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確実=100%確かなもの。そんなものって、この世の中には到底、存在しないと私は思う。悲しいことだけど、親子でさえ簡単に殺しあうこの時代。親子だろうが、友達だろうが夫婦だろうが相手を100%確実に信用、信頼できない。これは最近に始まったことではなくてアダムとイブの時代から始まったんじゃないかと思う。なんか最近、私の中であることをきっかけにこんなことを考えてしまってるんだよね・・・今さらって感じだけど、改めて人間を信用できないなって感じた時に、原点に戻るっていうか唯一、確実なもの、私が信じる神様「イエス・キリスト」を知ってることで毎回、どん底まで落ちないですんでいる。この神を知らなかったら私なんてろくな人生おくらないと思う。かわいい子供、最高の旦那、健康、金銭面での祝福・・・文句を言ったらバチがあたるくらい祝福された人生を与えられているにもかかわらず常日頃から些細な事で怒ったり、嘆いたり文句が絶えない。人間って本当に自分勝手で我がままだなって思う。自分が思うとおりの反応を相手が示さない時に落ち込んだり、自信を失ったりする。でも、そんな時に、一つでいい、確実に信じれるものがあれば人間、幸せなのではないか。コレだけは自分を決して裏切らないっていう存在。私にとってのそれは誰が何と言おうと「イエス」と言う神様。私が裏切ろうと、悲しませようと関係なく私を愛してくれている存在。それが、ただの人間じゃなくて全能の神というところが、マスマス心強いではないか。こんな愛の神様を悲しませてばかりの私だけどいつも愛してくれてありがとうって伝えたい。
2006.08.06
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思いつきで始めたブス話だけど自分でもオチが何なのか、何が言いたいのかわからない・・・・ま、とりあえず続けてみるけど・・・地元に戻ってからは仕事もせず、妹や友達と毎日クラブや友達のバーで遊びほうけた。この時期が私の青春というか、一番楽しかった時期のような気がする。この頃から、徐々にアメリカ人(ブラックオンリー)に魅力を感じるようになる。当時は全く英語がわからなかった私だけど基地で働くようになってから少しずつ英語がわかるようになってきた。文法がわからなくても、とにかく単語をたくさん覚えてアメリカ人の発音を真似したらいいんだと思い英語の堪能だった友達のお陰もあって徐々に会話ができるようになっていった。この頃、最初の旦那と知り合う。ブスだった私にはそれまで彼氏なんて素敵なものは存在せず、人種関係なくちゃんと「彼氏」という存在ができたのは旦那が初めてだった。その前に一人付き合った?ような男がいたけどコイツが最悪な男で3股かけられていた。そいつとは、とっとと別れて次に職場で出会った旦那と付き合い始めた。この人なしでは生きていけない!!と何を思ったのか大きな勘違いをした私はコイツと結婚してしまう。それが21歳の時。話がだんだん私の過去の暴露系になってきたのでこの辺でブス話に戻ります。とにかく二重瞼になったお陰で私のブス人生はガラリと変わった。どうやら自分は黒人の方々にモテるんだということにも気づいた。でも顔は変わっても性格や考え方は人間なかなか変わるもんじゃない。私のコンプレックスは多少、減ったものの今でも自信のあるほうでは全くない。今の旦那はとっても優しくてバカがつくくらい正直な人。彼は私と違って若い頃からモテモテの人生を歩いてきたポピュラーな人。きっと彼には私の地味な過去は想像もつかないだろう。いくら話したところで。けど、世の中捨てたもんじゃないというか幸せなことに、彼からしたら私は「SO BEAUTIFUL」らしい。世の中、物好きもいるもんだ。彼は私がどうして自分に自信が持てないのか理解できないらしい。きっと一生理解できないと思う。私は昔、ホントにブスだったけど性格は決して暗くはなかった。容姿に自信はなかったけど、そんなに卑屈でもなかったし。要するに能天気なんだろうな~あ~~~~~ホントに何が言いたいのかますますわからなくなってきたので分かり次第また更新します。Almond eyezちゃんを初め期待して続編を待っててくれた皆さん期待を裏切ってしまってごめんなちゃ~い←笑ってごまかす・・・
2006.07.13
