PR
Calendar
Comments
Category
Freepage List
Keyword Search
魯智深(ろ・ちしん)は、水滸伝のキャラクター。
日本テレビが、今を去る事34年の昔、開局○○周年記念で製作した「水滸伝」では、長門勇が扮していました。要は、「怪力だが、愛嬌のあるおっちゃん」と言うところ。
「なまぐさ坊主」などと呼ばれています通り、とても僧侶らしからぬ人物であります。
この魯智深、俗名を魯達(ろ・たつ)と言い、元は軍属でした。
その彼が、何故、坊主になったのかと言うと。
義憤に駆られ、アコギな金貸しを成敗したところ、鉄拳制裁がいきすぎ、殺人にまで発展してしまったからです。
日テレ版では、金貸しの鄭を成敗するシーンでは、群集が取り巻き、魯達の行動に魅入っていました。
ところが、鄭が死んでしまったと知ると、蜘蛛の子を散らすように逃げてしまいます。
さて。
納得できないのですが、何故、殺人は許されないのでしょうか?(あくまで、↑の場合)。
これは、一般論としては、「ケガは治療できるが、死からは回復できないため」だと思います(間違って制裁する事もあり得ます)。
しかし。
鄭の場合は、どうしょう?
確かに、被害者は歌唄いの芸人(娘)だけです。
しかししかし。
それまでにも、鄭はあくどい事をやっています(それ故の、魯達の義憤・制裁)。今まで泣かされてきた人々の累積ダメージを考えれば、死をもっても償えないのではないだろうか?
舞台裏を考えれば。
魯達の殺人を恐れる人々は、「水滸伝」の聴衆(=読者)そのものです。
彼らにとって必要な豪傑は、「過失で殺人をする人物」ではなく、「抑制の効いた人物」でなければなりません(だからこそ、トップに座るのが、腕はからきしダメな宋江になる)。
さて、中国には、兵法の古典、「孫子の兵法」があります。
彼の書は、戦争に関する参考書です。
ここで教えているのは、つまるところ、「力の使い方」に他なりません。
「力は、必要な時まで温存し、タイミングに合わせて効果的に使用する」と言うのが要点です。
(そのケース・バイ・ケースを示唆し、またタイミングを得るために、「情報の重要性」も指摘している)。
現代に置き換えれば、「力」は、「金」になります(もちろん、人脈も大事です)。
魯達は、この「力」の行使を誤ったために、民衆が去る事となりました。彼は出家して「魯智深」となりますが、それでも、なお力のコントロールをする事が出来ず、トラブルに見舞われる事となります。
結局、梁山泊入りする事によって、彼は、自らの力をコントロールする(される)ようになります。梁山泊は、彼らアウトローをコントロールする為の再生工場だった訳です。
どうやら、民意を得るためには、抑揚が大切なようです。
今も昔も。
善意 対 誠意 対 第三者。 2012.12.13
「特捜最前線」第172話「乙種蹄指紋の謎!… 2012.12.10
良い日、旅立ち? 2012.12.07