台湾迷(台湾マニアのブログ)

台湾迷(台湾マニアのブログ)

各駅紹介NO1



台北(台北市中正区) タイ ペイ/タイ パク/トイ ペッ

首都・台北の中心ターミナル駅。駅舎は正方形のビルに大きな屋根が美しく、内部は大きな吹き抜けとなっている。2階には東南アジアの輸入品を売るお店やレストラン、1階は切符売り場、地下1階が改札、地下2階がプラットホームとなっている。もともとホームが4面あったが、いまは2面閉鎖されて、新幹線用のホームが建設中だ。台北駅を出発すると進行方向の左側に新幹線の線路が見える。台北駅では台北MRTの淡水線と板南線と乗り換えができる。将来は中正空港快速鉄道も台北駅まで建設される。駅南は予備校・学習塾街となっていて若者でにぎわっている。駅前の新光三越ビルは台北市のランドマークとなっており、46階の展望台からは台北市内が一望できる。


萬華(台北市萬華区) ワン ホア/バン カ

台北駅から中華路の地下を走り、次に着くのが萬華駅。萬華は台北の下町にあたる地区。駅から5分ほど歩けば龍山寺や華西街観光夜市などの観光スポットがある。MRT板南線の龍山寺駅にも近い。駅構内は地下駅のため、節電しているのか薄暗い。


板橋(台北県板橋市) パン チャオ/パン キヨ/ピョン キェウ

列車は台北から板橋まではずっと地下を走り、淡水河をトンネルでくぐると台北県に入る。板橋は台北県の県庁所在地で、板橋駅前には台北県政府の大きなビルがある。板橋は台湾新幹線の駅も併設され、2006年にはMRT板南線も乗りいれ、台北県最大のターミナル駅となる。駅から北東に15分ほど歩くと林家花園や板橋南雅夜市がある。


樹林(台北県樹林市) スウ リン/チウ ナア

板橋駅を出てしばらくすると列車は地上へ顔を出す。大漢渓の橋を渡ると台湾新幹線の高架橋が北へ分かれ、しばらくすると樹林に到着する。樹林駅西側には車庫があり、花蓮、台東方面の東部幹線の列車はここを起点にしている。駅南側には庶民的な雰囲気の夜市がある。


山佳(台北県樹林市) サン チア/ソワ カー

樹林を出ると、列車は山ぎわを走る。ここはもともと山ぎわという意味の山子脚(ソワーカー)と呼ばれていた駅。普通電車しか止まらないローカルな駅だが、どことなく懐かしいようなのどかな雰囲気のよい駅だ。


鶯歌(台北県鶯歌鎮) イン コー/イェン コー

鶯歌は陶器の町としてその名を知られ、町には陶芸店が並んでいる。車窓からも北側にその町の風景を見ることができる。また、鶯歌から老街がある三峡へも近い


桃園(桃園県桃園市) タオ ユエン/トー フン/トオ イェン

鶯歌から峠を一つ越えると桃園県に入り、県庁所在地である桃園に到着する。ここから中正国際空港までは約10キロと近い。駅から東に3キロほどのところに、中華民国軍戦死者を祀った忠烈祠があるが、ここは日本時代の桃園神社の建物がほとんどそのままの形でいまも残っている。


埔心(桃園県楊梅鎮) プウ シン/ポオ シム/プウ シム

中を出発し、平鎮市を抜けて、楊梅鎮に入ったところに埔心駅がある。キャンプができる味全の埔心牧場に近い。駅北西方向の幼獅インターチェンジ付近に幼獅工業区がある。


楊梅(桃園県楊梅鎮) ヤン メイ/イユ ムイ/ヨン モイ

楊梅も客家人が多く、1920(大正9)年まで楊梅ヨンモイラク)と呼ばれた町。楊梅は「やまもも」という意味。楊梅鎮公所に近い大華街はレトロなムード漂う老街で、かつてはここに駅があった。駅の南方向に楊梅観光茶園がある。


湖口(新竹県湖口郷) フウ コウ/オオ カウ/フウキェウ

楊梅鎮を過ぎて湖口郷に入るともう新竹県。いまの駅は1929(昭和4)年にできたルート上にあり、このあたりにできた新市街地は新湖口と呼ばれている。これに対して、老湖口と呼ばれている老街は旧・湖口駅とともに発展し、大正時代に建てられた赤レンガの建物が並んでいる。湖口老街は中山高速公路と台1線道路に挟まれたところに位置する。湖口郷南東の山には湖口観光果園や茶園がある。


新豊(新竹県湖口郷) シン フォン/シン ホン/シン フゥン

新豊駅は住所上は湖口郷に位置する。湖口郷側の新豊駅より東は新竹工業区が広がり、駅西側は新豊郷だ。新豊はかつてオランダとの通商港があったことから紅毛港(アンムンカン)と呼ばれていた。車窓から海は見えないが、紅毛港の北側に新豊海水浴場がある。駅から西2キロほどのところに、新豊ゴルフ場や小[口丁][口當]科学パークがある。


竹北(新竹県竹北市) ツウ ペイ/ティェク パク/ツク ペッ

竹北は新竹県最大の市で、新竹県政府も竹北市に置かれている。かつて舊港(クウカン)と呼ばれた市西側はホーロー人が多く、六張犁(リュクツォンライ)や六家(リュッカー)と呼ばれた市東側は客家人が多い。駅西側、中正西路には先住民タオカス族テェクツァム社の先祖を祀った采田福地という廟がある。六家地区では台湾新幹線・新竹六家駅が建設中で、駅周辺も再開発が進んでいる。


新竹(新竹市東区) シン ツウ/シン ティェク/シン ツク

新竹は人口約40万、台湾北部の代表的な都市。市内には新竹サイエンスパークがあり、日本人の駐在員も多い。新竹駅の駅舎は松ヶ崎萬長が設計したバロック様式を採り入れた建築。1913(大正2年)に建てられたものがいまも現役で使われている。駅前にそごう百貨店があるほか、市内に新光三越百貨店、風城ショッピングセンターなどのデパートがある。また、駅から歩ける範囲に東門や城[B皇]廟などの古跡がある。城[B皇]廟内の小吃では、米粉(ビーフン)や貢丸(コンワン)などの名物料理が食べられる店が並んでいる。駅裏側にあたる東にはガラス工芸博物館、交通大学、清華大学があり、新竹ICより東は新竹サイエンスパークが広がっている。鉄道は新竹から竹東方面へ内湾線が分岐している。


