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Sep 23, 2010
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よくテレビで見る「パダウン族」(首長族)は、タイとミャンマーの国境辺りに住み、女性だけが銅製の首輪を着用するという独自の風習を持っています。実はここ最近までは健康への悪影響と現代化の波によって、この風習は廃れていく傾向にありました。しかし、これに目をつけたのが現地の観光業者であり、彼女達に首輪の着用を強制するようになりました。海外からの観光客に「珍しいもの」として紹介するためです。 私はタイ側のパダウンとミャンマー側のパダウンの双方を訪問してきました。 簡単に言うと ・タイ側 国境近くでひっそりと独自の生活を守り続けてる。・ミャンマー側 観光地で政府の下で飼われている(言葉は悪いですが)。彼らに会うのに3ドル払わなければならない。 像を見ても分かるように、右の政府に飼われているバダウンは顔に生気がありません。 反対にタイ側の方は、子供達と楽しそうに暮らしておりました。 タイ側のパダウンはミャンマーからの難民だったので、ネイティブの言語でコミュニケーションをとることができました。 Aさん(当時23歳・2歳の子供がいる) ~タイとミャンマー、どっちがいい?~ 「ミャンマーにいた頃は、毎日田植えや農作業ばかりでとても疲れた。それでも生活は楽にはならない。でも今ははたを織ったり、子供の面倒を見たり、のんびり過ごせて本当に幸せ」 ~国に帰りたい?~ 「いいえ」 道理で幸せそうなな顔をしてるわけですね。 ミャンマー側の方は、言葉を一言も発しなかったです。 まるで、蝋人形のような感じでした。 Aさんは私と同い年でした。 今でもあの高床式の家で、元気にしてるんでしょうかね。
Aug 29, 2006
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で、ゲストハウスに戻って、言われるがままに203号室から207号室に移動した訳なんですよ。 そして、机の上に2枚お札を置き、その上に単一電池を2本、さらにその上にろうそくを立てて火をつけました。(画像参照) 電池はわざわざマーケットを5軒ぐらい回って、その「power」を探してきたんです。 ベッドの足元には、もらった聖水をまいて、床を水びだしにしました。 (本当に迷惑だ) その占い師、他に「バラの花のとげを抜いて、10個足元において寝て、朝起きたら踏み潰しなさい」とか無理なことも話してました。マーケットを回ったけどバラは売ってなかったので、これは諦めました。 すると、ゲストハウスのおかみさんとその娘さん2人が、私の部屋に来て 「なにしてるの!?」と言います。 とりあえず理由を話したけど、おかみさんは 「ろうそく燃やして火事にならないかしら・・・」と心配しだすし、娘さん2人(私と同じぐらいの年齢でした)は、(頭おかしいんじゃないの?)って感じで半笑いで私を見てました。 とりあえずお払いが終わった後、落ち着こうとシャワーを浴びたら、いきなり水が止まる!!! げ、やっぱ呪われてるのか!? 半泣きになりながら、中途半端に濡れた体を拭いて、服を着ておかみさんに言いに行きました。 おかみさん、部屋に来て 「あらー今日は多分もう水がでないわー」なんて、悠長に言います。 もう、これ以上部屋に居たくないから、ゲストハウスのロビーでテレビを見ることにしました。 私のびびり様に、その娘さんの1人が 「怖かったら一緒に寝てあげるよ!」と、半分苦笑いで言ってきます。 本気でそうしてもらいたかったけど、さすがに断りました。 娘さんたちと幽霊について語りました。 こと細かく聞いてきます。姿や声について。 ここのゲストハウスに霊がいる、って言うのはなんか申し訳ないんで 「多分、私が地方に旅行に行ったときにどっかから連れてきたんだよ!」 と、フォローしておきました。ってか、多分そうだったと思います。 その晩、特に何も起こらなかったけど、やっぱり眠れなかった・・・ こんな風に大騒ぎして、翌日の夕方、帰国の途に。 やっぱり娘さんたちは、最後まで私を見て半笑いです。 それにしても、申し訳なかったんで 「幽霊は、ここにおいていきません!日本に持って帰ります」とだけ言っておきました。 あれから半年、最近たまに霊の声を聞くことがあります。霊感が身についたのか!?
Aug 28, 2006
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慌ててベッドから出てフロントに行き、ゲストハウスのオーナーのおっちゃんに 「今幽霊おってん!!」と言いました。 すると、おっちゃんは 「ここには何もいないから、安心しなさいな。」とニコニコ笑いながら言います。 それはわかってるけど・・・だってここには3年前も泊まったし一昨日も泊まっててその時は何もなかったから。 とりあえず眠たかったけど部屋にいる気がしなかったので、外に出かけることにしました。 その前に、その日に会う予定の友人Tちゃん(日本滞在歴あり)に電話して、 「今日、幽霊見たのよーだから私を占い師に連れてって。」と、いつもと同じ調子で言いました。 何度か彼女と一緒に別の占い師のところに行って、通訳してもらったことがあります。 「それは怖いねー、うんいいよ」とすんなり引き受けてもらったので、その日の午後に、よく当たると評判の占い師のところへ連れて行ってもらいました。 怪しげなアパートの一室。 40代ぐらいの男の占い師がいました。 「で、君の相談は何かね?」 「あの~今朝、幽霊にあったんですよ。この霊ってなんですか?死神ですか?(一応心配だったので聞いておきました)」 するとその占い師、私の手の上に手をかざして、念力を送ってきます。 「うーん、その幽霊はあなたの前世の親戚だ!あなたに会いに来たんだよ。悪い霊じゃないけど、部屋をかえてもらったほうがいいね!」 あーよかった・・・。それに私の前世は人間だったっぽいし。 消しゴムのカスとか、バナナの皮が前世じゃなくてホッとしたよ。 その占い師、すごいんですよ。 「あなたの今泊まってるホテルは、水のトラブルがある」 (そうそう、排水溝がなかったんだ) 「そこはものがよく壊れる」 (一日目、テレビがつかなかったし、クーラーもつかなかったなぁ) 「あなたは本当は眼が悪い!」 (げ、なぜ近視矯正手術をしたのを知ってるんだ) ズバリ、言われちゃった♪ そして、簡単なお払い。 (うんにゃらかんたらゆってたで) で、お払いグッズを頂きました。 それがまたすごいもので・・・ ・お払いのお札 ・お清めの聖水(お酢みたいなにおいがする) ・ろうそく あと、「power」という単一電池(イマドキ!)を2本買え、と言われました。(パナソニックじゃだめらしいよ) その使い方は次に書きます。
Aug 28, 2006
