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昨日電車の中で見た「おばさん」は、「福の神」のような顔をしていたね。かと思えば、近寄ることさえ恐ろしいような「顔」の「おじさん」「おばさん」もいるね。聞いた話では、「笑う」ときは、60もの顔の筋肉が動くそうだが、「しかめ面」「不満顔」のときは、4つぐらいしか顔の筋肉が動かないそうだよ。要するに「福福しい」顔は、自分の訓練によって「つくられる」ものなんだね。じゃあ、「こころ」は?◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物「性格づくり」人間は古来から「不老不死」を追い求めました。しかし、物やお金を得ることは出来ても「老い」ということに対する人間の願望は叶えられないようです。老いるという事は、悪い性格が強調されるのだそうです。体力知力が衰えていくのに、辛抱する力はそのままではなく、我慢する力も衰えていくのが普通です。ですから、逃れられない「老い」に対しては、若いうちからの性格づくり、習慣作りが大切になってきます。「いつも感謝する気持ちを忘れないこと」「嫌なこと思いどおりにならないことがあっても、 できるだけ穏やかに受け入れていくこと」です。こうあれば「今現在」が良くなってきます。今が良くなれば、上手に老いていく事が可能になるでしょう。いずれにしても、年を重ねるということは老いることであり、人間にとって、大変手ごわいものです。「良く老いる」ということは難しいものですが、人や周りに対して感謝して生き、感謝を重ねることで、ずいぶん人生は良い方向へ行くでしょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆全ては「習慣づくり」だね。身体に良い事を習慣で取り入れれば、体が健康になる。成功したければ、成功する習慣を取り入れる。金持ちになりたければ、金持ちになれる習慣を取り入れる。家族が幸せでいたいと思えば、幸せになる習慣を取り入れる。心も一緒だね。人をねたんだり、恨んだりばかりしていれば、その「習慣」を訓練しているのだから、そんな人間になるのは当たり前だね。一つ一つ、良い習慣を取り入れていきたいものだよね。
Feb 28, 2005
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人の話を聴くのは難しい。「あの人はいい人」「信頼できる」などと良い印象を待たれている人のほとんどは、「聞き上手」であるらしい。ものすごく商品を販売するトップセールスマン。話がうまい人よりも、聴くのがうまいセールスマンの方が売れる、というから面白い。よく会社でも「人がなかなか育たない」と言う人がいる。よく見るとそのほとんどは、「しゃべりすぎる人」であるようだ。じっと観察してみると、これが本当に当たっている。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物『十四歳の感受性』「聴く」と言う字は耳偏に十四の心、と書きます。これは一説によれば、「聴く」という行為は、「十四歳のみずみずしい感受性を持って丸ごと受け止める行為」であるからだといわれています。家庭でも良く見られますが、妻が話しているのに、フンフンと生返事しているのは、「聴いている」行為ではないというわけです。人は誰かに自分の思いや考え、悩み、願いごとなどなんであれ、文字通りの意味で聴いてもらったとき、大きな満足感を得ます。阪神淡路大震災のとき、仮設住宅で暮らしていた被災者の、大きな支えとなったのが、心配事をただじっと聞いてくれる、ボランティアの方々だったというのは、有名な話です。何かとあわただしく、気ぜわしく、夫婦や家族間でさえすれ違いの多い毎日です。今一度、じっくり「聴く」事の大切さを、確認しあいたいものです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆自分の話を一生懸命聴いてくれる人を、人は好きになる。何か心配事が合っても、話を聞いてくれるだけで、自分の心がすっとする。そういうことも多くある。しかし、振り返ってみると、話を聞いているうちに、「それはあんたが悪い」とか「それは違うんじゃない?」などと、自分の話しをし始める人がいる。人のことは良く見えるが、自分もそうだろう。あらためて、反省したいものだ。
Feb 26, 2005