香山(新竹市香山区) シャン サン/ヒョン サン

香山駅は新竹市内にありながらも、のどかな雰囲気だ。駅舎は日本時代に建てられた木造駅舎がいまも現役だ。駅から海が近く、海岸まで歩いてすぐ。香山海岸では潮干狩りができる。


竹南(苗栗県竹南鎮) ツウ ナン/ティェク ラム/ツク ナム

新竹の南、苗栗県に入ってはじめの町が竹南。ここから鉄道は後龍、苑裡、大甲、沙鹿方面へ向かう海線と、苗栗、豊原、台中方面へ向かう山線に分岐している。現在は、台中を通る山線がメインとなっていて、海線を通る急行列車は少ない。このあたりはもともと台湾原住民タオカス族が住んでいたが、中港渓沿いに福建や広東からの移民が住み着くようになり、いまでは竹南はホーロー人、隣の頭[イ分](テウフゥン)は客家人の比率が高い。竹南鎮北部の崎頂には海水浴場がある。


造橋(苗栗県造橋郷) ツァオ チャオ/ツォー キオ/ツォー キェウ

造橋は台湾でも珍しい油田があったところ。錦水地区では日本時代から石油や天然ガスの採掘地として栄えたが、1989年に枯渇し、工場も移転してさびれた。造橋郷には客家民俗文物館や自動車博物館が併設されているシャングリアランド(香格里拉楽園)があるが、造橋駅より竹南駅や苗栗駅からバスに乗ったほうが便利。


苗栗(苗栗県苗栗市) ミャオ リー/ビャウ リェク/メウ リッ

苗栗市は苗栗県の県庁所在地。駅南西に官庁街がある。苗栗県は客家人比率の高い県で、特に山線地区に集中している。苗栗はもともと台湾原住民タオカス族ヴァリイ社があったが、1736年に広東省の梅県から渡ってきた客家人が開拓をはじめ、いまでは客家文化の強い町となっている。苗栗県は石油や天然ガスが産出されることから、市内に石油会社が集中している。また、良質な粘土がとれることから陶芸も盛んだ。駅近くには鉄道公園があり、蒸気機関車が展示されている。


銅鑼(苗栗県銅鑼郷) トン ルオ/タン ロー/トゥン ロオ

銅鑼は西湖渓と後龍渓に挟まれた町。銅鑼郷南の雙峰山では春になると油桐花(アブラギリ)が咲いて美しい。東隣の公館郷には台湾蚕業文化館、甕之郷陶芸館、台湾油礦陳列館などがある。さらに上流の大湖郷はイチゴ狩り農園がある。


三義(苗栗県三義郷) サン イー/サム ギー/サム ニー

三義はクスノキを利用した木彫り工芸が盛んで。町全体が彫刻の町という雰囲気だ。三義トンネルの開通で廃止された旧線の勝興駅は海抜402メートルで、台湾縦貫鉄道の中で最も高い駅だった。いまも駅舎は残され、観光名所になっている。また、勝興駅跡から2キロほど進んだところに1935年に発生した台中大地震で崩れたレンガ造りのアーチ橋跡「龍騰斷橋」があり、古跡となっている。


后里(台中県后里郷) ホウ リー/アウ リー/ヘウ リー

三義トンネルを抜け、大安渓を渡ると台中県。旧線の泰安駅跡は鉄道文化園区になっていて、駅跡には1935年の台中大地震の復興を記念した震災復興記念碑が残っている。后里郷公所は日本時代に建てられたものが現役で使われていて、2度台中を襲った大震災でもビクともしなかった。駅西側約5キロに月眉観光製糖工場や月眉育楽ワールド遊園地がある。


豊原(台中県豊原市) フォン ユエン/ホン ゴワン/フゥン ニエン

后里から大甲渓を渡ると豊原市に入る。豊原は台中県の県庁所在地。豊原はもともと台湾原住民パゼッヘ族のフルトンという村があったところで、豊かな平原だったことから1920(大正9)年に葫蘆[土敦](ホロトゥン)から豊原に改称された。駅西側には天上聖母を祀る歴史ある慈濟宮があり、豊原の信仰中心となっている。豊原から以前は東勢まで鉄道の支線があったが、いまは廃止され、その廃線跡はサイクリングロードになっている。


潭子(台中県潭子郷) タン ツ/タム ツウ

豊原と台中の真ん中に位置するのが潭子。ここはもともとパゼッヘ族のアリサイ社があった。清の時代に大陸華南からの移民が開墾をはじめ、1920(大正9)年に潭仔[土乾](タマーキイ)から潭子に改称された。いまは台中輸出加工区が置かれ、工業地帯となっている。1975年までここから神岡、大雅方面へ支線があった。いまはその線路跡はサイクリングロードになっている。


台中(台中市中区) タイ ツォン/タイ テョン

台中は2003年に人口100万人を突破した台湾中部を代表する大都市。台中駅はその玄関口にあたるが、現在の駅舎は1917(大正6)年に建てられた日本時代のものが現役で使われている。台中駅周辺は日本時代に開発された地区で、台中市政府の建物も日本時代に台中州庁舎として建てられたものがそのまま使われている。台中公園も開園100年を超え、台中市民の憩いの場となっている。台中市内を貫くメインストリート台中港路の周辺は大型ショッピングモールや高層ビルが立ち並び都会的。台中の長距離バスの拠点は、台中港路と高速道路台中ICがぶつかる朝馬地区に集まっている。


烏日(台中県烏日郷) ウー ズー/オオ ジッ

烏日は、「台湾ビール」の工場がある町。いまは通勤電車しか停まらない小さな駅だが、烏日駅のそばに台湾新幹線(高鉄)が直角に交差し、そこに台中烏日駅ができる。台中烏日駅は今後、台中の新たな玄関口となり、駅周辺も開発が進められている。いまはまだ空き地が多いが、数年後には都会的な景色に一変していることだろう。この先、沙鹿、清水、大甲方面へ海線が分岐している。