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旅行中に幽霊に遭遇しました。 ちなみに私、金縛りにはたまにあうけど霊感はありません。タイ国境近くの地方から夜行バスで帰ってきて、はじめに泊まってたゲストハウスに明け方6時頃に戻ってきました。シャワーを浴びて、ベッドで本を読んでました。 なんとなく、腕にかつて感じたことのない鳥肌が立つような寒気を2回ほど感じたんですが・・・7時ごろ、疲れてたんで少し眠ることにしました。 うとうとしてたけど、なんとなく眠れませんでした。 やっと眠れそうと思った瞬間、 「キターーーー!!!」 金縛り。 そして・・・横のベッドに私のほうを向いて腰掛けるうっすらと黒っぽい人影が・・・ 顔は正面しか見据えることができず、完全に固まってしまいました。 その人影、何か私に語りかけています。 「ぐっど・・・もー・・・にんぐ・・・・」 すごく低くておじいさんのようなしゃがれ声。 現地の言葉でも日本語でもなく、何で英語!!!??? しかも挨拶だなんてすごく礼儀正しい。 それからもその低い声でずっと何か私に言ってます。 でも、低すぎて聞き取れませんでした。 (多分、悪い霊じゃないんだろうな)と思って、私はなぜか心の中で 「I ・・・introduce・・・myself・・・」などと(心の中で)つぶやいていました。 なんで自己紹介しようとしたのか分からないんですが・・・。 何とか力を振り絞って起きようとするけど、全然動きません。それでも 「☆*♯※!☆ウアーーッ!!!」と奇声を発してがばっと起き上がりました。 横のベッドを見ましたが、誰もいませんでした。
Aug 28, 2006
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kit-katのバッタもん、take-it。コン○ームとかが売ってある場所においてありました。「夫婦」。なんだろう・・・。貧困の国でも売られていたホワイトバンド。
Aug 27, 2006
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ピカチュウ。著作権はあるのでしょうか?かわいくないキティーちゃん。oishiという名のお菓子。結構おいしかったです。http://portal.nifty.com/koneta05/12/17/01/
Aug 27, 2006
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結局、手紙は捨てることができず、どこかにしまいこんでいました。 その3年後、偶然部屋の片づけをして見つけたその手紙。 どうすることもできなかったけど、もういいかなと思い、封を切りました。 一枚の便箋と一枚の写真。 手紙の内容はうろ覚えですがおおむねこんな内容。 「あなたは私の人生の中で唯一の女性です」 「いつもあなたを思ってます」 「もしよければ手紙を下さい」 写真を見たら・・・出川がめっちゃかっこつけて映ってる写真が!?(笑) 映画俳優のようなポーズで、出川がですよ!!思わず笑ってしまいました。失礼だけど。 その手紙を読み終わって、わたしはそれをゴミ箱に捨てました。 だって、こんな怨念のこもった手紙を持ってたら、一生結婚できそうにないしね。 今でも出川はSさんからの手紙を待ってるのでしょうか? I湖のほとりにある小さなゲストハウスで、出川に似たスタッフがいたら、誰かこの顛末を彼に伝えてあげてください。 私にはできない・・・
Aug 27, 2006
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帰国後数日して・・・ Sさんから電話がありました。 私は連絡先を知らなかったので、知ってる友人に連絡を取ってもらったのです。 「あの・・・I湖のゲストハウスの人、覚えてますか・・・?」 Sさん絶句。この一言だけで誰か分かったみたいです。やっぱり。 「えっ!なんで私のこと分かったの!?」 「うん、だって、あの人(名前覚えてない)Sさんの名前を刺青で彫ってましたよ。」 「私はあの人とあの町でしか一緒でなかったし、薬とかやってておかしかったから、あまりかかわらなかったよ!」 話が違う・・・ でも、Sさん必死すぎだし、「あの町でしか一緒でなかった」とか聞いてもないしなぁ。 それに、出川がSさんの友達を知ってるというのも作り話にしてはおかしい・・・あまりにも事実のことが多すぎるから。 Sさん、嘘ついてるんだ。その場限りのアバンチュールだったんだ。 「とにかく、手紙を預かってるんです。これ、どうしましょうか?」 「悪いけど、捨てるなり燃やすなりじぇにふぁ~のほうで処分して頂戴!」 出川、ごめんなさい、私、役立たずでした。
Aug 26, 2006
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そう、Sさんは数々の国を渡り歩きながら、数々の男を渡り歩く女だったのです。 そういう噂は聞いたことありました。 「旅行なんてね~出会いと別れの繰り返しよ。」と、切なそうな顔をして私に話したことのあるSさんでした。 出川は、別の男と会っているSさんの姿を見て大ショックを受けました。 そしてその町を去って、故郷のI湖に戻ろうとしたとき、そこに住むSさんの友達(この人もおそらく私の関係者っぽい)が、 「Sはプレイガールで、インドネシアにもタイにも恋人がいる。あなたは彼女をあきらめなさい」と出川に言ったそうです。 出川はSさんを必死で忘れようとしたそうです。 飲めないお酒を飲み、壁に頭をガンガンぶつけて、前歯が折れてしまったらしい。 (私たちに見せてくれましたが、確かに前歯がありませんでした) それでも忘れられず、彼は左手の甲に彼女の名前を彫りました。 この話を一通り聞いた日本人は、 「そのSって女、一体どんなやつなんだ!」 「魔性の女だ!」とかみんな私に言いました。 Sさんは、私の知る限りは特に美人でもなく普通だけど、ちょっと個性的で姉御肌な人でした。 でも、男関係は日本でもあまり評判が思わしくなかったなぁ・・・ 出川は私に聞いてきます。 「彼女はプレイガールなのか!?」 「彼女に恋人はいるのか!?」 どちらも本当です。その当時の恋人は日本人でしたが。 彼は言いました。 「僕は彼女がプレイガールで、僕が遊ばれてたかもしれないのは分かってる。 でも彼女を今でも愛してるんだ。だから手紙を渡してくれないか。」 うわ・・・なんて気の重い任務なんでしょうか。 がしかし、彼の気迫に押されて、引き受けざるを得ない状態になってしまいました。 彼は、英語の辞書を引きながら、宿の食堂で一生懸命手紙を書いています。ずーっと。。。 周りの日本人が、彼を気の毒がっておりました。半分同情、半分呆れ顔で。 「遊ばれてるのも分からないなんてかわいそうだわ。」 あーまるで何かの歌みたい。 そして、その町を去る日、出川は私に手紙を託けました。 バスが出る最後の最後まで、私に 「promise!!promiseね!!」とずーっと言い続けていました。 その手紙をリュックに入れて、私は日本に帰ってきました。
Aug 26, 2006
