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死者のゆくえ (ちくま学芸文庫 サー30-2) [ 佐藤 弘夫 ]
中世前期(飛鳥〜奈良時代)、新たに伝えられた仏教の滅罪と清浄の論理は、伝統的な荒ぶる死霊の浄化作法と二重写しで捉えられることになった。生前から仏教の力で罪を払い落とし、死後に浄化が完了した魂のあるものはやがて別の身体を得て復活する。古代人がイメージしていた生まれ変わり=魂のサイクルの理念に適合し、それを支持する理念として受け入れられていった。
国家的な政策によって歴代の天皇の霊魂がカミとして位置づけられ、御霊の観念が広く社会に共有されるようになった。カミは現世の災厄を御霊の威力でもって抑えることのできる存在として崇められるようになった。
中世後期(平安〜鎌倉時代)には末法思想が登場し、この世と断絶した死後世界としての他界浄土の観念が拡大・定着し、古代的な一元的世界観に対する、他界-此土の二重構造を持つ中性的世界観が形成された。理想世界としての他界浄土を代表するものが西方極楽浄土だった。
そこに本地垂迹説が登場。たとえ肉体が死を迎え、遺骸が白骨化しようとも、霊魂は悟りを開かない限り、基本的には遺骨と一体化してこの世に留まっている。霊魂を救済するにはその依り代とも言うべき遺骨を霊場に納め、垂迹の力によって彼岸に送り届けてもらうのが最も確実な救済の方法だった。人は皆死後の安楽を願いその実現のために多大な労力と金銭を惜しまなかった。霊場となる寺院、仏閣には霊験豊かな神仏像が奉納され、それを納める本堂などが寄進された。こうした信仰の大衆化は、差別を再生産することはあっても、決して万人に平等の救済をもたらすものではなかった。
そこに法然、親鸞が登場した。
浄土信仰に垂迹が介在する限り、財産や身分・階層・性別といった世俗的な条件が救済の差別化を再生産し続けるとみた。その上で最終的な救い = 浄土往生はただ本仏と直接向き合うことによってのみ成就されることを強調、専修念仏を説いた。
14世紀後半には、浮世の生活を存分に楽しみ、死後は忽ち仏となって、この世の一角に安らかに眠って子孫と親しく交渉を続けることを願うようになった。霊場に墓を建て、遺骨を納め、彼岸には墓参りをするようになった。
徳川時代になり、禁教をするために始めた檀家制度が、家と墓を一箇所に留め、相続させるものとなった。個人の墓ではなく、家の墓になり、そこには遺骨を納めるようになった。
それが近世まで受け継がれてきた。これが一般的な日本人の死生観と言えよう。
しかし、現代となって、核家族化が進み、人の流動化が進み、家や墓は継ぐべきものではなくなってきて、家じまい、墓じまいが進んでいる。
今後、永代供養の値下げが進むだろうし、17回忌までとか33回忌までとか、値段の区分化が進むのではないか。
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