彰化(彰化県彰化市) ツァン ホア/チョン ホア

大甲方面からの海線と合流し、烏渓(大肚渓)の鉄橋を渡ると彰化県に入る。彰化は海線と山線が合流する交通の要衝であることから、鉄道の町として発展した。彰化駅の操車場には珍しいターンテーブル付きの扇形機関庫がいまも使われている。もともと平地原住民ポアヴォサア族のポアソア社(村)があったことから、半線(ポアソア)という地名だったが、清の時代に「顕彰皇化」政策から彰化と名づけられた。肉圓(バーワン)、[火廣]肉飯(コンバープン)、猫鼠麺(ニャウチーミー)は彰化の三大名物料理。駅から東へ歩いたところにある八卦山には巨大な仏像があり、彰化のトレードマークとなっている。また、彰化から西へ海側の歴史ある町・鹿港へ向かうバスが便利だ。


員林(彰化県員林鎮) ユエン リン/オワン リム

員林は彰化県の中で、彰化市に次いで人口が多い町。清の時代は員林仔(イイナアー)と呼ばれていた。駅東側の員林公園内には客家系移民が建てた興賢書院が古跡として残っている。員林はバラの花や蜜餞(ドライフルーツ)が名物。彰化県は園芸農業が盛んで、近隣の永靖郷や田尾郷、渓州郷などではお花畑が広がっている。


田中(彰化県田中鎮) ティエン ツォン/テン テョン

周りが田んぼだったことからもともと田中央(ツァンテョンンー)と呼ばれていたのを、日本時代の1920(大正9)年に田中と改称した。駅から東の山沿いに田中森林公園、長青サイクリングロード、贊天宮、花果園、赤レンガ煙楼文物館などの見所がある。陶芸も盛んで、駅西側に田中窯の工場がある。



二水(彰化県二水郷) アル スエイ/ジー ツイ

集集線との乗換駅。集集線は濁水渓に沿って、南投県の名間、集集、水里、車[土呈]方面を結んでいる。二本の川が八の字の形に流れていることから清の時代は二八水(ジーパッスイ)と呼ばれていた。駅前には鉄道文物区がある。駅周辺は農村で、自然も豊富だ。


林内(雲林県林内郷) リン ネイ/ナア ライ

濁水渓の橋を渡ると雲林県に入る。濁水渓はその名の通り濁流とゴツゴツした岩が転がる荒々しい台湾で最も長い川だ。林内は果樹園が多く、駅から林内観光農園が近い。郷内には良質なウーロン茶で有名な坪頂茶園、日本時代に建設された濁水発電廠、台湾最大のチベット仏教寺院の白馬山菩提講堂などがある。


斗六(雲林県斗六市) トウ リョウ/タウ ラク

斗六は雲林県最大の都市であり、雲林県の県庁所在地。もともと台湾原住民ホアニヤ族のタウラク社があったことが地名の由来となっている。町には雲林渓が流れ、駅は川の北東側、県政府や市公所は川の南西側に位置する。斗六駅から雲林渓の間に太平老街や雲林溪攤販集中市場などのスポットがある。


斗南(雲林県斗南鎮) トウ ナン/タウ ラム

斗南はホアニヤ族タアリイヴー社があったことから他里霧(タアリーブウ)と呼ばれていたが、1920(大正9)年に斗南に改称された。斗南の西隣の虎尾はかつて大日本製糖の工場があった製糖の町。かつては斗南から鉄道がつながっていたが、いまでは製糖鉄道も廃止されている。東隣の古坑はコーヒーで有名な村。剣湖山遊園地も近い。


民雄(嘉義県民雄郷) ミン ション/ビン ヒョン

雲林県から嘉義県に入りしばらく走ると民雄に着く。民雄はホアニヤ族のタアニアウ社があったことから打猫(タアニャウ)と呼ばれていたが、日本時代の1920(大正9)年に音が近い民雄(たみお)に改められた。駅西側の和平路は[我鳥]肉街と呼ばれ、ガチョウ肉を売る店が並んでいる。民雄郷はパイナップルの産地としても知られ、パイナップル畑の面積は1


嘉義(嘉義市) チア イー/カー ギー

嘉義は人口約30万人の都市。もともとホアニヤ族のツウロウサン社があったことから諸羅(ツウロー)と呼ばれていたが、清国時代に嘉義と改称された。ここから阿里山までナローゲージの阿里山森林鉄道が分岐している。嘉義の少し南には北緯23.4°の北回帰線が通り、ちょうど亜熱帯気候と熱帯気候の境となる。嘉義公園には日本時代に嘉義神社があり、いまは灯籠や社務所が残っている。日本時代に建てられた嘉義監獄は古跡に指定され保存が決まった。嘉義の郷土料理は鶏肉飯(ケーバープン)が有名。台湾新幹線・高鉄嘉義駅は嘉義県政府がある太保市にできるため、嘉義市からはやや遠い。


水上(嘉義県水上郷) スエイ サン/ツイ ション

1920(大正9)年まで水堀頭(ツイクッタウ)と呼ばれる町だった。嘉義駅と水上駅の間に北回帰線公園があり、このあたりはしばらく台1線道路と並走する。嘉義空港は北回帰線公園から近い。


後壁(台南県後壁郷) ホウ ピー/アウ ピア

八掌渓を渡ると台南県に入る。後壁駅の駅舎は日本時代に建てられた木造駅舎。郷内は嘉南大[土川]の灌漑で潤う水田が広がる。烏樹林(オオチウナア)ではかつての製糖鉄道が観光用に再整備され、ナローゲージの五分仔車(ゴフナチャ)に体験乗車できる。後壁の隣の白河郷は蓮花(ハス)が有名。


新營(台南県新営市) シン イン/シン イヤ

新営は台南県の県庁所在地でかつては製糖産業で栄えた。新営駅から少し南に歩いたところにある新営糖廠では製糖鉄道を観光化して、新営糖廠から柳営郷の営長観光牧場まで4.6キロ運行している。爆竹祭りで有名な塩水(キャムツイ)鎮は新営市の西隣り。


林鳳營(台南県六甲郷) リン フォン イン/リム ホン イヤ

林鳳営駅は1933(昭和8)年に建てられた日本時代の木造駅舎がある。六甲の市街地は東に数キロ離れたところにあるため、のどかなローカル駅だ。南に「林鳳営鮮乳」で知られる味全の牧場がある。


隆田(台南県官田郷) ロン ティエン/リョン テン

隆田駅がある官田郷は陳水扁総統の故郷。菱の実が特産。東に烏山頭ダム(珊瑚潭)があるが、これは日本時代に八田与一技師が設計したもの。ダム周辺は公園になっており、公園内には八田技師のお墓と銅像がある。烏山頭ダムの水を引いているのが嘉南大[土川]で、嘉南平野を潤している。隆田駅から西へ行くと麻豆(モアタウ)で、ここは文旦(ブンタン)で有名だ。


善化(台南県善化郷) サン ホア/セン ホア

曽文渓を渡ると善化鎮に入る。ここはもともとシラヤ族のトアヴーラン(大武[土龍])社があったところで、1600年代にはオランダ人の教化を受け、鄭氏の時代には屯田駐兵が置かれた。清の時代は灣裏(オワンリー)という呼ばれていたが、1920(大正9)年の地名改正で善化となった。善化と新市にまたがって台南科学園区の開発が進められている。


新市(台南県新市郷) シン スー/シン チー

新市は先住民のシラヤ族がオランダ人の教化を受けて、オランダ時代には教会や学校があったという。中山高速道路と第二高速道路を結ぶ高速8号線が東西に走り、その交通の便を生かして台南科学園区の開発が進められている。


永康(台南県永康市) ヨン カン/イェン コン

かつては埔羌頭(ポオキウタウ)と呼ばれていた。台南市に接していることから近年人口が増えている。市内に鄭成功墓址記念碑がある。明朝の復活のために台湾を拠点にして清に反抗した鄭成功は、1661年に35歳で亡くなったあと、ここに墓地が建てられたが、清国が台湾を占領すると、台湾人に鄭成功を偲ばせないために鄭氏の墓を福建省に遷した。


台南(台南市東区) タイ ナン/タイ ラム

台南は台湾を代表する古都。オランダ時代や鄭成功時代から台南は歴史の主役だった。台南観光の定番の赤[山土欠]楼(チャカムラウ)は、もともと先住民シラヤ族チャカム社に1653年にオランダ人が築いたプロヴィンシヤ城だ。その後、鄭成功によって攻略された。延平郡王祠は鄭成功を祀る廟で、日本時代は関山神社と称していた。台南駅は日本時代の1936(昭和11)年に建てられた。白くてオシャレな駅舎だ。駅前は円形広場になっていて、椰子の樹が南国ムードを誘う。中山路のつきあたりの広場にあった旧台南市政府はいま台湾文学館になっている。そこから少し南に歩くと孔子廟がある。歴史散歩するに最適の街だ。郊外の安平にも老街やオランダ時代に建てられたゼーランジャ城跡がある。海側の七股まで足を伸ばせば台湾最大の塩田と塩山が見られる。


保安(台南県仁徳郷) パオ アン/ポー アン

台南の郊外の仁徳郷にあり急行列車は通過してしまうが、日本時代に建てられた木造駅舎が残る趣きある駅。保安駅~永康駅のキップは「永保安康」と縁起をかついで人気がある。駅から南東方向に保安工業区があり、ABS樹脂や液晶パネルで発展を続ける奇美グループの創業者・許文龍元会長のコレクションを展示した奇美博物館も近い。台湾新幹線(高鉄)の台南沙崙駅は仁徳郷の東隣の帰仁郷にできる。保安駅の先から新幹線・台南沙崙駅まで台鉄を延伸させて連絡する計画もある。


路竹(高雄県路竹郷) ルウ ツウ/ロオ ティェク

二仁渓を渡ると高雄県に入る。かつて高雄(鳳山)から台南までの中間に位置し、旅人が竹の陰で一休みしたことから半路竹(ポワロオティェク)と呼ばれていた。1920(大正9)年の地名改正で路竹となった。路竹郷の町は駅から北西に少し歩いたところ。郷の南西部には台糖の路竹農場がある。



岡山(高雄県岡山鎮) カン サン/コン サン

もともと竿蓁林(コワチンナア)や阿公店(アコンテャム)と呼ばれた町で、清の時代から宿場町として栄えた。1920(大正9)年に阿公店東の大崗山、小崗山からとって岡山と改称された。日本時代は交通と空軍の重要拠点となり、空軍の町としては戦後も中華民国軍に受け継がれた。駅の西側には航空技術学校や空軍官校、空軍軍史館があり、軍関係者も多く住む。岡山は羊肉爐(ヤギ肉煮込み)が名物料理。


橋頭(高雄県橋頭郷) チャオ トウ/キヨアー タウ

日本時代に製糖の町として発展した。製糖産業は時代の流れで衰退し、いまでは製糖は行なっていないが、製糖文化を伝える公園として再整備が進んでいる。また、駅の東側に都市鉄道の高雄捷運(MRT)紅線・橋頭駅が建設中で、2006年には高雄国際空港まで開通する予定だ。製糖工場へは高雄MRT橋頭糖廠駅が最寄り駅となる。


楠梓(高雄市楠梓区) ナン ツー/ラマー ケエ

楠梓から高雄市に入る。クスノキが川岸に生えていたので楠仔坑(ラマーケエ)と呼ばれる町になった。漢字表記は楠梓だが、台湾語ではいまでも楠仔坑と呼んでいる。楠梓駅の西側は大規模な楠梓輸出加工区がある。高雄MRTは楠梓駅には乗り入れず、少し離れたところに都会公園駅ができる。


左營(高雄市左営区) ツオ イン/ツォー イヤ

左営は、台湾新幹線(高鉄)と高雄捷運(MRT)が乗り入れる総合駅となる(MRTの駅名は蓮池潭の予定)。駅の北西には蓮池潭があり観光地となっている。左営は海軍の町でもあり、軍関係者の住宅のほか、海軍陸戦隊司令部や海軍ゴルフ場などがある。