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卒業旅行で、3週間ほどリュックを背負ってフラフラしてたときの話。 とある国のI湖のほとりの町で、現地人の宿の客引きのお兄ちゃんがいました。 日本人同行者達のなかでは「出川に似てる」と評判だったので、私達は「出川」と呼んでいました。 で、その彼。 私が現地の言葉を話しているのを聞いた時、 「私、あなたと同じようにここの言葉を話せる日本人を知っています」 こういうのって大体関係者なんだわ。 で、名前を聞いてみると、案の定知り合いのSさんでした。 「あー知ってるよ、知り合いです。」というと、その出川、一瞬顔色を変えて、 「ほんとか!Sだよ!!」と言って、左手首の甲を見せてきました。 そこには「S」というSさんのフルネームが刺青でありました。 (彼女の名前は稀なので、ここでは伏せておきます) え?なんで・・・Sさんの名前が・・・? この人たちに一体なにがあったんだ・・・。 私と話した後、出川はずーっと落ち込み気味でした。 周りの日本人が心配して、「どうしたんだ?」と声をかけると、 語り始めました。 Sさんとは、その3年前に彼女が旅行でその地を訪れた時に、出会ったそうです。 出川にSさんが日本語を教えてる時に、色々あって・・・ 省略 だったそうです。生々しいのであまり書けない。 で、Sさんがその地を離れる時、バス停まで見送ったそうですが、そこでなんと、Sさんはバスから手を出して、 「一緒に行こうよ!」と言って出川をバスに引き込んだとのこと。出川は着の身着のままで乗り込みました。 そのまま二人は国中何箇所も一緒に旅したそうです。 この国は貧しくて、その土地で生まれたらそこから一歩も出ることなく、一生を終えてしまうのが一般的です。 だから、彼がした経験は実に衝撃的だったわけなんです。 そして、最終地点の首都で、お別れ。 そこで、彼はSさんの真実の姿を知ります。 Sさんは、出川と別れた直後、なんと他の男とすでにゲストハウスの部屋に二人っきりだったそうです!!! つづく・・・
Aug 26, 2006
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http://www.shashinten.com/g/showgallery.php?ppuser=2333&cat=500ブログだと写真を多く載せられないので、アルバムという形をとることにしました。何か小話があれば、またここに書きたいと思います。
Aug 15, 2006
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ミャンマーで見つけたもの。「の」って!!何やねん!!! 「絵を見れば分かるだろう?」とでも思ってるのでしょうか。右上の「すみ」に哀愁を感じます。 その横のマリリンモンローが悲しげです。
Jan 2, 2006
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最終日、シェムリアップ郊外の山中にある滝に、バイタクに乗って行って来ました。40分ぐらい乗り続け・・・森の中に到着。山の中腹から見えるアンコールワットは、森の中にぽつんとそびえ立ち、凛とした姿を見せておりました。険しい道を歩くと、滝が見えました。同行者達が滝に打たれて修行しております。私もやりたかった・・・!がしかし、女性であり衣服がめんどくさいという立場上、足だけ清水にさらして涼を楽しみました。最後に・・・ココナツジュースがふもとで売ってましたので、いただきました!実はあまり好きじゃないココナツジュース。ちょっと酸味があるし、そのくせさっぱりしてない。ココナツというものは、調味料の一つとして使われるのが一番いいように感じました。
Jan 2, 2006
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アンコールトムの他の建築物です。木の根が猛々しいタップローム。植物の生命力のすさまじさを感じさせました。かの有名なバイヨンです。クメールの微笑み。この寺院はあっちこっち微笑する観世音菩薩の彫刻で一杯です。プラサット・スゥル・プラット(だと思います)12の塔の間に綱を張り綱渡りをしたという噂ですが、真偽のほどは定かではありません。日本が修復を担当しています。
Jan 2, 2006
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内部へ入ってみます。そのためにはこの急な階段を上らなければなりません。上る時は、ロープにつかまって這い上がっていきます。その際に間違っても下を見てはいけません!クラクラするから・・・這い上がって上から見た風景。日光が神秘的な光を放っておりました。ここから人々は降りていきます。下りるほうが怖かった!足を踏み外したら恐ろしいことに・・・この柱の並びが、歴史を感じさせます。
Jan 1, 2006
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夢にまで見たアンコールワット!実に壮大でした。ある寺院では・・・合同結婚式を行っておりました。
Jan 1, 2006
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町を散策してみました。ここは、日本人の方が運営している織物研究所です。私は民族衣装に興味を持っていて、何着か持っています。巻きスカートの柄によって民族を区別できるんですよ。それぞれの文化がスカートの柄に現れるって、なんか素敵ですよね。カメラを向けると集まる子供達。パワーが違います!今の日本の子供達にはない、熱いものを感じました。川辺で遊ぶ子供たち。全裸です。のどかです。
Jan 1, 2006
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ミャンマーの某公園で・・・傘の向うでなにやら男女2人が楽しそうにしてます。正面から。横から。後ろから。傘に隠れて、ってあからさま過ぎです!きっと日陰が必要だったんだ。写真の現像でもしていたのでしょう。
Dec 13, 2005
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入国の手続きが非常に手間取りました!日本ではありえないぐらいの手際の悪さ。まあ、これも旅の醍醐味です。はい。そして、トラックをチャーターしてシェムリアップへ。この道のりが実にひどく、長かった・・・多分7時間ぐらい乗ってたんじゃないかな。他に日本人が2人いて、話したりして気を紛らわせたけど、それがなかったら本当につらかったと思います。夜半過ぎに宿に到着して熟睡。そして翌日、地雷博物館に行ってきました。街中を歩いてると、手足を失った人を多く見かけました。この国と地雷は切っても切り離せない、ということを深く認識させられました。
Dec 13, 2005
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翌日朝6時、カオサンからライトバンで、アンコールワットのあるシェムリアップへ 向けて出発しました。 途中の景色を楽しみながら、快適な道のりを国境の町アランヤプラテットへ向けて走 ります。休憩のときに同じ車に乗ったカナダ人の女の子と仲良くなりました。これぞ、インターナショナルな旅! アランヤプラテットに到着したのはお昼過ぎでした。 この町は特に何もなく、国境を行き来する人たちの拠点になっているようです。ビザを取得するところに止まっていた車に、かわいい子供たちが!実に素敵な笑顔です。どこの国に行っても、子供って無邪気でかわいいものです。ビザを取得して、イミグレーションの通過待ちです。なんと待つこと2時間!この日は人がとても多かったようで、タイミングが悪すぎました。その、待ち時間の間にすごい光景が・・・何やらすごくいっぱいの荷物を台車か何かで運んでるところのようです。鈴なり状態で、いつ崩れてもおかしくない!日本ではこういう荷積みはしないので(まず危ないし)、実にアジアっぽいとしみじみ思いました。そして、国境でハイチーズ!
