲めば直るでしょう、でした。で、忘れていました。ところがどっこい、冬になりすっかり寒くなった頃、それはやってきたのだ。首のしこりが増えてる!それも1つ2つじゃない!もう左側ボコボコ。さすがに焦りました。翌日、病院に行ったんだけど、あほな私は小児科に行ったのでした。だって、結婚してから医者いらずだったんだもの。こどもの病院しか知らないんだもの。案の定、即紹介状を書かれましたね。すぐに市内にある大学病院にいきまして、検査検査の1日検査ずくし。もうおなかいっぱい!状態。2年も前の話なので細かいところまでは思い出せないけれど、この後、生体検査、これはいわゆるちょっとした外科手術?そしてCT、PET、とあちこちの病院にとばされました。大学病院では検査も予約待ちで、3ヶ月も待つのですって。で、後は結果待ち。ところが、結果がでるはずじゃあまだ無いっていう日に大学病院から連絡があり、翌日にきて欲しいとの事。うわぁ、なんじゃ、とおそれつつも行ってみれば想像していたものと違うだって!長いから分けて書きますね
2009年01月27日
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さっきのはうちのリアルわんこ。うそです↓ 本物はこちら。
2009年01月19日
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ダッキーだわさ お披露目だよん。
2009年01月19日
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はっはっはっ携帯でブログが書けたのだでも、慣れていないのでえらい疲れる絵文字なんかも使ってみちゃうけど、どんなふうに書き込みされるのか…ちょっとやってみよ。
2009年01月19日
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昨日、なんでか急にパソコンがつかなくなった!なんで?なんで?修理に出すのでしばらく書けないかも。せっかくブログつくったのに。ショック!なんか呪われてる?(;。;)
2009年01月19日
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はじめまして、初めてのブログです。ダッキーとは、お話をするぬいぐみのわんこです。今の一番のお気に入り。今度画像のせましょう
2009年01月17日
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