六話「追走」


部屋を飛び出した俺の目の前に広がるのは玄関まで一直線に結ばれた長い廊下。

その廊下を駆け抜けた先、木製で観音開きの巨大な玄関戸に突き当たる。

「あんにゃろめ、とっちめてやるから覚悟してなッ!」

と、外から聞こえてくるのはヤン子さんのえらく物騒な叫び声と聞きなれないエキゾースト音。

ともあれあの少女も勝手に他人の家に侵入したんだ。たとえ家主が穏やかで優しい人間であったとしても

その行為を見逃すということはあるまい。

ただ、その家主がヤン子さんだったというのが少々気の毒だが。

ずっしりと重い玄関扉を押して、花と芝生の生い茂るだだっぴろい庭に出た。

日差しが強いということは今日は快晴。路面状況は完璧にドライだ。

「俺ってばすっかりレースに取り付かれちまってんなぁ.....。」

路面状況なんかをいちいち確認するあたりもうすっかりレースそのものに馴染んでしまったのだろう。

そんなことを考えると照れくさい、というか「何を今更...。」と、苛立ちに近いものが込み上げて来る。

そこに玄関右手のガレージからGTRのセルが回る音が耳に入る。それとあともう一つ。

「聞き慣れないエンジンサウンドだぞ...なんだこれ。」

普段町で聞くことのない、一風変わった古臭い雰囲気の漂うエキゾースト音。

気になって音の主を探そうとしたときにはもう遅かった。

碁盤の目のように並んだ高級住宅街。

その角を曲がった先を走る車の音。おそらくさっきの少女がここまで乗ってきたものだろう。

いや、待て。クルマが運転できるということは少なくとも18歳以上って事だ。

さっきの少女の体格、身長、顔立ち。大目に見ても18行くかどうかギリギリのところ。

「やっぱり色々と気になるところがあるな。」

少女を手っ取り早く、確実に追う手段。

「ウミヤ君!アンタもあの子とワケありみたいだし、もし付いて来るんならさっさとナビシートに乗りなさい!」

この機を逃す手は無い。俺は小さく頷いて、ヤン子さんのレース用R32に飛び乗った。






「住宅街をずっと70km超で走り回ってるワケにもいかないわね。早いこと彼女には大きな通りに出てくれないとマズいかも...。」

前方、十字路や角を曲がるごとに、またすばしっこくその先のカーブに隠れる車両の尻を追い初めて2分。

見え隠れする目標をずっと集中してみているとむずかゆい。

そのうえ一行に差は縮まらず、いつ終わるかも分からない追いかけっこは微妙な盛り上がりを見せていた。

追手が恐ろしくすばしっこいためにあまり詳しいことは言えないが、

確認できる限りでの車の容姿を説明するとすれば、色は緑、テールランプは丸い形、それくらい。

「にしてもあの車、あれだけのスピードを出しておきながらやけにスイスイ曲がるじゃない...。」

ふとヤン子氏が発した独り言だったが、まさにその通り。

こちら側のだいたいの平均速度から考えても、追手である車の回頭性はずば抜けたものだ。

「あれだけ目立った高性能さがあれば車種はある程度特定出来るんじゃないっすか。」

「まぁ思い当たる節はいくつかあるけど....あまりはっきりと言えるもんじゃないのよ。
 ここは相手が見通しの良い所に飛び出てくれるのを待つしかないわ。」

「って、言ってる間に国道ですよッ!」

前方に集中している間に周囲の雰囲気は大きく変わり、見渡せばあらゆる店舗や大きな建物であふれ返っていた。

五十嵐は勤める整備工場もこのあたりにあるのだが、もし自分の後部ボコボコの愛車が収容されてるかもしれない

ということを考えるとそいつを見る気にもなれず、怖がって下を向いてしまう。

「あら、まさかとは思ったけど。お相手のクルマ、一番順位の低かった予想が的中しちゃったみたいね。」

ごう、と周囲の空気が大きく変わる。

GTRは流れ込むように国道、この街のメインストリートに突入していた。

とたん俺は目を見開く。ごしごしと両拳で目をこすった。

前方に現れたクルマ、そいつは小柄ながらもとんでもない威圧感を放っていた。

「ランチアストラトス....ねぇ。どうせレプリカだろうけど。」

ストラトス。話には何度も聞いたことがある。

ランチア社がラリー用に開発した車だ。

リヤトレッドは今自分達が乗っているGTRにほど近いものであるのに対し、

ホイールベースは一般軽自動車より短い。

これは直進時の安定維持が難しい反面、抜群の回頭性を得られるということを意味していて、

先程のような頻繁にコーナーリングを続けなければならないような状況になればかなり有利ということになる。

だがしかし、現状はまさに一直線を突き進んでいるところ。

数が少ないとはいえ、ここは国道であり、一般車も紛れているのだ。

それをよける度、高速を保ちつつ角度のゆるい蛇行を続けなければならないので、

それこそストラトスにとっては短所が思い切り出てしまい、

非常に都合が悪いと言える。

つまり相手にとってはかなり現状は不利であるはずなのだが...。

「あの子、華奢な体してるけどかなりのテクニックと集中力を持ち合わせてるみたいね。おまけに体力もある...。」

たった今追っている女の子(?)は、そんな状況ですら余裕を感じさせる走行を俺達に見せ付けてくるのだ。

自分がもし、彼女と同じ状況でハンドルを握らされていたなら

間違いなくスピンして歩道に突っ込むか、一般車両に激突するかしていたに違いない。



「しゃらくさいわね、ここは一気に仕掛けたもんかしら....。」

今まで以上にペダルを強く踏み込む、ヤン子さんこと由布子。

段々と激しさを増す、いつ終わりが来るかも分からない壮絶な追いかけ合いは、

自分たちの標的である謎の少女の驚くべき行動によって

大きく展開を左右させるのであった。



~第七話につづく~


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