Sep 29, 2005
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就職を控えた2001年春、卒業旅行ということで東南アジア3週間の旅に出かけました。とりあえずバンコク往復のチケットだけ買い、カンボジア(アンコールワット)とミャンマーだけは行くと決めていた以外は、すべて成り行き任せでした。バンコクに着いてまずは世界のバックパッカーのたまり場、カオサンに行きました。ここへ行けば何とかなるさ、とあまり何も考えてませんでしたね。そして適当な宿を探し一泊、翌日旅行代理店へ。シェムリアップ(アンコールワットの町)へ行くのには、空路だと高いので陸路を選びました。ほぼ一日かかるとのこと。30ドルぐらいだったと思います。時間はかかっても今回はのんびり貧乏旅行が目的だから、当然のごとく陸路を選びました。これが後々恐ろしいことになるんですが・・・その日はバンコク市内をぶらぶらーっとしました。ミャンマー大使館に行く際に乗った水上バスから、アットワルン(暁の塔)が見えました。この水上バス、観光用ではなく、人々の足としてかなり利用されてました。実際バスに載ってミャンマー大使館に行くより、ずっと早く行けました。バンコクは交通渋滞が恐ろしくひどいですからね・・・道端で子供がカートのようなものの中で寝てます。兄弟でしょうか?なんだかのどかです。宿に戻ると、スタッフたちがご飯を食べてました。私も仲間に入れてもらうことに。ご飯に何か1,2品を混ぜて食べる、という東南アジアならではの食事でした。味は・・・うーん、記憶にないのでおいしくなかったんだろうなぁ。
Sep 28, 2005
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チャイッティーヨーのふもとのカモンザガン(キャンプ場という意味らしい)の宿は、なんと高床式でした!寝てると、土ぼこりのせいでひどく咳き込みます。土のにおいもひどく、野外で寝てるのとそんなに変わらない。ちなみに、民家の一室でした。そばの部屋には家の人が寝てます。結局、翌日は宿を変えました。次の宿もそれほどよくはなかったけど、まあ何とかすごせましたね。旅行の最後に一枚。で、後日談・・・ヤンゴンに帰ってから、ひどい高熱にうなされ、4日ぐらい寝込みました。病院に行くと、「マラリアかもしれない」とのこと。聞けば、パアンあたりはマラリア指定地域らしいです。帰国前だし、心配して検査結果を待ったけど、結果は陰性でほっとしました。やっぱり、観光地でないところに行くにはそれなりにリスクがいりますね。
Sep 4, 2005
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カモンザガンに着いて、そこから山登りをしてチャイッティーヨーを目指します。ふもとから見ると、かなり急な勾配・・・ここは、トラックバスで行くことにしました。聞くところによると、現地の人は3時間ほどかけて山登りするらしい・・・ひぇ~トラックバスに乗り込んだものの、恐ろしく細くて急な道のりを延々と上り続けるのです!一つ間違えたら、崖から落ちて即死だったでしょう。ちょうどこの時期、こうやって頂上に向かう車が運転を誤って崖からおちたらしい・・・生きててよかった。チャイッティーヨーに着くと、外国人は10ドルの入場料を払わないといけません。しかし、私はもうすっかり現地人化してたので、「シャン州から来たワ族のものです」と話したら、皆納得しました。ワ族は独自の言語を持つので、ミャンマー語が下手でも問題ないらしい。その山の頂上には、町ができていて、天空の城ラピュタみたいな感じでした。みやげ物やとか宿もあり、すごく感動。そして、憧れのゴールデンロックで一枚。この岩は、パゴダと同じ扱いを受けており、女性は触ってはいけないのです・・・涙。金ぱくを岩に貼るのですが、その際は男性にお任せしないといけません。ちょっと離れたところから撮ってみました。この岩の大きさがよく分かると思います。
Sep 4, 2005
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この旅の最後の目的地は、ゴールデンロックと呼ばれる岩があるチャイッティーヨーです。モーラミャーンから、サルウィン川を渡し舟で渡って対岸に行き、そこからカモンザガンと呼ばれるチャイッティーヨーのふもとの町までトラックバスで移動しました。ヤンゴン~マンダレーなど、長距離の場合は、ちゃんとしたバスで行くんですが(それでも日本のものとは比べ物にならないぐらい乗り心地悪)、今回はそんなに遠くないので、トラックバスを勧められました。乗り合いですので、乗ってる人の人数で料金を割る、というやり方。日本ではタクシー以外ありえないですね。6時間ぐらいで、道も悪いんですが、もう体がミャンマーに慣れてしまってたので全然平気でした!こんな光景。お母さんが人目を気にせずにおっばいを赤ん坊にあげてました。びっくりしたけど、昔の日本ではよくあった光景らしい。同乗していた女の人が、持っていた果物(ライチっぽかった)をナイフで切って、皆に配ってくれました。これも、ミャンマーならではですね~ 味はいまいちでした・・・