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私はちょっと前まで本当にブスだった。別に整形したって訳じゃないんだけど・・・・(そう信じてる人もいるのは確か)物心ついたころから、容姿を誉められた記憶は一度もない。もちろん愛情表現の苦手な両親からも。目は一重、唇は厚い、鼻は低い、他etcの最悪ぶり。見た目が悪いだけじゃなくて頭も悪いし、運動も全然できない。走らせたらクラスで一番遅く、 歩いてるの?って嫌味言われるほど・・・本が大好きで凄い人の目を気にするタイプの超内向的性格。こうやって書いてると逆に笑ってしまうくらいいいとこなし。これじゃ人から誉められる訳もない。けどクラスメートに恵まれブスながらも割りと楽しく子供時代は過ぎていった。中学に入って1度、男の子から「ぶす」って言われたことがある。それは今でもはっきり覚えてる。「あ~私ってやっぱりブスなんだ~」って素直に納得した記憶がある。私の両親は二人共、二重まぶた。けど、妹も私も一重。中学に入ったくらいから二重に憧れだしてアイプチとかも試してみた。二重になったら少しはよくなるのになって思ってた。ちなみに私の父親の昔の写真を見るとまるで、橋幸夫のような切れ長の一重。でも今は何故かパッチリ二重。歳をとるにつれて自然に二重になったそうだ・・・私もそうなることを心から祈った。高校に入っても、まったくもてだす事もなく地味に3年は過ぎていった。けど高校3年の後半の頃から私の瞼は徐々に二重っぽくなっていった。そして卒業後、横浜のアパレル業界に就職。昔で言うハウスマヌカンってやつ。田舎者の私にとっては標準語を話すだけで精一杯。昔からブスでシャイのくせして地元には絶対、留まりたくない普通のスーパーでレジのパートするようなおばさんにはならないと決めていた。だから横浜では店長に給料泥棒と言われようが必死で頑張り、1年後には標準語を話し1日で最高100万を売り上げるくらいに成長した。けど、都会暮らしというか、神奈川での生活は私にとって徐々に辛いものになっていった。なんか違う。。。電車通勤も嫌だし、私の居場所はここじゃないと思うようになってきた。結局2年も経たない内に私は地元に戻った。当時、私の目は念願の二重になっていて体重も48キロのスリムボディーアパレル業界にいたお陰でオシャレな服も着ていて、一昔に比べたらかなり小奇麗になっていた。可愛いとは言われなくてもブスとは言われないくらいまでは変貌したのだ。この頃から私の人生は少しずつ変わり始めていく。思ったより長くなってしまいそうなので続きは次の日記で・・・・
2006.07.12
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最近、やけに子供が亡くなる事故や事件が多い。ニュースではもちろん、個人的にも、知り合いが事故や病気で子供を亡くしたという悲しい知らせを続けて聞いた。人生、何が悲しいかって、実の子供を亡くすことが一番悲しいんじゃないかって思う。特に子供ができた今ではそんなこと考えるのもおぞましいくらい。でも世の中には私の知り合いを含め、実際にお子さんを亡くされている方は確実にいるのだ。正直、親御さんの心情は計り知れないものがある。きっと頭がおかしくなってしまうだろう・・・でも人間生きていかなければならない。まさに生き地獄。亡くなった子供と一緒に死ねたらと思うかもしれない。自分のせいと一生、攻め続けるかもしれない。悲しみは薄れたとしても、癒やされることは一生ないかもしれない。でも一つだけ言えることは亡くなられた子供達は気休めでも、夢物語でもなんでもなく今、現在、天国でイエス様と一緒にいるんだってこと。そして、何よりもGood Newsはその子達が、天国で幸せに暮らしているだけじゃなくて実際に、その子達にまた再会できるっていうこと。唯一、必要なのは天国行きの切符だけ。その切符を手に入れるには何が必要だろうか。数多くある宗教のように、お金を積めばいいの?それとも修行?苦行?先祖を拝めば、先祖が切符をくれるのでしょうか?イエスはこう言っておられます。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そしてわたしをも信じなさい。私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら戻ってきて、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所にあなたがたもいることになる」 ヨハネによる福音書14章1~3節天国に行く切符、それはイエス・キリストです。彼だけがそれを持っています。このことを一人でも多くの人に知ってもらいたい。特に今、この時、絶望の淵へいるアナタに。イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。わたしを通らなけらば、だれも父のもとに行くことはできない」 ヨハネによる福音書14章6節だから希望をすてないでください。かならず道はあります。あなたを誰よりも愛しておられる神様がそうおっしゃってます。「疲れた者、重荷を負うものは、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」 マタイによる福音書11章28節