高雄(高雄市三民区) カオ ション/コー ヒョン/コオ ヒュン

台湾第二の都市・高雄の玄関駅。愛河の鉄橋を渡り、三民区に入るとまもなく高雄駅に到着する。高雄駅の旧駅舎は日本時代の建物が活躍していたが、地下鉄工事のため現役を退き、移転して保存されている。駅南側は市バスと長距離バスのターミナルがある。将来、高雄MRT紅線が乗り入れ、北は橋頭、蓮池潭(左営)、南は高雄国際空港まで直通する。MRT紅(南北)線と橘(東西)線の乗り換え駅は一つ南の大港埔となる。高雄の地名の由来は先住民マカタオ族のタアカオ社があったことから打狗(タアカウ)と呼ばれていた。日本時代になって音が近い高雄(たかお)に改称された。日本時代から港町として発展し、高雄港は今では台湾の貿易を支える重要な港となっている。高雄市は近年観光都市としても魅力が増し、愛河は夜ライトアップされロマンチック。海辺の中山大学近くの小山の上にある前清打狗(タカオ)英国領事館からは高雄港や旗津半島が見渡せる。旗津への渡し船も楽しい。六合夜市までは高雄駅から南へ歩いて10分ほど。


鳳山(高雄県鳳山市) フォン サン/ホン ソワー

鳳山は高雄県の県庁所在地。高雄(打狗)は日本時代から発展を遂げた新しい都市だが、鳳山は台南とともに古都としての風格を持つ町だ。清国時代に水利事業に貢献した曹公廟、清国時代の教育の中心だった鳳儀書院、清国時代からの信仰の中心である城隍廟など、多く歴史建築が残る。現在は高雄市から伸びる高雄捷運(MRT)橘線の建設が進んでいて、鳳山市内に自由市場、鳳山、大東、鳳山国中などの駅ができる。また、鳳山は古くから軍の要衝であり、清の時代の平成砲台、澄瀾砲台などの史跡があるほか、日本時代にも基地があり、戦後は中華民国軍の黄埔陸軍官学校が置かれて、市西部には陸軍関係者の住宅が広がっている。鳳山市の北隣の烏松郷には澄清湖があり、蒋介石総統の時代に作られた核シェルターを利用した水族館・澄清湖海洋奇珍園がある。


九曲堂(高雄県大樹郷) チョウ チュイ タン/キュウ キョク トゥン

九曲堂は大樹郷に位置する。この先、高屏渓(下淡水渓)を渡ると屏東県。高屏渓の橋は現在は新しいコンクリート橋だが、その南側に並行して日本時代に架けられたトラス鉄橋が保存されている。この橋は長さ1


屏東(屏東県屏東市) ピン トン/ピン トン/ピン トゥン

高屏渓を渡ると屏東県に入る。鉄道が電化されているのはここまでで、電車の自強号が乗り入れるのもここまで。屏東は半屏山の東にあることから屏東という名がついたが、もともと先住民マカタオ族アアカウ社があったところで、1920(大正9)年まで阿[糸侯](アカウ)と呼ばれた町だった。駅前の中山路には[女馬]祖を祭った立派な慈鳳宮がある。南国ムード満点の中山公園(屏東公園)内にはパイワン族の伝統的な石造り家屋が展示されているほか、かつての阿[糸侯]神社の石橋が残る。また、公園の北側には阿[糸侯]城の東門跡の遺跡がある。パイワン族やルカイ族が住み、原住民民族文化園区がある三地門へは、屏東から屏東客運のバスで向かうと便利。2005-07-22


麟洛(屏東県麟洛郷) リン ルオ/リン ロク/リン ロク

屏東から先は非電化区間なので、走る車両もディーゼルカーかディーゼル機関車に引っ張られる客車列車となり、のどかな光景となる。屏東県中部は六堆地区と呼ばれ、清の時代に6つの堆(隊)に分けられた客家人が多く住むところ。麟洛は前堆に位置する。駅は郊外にあって、麟洛郷の中心からは遠い。


西勢(屏東県竹田郷) シー スー/サイ シー/スィー スー

竹田郷の北部にあり、周りは客家の村。2001年にオープンした屏東県客家文物館への最寄り駅。客家文物館では六堆客家の移民や開墾の歴史、衣食住などの文化が展示されている。また、竹田郷の隣の内埔(ヌイプウ)郷の市街地まで、西勢駅から東へ4キロほどと近い。内埔も客家文化の濃い町だ。


竹田(屏東県竹田郷) ツウ ティエン/ティェク ツァン/ツク ティエン

竹田は中堆に位置する客家村。日本時代の木造駅舎が残り、駅に池上一郎博士の寄贈による池上文庫が併設されている。ここには日本語の図書が集められていて、日本語世代の老人らにも利用されている。


潮州(屏東県潮州鎮) ツァオ ツォウ/ティオ チウ/ツェウ ツウ

竹田から真南に下ると潮州。潮州はもともと先住民マカタオ族のリイリイ社があったところだが、開発が比較的早かったためホーロー人比率が高い。潮州の名は広東省の潮州から来た移民によるという。客家人は東隣のの萬巒(ヴァンラン)に多く、ここは客家風のトンソク・豬脚(ツウキョク)が有名。萬巒からさらに東の山へ入るとパイワン族が住む泰武(クラリュッ)郷に着く。


南州(屏東県南州郷) ナン ツォウ/ラム チウ

南州は2003年まで台湾最南端の製糖工場(南州糖廠)が稼動していて、製糖鉄道が活躍していた。いまは南州糖廠の製糖鉄道が観光化され、ナローゲージの機関車の運転体験ができる。車窓からは、椰子、バナナ、ビンロウ樹などのどかな南国の風景が広がる。



林邊(屏東県林邊郷) リン ピエン/ナア ピイ

林邊は鄭成功時代に追われた先住民マカタオ族のパンソア社があったところ。林邊はバナナやレンブ(蓮霧)などの果物や、ウナギの養殖が地場産業となっている。林邊の西には大鵬湾という大きな湖があり、カキ([虫可仔)の養殖が盛ん。マングローブ(紅樹林)も観賞でき、国家風景区になっている。林邊の西隣の東港(タンカン)は港町でマグロ、サクラエビ、油魚子が有名。小琉球への船も運航されている。ただし東港へは、鉄道よりも、高雄や屏東からバスで向かったほうが便利だ。


