野山系の行政書士が書く楽天日記

野山系の行政書士が書く楽天日記

自選作品「おふくろの味」

おふくろの味
      (某全国系文芸商業誌に掲載されました)
宅急便です、という声に祐一が出て行くと蜜柑箱を持った配達員が立っていた。
 確かめるまでもなかった。送り主は母のハルで、箱の中には手塩にかけて育てた野菜が詰まっているのだった。
 ハルは大阪の実家でひとり暮らしを続けている。今年八十になるが気丈夫で、これまで床に伏したこともない。
 父が急死したのは祐一が九歳のときだった。過労による急性心不全だった。以来、高校を卒業するまで母子ふたりだけの生活が続いた。父が田畑や借家を残してくれたおかげて生活に困るようなことはなかった。
 東京の大学にあこがれを抱いていたが、ハルのことが気がかりで地元の大学に進むつもりでいた祐一に東京での学生生活を薦めたのはなんとハルだった。
 K大を卒業した祐一は丸の内に本社がある建設会社に就職した。面接で大阪勤務を強く望んだが、聞き入れてはもらえなかった。やがて由香と出会い、祝福されて結婚した。子どもができ、責任あるポストを任され、大阪には帰れそうにないことを悟った祐一は郊外に庭付きの家を買った。以来祐一は何度もハルを呼び寄せようと腐心したが、ハルは祐一の誘いを頑ななまでに断りつづけた。  玄関で蜜柑箱を開封した。枝付きの枝豆がびっしり押し込んであった。青臭い、独特の草いきれが鼻を刺激する。根の部分には一様に畑の黒砂がこびりついている。指先で触れるとぱらぱらとこぼれ落ちた。まぎれもない郷里の畑の土だった。
 葉と枝の間から白い紙がのぞいている。ハルからの便りだ。きちんと四つ折りになっている。祐一は抜き取るとその場で広げた。  大好物の枝豆を送ります。一度にあまり食べ過ぎないように。例年より粒が小さいのは曇りが多かったせいです。来月は西瓜が送れるはずです。今年は黄西瓜を半分ほど植えました。楽しみにしていて下さい。

