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2004/09/19
専門学校にて
(1)
テーマ:
睡眠障害(372)
カテゴリ:
カテゴリ未分類
車で西北まで送ってもらう。
何か酷く苛ついた。
なんなんだ…一体…
私が悪いのか?
はい、私が悪いんでしょう、きっと。
今まで一生懸命やってきたのになな。
私のやってきたことって一体何だったんだろう。
なんかむなしい。
もっと言いたいこと言って好き放題するんだった。
私はいつも親の言うこと聞いて来たはずなのに。
私の人生って一体何なんだろう。
何を求めてたんだろう。
私の青春を返して欲しい。
出来るならば去年の春からやり直したい。
精神科に行った事は間違いだった。
おかげで私は過食症になった。
醜く太ってしまった。
私なんで弁護士になりたいって主張し続けるんだろう。
単なるファッションの一つ?
何がしたいんだろう、私は。
お洒落したいにだけならフリーターにでもなればいい。
しかし私はその道を選ばない。
私のポリシーに反するから。
やはり私は何事もかっこよくないといけないんだ。
それにしても『現代の医療』本当に取れてたのかなー。
私が診察に行ったI大学病院の先生が教授に話したとか?
ありえなくない。
大学始まったら早起きしないと!!
とりあえず最初の1週間は1限から行こう。
授業出ながら〇〇試験の勉強するのって大変だなー。
やはり次の1週間で入門講座の復習きちんとしておこう。
時は流れていくんだろうな、こうやって。
時は止まることを知らない。
ただひたすら前に進むばかり。
私はその時の渦に飲み込まれていく。
私はどうしてこんなに変わってしまったんだろう。
1年がまるで10年みたいだ。
私は沢山の薬を飲んだし、また死に掛けもした。
ICUにも運ばれた。
しかし三途の川なんて見なかった。
私は何も見なかった。
ただひたすら眠り続けていただけだ。
私はある意味好き放題やったと言えるだろう。
でも私は苦しかった。
死を選ぶくらい。
でもそのことを誰もわかってはくれなかった。
私は責められるばかりだった。
そして今でも責められるばかりだ。
言って効くなら摂食障害になんてならなかった。
私はいやおなしになったのだ。
それは抗いがたいものだった。
私のDNAに組み込まれていたのだ、摂食障害になることは。
なんで私の人生だけがこんなのなんだろう。
うんざりしてくる。
痩せて何の問題もない妹が羨ましい。
私はいつも人を羨ましがっている。
いつも自分に納得がいかない。
私はO君といたときが一番楽しかった。
しかし私はやはり何処かおかしかったのだろう。
彼は結局私を好きにはならなかった。
私の一体何が欠けていたのかは分からない。
でも私はあの時間に戻りたい。
あの頃の私は痩せていたけれど底抜けに元気だった。
あの時私が自分の病に気付いていたとしても結果は同じことになっただろう。
母の説教は私の狂気を駆り立てる。
私は発狂しそうになる。
「もう私は死ぬ!3階の窓から飛び降りる!!」
と叫びそうになってしまう。
もしYおばさんが死ななければ私は摂食障害にならなかったのだろうか。
私はまだ22年しか生きていないのにもう晩年のようだ。
私は何の為に生きているんだろう。
去年の10月9日K医大病院に入院した時1ヶ月で7kg痩せた。
そして守口のデパートで28インチのジーンズを買ってもらった。
またあの体重に戻れるだろうか。
1ヶ月間私は殆ど食べなった。
もちろんおやつもなかった。
H病院に入院したときも確かそのくらい痩せた。
入院しては痩せ、退院しては太った。
K医大病院を退院したあと私は爆発的に食べた。
食べずにはおれなかった。
ODして声が殆ど出なくなったこともある。
あれは猛烈に痛い体験だった。
体が電気ナマズのようになった事もある。
あの時は病棟内を1時間ほど走り回った。
マイスタンを飲むと症状は治まった。
心理テストもいくつも受けた。
結果は「前後の見境がつかない」。
…なんなんだろう、一体。
筋注も何度もされた。
殆どと言っていいほどあとで痛くなった。
私は21歳の半分以上を病院で過ごした。
楽しかったとも言える。
D君もNさんもいい人だった。
Tちゃんとの出会いは衝撃的だった。
彼女とよく病院を抜け出し遊びに行った。
よく一緒に編み物をした。
しかし私の心は死に傾いていた。
いや、死にたかったわけじゃない。
ただ、気付いてもらいたかった。
私は自分の過食を止められず焦っていた。
週に一度の体重測定で体重は増えていくばかりだった。
一度減った体重はみるみるうちに増えた。
そんなある日私は計画的にODをした。
薬を飲んだ後のことは良く覚えていない。
私は気付くとICUにいた。
飲んでから2日が経っていた。
私は奇跡的に助かった。
私は自白したのだ、「薬を飲んだ」と。
私は酸素マスクをし、導尿には管を通されていた。
私の着ていた服は鋏で切れ裂かれていた。
体重は入院したときと同じ54kgだった。
私はその体重に怯えていたのだ。
Y先生に「ヒルナミン以外何飲んだか教えて」と言われた。
私は「忘れました」と言った。
M先生にも「私の処方していた薬に手を出したの?」と聞かれた。
私は「いいえ、市販の薬を飲みました」と答えた。
事実はヒルナミンやラボナ、ロヒプノールを飲んだのだが。
致死量の低いラボナをあれほど飲んで生きていたのは奇跡だろう。
また編み物でも始めようかな。
あっ、でも勉強だ、今すべきなのは。
ICUから精神神経科の閉鎖病棟に転科してから私は編み物をしなくなった。
煙草も珈琲も禁止されていたある日の日曜日雪が降った。
私はその雪に触れたくて仕方がなかった。
しかし私は閉鎖病棟にいた。
触れることは不可能だった。
その時期が一番苦しかった。
ODから2週間ほどして私は退院した。
2月4日のことだった。
ODした私には薬がロヒプノールしかなかった。
毎晩粉末にされたロヒプノール4mgを頓服として飲んだ。
退院してからS先生のところへ行った。
S先生はOD事件のことをすべて知っていた。
そしてその日に病院に来ていたと言う。
しばらくは薬がなかったがすぐに薬が処方された。
レキソタン、ジプレキサ。
そして2ヵ月後私はH病院に入院した。
其処は生粋の精神病院だった。
回想はこのくらいにしておこう。
今日は久し振りにおばあちゃんが遊びに来た。
そして3千円もらった。
それにしても…体の右半分が変な感じがする。
例えて言うなら…そう、K医大病院入院中に体が電気なまずになったような感じ。
左手がぴりぴりする…
でもあの時みたいに走り回るほどじゃない。
母には言わずに我慢する。
だって、大学に行かせてもらえなくなったら困るから。
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最終更新日 2004/09/21 04:06:08 PM
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