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昨日は、国立能楽堂に、「第12回 能楽現在形」を観に参りました。
昨日の演目は、狂言「若菜」、能「求塚」。
狂言「若菜」。時は早春。大名(野村万之介)が八瀬・大原(京都市北部)あたりへ海阿弥(かいあみ)と言う名の同朋(僧形の近侍・野村萬斎)を連れて野遊びに出かけます。梅の花を愛でたり、鶯を獲ろうとして遊んでいるところへ、大勢の大原女たち(深田博冶、月崎晴夫、高野和憲、竹山悠樹、石田幸雄)が歌いながら若菜を摘みに来ました。大原木を頭に乗せた風情ある姿に魅せられて、酒の相手を頼みます。賑やかな酒宴となり、互いに小歌を歌ったり、舞を舞ったりして楽しい時を過ごします。やがて夕暮れとなり、名残を惜しみながら別れを告げます。
能「求塚」の冒頭に出てくる菜摘みに合わせた選曲なのでしょうか。若菜摘みの乙女たちは、正直、あまり可憐な風情ではないけれど
、春の野の風情は充分に楽しめました。
萬斎さんの舞いと謡いもたっぷりありました。
でも、実は、萬斎さんの僧形はあまり好きではありません。頭が隠れてしまうのがなあ。
能「求塚」。都へ向かう西国の僧(ワキ・宝生欣哉)は、生田の里に足を休めました。頃は初春。里の娘たち(前シテ・前ツレ)が恒例の菜摘にと現れます。春浅き野は未だ寒く、宮中では風雅な遊びの菜摘も里では労働に変わりありません。しかし若い娘たちは万葉の古歌を引き、歌い、笑いさざめき屈託ない若さを誇っています。それに誘われるごとく僧は万葉の故事・求塚の在り処を尋ねますが、娘たちは笑って相手にならなりません。そのうち菜摘を終えた娘たちは僧を残して立ち去りますが、一人、僧が初に話しかけた娘(前シテ・片山清司)のみが居残ります。娘は僧を求塚に案内し、請いに応えて求塚の故事を話し始めます。昔、この地に菟名日乙女(うないおとめ)という美しい娘があり、小竹田男(ささだおとこ)、血沼丈夫(ちぬのますらお)の二人の男に同時に求婚されていました。どちらとも決めかねた娘は母の勧めに従い、生田川に遊ぶ鴛鴦の番(つがい)を指し、あれを見事射当てた方を選ぶと告げます。ところが二人の射た矢は同時に鴛鴦の体に当たってしまいます。何の罪もない水鳥までも殺したのは我が科と、思いつめた娘は身を投げてしまいます。その死を知った二人の男も、娘を葬った塚の前で刺し違え、後を追ってしまったのでした。語り終えた娘は、一時僧をじっと見つめ、全ての科のもととなった罪深い身を助け給えと言い置いて、ふっと塚の内に消えていきました...。僧が見守るうち、塚の中から菟名日乙女(後シテ)が現れます。乙女は左右の手を小竹田男、血沼丈夫に取られ煉獄へ連れられて、死して後も執心から逃れる術もなく、煉獄の火炎と焦熱に身を焼かれ、僧へ助けを求める叫びを残して、また塚の内へと消えていくのでした
。
ちょうど、3週間前に宝生流の「求塚」を拝見したばかりでした。違いはよくわからないのですが。最後のシテの退場が、幕にそのまま入っていくのではなく、橋掛かりの途中で扇で隠すように座り込んで終わるのが印象的でした。プログラムで、観世銕之丞さんが解説されていたとおり、菟名日乙女の霊は、結局、救われることなく、生田の地を永遠にさ迷っているということでしょうか。
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