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気がつくと、何故か『七人の侍』の検索をしていた。
で、
>藤木久志(戦国史家)は、「戦国時代の農民は基本的に武装し、状況に応じて兵士に早変わりする獰猛な存在であって、刀ひとつ持てないなどということはあり得ない」と批判(『刀狩り』岩波新書、2005年)。
と言う文章を見つけた。
ううむ...。
『七人の侍』は見ていない(『荒野の七人』は見た)のだが、これはピントがズレているのでは無いか?
戦国時代は、兵農分離がされていない時期のはずである(日本で、兵農分離を手がけたのは織田信長だったはず)。
『七人~』の正確な時代設定は知らないのだが、戦国時代(江戸時代以前)であれば、臨時とは言え、農民は徴兵されて軍隊に編入される存在のはずである。
(明治以後の日本でも、召集令状は存在している)
つまり、「刀ひとつ持てないなどということはあり得ない」と言うのは正解だが、それと戦闘は別物である。
野武士と村人(の戦闘要員)が同数(もしくは、村人の方が多い)なら、正面から全軍が衝突すれば、村人も善戦できる(もしくは、勝利できる)だろう。
しかし、戦闘には戦術(駆け引き)がある。陽動を行えば、少数が多数を翻弄できるのは、常識のはずである。
ましてや、野武士には騎馬もある。これは、心理戦として大きく影響する。
その上。
土地にしがみつくしかない農民(流民となれば、生きていく糧が得られない)に対し、野武士は帰るべき土地を持たない(「収穫」が減れば、他の土地へ流れれば良い)。命知らずの連中に対し、勝算の無い戦いを挑むほど、農民は「獰猛な存在」なのだろうか?
当時の農民が『孫子』に通じているとは思えないが、「勝敗が判らない時は戦わない」と言うのは、人生経験として、農民には判っているはずである。
(『孫子』では、戦闘力に差のある場合、どう選択するべきか書いてある)
従って、農民に必要だったのは、戦闘要員では無く、指揮官(将軍、参謀)だったはずだ。
指揮官(専門職)には学問(と度胸)が必要であり、それが島田勘兵衛(志村喬)であり、彼の集めた侍たちだったのである。
野球/映画で言えば、いくら良い選手/俳優が揃っていても、「外側から客観的に見れる」監督がいなければ勝てない/良い映画が出来ないと言うところだ。
【メモ】
1.死んだ侍が生き残った。
死亡した侍...久蔵(宮口精二、1985年4月12日没)、菊千代(三船敏郎、1997年12月24日没)、片山五郎兵衛(稲葉義男、1998年4月20日没)、林田平八(千秋實、1999年11月1日没)。
生き残った侍...七郎次(加東大介、1975年7月31日没)、岡本勝四郎(木村功、1981年7月4日没)、島田勘兵衛(志村喬、1982年2月11日没)。
つまり、「生き残った侍(役者)から死んでいる」(久蔵役の宮口~菊千代役の三船までは、没年に10年以上の開きがあるが...)。
2.『ウルトラ兄弟物語』への影響。
第1作『決闘ウルトラ兄弟』(コロコロコミック特別増刊2号(1978年))において、プロット(強い戦士を集める)、キャラクター造形(※)に影響が見える。
それにしても、「飲んだくれの新マン」は衝撃だった、個人的に。
※ 母国の危機よりも修行を優先するセブン(久蔵)、酒びたりの新マン(菊千代?)、エリートの血筋ながら未熟者で、仲間(戦士)として認められるまで時間のかかったタロウ(勝四郎&菊千代?)。
なお、この作品の段階(仲間集め~クライマックス)では「ウルトラ兄弟」は結成されていなかった...と思う(ラストで結成されたっけ?)。
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