Sep 4, 2005
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モーラミャインの町外れにあったタミンザイン(食堂)に立ち寄ったときのこと。そこの店主が、ヤンゴンの大学で日本語を勉強していたという。当時の先生が、どうやら私の大学の教授のようでした。その店主、もう日本語はすっかり忘れてしまってたようですが、教授の話をすると懐かしそうにし、ずっと保管してあったその教授の写真を見せてくれました。写真は、同一人物とは確認できないほど古くてかなり痛んでましたが、何となく面影があったので、おそらくその教授で間違いはないと思いました。モーラミャインにいる間、私は毎日その食堂に通っていました。店主はとても親切にしてくださいました。帰国して教授に確認しましたが、もう30年以上も前の話なので、覚えてないとのことでした。でも、なんだか懐かしそうにしておられました。こんな、地球の片隅での偶然・・・
Aug 29, 2005
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パアンからサルウィン川を下って、河口のモーラミャインに着きました。モン州の州都で、ミャンマー第3の都市と言えども、大きな建物もなく一地方都市のイメージしかありませんでした。町は、馬車やトゥクトゥク(タイでよく走っているミゼット型のタクシー)が走っていました。トゥクトゥクが走っているというのが、タイの国境に近いということを感じさせます。ヤンゴンやマンダレーでは見ることがありませんでした。サルウィン川沿いに建てられた、モン語の看板。内容は分かりませんが、おそらく民族の団結を呼びかけたものだと思います。パアンにも、カレン語で書かれた同じようなものがありました。町は、ひとつ有名なパゴダがある他は、特に見所はありませんでした。街中にある民族博物館に行ってきましたが、入場料がかかり、それも外国人料金だったので、入らずに入り口にあったモン族の衣装だけ撮ってきました。
Aug 29, 2005
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パアンからタトン方面へサルウィン川を渡ったところで、一本の線路を見つけました。(この画像は、私が撮ったものではありません。撮っとけばよかった・・・)何もない原っぱの中に続き一本の鉄道。もちろん、今は走ってる様子はありません。これは、もしかしてかの有名な泰緬鉄道か・・・たいめん‐てつどう 【泰緬鉄道】《「泰」はタイ、「緬」はビルマのこと》太平洋戦争中、日本軍がインパール作戦の物資輸送のため、タイ・ビルマ(ミャンマー)間に建設した鉄道。タイ側はクワイ川に沿う。連合国捕虜や現地人が動員され、数万の死者を出し、「死の鉄路」ともよばれた。定かではありませんが、場所としても間違いではなさそうでした。戦時中のその場所に思いを馳せ、通り過ぎていきました。
Aug 26, 2005
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4日間のパアン滞在の後、サルウィン川を下ってモーラミャインに行くことにしました。モーラミャインは、ミャンマー第3番目の都市(ヤンゴン、マンダレーの順)で、モン族が住むモン州の州都です。パアンを朝9時に出て、モーラミャイン行きの船に乗り込みました。本来なら外国人料金を払わないといけないところ、現地人に成りすまし、40チャットで済ませた私。本当はいくらだったのか、皆目検討がつきません・・・(たぶん5ドルぐらいでしょうか)中に売店もあるごくごく普通の船。商売でモーラミャインに下っていく人が多かったように思います。途中で、有名なサルウィン川鉄橋(名前忘れました)を通過。カモメが飛んでて、すごくきれいな風景でした。約4時間の旅でしたが、サルウィン川沿いの風景を楽しみながら、ゆっくりした時間をすごしました。
Aug 24, 2005
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2000年のカレン暦での元旦は1月6日でした。町の広場では、新年祭の式典が催されます。町中皆、民族衣装を着て、会場に向かいます。ちゃんと舞台もあり、成人式の式典を思い出しました。また、この町の広場だけでなく、カレン州各地でもたくさんの催し物がありました。ここは、パアンからタトンに向かう途中の、サルウィン川を越えた辺りにある竜宮城みたいなお寺(?)。ここで何やら踊っているのは、「ドン踊り」という、カレン族独特の民族舞踊です。ここに、「温泉がある!」という誘い文句につられ、行っては見たものの・・・下で魚が泳いでるという位ぬるいお湯!まあ、年中水浴びで済ませているミャンマー人にとっては、この水温がちょうど良いのでしょうか。私も新年祭のために買った民族衣装を着て、記念撮影!
