Qingxiangの日々的話話

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Qingxiang

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2008年08月24日
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この日の夜、携帯にある女性のかたの着信がありました。

私が太極拳を習っていたときのクラスメートの妹さんです。

そのクラスメートの方とは、もともとネットの武術掲示板で知り合い、当時(2000年頃だったはずです)私が勧めた太極拳教室に入会し、そこからおよそ3年のちに太極拳練習会場にてリアルで会うことになる......という経緯のある女性でした。

彼女とは近年はぜんぜん連絡も取らずじまいになってしまっていましたが、彼女の住所録なりを見ながら、友人知人とおぼしきかたがたに、妹さんが気丈にも訃報の連絡をされているのだな、ということが電話の向こうから伝わってきます。

私自身は「憎んで殺すくらいなら、縁を切って一線を引いた方が関係としては健全だ」との思いから、自分自身の家族とは一切連絡をしていない状態ですが、通常は「家族とは特別なものだ」という“共有幻想”で皆さん生きておられますから、その存在を失ったときの悲しみはさぞかし大きいものだと思います。
震える声で話される彼女の妹さんの声を聞きながら、そんなことが脳裏をよぎります。

お通夜と告別式の案内をしていただき、電話を切ったのち、改めて彼女のことを思い起こしてみました。
私が当時ネットでの某武術掲示板のトピ主であり、彼女に教室を勧めた当の本人とわかるや、「サインしてください♪」と色紙を差し出されてしまったりしたこと。
素直に、淡々とコツコツと太極拳の練習に参加し、技術の向上へ向かって粛々と精進していた彼女。



でも、古典ヨガに触れだしてからの私は「生病老死」は人間がどんなにあがいても目をそむけても逃げることのできない苦しみだということを、以前よりもはっきりと認識するようになっているため、この日も過剰に悲しみにとらわれ取り乱したりすることはなく、ひとり静かに亡くなった彼女への思念を、心をこめて繰り返すことができました。

今生をどう生きたか、どう考えていたか。

それによってしか、死の先の道は決まりません。

だから、私が思念したからといってどうにかなるものでもないのですが......

いたずらに嘆き悲しみ取り乱すよりも、彼女の死の先にある道が、少しでも良くなれば...という思いを込めて祈るほうが.....と思ったのです。


だって、きっとまたどこかで。

いつか、未来で。

あなたの魂とはきっと出会えるだろうから。

きっと、縁はあるだろうから。





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最終更新日  2008年09月30日 23時13分31秒


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