気持ちE言葉牧場

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2010年12月28日
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愛される愛と、愛する愛とがある。

どちらも愛には違いないが、より純粋で、けがれのないのは愛する愛である。

愛する愛は、自らのいかなる犠牲もかえりみない。
いかなる犠牲も

如何なる…?

本当に?

じゃあ例えば、それが、
どんなに貧困になろうと?

例えば、それが、



例えば、それが、

死を意味する事だとしても?

例えば、それが、

ウォシュレットの「洗浄」「ビデ」「乾燥」の「ビデ」が、自分の名前になっても? 「ひでお」とか、「ひでき」とか、「みゆき」なり、「まさみ」なりになっても叶えたい?

例えば、

相手がずっとずっと腕を組んでいても?

例えば、

意中の子に、
「ひろし君か、まさる君、今日はありがとう」
って、メールがきても?
どっちも名前が違ってても?



家の中では、グレコローマンスタイルでも?

例えば、

家の中では、
星条旗柄で過ごさなければいけなくても?
もしくは、「本日の主役」と書かれたタスキを常にしてなくてはいけなくても?



意中の子が、

ニワトリの絵を書いたら四本足になってても?

例えば、

隕石が落ちてきて、ギリギリに避けるチキンレースで優勝しなければならなくても?

或る日の事でございます。

お釈迦様は極楽の蓮池のふちを、一人でブラブラと歩いてました。

お釈迦様が池のふちにたたずんで、水の面をおおっている蓮の葉の間から下を眺めると、生きているうちは、殺人、放火など数々の悪事をはたらいて男がいた。

この極悪非道な男も生前、たった一つだけ善い事をしたことがあった。

山の中で一匹のクモを踏み殺そうとしたが、小さな生き物にも命があるのだと気付き、助けた。

お釈迦様はその事を思い出し、極楽のクモの糸をおろしてあげた。

男はクモの糸を掴み喜びの声を上げ登り始めるが、
男の下にも無数の罪人が糸にしがみついて登ってくる。

男は

「俺のものだ。おりろ、おりろ」

と、わめき叫ぶが、

糸は、ぷっつりと切れ、コマのようにクルクル回りながら男は闇の底へ落ちてしまう。

一部始終見ていたお釈迦様は、悲しそうな顔をして、ブラブラと歩き始める。

しかし、極楽の蓮池の蓮はそんな事には頓着せず、白い花は、お釈迦様の足の周りにゆらゆらと動いている。


人間を救うのは結局自分しかない。エゴイズムの浅ましさに悲しさを知り、超自然的な他に頼ってはならない…
自然は回るけど、人は前進出来るからね。



お互いを見つめ合う
では、なく、
一緒に同じ方向を見つめる
事かな…


To be ,or not to be : that is the question.


生きるが増すか、死ぬが増すか、そこが問題。





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最終更新日  2010年12月29日 07時45分08秒
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