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2006年07月01日
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カテゴリ: 思想・哲学・宗教
職業としての政治

 少し前に読み終わった今回の1冊、「職業としての政治」

 この本は、1920年に亡くなるマックス・ヴェーバーが、その前年、ミュンヘン(ドイツ)にある学生団体のために行った公開講演をまとめたものなんだそうだ。その当時のドイツは第一次世界大戦に破れたショックや、ロシア革命のあおりを受け、国内に革命への機運といったようなものが高まっている状態で、これを憂い、政治とは何か、そして国家の指導者たる政治家とは、なんたるかを説いたものだ。

 この講演でマックス・ヴェーバーが話す「政治」とは、国家の指導、またはその指導に影響を与えようとする行為とし、その上で、「国家」、特に近代国家の社会学的な定義は、ある一定の領域の内部で正当な物理的暴力行使の独占を(実効的に)要求する人間共同体であるということ、つまり、国家が、暴力行使への「権利」の唯一の源泉とみなされいるものであるとする。そして、「政治」とは、権力の分け前にあずかり、権力の配分関係に影響を及ぼそうとする努力であると喝破した上で、人々に国家の支配に服させることを正当化する根拠として、3つの支配形態を挙げる。

 1.伝統的支配  :「永遠の過去」が持っている権威
 2.カリスマ的支配:ある個人に備わった非日常的な天与の資質(カリスマ)が持っている権威
 3.「合法性」による支配:制定法規の妥当性に対する信念と、合理的につくられた規制に依拠した客観的な「権限」に基づいた支配

 近代国家は、この3に該当するわけだが、この講演の中で官僚制国家が、いかに警世されてきたか、そして職業政治家がどのようにして現れてきたかということが展開される。この政治を職業にすることについては、以下の2つがあると語る。

 1.政治「のために」生きる
 2.政治「によって」生きる

 そして、この「のために」「のよって」の区別の実質的な側面は、経済的な意味であることを説き、十分に収入のある金持ち職業政治家は報酬を求めないだろうが、無産者でも職業政治家であるようにする。また金権制的でない方法で、政治の世界に人材を迎えるには、政治の仕事に関わることによって定期的かつ確実な収入が得られなければいけないという前提を語る。

 マックス・ヴェーバーは、政治家にとって必要な資質は以下の3つと語る。
  1.情熱
    仕事・問題・対象・現実への情熱的献身
  2.責任感
    仕事に対して責任を持つ、情熱にその責任性が結びつくことが必要
  3.判断力
    精神を集中して冷静さを失わず、現実をあるがままに受け止める能力
    事物と人間に対して距離を置いて見ることが必要。

 特に、この「距離」を置けない政治家は、それだけで大罪だと断言する。責任感に結びついた燃える情熱は、政治への献身は情熱によってのみ培われるがゆえに、冷静な判断力は、自己陶酔してしまわぬ強靭な魂の抑制を可能とするために必要であるとする。なぜなら、政治家の活動は、権力の追求が付きまとう。「距離」を置く判断力がなければ、「仕事」のための権力の追求が、権力の獲得のための権力の追求になってしまうからだ。そして、政治家にとって大切なのは、将来と将来に対する責任であると説くのであるが、今現在でも通用するものだ。

 そして、最後に、マックス・ヴェーバーが大学生に説くものこそ、すべての政治家、そして政治を職業(天職)としようとするものにとって訓戒であり、心にとどめ置くべきものである。


 『政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力を込めてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。もしこの世の中で不可能事を目指して粘り強くアタックしないようでは、およそ可能なことの達成も覚束ないというのは、まったく正しく、あらゆる歴史上の経験がこれを証明している。

 しかし、これをなしうる人は指導者でなければならない。いや指導者であるだけでなく-はなはだ素朴な意味での-英雄でなければならない。そして指導者や英雄でない場合でも、人はどんな希望の挫折にもめげない堅い意志でいますぐ武装する必要がある。そうでないと、いま、可能なことの貫徹もできないのである。

 自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が-自分の立場から見て-どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。どんな事態に直面しても「それにもかかわらず(デンノッホ)!」と言い切る自信のある人間。そういう人間だけが政治への「天職」を持つ。』(「職業としての政治」より抜粋)

 まさに自らへの戒めとしたい。


職業としての政治
著:マックス・ヴェーバー 訳:脇 圭平
発行所:岩波書店 岩波文庫
定価:400円+税
1980年3月17日第1刷発行 2001年6月5日第38刷発行





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最終更新日  2006年07月02日 00時13分58秒
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