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Adeltraud

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2021.06.07
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カテゴリ: 日記


500近く行った時は何処の工作員が何の目的でやってるかと疑ったけど、政治的発言を書く人間をマークしても影響力ゼロだから意味がない。
今、日本は尖閣防衛についてまたやってますアピール。
あの産経ニュースを読んでも不安しかない。
何故ならば、国防動員法の影響が頭にないからだ。
今の日本は国内それも日本全土に敵国の基地が山程潜伏している。
その基地には山程の便衣兵がいる。
有事になり、国防動員法が発動すれば、特亜3国とそれに便乗して略奪や虐殺に加担する外国人が国内各地で暴れ出す危険性が極めて高いと思っているのは私だけなのか?
そう思っていたら自衛官や自衛隊OBの皆様も同じリスクを予想して危機感を感じていらっしゃると昔FBの旧垢で知った。だが、自衛隊と一般人の危機感の差は夥しい。
だから私はこの問題について触れる時、「こういう事を書くと頭がおかしいと思われるかもしれませんが」と前置きして有事の際にどの様な状況が想定されて、我々民間人はどうすべきかを書いた。
この文対して「大切な事です」とコメント下さったのは自衛隊の方だけだった。
日本人の9割の平和ボケは最早致命的で、楽観性バイアスもここまで酷いと南極のペンギンのが余程危機感を持って危機管理出来てるのではないかと思えてくる。
私は私と私の家族だけが助かる方法を全てにおいて常にシュミレーションして有事に備えている。
どうすべきかはもう書かない。
私を馬鹿にして見下して優越感を感じる為にこんなくだらないブログを読む暇が有れば資格取得にでもその時間を使った方が良い。
私なら、初めて読むブログは斜め読みをして下らない愚痴ばかりだと分かると二度と読まない。
まだ楽して得た優越感で自分を慰めたいだけの悪意ある馬鹿が50人も残るとは嘆かわしい事だ。
私もブログは読むが、保守系のブログでも理系のブログでも記事として読む価値があるものだけを登録して読んでいる。不特定多数のブログを読む人は自分の命にも限りがあるという事を知らない。命に限りがあるという事は、時間が限られているという事だ。限られた時間で何をするのかをよく考えるべきだ。同じ時間を使ってこんな下らないブログを読むのと、資格取得や学位取得や技術向上の為に時間を使う人で、将来どれだけの差が出るか。
厳しい考え方かも知れないが、私は自己責任論をある程度支持している。自己責任で出来る限りの事をした結果本人の努力では如何にもならない不測の事態に遭遇した為にやむを得ない場合には自己責任論を適用すべきではない。
今は何でもかんでも我儘が通らないと鬱病を免罪符にする者が多すぎる。日本が貧しくなって行く原因はそういう所にある。皆んながやるべき事をやらず言い訳ばかりをして鬱病を免罪符にする。どうすれば楽して得られるか?サボる事ばかりに悪知恵を使う怠け者が増えた。愚民化洗脳の結果がとうとう顕在化して来た。
私がこのブログの読者を悪意の人々では無いかと疑う理由は幾つかある。
そして私のブログの読者が一桁台で落ち着くと良いと思っている。
まず、このブログには学ぶべき内容が一つもない。いわばただの愚痴と今日あった事の覚書だ。
そういう読んで何の価値もないネットの片隅に転がる物を読むのが好きな人の心理が理解出来ない。恐らくはこれらのブログの書き手を見下し悪意を持って読み優越感を感じる事が目的ではないか。
私ならもしもこのブログが他人のブログならば読まない。