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「自分なりに頑張った」「自分なりに気を配った」「自分なりに考えた」など、よく耳にする言葉ですね。しかし、この言葉の後に「でも」と続き、さらに言い訳や自己弁護の言葉が続くことが少なくないようです。そしてその時点で早々とあきらめてしまうようです。確かに結果が全てではありません。頑張ったプロセス(過程)にも価値はあるでしょう。一生懸命頑張って結果が出ないこともあります。うまくいかなかったからといって、その人の努力が足りなかったとばかりはいえないでしょう。しかし、うまくいかなかった時、「自分なりに頑張ったのだから、まあいいか」と自分自身に言い訳し、簡単にあきらめてしまってはいないでしょうか。「自分の能力はこんなものだ」と天井をはって、自己満足に陥ってはいないでしょうか。それまでの努力を無駄にしないためにも、何故うまくいかなかったのか。もう一度振り返り、もう少しねばってみましょう。また違う結果が生まれることでしょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物蚤(ノミ)は、1mmぐらいしか体がないのに、2m近くジャンプするという。しかし、その蚤(ノミ)にコップをかぶせ、しばらくすると、ノミハ一生懸命何度もジャンプし、コップにぶつかり、ぶつかり、何度もはねる。しかし、何度もしていると、いつの間にか、それ以上飛ばなくなり、2mも跳べるはずのノミが、コップをはずしても、その高さしか飛ばなくなるから不思議である。人間も同じようだ。自分自身で、目に見えない、「できない」「できるはずがない」という「ガラスのコップ」を作ってしまってはいないだろうか。
Feb 25, 2005
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NHKの朝の連続ドラマの主人公「わかば」は、大学を卒業して造園の道を選びますが、草引きばかりの毎日が続きます。その中で草ひきが重要な仕事であるという事を学んでいくのですが、私たちが送っている毎日の仕事の中でも、どんな仕事であっても雑用はないと思います。コピー取り、お茶くみ、掃除、片付け、道具の手入れ。最近ではとりわけ掃除を大切にする企業が増えてきました。掃除の達人として有名な「鍵山秀三郎さん」の話です。硬い「ほうきまめ」が出来るほど、毎日の掃除に励んでいた鍵山さんは、「無駄なことだ。こんな事をしても会社にとっても何もならない」とよく言われたそうです。たこが出来るほど道を掃き、丹念に便器を磨き上げることで、鍵山さんは人として生きる知恵を学んだといいます。両親も「人間はいつも見ているものに心が似てくる」と掃除に心血を注いだそうです。心が澄みわたり、きれいになる。これが掃除をする当人へのごほうびであるのです。一見、直接利益にはつながらない、こまごまとした用事や、日々の掃除は、ことさら大事であると認識を深めたいものです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物鍵山先生の講義は何度も聞いたことがある。僕自身、その事に共感して「トイレ『磨き』」を始めた。(※鍵山先生は「トイレ掃除」とは言わず「トイレ磨き」という)最初にこの「トイレ磨き」を間近に見た人は衝撃的だろう。鍵山先生は一心不乱に「磨く」男子便所の便器の真ん中の「さな」も(※真ん中にはまっている陶器)へらで、固まった「アンモニア」だろうが、どぶのようになった塊であろうが、素手で、磨いていく。おそらく、この文章を読んでいる人は、文章を読んだだけで、「汚い」「気持ち悪い」という感情が沸くだろう。自分もそうだった。しかし、鍵山先生たちは、「汚い」という感情などないかのように、一心不乱に磨いていく。裸足、素手で。一緒にやるとわかる。いつの間にか、「汚い」と思わなくなる。そして、きれいに磨きあがった「便器」が、愛しくてしょうがないような気持ちになる。これは、「やった人」にしかわからない感情である。「別にそんなことしなくてもいいよ」そう思えば、やらなければ良い。しかし、やってみればわかる。そして、やらなければ絶対にその気持ちは永遠にわからない。
Feb 23, 2005
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その人がいるだけで、周りの雰囲気が和らぐとか、心地よい緊張感があってよいなど、形はさまざまで、ひとくくりには言えませんが、いろいろな要素が混ざり合って、気持ちよく快さが感じられる人がいます。好感の持てる人の魅力の源は何なのでしょうか。若いころはそこにいるだけで、自然と華やいだ雰囲気が漂います。けれどもある程度の年齢になってくると、外見だけでなく、内面的な要素が重要になってくるのではないでしょうか。また、話をするのがうまい事が好感に結びつく、と考えている人も少なくなくないはずです。ある報告によると、人が話を聞くときに相手の印象をどこから受けるかという調査で、目から入る印象が八割以上、耳からは一割未満という結果が出たそうです。これは話す人の目に見える態度で印象が大方決まっていくという事です。思いやりや誠実などは、言葉だけでは伝わりにくいものです。人に好かれる人は、しぐさや表情が豊かで、真心をうまく伝えているものです。いろいろかんがえられる要素の中でも、相手の立場を理解し、話の間や態度からにじみ出ている人間性が、好感度の大きな要素なのです。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆今日の贈り物若い時は何といっても「元気」「明るい」「プラス思考」これですね!何があっても、ウェルカムトラブル!ぐらいの明るさで、ガンガン進むことが出来る人は、魅力があるものです。50を超えたら、その気持ちも忘れずに、やっぱり、「ひくい」「やさしい」「あたたかい」ですかね。周りのいろいろな方を見ていても、自分自身が年を取って「この人のようになりたいなぁ」と思う人は、大きくくくれば、そんなあたたかさを持っている人のようです。
Feb 22, 2005
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スポーツや芸能、また実業の世界で、人の輝かしい実績や実例を見たり、聞いたりする事があります。「すごいなぁ」「うらやましいなぁ」と嘆息したりすると同時に、「やっぱり自分には出来ない」と落胆してしまう人もいるでしょう。この「自分には出来ない」とすぐに思ってしまう人は、自分にないものだけは、次々と並べることが出来ます。まず、「お金」、「余裕」「人材」「技術」「時間」がない。あげくに「どうすればいいか教えて欲しい」とこぼしてしまうことさえあります。大成する人としない人との違いは、やはり強い気持ちがあるかどうかであり、努力をするかどうかなのです。つまり、うまくいかなかった時、すぐにあきらめてしまうかどうかなわけです。努力は全くしないわけではなく、するにはするのですが、時に壁にあたってしまうと、「もうやめた」となってしまうのです。言い訳や体裁の良い理由をつけて、自分を慰めていく生き方より、少しずつでいいから、努力を続け、前へ進もうとする生き方をしましょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)「自分には出来ない」と思う人でも、前に進まなければならないときが来る。その時がくれば、「自分には出来ない」と言っている人でも、前に進む勇気は出る。それが人間だと思う。「出来ない」のではなく「やらない」だけである。戦争中にあった出来事、ある女性の話。「まわりは全て火の海だった。 私の家も焼け落ち、妹が大きな柱の下敷きになって、 泣き叫んでいた。 私は必死になって、助けを求めた。 私の叫び声に気づいた近くのおじさんが、 助けに来てくれた。 必死に柱を持ち上げようとしたが、上がらなかった。 『お嬢ちゃん、ごめんよ。おじさんには無理だ』 そう言って、おじさんは去っていった。 私は絶望感に襲われながら、さらに大声で叫んでいた。 しばらくして、遠くに母の姿が見えた。 母は大やけどを全身に負っていた。 『おかあちゃん!』 母は黙って、柱の下敷きになっている妹を見た。 しばらくすると母は、 まだ、パチパチといっている柱に肩をあて、 『ふぐぬーーーーっ!!!』 と、叫びともかけ声とも呼べぬ声をあげ、 真っ赤な顔で、柱を持ち上げようとした。 メキメキッという音を立てながら、 柱は持ち上がった。 母のおかげで妹は助かったが、 母はそのまま息絶えた。 私はその時の母の姿を、今でも忘れないし、 一生忘れないだろう。 そしてどんなにつらい時も、 あの時の母の姿を思い出し、 負けずに立ち上がりたいといつも思っている」いかがですか。僕はこの話を読んだ時、鳥肌が立ちました。どんな人間でも「その時」自分自身が「覚悟」をすれば、どんな状況の中でも、「負けること」はない。そう思わされました。
Feb 21, 2005