Aug 14, 2005
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パアンはカレン州の州都です。カレン州に多く住むカレン族は、ミャンマーに300~400万人住むと言われています。長い歴史の中で、ミャンマーの軍事政権と、カレン民族同盟は戦い続けてきました。宿の下にあるカレン族の民族衣装の置いてあるお店です。このお店で、1着スゴーカレンの衣装を買いました。湖の近くにある民族博物館。カレン族とひとくちに言っても、その中でもさらに細かく分類されます。赤カレンと呼ばれるポー・カレン族と、青カレンと呼ばれるスゴー・カレン族がその中でも特に大きなグループです。この画像の衣装は、ポー・カレン族のものだったと思います。この日は、カレン族の新年祭が近かったためか、軍人さんが町の建物の近くで警備にあたっていました。そこで、仲良くなったので、ハイチーズ!銃を片手に、仲良く写真を撮らせてもらいました。
Aug 13, 2005
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ミャンマーは多民族国家である。また、例のごとく街の市場を散策。パアンには、2階建てのちょっと大きなショッピングセンターがありました。でも、あまり繁盛しておらず、その横にあるミャンマーならではの青空市のほうがずっと人が多かったです。そのショッピングセンターの入り口で、男の人2人と女の人2人が座り込んで話しているのを見つけました。なんとなくまわりから浮いてて、顔つきも違い、話している言葉もミャンマー語ではありませんでした。はじめは顔の感じからして、インド人かなとも思ったのですが、帰国してからカレン族について詳しい方にお聞きすると、「それはパオ族だと思うよ」と教えてくれました。(この画像はネットから拾ってきたもので、私が撮ったものではありません。念のため・・・)パオ族とは、ミャンマーの北西のシャン州に多く住んでいるので、この南のカレン州にはいるとは思ってもみなかった・・・よく写真で見るのは、黒いターバンのようなものを巻いてて、民族衣装も真っ黒のものを着ている姿です。日本では出くわすことのない民族が交わる光景。パアン内では、ほとんどの人がミャンマー語を話してたけど。たまにカレン語を話す人もいました。現在、少数民族の言語は廃れていく一方で、自民族の言語を話せない子供が増えてきているそうです。
Aug 3, 2005
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カレンのランドマークとして有名な、ズェーカビン山。パアン郊外にあります。中国の桂林の山を髣髴させますね・・・この湖(タンカーレィ湖?・パアンの街中にある)から眺めるズェーカビンが最も美しい。写真ではわかりにくいけど、水面に山が映って、逆さ富士みたいになります。この山の形に取り付かれて、後日行くことになります。。。
Aug 3, 2005
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1999年後半から2000年初めまで、ヤンゴンに滞在していたときに、一度だけ10日ほどの旅行に行きました。場所は、非観光地・カレン州州都のパアンからモーラミャン、そしてかの有名なゴールデンロックのあるチャイッティーヨーです。ミレニアムといわれた2000年の1月2日の夜、ヤンゴンからパアン行きのバスに乗りました、翌日朝5時、パアンに到着。ガイドブックにも載ってないような町です。町の人に、外国人が泊まれる宿がないか探し回りました。(地方には現地人onlyの宿が多い)何とか一軒、3階建てで一階が雑貨屋なっている宿を見つけました。その宿の部屋から見たパアンの町並みです。昼すぎまでひと寝入りして、そこから例のごとく町の中をあるある探検隊!パアンの町のシンボル、時計台。町の規模も、ヤンゴンはもちろんのこと、マンダレーやバガン、ミッチーナよりも小さくてこじんまりしてました。パアンはタイから流れてくるサルウィン川のほとりにあります。この川向こうはどうなっているのだろう・・・そして、そこのわらぶきの家に住む人は、どんな生活をしているのだろう・・・毎度のことながら、考えると不思議な気持ちになってきます。
Aug 2, 2005
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旅のおともにウォークマンは欠かせません。そのときに流行っている曲をダビングして、飛行機の中、街中散歩の際に聞きます。東南アジアなどでは、ウォークマンが珍しいせいで、じろじろ見られたりすることもありますね(^^;ちなみに・・・1999年ミャンマー旅行の際は、 「WILD RUSH」 by T.M.R でした。~ジャングルの中を走り抜ける~こんなイメージです。こういうとき、洋楽だったらかっこいいのかもしれないけど、私はもっぽら親しみやすい邦楽です♪NO MUSIC、 NO LIFE!!
Aug 2, 2005
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バガンに4泊ほどして、ヤンゴンに戻ってきました。はぁ~もどってきた!ヤンゴンが都会に見えます。懐かしくさえ感じます。こういう市場の風景も、ヤンゴンはやっぱり活気かあります。人々が盤ゲームに興じる様子。床屋のおっちゃんの笑顔が素敵です!でも、何よりも素敵だと感じたのは、子供の姿。彼はおそらく親の手伝いをしているのでしょう。でも、全く悲壮感は感じませんでした。初めてのバックパックでの長旅、たくさんの出会いがありました。そして、ありがちなのかもしれなけど、素敵な出会いもありました。その人とはそれっきりですが。今どうしてるかな、なんて考えたりもしました、が、それが旅。旅先の恋とはそういうものなのかな、と。人生もまた、長い旅なんですけどね。
Jul 27, 2005
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バガンのそばを流れるイラワジ川。人々の生活の場となってます。ここで、洗濯をしたり水浴びをしたり・・・また、バガンでは宿の人とも仲良くなりました。この宿の女の子かまた可愛かった!この手に持ってるのは、にわとりです。この日、この女の子がどこからか仕入れてきたようです。次の日の朝早く・・・にわとりの雄たけびが聞こえました。その日の昼ごはんは、チキンライスでした。また、町を探索していて、ふらふら立ち寄ったところには、あやつり人形がおいてありました。人形劇は、ミャンマーの伝統芸能です。学生のときに、この人形をテーマにした劇をしたことがあったなぁ・・・
Jul 27, 2005
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世界三大仏教遺跡のうちの一つ、バガンの町にはは、荒廃して乾いた赤い大地にパゴダ(仏塔)が点在しております。これらを見て廻るのには、馬車が最適です。馬車に乗ってると。バガン王朝の時代にタイムスリップした気がする・・・バガンの象徴、アーナンダー寺院です。ここを無くしては、バガンを語れない。ポストカードにてさんざん見てきた風景ですが、実際見ると、やっぱり感動しました。シュエズィーゴォンパゴダです。参拝する人は、おそらくここが一番多いかと思います。こうやって見てみると、私はあまり遺跡に興味がないようです。とりあえず写真は撮るけど、そこどまりですね。それよりも、人々の生活や自然の風景を撮るほうが、ずっとおもしろい!と感じます。