悪意の人々は酷くバカな人々でもある。何故ならば、もっと世の中には楽しい事や為になる事が山程あるのにそれを見ようともしない。もしもこの時間を活用して何かの検定試験の勉強をしたとしよう。私が大学の勉強をしている時も嘗て検定試験の勉強をした時もそうだが、勉強をする時というのは、自分がまだまだ無知であると言う事実と向き合い頭をフル回転させて勉強方法を見直して勉強をせねば合格点は取れない。合格点を積み重ねた先には職種や資格内容によってはキャリアアップもするだろうし、転職にも有利になる。生活の心配も減るだけでなく、人から認められたり褒められたり尊敬されて、正当な形で自尊心を高められる。何もしなければ人間の価値は上がらない。バカな事や悪い事や悪意ばかりであればそれなりの人間にしかならない。人を見下しても自分はちっとも変わらないという簡単な事が分からない。そういう人はやはりバカなのだと思う。でも別に見下してはいない。これを読んだのも何かの縁だから読む暇があったら勉強しなさいと忠告する機会になる。
私は東国原元知事が好きではない。だが、一つ偉いなと思う事がある。お笑い芸人の仕事が干された時に貯めておいたお金で早稲田大に3年次編入し政治学部の学位を取得して選挙に出馬した。県知事としてはアイデアマンで良い事もしたし、「高速道路が通れば救急車が中々行けない地域にも1時間ちょっとで救急車が行く事が出来る」という話は目から鱗だった。都会にいると大病院もすぐに行ける範囲にあるし、生活圏内に病院は選べるほどある。だが、田舎では、ドクターヘリの離着陸できる場所や高速道路の開通が命を繋ぐ重要な事業になる。それほど医療に於いてもまだまだ日本には地域格差がある。教育はネットの普及で随分改善の兆しが見えてきたが医療はネットだけでは限界がありすぎる。もしも東国原元知事がずっと県知事としての職務を遂行し地域にとって良い事を沢山し続けていたので有ればきっと尊敬しただろうと思う。今、東国原氏は昔の様なアホっぽいお笑い芸人の様な扱いでは無い。政治家としてのキャリアが仕事を齎したし体を張った低俗なお笑いをしなくても良くなった。干された時期に何をするかでこれだけの差が出た。他の芸人は学歴も資格もない人は埋もれてたまに出てきても惨めな醜態を晒すだけの人もいる。
私よりもチャンスに恵まれている人は沢山いると思うのに、なぜそのチャンスを活かそうとしないのか?そのチャンスの価値が分からないのか?チャンスに気付かないのか?と思う。こういう世の中が大きく変動する時は、ピンチであると同時にチャンスでもある。今何をしたかでこれからが決まる。生ポ不正受給に甘えてやりたい放題やっている輩にはそれなりの末路が待っているだろう。利用価値だけで利用されているだけの者や踊らされている者は利用価値が無くなればあっさりと捨てられて梯子を外される。そして常に情報を収集し勉強し資格や学位を取れるだけ取り知恵をつけて知識を増やして次に備えた人が乗り切れる。

簿記検定試験について、私なりに考えた幾つかのポイントを書いておく。
と言っても2級に受かったのは学生の頃の話だから、勉強方法として考え方のポイントだ。
まず、簿記を、シミュレーションゲームと捉えた。仕訳問題の例えば本支店会計なら、具体的にいつも学校の行き帰りに見るイトーヨーカドーをイメージした。別にどの店でも良いが具体的にイメージする。そして店の中の商品がどうしてこの店に来てどんな風に帳簿に記されるかあれこれと想像する。そうすると仕訳問題が面白くなる。〇〇商店と書いてあれば行きつけの文具屋さんや駄菓子屋さんや酒屋さんのおじさん達の笑顔が浮かぶ。どんな風に仕事してどんな風に仕訳をするか想像しながら問題を解く。商品が運搬されたらブルーのトラックに運ばれるのを想像したり、兎に角、文字だけではなく、具体的に映像や画像を頭に思い描く事で、右脳と左脳をフル稼働させて覚える。簿記会計は生きた学問で、大学の初級簿記や会計学の放送授業も面白かったし、高校の簿記検定試験も楽しかった。後は、勘定科目の関係性をしっかりと頭に叩き込む。何度もその関係性についてノートや広告の裏の白い所などに書いた。