 子どもたちは元気にしてますか? 東京では変な事件が続いているので心配です。由香さんにもよろしく。    ハル

 夏日をいっぱいに浴び、気まぐれな風を受けて揺れる稲穂に用水路から水を汲むハルの姿が重なり、祐一は胸が痛んだ。
「大阪のおばあさんから?」
 いつのまにか知夏が後ろに立っていた。T美大に通っている。由香に似て気が強い。
「ああ、そうだ」
 祐一の声が沈んだ。
 ふたりのやりとりに気づいた由香が二階から降りてきた。
 採れたてを梱包したのか、葉は萎れてはいない。祐一は枝から莢をむしり取った。青汁が指先に付着し、指紋を頼りに広がった。
「おやっ?」
 目の錯覚だろうか。黒い虫が一匹、こそこそ葉の裏へと逃げ隠れたようにみえた。
「どうしたのよ?」
 知夏が聞き返す。
「蟻みたいな、黒いものが動いたんだよ」
「そんなの、いるわけないじゃないのよ」
 小馬鹿にしたような知夏の言い方にさすがの祐一もむかっときた。
「たしかに動いたんだよ、今」
 二人の会話に由香が割って入ってきた。
「あなた、おかあさんに言ったはずじゃなかったの? うちは無農薬しか食べないって」 「・・・・・」
 由香は無農薬野菜を共同購入する市民グループの中心的なメンバーだった。
「お母さんを傷つけまいという気持ちはわかるわよ。でもそれって罪なことじゃない?」
「そうよ。おとうさんが優柔不断だからいけないのよ。送ってもらっても捨てるだけだから、送らないでくれって、はっきりと言えばすむことなのに・・・・・」
 知夏が由香に加勢して口許を尖らせた。
 祐一が子どもだったころ、実家の周囲はのどかな田園地帯だった。それが変貌しはじめたのは三十年代以降。景気の拡大につれ、メッキ工場や化学工場などが建ちはじめ、気がついたときには工場地帯になっていた。
「工場排水で汚染された用水路の水で作った野菜でしょ。いくらおかあさんの真心が篭もっていると言われたって、気味悪くって」
「昔はあの用水路に蛍がたくさんいたんだ。夏は水をせき止め、よく水遊びしたんだ」
「今じゃ、魚も棲めないほど汚れてるわ」
「・・・・・」
「いますぐ電話してよ」
「で、何て言うんだ?」
「さっき言ったことよ。食べないから送らないでくれって」
「あとで言うよ」
「いつもそう言って問題をはぐらかすんだから。何も知らずに作ってくださってる、おかあさんがかわいそうだと思わないの?」
 昼すぎ、祐一はゴルフの打ちっ放しに出かけてくると家族に嘘をついて家を出た。T川の土手の広がりに車を止めると、携帯電話を耳にあてがった。
「ぼくや、ぼく。けさ枝豆とどいたわ。いつもおおきにな。東京の枝豆はまずうてまずうて。やっぱりおかあちゃんの枝豆が最高やわ。今晩さっそくゆがいて食べさせてもらうわ」
 話しながら祐一は唇を何度も咬んだ。
「そうかそうか。喜んでくれておかあちゃんもうれしいわ。せやけど飲みすぎたらアカンで。あんたは生まれつき人より胃腸が弱いんやから。ほどほどにせんとあかんで」
「わかってる、わかってる」
「由香さん、元気にしたはるか?」
「ああ、元気すぎるくらいや」
「そうか、それやったらええねんけど」
「それはそうとおかあちゃん、黄西瓜、楽しみにしてるさかいな」
「楽しみに待っとき」
 それがハルとの最後の会話になった。
 枝豆が届いてから三日後、ハルの訃報を聞いた。知らせてくれたのは町会長をしている幼なじみだった。
 葬儀は町内の会館で行うことにした。数日分の仕事を部下に割り振りすると、祐一は新幹線に飛び乗った。
 祐一が会館に着くと、ひと足先に発った由香たちがハルの納棺をすませ、自らも喪服に身を包み、祭壇の前でひれ伏していた。線香の煙が館内のいたるところでもやっていた。
 帳場を仕切っている幼なじみが祐一を見つけて小走りに近づいてきた。
「久しぶりやな」
「迷惑かけるけど、よろしう頼むわ」
「そんな気をつかうなって。お互い様や」
 祐一は喪服に着替え、喪主の席に座った。
「和明はまだか?」
 祐一と同じK大を出た長男の和明はM電機に勤めている。仙台の支社勤めで、営業車で東北中を駆け回っているのだった。
「さっき連絡があって、こっちに着くのはどうやら深夜になりそうだって」
「そうか。あいつも大変だな」
 短いやりとりのあいだに僧侶が着座し、会話は途切れた。通夜経がはじまると同時に、さきほどから外の暗がりで待っていた弔問客の焼香がはじまった。
 町内の人にまじって、障害を持つ父兄の会や地域の子供会の代表者、さらには市職員や学校関係者などが長蛇の列をつくっている。
「おかあさんって若いころ、学校の先生か何かだったっけ?」
「いいや。専業主婦だけど」
「じゃあ、どういうことなのよ?」
「ぼくにだってよくわからんのだ」
 やがて市の緑地課長と福祉課長の名刺が二枚、差し出されたことでその謎が解けた。
「亡くなられたおかあさんには長年に亘り、田畑を無償で提供していただいておりまして、市といたしましても大変ありがたく、感謝いたしておる次第でございます」
「田畑を、ですか?」
 はい、と二人はうなずいた。
「子どもたちが手入れした向日葵がちょうど咲きごろでして、はい、それは壮大な眺めでして、市の夏の風物詩としてですね・・・・、感謝してるんですよ。このようなときに切り出す話じゃないってことぐらい重々わかっているのですが、ぜひ今後とも市のほうに貸していただいてですね・・・・・」
 田畑はいくつかあった。おそらくその中でハルの手に負えない田畑を市に貸与していたのだろう。祐一はそう考えた。
 読経は小一時間ほどで終わり、いつしか弔問客もまばらになった。
 九時をすぎると弔問客はぷっつりと途絶え、親族と葬儀を手伝う人たちだけになった。
 幼なじみの指示で、どこからともなく酒類と寿司が運ばれてきた。よく冷えたビールが祐一の喉を何度か通過した。
 和らいだ気分が会場に広がりはじめたころ、八百屋の主人だという初老の夫婦が弔問にあらわれた。
 主人は恐縮するほど丁重に悔やみを述べたあと、こう続けた。
「生前、おかあさんにはずいぶんとごひいきにしていただいたんですよ」
 黙っていろという合図なのか、後ろで奥さんがしきりに主人の袖を引っ張っている。
「はあ、どうも・・・???」
 母は畑の野菜を食べていたはずなのに、ごひいきとは変なことを言う人だと祐一は訝った。由香も同様に思ったらしく、首を傾げると祐一の顔をのぞきこんだ。
「おとうさん、言うたらあかんていう約束でしたやないの?」
「わかってるわい。わかってるけど、どうにも我慢できんようになってしもうたんじゃ」
 それでもなお奥さんは主人の袖を強く引っ張っている。
「公害漬けされたご時世ですよって、わたしどもも数年前から先進的な農家と契約を交わし、無農薬野菜を販売してるんですわ」
「で、それがなにか?」
「何年前やったか、おかあさんが店に来られ、息子の嫁が無農薬野菜しか食べへんからと言わはって。以来ずっと・・・・・」
「じゃあ、宅急便で送られてくる野菜は?」
「ええ。うちが責任を持って吟味し、発送している野菜ですがな」
「おふくろが作った野菜じゃなかったんですか?」
「思ったとおり、知らはれへんかった。まっ、このトマトを食べてみてくださいや。形は無骨ですけど、酸味があって、青みがかったにがみは昔のままですよって」
 主人から手渡されたトマトを祐一は丸かじりした。口の中になつかしい味が広がってゆく。うまい。この味こそ、子どものころ畑でできたトマトの味そのものだった。
「まだありますさかい。さっ、奥さんもお嬢さんも遠慮せんと食べてみてください」
 主人はポケットからさらにふたつ取り出した。おそるおそるかじった由香たちも口に入ったとたん、驚きで目を丸くした。
「ああ、私って、なんて大バカだったんだろ」
 ここ何年も涙など見せたことがなかった妻の瞼からひとしずくの涙がゆっくりと頬を伝い落ちた。
「おかあさんったら。・・・・・あなたのおかあさんって、こんなにいい人だったのね。・・・・・ねえ、どうしよう。ねえ、私どうしたらいいの? 教えてよ。ねえ、私どうしたら・・・・・」   了




© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: