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October 9, 2005
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カテゴリ: カテゴリ未分類
ダブルチョップが感じた「戦国のギ・モ・ン」第2弾。
「なぜそんなに家格についてこだわったのか?」
家格とは、ランクのことだと思ってくだされ。
簡単に説明すると、室町幕府が定めた武家のランクがある。

将軍家……足利氏
管領………細川氏など。
守護大名…斯波氏、土岐氏など。
守護代……織田氏など。

といったものであり、管領の次くらいに西国探題だったり九州探題だったりがあるのかな?

この関東版が次のものである。

鎌倉公方…足利氏(のち古河公方、小弓公方など分家により細分化)
関東管領…山内上杉氏
守護大名…扇谷上杉氏、武田氏など。
守護代……長尾氏など。

室町幕府は、関東は関東で足利政権のミニチュア版をつくり、支配したことになる(んでしたよね?)。
※すみません、さっきから自信が無いような書き方をしてるのは、戦国以前の室町時代にあまり関心が無いからで、本当にうろ覚えで書いてるからです。


さて、北条氏三代氏康の時代になると、関東の勢力は下の様に変わる。

古河公方…足利氏
関東管領…上杉氏(謙信)、北条氏(氏康)
守護大名…武田氏(信玄)


実力行使による任命といってもよい。
上杉謙信は、主家にあたる山内上杉氏から譲られる形で上杉姓と関東管領職に就いている。
それ以前は長尾氏と名乗っており、山内上杉氏の領国・越後の守護代を務めていた。
つまり、関東管領職が二家存在することになる。
上杉氏、北条氏とも、自分が関東管領であることを主張、同時にもう一方を否定。



この旧姓呼称については、武田信玄VS上杉謙信についても同じエピソードがある。
武田信玄は甲斐の守護大名である。
長尾景虎は越後の守護代で武田氏よりワンランク下であった。
その長尾景虎が上杉謙信を名乗り(当時の名は政虎だったが)、関東管領に就任したことで、信玄を飛び越してワンランク上の存在になってしまった。
信玄としたらおもしろくない。
信玄は、長尾景虎が上杉氏を名乗った以降も、上杉氏を「長尾」と呼び続けたと言う。
※だから、ドラマなんかで武田方が「おのれ、上杉め~」なんて言ってたりするのは厳密に言えば嘘です。でも、実際はどうなんだろう?


家格について、それぞれこだわりがあったようである。
北条氏の武田氏に対する思いはどうか。
上杉氏(長尾氏)はれっきとした守護代から関東管領になったが、北条氏は成り上がり者である。
いくら初代早雲が幕府のいち被官であったと言っても、関東管領就任は確実に実力行使でのものであったし、北条姓も、鎌倉幕府執権北条氏にあやかって勝手に名乗ったに過ぎない。
一方の武田氏は、その鎌倉時代から甲斐に名だたる名門で、北条を見下すに十分の家柄である。
武田氏が北条氏を「伊勢」と呼んだという話は聞かない。
ただ、私が知らないというだけかもしれないけど。
武田氏は駿河の今川氏を巻き込んだ「甲相駿三国同盟」を北条氏と結んでいる。
三家対等の同盟を結んだということは、北条氏を「北条氏」として認めていたのかもしれない。
でも、陰では「あの伊勢の野郎が」なんて言ってたかもしれない。


こんなに家格についてこだわっていた北条氏も、織田信長には友好的な態度を取っている。
家格では、関東管領北条氏に対し、織田氏は守護代、しかも信長の家は、そのまた家臣という、スリーランク下の相手である。
しかし、このころになると家格というものが機能しない時代になったのかもしれない。
中央では信長による新秩序が築かれつつあり、武田氏は滅亡、上杉氏は景勝に、北条氏は氏政に代替わりしている。
上杉景勝は、先代謙信の方針を継いで織田政権と抗争するが、北条氏政は友好関係を越えて「従属」の態度すら取っている。
いかに信長の勢力・威光が強かったかが分かる。


中央政権への従属は、織田信長が斃れ、羽柴秀吉が継いでからも代わっていない。
最初から秀吉に反抗的ではなかったのだ。
秀吉の北条氏征伐のきっかけとなったのは、隣接する真田氏領との国境問題である。
解決が見られず、北条氏サイドから十分な弁明が見られなかったため、小田原征伐に至る。
これは、秀吉の、もしくは真田昌幸の陰謀を感じる。
また、北条氏も、何ランクも下の足軽の倅に頭を下げるのがイヤだったんじゃなかろうか。
当時は五代氏直の時代であったが、先代氏政が隠居として発言力が強かった。
この氏政の頑迷さが北条氏を滅亡に導いたイメージがあるが、でもこの本を読む限りでは、そこまで暗愚な殿様とも思えない。
やはりハメられたんじゃないスか。


さて、「なぜそんなに家格についてこだわったのか?」。
それは、家格へのこだわりが旧秩序そのものだったのではないか。
新秩序を築いた信長と武田信玄、上杉謙信、北条氏と一線を画する原因の一つはここにあると思う。
もっと言うと、旧秩序の破壊が戦国時代のエネルギーの一つだった。
下克上の第一人者である北条早雲はそれに気付いてたんじゃないか、とは私の勝手な想像。
でも、北条氏二代氏綱は、家名へのこだわりを見せて「北条」という過去の遺物を引っ張り出している。
氏綱にとって、北条改姓は関東攻略の一環に過ぎなかったかもしれないし、当時は「北条」姓自体も「過去のもの」ではない時代だったのかもしれない。
私には北条氏の関東攻略はほぼ実力で推し進められたように見えるし、実力がある以上は伊勢姓のままでも良かったのではないか。
そこに家格・家柄へのこだわりは不要だったように感じる。


戦国北条一族
戦国北条一族





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Last updated  October 28, 2005 11:43:07 PM
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