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2009.01.27
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テーマ: 演る音楽(501)
■バンド名■


■活動年月■
1980年10月~1982年6月

■メンバー■
おさる …AG、EG & Vocal
こなき …AG、EG & Vocal
農協青年…B & Vocal
どら  …AG、EG & Vocal
ウー  …Drums(解散ライブのみ)

梅桃 (ゆすら)を結成し、活動を始めて暫くしてから、友人の こなき 君(仮名)からこういった話が持ち掛けられました。

「おさる君(仮名)ちゅうやつが自分らでコンサートをやっとって、
  グループを組みたい言うてるんやけど、グループに入れへん?」



実のところ高校は同じなんですが、 おさる 君とは一度も会ったことがありませんでした。
そこでまずは どんなやつなのか と、次にコンサートを行うという日に こなき 君を含む数人の友人達と演奏を聴きに行くことになったのです。


そのコンサートの会場は地区の老人福祉会館の2階にあり、横一列に4~5人並んで座れば一杯になってしまうような、細長く、こ汚い所でした。
お客といえば、 おさる 君の弟と、我々数人の友人のみ。

何組かの演奏が終り、 おさる 君の登場です。
どういった内容だったのかはすっかり忘れてしまいましたが、 おさる おさる 君の弟ただ一人を残して会場を去ったのでした…。


しかしその後、 こなき 君と一緒に おさる 君のグループへ加入することを決めてしまいました。

「自分達でコンサートをする」



おさる 君が出演したコンサートは、 西淀川フォーク村 という団体が主催してものでした。
新生 おさる 君バンドも当然ながらその団体に所属することになったのです。


その後 西淀川フォーク村 が同区内にある専門学校の学園祭で演奏するという企画が持ち上がりました。
このコンサートに出演すべく、 農協青年 君(仮名)をベーシストとして迎え入れ、フォーク&ロックグループ「 陽炎(かげろう) 」が誕生したのです。


このグループで練習していた曲をご紹介しましょう。

「加茂の流れに」「あの人の手紙」(かぐや姫)
  「ささやかなこの人生」「22才の別れ」(風)
  「涙のセレナーデ」「逆流」「乾杯」「祈り」(長渕剛)
  「落陽」(吉田拓郎)

  などなど

見事に時代を反映していますね。^^;

静かな曲調の物はどらがボーカルをとり、その他を おさる 君と 農協青年 君がボーカルをとるといった割り振りでした。<

その他、当時はオリジナル曲が4曲ありましたね。

1曲は おさる 君の作詞・作曲でどらが編曲 (というほどのものではなく、ギターのコードを付けたくらい。) したものと、 こなき 君が書いた詞にどらが曲を付けたものが2曲、 おさる 作詞・ どら 作曲という1曲でした。(←これどんな曲だったか思い出せない。。。^^;)

そう、実のところこのグループで初めて曲を書いて、発表したわけなんです。

それに初めてエレキギターを弾いたのもこのグループで、 「落陽」 のリードギターを弾きましたが、 簡単そのもの というフレーズのくせに、とんでもなく下手くそでした。(-_-;)

このときに弾いたのがGibsonのSGモデルのコピー。(確かGrecoだったかと。)
軽くて薄いボディなのに、ぶっとい音が出て好きでしたね。
今でも欲しいエレキといえば、テレキャスター(シンライン)か、Gibson SGです。


この 陽炎 というグループは、主に 西淀川フォーク村 主催のコンサートに出演していたため、基本的にはごく地元の小さな会館や小学校の体育館などで演奏しておりました。

しかし 西淀川フォーク村 の方針とグループの意見が食い違うようになってきたため、ソロギタリストの ウー 君と共に脱退し、 「陽炎」 メンバーを中心としたサークル NFV が結成されたのです。

ここで NFV N ishiyodogawa F olk V illage の略ではないかと気付いた方は偉い!

西淀川フォーク村 でオリジナルトレーナーを作って間もない頃だったのです。
みんなの背中には、 西淀川フォーク村 の文字がでかでかとプリントされていたのですが、 「陽炎」 のメンバーは「格好悪いから。」という理由で、独自に NFV とプリントしていました。

そんなわけで「トレーナーがもったいないから。」というなんとも言えない理由で、新しいサークルは NFV と名付けられたのです。


その後 陽炎 は活動範囲を大阪市内に拡大し、そこそこの活動をしたのですが、なんせどらが 梅桃(ゆすら) と活動を並行していたため、あまり多くのコンサートをすることはなく1982年のライブを最後に解散したのでした。





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Last updated  2009.01.27 00:30:28
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