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◆わかる、できる、いやでない◆子どもはよく「わからない」とか「いやだ」という言葉をはきます。算数の勉強をしていて、「どうして、その答えになるかわからない」また大人が話している言葉、内容が、「話を聞いても、わからない」など、よく口にします。「できない」も「いやだ」も同様です。人間の成長を定義すれば、「今、わからないことがわかるようになる」ことです。また、別の言い方をすれば、「今、嫌な事が嫌でなくなり、今できないことができるようになる」ことによって、成長はもたらされるということです。これは子どもにかぎったことではなく、大人にとってもいえることです。わからないことがわかるようになる。たとえば「挨拶なんてばかばかしい」と、自分からしなかった人が、率先して挨拶をするよう心がけて実践すると、「人と仲よくなれる」ことがわかってくるのも一つでしょう。また知らない人に会って話をするのがいやだった人が、毎日続けることによって、そうではなくなる事や、会議での細かい提案書づくりなど、自分にはできなかったものが、できるようになる。現在の自分の日常を見渡して、今までの自分と比べてみましょう。そうすると確実に自分が成長していることがわかってきます。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)出来なかったことができるようになるという事が、「自分の成長の証(あかし)」である、と言う今日の話。全くその通りですね。そのためには、「何が出来て、何が出来ない自分であるか」これを知ること。確か、中国の「孔子」もこんな事を言っていました。「『物事を知る』ということの始まりは、 『知らない自分を知ること』である」いやいや、全くその通りですね。(^^ゞ
Feb 20, 2005
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幸せな人とはどんな人のことを指すのでしょうか。地位や名誉やお金をたくさん持っている人のことでしょうか。富が多ければ多いほど、幸せは増すのでしょうか。「多さまであろうと、農民であろうと、 自己の家庭で平和を見出すものが一番幸福な人間である」とゲーテは格言集に記しています。メーテルリンクの「青い鳥」のように、遠くに探しに行かなくても、いつも自分のそばにいてくれるのが、幸福なのです。しかし、日常生活の中に幸福があるといわれても、自分は幸福だと感じられる人とそうでない人が出てきます。その差に現れるのが「感謝する能力」です。自分を取り巻く状況や、かかわりのある人たちの中に、どれだけ感謝の対象を見つけられるかによって、幸福感が違ってくるのです。自分は多くの人に支えられ、助けられているということに気づいたなら、そこに感謝の気持ちが生まれ、「ありがたいなあ」と幸せを感じることができます。人でなくても動物でも物でも、自然に対しても感謝できるでしょう。反対に感謝できず、不平不満を積もらせたなら、不幸な気持ちになるはずです。自分の周囲に「ありがとう」をたくさん見つけながら、生活しましょう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)筑波大学の教授の村上和雄先生が、「息の結晶」の実験をした。ビニール袋に息を吐いてそれを「結晶」にするのだが、一方は「幸せいっぱいの人」に息を吐きこんでもらい、もう一方には「不平不満の人」に息を吐きこんでもらう。すると、顕微鏡で見ると、なんと「幸せの息」は見事な結晶になり、もう一方は、黒くにごったぐちゃぐちゃの結晶ができるのだ。それほどの現象がおきる、「人間の感情」人生に影響しないわけはない。今多くの人が成功しているが、「感謝の心で生きること」「人のご縁を大切にすること」などは、成功していく人間の必須条件であると言っていた。
Feb 18, 2005
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【気持ちだけでなく】「気持ち」は意欲になり、「意欲」は行動になり、結果はまた気持ちをつくっていきます。たとえば自分に専門性を身につけたいという気持ちをもつと、次は「それでは、これを始めてこうしよう」という意欲になり、実際に行動されるわけです。何か行いを重ねていくと結果が出て、その結果からまた気持ちが現れます。こういう循環はあるにしても、いつでも自分をたくましく変えられるのは、「行動」「行為」によってもたらされます。強い気持ちが一時あったとしても、行動にならなければ、すぐに消えてなくなることも少なくないのです。 古代ギリシャ時代のアリストテレスは、こんな言葉を残しています。「正しい行為をおこなうことによってこそ、 われわれは正しくなり、 節度ある行為をおこなうことによってこそ、 われわれは節度をもつようになり、 果敢な行為をおこなうことによってこそ、 われわれは果敢になる」。 行為なくしては、人は変わりようがないのです。