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エイヒロ(eihiro)

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2025.12.29
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テーマ: 民謡(17)
【行徳みんよう勉強中!】田植唄について


(千葉県北西部地方の)田植唄

沖のコリャ田中で 唄の声
聞けばコリャ昔の 妻の声

赤いコリャ襷を 綾にかけ
後ろコリャ姿の 程のよさ

声のコリャ立つのは 若い時

向うのコリャ小山で 百合の花
よくもコリャ咲いたよ ゆらゆらと

おらがコリャお背戸の 玉椿
もとはコリャしろがね 葉は黄金

今回は「田植唄」を取り上げます。

民謡には祭事唄、踊り唄、お座敷唄、子守唄など様々なジャンルがありますが、中で最も中心にあるのが仕事唄(作業唄)だと思います。
さらに古代から現在に至るまで最も重要な産業は「米づくり」だと思います。

いつかは稲作関連の唄に光を当ててみたいと思っていましたが、今回調べてみて実に多くの唄があることを知りました。(とは言ってもほとんど千葉県内のみですが・・・)
この点について意外に思ったのは、いわゆる民謡の唄本には稲作、特に「田植唄」があまり載っていない印象があったからです。
今回初めて知ったのは「田植の時以外に田植唄を歌ってはいけない」という言い伝えが日本各地にあることでした。
どうも田植唄は田の神様(山の神?)に下界へ降りてきてもらうために歌うのであり、田植でもない時期に歌うと神様が間違って降りてきてしまうからだと言われています。
このことが田植唄がいまいちメジャーでないことと関連があると思われます。

さて冒頭の5節の歌詞ですが、これは千葉県の田植唄の中で主に北西部地方に多い詞を集めたものです。
というのは、行徳音源が見つからなかったので対象を周辺地域に拡げたということです。
では、県内にどのような詞が歌われていたか地域を見てみます。(※地名は調査資料が発行された昭和18年、昭和56年時点での名称であること、ご了承下さい)

・沖の田中で唄の声・・・船橋市~本埜村、遠山村にかけて
・赤い襷を綾にかけ・・・船橋、八千代、佐倉、宗像村、印旛村、本埜村
・唄え十七ほのぼのと・・・船橋、白井、佐倉、宗像村、千葉寺
・向うの小山に百合の花・・・習志野、佐倉、山武町
・おらがお背戸の玉椿・・・八千代
・朝は麦めし昼茶漬け・・・宗像村、本埜村
・鳴るよ九つ時の鐘・・・佐倉、山武町
・痛や腰いたありゃ田越し・・・佐倉、酒々井、宗像村、印旛村、千葉寺、遠山村
・早くしまえよ田主どの・・・佐倉
・宵な(は)さなぶりいの祝い・・・佐倉、印旛村、本埜村
・今年ゃ初めて田を植えた・・・佐倉、酒々井、山武町
・苗も当たるし代もよい・・・印西、本埜村
・権兵衛殿のばあ様が・・・多古町、山田町、光町、八日市場、干潟町
・十七・八は春野(雲間)のひばりよ・・・多古町、光町、八日市場、平和村、干潟町
・代田は富士の山ほどござる・・・多古町、久賀村、光町、平和村、干潟町
・海中のごぼうが食べたい・・・館山
・日は暮れるせりはたまらず・・・三芳村

などなど北部中央部、東部、南部と比較的エリアごとにまとまっている傾向のあることがわかります。

次に詞型ですが、安房地方を除くと7575型が非常に多いです。
これは民謡大観によると、鳥取県大山の東麓地域から美作地方にある「東伯・美作の7474型」といわれる古い時代の唄の変型で、関東~中部にかけて点々と残っている型だそうです。
そこで、かつてはこの地でも中国地方の「囃し田」のような行事が行われていたのではないか、と推測しています。

話はそれますが、稲作関連の行事には全国各地に同じ様なものが多いです。
「クワハジメ」「ミノテクチ」「サナブリ」等々。考えられるのは、稲作を拡げたいと思った人たちが各地に指導者を派遣して技術とともに関連行事を伝えたか、すでに稲作をしていた人たちが何らかの事情で他の土地へ移住せざるを得なかったか、あるいは反対に稲作をしたいとと思った人たちが技術取得に出かけて持ち帰ってきたか。
大いに興味のあるところですが、いずれにしても稲作技術と信仰を伴った行事は同時に導入され、信仰と関係のある唄も一緒に持ち込まれたと考えられないでしょうか。



それでは千葉県の田植事情はどうだったかというと、東総地方では隣の町村から多くの人が手伝いに来ていたことはあったらしいですが、中国地方の囃し田(花田植、大田植とも)のような規模の大きいものでなく、例えば近所の唄好きのお父さんが畦で太鼓を打ちながら音頭をとり、植苗している女性たちが囃すといった感じではなかったか。
佐倉市の音源の中に、朝の苗取から夕方日の沈むまで時系列に作業の様子とか風景とかを歌ったのがありますが、まさに現地で歌っていた様子がうかがえます。
しかし北西部地方はドブッ田(深田、湿田)が多いので、牛馬を代掻きに使うこともなし、外部の人を雇うほどの規模でもなく、いわゆるユイ(イイ、エイ、エエとも)のような地域の相互扶助によるもので間に合ったのではないかと思います。
したがって唄の方も、サンバイさん(サゲ、胴頭とも)が多くの早乙女さんたちを統率して唄の掛け合いをしたのと違い、一人ひとりが気の向くままに歌いながら作業したのではないでしょうか。

以前にご紹介した「浦安のかあちゃん農家」には、そのような場面がいくつか出てきます。
そこには米づくりへの愛情や農の喜び、心の高ぶり、そして仲間への感謝が表れています。
今回田植唄をまとめるにあたって、唄がどのような場面でどのように歌われたか、また歌いたくなる気持ちがどこから湧いてくるかを考えました。
例えば、作業に疲れて腰をのばした時、ふと視線の先にある空を眺めながら聴こえてきた唄を思わず歌ってしまう、そんな場面を思い浮かべました。

「行徳みんよう勉強会」では、この田植唄を只今練習中です。いつの日か人前で披露できるようになるまで、引き続き「行徳みんよう勉強中!」です。

参考文献
・日本民謡大観 関東編・中国編 日本放送協会編
・房総の民謡 千葉県民謡緊急調査委員会編
・いちかわ民俗誌 萩原法子
・米づくりと生活 市川市教育委員会
・浦安のかあちゃん農家 西脇いね
・大田植と田植唄 牛尾三千夫
・日本の年中行事 宮本常一





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最終更新日  2025.12.30 11:42:45
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