佳冬(屏東県佳冬郷) チア トン/カー タン/カー タン

もともと先住民マカタオ族のカアテン社があったところ。佳冬は六堆地区の左堆にあたり、客家人が多い町。清の時代に動乱時に政府側についた客家系住民を称えた西隘門や広東省梅県から移民した蕭氏の佳冬蕭宅など客家に関する史跡も多い。佳冬郷は海側に養殖池が広がる。農業はビンロウ(檳榔)とレンブ(蓮霧)とバナナが名産で、郷内に蓮霧観光果園もある。


東海(屏東県枋寮郷) トン ハイ/タン ハイ

駅から北東方向へ行くと屏南工業区がある。南西方向へ3キロほど行くと海岸があり、枋寮海水浴場や海鴎公園がある。郷内は養殖業が盛んで養殖生産体験区も近い。番子崙海岸は下関条約で台湾が日本に割譲されたあと、1895年10月11日に乃木希典将軍が上陸したところ。


枋寮(屏東県枋寮郷) ファン リャオ/パン リャウ

枋寮漁港がある港町。駅前には新鮮な魚が並ぶ海鮮街がある。海岸沿いの歩道は散歩に最適で、海に沈む夕陽も美しい。レンブやマンゴーがなる枋寮郷観光果園も枋寮駅からタクシーで10分ほど。東の山は春日(カスガ)郷で、パイワン(排湾)族が住む。春日はマンゴーの栽培が盛んなほか、士文渓の忘憂谷が美しい。


加祿(屏東県枋山郷) チア ルウ/カー ロク

士文渓を渡ると枋山郷に入る。清国時代の1828年に福建省泉州からの移民が開墾をはじめたが、当初はパイワン(排湾)族との争いが絶えなかった。その15年後に泉州からの移民たちとパイワン族が和を結び、お互い安全が確保されたという。駅から1キロほどの海岸沿いにある台1線道路には新加祿休憩所があり、高雄方面から墾丁へ向かう人たちが一休みする。


内獅(屏東県枋山郷) ネイ スー/ライ サイ

鉄道は海岸部に近づき、海が美しい。内獅駅は海側にあるので枋山郷に位置するが、内獅(カツダス)村は東隣の獅子郷の山にある。獅子郷では愛文マンゴーの栽培が盛ん。阿士文渓の内獅瀑布は枋山渓側からぐるっと回らないといけないので、内獅駅より枋山駅からのほうが便利。


枋山(屏東県獅子郷) ファン サン/パン ソワ

台湾の鉄道で最南端の駅。内獅からここまで海岸線が非常に美しい。枋山は枋山郷は國堡渡假遊楽区という山小屋ホテルやプール、鳥園、昆虫館、水族館、遊園地などの総合リゾート施設がある。海岸線に沿って南北に細長く、少し山側の枋山駅は獅子郷にある。獅子郷はパイワン族が住む山地原住民郷。獅子郷公所隣の文物陳列館はパイワン族の伝統芸術作品が陳列されている。枋山の先、さらに南下すると、台湾最南端のリゾート地・墾丁(クンティン)だが、鉄道は残念ながら建設されていない。枋山の南の車城(チアシヤ)郷は、山には四重渓温泉、海岸部には国立海洋生物博物館という水族館がある。さらに南の恒春(ヒェンツン)は城門が残る古都であるほか、常夏のリゾート地で、海水浴場やリゾートホテルがあり、最南端の鵞鑾鼻(ゴーロワンピイ)には白色の美しい灯台がある。鉄道は枋山から向きを東に変え、マリパ(麻里巴)山と茶留凡山を中央トンネル(8070m)で抜け、台東県側へ出る。



古荘(台東県大武郷) クウ ツォワン/コオ ツン

中央トンネルの東側はもう台東県達仁郷。ただし達仁郷の山間地帯に駅はなく、安朔トンネルを抜けて大武郷に入る。古荘駅は台東県側の最南端の駅。ここから南廻線は台東へ向けて北上する。道路は台9線が鉄道より5キロほど南の寿峠を越えて屏東県から台東県へ抜けられる。


大武(台東県大武郷) ター ウー/タイ ブウ

大武はパイワン語でパロンゴエと呼び、1920(大正9)年までは巴[朗/土]衛(パロエ)という地名だった。金龍湖は地下からの湧き水が豊富で、農地の灌漑に利用されている。南側の尚武村には郷公所と漁港がある。


瀧渓(台東県太麻里郷) ロン シー/ロン ケー

大武からは海沿いを走るので眺めがよい。大竹(チョアチョコ)渓を渡り、太麻里郷に入るとすぐ瀧渓。ここはパイワン語でチャラビという地名だったが、1937(昭和12)年に瀧(たき)と改められた。大竹渓を登ったところにある土坂には土坂温泉があり、ここではパイワン族の竹竿祭りが行なわれる。


金崙(台東県太麻里郷) チン ルン/カナ ルン

ここはパイワン語でアナドンという地名で、台湾語では[虫干]仔崙(カナルン)と呼ばれていたが、日本時代の1937(昭和12)年に日本語読みに近い金崙(かなろん)と表記が改められた。金崙温泉の最寄り駅で、金崙渓を上っていったところに温泉宿がある。


太麻里(台東県太麻里郷) タイ マー リー/タイ モア リー

パイワン語ではチャバリイという地名で、その音から太麻里と表記されるようになった。太麻里郷と金峰郷の境にある鴨子蘭山には金針花畑があり、夏になると一面オレンジ色の花が咲く。太麻里渓を金峰郷のほうへ上っていくと嘉蘭村(カアルワン)、金峰温泉があり、さらにずっと山を登ると秘境の比魯(ビリャウリャウ)温泉にたどりつく。


知本(台東県台東市) ツー ペン/ティー プン

知本温泉の最寄り駅。知本はプユマ(卑南)族のカティプルからという集落があり、知本という地名もティプルに台湾語で知本という字があてられたもの。駅は台東市内にあるが、温泉街は知本渓を挟んで太麻里郷と卑南郷にある。知本温泉は、トロピカルムードの温泉ホテルが建ち並び、台湾東部の定番リゾート地化している。温泉街から知本森林遊楽区でハイキングできる。


康楽(台東県台東市) カン ロー/コン ロク

国立台湾史前文化博物館の最寄り駅。駅から西へ行くと卑南郷で、プユマ(卑南)族の利嘉(リカボン)という集落があり、さらに西へ行くとルカイ(魯凱)族の大南(ダルマク)という集落がある。康楽駅から東の方向にある台東豊年空港からは、台北方面だけでなく、かつて政治犯の牢獄があり海に面した朝日温泉がある緑島(火焼島)や、タウ族が住んでいる蘭嶼島(ポンソノタオ)へ飛行機など台東県の離島への航空路線がある。


台東(台東県台東市) タイトン/タイ タン/トイ トゥン

台東は人口約11万人で、台湾東部最大の町。台東駅は台東市内に位置するが、市街地からはかなり離れている。もともと南廻線の乗り換え駅となる台東新駅として造られたあと、市街地にあった旧台東駅が2001年5月に廃止され、台東駅と名乗るようになった。台東市はもともとプユマ(卑南)族とアミ(阿美)族が多く住み、ポソン(寶桑)やヴァランガオ(馬蘭)と呼ばれていた。台東駅西側は卑南遺跡があり、その南側にはプユマ族の南王と呼ばれる村がある。旧台東駅は鯉魚山の近くにあった。鯉魚山公園内の忠烈祠は日本時代に台東神社があったところ。台東では春節の元宵節に炮轟寒單爺と呼ばれる爆竹祭りがある。台東県は台湾で最も原住民比率が高い県であることから、台東駅では原住民文化が反映されて、駅のアナウンスも中国語、台湾語、客家語、アミ語の4言語で放送される。


鹿野(台東県鹿野郷) ルウ イエ/ロク ヤー/ルク ヤー

台東を出ると卑南渓沿いに走る。台9線道路は卑南郷内では檳榔(ピナスキ)、初鹿(パシカウ)といったプユマ(卑南)族の集落を通るが、鉄道は村からは遠いところを走る。卑南郷はシャカトウ(釈迦)という甘い果物が名産。鹿野渓を渡ると鹿野郷に入る。郷内はホーロー人40%、客家人30%、アミ族20%の比率で、それぞれ特色ある文化がある。鹿野駅の西側は高台と呼ばれる台地。ここでは台地の斜面を利用したお茶の栽培が行なわれている。高台からはグライダー飛行も楽しむことができる。高台のふもとは龍田村で、1915(大正4)年にできた新潟からの日本人移民村だった。龍田村から西へ行くとブヌン(布農)族が住む延平郷で、紅葉温泉(ザフザフ)、紅葉少年野球記念館、ブヌン村を観光化したブヌン部落などの観光スポットがある。


關山(台東県関山鎮) クワン サン/コワン サン/クワン サン

アミ語ではテラテランという。台湾語では里[土龍](リーラン)と呼ばれていたが、1937(昭和12)年に関山と改められた。関山の町を一周するようにサイクリングロードが整備されている。関山は米どころとして知られる。関山大[土川]が関山の水田を潤し、良質の米がとれる。日本時代に日本米と台湾米を掛け合わして改良し、天皇陛下に献上されたという「皇帝米」という高級ブランド米もある。


海端(台東県関山鎮) ハイ トワン/ハイ トワン

駅は関山鎮内にあるが、駅の西側はブヌン(布農)族が住む海端(ハイトトワン)郷。新武呂渓に沿って山を登っていく台20線道路は南部横断道路で、鹿霧温泉、利稲(リト)村、高雄県桃源郷の天池までバスがあり、天池で乗り継いで台南まで抜けることもできる。


池上(台東県池上郷) ツー サン/ティー ション/ツー ソン

池上弁当でその名を馳せる、米どころ。台湾で池上米と聞けばおいしい米のイメージが浮かぶ。最近は化学肥料や農薬をできるだけ使わない有機農法の技術開発にも力を入れている。駅の南に大坡池があり、親水公園となっている。このあたり一帯をアミ語でヴァナオという。駅の南西には退役軍人のための共同農場(台東農場)があり、いまでは観光公園にもなっている。駅西側の台糖池上農場はキャンプもでき、観光地として整備されている。


富里(花蓮県富里郷) フウ リー/フウ リー/フウ リー

花蓮県に入ってはじめの町が富里。富里は客家人が多い町。富里の名の通り肥沃な土地で、稲作が盛ん。富里郷は六十石山の金針花が有名だが、六十石山へは東竹駅からのほうが近い。


東竹(花蓮県富里郷) トン ツウ/タン ティェク/トゥン ツク

東竹駅の近くにある竹田という集落も客家人比率が高い村。富里から秀姑巒渓沿いを走る。ここは金針花畑で知られる六十石山に近い。夏の金針花の季節になると山の上に一面オレンジ色の花が咲く。


玉里(花蓮県玉里鎮) ユイ リー/ギョク リー/ニュク リー

秀姑巒渓を渡ると玉里。玉里はアミ語ではポシコといい、清の時代には璞石閣と表記されていた。玉(璞石)の里として石彫工芸が盛ん。日本時代に窪田氏が玉里で羊羹を作りはじめ、いまでは玉里名物になっている。駅南部の客城という村はその名の通り客家人が多く住んでいる。金針花で美しい赤科山は玉里の町から北東方向、秀姑巒渓の東側にある。玉里大橋の東側にはアミ族のハラワン(原湾)という村がある。玉里駅から北東方向に3キロほど行けばブヌン族が住む卓渓郷で、卓渓(パニタPa-ni-tarz)は日本時代に山から下りたブヌン族が集まってできた村で、卓渓郷公所が置かれている。