全経簿記会計1級の仕訳問題ならば、仕訳問題が列挙された紙の裏にその答えを同じ順番で書く。私はA4の紙を使って50問から100問ぐらい問題集から書き写しプリントした。100問も書き写すとタイピングの良い練習にもなるし問題も出題傾向が頭に入って良い。高校の頃は今よりも目が良かったから字が小さくても登下校の電車の中で十分読む事が出来た。視力によっては30問ずつぐらいにして何枚もに分けると良いかも知れない。問題を読み、答えを頭に浮かべる。この時に貸借の勘定科目だけを入れる。裏面にして答えを確認。これを繰り返す。瞬間的に反復出来れば、次の問題集。問題集は2種類以上は使ったし教科書は3種類。皆んなボロボロになるまで使った。私は単語帳だと無意識に体が縮こまり疲れるので何でも覚える時はA4かB5のコピー用紙を使ったが、単語帳でも良いと思う。ただA4の方が数はこなせたと思う。今でもこの暗記法を試験直前までやるが流石に歳のせいか1時間も連続するとクラッとして少し気持ち悪くなる。この不甲斐なさを何とかしないといけない。勉強方法をもっと考えて効率よくすると良いかも知れない。
家で学習する時は、ワークブックで、過去問をやるのだが、本番と同じように過去問をやる。過去の検定試験がそのままワークブックになった問題集が検定試験の主催団体から出ていた。ネットや東京の大きな書店では売っていた。私は頑張っていたら先輩や先生から要らなくなった問題集や教科書を譲って頂けたので随分助かった。
試験と同じ形式で過去の試験そのままの問題用紙に向かったら、本番と同じ様にタイマーで計り模擬試験をやる。模擬試験と上記の勉強と教科書の熟読を繰り返し、自宅でやる模擬試験でどれをやっても100点取れる様になれば本番で70点だと考えた。そして実際に模擬試験で全て100点取れる様になったら、先生に聞いたら3級100点で2級88点だった。模擬試験で平均点90点しか取れなかった1級は68点で不合格だったと聞き、私はとても無念で不甲斐無い気持ちで悔しかった。だが、やはり模擬試験平均100点で本番70点と考えたのは大体当たっていたと思った。先生は褒めて下さったけれど私は自分の勉強不足が心底嫌だった。その後もっと勉強せねばならないと追い込みすぎて暫く倒れたが、今度は方向性を変える事にした。それが大学だった。貧乏で大学なんか金持ちの道楽だと思っていた私が大学で学びたいと思ったのは生物学がきっかけだった。遺伝子を高校で知り、DNAやRNAを知った時は、これは凄い!と直感的に感じた。これをどんどん解明すれば全ての問題が解決するんじゃないか⁉︎と思い大変興奮してバイトしては本を買い夢中になって読み分からないと職員室まで行って先生に質問した。先生は答えられる限り何でも質問に答えて下さった。私はデオキシリボースとリボースの構造式を何度もノートに書いた。何度もヌクレオチドを書き、授業終わっても気になると質問した。こんなに画期的なものはないといつも思っていた。倒れなければもっと勉強出来たのにと思うととても悔しい。簿記と生物学は私の高校時代の中心であり今思えば青春といえばこれだった。するとある日、先生が「これ以上はこの本を書いた先生でないと分からないな。君は大学に行った方がいいよ。」と仰った。私は暫く唖然として何と答えたかも覚えていなかった。これ程夢中になった分子生物学や遺伝学を大学なら勉強出来るという発想はなかった。ただ、私の様なバカで貧乏な生徒に先生はどうしてそんな意地悪を言うんだろうと暫く疑問だった。そうしたら別の先生が、そんなに勉強したいのに大学行かないのは勿体無いと仰る。今まで家庭の問題で思い切り勉強出来なかったし、親から、バカだの捨ててくれば良かっただのと、そこに座ってるだけでボロクソに言われて育った自分が、ただ生まれて初めて好きになり夢中になった事で基礎学力も覚束無いのにそんな事を言われるとは思わなかった。こんなに勉強する様になったのも、高1の担任の先生が「勉強はお父様の為でなく自分の為にするものよ」と仰ったので自分の為に自分が好きな様に勉強する様になったのが2年3年とする頃には、苦手な英語や数学までも、強い興味を持つ様になった。この頃から好きなのに出来ないという様になった。そんな訳ない!と理解を示さない先生が1人いたが多くの先生は「今まで自由に出来なかった勉強に今目覚めたのだから当然だよ。数学と英語は積み重ねの教科だからね。なら今やればいい」という考えだった。先生方の理解と応援もありますます勉強にのめり込み好きなのに思う様に出来ないというジレンマを抱えたまま、死ぬまで大学生という選択肢を選んだ。