口先だけ、気持ちだけの人間に終わらないよう、「意欲」から「行為」へとつなげ、日々実践していける前向きな生き方を心がけましよう。◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆(今日の贈り物)人間を変えるのは「習慣」だね。最近つくづくそう思う。逆に、何気ないことであっても、小さな「良い習慣」を毎日続ければ、長い年月の間で、それはその人の「人間性」となる。多くの成功者が、歴史が、これは証明しているよね。さぁ、あなたも一緒に今日から良い習慣を始めましょう。3日坊主、大いに結構!(^_^)駄目ならまた始めればいいさ!人間だから。あるよ、そんな弱いところ。「人生は今日からが始まり! 昨日までは『リハーサル』!」
Feb 17, 2005
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あなたは、この記事を見てどのように感じますか。全ての子供たちがこうである、とも言い切れませんが、今の日本、何か大きな「間違いの流れ」に流されている、そんな気がする記事です。死んでも「リセット可」=15%が「生き返る」-小中学生に意識調査・長崎県 15%以上の児童生徒が「人は死んでも生き返る」と考え、その理由として「ゲームはリセットできるから」と答えた子供もいた-。佐世保市の小6女児殺害事件を受けて、長崎県教委が県内の小中学生約3600人を対象に実施した「生と死」のイメージに関する意識調査で、こんな結果が24日まとまった。 調査対象は小学4年と6年、中学2年生。「死んだ人が生き返ると思うか」と尋ねたところ、全体の15.4%が「生き返る」と回答。うち、一番多かったのは中学2年生で18.5%を占めた。小学4年生と6年生は、それぞれ14.7%、13.1%。 理由については、「本や人から見聞きした」が49.3%で全体の半数近くを占めたが、次いで「テレビや映画で見た」が29.2%、「ゲームでリセットできるから」が7.2%となり、人の死をゲーム感覚で受け止めるような様子もうかがえた。(時事通信1月25日)長崎県教委が発表したこの意識調査の結果は何を伝えているだろうか。私はそれを単純に子どもたちがテレビや映画、テレビゲームの影響を受けてそうなったとは思えない。もちろん複合的な背景があるわけだし、現象に目を奪われず本質的なものは何か考えるべきだと思った。平成9年の神戸の少年による殺人事件は大変なショックを与えたが、これまでの少年による殺人事件とは明らかに違う問題が見られたからである。彼は自分の中で「バモイドオキ神」という自分の神さまを創り上げ、この「神様」に相談し、命令され、彼は殺人行為を行っている。また、平成12年の17歳の少年が佐賀で西鉄バスのバスジャックを起こし、乗客を殺害した事件では、彼の事件を起こす前の手記に次のような記述があった。何で僕はこんなことを書いているんだろうさっき犯行声明を出してきた何か恐ろしいことを書いた気がする僕は昔から怒ると何をするかわからないと言われたけど最近もう一人の別のが出てきたそして僕に恐ろしいことをすすめる人を殺せ 人を殺せだれか僕を止めてくださいもう止まらない もう止まらないと記している。彼は警察の取調べの中で「私は神戸の少年を神として尊敬している」といっていっている。平成15年の長崎市において幼児が殺害された事件、いわゆる「駿ちゃん」事件でも補導された12歳の少年が警察の聴取に対して、少年は自分は小さい頃から生き物の虐待をやってきた。それがエスカレートして生き物の虐待をやってきた。それがエスカレートして猫をいじめるようになり、子どもを虐待するようになったという趣旨の供述をしている。彼は取調べ中に「あんたらにはわからんやろね、ボクの苦しみ」といったという。平成16年の佐世保事件でも同級生の女の子を殺害した少女は映画「バトルロワイヤル」が好きだったという。この映画は全国の中学3年生4万3000クラスの中から無作為に選ばれた1クラスを、最後の1人になるまで殺し合わせるという国の方針が瀬戸内海に浮かぶ小島の分校に下りた。42名の中学3年生たちは、新しい担任と名乗る見知らぬ男から「プログラム」の開始を告げられる。クラスメート同士が与えられた武器で殺し合い、ただ1人の勝者を決めるという残酷なストーリーだ。この事件ではネット上のトラブルなどもあったようでこの映画の影響だけを過大視することはできないが、いずれも共通するのは超観念的な架空の世界に喘いでいる子どもたちの姿が浮かぶことである。
Feb 14, 2005
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