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2006年06月20日
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カテゴリ: 思想・哲学・宗教
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神改訳

 古代ユダヤ教を読んでいたんだが、理解するのが難しいこともあり、改めて読み直すことにして、今回は、マックス・ヴェーバーの代表作ともいうべきこの
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」 を読んだ。

 なぜ、資本主義が、西ヨーロッパにおいて初めて生まれたのかを解き明かした1冊。

 自分が高校生時代に学んだ世界史を思い出すと、資本主義が生まれたのは、西ヨーロッパであり、商業の発展による富の蓄積から資本家が生まれ、科学の進歩による技術革新などにより産業革命が起こり、産業のあり方が、農業→工業という形で大きく変化した結果、農民が労働者に転じていくことによって、資本主義が成立していったという感じで習った記憶がある。

 学校で習う世界史というものが、ヨーロッパ中心主義的なものであり、今も昔も圧倒的に欧米からの情報流入が多く、自然と欧米フィルターを身にまとうことになるために、疑問に思うこともなかった。

 しかし、考えてみれば、世界三大発明(火薬・羅針盤・活版印刷)も純粋に西ヨーロッパのみで生まれたわけではなく、中国などからのものを発展させたといっていいだろうし、清朝の全盛期には、世界の富は清朝に集まっていたわけだし、小室先生のイスラム原論にも、ブルボン王朝全盛期のベルサイユ宮殿を訪れたオスマントルコの外交官は、その宮殿の案内が終わった後に、この程度の広さですかと、まったく驚きもしなかったということからも、富の蓄積から言えば、中東も中国も西ヨーロッパを圧倒していたわけだし、科学技術も進んでいた時期があったわけだから、資本主義が生まれてもいいはずが、生まれなかった。

 なぜ、西ヨーロッパで生まれたのか?西ヨーロッパにあって、中東や中国にはないもの、それはキリスト教であり、その中でもプロテスタンティズム、特に、カルヴァンの予定説、そしてその影響を強く受けたイギリスのピューリタンの経済倫理が、その生誕に大きな役割りを果たしたこと(唯一という意味ではないが、とても大きな役割りを、宗教改革者が、ピューリタンが、願っていたわけではない結果として)が説かれている。

 ウェーバーの考察は、その当時の近代的企業における資本所有や経営、高級労働にかかわりを持つプロテスタントの数が、カトリックの数よりも相対的に多いというところから、資本主義の成立・資本主義の精神の誕生にプロテスタンティズムが大きく関わっているのではないかと睨み、論証を重ねていく。

 プロテスタントの海の親ともいうべきルターは、聖書をドイツ語に翻訳する際に使った 「Beruf(英語ではCalling 日本語では天職)」 という言葉を使った。この「Beruf」には、職業という意味だけでなく、神からの使命という意味も込められており、日常の労働は、神の使命を果たすという大きな意味を与える契機となる。このBerufを発展させるのが、カルヴァンである。

 カルヴァンといえば、 予定説 である。予定説とは、神に救済されるものは予め定まっている。善行を積もうとも、寄進しようとも、教会に行こうとも救われる救われないは関係ないというものである。信者は、この教えにより、救われるための一斉の呪術的なものから解放されることになり、合理的精神が育っていくことになる。ただし、それゆえに信者は、自分は本当に救われるのだろうかという大きな不安に襲われることになる(カルヴァン自身は、自分は神の「武器」であると感じているため、救われる存在であることを確信しているからいいわけだが、そこまで思えない信徒にとっては大きな問題)。

 この 「救いの確証」 は、予定説という教えに出会うこと自体が、自ら選ばれている存在であると考え、絶え間なく神からの使命である職業労働(Beruf)に打ち込み自己確信することによって得られるのである。働くことは、生活のためや、裕福になるためという理由ではなく、救われる存在であるという証拠を得るために、毎日他のことを置いて(労働以外は誘惑)働くという禁欲を伴う労働観念=天職観念が生まれるのである。そしてこの天職観念をもっとも首尾一貫して受け継いだのが、イギリスのカルヴァン派で、のちにアメリカに渡るピューリタンである。ピューリタンは、富裕になることを目的に働くことを排斥していたが、神の使命を果たすために(神の栄光を増すために)働いた結果として富を得ることは否定しなかった。そして奢侈的な消費を許さなかった。その結果、富の蓄積が起こることとなる。そして蓄えられた富は、奢侈的な消費ができないので、神の栄光を増すために、投下資本として使われ、またそれにより富が得られるという結果が繰り返される。まさに資本が利潤や余剰価値を生み出す社会システム=資本主義につながっていくのである。

 しかし、誰しも金持ちになると、奢侈的な使い方をしたくなるものであり、その財という巨大な誘惑に負ける形になり、信仰が薄れていくと、営利活動が、神の栄光を増すためというような宗教的であり、そして奢侈的な消費を認めない倫理的な意味が薄れ、富自体を追い求める競争的な勘定に結びついたり、スポーツ的な色彩を帯びるようなものになる。富の追求が目的化されてしまうことになるのである。結果、禁欲的プロテスタンティズムの影響から生まれでた資本主義の精神が変容し、これまでは宗教により培われた倫理観から形成された資本主義の精神が、今では、禁欲的プロテスタンティズムの天職観念が薄れた富の追求を合目的化する資本主義が、鉄のおりの様に強力で、逃れ得ない力を振ることになってしまった。

 カルヴァンは、富のために宗教改革をしたわけではない。ピューリタンも富追求のために、厳格な規律をもって、神の使命たる天職に打ち込んだわけではないが、その結果からもたらされる富の大きな誘惑により、はからずも、マックス。ヴェーバーのときも、そして今も宗教的・倫理的な意味がなくなった資本主義が、世を覆うことになってしまったということで、ヴェーバーもこの力は、化石燃料の最後の一片が燃え尽きるまで、人々の生活スタイルを決定し続けるだろうと説いている。

 正直、注釈も多くて、読むのが結構骨が折れるが、とても勉強になる1冊だった。ただこの本を読んで、こういったことを、よりわかりやすく説いてくれる小室直樹先生ってすごいと思った。

 大変だけど、資本主義って、どうやって生まれたんだろうというのを単なる事象面でなく、もっと深い面で知りたい人には、ぜひ読んでほしい1冊だ。


プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
著:マックス・ヴェーバー 訳:大塚久雄
岩波文庫 定価:800円+税
1989年1月17日 改訳第1刷発行 2002年6月25日第32刷発行


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最終更新日  2006年06月21日 00時35分37秒
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