高校の時は働きながら学んだ為に仕事中に何度も危険な目に遭いそうになった。後に旦那となった彼は心配で10円玉を渡し、テレカを渡し、必ず何かあれば警察を呼びなさいと言った。親も雇い主も絶対呼ぶなという警察を呼び助けられて、九死に一生を得た私により安全なスーパーのバイトばかり紹介してくれた彼は一緒になると私が働く事を禁じた。二度とあんな不安な想いはしたくないからと言われて、何度話しても本当にどうしてもの時だけと言われ、結局どうしてもの時は来なかった。お陰で思いっきり勉強し続ける事になった。一時、経済的に厳しくなり大学を休学した時は早く復学したくて仕方がなかった。通信指導も単位認定試験もない人生がこんなに不愉快極まりないものとは思わなかった。今は1科目ずつでも勉強出来る事が楽しいし、あれもこれも勉強しなきゃならないと問題集や参考書に埋もれる毎日が充実している。
こうして、手が痛くなるまでブログを書くのも実は勉強方法の一環だ。ドラゴン桜でYouTubeやTwitterを使った勉強方法を見て、勉強しながらブログを書いて兎に角、出力する様になったら、勉強も前よりも面白くなった。私などがどんなに勉強しても社会には何の役にも立たないが、生活には役に立っていると思う。洗濯していても炊事していてもそこに何が起きているかを科学的にもっと知りたいし説明出来る様になりたいと考える。心理学科目はだいぶやったがまだまだ勉強が浅い。
簿記の事を書いていたら話が随分横道に逸れた。8桁清算表は兎に角、練習回数とスピードだ。検定試験問題は百十一の単位がゼロである事が多い。だから、計算する時はゼロが並ぶ所に紙を当てて数字が入る桁だけで計算して後でゼロをつけた。この方法だと計算機を打つ時にとても速かった。計算ミスがないか2回から3回は計算して確認する。貸借対照表と損益計算書と清算表は仕訳と転記と計算だから反復練習だけでどんどん出来る様になった。2級まではスムーズだったが、1級になると計算問題によっては数学力が影響した。数学の大切さを心底身に染みた経験だった。企業会計原則も新たに暗記するものだから毎日休み時間も復唱した。先生や生徒の中にはそういう私を馬鹿にして意地悪をいう奴もいたが、そういうバカ教師は1人だけだったし、応援してくれる人々のお陰で頑張れた。私でも努力すれば検定試験には2級までは合格する。日商は工業簿記が入るし、今は知らないが昔は全経も1級会計合格後1級工業簿記も取らなければ流れた。工業簿記は商業簿記や簿記会計よりも仕訳や計算が複雑で勘定科目も多く大変だと思うが、信じて努力し続ける事と勉強方法の効率化を図る為に他の人の勉強方法を教わったり工夫する事と出来なかった所は何度も見直して自分の弱点を洗い出して重点的にやる事。簿記検定試験は、一番難しいのが日商で次に全経、一番優しいのが全商だった。私の高校はもう潰れてしまったが商業高校ではなかったせいか全経だった事に感謝している。簿記は最後に単位を稼ぐ為に初級簿記を大学で取った後は今はもうやっていないが勉強の面白さを教えてくれた最初の教科だった。努力すれば必ず道は開けると教えてくれた最初の教科でもあった。
私なんかでも出来るのに、私よりも出来る人々がなぜ自分の人生の未来の為に今やるべき事をやらないのか、私には理解出来ない。やるべき事とやりたい事は多くの場合違う。それが本当にやるべき事なのか自問自答した方が良いし、今が思う様に行かないのは過去の自分に原因がある。会った事も見た事もないネットでちょっと読んだり聞いたりしただけのどうでも良い人に八つ当たりする暇はないのにそれを繰り返し全然知らない人々を不愉快にしてきた人はそれなりの今を生きてそれなりの未来しかない。褒められたければ褒められるに値する努力をして結果を出すべきだし、尊敬されるかどうかはやるべき事を全てやって後からついてくるものだ。やるべき事をやらずにやらなくてよい事をやると後で碌な事が無いし、そういう奴はまず尊敬も賞賛もされず軽蔑されるだけだ。

話は変わるが、最近また園長さんの動画を観ている。可愛い柴犬が痛快に正論を言っているのをみると楽しい。そこで鬱が話題になっていた。大坂なおみのケースで鬱の診断書が出るかというと普通は多くの人がお金を積んでも出るかどうかと思う所だが、これが出る可能性がかなり高いと私は思っている。伊達公子も折角応援に来てくれた日本人をバカにしてディスりまくり日本人へのヘイトスピーチを呼吸する様に言っていたがそういう嫌な奴でもずっとテニスプレーヤーを続けられたし大坂なおみの様な問題行動や逸脱行動はなかった。その点に於いてこの逸脱振りは前代未聞なのでプロテニスプレーヤーを続けられるかどうかは分からない。どこからどんな圧力が来るかも分からないし、テニス界がこういう選手をどこまで受け入れられるかどうかは未知数だ。

なぜ私が、鬱の診断書が出る可能性が高いと思うか。

鬱病には2種類ある。
一つは旧型の鬱病で、こちらは生真面目で努力家で自分に厳しい人が罹る。 
低姿勢で、礼儀正しく、相手に悪いから一生懸命努力する努力家タイプが罹る。
常に感謝を忘れないし、無償提供してくれたラケットを癇癪起こして壊すなど絶対に出来ない。そのラケットを作ってくれた職人さんの想いまで重く強く受け止めて頑張りすぎるタイプだ。こういう人は多くの場合、寡黙で実直な印象を人々に与える。訳の分からぬ左翼活動などには見向きもせず、ただひたすら仕事に打ち込む。
そういう人がある日突然、体が思う様に動かなくなる。仕事をしなきゃ、責任を果たさなきゃ、皆んなに迷惑がかかる、と焦れば焦る程、体は鉛の様に重くなり、焦りと申し訳なさでますます努力するが努力は空回りする。眠るべき時に眠れない。努力すればする程に目が冴えて明日の仕事を考えて焦りが募る。疲れれば眠れると思いジョギングなどの運動を始める。元来、性格が生真面目だから一生懸命にやる。体が疲れた筈なのにやはり眠くならない。目が冴える。どうしてなんだ?こんなに頑張っているのに⁉︎仕事で皆んなに迷惑かけたらどうするんだ⁉︎とますます自分で自分を追い込んでしまう。こういう人は仕事をすれば仕事への強い責任感で心がいっぱいになっている。余計な事はせずに周囲が脱帽するくらい打ち込むから信頼される。仕事の責任が重くなればなる程、強い責任感で心が押し潰されている事に気が付かない。何クソこのぐらいで甘えるな!と自分で自分を追い込んでしまい、全てを抱えてしまうから、最悪の事態になるまで気付かない場合もある。こういう人は、医者から診断書を取ってそれを免罪符に仕事をサボるなどという怠惰で図々しい行動は絶対に取れないから、多くの場合、周囲が気付いて半ば強制的に休ませるしかない。
旧型鬱病、つまり従来からある誰もがイメージする普通の鬱病患者は死んでも自分が鬱病だと認めたくないのに周囲が心配して病院へ連れて行き鬱病だと診断される。鬱病であるという病識が無いからまずは病識を持ってもっと自分に優しくなれる様にサポートする。甘えていいんだよと言われても甘える事に慣れていないから中々難しい。

もう一つが、新型鬱病だ。
ドヤ顔で診断書を突きつけて遅刻や欠勤や問題行動を正当化してくるのがこのタイプ。
周囲は、嘘をついて診断書を書かせたんだろうと思うが、一般に鬱病に2種類ある事は知られていないから、なぜ医者が鬱病の診断書を書いたのか首を傾げる。
多くの場合、このケースはパーソナリティ障害に起因する。パーソナリティ障害の原因は明らかではないと思うが、3歳頃の最初の反抗期に甘やかされて何でも我儘が通ると経験した人に多いのではないかと私は疑っている。こういう人は、自分の我儘が原因で周囲から嫌われたり反撃されたりすると、自分がして来た事を全て棚上げにして自分が被害者だと訴える。やる事が気紛れで主観的かつ感情的。一貫性がなく、自己アピールの為に誰かを利用したり、やりたい放題にやる。協調性が無かったり、独裁的だったり、独善的だったり、破壊的だったかと思ったら、急に他の人でもやらない様な良い人アピールをしてみたり、周囲の気持ちや全体の事を考えずに周り全てを振り回して、その結果敵を増やしている事にも気付かない。
我儘が通らなくなると、誰も診断した訳でもないのに「みんなが私をいじめるから私が鬱病になった!」と主張する。『常に私は絶対に正しくて正常だが皆んなが間違っている』という強い思い込みに支配されている。やりたい事をやりたい様にやりたい放題やるから、才能に恵まれれば飛び抜けた結果も出すが長続きしない。金や力を得ると本来の姿が隠せなくなるからだ。そうして思う様に行かなくなると『鬱病』を免罪符にするのである。

どちらも、希死念慮(自殺念慮)に支配されて自殺する危険性があるから保険に入れなくなる。
だが、その動機は真逆だ。
旧型鬱病は、『私が生きていては皆んなに迷惑がかかるから』という動機に対して
新型鬱病は、『何で私の思う様にならないの⁉︎なら死んでやる!』という動機。
周囲の人々への想いがそもそも根本的に違う。
ちなみに余談だが、統合失調症の患者が鬱病になる場合はどちらかと言えば旧型に近いのかも知れない。
本当に症状があるのに病気を免罪符にサボっていると誤解される病気だが、病識を持ちこの病気の真実を知ってしまうと将来を悲観して鬱になる場合もある。
大学で勉強していると、鬱病、統合失調症、パーソナリティ障害がたびたび出る。
鬱病は、躁病、双極性障害(昔で言う所の躁鬱病)と並び『気分障害』に分類されていた。
統合失調症は『精神障害』
パーソナリティ障害は『人格障害』ともいわれ、境界性人格障害や自己愛性人格障害、反社会性人格障害などがある。酷く我儘で身勝手で周囲を利用したり操っていじめを引き起こしたり、周囲を振り回した挙句、自分を棚上げにしてブーメラン発言で無理矢理に自己正当化しようとしたり、突然、被害者を装って周囲を責めたりするのが大体これだ。

パーソナリティ障害を好きになる人は、近視眼的で感情的で物事全てを点でしか捉えられない人。全体を見て考えたり、その人以外の人々の気持ちも考えて配慮するのが苦手な人。相手の良い所だけ見てあげる自分はなんて良い人だと思い込んでいる人に多い。こういう人がパーソナリティ障害の人にますます力を与えて問題をややこしくする。凶悪犯のシリアルキラーを「この人にも良い所が沢山ある」と頓珍漢な弁護をしたり、万引きした子供を庇って「お金払えばいいんでしょう!」とか逆ギレする人は、パーソナリティ障害を悪化させる。長い目で見て、今厳しくしてあげないと本人の為にならないと考える人を『怖い人』だとか『酷い人』だと言って非難したり排斥したりする。全般的に要所要所では要領良く立ち回っても本質的には社会全般の事について俯瞰して考えたり違う立場や目立たない裏方の仕事を担う立場の人々への配慮が全くないから、農業を「大変な仕事をよくやるね。自分なら絶対やらない。」とか変な事を言う。農業には生き物を育てる楽しみもあると分からないし、そもそも何かを育てる為に自分を抑えるとかそういう先を見て今を考える事も不得手な人が多い。恐らくは、パーソナリティ障害もそういう人を好きになる人も似た者同士なのかも知れない。そして、パーソナリティ障害の人を好きになったり弁護をする人は、大体が異常に傷つき易く『自分はパーソナリティ障害では無い』『誰よりも正常だ』と強く思っている。

それとは真逆に自分はパーソナリティ障害だと思うと言って酷く悩んでいる人がたまにいるが、私はそういう人を見つけると大学の先生が授業で仰っていた事を話す。『正常な人は1つから2つ以上のパーソナリティ障害に当てはまると感じる。そして、「自分は絶対にパーソナリティ障害ではない」という人はパーソナリティ障害である場合が多い』だから自己判断する前にDSMの最新版に則りPETやfMRIなどの客観的検査も駆使してくれるきちんとした脳診断をしてもらう事を薦める。
これは精神障害でも当てはまる事がある。例えば統合失調症の患者は誰もが幻覚や幻聴や悟り妄想や悟られ妄想を経験していると思い込み自分は正常だとか、超能力があるとか思い込む人もいる。また病識を持つ患者は病院に通ってやっと病識を獲得する。
その事から、パーソナリティ障害について話す時に合わせてこの話をすると、「そういえば、本当に精神病やパーソナリティ障害の人がいたけど、あの人達は皆んな『自分はいたって正常だ』と思い込んでたわ」と納得してくれた人もいた。
人は周囲に同調しようとする性質を持つ。だからパーソナリティ障害と一緒にいれば病んだり似たりする。マスコミが世論誘導しようとするのも、同調圧力を作り出し利用する為だ。同調圧力が強く働いている所では、本当は違うと思っていても周囲に気に入られたくて賛同したりする。嘘で人を貶める時も大体、言い触らす本人はこの同調圧力を作り出して集団をコントロールしようとする。
嘘だらけの噂話であっても、人があまり耳を貸さない場合もある。それは、噂の流布は人々の重要度によって変わるからだ。
流言を「客観的な基準による検証を受けずに、人から人に連鎖的に伝達されるコミュニケーション」と定義し更に「流言」よりも一般的に用いられる「うわさ」という語を「流言」と同義のものとして用いることにする。と教科書に書いてある。
簡単に言えば、流言とうわさは同じものでエビデンスなんか関係ないと思ってる無責任な情報なんだなと思った。
私を目の敵にしている連中の存在は別に妄想ではなくポンイチ信者が直接ふわっち配信で言ってきた。どんなに応援しても言ってる事が滅茶苦茶で折角百田尚樹氏が宣伝してくれたのにマトモな人達がみんな怒って去っていった。私も応援する意味が無いと思ったからやめた。ただそれだけなんだけどね。部分的に聞きたい事を言ってくれたからと言って全体像で見て疑問があったら普通は離れる。大坂なおみと似てるんだよな。感情的で一貫性がない。やる事は時々ド派手だけど踊らされてる感ハンパないし、なぜ気付かないんだろうと思う。主張している表面は真逆に見えて根本は同じなんだよな。ポンイチ信者ってただ誰かを敵に見立てて八つ当たりしたいだけで本当は日本なんてどうでもいいと思ってるんじゃないか。そう思われても仕方ない様なイジメやストーカーやら逸脱行動繰り返してるね。私には頭で勝てないからコソコソと嘘言いふらしてただろうけど、そもそも一匹狼で誰にも影響力を持たず誰とも関わらない人の話題なんて、しかも自分のブログで勝手に呟いているだけの奴なんて、誰に話しても、知らねー誰それ?と思ってその内忘れるだけなのに虚しくないのかな。それとも、SNSの全てから排斥するのが目標とかだったらキモイね。それがポンイチだから、気付いて誰も投票しなければ良いと思うんだ。少しでも気に入らないと粛清するって、そういえば習近平の写真に墨かけて世界に訴えた子が悲惨な末路を辿ったね。桜井誠の写真に墨かけた子がいたら同じ目に遭わすかね。ポルポトやヒトラーの様な人が居たのも、国民が投票し続けて支持したからなんだよね。政治は怖いのではない。きちんとリサーチしてせめて一番無難な奴を選んだり、仕方なくいつもの無難な奴を選ぶ。つまりそこまで余計なことをやらない奴。ポルポトやヒトラーになる心配は少なくとも無さそうな奴。その内、ちゃんとしたのがもうじき出てくる。最悪の選択をする必要はないんだよね。でも、都知事はやらせてみたかったけど。そうすれば日本中が注目するからすぐにボロが出るでしょう。もう一度都知事選に出馬すべきだと思うけど、もうあそこまでの票は集まらないだろうな。あれであの後自ら票を減らしまくったから。何をしたいのか分からない。離れた人達は賢明だったし、いつまでもそこにいる人達には警告したのだけれどやはりネットイジメに遭っていた。陰で嘘で人を貶めるのを日常的に支持者や党員や元支持者や元党員にやってる集団が、慰安婦問題ガァとか父祖の名誉ガァとかいうのはダブスタなんだよな。私達はそもそも嘘で人を貶めるのが卑怯で下劣で恥知らずな行為だと思っているから非難するのも当然なのだけどね。反日や嘘が金になる時代を終わらせようとしているのがトランプ大統領。あんなあからさまな不正選挙なんだから私達はバイデン氏を認めない。これは光と闇の戦いだとツイートしてた。と言う事は反トランプ表明を一度でもしてたらそれは闇とみなす。強い方につく奴らは星条旗降ったりトランプ支持のフリしても反日だからすぐにわかる。似非保守を見抜けない人と大坂なおみの熱烈なファンにも共通点がある。
園長さんの動画流しまくってやっと「確かに大坂なおみは変」と気付き始めてる。前にもTwitterで書いたけど、直接言っても頑なになる時は動画をただ流しそれとなく聞かせる。自分と同じ意見をうまく説明している動画を流すとある程度客観的に情報が入ってくるからおかしさに気付く。ポンイチも選挙で勝ったりしてはっきりと力を持ち始めたら世間が注目する。リベラルが何を言ってもやってもみんな飽きてるから興味を示さないけど、極右的な物は珍しいから注目を浴び易いしそれだけ非難も浴び易い。パーソナリティディソーダーとか生ポ受給とか依存症とかメンタルに難があるといずれボロが出て乗り切れなくなる。政治家になって政治を変えようとする人達は頭脳も半端無いしメンタルも強い。ネットで無名の素人イジメて悦に入ってるレベルじゃ良くも悪くも国は変えられない。他人を嘘で貶めたりネットイジメやる様な愚民が力持っても悪い方にしか変わらないしそんなのに力与えるほどそこまで日本人は馬鹿じゃ無いよ。要所要所でちゃんと慎重に選んでるしちゃんと見てる。ただ人材不足で中々思う様にいかない。それももうじき解決する。
伝言ゲームを使った実験でうわさが信用に値しないものであると分かってる。情報伝達のプロセスで、平均化(leveling)、強調化(sharpening)、同化(assimilation)の3つの変化が生じる。
平均化は細部が省略されて説明が単純で平易なものになる現象。
強調化は逆に残された情報が誇張される現象。
同化は先入観に沿う方向に情報が歪められる現象。

例えば、ソシオパスの虜になる人や、サイコパスの虜になる人、パーソナリティ障害の人をやたら弁護したがる人は、認知の歪みが酷いし、感情的で短絡的で思考力や忍耐力の低い人は、物事を歪めて認識する傾向が強い。何をどう書かれようが言われようが、それはお前の事やと何でも不都合な事は相手の事だと思い込み自分は絶対に正義で正常で正しいという思い込みに揺るぎが無い人は、例えばBLMや黒人至上主義や白人至上主義や中華思想、小中華思想、極右や極左などにハマり易い。普通は物事は変化するし全ては状況によって変わると知っている。自分が正しいとは限らない事は勉強をしていくうちに自然と身につく。世の中は千差万別で複雑で絶対的正義はありえない事も大人になれば分かる事だ。
例えば、私は、自分や家族が平和に過ごす為には現状維持が望ましいと考えるが、私達人類が現状維持を望めば犠牲になるものも当然ある事を知っている。どうしても害虫には殺虫剤をかける事もあるし、蚤やダニを寄せ付けない為にはフロントラインプラスも使うし掃除機もかける。イベルメクチンの毎月の通年投与でどれだけの寄生虫が知らない間に消えていったかも知れない。人類が滅びれば人類によって作出された家畜や愛玩動物は滅びるかも知れない。代わりに昆虫やその他の野生動物が過ごし易くなり、その中で最も強い生物が人類の後釜になるかも知れない。日本が破壊され滅びれば人類もやがて滅びる。こんな馬鹿げた貶め合いや生物兵器テロやサイレントウォーを繰り返せば、そして万一闇勢力が勝てば人類に未来はない。これまでは予想通りに悪い方に転がっている。TVは馬鹿な事ばかり言う。本当に日本は危機的状況だと思う。闇側の人間が誰かこれ程分かり易いのにそれを良い人だと思い好きになって、光側の人を排斥する。米国はそうではない様だ。多様性をある程度受け入れてきたお陰か、少しだけ希望が見えてきた。日本は多様性を認めない傾向にある。排他的な状況が悪化すると必ず滅びる。ポンイチも多様性を絶対に認めない排他的集団だ。常に誰かをスケープゴートにして攻撃し続ける事でしか結束出来ない集団はいずれ滅びる。社内イジメが酷い企業はいずれ必ず倒産する。倒産しなくても業績は悪化の一途を辿っている。
極右も極左も大衆の支持を得られないのは、どちらも極端な排他的集団だからだ。
情報を得た時に私は人の天敵は人だと思っているし、人間の心の根源は悪だと思っているから、その様に同化のバイアスがかかる。人間は常に謙虚に努力し続けなければ、必ず悪に傾く。そしてその悪を正当化する為の『正義』を定義する。





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最終更新日  2021.06.07 11:53:45


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