Jul 27, 2005
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3日間のミッチーナ滞在の後、マンダレーへ引き返す。週に3度ほど、特別列車が走ってるとのことで、それに乗り込む。さすが、特別列車。揺れもそんなにひどくないし、リクライニングもあるし、なんと、テレビまでついてました。マンダレーからどうしようものか・・・あ、そういやあのおじいちゃんの家に飾ってあった夕日の町!そう、それは夕日のとてもきれいなバガン。もう死んだけど、おじいちゃんはミャンマーに戦争で行ってました。今から25年ほど前に、慰霊旅行があって、そのときにバガンの夕焼けの写真を撮っていました。小さいころの私は、そこがビルマ(当時の呼び方)と聞き、「ビルがいっぱいある国なんかー」とばっかり思ってましたよ。ほんとに。あの写真の中の町を見ないわけには!とあわてて交通手段を探す。バスでも行けなくもないが、友達がマンダレー~バガンを船で下った、って言ってたなーよし、それ!料金は、現地人ならとても安い(多分1000円ぐらい?もっと安いかも)のに、外国人は15ドル!なめてる・・・なめまくってる・・・でも、それがミャンマーなのだ。朝5時発の船に乗り込む。お客さんが地べたにすし詰めだ。その中で、外国人とお坊さんだけが(実にミャンマーらしい)、大き目の椅子を与えられた。そりゃそうだ、15ドル払ってるんだからそれぐらいしてもらわないと。船からの眺めは実に平坦。あまり川の水がきれいじゃないのが実に残念。上流のミッソンは、透き通ってたのに・・・ミッチーナでもらった梨をかぶりつく私。途中で、あきちゃったので船室にふらふら迷い込む。船長に舵を少しだけ、取らせてもらった。うーん、いい経験。バガンに着いたのは夜の12時近く。雨季だと夕方には着くらしいけど、暑気は川の水量が少ないんで遅いんだそう。長いクルージングだったけど、見るものも結構あったので、飽きることなく過ごせました。
Jul 26, 2005
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私がステイしたYMCAのオーナーさんは、前回の旅行からの知り合いです。ちょっとうちの親父に似たオーナーさんに「今から知り合いの結婚式に来ないかい!?」と、面白そうな誘いを受けました。早速市場で適当な花束を買い込み、オーナーさんのバイクの後ろに乗っけてもらって街のはずれへ・・・街の人々が、広場のようなところに集まっていました。みんな、ミャンマー語ではなくカチン語を話しています。この辺りの人は、みんなこの2つの言語のバイリンガルらしい。すげーいいなー。私もカチン語勉強したいよ。聞けばアルファベットらしいし、簡単かな。オーナーさんが、知り合いに、珍しい外国のお客さん(私)を紹介する。目の前のテーブルには、ご馳走がてんこもり。そして、新郎新婦が奥の席に・・・なんと・・・合同結婚式!!!へへぇ~なんか面白い。民族衣装を身にまとって、多分カチン族の昔ながらの結婚式なのでしょう。この場に立ち会えたことに感動しました。お嫁さんたちに、「きれいですぅー」とか適当に言って買ってきた花束を渡す。すいません、ワタクシ嘘をついておりました・・・
Jul 26, 2005
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ミッチーナのYMCAに2泊しました。この宿泊施設には・・・シャワーがない!お湯が使えない!お湯が使えないというのは、電気がないからなんです。つまり自家発電。お金持ちの家には自家発電の機械があります。そうでない家は、豆電球とかろうそくで生活します。一泊毎に、一本のポットを渡され、そのお湯と、浴室での水を混ぜて、水浴びをします。3月はミャンマーでは暑期なのに、ミッチーナはチベットに近いせいもあり、まだまだ寒かった・・・車中に2泊したこともあり服が結構汚れたので、裏にある井戸水で洗濯しました。日中は結構暑いので洗濯物はすぐに乾きます。そして街中を散歩。日本よりもヤンゴン、ヤンゴンよりもミッチーナのほうが、時間の流れがゆるやかです。市場に行くのは定番です。赤ちゃんを負ぶっている布が、情緒を醸し出してます・・・その後、川沿いに行き、イラワジの流れを、上流から下流へ思いを馳せながら、ボーっと眺め続けます。ミッチーナ駅構内もまた覗いてきました。なんだか戦後の復興期を髣髴させます。。。この鈴なりの車は、ミッチーナからちょっとシャン州よりにあるバモーという町に行きます。聞けば5時間の道のりだということ。5時間もこの車に揺られるのは、私にはできないなぁ・・・それを見て、この後はバモーに行こうかと思ったけど、外国人は陸路では入域禁止だとのこと。残念無念。あきらめました。
Jul 26, 2005
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「ヤンゴンからミッチーナまで、電車で行く!!!」まず、夕方5時ヤンゴン発マンダレー行きの電車に乗りました。電車から見える風景は、それはそれはのどかなもの。ひまわり畑や、見晴らしのいい草原。電車も日本ほどではないけど、そこそこに快適だし、夜は熟睡はできなかったけどそれなりに眠れました。そしてマンダレーに翌日の12時着。前にマンダレーに行ったときに仲良くなった知り合いと、つかの間の再会を楽しみ、夕方にまた、マンダレー駅にもどり、ミッチーナ行きへの電車に乗り込みました。ここで一泊するべきだった・・・それまでは、電車に寄ってきた現地の子供に折り紙を折ってあげたりと愛想を振りまいてましたが、電車に乗り、しばらくすると・・・揺れる、揺れる!半端じゃなく揺れる!乗馬並みです。ってか、馬に乗ってるほうがまし!!それに、木の椅子だから、リクライニングなんてありゃしない!ヤンゴン~マンダレー間って、日本で言えば東京~大阪間みたいなもんだから、道が整備されてて当たり前。でも、ミッチーナなんて僻地、行く人少ないし、山に近づくわけだから道も険しくなるってことだ。眠れません。現地の人は、駅で小さな売り子さんが売るゴザを買って、車内で地べたに敷いて寝てました。私にはとても真似ができません・・・靴下を履いてみたり、日本から着てきたジャケットを羽織るけど、寒さはしのげず、揺れはますますひどくなる一方。翌日の昼前、やっとミッチーナに到着。結局、2時間ほどしか眠れませんでした・・・その、楽しいながらも苦しい道のりでの私。陰影がいい感じ。お気に入りの一枚。
Jul 25, 2005
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1999年の春、初めてバックパックを背負っての3週間の旅に出かけました。行き先は、言葉も通じるミャンマー。またかい!ってなるけど、やっぱり言葉が通じるところが一番です☆☆☆実はこの数ヵ月後にミャンマーに半年住む予定だったので、その下見を兼ねてました。まず、絶対行きたかったのは、一度行って少数民族のとりこにさせてしまったミッチーナ。あの時は飛行機だったけど、今回は2日かけて列車(電車と呼ぶにはふさわしくない)に行くことにしました。その後は、気の赴くまま・・・これぞ本当の旅!
Jul 25, 2005
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ミッチーナのそのまた向こうはチベットです。万年山の頂には、雪が降り積もっております。この画像は、中国との国境辺りの山です。ここで、人々はどんな生活をしてるんでしょうか・・・?この辺りに住むカチン族系のリス族。巻きスカートの横のボーダーが民族の象徴です。伝統舞踊の風景です。ミャンマー最北端の町、プタオ辺りに住むラワン族です。そういやラワン族の友人がいたなぁ・・・日本人に似てますね。何をしているのでしょうか?プタオの隣町、マチャンボウです。特に何があるわけでもないんですが・・・いつか行ってみたい、憧れの地です。これらの画像は、ミッチーナのYMCAで頂いたもので、実際に私が行ったわけではありません。大変貴重な画像で、私がとても興味を持っている少数民族の分野で、マニアにとってはたまらない数枚なので、使用させていただきました。
Jul 25, 2005
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ミッチーナの市場で、中国系のお店のスタッフの女の人に声を掛けられ、雲南系の死ぬほどおいしい食べ物「トウフビョー」(名前の通り餅のような豆腐が入ってて、なんだかうまいタレがかかってる)をご馳走になりました。「あなたと仲良くしたい」と言われて、持ち前の調子のよさで、「OK!」と返しました。半年後にヤンゴンに住んでいたときに、彼女に一緒に撮った写真を送ると、速達&書留で即返事が・・・「私はヤンゴンに住みたい、そしていずれは海外に行こうと思ってる。ヤンゴンに行こうと思いますが、ミッチーナのもので欲しいものがあれば言って下さい。」ん?彼女にそういうつてはないはずだ・・・つまり私に何とかしろというのか!?私を頼ってヤンゴンに来る、そして、私に保証人になってもらって海外に行く!うわ、一杯のトウフビョーでそこまでするのかい!!!そんな世の中甘くないわい。でも考えてみたら、日本では東京や大阪の行き来が簡単にできて、海外へも簡単に行ける。しかしミャンマーでは、地方の人がヤンゴンに行くことすらままならない。ましてや海外なんて・・・そう思うと、やっと見つけた外国人に彼女が頼ろうとするのも無理はないのかもです・・・申し訳ありませんが、その手紙には返信はしませんでした。
Jul 24, 2005
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ミッチーナ駅はミャンマー最北端の駅です。ここからヤンゴンなどへ向けて電車が走ります。この先の土地、未知なる世界へ、現地の人は思いを馳せたりするのでしょうか・・・?実に座りにくそうな座席・・・ヤンゴンの電車はもう少しましでした。車内は、商売でヤンゴンやマンダレーに買出しに行った人が多く乗っていました。一般の人が旅行などで電車に乗るなんて、あまりないことのようです。地方に生まれたら、一生その土地しか知らずに暮らす、これがミャンマーでは当たり前のことなのです。
Jul 24, 2005
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ミャンマー北部にあるカチン州の州都、ミッチーナ。カチン族という少数民族が多く住みます。ビルマ族(ミャンマー族)と違うのは、ビルマ族の大多数が仏教徒であるのに対して、カチン族はクリスチャンが多い!なので、パゴダ(仏塔)の代わりに教会や十字架が街中に良く見かけられます。空港は手荷物検査も全部手動。難しいセンサーとか置いてるわけがない。アハハ。この建物の横から簡単に侵入できるんで、誰でも簡単に飛行機に乗れるかも!?ただし、かなり怖い飛行機ですよ・・・雨漏りはするわ、立見席だわで・・・つまり座席は指定ではないのです。ミッチーナの町の中心の市場です。実に生臭い、人間臭い。このにおいはミャンマー国内の市場なら共通してかぐ事ができますよ!大理(ターリー)や保山(パオシャン)などの中国の国境の町に近いので、中国の製品が良く見かけられます。中国系の人も多いです。
Jul 24, 2005
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イラワジ川をはさんでミッチーナの対岸、ワイモーという町へ船で渡って行ってきました。人々はミッチーナで買い物をして、こうやって川を渡り自分の町へ戻って行きます。川は現地の人の生活の場です。川で洗濯をして、水浴びして、排泄も・・・あ、そこまではわかりません。ワイモーから中国の国境へ向けて1,2時間ほど車で行ったところ。♪行きはよいよい~帰りは怖い~♪と歌いたくなるような橋を見つけました。当時、この辺りでダムを建設する予定だ、という話を聞かされました。今はもうできているころでしょう。あ、でもミャンマーのことだから。途中で取り辞め、ってことは十分ありえます、はい。前にも書いたように、この辺りは反政府ゲリラの活動地域。外国人は常にパスポートを携帯してないといけなかったのに、忘れてしまいました。検問で引っかかってあせった(^^;それでも何とかなるのがアバウトなミャンマー、助かりました。
Jul 23, 2005
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ミッソンに行くまでに通った村の風景。のどかだ~実にのどかです。いつもこういうところに来ると、そこでの生活に思いを馳せてしまいます。未知なる世界。みんな集まって何をしているのでしょうか?びっくりしたのが、どんなに田舎で、人がいなさそうなところでも、道端にタバコ屋とかちょっとしたお店があるんですよね。井戸!ミャンマーでもある程度の規模の町ならありません。昔の日本もこうだったんだよね~知らないけど。ちなみに・・・この辺りやもっと奥地に住む人は、ミッチーナまで3日かけて歩いてきて、買い物をして、また歩いて帰るらしい。途中で野宿して、長い道のりを・・・うわー信じられへん。まだこんなところがあったとは!
Jul 23, 2005
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どうせミャンマーに来たなら、現地の人々の生活が良く分かるような田舎がいいですよね。というわけで、ミッチーナから北へ繰るまで50キロほどイラワジ川をさかのぼった、ミッソンへ行って参りました。アンダマン海へと流れるイラワジ川の始まりです。メリカ川とマリカ川の合流地点、というだけなんですがね・・・ここは普通ではなかなか外国人が立ち入ることのできない地域で、当時(1997年)も反政府ゲリラのカチン族が、この辺りで対立してた模様。そんな話は後になってから聞いたことだったので、その時は何も知らなくて良かった~ちなみに、ちょっと道をそれると、象が歩いてたりするらしいですよ。見たかった~!!!
Jul 23, 2005
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