2006.05.30
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久しぶりにおすすめレシピUPしましたはい、それだけです。
2006.05.21
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あなた方は、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせない素晴らしい喜びに満ちあふれています。それは、あなた方が信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。ペテロの手紙 一 1章8,9節昔はどんなに充実した生活をしていても99%幸せであっても、心のどこか1%満たされない隙間と言うかブラックスポットのようなものがあった私。これって人間みんなが感じていることじゃないかなって思ってるんだけど・・・どんなに億万長者になろうが、素敵な恋人がいようが仕事が充実していようが、家庭が円満だろうが人間、誰でも死への恐怖や不安を持っているし幸せな人は、この幸せは永遠に続くものじゃないということも知っている。私もそうだった。でも今は違う。私には希望がある。もちろん死ぬことへの恐怖はあるけど死んだ後のはかりしれない恐怖や不安は今はない。今でも人並みに悩み事はあるけど絶望することもなくなった。この聖句にもあるとおり「言葉では言い尽くせない」喜び、そして平安がある。説明下手な私には到底、説明できない心の平安だと思う。それは私自身の努力でもなんでもなくひとえに神様のお陰です。ありがとう、イエス様。
2006.05.11
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娘を妊娠した前回、私は妊娠性の糖尿病になった。数ヶ月間、インシュリン投与の日々と食事制限が続いた。心身ともにきつくて、主人の支えとお腹の子供に対する愛情がなかったらきっとギブアップしていただろう。この病気は子供を出産した後には治るというもので、私もやはり出産後に血糖値は下がり、幸いにも娘も元気で産まれた。ただし、この病気になった人は、その後、妊娠した場合はほとんどの人がまた糖尿病になると言われている。医者には前もって伝えたおいた為、少し早い時期に血糖値の検査をすることになった。まず一度目の検査で案の定、ひっかかった。そんなに高い血糖値ではなかったらしいけど、今度は3時間半かかるグルコーステストを受けることになった。これがまた辛い検査で、検査の前の3日間は特別ダイエットをしなければならないのだ。極力カロリー、そして糖分を抑え、検査の12時間前には何も食べてはいけない。私は同じクリスチャンの友達にお祈りのリクエストをした。私の友達はアメリカにも日本にもいる。彼女達が私の為に祈ってくれた。先週の教会では癒やしが祈りと共におこなわれ数多くの人がその場で癒やされ、証をした。私も前にはでなかったもの、心の中で祈った。信じて祈った。「私の血糖値が下がりますように」「検査の結果がよいものであることを信じます」と・・・次の日、出先から戻ると担当医から検査の結果を伝えたいと留守電にメッセージが残されていた。正直、ダメだったんだったって信仰の弱い私は思った。でも私の聞き間違いじゃなかったとしたら担当医は私に「結果がノーマルだったら電話します」と言っていたような気もするんだが自信はなかった。そして今日、担当医から再度、電話があった。そして結果は・・・・「全然問題ない、最高の結果でしたよ」私は電話を切った後、思わず泣いてしまった。私は今回の結果はイエス様による癒やしであると信じている。そうとしか思えない。そして私の為に祈ってくれた友の祈りを神様は聞いてくださったのだと。私に、また素晴らしい証を与えてくださったイエス様。こんな私を愛してくださってるイエス様。私は何もしていないのに・・・ただイエス様を救い主として受け入れただけの私に神はここまでしてくださる。イエス様、ありがとう・・・
2006.05.09
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