瑞穂(花蓮県瑞穂郷) ズエイ スエイ/スイ スイ/スイ スイ

瑞穂はいかにも日本的な地名だが、もともと水尾(ツイ ボエ・みずお)と呼ばれていた地名を日本時代に音が近い瑞穂(みずほ)に改めたことによる。アミ語ではココ(kohkoh)と呼んでいる。瑞穂温泉(外温泉)、紅葉温泉(内温泉)の最寄り駅で、瑞穂は客家人も多く住み、瑞穂温泉の手前にはタバコの葉を乾燥させる煙楼という客家建築が見られる。また、瑞穂牛乳で有名な瑞穂牧場もある。瑞穂温泉の先にエフナンというタロコ(太魯閣)族の集落がある。さらに奥の卓渓郷に入ったところに紅葉温泉がある。瑞穂温泉はうす茶色の炭酸鉄鉱泉だが、紅葉温泉は無色透明の炭酸カルシウム泉だ。瑞穂郷の南は舞鶴(アミ語でマイブル)という村があり、ここはお茶畑や果樹園が広がり、北緯23.4度の北回帰線の記念碑がある。また、瑞穂郷の瑞穂大橋は秀姑巒渓のカヌー下りの出発点で、豊濱郷の長虹橋まで25キロの峡谷を下る。途中の奇美(キヴィッ)はアミ族の村で、夏には豊年祭が行なわれる。


光復(花蓮県光復郷) ククワン フウ/コン ホク/コン フク

光復はもともとアミ語でマタアンという地名だった。日本時代の1937(昭和12)年に上大和(かみやまと)と改められたが、中華民国時代になるとさらに光復と改められた。このあたりはもともとアミ族が住んでいたが、清の時代からホーロー人、客家人が移民し、戦後は中国大陸から外省人が移民してきたため、民族構成が複雑だ。アミ族は駅西側の馬太鞍(マタアン)と、富田(タパロン)の二大集落があり、マタアンにはマタアンパンツァ(邦査)文史工作室、タパロンにはアミ(阿美)族文物陳列館、タパロン(太巴[朗/土])文化館などのアミ族文化を伝える文物館がある。光復は日本時代に製糖工場が作られ、製糖産業で発展したが、いまは製糖工場の役割は終え、観光施設になっている。郷内南東部の山ぎわには自強外役監獄がある。


萬榮(花蓮県鳳林鎮) ワン ロン/バン イェン/ヴァン ユン

萬栄駅は鳳林鎮内にあるが、タロコ族が住む萬栄郷への最寄り駅。駅前の長橋(ツォンキェウ)という集落は客家人が多いが、踏み切りを渡って西へ1キロほど進むと、萬栄郷公所があるマリバシ(萬里橋)というタロコ(太魯閣)族の集落に着く。そこからさらに奥へ行くと林田山林場がある森栄(もりさか=森坂)に着く。ここではいまもモリサカ(摩[口里]沙[上/下])と呼ばれている。ここは日本時代末期に森林開発がはじまり、林田山に森林鉄道もあった。いまは廃止され、さびれた姿が逆に観光地として人気を呼んでいる。モリサカには林田山文物館など往年の歴史を紹介する施設もある。


鳳林(花蓮県鳳林鎮) フォン リン/ホン リム/フゥン リム

鳳林は花蓮県最大の客家の町。客家人の移民は清国時代末期からだんだん多くなり、いまでは花蓮県で最も客家人比率が高い町となった。鳳林に住む客家人の多くは新竹や苗栗地方からの二次移民。駅東側の公園には客家文物館があり、台湾東部の客家文化がわかる。学校の建物も客家建築のデザインが取り入れられている。駅から南東方向に中原農場、東方向に林田農場がある。


鳳林(花蓮県鳳林鎮) フォン リン/ホン リム/フゥン リム

鳳林は花蓮県最大の客家の町。客家人の移民は清国時代末期からだんだん多くなり、いまでは花蓮県で最も客家人比率が高い町となった。鳳林に住む客家人の多くは新竹や苗栗地方からの二次移民。駅東側の公園には客家文物館があり、台湾東部の客家文化がわかる。学校の建物も客家建築のデザインが取り入れられている。駅から南東方向に中原農場、東方向に林田農場がある。


南平(花蓮県鳳林鎮) ナン ピン/ラム ピェン/ナム ピン

南平は日本時代に林田村として開拓されたかつての日本人移民村。駅の西には山から下りたタロコ(太魯閣)族が集まってできた萬栄郷の見晴という村がある。


豊田(花蓮県寿豊郷) フォン ティエン/ホン テン/フゥン ティエン

寿豊渓を渡ると寿豊郷に入る。寿豊郷は日本時代に移民村として開墾された寿村と豊田村にあたる。豊田駅はまさに豊田村で、周辺は豊かな水田が広がっている。駅の西側から駅前の道をまっすぐ行くと寿豊文物館がある。


壽豊(花蓮県寿豊郷) ソウ フォン/シウ ホン/スウ フゥン

寿豊駅周辺はかつての寿村。駅の東の方向に標高501mの寿山がある。アミ語ではこのあたりをリナハムと呼ぶ。鯉魚潭の最寄り駅で、鯉魚潭は鯉魚山の裏手にあり、北へ5キロほど。壽豊郷の海側には花蓮海洋公園という遊園地があるが、壽豊駅は遠い。



吉安(花蓮県吉安郷) チー アン/ケ ラン/キッ オン

このあたりはもともとアミ(阿美)語でチカソアンと呼ばれていた。清の時代には竹脚宣や七脚川などの漢字が当てられ、日本時代は移民村として開墾が進んで「吉野村」と名づけられた。中華民国時代になると、「吉野」は日本色が濃すぎるという理由で、1948年に吉安郷と改名された。郷内には吉野村の開拓の歴史を伝える吉野拓地開村記念碑や吉野神社鎮座記念碑などの遺跡が残っている。郷内は多元民族文化が共存していて、稲香、永興地区に客家人が多いほか、南華地区では大陸麺館や山東麺館など戦後花蓮に移民した外省人の中華料理が楽しめる。アミ族については、駅前にアミ文物館があるほか、海側の南濱公園の南にアミ文化村があり、アミ族の踊りと歌のステージが観賞できる。また、黄昏市場ではアミ族の生活文化が感じられる。



© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: