全302件 (302件中 1-50件目)
ここまでずっと書いてないのだから、今更休止宣言などしなくても、、とも思うのですが。。どうしてなのか、本当に去年よりアクティビティは減っているくらいなのに、手につかないというかまわらないというか、日記がおろそかになっているので、ここでお休みいたします。自分の勝手ですけれど、記録なので、そのまま置かせていただこうと思っています。これからは、時間があるとき、お友達になった皆様の所へ遊びにいきます。楽しみにしていま~す。きのうは・・・ ある局のラジオを聞きながらかたづけをしていると、何だかいいことをいってるので元気付けられたぁ~・・と思ったら、ナビが友人だった。いつも彼がやってることを忘れてしまい、(声も違って聞こえるの。。)新鮮に驚いてしまう。まだ放送が終わらないうちに、声を聞きながら久々メールをしてみた。へんなのぉ。私は○ちゃんが聞こえてるのに、むこうは何も知らない。ふっふっ以前はとちったところを、目撃ならぬ聞撃してしまった。なんだか、広いようでせまい東京でっす。
2004年03月30日
コメント(8)
これ書こう!とか、あんなことがあったっけとか、、日常で思うこともあるんだけど、どうしたわけか、最近日記が書けない。なんで?????自分でもわからない。あ、でも、きのう友達と話していて、そっか!と思ったことがあったので、それを書いてみようかな。いろいろと自分の気持ちを整理していて、今までとちょっと違う素直でカッコワルイ自分を見せたら、なんとなく、友達との距離がぐっと縮まった気がする。そして、そんなあとも、悩んでうだうだしてる自分の話を聞いてくれる友達に甘えて、細かに気持ちのゆれを描写したときに、いってくれたのは・・・"頭で考えることにろくなことはないのよ。ここ! ハートに聞いて”あぁぁ、そうっか、、それでいいのか、って思いました。私はよく、お友達に、”おすましさん”といわれてからかわれる。そんなつもりはないんだけど、顔つきもそうなんだか、でも、きっと、どこかで、中身を全部見せられない私の何かが出てたんだろうな。今は、カッコワルイ自分だって、大事なときには、みせちゃうわ。・・・・うん、それでいい。ハートに聞いて、やってみよう。
2004年03月15日
コメント(5)
気がついてみれば、今日は3月3日、桃の節句。小さいときには、毎年仰々しく、お雛様を飾ったものだった。そういえば、あのお人形たちは、どうなってしまっているのだろう。あの箱を開けなくなって、いったいどれくらいの年月がたってしまったのだろう。私にはちょこっと素直でないところがあって、お雛様を飾って欲しい!と3回ぐらい両親にいったのに、その日曜日にとうとう夕方になっても明ける様子のない親にふてくされて、父の手入れしていたゴムの木の葉を、ばちばちと切ってしまったことがある。もちろん、そんな私を発見した父は、ものすごい勢いで私をしかった。”かざってーー。”と素直にもう一度甘えることができなかったばかりに。同じことを頼んだりすることができなくて妙な意地をはるところ、今でも治ってないかも。 エヘヘ父は毎日母の様子を私にメールで送ってくれる。もう随分長いことだが、3日分まとめて送られてくることもあるけど、毎日の記録がある。すごいことだと思う。 そういう人。メールは便利で、あんなに、頑固で硬派な父にも、メールだと色々と書くことができるし、それが、時々父にもいいようではある。何にせよ、話をしようにも、うるさがって聞いてくれないけど、メールだと読んでくれるから、時には私のはげましもうけとってくれるみたい。不思議なディバイス。*****ここのところ、ずっと書いていなくてごぶさたです。この間、きてくださった方、又随分前ですが、誕生日のことで、お祝いのメッセージを下さった方、本当にありがとうございます。すっごくうれしいです!今年は何故か時間のとり方がうまくいかなくて、あたふたしてます。リズムをつけたいと思って。。先日だけど、ずーーっととても大切に思っていたことを口にしてみました。 すごいことだった。。そんなあとも、私の生活は表面上かわらないけど、何かこう、すっきりした部分はあります。こんなこと、この年になってするとはね!とも思うけど、本当にないことだったから、イマサラながら一皮向けた?気がしないでもありません。と、いうわけで、またまた、ゆっくり今年の自分を書いていけたらいいな。
2004年03月03日
コメント(4)
今は夜中の4:00 先ほど帰宅したばかり。今日の午後の何年か前私は生まれた。昨日の晩から夜をこしてさきほどまで友達に囲まれてすごした。ステキな時だった。恒例のレッスンが、ちょっと長引き、終わったあとその足で車でつれててってもらうはずが、なんと!エンジンがとまってしまった。すったもんだで、遅ればせながら行ったら、そこのお店にはあまり来ないカップルも友人がスペシャル・ゲストで招いていてくれた。ナイス・サプライズみんなとは、色々あったけど、やっぱり、こうやってなんとなく集まってわいわいしてるとうれしい。プレゼントとか、そんなことじゃなくて、なんていうか、長く知り合っているから、その集まりの密度というか、お互いの距離感がそれぞれ縮まっている感じがとても心地いい。すてきな時間をすごさせていただきました。みんな、ありがとう!時間がつくってくれる宝物ってあるんだね。。I really love you all.. そして、パパ・ママへ今日も帰らなくてごめんなさい。でも、一番気にしてくれているのは、わかっています。Phoenicia
2004年02月10日
コメント(6)
最近ペースがつかめなくて、日記もご無沙汰。。今週は4連休でしたので、あけて昨日から仕事。英語のレッスンをするようになってから、準備というのがいかに大変か痛感し、ある程度の緊張感をもっている。このことを話すと、”君は、自分の知っている全てのことを教えようとするだろうから、ゆっくり少しずつをこころがけなさい。”とアドバイスされた。 ”教えるということは、グリーンに水を与えるようなもの。よかれと思って与えすぎても、だめになるんだよ。”ハッとした。確かに私はつきつめるタイプなので、それを相手にも繰り広げてしまうところがある。レッスン中、ピンポン、ピンポン、と何度もメッセージが頭をよぎり、時々、ペースダウンすると、彼の顔の緊張がとけるのがわかる。あぁぁ、わたしってば、本当に、ブラインド何も見てなかったのね。 3回目が終わった日は、なんとなく、お顔に満足そうな感じがみえて、私も少し安心。きのうは、フランス語のレッスンにいつもどおりいくとタンタン!(ベルギーのマンガ)の話で大満足。と、終わる頃、彼女が、私に日本語教えてほしいという。???? 今年はこういう年なんでしょうか??一週交代でというので、私は教えてほしいから、それは困るけど、レッスンのあと、30分みるのはできる。というとそれでいいというので、決定。私の授業料をディスカウント(?)ということで。こんな小さなことだけど、何だかうれしかった。お金は微々たるもんだけど、すっごく大事なものがある気がする。私はいつも準備してまじめに教えてくれる楽しい彼女が大好きだし、きちんとレポートを用意して、一生懸命な彼にも教えれることがある。本当にいつも、私は周りの人にめぐまれているなぁと感じるのした。
2004年02月05日
コメント(2)
今朝オフィスで、ある一枚のファックスを見る。訃報・・・・仕事で存じ上げている方がまだ40代という若さでお亡くなりなったのだと・・・私は直接お話をしたことはなかったのだけれど、お話し振りや雰囲気など、いい感じの方だった。仕事熱心であることはもちろんだけれど、高飛車になることもなく、自然体で、恐らく周りの部下の方も、仕事をやりすいのでは?という印象があった。その組織では珍しいというか、人間味があるというか。いわゆるエリートコースにのっていたらしいから、貴重な存在だったと思う。最近では、非常にそのご活躍も顕著であったのに。突然の死。一月ぐらいは病床にいたというが、以前はぽっちゃりめの身体も洋服はゆるゆるになっていたという。独身でらしたから、いつもお洋服がすこしラフな印象だったけど、そこがまた、実直そうだった。激務だったのだろう。容易に想像がつく。言葉が悪いけど、なぜ、お嫁さんをもらわなかったのかと思う。こんな平凡なOLの私でも、仕事しながら、自分の面倒見るのは、結構たいへんだと思うのに。仕事がいくら人生のいきがいとはいえ、激務に激務をかさね、普通の生活をする部分など、物理的にムリだっただろう。なんとなく、不条理を感じる。お給料だって、メイドさんを雇えるほどにはないだろうし、日本はそんなシステム、あまりなさそう。。本当に言葉を失ってしまった。喪主はお母様である。 なんということなのか・・・・せつないできごとでした。神様が彼がこれ以上現世で苦しむのをみかねて、およびになられたのでしょうか。ただただ、ご冥福をお祈りするばかりです。私は、自分の人生があとどれくらいあるのか、もちろんわかりません。他のどの人とも一緒です。今回のことで感じたのは、私は今ある私の身体の存在をまもってあげなくちゃな・・ということです。私の体のことは、誰より私がわかるはずだし、また、そういう努力はしなくちゃいけない。無視したら、やっぱり、いけないのです。義務というか、これは私の上司がよく使う言葉ですけど、そういうことだと思います。そうやって、気をつけてれば病気にならないって保証はないじゃない?ということではないのです。身体は生きている間になんというか、借りているというか、自分だけど、自分だけのものじゃないというか。そんなことを感じます。私の母、半身不随ですが、高血圧なのに、ずっとずっと無視してきました。それが100%の原因ではないかもしれないけれど、やはり、見ないふりをしていたのは、いいことだとは思えない。母は臆病だから、逃げていたのかしら。娘の私がこんなこというのも、申し訳ないけど・・・でも、そうやって、母は身をもって、私たちにそんな普通の身体のあることのありがたさを教えてくれたのでもあります。朝歯をみがくとき、ちょっと疲れて腰をくねくねっと回すとき、ふっと母のことを思うときがあります。あーー、こんななんでもないことも、できなくなることはあるんだな。。と。だから、わたしの身体に感謝します。きちんと機能してくれることに。そんなこと・・・なんです。
2004年01月29日
コメント(5)
ケスクセさんのステキなフランス便りをよんでいたら、今日はなんと、お菓子の本が紹介されてたので私も最近自分が買って、”これ、案外いいんじゃない?”と思う別冊を。danchuの"旨くて、うまくて、野菜料理”という本。先日ヘアサロンで、初めて雑誌の方を手にしたとき、あまりにおいしそうなことばかり書いてあるので、気になっていたのだけど、その別冊、しかも野菜となれば、よいかもね?と思い購入した。まだあまり作ってないけれど、4品ぐらい、失敗はない。というか、お料理の好きな人みたいなできになる。どれも、簡単だし・・・(初心向きで物足りない方もいるかも)一番簡単だったのに、すごく気にいってしまったのが、サトイモの胡麻油風味サトイモは塩ゆでしてかわをむきお皿にならべる。胡麻油大匙3に長ネギ1/3を弱火でじっくり加熱して塩こさじ1をいれる。むいたサトイモにざっとかける。お好みで万能ねぎをちらす。---無断で書いてまずいかしら。。とてもおいしかった。これだけのことなのに!誰のレシピか書いてあるところもいい。もちろん、和洋中エスニックと、広がっていてそれぞれのフィールドのシェフが簡単に(←ポイント)レシピを展開。イマサラ・・なレシピも、ちょっと違った分量や方法でやってみると、面白い。・・・・だけど、最近太り気味・・・
2004年01月26日
コメント(4)
今週末もまた風邪でしたので、映画。去年カウアイに行ったとき、あれだけ絶対見ようと思っていたディズニーの”リロ アンド スティッチ”こちら思っていたような感じではずれなし。ディズニーの映画って子供むけだからか、英語もはっきりして語彙もやさしめ、わかりやすいからいい。それにしても、DVDっていうのは、字幕も音声も選べて本当に語学教材にはもってこいなのね。最初スティッチがかわいくなくて、ビックリしたけど、まぁ、ディズニーって、本当によくできていると思うわぁ。だんだん、ひきこまれてしまった。そして!もう一つが "エデンの彼方に”原題 Far from Heavenまぁぁぁぁ、これは・・・・、、、、はっきりいって、見終わった後目が点になり、見ていた私の時間を返して欲しい思った。この監督(脚本も一緒)のは、もう、2度とみたくないかも。とっても、つまらない。いろいろつめこもうとして、ぐちゃぐちゃになり、うすっぺらさ極まりない。陳腐 というか お粗末というか。カメラワークも、古い映画のマネとしか思いようがなくさらにそこへもって、収集のつかないストーリー。タイトルだけはうなずけるけど、Far from Heaven というより Far from everything とでもしといたらどうかしらん。それよりも、今日のお昼の番組に出ていた市原悦子さんが、すごく楽しく、よっぽど、このまちゃみの番組の方が、楽しかったわ!ところで、DVD 先日”SATC”のシリーズをアメリカで購入したら、見れないことが判明。これって・・・・リージョナル・コードが違うって出てくる。やられた!なんとかはずす手立てはないものか??
2004年01月24日
コメント(1)
先週末ごろ鼻風邪のようになり、週末どこにも行かずすっかり治ったと思ったのに、なんと! 昨日水曜の朝からゲリ・・・(すみません、、、汚くて)しかも、全然とまらず、夜には熱をだしてしまった。38.5こういう症状は以前にもあったので、ひょっとしてインフルエンザ??と思い今日休んだけど熱はさがっていてお医者さんにも、"風邪ですね!と言われた。風邪でよかったけど、また風邪か・・・・それにしても、水を飲んでもおなかが痛くなるのはさすがにきつかった。。だんだん治ってきてくれて本当によかった。思えば、去年はハーブティーだの、整体だの、中国マッサージだの、随分色々やっていたが、ここのところ、ちょっとご無沙汰だった。全部必要なことかは別としても、エキナセアティーやハイビスカス、ローズヒップのジャム作りとか、とん・・とやらなくなってたものね。。 また、ちょっとやってみようかな。。(そう思って、単純な私は今飲んでます。)昨日ははフランス語のレッスンの日でもあり、キャンセルしようか悩んだけど、ここのところ自分の都合で何度か休んだし、やっぱりやろうと行ったけど、続けられず結局30分で終わりにしてもらった。先生はお金を半分戻そうとしたけど、さすがにそれはできない。でも、この気持ちだけでも、うれしいよね。彼女はいつも、自分で用意したスキットをもってきてくれる。今日は私が英語のレッスンをする日だったけど、ムリだから風邪を理由に昨日電話した。悪い気持ちでいっぱい。最初からこれじゃ、いやになっちゃうよね。教えてもらう、また、教えること、何だか両方の立場でいると、感ずるところがたくさんある。健康維持も大事な責任のひとつ!なのね。そして、やりたい!という気持ちがあると、ちゃんと教えなくちゃ!って思うものなのね。というわけで、風邪はなめたらいけません。明日こそ仕事いかなきゃ。
2004年01月22日
コメント(5)
タイトルを見て、”また何か始めたの?”と思った方がいたとしたら、そんな私を知ってくださるあなたが私は大好きです。が!今日はちがうんですよ~外国人上司のつきそいで行っただけです。前回初めて体験で行って、少し言葉が不自由なのを心細く思ったのか?一緒に行ってくれるのなら!という感じでしたので、ついていってあげました。(エラソー)でも、、あんまり大したこともしなかったのだけど。結局細かいことなんて、あんまり説明できないんですよ。私もそんな言葉知らないし。 えっへっへっだから、上司が手作業に熱中している間に、先生がもってきた外国人むけ、Potteryの本を、一生懸命読んでしまいました。(日本語の対訳がばっちりついてるから、すごくいい。)陶芸教室って、一度行ってみたいと思っていたので自分ではやらなかったけれど、楽しかったです。先生が”フェニシアさんも、おやりになったら?”とおっしゃるので、一瞬そんな気にもなったけど、なんせ、私は今そうでなくてもあまり物事がきちんとできていない状態なので、それは迂闊に返事できず。でも、いいですね!ものづくりの空間というか。人々の雰囲気もとても和やかです。優しさがあるっていうか・・ね。飾ってないっていうか。手作業に熱中するっていうのは、何かマジックみたいなものがあるのかな??今日、ホテルの営業の女性が来て、新年のご挨拶。女性の担当は初めてで珍しいなぁと思ったけど、なかなかがんばっている感じのすがすがしい彼女。ちょっと今日は話がはずんだと思ったら、なんとあろうことか、"私もフェニシアさんみたいなところで仕事がしたいんです。”という。ハハーン、いつもオフィスでリラックスしててレセプションなど、華やかなことがあると、ばたばたしてて、ちょっと目には、楽しそうにみえたのかもしれない。まだ一年たっていなくて、今がふんばりどころだってわかっているけど、ちょびっとだけ息切れしてるみたいだった。私のところは、私には今、とてもあってるお仕事だと思う。のんびりしてるときは、本当にのんびり。わりとペースも決められるし、自分の分担があるから、忙しくても、気持ちよくやっていける。オフィスで一人で遅くまで残業になっても、平気。自分の仕事だってわかってるから。それよか、うるさくなくて、逆に結構。こんな具合。そんな風に話したものだから、ますますそそってしまったようだけど、私の過去もひっくるめて質問されたので話したら、ちょっと持ち直し!そうです、私にも某企業で働いていたというピュアーな?OL時代があったのでございます。上司は先生、先輩・後輩がいて、まるで学校のようなところでしたけど、本当に社会人として、基礎的なこと、かなりきちんと学ばせていただいたと思う。その後はばたいて(?)今の仕事につくまでは、それなりにチャレンジもあったわけで。"最低三年はと思ってるんです!”と、なかなかヨシ。だからね、これからの時代のことを考えて、でも、まだ若いから、そのあとは、一度ばーーんとお外に出てしまうのもいいかもしれませんよ。なーんていってみる。営業は、男と女と同じ土俵では、体力的にもきついと思う。そうでない人もいるだろうけど、そうな人もいる。見えない自分を探して、がんばっていくのもすごく大事。でも、ビジョンとオプション、、これも必要。これって、自分にいいきかせてるんですよねぇ・・・実は。緒方貞子さん、ステキですね。憧れているというのもおこがましく、もう、私にとっては宇宙人。上司が最近ミーティングをもたれたので、印象を失礼ながらお聞きしたら、やはり!!!思ったとおりのお返事でした。"世界の女性の中でも、真に、すばらしい女性だ。”と。私が不思議なのは、あの年齢の方が、若かりし頃、女性が前に出て活躍することなど、あまり簡単ではなかったでしょうに、皆に認められ、そして、強く、やさしく、リーダーシップをとっておられる。そして、ユーモアのセンスもバツグンだそうです。(必須)どうしてこんなことが可能なんでしょうか??(すっごく素朴な質問・・・・)というわけで、女性の私ですけれど、お仕事、明日も朝から、がんばりまっしょ~~!
2004年01月19日
コメント(5)
週末風邪をひいたので、心をビデオ三昧と決めた。3本の中で、一番期待していなかったというか、ふと手にした1本が、この”ムーンライト・マイル”。結婚式を間近に控えていたのに、婚約を解消したジョー。なのに、彼女は事件にまきこまれて他界してしまう。彼女の両親に解消したことを言い出せないまま、お葬式、、そして、その後も去ることができず奇妙な3人の生活が流れ始める。最初、”しまった、また、わけのわからないフィルムを借りてきちゃったなぁ。”とおもっていたのだけど、ところがどっこい!!スーザン・サランドンとダスティン・ホフマンの演じる夫婦がすごくいい。慰めにくる知人たちがくれる、"癒し系の本”を夜、暖炉にぼんぼん投げ入れてしまうところなんて、自分を見てるようで、超納得。そして、"僕らが立ち直るようにって、みんなが贈ってくれたものじゃないか。”ととりあげるダスティン。いいあってばかりなのが、バランス・といった感じのカップル。若いジョーは、そんな彼らが理解できなくて、それを察したスーザン(ジョージョー)が話だす。そのときの、話がとてもいい。というか、これまた私も少しだけ一緒と思った。結婚して31年(だったかな?)毎晩することがあるの・・で始まる。ここから先は、書かないどきましょう。見る人がいたらお楽しみだから。私も同じように思ったことがあったなぁ・・と。そんな時を、私は、終わりにしてしまったのだな・・と。そう思ったら、とてもとても涙が出てしまった。でも、いい涙だったと思う。大切なことと、それでも、続けられなかった自分と、今の私だったら、どうするんだろう・・と、そんないろんなことを考えてでも、自分にあった幸せな時間がたった一行の彼女のセリフで蘇ってしまうほど、私は実は幸福だったんだと。後悔っていうのかな、、こういうのは?もっていた大事な宝物を自分の手で落っことしてしまったのは、私だったのかしら?今の私に大事なのは、こんな大昔のことでも思い出して泣いてしまうことなのかもしれない。関連サイトはこちらへ音楽がめちゃくちゃ気にいったので、私は多分サントラ買います。 ******楽天日記の去年の分を、ざっと見てみた。2003年あっというまで、何もしていなかったように思っていたが、実は、いろいろあったのね。自分のことかと思うほどです。自己中なほんまものの"日記”なので読んで下さる方のことを考えると最近書いていいのかわからなくなってた所もあるのだけど、やっぱり、自分のために書いてみようと思った次第です。
2004年01月18日
コメント(1)
今日帰りに八百屋さんの前で、大根を買おうかどうか迷っていると、キャベツを3つももったお兄さんが。。ふと目があうと、ん?という顔をしている。で、私も、ん?と見返すと、なーーんだ、以前よくいってたバーのお兄さんだった。何年か前は自分の日常の一部をしめていたバーだったので、すっごく懐かしく、少し話がはずむ。彼ら代官山の方にしばらくカフェをだしていたのだけど、今はこちらのバーに戻ってきているとのこと。そして、結構話があうと思っていた男の子も、戻ってきているそう。一時、自分の成長とともに、客層やお店の人も低年齢化していたので、もう行かないかなぁと思っていた。だから、また、いくところができるって、ちょっぴりうれしい。"戻ってきたのね。 やっぱり、地元ね!””そうそう、やっぱり、地域に根付いた店ヅクリ”なーーんて、冗談ぽく、でも、ちょっとマジでいったりする。そこのお店は、仕事ではあわないような業種の人がわーーんといて、いつも刺激がいっぱいだった。彼らにとっては、私が異業種、いわゆる普通~のOL?なわけで、そこらへんのギャップがお互い楽しかったみたい。あんまり飲めないから、ときどき牛乳をそっとくれてたりして、今思うと、マヌケな客でした。よくいくイタメシのオーナーシェフも、たまにバッタリ道端であったり、ビデオやさんにいって、一万円札しかないと、じゃ、今度返すときにね・といって、貸し出してくれたり。バーで知り合った、ご近所のシングルマザーのお友達やその頃は朝まで仕事と飲みで、ヘロヘロになってた女の子がママになっているのに、バッタリ遭遇したり、この町に、私は根付いてきてるんだね。そんなことを感じちゃったら、ごみごみしていて空気が汚いこの街でも、私にとっては愛しい自分の街。明日も、風邪っぴきの鼻水たらりで、自転車のりまっせ~
2004年01月16日
コメント(5)
非常に月並みなんですが、やっぱり富士山は美しい。先日下田へ行く途中の踊り子号の中から雪化粧された富士山を見て、つくづく感動しました。今日実は、友人に英語を教えてとほしいといわれたので、とりあえず、テキストを一緒に見に行ったのですけど、テキストも洋書だと3000円ほどで、高く思え、NHKの英会話のテキストをとりあえず使うことに。人に教えるというのは、自分の勉強になるけれど、これでいいのかと、本当は心で思っています。とにかく、相手が不安にならないように、カマをかける(という?)のも大変です。もしも、オススメのテキストや、メソッドなどがある方は、インフォメーションください。自信をもって、まちがいなんて、そうそうないんだ!ということがわかるのが一番。しゃべってしまうのがいい!自分のフランス語も、そうやって、上達してほしいもんです。あーあ明日はフラ語、先生の都合でお休み、ちょっとうれしい自分がなさけない・・・っす。
2004年01月13日
コメント(2)
今いとこが帰国しているので、さっきまでお豆腐料理三昧、カフェ三昧してました。で、とてもとても眠いので短く強烈に印象に残ったことを。彼女のお付き合いしてる方はスイスの貴族だそうで、こんなことって未だにあるのかと思うのだけど、”aristo obligatoire"っというのか、血統を守るために国が保護しているおうちの人なんですと。絶滅の危機に瀕する動物を保護しているのの、こういっちゃなんですが、人間バージョンですね。で、この彼は、そういう自分がイヤ!らしく、農家になりたいと土地を買い、有機栽培も一時手がけたとか。でも、おじいちゃまたちの頃は、映画で出てくる白い巻き毛のカツラをつけて、頬紅を塗るようなことを、本気でやっていたらしいです。映画の”レディキュール”をごらんになった方、まさにあの世界だったそうですよ。 ビックリだぁっ女中さんがいることも隠し、全部自分でこなしているように装っても、何かあやしいと気付いた従姉妹は、”お掃除しようと思うけど、掃除機どこ?”と聞くと、(さすが私の従姉妹は平民なのです。)”・・・・掃除機??? えっと、、、どこだったかな。。”ともうわからない始末。”だって、自分で掃除してるんじゃないの?”と問い詰めるようなことは、さすがにしなかったようですが。。。一番うけたのは、農家になりたい・・と真剣にいっていながら、やすりでつめをとぎとぎし、ふぅ~~っとその指に息をはきかける彼のしぐさ。人間、ないものねだりなのね。誰も彼も・・・ちなみに、ドジな私のいとこは、家紋のはいった大事なアンティークもののグラスを立て続けに二つもわり、"君は何もしなくていいんだよ。。”と優しくキッチンにたつことを拒否されたのでした。こんな生活私にはムリだけど、3日ぐらいホームステイさせてくれないかなぁ・・と密かにもくろんでいるフェニシアです。
2004年01月05日
コメント(5)
新年明ける前に、ひょんなことから新しい携帯を買った。vodafoneを購入した友達に散々自慢?され、すっかりその気になってお店に行ったものの、よくよく聞くと、その機種は一年に一度くらいしか海外に行かない私には宝の持ちぐされっぽい。いわゆる海外でも使用可!がウリのタイプ。ぐるぐると渋谷を歩き回っているうちに、料金説明の細かなお兄さんの話し振りにAUに決めてしまった。オレンジの携帯って私っぽくないし、番号も080で始まる。登録もし直さなくちゃいけないから、めんどうかな?とも思ったけど、今までの私っぽくない、これらの項目が、何となく新年早々面白そうだな・・と思い、敢えてGO!!だけど、本当にコストパフォーマンスいいのかなぁ。あと、AUって、どうも、かけるとき、プップッが長い気がするのね。どうかしら?新年のカウントダウンのときにいじってたときなんて、ドコモはかかるのに、AUはダメとか、結構神経質になってたりして、弟に、”でも、こんな状況は一年のうちでも、今だけでしょう?”とあっさり言われ、こだわってる自分にちょっとちいさぁくなったりして。それにしても、実際問題どうなんでしょうね???CMではリアルな着メロを宣伝してたから、私はオアシスのスタンド・バイ・ミーをいれましたよ。そして、職場関係からの電話は、007にセット。ふっふっスパイ気分で仕事しちゃうわぁ~
2004年01月03日
コメント(4)
すっかりご無沙汰してしまいましたが、皆様、お元気でしょうか。一月以上も日記を書かず、しかも、最後は調子が悪くなったところで後味の悪いような途切れ方をしてしまって、失礼しましたっ。フェニシアは、元気!です。 回復したのち、年末の行事に追われ、ただただめまぐるしい日々を送り、時々、ページを開けてはみたものの、閉じてしまう目に逆らえなかった・・・のです。ごみんなさい m--m皆様、楽しい一年をすごされましたか?一番の思い出は、何ですか?それぞれの2003年、幸せいっぱいの人たち、くじけちゃいそうな辛い思いをした人たち、それぞれの一年があったと思うけど、無事に2004年の”今”をむかえられた私たち全員に、カンパーーーイ!! ですねっ新年早々、ちょっとした事件がありました。弟のお嫁さん、妊娠して5ヶ月なのだけど、なんと入院してしまったのです。でも、今は落着いていて、おなかの赤ちゃんも無事なよう。今日お見舞いに行ってお話ししたら、元気そうなのでひと安心。普段からだの調子が悪いのを理由に外に出たがらない母も、このときはさすがにフットワークが軽くなり、新年早々、親子3人で、お嫁さんのお見舞いでした。きっと、生まれてきてね。そして、来年は、一緒に、お正月をむかえたいよ~年末、話しがはずんで、携帯を買い換えました。長い間使っていたドコモから、AUへ移行したので、番号も変わるの。だからって、どうってこともないかもしれないけど、なんとなく、スッキリ。ちょっと残念なのが、階下にあったインテリアショップがクローズしてしまうこと。とても、素敵なお店で、オーナーとは、たまに言葉を交わすだけだったけど、なんか安心できる方だったから、いなくなってしまうのが、ちょっとさみしいなぁ。一期一会・・という言葉の重みをひしひしと感じました。いつか入ろう!って思っていたお店も、結局訪ねたのは、引越ししてきて挨拶にいったときと、彼がお店をたたむために、片付けているときだけ。あんなに毎日のようにあたりまえにあったあの外から見える景色も、私が実家から帰ったらなくなってるんだよね。最後にいれてもらったエスプレッソ、ちょっと苦かったです。ホロリ2004年は、どんなテナントがはいるのかな?今回は明日の夜には自分の部屋に戻り、終わっていないお掃除をするつもり。皆様、どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。いい年にしましょうぅぅっ!
2004年01月01日
コメント(5)
皆さんのところ、お邪魔もせず、自分のことばかりですみません。ここのところ、急激な熱にうなされて、すっかり寝込んでしまいました。こういうときは、夜とかやっぱり弱気になっちゃうんですよね。お薬、何年か飲まないですむようになったと自負していたのに、また抗生物質のお世話になっちゃいました。しかも、点滴・・2日間・・・あーーあ夜熱があるのに眠れないなんて初めてでしたから、何だかすごーく悲しくなって、別れた彼でもこんなときはそばにいてくれたのに、なんて、わけのわかんないこと思い出してポローンなんてシクシクしていたわけです。今は夜中の2:22。 すっかり時差ぼけになって、眠れなくなってます。ヤバイア、、明日の仕事が・・・・というわけで、眠くもないのに、またベッドに戻ることにします。フェロモンとかの色っぽい話をもっとしたかったのに。では、また明日うかがいます~
2003年11月27日
コメント(10)
以前はやった本で、"話を聞かない男、地図が読めない女”というのがあった。買ったぱなしになっていたので、今日実家へ帰る間の読書本にしたところ、フェロモンについてビンゴな気分になった。"something in the air"という見出しがぴったりのフェロモン、実態はつかめていないけれど、女性は知らないうちにそれをキャッチしてるらしい。会って3秒のうちに、自分の免疫組織より強いかどうかを即座に判断、そして、弱ければ、無視、要するに気にならないんだけど、それより強いときには"strangely magnetic"にひきつけられてしまうのだそう。ちょうどおととい友人とそんな話をしていた。私が以前、"何だかわかんないけど、突然、針がぶーーんと振れる人がいる”といったらしい。 その時は、”それでその一瞬酸素不足になり思慮深さがなくなって、わけのわかんない恋をする”というおちになり、"ヒマラヤ・シンプトン"(高山病で酸素不足になってヘロヘロになったことから)と名づけたんだけど、今日この本を読んでいたら、さらに納得。性格とかじゃない。フェロモンが自分より強い男に振れてしまうらしい。だから、時々、”どうして、この人がこんなに眼についちゃうんだろう”ってことになる。このあいだも、ある人の肩のあたり、鎖骨から腕にかけて、眼がとろんとしてしまったのである。もちろん、冷静に考えれば彼になる対象ではないのだけど、振れた!としかいいようがない。 あーーーー、私もあくが強いんだろうな・と思った。なぜなら、触れる人が、クセのある人ばかりだから。。何だか妙に納得である。私には平穏無事な日々はこないのだろうか。。いや、でも、いつかきっと、誠実でかつ、フェロモンの強い男性がきっとあらわれるわ!そう願って、今日も自分を省みるのでした。
2003年11月24日
コメント(4)
金曜日は5年ぶりに仕事の関係のイベントがあり、その準備に追われていた一ヶ月。ヨガもほとんど行けなかったし、日記もこの通り。でも無事に終わりました。よかった。さて、間が悪い・・ていうのは、本当にあって、このイベントだけに集中したかったのに、続々とハプニングがあり、途中からはもう、わけがわかんない状態。 車は事故るは、オフィスの保険はきれるは、休日にはいって、わざわざ自宅のファックスを伝えて待っていたら、カーボンがきれるわ。しかも、車の保険も来週にはきれてしまうというのに、全然戦おうとしないやつということが判明。まいった!そして、もう一つの保険やは、夜逃げしたらしく、赤坂の事務所が燃えたそう。 これはもう、絶対やらせらしい。怖いですねぇ~~私にしてみれば、この保険や親子の母のほうとのやりとりしかなかったのだけど、彼女は70近くなっても現役をしりぞかず、最後は少し口元も震えていて、見てるほうが辛くなってしまう感じだった。 なんか、息子のせいで、こんな閉め方になったのだろうから、本当に気の毒である。なんとか、無事でいてほしい。終わったあとは友達のいる別のイベントにいって、そのあとは、久々オオノミした。いやぁぁぁよく飲みました。ちなみに今まで私は絶対スカート派だったのですが、今回のイベントでは、ブラックパンツスーツにフリフリの白のブラウス、そして、黒髪に、巻き毛で、久々会った知人に、オスカルといわれました。悪い気しないわ。 最近ちょっと女捨ててたしなぁ~それでも、やっぱり、何かを集中してやってるときって、いいね!と思ったのでした。
2003年11月23日
コメント(2)
金曜日に知り合いのキューバ人が日本を去るというので、さよならパーティに行ってきた。友達というほどのつきあいでもなかったが、(周りのラテン人とはあまりにも自分とかけはなれた感覚と常識のもちぬしのため(お互い)、わたしは、あっさりつきあい、細く長く笑顔であいさつできる距離感を保っている)、やっぱり3・4年も知っていれば、さよならぐらいは言っておきたい。そんな彼が最後にちょこっと挨拶をするとき”3つ、日本から去ったら、なつかしくなるものがあります。”といった。そのうちの最初の一つがティッシュペーパーだったのだ。あとの一つは私が忘れて、もう一つは彼は言わなかった。テッィシュペーパー・・・ 本当にねぇーーー 日本にいると、そんなものがあるっていうことを忘れるぐらい、当たり前の、空気一歩手前ぐらいのものなのにね。。キューバ帰ると、手にいれるのたいへんなんだろうなぁ。そういえば、インド行ったときも、持ち物確認のときに、いつもまず、ティッシュ!!と思ってたっけ。でも、旅行じゃなくて、今度は帰るんだものねぇ。なんだか。。 ”みんながキューバに遊びにきたら、配給制のチケットでウォッカを手にいれてごちそうします。”と冗談ぽく言ってたけど、多分これも本当なんだろうな。うーん、ディープだわ。 配給制か。。実はこの話を聞く前に、ふと渋谷の109の左どなりのビルの上に”エリエール”の大きなネオンサインを見て、”やっぱり万人が必要とするものなら、会社つぶれないよな”なーーんて思ったばかりだったのだ。だから、ティッシューな一週間だった。 ふふキューバは訪れたことはないけれど、サルサの仲間うちでは、何人か行った人がいて、皆楽しんできているようだ。私は今ひとつその気になれないけど、多分いつか行くと思う。私の知っているコミュニティーの人たちは、ある意味でどうしようもないところもある人たちだと思う。問題も多いし。日本人の女性と結婚しても別れるのはあたりまえだから、客観視している側としては、またか・という感じである。でも、それぞれにはそれぞれのドラマがあって、わりと憎めなかったりする。悪気っていうのが感じられないから。何だか本能のままに行動してしまって、収集つかなくなってるよ!っていう、そういう感じなのである。 人間くさいとでもいいましょうかね。そんなわけで、去り行くいく彼に幸あれ! バイバイ
2003年11月16日
コメント(5)
というようなことがどこかの新聞のサイトに書いてあった。最近ヘナで頭(スカルプ)の調子がよくなってから、やはり自然のものはいいのかも?とちょっと興味がわいている。今虫さされが全然治らないので、ティートリーのエッセンシャルオイルなどをつけてみている。(まだ治ってないけど)先ほど友人にそれを話したら、”やっぱりねぇ、虫刺されが治らないのは年齢・・・”といわれ、ショック。きっとそうなんだろうなぁ。。 シクシク今日渋谷でフランス語のレッスン。モチベーションはさがったままで行ったけど、私はサンドリン(先生)がすきみたいで、彼女のレッスン中は気持ちがリラックスできる。というか、よく笑える。 なんか、マンガから出てきたような人なんだもの。その後渋谷でゴルフのグローブを探したけど、全然見つからない。そして、ふとタイセイドウという以前よく行っていた本屋にフラ語の問題集を買いにいったら、なんと、売り場が減少していた。人もいない。世の中って厳しいんだなぁってつくづく思ってしまった。あの本屋にいけば、語学教材はづらり!と思っていたので、ショックだった。が、そういう私も、最近ではブック○○ばかり行って、こちらは何年ぶりに訪れたのだから、そういうことなのね。。今2時。実は帰宅したばかり。今からお風呂でっす。本日はWeledaのラベンダーバスミルク~同社のローズクレンジングミルクにサンプルがついていたの。このクレンジングミルクは、香りとやわらかさが、たいへんお気にいりでござる。
2003年11月12日
コメント(7)
急に冷えたからかなぁ、、実は今日オフィスで急におなかが痛くなりトイレから15分ぐらい出られなかった。(そのあとは、ケロリと調子がヨクナッタ^^)さて、本日も無理やり仕事を終わらせて帰る。実は先日マルキュー、そう!あのコギャルのメッカ109のある店で衝動買いし、その後家でやはりこりゃはかないな。と、心を決め返品しにいった。オネエサンに、”あの、、、すっごくステキなんだけど、どう考えてもやっぱり私、はかない・・のね。”というと、あっさりわかってくれて(!?)返品はだめだけど、交換はできるというので、ジーパンにチョイス。かなり凝ったデザインだけど、わりと気に入ったデザイン。ファスナーが前つきポケットのところまで、ぐわーーーっとはいっている。 よし! 体型改定だ!TARZANでは、また特集してるみたいだから、立ち読みするか!ぴたっとはるだけのツケヅメを試したら、見た目はきれいだけど、つっぱり感がすごい。 あとは、はがしたときに、つめがどうなっているかが、問題だわ。先ほどビデオでエディ・マーフィのプルート・ナッシュを見る。まぁまぁ。。 ふつうに面白かったけど、見なくてもいいかな。今日は本2冊購入。カフェについてと、”痛快!心理学”という本。後者はいろいろな痛快!シリーズが出ていて、雑誌のような本のような? 私のお風呂本に決定。では、今日は今からオレンジ・フラワーウォーターいりのお風呂にはいります。
2003年11月11日
コメント(0)
今日は恵比寿で友人と食事。○○楼というところで初めて食べた。名前を匿名にしてるのではなく、忘れただけで、参考にならず期待してる方がいたらごめんなさい。フカヒレのそばが非常にうまい・ということで出向いたが、何だか雰囲気超レトロだし、ちょっと高そうな雰囲気。ウェイトレスは今時昔のメイドさんのかっこだし、これこそ、仮装?という感じ。お客も、濃い。目に付くところのおばぁさまたちなんて、髪ゆいあげてる。結局、青菜いためと餃子、そしてフカヒレ姿煮のそばを注文。この餃子が、ひじょーーにおいしかった。多分今までに食べた中で一番おいしかった。餃子もちといってもいいのではなかろうか。皮がほんわか厚く、もちっとしていて、中身もぷりぷり、たれも濃からず、薄からず、酢をとばしてるといっていた。 大満足。 今度名前覚えてこよう。フカヒレそばは、まぁまぁ。そばで、色白のきれいなOLさんが3人でおそらくフカヒレのそばを食べていて、”あんなきれいなら、いらないのに”と思いきや、”きれいな人はもっと!と思うものなのよ。”と友人に言われ、納得。本日はとりはずしのできるフレンチネイルの付け爪を購入。最近指先がわびしくて、労働者になっているのだもの。(いや、まさにその通りだが。。。)さて、どうなるか。仕事で疲れ、外見がさえないと、こういうものをやたらと買い込んでしまう。うっ・・髪の黒くなった私を友人は地味になったといっていた。 私はといえば、やっぱり、気にいっている。アロマのお風呂は海の塩にラベンダーとゼラニウムを混ぜて。かなり気持ちのいい香りだし、肌もしっとりする気がする。よい一日でした。
2003年11月10日
コメント(6)
実はさっき、日付を確認してびっくり。最後に日記を書いてから、なんと10日ぐらいたってました。 ひゃぁぁ~~最近仕事がめずらしく忙しかった。(誰にいいわけをしてるのでしょうか。。)そんなときに限って、楽しみにしてたこともいくつかあって、もう、仕事をするときの眼が殺気だっていたわたし。 どなたか、”アクセス”得意な方いませんかぁぁぁ??? データベース。 私はこつこつ型ではないので、必要にせまられてやると燃えるのですけど、やっぱりこんなときは、知ってる人がそばにいたら、一時間かかったところも、ものの5分だろうな・と思うと、肩の凝りが倍増しちゃう。ダイジェストとしては!1. ハロウィンパーティこれは、軽い気持ちで行こうと思って友人に"別に仮装なんてしなくてもいいんでしょう?”とメールで確認したら、”せめて帽子とかめがねっぽいのとか、それくらはしてほしい”とちょっとビビルような連絡があったので、あせってしまい、友人とアイテムを探すことに。こういうときの女子だけのショッピングって、すっごく楽しい~~!当日仕事をむりやり終わらせ、渋谷のデパチカにある、"ダンス用品激安ショップ”にたちよると、なんと!赤い羽根のついたふわふわのはおりものとタンクトップが激安であるではないか!!しかも、赤のパンツは1000円。Lで大きいけど、縫えばなんとかなる!と購入し、家に帰ってちくちく裁縫。前日買ったデビルのセット(つのとしっぽと仮面)をつけて、夜には真っ赤な悪魔になって夜の六本木にこそこそでむく。いやぁ~~ 楽しかった。みんないろいろ。ヨーダもいたし、さむらいもいたし、友達は、手作りで、トゥームレイダーのかっこしてた。100円ショップで買ったピストルを足にぐいっと差し込んで。 やっぱりこういうことにお金をかけすぎてはいけない。フェニシアちょっと反省。(このデビル姿、ちらっと公開中~ ^^)2.ワイン祭り (日仏学院)非常につまらなかった。30分いるのが精一杯で、自分がかわったなぁとつくづく。どうもあの雰囲気苦手。どんどんしらけていく自分を感じて、友人夫妻とビールを神楽坂で飲む。(最近ビールが大好き) 遅くなると内輪でパーティのようになり、そこで、先生たちやその仲間でわいわいやるから、こないかと電話あったが、これ以上どっちらけたら困るし、翌日のパーティの準備があるので、帰った。3.その翌々日は、わがやでホームパーティ。今回は知人にケータリングを少々頼めたのでだいぶラクだった。が、そのお皿を部屋に運ぶとき、雨にぬれた路地ですってんころりん。 皿をかばうために、半身べっちょりぬれて、大転倒。が、なんとか、お料理は無事であった・・パーティは、旧友と新友。 友達のいとこの男子が、大変ユニークで、びっくりした@@; 大変なマイペースである。スニーカーの色が左右で違ったし。。かたや、旧友たちはある学会の話でしばし盛り上がっており、何だかぐちゃぐちゃである。みんなが帰った後、料理がすごく残ったので、別のイベントに行っていた友人に電話をするとやってきて、また2次会のようになり、たいらげてもらった。 なんか、いろんな人がきてくれて、幸せなお部屋である。 4.連休の前の金曜に早く帰ったため、激務に追われた週ということで、先週は仕事オンリー。幸いにも残った食事を冷凍していたり、野菜もたっぷりあったりで、料理もラクだし、きわめて良好。ただ、ヨガにいけなかったのが残念。フランス語はもちろん、キャンセルした。あの祭り以来、さらに、モチベーションがさがっている。先生は好きだけど、彼女も外見はアジアンだしなぁ。5.金曜にひさびさゴルフのレッスンというわけで、○年ぶりにクラブを握った。 これについては、また書くこともあろうかと・・・6.そして、ジムを退会ダイエットはある程度軌道にのってきたので、そろそろいいかな。だいたいここ2ヶ月ぐらいほとんど行ってなかったし。そして退会すると、なんとXAXカードを持っていれば、クーポンで月2回は1000円で利用できるのですって。もっと早く教えてほしかった。。今まで毎月12600も払っていたのに。。(と細かい表記)そのあと、ヨガ教室まで自転車でいけるかちぇっくする。 坂がないので、なかなかいけそうだ。片道35分ぐらい。これから寒いから、それが問題だけど。7. ヘナ第2弾今回はヘナとインディゴをわけて計5時間。本当に真っ黒になり、後日、”つやでてる”といわれる。”8. タクシーIIIやっぱり面白い~~ 単純に笑えますわぁ~9.本日、実家への往復中に、”trick劇場版”を読む。私、このドラマ好きなんだけど、本もとても可笑しかった!!一人で電車の中で笑っていたのは、わたしです!そうだ、今日友人から"結婚する”との電話あり。 以前日記に書いた、お父様ががんになってしまった彼女だ。本当にめでたい。 友達の中で彼女の結婚ほど、うれしかったことはないかも。 ちなみに、お父様もあと3ヶ月といわれていたのに、今では自宅療養だそう。 私は彼女の熱意の賜物だともちろん思っている。そんなすてきな彼女に幸せがきたことに、神様ってやっぱりいるなぁって思うのでした。
2003年11月09日
コメント(3)
恐らく2年ぐらいのっていなかった自転車。何を思い立ったか、昨日いそいそとクリーニングをして、タイヤに空気をいれ、恐る恐るのってみた。少しきぃきぃ鳴るが、なんとか大丈夫そう。最近そういえばこれまた思い立って、こちらは5年以上は触れていなかったミシンを出していそいそズボン(!)のすそ上げをした。そのときに使ったミシン用油を手にもち、どこに差していいかよくわからないので、適当にさしてみた。きのうはビデオをかりにいき、今日は朝持参するをのを忘れたので返却するために乗る。 そして、ついでなので、どんどん中目黒まで乗ってみた。時々中目黒から歩いて15分以上の道のりを夜遅く帰ることがあるのだが、つい最近それで恐い思いをしてしまったのがトラウマになり、もう歩くのがいやになってしまった。おかげで前回はタクシーに乗るはめになり、それもあって、自転車復活を密かに考えてはみていたのだけれど・久々に風をきると、素肌に冷たい空気がふれて、すごく気持ちがいい! ジムで動かない自転車をこぐのとは、全然違う。 景色がかわるし、なんといっても、この動いてる感じがたまらない。以前はオフィスまで45分くらいかけて自転車で行っていた。あまりプラクティカルでないのでやめたけれど、近場のお買い物などには、これからどんどん使える。これだけで、今日はまた、うれしい気分!それになんと、走っている猫がどうやらネズミ?をくわえているのまで見てしまった。 こんなマンガみたいな風景はじめて!っと、一人愉快な気分になってしまったりしたのである。-------憧れの女性について、色々な見方でおもしろいなぁと思いました。非連続で書きたいと思います。(せっかくテーマ・なんてやっちゃったし)-------今日はヨガだった。三点倒立ができるようになってうれしい! 何で、こんな一見地味なことが楽しいのかと思ったら、だんだんできなかったことが、できるようになるから?かなぁ。 やはり、肌は前よりきれいになってきた気がする。
2003年10月28日
コメント(4)
今日は久々の友人とお食事。仕事の話、近況、インド話など、話題は耐えない。そんな中で、私は自分の性格や、話し振りを客観的にみてみる。最近つくづく思うのだけれど、ステキな女性になるために、話し方や振る舞い、笑顔、声のトーンなど、私は少し、改造してみたいなぁ~なんて思ったりしている。先日あった、ちょっとガラガラくずれた傷心から得た教訓もあり・・・それでですね、思ってみると、私には具体的な像がうかばないんです。 この人は素敵だなぁって思う人は何人かいるけど、結構ずれてる気がするの。実は実は、告白すると、小さいときに”カトリーヌ・ドヌーブ”を見て、美しいと思ったのが女性像をもった最初。どの映画かどうかも全然わからないけど、幼心に、"きれいな人だぁぁ”って思ったのでしょうね。母もそういった感じが好きだったのだろうと思う。だから、隣に座ってみていた私がいたのだろう。今も、低い声で話し、皺も隠さない彼女が好きだけれど、彼女をイメージして自分を改造しようとするのは、少し具合が悪い。年齢も、外見も、環境もちがいすぎるし。だいたいもとも違いすぎる。あんなステキな上司がそばにいてくれたら・・と思うことでよしとしよう。。それで、質問なのですけれど、女優さん、シンガー、どんなジャンルでも問いません。もしも憧れる女性が、またはステキだと思う女性がいらっしゃったら、教えてください!メンターをもつことで、自分らしさにプラスアルファができたら、ステキかな・・なんて!。
2003年10月24日
コメント(5)
ネットワーク・ビジネスについて皆さんからのメッセージや、例の"睡魔”などをもとに、自分なりに整理してみました。ある商品を、知人、親戚、友人から買うこと、これは別に普通の行為だと思います。その方の勧め方にもよりますが、購入する人が気に入ったならば、お店で買おうが、隣人から買おうが、それは自由。ネットワークの違う所は、実は商品を勧めている人は本当は、売ることよりも、”売り手になってくれる人”を探しているということ。 例えばAさんは私に商品を勧めるけれど、本当はその先の売り子さんになって欲しいわけで、”こんなにいい商品でみんながハッピーになれるものを、フェニシアさんも回りに紹介したら喜ばれるわ。そして、副収入にもなるのよ"的なことを言い、ちょっとでも興味をしめすと、まずは名前を登録させるとか、セミナーにつれていくとかそういうことをするらしい。それもよかろう。では、何がヘンなのか?それは、私が売り子になると、私に少しの儲けがそれなりにあったら、その私の儲けのまたもう少しが、このAさんにいくということ。これは、まずい。まずいですよ!はっきりいって。”お互いにハッピーになるわ!”というけれど、このときにすでに立場はイコールではないのです。友達だったAさんが、私が売れば売るほど儲かる。私は彼女の金づるになる。お互いに売れるんじゃなくて、彼女の儲けに貢献させられている・・という構図。これもわかっていれば、よろしいけれど、私は絶対いやですね。例えばお店で働いてるとして、自分があとからはいったら、先輩より給料やすいかもしれないし、店長は全体の%でもらうとしたら、売り上げに貢献する店員なんて、売れば売るほど店に貢献するわけで、それだって、フェアじゃないじゃないか!といわれそうだけど、そうではないっです。何故かというと、お店で働いてる場合、自分ができると思えば、"給料あげてくれ”と言うか、申し訳ないけどだらだらとしていて全然働きのよくない先輩がいたら、自分が昇進して立場を逆転させるとか、そういうことも可能。そして、自分に自信があって店に不満なら、店をかえてもいいじゃない?だけれど、ネットワークの場合、自分ががんばればがんばるほど、自分を紹介してくれた人に、利益は絶対流れていくわけですね。どうしても、くずせない構図ができている。それは、最初に決まっている。そんなの、友達同士だったら、やっぱりできないわ。物やサービスを友達に売って利益を得るのは”自分が働いたこと”への報酬だけど、友達を”働かせて”その上前をもらうっていうのは、ちょっとできない。要するに全然自由競争ではない気がする。年商についても、1000万、2000万(さらにもっと)といってますが、それがずっと何年も続くかというのはちょっと疑問。よほどうまくやっていけば別だろうけど。年商の半分が在庫や経費?などと考えるとねぇ。 商品のバラエティもア・・なんかはいろいろあるみたいだけれど、たいがいは数種類の健康食品なんかだったりする。こんなにマーケットにあふれているご時世、どんなによくても、誰でも目移りするでしょう。だから、同じお客さんが、その製品を何年も使い続けるっていうのは、あるかなぁ~~***** 首相、元首相 ******中曽根氏、宮沢氏 の定年制でもめて?いらっしゃるようですが。私は、こういうこと、ほんとーーーに深く知らないのに言っていいのかわからないけれど、書きます。"若い世代にゆだねたら・・”という世論や主張も以前は”そうだなぁ”って思ったけれど、最近のニュースを見ていると、このお二方がとてもやめる気にはならない・というのがわかる気がする。おやめになっていただいて・・という前に、お前たちに任せると言われるような努力をされてるんでしょうか??? 首相。いやぁ、やめられないでしょう。日本の未来が不安で不安で。政治家・・ というのは、やはり職業ですから、こういう大御所がいなくなったら、いったいあと、誰が残るんだろうねぇ??と思いますけどね。 どこへいくのか永田町。
2003年10月23日
コメント(3)
昨晩、ちょっとガックリきてしまった。帰宅後日記に書いたのだけど、朝みたら、こっぱずかしいので消しちゃいました。短く書くと、恋した気持ちがガラガラと・・っていう感じだったのですよね。。やっぱり、世の中自分の思っている通りにうまくはいかないこともある。 そういうときに、心がガラーーンってしちゃうこともある。 シュン・・・だから今の気分は、ケ・セラ・セラwhatever you’ll be will beThe futures are us to see (とか、そんな歌詞だった気がする。自信ゼロ)ちょみっとさみしい気分だけど、この言葉を胸にきざんでまっす。*** 話は変わって****ネットワークビジネスについて、色々な感想を皆さんにいただいて、すごく勉強になりました。ありがとうございます~。これだけ、色々な方が、身近に体験されているんだということを改めて実感しました。もし、そのようなことでまた??な気分になったら、日記にリンクされている掲示板の皆さんのメッセージを是非お勧めします。 さまざまな対応とか感じるところが書かれていて、かなり勉強になりました!! やっぱり、楽天て、いいですねーー。細々とでも、続けてよかったわ。
2003年10月22日
コメント(3)
ネットワーク・ビジネスとは、なんぞや??私はこういうことに、てんで弱くて、ネズミコウとか、マルチとか、名前は知っていても、どれが違法なのか、どこまでが許されているのか、知り合いに延々話をされると、いったいどこが悪いのか、、、どんどんわからなくなってしまう。以前も日記で書いたことがあるか、最近ある友人がいわゆるネットワーク・ビジネスで活動している。以前にも習い事の先生がア○○ェイを熱心に勧めていて、少しは割引になるという会員にお金を出してなったことがある。そんなにたくさん買いたい商品があるわけでもないから、割引になるといっても、払った会員費分には絶対ならないだろうな・・と、まぁ、仕方ないからつきあいでなったようなもの。払った5000円は、これ以上うるさく言われないための税金のようなものだった。けれど、そこまでが限度なので、私は”人に物を売る仕事はできません”といって、それ以上ランクアップすることは断ることができた。よくいわれていることだが、新興宗教のようなものだから、彼女たちはどこかで、真剣に何かを信じている。マニュアルのような本をもち、私もア○○ェイの本なんかは読んだが、読んでいる分には悪いことは何も見つからない。友人は現在別のものでやっているが、それも、商品自体悪いことはないのだろう。そして、彼女も本を持ち歩き、セミナーに毎日のように参加している・・らしい。それにしても! 私がはがゆいのは、どうして、彼女たちに、”それはおかしぃ”ということが、論理的に言えないのか・・ということなのである。生活するのに物を買うなんてことは、当たり前のことで、それをたとえ、マージンが友人にいくからといって、何が悪いんだろう??と一瞬思う。品物さえ気にいっているなら、逆に知人から買った方がいいではないか??・・・でも、何かが違う。何か、自分はそこにはいってはいけないと感じる。ま、多分話を持ちかけられる人の97%ぐらいは、そうだろうと思う。 私は、もともとの好奇心と理屈っぽさが災いして、自分の中ではっきりと”こうだからだめ!”と言えないことで、イライラした気持ちをもってしまう。今までも、こういうことがあるたび、友人やオバに"何がいけないことなのか?”と聞いてきた。けれど、どれも、すっきりとさせてくれる答えではなかった。そんなとき、本屋さんでぶらぶらしていると、ヤン・ソギルの"睡魔”というタイトルの本が目についた。あらすじを読んでみると、なんと、健康マット商法にのめりこんだなんたら・・と書いてあるではないか!! しかも、金に目がくらんだ男女を狂わせる完璧なシステムとマインドコントロール!とまで。(←写しました)おもしろそう~~~~~まずは読んでいる本があったので、同じようにネットワークの話をもちかけられたイケメンの友人に"先に読んでいいよ”と貸すと、3日後に鼻息荒く?メールがきて、”いったんはまったらぬけられない蟻地獄の世界でしたよ。”と書いてある。 きゃぁ~~~!!なになに?? と、今度は私が鼻の穴をふくらまして、本を返してもらうことに。そして、読み始めてみたら・・・もうね、これは読んでみてください。興味のある方は。これを読んで、やっと、すっきりと、”絶対やっちゃだめだね。”と心の底から思えました。これのいいところは、本人が疑いの目をもっていながらも、はまっていってしまったところ。あと、ネットワークに関係なく、私が日ごろからこれも、ちょっと懐疑的な"超ポジティブ・シンキング”もメスがはいったところです。やはり、バランスは大事。そして、おいしい話はありません。友達もおいしい思いをしようとしているわけではないのだろうけれど、(実際彼女は仕事もやめてしまったし)ほとぼりが冷めた頃、この本を読んでみるのもいいかもね・と思う。ただ、今は、これを読んでも、わからないだろうな。マインド・コントロールとは、そういうことなんだろう。やっぱり。私が一番忘れられないのは、啓発セミナーの少年の改心のシーンと、その後彼に何がおこったか・・・というくだり。読んだ方は、感想、教えてくださいね。
2003年10月20日
コメント(8)
昨晩のヘナ髪染めの結果をご報告。一時間おくところを、私は2時間以上はおいていました。木藍(インディゴのようなもの?)がはいっているので、酸化させるため、ビニールパックは厳禁。タオルでまいてビデオなど見ていました。風邪ひかないように、ヒーターもつけました。お風呂で染料を洗い流し、軽くシャンプー・と書いてあったけれど、染める前にしたので、あえてしませんでした。ここまでナチュラルなものできたので、抵抗はあったのですけれど、いつも使っているトリートメント剤をつけました。そうでないと、キシキシして、恐ろしいことに。その後はイオンドライヤーでかわかし・・・色は見事に毛先が黒くなっていました。初めてのわりには、かなり上出来だと思います。今朝ホットカーラーで巻いてきたのですけれど、いつもより、格段にしっとりしています。 ビックリ!そして、一番よかったのは、普通カラー剤をつけるとピリピリするのですけど、全然それがなく、ぬっている間中、逆に気持ちがいい感じ。そして、今日の頭皮はやけにゆるいんです。 匂いも、薬草が苦手でなければ、OKです。 私は逆にリラックスできました。(だから頭皮がやわらかくなったのかも。)ヘナは薬草なので、カラーリングしても、痛むどころか髪質が落ち着くそうです。最初はキシキシ感があったり染まらないと書いてあるので、全然期待していなかったのだけれど、もう充分の出来で満足。残ったパウダーで、また早速来週、今度は髪の滋養強壮剤として使おうと思います。以前は、オーガニックとか、ナチュラルとか、あまり興味なかったのですけれど、こういう風に意識してみて、すこしでも違いがわかると、やっぱり、自然でいることって、気持ちがいいんだなぁって思います。話は変わるけど、インドに行ったとき、何も食べられなかったときに、お水だけがいつもとてもおいしかったのが、今でも忘れられなくて、食べ過ぎるとき、それを思い出します。帰ってきてから思うのは、食の誘惑がものすごい!っていうこと。 お店も、雑誌も、レストランも、もう、とにかく凄くて、試さずにはいられなくなってしまう。そして、また、これらのものがおいしい!!一人暮らしだと、特に顕著。最近友達を家に誘うようにしています。そうすると、何か野菜やお味噌汁など、作らなきゃって思うし、やっぱり一緒に食べるとおいしいもの。というわけで、痛んだ髪→ヘナ挑戦→自然ものに興味をもつ→健康→ハッピー という風に思っている私は、単純すぎますかね??
2003年10月17日
コメント(6)
あ~ 髪は女の命とはよく言ったものでございます。藤原紀香のヘアスタイルに憧れて、初めて本気でヘアサロンを予約した数年前から現在に至るまで、私の髪は酷使され続けていました。一番悪かったのは、あれ!あれですね、縮毛矯正。悲しい全部で5回ぐらいかけたけど、最後はもう、さらさら感なし。しかも、ダークブラウンはだんだんとブラウンになり、忙しくて手入れを怠ると、おそろしいプリン状態に。いくつかのイベントにもそんな頭で行っていたらしく、大事な写真にうつる私は、プリン頭のロング・センターパーツ。。インドから帰ってきてから、本当に気分は"黒髪”で、今までは気にも留めなかった人の黒髪が、とてもとてもステキにみえる。ハァーーーーーっ。。。ため息。私の髪は加えてウェーブを作るためのパーマで、もう、見るも無残なお姿。でも、ここで健康な髪にするためにバッサリ切る勇気もなし!・・・とこんな私に、mika猫さんが、センジュホリックサンという方のサイトを紹介してくれたのですよ。そこには、インドからHPを発信している日本の方のヘナ情報が満載されているサイトがさらに紹介してあって・・藁にもすがる思いの私は、その夜、画面に釘付けになって読みました。ヘナについて・・何だかちょっとめんどくさそうだけど、髪にはものすごくよさそう!!!!あーー、もう、こんな髪でいるのは、女を辞めているような感じだもの、すぐにでも試したい。それで今日ロフトに行ったら、あるある、ヘンナコーナー。とっても色々な種類が。中でもサイトでお勉強したハーブがぎっしりはいっている天然素材のみのパウダーヘンナ、ナイアドさんというところのものを購入してみました。で・・・今実はたいへんな思いをして頭に塗り塗りしてやっとタオルにくるんでいるのです。 だから、実況中継。ヘナと木藍で黒に近いブラウンになるはずのものをつけています。このサイトを読むと、髪を洗うものも天然のものにしなくちゃ!という気になり、もう、すみからすみまで、シャンプー売り場を見ました。で、結果、今回購入したのは、 ** Tom’s of Maine ** のナチュラル・シャンプー、アロエとアーモンド。友人に、成分は少ないほどいい、パラペンを除いて3品ぐらいがお勧め、と、聞いてから、私はいつも成分チェック。 全内容: 水 (←水だって!!)、 ラウリル硫酸 ココベタイン、グリセリン、ラウラミドDEA アロエベラエキス、ローズマリーエキス クエン酸パッケージがちゃちいプラスチックなので”なんだか、1200円は高いかなぁ”と思ったけど、よく読むと、リサイクルしたボトルを使用とのこと。 (ちなみに、アメリカのお徳用サイトでは4ドルぐらい、、うーーん)肝心の使用心地はというと、なかなかいい!あまり期待しないとこういういいこともあるのね。香りが、まず、好み!泡もナチュラルっぽい。すなわち、やけに泡だつという感じではない。もう一種類ベビーシャンプーがあった。コンディショナーはなし! (これがまた、ナチュラルっぽい。)というわけで、まだ頭はヘナで状態。いったいどうなるかなぁ。結果はまたのちほど・・
2003年10月16日
コメント(3)
なんてタイトルにしていいかわからない。最近知人といったらおこがましいけれど、以前少しお世話になった方が本をお出しになって、世間で物議をかもしだしている。これで、むむ?と思った方がいたら、かなり○○通。私は自分の人生そのものが、"河の流れにのってゆらーりゆらり”というタイプなので、そもそも、今の仕事もそれに関わる人も環境も、自然にそうなったということだらけ。だから、平凡な私の周りに、こんなことが起こると”なんだかすごいことになっているんだなぁ”というのが、臨場感をもって味わえたりする。 (あくまで、外の事だけどさ)(で、日記なんだから、はっきりこの本!って書けばいいんだけど、やっぱり控えておきます。もしも、万が一、お知りになりたい方がいたら、私信にてご一報ください)私は読みながら、その方や、周りを取り囲む人々環境を思って、時には驚き、時には大笑い(不謹慎ですね)しながら読んだ。 作者は、本当に、思い切ったことをされたと思う。賛否両論はもちろんありで、本事態急がれたか、随分とトピックにばらつき感はあるのかもしれないけれど、長い間ひた隠しにされていた部分に大いに日があたったことは、長い目で見て価値があると、私は思う。恐らくたたかれる事の方が多いだろうなぁと思う。これから、どうにでもうやむやにされることもありだろう。でも、そういう人がいたこと、そして、その陰の部分に一瞬でも日があたったこと、あてようとした人がいたことは、長い時間の流れの中で紛れもない一点になる。そうやって、すべての空間の流れはつづいていくことを思えば、やはり、あるべくしてあったことだろうと思う。ご本人の色々なジレンマや苦悩は、筆舌に尽くしがたいだろうが(とはいえ、筆にしたためたわけか・・・)私はやはり、奥様やお子さんのことを考えると、また、ご本人のご家族を思う気持ちのことを考えると、そんな風にご自身や自分の大切な者たちをある意味犠牲にしてまで、ここまでやったか・・と、なんともいえない気持ちになる。(ちなみに、奥様は、ご主人以上に好感度"大”のたいへん気さくなレディーで、私としては、この業界では、あんなにきどったような人ばかりなのに、おめずらしい!!と感嘆したのです。)よく子供の時に言われてわからなかったことがある。”けんかは大人になるとできなくなるから、子供のときにいくらでもしとくんだ。”という言葉。どうして、けんかができなくなっちゃうの??と無邪気に、本当に無垢な気持ちで思っていた頃がある。今は、痛いほど分かる。うまくいえば、とか、立ち回りをよくしておけば・・とスマートさを口にしだす。それも、もちろん、大人の処世術として大事ではある。・・・けれど、それではどうにもならないくらい、大きな組織が歪んだとき、とんでもない非常識と思われる反発があっても、それは、あるべき"点"なのじゃないかしら。その物自体の質が良いかどうか、正しいのかどうなのか、などということは、私には到底ジャッジできないけれど、ある一人の人間が、精一杯自分の信じていることの為に行ったことは、やはり、私にとって尊い。
2003年10月14日
コメント(3)
今日は何年ぶりかに友人が家族でオレンジの新車に乗って遊びに来た。 最後にあったときは赤ちゃんだった2番目の男の子がもう3歳。 子供の成長に、月日のたつのが早かったことをいまさらながら気付かされる。上の女の子は6歳。今はバレーに夢中なのだそう。 私の友人はアメリカ人の8歳も年下の男子とできちゃった結婚をし、今ではなんと、3人目がお腹にいる。すごいことだ!!!だんなはまだまだ大変若いけど、なぜか落ち着いている。10代の頃から知っているが、音楽などの好きな趣味はずっと大事だけど、いわゆる夜遊び系の"遊びたい心”はゼロの人。加えてワイフは、出産するともとの体型にもどし、あいかわらず、ヘソダシだってしちゃうわよ・ぐらいのファッションである。 (さすがに今は妊娠中なのでそれはなかったが。)ま、彼女もかっこはファンキーでも、何故か中身は異常な硬派である。そんな二人の生活ぶりは、きわめて実直で、この若いだんなは、彼女が最初に妊娠したときに、"子供が小さいうちは自分がどんなことでもするから、絶対外にでて働こうなんて考えないで。”と、言い続けていた。実際、若すぎたし、日本で仕事をみつけるのはかなり大変だったのだけれど、(彼は彼女の為にわざわざ日本に越してきた)今では立派に一家の主である。 そして、日本語もベラベラ。電話なんかだと、外国人とは思えない流暢さ。とりわけ気負ってる風でもなく、よく笑い、妻はチクチクうるさくしていて、"私が口うるさく言い続けているから、彼はきちんと行動が保ててるのよ”ぐらいに言い、夫は笑いながら聞いている。 しりにひいてるようで、実際はどうなんですかねぇ~~。 何だか見ていて、可笑しくて、ゲラゲラ笑ってしまった。いやぁ~~ 立派です。本当にリッパ!!今日は娘をいれて、それぞれにカラーセラピーをしてみた。特にダンナの方は、仕事のことを含めて、念入りにやったらえらく気にいってくれたみたい。 ”もっとどんどんやった方がいいよ。 手相占いなんかより、ずっと面白い。”と興味をもってくれたようで、何だかよかった。それにしても、ハーフはかわいいなぁ~~娘ちゃまの方はバレリーナになりたいらしく、きれいなお顔に立ち振る舞いもエレガントで、わたくし、養女にしたいくらい。"ママに全然似てないわ~”なんて、思わず言ってしまう。へっへっ二人ともガッチリ日本語しかしゃべらない所が、またアンバランスでかわいい。 あまりのかわいさに頬がくずれっぱなし。チュッ、チュッ、チュッ って感じ。今日は娘ちゃまから、私をかいてくれた絵とお手紙のプレゼントをもらいました。 よい日、よい日!
2003年10月13日
コメント(2)
↑赤坂ベル・ヴィーにあるペルティエのテイクアウトです。(写真がへたくそだけど・・)パンは10種類ぐらいある中から2種類チョイスできます。今日はロールパンとトマト風味のパン前菜とメインもかなりの種類から選べて、今日は”たことシャンピニオン、ガーリック風味(?)”と"子羊デミグラスソース、野菜添え”を選びました。そして、小さなムースがデザートとしてついてきます。私はここのテイクアウトが結構お気に入りでたまにですけど、ゆっくり夜を独りですごすときは、"ペルティエにしちゃお~”と買っていきます。もともとパン屋さんなので、パンのコーナーもかなり魅力的。赤坂オリジナルクロワッサンとパン・オ・ショコラがあって、そちらの方が、大きさは小さめなのだけれど、ぎゅっとつまった感じが、より”いい”のです。今日は パン と メープルウォールナッツのパイを買ってきちゃった。 うふふ。金曜日はここでパンを買って、土曜日ゆーっくり起きた時のお楽しみにしちゃっているのです。このパッケージ、かなりお得だと思うのだけれど、いかがでしょう? それにしても、レストランでもよく思うことなのですけど、私メインのものより、前菜のほうに食べたいものが集中することが多いです。だから時々コースになっていると、ムリいって、メインはなしの前菜二品とかにしてもらうこともあります。・・・さっき実はガマンできなくて、パイをちょっとかじってしまった・・ 大きいハート型だったんだけど、今は半分ちょっとのいびつな形。 うっ******先日シャーロット・ランプリングの昔の映画"愛の嵐”というのを見ました。 これは、ある意味センセーショナルだったらしいですね。 確かにどぎつい映画でした。憎むべき相手を愛してしまうというか、、人間の潜在意識の深さみたいなものを、ついているのでしょうか?よくわからないけど。ありますよね。自分にはこんなこと、絶対ありえないわ~って、考えることすらありえないようなことが、あるときおこる、または、自分がしでかす。例えば今回のヒマラヤも本当にそうで、自分がインドなどへ行くなんてことは、寸前まで私の人生のシナリオには微塵もなかったはずなんです。興味なんてゼロどころか、マイナスでしたから。。なんだけれど、ある拍子にそれがぽろっとでてくる。自分の知らない自分・・・ 潜在意識のどこかで欲していたらしい行い。 不思議です。そのあと、実はもっと大事な映画を見たんですよ~~それは!!! 《ガンジー》ですっ へっへっ
2003年10月10日
コメント(5)
またインド話?? 自分が気になることって、アンテナがぴくぴく動いてしまうのかしら。昨日、ミス・インターナショナルの世界大会に行ってきた。残念ながら、規模は年々小さくなり、司会の岡○真○も、何だかやる気がないのか、少し??とクビをかしげたくなるような感じ。 何も彼に固執しなくても、そろそろバトンタッチしたら?とも思う。審査員で、誰でも知っていそうな人は、デヴ○夫人と神田う○・かしら。夫人は、さすがに少しお年を召したせいか、肩をぐーんとお出しになったのはいいが、ちょっと弱弱しいデコルテかも・・と。(うっ、余計なお世話ですわね。)だが、遠目からみても、目よりも大きいおそらくトルコ石がずらっと並ぶネックレス、御揃いのブレスレット、指輪はさすがにすごい迫力で、遠くに座っていた私にも、そのあいだに埋まっていたと思われるダイヤたちが、ギラギラと光っていた。 ダイヤの威力って、こういうことなのね!!とつくづく。神田○のは、コメントのときに、"民族衣装がパリコレの為に、とても、参考になりました~。”と言っていた。??何でパリコレ?と思ったら、自分で、”私はぁ、次回のパリコレにはデザイナーとして参加しますので。”と続き、へぇっ?とびっくりしたら、司会の岡○真○も、その話はばっさりときって、次の審査員の質問に移っていた。嫌われているのではないか??と、この一瞬のやりとりで勘ぐってしまう。今年は47カ国ぐらい(?)のミスたちの参加で、最初はそれぞれの民族衣装で登場。これは、一見の価値あり。それぞれの国の特徴が思い切り出ている。やはり、目立つのは南米系で、色も鮮やかながら、デザインもセクシー、頭にかぶるものも、丈が長く、全体としてバーーンと印象が強い。まるで人間がトロピカルバードになったよう。東欧系になると、かなり地味というか、落ち着いたものを着てくる人もいて、それもまた、お国柄がうかがえて楽しい。今回中国が民族衣装でとっていた。色使いも美しかったし、彼女のお顔もかわいいながらリンとしていて、頭上には、顔と同じサイズの丸いお飾りがあったのだが、これがまた、全体的な大きさの印象に多いに役立っていた。お次は水着審査。 まぁ~~~、どうして皆さん、こんなに御足がなごうございますか?? 圧巻。生バービーが並んでると思っていただければ、間違いございません。 でも、人間は(私は)シビアで、そんなに美しいのにも関わらず、だんだん、"あの人は、ウェストが太いからダメ”とか、"胸が大きすぎるわ!”などの辛口ジャッジメント。 ま、この声はどこにも届きはしないのですが。。私のコリーグだけです。最後イブニング。このとき真っ赤なドレスを着たロシアのミスが、荘厳に歩いたとき、まるでベラバラの世界とでもいいましょうか? 池田理代子先生の世界が現実のものになったのです。 で、興奮して、”これは、○○サン(コリーグ)が言ったように、ロシア、いくかもしれませんね!!”と大絶賛の私たち。 いやぁ~~、美しかった。本当に。スピーチが始まる前までは・・・ロシアを含む12人が残り、それぞれがスピーチと簡単な質問に答えることに。このとき、最終的に、”あ~、この人は違う”と思う印象を与えたのは実は"インド”だったのです。立派なスピーチ、凛としていて、一瞬場が彼女の話を聞く会場になっていた。すごいことである。拍手が出た。キャスターなのだそうです。ロシアのミスは、なんと、話始めたら、かわいそうなくらい、イメージが音をたててガラガラと崩れてしまい、、、。なんといいましょうか、女に戻ったオスカルが真っ赤なドレスを着て微笑をしたはずなのに、話し始めたら佐藤タマオ??みたいな。あ~、でもまだ彼女は若いのですものね。。本当は許されるべきなのでしょうね・・12人の中になんと、日本代表も残りました。なかなか清楚な感じの方なのだけれど、日本は思うに教育しすぎです。というのは、12人がステージにたっている間、およそ30分程、ポスタースマイルで白い歯をニッと出した笑顔、ポーズもくずさず、微動だにせずいたのは、彼女だけ。そんなにずっと白い歯見せて笑っていたら、いくらなんでも作りすぎですよ~~。頬筋、鍛えたんだろうなぁ。 もっと自然にしていた方が、もとがいい分、映えたような気がします。結局一位がヴェネズエラ、二位がインド、三位がフィンランドでした。ヴェネズエラは、何かものすごいオーラがあるわけではないんですけれど、何故か皆が、いいと思ってしまうものをもっていたかも。昨日行った全員、彼女が一番いいとは思っていなかったけれど、残るとは思っていた。私も、同じ感覚だった。不思議だわ。ヴェネズエラ・パワーですね。それにしても、インド。 私はうれしいぃ。二位というところが、また控えめでいいわ~彼女が最初に”ナマステ”と言ったときには、思わず顔がほころんでしまったのでした。PS: 髪、やっぱり黒にしたいなぁ。。 それが最近とても魅力的にみえる。 美容師さんには、そういっても反対されて実現していないけど、やっぱり黒い髪って、ステキだわ。
2003年10月09日
コメント(6)
東京は神楽坂・といえば、以前は料亭などが多かったところだが、今はちょっとしたフレンチ・レストランのカルティエという感あり。土曜日訪れたのは、”サン・ファソン”。気取らずに、とか、お気軽に、という意味のフランス語で、お店は本当にその通り、気さくな感じだけれど、お味やメニュー、ボリュームともに、とてもフランス的。シェフのセンスって、こういうすべてに現れると思うなぁ。お店の内装、お味、スタッフの感じなど、全部をひっくるめたアンビュアンス(雰囲気)そういうのがとても大事。神楽坂のお店は、きどったフレンチ、クレープリー、カジュアルなど、そのときの気分で選べる。やはり、日仏学院があったり、以前リセも近くだったりで、フランス関係の本屋があったり、こういったお店が自然と集まったみたい。土曜日は先日の音楽祭でばったり会った以前の学院の先生と、何年かフランスに滞在していた友人と3人で久しぶりにお食事!ということで、サン・ファソンに行った。自分で自分が変わったなぁ~と思ったのが、以前はアペリティフ(食前酒)に絶対キール・ロワヤル(カシスとシャンパン)をとっていたのに、”ビール”になったこと。レストランに行く前、友人と二人でいった、川沿いのテラスでもフランスの”ビール”を飲んだ。 オヤジ化してる気がする。さすがに失敗だったのは、こうやって、きちんとお食事する場合、ビールはやっぱりおなかいっぱいになっちゃうのね。。 ちょっと後悔。それでも、先生の選んだワインで、シェーブル(山羊)のチーズのソテーや、仔羊を堪能~。 このアニョーちゃん(仔羊)がすごくて、ローストしたもの・煮込んだもの・そして、ギリシャの料理のムサカ風にしたもの・の盛り合わせだったのです。 あーーー、幸せ!!インドもいいけど、たまにはフランス料理もいいね。問題は、集まったあとに気づいたんだけれど、先生はもちろんフランス語、そして友人も学院で働いてるしフランス語ペラペラ、、、で、、、わたし・・・・・気づいた時には遅かったが、せっかく最近また習ってるし、今回はフランス語に徹しよう!と決め、鼻息荒い勢いでしゃべる。 二人にはホント感謝だわー。(忍耐いったと思うもの・・)終わってから、となりの姉妹店のバーで食後酒などいただく。来月あたりは、二人を拙宅へ招くつもり。今の先生にこのことを報告すると、彼女も喜んでくれた。いい先生に恵まれたなぁ~。 しみじみ・・・彼女もあと一年も日本にいないので、その間は集中してやろうと思う。さみしいことだけど、目標があるのは、いい。では、レッスンにむけて、励むとするか!
2003年10月08日
コメント(5)
インド番外編です。デリーに着いた日に、アーユルベーダのマッサージに行きました。クリニックのような所で、お医者さんらしい人の写真もかざってあったけれど、本当かなあぁ~という疑いは少しだけぬぐえない。何せインドですからね。聴診器などがあるので、ドーシャ(体質)なども見てくれるのかと一瞬期待したけれど、甘かった。私たちはそれぞれ個室に通される。 全身オイルマッサージと頭にごま油を額に垂らしていく、しろだら(だったかな?)というのをお願いした。マッスーズの女性はちょっと無愛想で低い声。で、ベッドの下の棚になっているところへバッグをいれろというのでかがむと何かが動いた。 ・・・・ネズミっ!!!!(たぶん)ギャーーーーッ!!!と叫ぶが、”もうでてったから、だいじょぶ、だいじょぶ”と落ち着き払われ、もう、何もできない。インドでは、何がおこってももう驚かない・ぐらいに思っていたが、まだまだ、インドの都会には全然アジャストできていないフェニシアであった。そんなところで裸になって、ベッドにねそべりマッサージなんて・・・と思ったけど、言うとおりにしました。ディズニーだって、お仕事中にネズミさんが出てきたからこそ、ミッキーマウスが誕生したんじゃない!と、一生懸命自分に言い聞かせながら、いったい、何してるの、私??と少々の葛藤があり。そこへ、ちんまりと横たわっていると、フライパンをあたためているような匂い。なんと油をコンロであたため、マッサージオイルを作っている。 ヒエーーーーーーッそんな、そんな、酸化してるに違いない油を使うのーーー???と、思ったけど、またしても、何もいえない。 7000円も払って、(しっかり観光客用プライス)こんな声の低い無愛想なお姉さんにこれから油づけにされるのか・・と思ったら、全然リラックスなんてできない。でも、そこはゲンキンなもので、やっぱりマッサージは気持ちがいいものである。油を大きな布のかたまりのようなパフにつけて揉みこむという感じ。全身が終わると今度は額から油がちょろ~とたれてきて頭全体のマッサージがはじまる。もう、ドロドロ状態であるが、これがまた、思い切っていて(?)気持ちがいい。帰りはシャワーをあびさせてもらえるわけでもなく、しかも、ちょっとしたトラブルのおまけつきだったが、ま、それもインドということで。ホテルに"ヤット"戻って、お風呂に入ったときの至福感はなんともいえなかった。さて、翌日のことxxxxx半日の観光だったのだが、どうやら身体全体が痛い。なんというか、低温やけどになりかけ?というようななんともいえない鈍い痛みなのである。しかも全体的に。・・・・周りに聞いてみたけれど、どうやらそれは私だけ。気のせいか?と思ったけれど、今度はトイレがやたらと近い。(小の方ですけれど)で、皮膚が痛いのを除けば、妙に体調が”いい”のである。これは、ひょっとして、疲れきって凝りきった身体に、あの温かいごま油が効いたのだろうか??どうも、そのようなのである。うーーーーん! 恐るべし、インド。(何年の歴史だろう?)ちなみに今日アーユルベーダの古典みたいなものを本屋で立ち読みしたら、”朝は日の出る96分前に起きるのが身体にもっともよいからそうするように”と書かれていた。この細かい時間の指定はいったいナンなんだろう?帰ってから痩せているに違いない!と期待して計った体重は、行く前より3kg落ちてました。体脂肪も落ち、さすがに見た目もだいぶすっきりしていました。過去形なのはそこから、また1kg戻ってきているから。でも、何とかヨガなどで、保つようには努力しているんですよ~。もし、どうしてもダイエットしたい方がいたら、トレッキングは大変オススメです。 そして、高山病になれば3~5kgは楽勝と思われます。ハイ
2003年10月06日
コメント(4)
成田につき、解散し、それでも私たちは何か離れがたくて空港内のカフェでお茶をいただくことにした。10日前にはまったく知らないもの同士だったのに、話が全然とまらない。今思うとなんて素敵なことなんだろうと思う。それでも、いい加減帰らなくてはいけない。皆と別れると私はリムジンバスにのり、眠りに落ちる。そして、降りて今度は地下鉄に乗る。無機質でこぎれいな、インドではありえない車両。と、前に雑誌から出てきたようなきれいな女性が、座っている。そのとき、ふーーーっと、インドが私に戻ってきてしまった。これは、うまく説明できない。けれど、少年が笑いながら馬をひいてくれている姿が脳裏にバーーンと焼きついてしまったようなのだ。すると、急にとってもさみしくなって、エーーン・と泣いてしまいたくなるような衝動にかられた。暖かいところに包まれていたのに、外に出てきてしまったような、そんな感じだったと思う。だから、リンリンとなる、馬の鈴の音は一週間以上私の頭から消えなかった。消えなかったというか、消さなかった。私は仕事をやすんでいたこともあり、人に会わず、家で同じような状態でいることを好み(節食、瞑想など)帰ってからもしばらくは、自分が得た心地よい状態をキープできるようにしていた。今思うとそれはとてもよかったと思う。私が今回の旅行で一番”これだ!”と思ったこと。それは、 "考えてもしょうがない。” ということ。これ以上説明のしようがない。これが、私の今回得た、一番の財産です。
2003年10月05日
コメント(4)
9月7日から11日 高山病に悩まされた山の日々も終わり、6日朝、再びジープで山を越え、崖崩れで別れたバスとバスの運転手さんたちのもとへ戻る。ジープでしばらく行くと、また山がくずれて道がとまっている。一時間ほど足止めをくらい、みんな外に出たりしてじっと待っている。インド人の子供たちが、はにかみながら、私たちを見ている。Helloというと、恥ずかしそうにHelloと言い返し、あちらの言葉でお母さんにちょっと興奮して報告している。私にもそんなことがあった。ただ外国人の人とちょっとお話しただけで、ドキドキして、何だかすごい出来事だったような気がしたときが。 そんな幼かったときの自分を思い出す。くずれたがけを何とかし、一時しのぎに道を作ると、また崩れる前にといわんばかりに、こちらからもあちらからも、車がいっせいに走り出す。ジープで山のカーブを走ると、時々目の錯覚で道があるような気がしてしまい、はっとする。ないのだ。そこは、がけ。私には到底運転できない。ジープをおり、またしばらく徒歩で進んでいくと、4日前に別れたバスの運転手さんが出迎えてくれた。なんだか、うれしかった。その後、バスで山道をずんずん進む。ジープよりは快適と思いきや、いきなり、天井から水がダバダバと滝のように流れ出した。どの椅子もびしょぬれである。添乗員さんも、”皆様申し訳がございません。。なにぶんこれも、インド、いつどこでも予期せぬことが起こるのでございます。”と。さすがに、もう、誰も動じない。笑ってさえしまう。私も、”ふーーん、今度は水か・・”ぐらいのもんである。 命があって、無事に下山できればそれ以上は何を望むというの??こうして、バスの旅がまた続き、ホテルにつき、またお湯のでない水のシャワーをあび、翌日バスにのる。8日、いよいよバスはデリーにむかう。上の写真はそのとき、バスから偶然みることのできた象。バスの窓のすぐ横を、手でさわれるぐらいの位置で歩いていた。デリーについた私たちの幾人かは、アーユルベーダのマッサージに直行。疲れた身体をいやすために、もちろん、私も。そして、唯一豪華なホテルでゆっくりバスを堪能し、髪を洗い、優雅な食事を楽しむ。こんなに短い日々で、この変化はいったいなんだったのだろう。翌日9日は、唯一のデリー観光だったのだが、某国首相来日のため、道は封鎖され、主要箇所は閉鎖。おかげで、寺院と国立美術館をめぐるという、これまたかなりマニアックな一日になった。そして、そんなことを逆に喜んでしまう私たちだったのである。最後のランチは別のホテル内になる、南インドカレー。こんな風にインドらしい食事をしたのは、これが最初で最後かもしれない。空港へつき、ドライバーさんたちやガイドさんと別れ、チェックイン。 このとき、やっともとの自分に戻れたことを私は素直な気持ちで楽しんでいたと思う。カシミアのショールを母と自分におそろいで買い、値切れない分、欲しかった象さんの飾り物をプレゼントしてもらって、心置きなく機内へ進んだ。もう、この国へくることはないだろうな・・そう思いながら。
2003年10月04日
コメント(0)
9月6日(土) 修道院宿舎へ帰る (ここが宿泊施設のある場所にある寺院で、以前は 源流はここからといわれ、多くの巡礼者が集まる場所。ちょっとして屋台の並ぶ通りもある)起床。 上半身をおこすと、隣でやはり起きているNちゃんが ”よかったーー! ○○ちゃん、まばたきしてるぅ”と言う。?? そうなの? 私まばたきしているの? っていうことは、今まではしていなかったの?と、聞くと、”うん。 なんか、どよーーんとしてたの。ずっと。”と言われた。このときは自分のことなのに、妙にうけてしまって、”そっか、まばたきしてるのかぁ。”とやけにうれしく思ったものである。高山病というのは、本当に高度がちょっとでも下がると、おもしろいように症状がぬけていくそうである。そうは言われても、頭は相変わらず痛いし、やっぱり食欲はなかったけれど、とりあえず、みんなの集まるテントには行った。りんごは、日本のものみたいに、大きくつやつやとしてきれいではない、こぶりな歪な形のものだが、かじる・とか、水分が口いっぱいに広がる・といった感触が妙にリフレッシュできて、芯がなくなっちゃうんじゃない?というくらい食べた。この一つのりんごほど、りんごの存在感を訴えてきたりんごは、もちろん今までにはない。寝袋のかたづけを、おもーい気持ちでNちゃんに手伝ってもらいながらやり、出発の準備をする。今日はいっきに14km下山。 またしても私は馬にのる。昨日と同じ馬つかいの少年と目があい、恐らく、乗ってと言ってるような気がしたので、またお願いした。彼は浅黒くて、目がギョロっと大きい。まだ20歳になっていないんじゃないだろうか。洋服もきのうと同じで(私だってそうなんだけど)紺のジャンパーみたいなものに、マフラーともいえないエンジのものを首にまいている。そして、足元ははだしにビーチサンダル。一方私は、ヘロヘロになって馬にのるのに、足元はしっかり登山靴、服装も、山用。サングラスや帽子はいつものものだからいいとして、なんだか、コッパズカシかったのは言うまでもない。こんな重装備なのに、全然歩いてないんだから。現地人でないということは、こんなにも、風景とマッチしないのである。。(私の場合)ゆっくり散歩のような感じで楽は楽なのだけれど、時折、幾分平らなところにくると、馬が喜んでギャロップしたくなるのか、トントントンとリズムをつけて走り出す。普段なら、すごく楽しいところだが、このときばかりは、頭が陶器をおっことしたかのような衝撃で、”ガンガんガンガン”と鳴りひびく。馬のためにも、少年のためにも我慢しようと思うけど、顔がだんだん歪んでしまう。 察して、ゆっくりにはしてくれるのだけれど、やはり、頭は割れそうである。時折そばにいる別の馬つかいさんと、何だか笑っている。自意識過剰ではなくて、あきらかに、二人でこっちを見て何か現地語でしゃべって笑っている。フレンドリーな笑いともとれるが、もしかして、あ~もうこんなにへばっちゃって・・ともとれるし。 微妙であった。が、あまりに別世界の人たちなので、理解しようとするのはやめた。結局たいした事故もなく、宿舎にたどりついたときは、やっとの思いでチップの10ルピーを差し出した。これは、たったの30円なのである。 もちろん、他にももらっているはずだけれど、こんなにずっと何時間も一緒にいてつれてきてもらって、これでいいの??と思った。が、他にどうもしようがないので、それにて終了。最後に一緒に写真をとってもらい、お礼をいって、さよならをした。翌日談であるが、私の内腿は、広範囲にわたって痣だらけであった。乗り方が下手だったのだろうけど、それにしても、こんなところに、おおあざを作るなんて、生まれて初めてのことで、ちょっとびっくりした。4日前に使った同じ部屋に荷物をいれる。あの時は薄暗く、シャワーもない質素な部屋に、とうとう山にきて現実から離れたと思ったものだ。が、テントのたった三日間の寝起きのあとでは、、天井が高い部屋にベッドで寝るなんていうのは、超近代的にうつる。同じ部屋に同じ人間がはいっているとは思えない感想だ。ベッドも前記したとおり、重たいふとん?ともいえないもので、ついた日に、こんなわけのわからない、誰が寝たかもわからないふとんで寝るのはいや・と思ってシュラフ(寝袋)で寝たのだが、この日は、思いっきりその重たいふとんの中にくるまって寝た。体をのばして眠れるというのは、すばらしい!部屋でしばらく休んで滝つぼなどを散策し、おみやげやの並ぶ通りを歩く。 どこへいったか、私の頭痛。品物を選ぶ目は、眼光するどく、値段を聞く耳は、象より大きくなる。 意欲まんまんで、値切ったりまでする始末。我ながら思い出すとあきれる。というのは、ちょっとした小物もたったの25ルピーとか30ルピーとか、すなわち100円200円の世界なのであるにも関わらず、そういうときには、どうも別のところも見て、チェックしたりしてしまうのだ。 ガンガーの水がはいって封印されているものもある。面白い。 巡礼者ようのグッズがたくさんあるのである。観光客用ではない。シヴァ神や他の神々の絵も売っているのだが、ここでちょっとあまり言ってはいけないことをこっそりいうと、どうにも私にはこの神様の絵が漫画みたいに見えてしょうがないのである。神聖な神さまを描いているはずなのだけれど、たいがい”王家の紋章”ばりのキャラで描かれた神様。 さまざま人が、遠くから、ものすごい体力と時間と恐らくお金を使ってきて、お参りにきて、真剣にあがめるのは、ふくふくした、体を青色で描かれ、お目目ぱっちりで描かれた日本でいえば、子供に向けて描かれたような愛らしい神様なのだ。うーーん、ディープ。久しぶりにお夕飯をしっかりいただいて、リラックスすると、青いペプシ(ブルーペプシ)なるものを目撃。部屋をシェアする二人と購入し、薄暗い宿舎の中、あれこれ女同士の楽しい会話を繰り広げているうちに、発電機がとまる。真っ暗の中、懐中電灯を使いながら、やっと顔と歯を磨いた後、わたしたちがベッドにはいったら、30秒後にはガンガーのいきおい流れる音だけが、部屋に満ちたのでした。
2003年10月03日
コメント(2)
9月5日(金) (このおサルは、デリーから出た翌日ハリドワールで出会った。まるで人間のようで、話しかけると、返してきてるような錯覚をおこさせるくらい。今回多くを見学で過ごした自分とだぶったので、お披露目この手に注目!)午前中はもう一度昨日行った先生たちの道場へ行く。皆が朝食を終わった頃、起きて、新鮮な空気を吸ってみる。添乗員Kさんが気を使って、また錠剤の酸素をもってくる。実は日本でも、一時はやったので、疲れたときに飲んでいたので、あまりこれでよくなるとは思えなかったけれど、お気持ちはありがたい。お水だけが私の唯一口にできるものとなり、1.5リットルのボトルから、携帯用に500mlのボトルに移し変える。Aさんが、さりげなく、ポカリスウェットのパウダーをくださって、それがなんとおいしかったことか。二日間も続けていただいてしまった。日本にいたらいつだってコンビにに行けばあるものでも、ここで、そういうものを頂戴するのは、物がないだけに、一層申し訳なくもあり、有難い。もう一度1.5kmの道のりを昨日行った道場まで行くのだが、”私も途中まで馬にのりたいんですけど”というと添乗員Kさんが、”えっ? フェニシアさんも、上へ行くんですか??”と。きっぱりと”はい!”というと、しばらく間をおいて、”Sさんは、こちらで皆さんを待たれるそうです。”という。そっか・・・でも、そのときの私に人のことを考える余裕はない。Sさんは教職を退職され、今は趣味や旅行などを楽しまれている、とても素敵な女性だ。とにかく、添乗員の意に反し、私はやっぱり行くことに決めた。たった1.5kmだけれど、頭が痛くてしんどさは変わらなかった。けれども、たどり着くとほっとする。そこで、チャイではない、普通の日本の麦茶(だと思う)をいただいたときは、”なんておいしいんだろう!!!!”と思ったものだ。ヘロヘロになってる私を気遣ってくださったのか(おもしろがっているのか)”フェニシアさんは、こっちの前にきて、坐んなさい。”と、先生がお隣のスペースをあけてくださる。”え~~、それでは、これから皆さんで、フェニシアさんの講義を聞きましょう”とおっしゃってる。(もちろん冗談である。)x○◎△▼x!!!!自分のどこにそんな元気があったのか分からないけど、”やめてくださいっ!!!!”と声が大きくなる。・・・:こんなに頭が痛いのにからかわれている。ーー;しかし、今思うと私もかなり図々しく、こっちに坐んなさいといわれても、普通ちゃんとした神経の持ち主だったら、そんなところには坐らないものかも・・という気もする。ま、こういうずれてるところが、私の味という風に理解していただいて、ただ、他の方々はきわめて常識的な、大人!ぞろいの中、私はやっぱり頓珍漢だったと、今では省みるのである。添乗員Kさんの思惑ははずれ、Sさんも一緒に上っていらした。あとから発覚したのだが、KさんはSさんに”フェニシアさんは、休んでらっしゃるそうですよ”と言っていたのだとか。すなわち、2枚舌。 Sさんが後に、”あのとき、残ると聞いていたフェニシアさんが上に行くのを見て、私も行こうと決めたんです。ありがとう・・”とおっしゃって、何のことかわからず、目が点になっていたのは言うまでもない。あとから、”Kさん、やりおったな。”と思ったが、ま、それはそれ。しばらく皆が修業しているのを見学しそれ以上の体力があるわけもなく、皆が更にそこから、行動を移したときは、さすがにテントでグロッキー。残していただいたお茶も飲まず、また眠ってしまった。本当にお天気もよく、すばらしい午前だったと思う。(私とSさん以外は・・)今思えば、あんなところで、お昼寝ができたというだけで幸せというものだ。皆が戻り、私たちは今度、前日のテントのあった位置まで下山することになった。本当に体力のある男性たちには、物足りないくらいのハイキングだったと思う。私は、また馬にのったけど。のっても、歩くたびに頭がずんずんして、まいってしまう。その日は確かりんごをひとついただいて、もちろん誰と話すわけでもなく眠りに落ちた。なんだか、こうやって思い出してみると、私は大半を眠って過ごしてたみたい。みたい・じゃなくて、そうなのだ。我ながら少しあきれる。帰ってから聞いたら、そのとき、女性陣の楽しいおしゃべりタイムがあったようで、私は見事にそれらを全部のがしてしまっていたのである。テントの夜も、今日で終わり。考えてみれば、最初の日にびしょぬれになりぬれた以外は雨一つ降らず、いつでも晴天で、恵まれすぎていた気候だった。
2003年09月29日
コメント(7)
(わかりにくいですが、中央から下にかけてはガンジス河です。)9月4日 (木) 快晴テントを出ると、すばらしい山の景色。あいかわらず調子は悪いが、歩けないほどではない。皆が準備するのの2倍の時間をかけながらのろのろ支度。辛いのは、寝袋をたたむとき。なかなかケースにおさまってくれない。ここで酸素を使って、また疲れる。集合して皆に続く。ゆっくり歩く。 もう、足がだるくてたまらない。後ろからまた、添乗員さんの、”お馬にのりませんか? 楽ですよ・・””はい。のります。” !!!もうね、あきらめました。このとき。無理。目的地につけたらそれでいいと、心から思いました。歩かないのはこんなに楽なのかと・・馬(といっても、子馬)に、馬引きの少年。彼なんかもちろん、軽装備である。ニコニコしながら馬をひいている。(余裕だ!)頭は多少痛いけれど、歩いている人をみると”これじゃまるで、私はお姫様みたいだな・・”と思う。(贅沢者という意味です)岩の道を、子馬はリンリンと鈴を鳴らしながら進む。緑を楽しむ余裕も少しだけうまれる。そして、最終目的地の1.5km手前に来たとき、標高は4000mになった。 馬を降り、数名で迎えてくれた方々のお顔を見たら、ぐっと勇気づけられた。そこから先は、馬ももう上ることができないので、なんとか、歩くことになる。もう、手を使ってでも、こうなったら歩かなきゃいけない。目的地につくまでは、自分の前にある石だけを見た。右足は、ここ、左足は、ここ、次は、あそこ、・・・こんな風に、目の前にあることだけを、ただただこなしていく。時には手を使って、しがみつくように、すすむ。そして・・・それを続けていれば、やはりたどりつく。そう!目的地にたどり着いた。修行している先生たちのところへ。そこでは、みなが祝福される。私は着いた途端に、ぱらぱらと涙がでてきてしまった。ひととおりのことが終わり、みんなで懇談するようなときも、涙どころか、鼻水もとまらなくなって、顔はグシャグシャになってしまった。(今思うと、ばっちいブサイクなお顔ですね。)他の方も、感極まって涙してた方がいたようである。やっと着いたんですものね。そのあとまた奥の方まで少しすすむことになり、あるだけの力をふりしぼって、なんとか皆についていく。でも、着けた幸せで何とかのりきれた気がした。そこは、ガンジスの源流といわれるところ。ものすごいエネルギーで満ちている。しかも、あらわれている。 空気もすべて・・そこでしばらく、瞑想。私には岩陰を用意してくださる。ありがたかった。(っつうか、この方たちはなんという強靭な体力の持ち主なのじゃ・・)はっきりいって、頭が痛くて瞑想どころじゃなくて、もうろう、朦朧、モーロー・・という感じだったけど。それでも、あの場所でそういう雰囲気に囲まれたことはここ東京では、得がたいものがあると思う。今、それがはっきりわかる。その日の午後は比較的のんびりとすぎ、ただし起きているのは私は辛いので、懇談がおわるとまたテントで寝る。夕食なんて、とんでもないことである。夜に少し喉がかわいて、水がないことに気づきマンゴジュースを飲むと、また一分後には全部戻してしまった。(それ以来、マンゴと聞くと、目がすわってしまう。 ウッ)夜中にまたも満点の星で、Nちゃんがおこしてくれる。今度は赤く光る火星も、流れ星も見た。2回も神様 ありがとう。一日無事に終えられました。
2003年09月26日
コメント(9)
9月3日(水) いよいよ山を歩く早朝、薄暗い中を懐中電灯を使いながら、少しの化粧をする。といっても、日焼け止めをぬって、眉かいて、口紅くらい。髪はうしろにひっつめて、ひとつである。頭が少し痛いけれど、バスに乗らずにすむしこれからは歩き!と思うと、14kmとはいえ、うれしい。気持ちははずみ、入り口では、にっこりポーズで写真。ぽつぽつと雨が降っている。どうして私はこうも、今回の旅行を能天気に考えていたのか、この余裕はどこからきていたのかわからないが、山用の雨具は購入しておらず、アノラックにスポーツパンツ、そして、ドンキで買った、ビニールのレインコートといういでたち。みんなは上下の山用雨具。リュックは父が使いふるしたもの借用してきたので、雨がしみないように、内側にごみぶくろ、外側にも、ゴミ袋をつけた。 今思うとおそろしい外見である。ゴミ袋にビニールのレインコート・・・(できあがった写真も相当笑えました^^)歩きはじめると、やはり終日ちんまりとバスに寝ていたせいか体を動かせることが気持ちいい。しかも、なだらかな道だ。みんなの真ん中ぐらいを歩く。早くもなく、遅くもない。いいペースだったと思う。思ったよりも体が疲れないので、”さては、サルサで持久力がついたな・”と思い、そういえば、ここ3ヶ月ぐらい、ジムがよいをしていたのもよかったのかもしれない。と、ほのかな自信が。やっぱり、すべては流れだったんだ!と知らないうちに、このたびへの準備をしていたような気がして、運命すら感じている。・・が、サルサの持久力やジムがきいていたとしても、それならマックス3時間。これも、自分ではなんとなくわかっていた。道のりには、テントともいえない、ぼろぼろのきれをはった、茶屋があり、そこでお茶をする。あっけなくついたなぁと、体はご機嫌で、後ろの人たちを待っている。頭も少し痛いけど、その地点で10kmは歩いていたので、もうあと1/3ほどだ。 いけそう!!!皆がそろい、たっぷり休憩をしたあとで、また出発する。歩く。。 休んだせいか少しだるい。そして、どうしたわけか、体が急にハイテンションになり、足がぱたぱたと前へ進む。早くつきたいとあせったのか、自分でも明らかにハイピッチなのである。が、頭も働かず、もう、足がとまらない。体は、どんどん疲れてくる。じぶんでわかる。コントロールできていない。でも、勝手に足が前へ前へと、他人の足みたいに出てしまう。また2kmぐらいのところで、茶屋があり、せめてそこまでいかなくては、、、と進む。つくなり、こしかけると、心臓の音が早い。後から来た人々に、”先にいってください。”と伝え、休むが、なかなかたてない。そこへ、添乗員が馬にのって、”いかがですか?”という。このお馬は・・・・・みんなの中で、なんとか、できるなら乗らずに自分の足で・という気持ちがある。私もとりあえず、断って、またすすむ。もう、ヨロヨロである。添乗員は馬にのって、ゆっくり後をついてくる。ヨロヨロ、、、ヨロヨロ、、、もう誰も見えない。でも、乗りたくないから、ゆっくりでも、行こうと思う。まだ日は高い。と、しばらく行くと、少し小高くなっていて、あたり一面誰の姿も見えない。後ろにいるはずの添乗員も見えない。どうやら、一瞬のうちに、先に行ってしまったらしい。ない・・・道がわからない。”あ~、こんなところで、一人で、たった一人で、私、このまま夜とか、野宿とかするんだろうか?”と頭によぎる。が、そんなにタイヘンなところなら、置いてけぼりにはしないだろう!と気を持ち直し、あたりを見て、道らしいところを何とかみつけてみる。歩いてみる。岩だらけだ。周り中、岩と石でゴロゴロで、歩くのがいっぱいいっぱい。頭は痛いし、何だか足の筋肉も急に疲れてしまった気がする。どうしよう、、でも、まだ日は高い。太陽はそこにある!ヨロヨロ・・・ ヨロヨロ・・そして、くだりが見えた頃、そこには広がるキャンプ場が。。人がいた! みんながいた! もう、一歩も歩けないーー。頭も痛いし、何がなんだか、わからない。とりあえず、集合写真をというので、またヨロヨロ歩きみなさんに断って、テントへ直行。そのあとは、ひたすら、”治って、治って・・”と願いながら、びっしょりにぬれたTシャツをぬぎ、寝袋にくるまった。かわいたTシャツや靴下がこれほどありがたかったことはない。かわいているだけで、暖かい。その上に、長袖のTシャツ、フリース、長いダウンコートを着て、寝袋にくるまる。夜、夕食のとれない私に、添乗員さんが、はちみつ飴とか、食べる酸素、日本からのおせんべいなどをもってきてくれる。でも、もう何もはいらない。せめて梅干でも、、と思い口にする。うーん、すっぱい!と思ったあと30秒後、今度は吐き気。あわてて靴をつっかけ、外に出る。もう食べてないから、何もでようがない。でも、もどしてしまう。しばらく横になると今度はトイレに行きたくなった。ずっと便秘だったのである。(もう、あきらめていた)テントをはって、下には穴をほってあるという簡易トイレに、ティッシュペーパーをつかみ、いく。このときは少しばかり、スッキリした。下痢でもない。穴は深いので、その上に土をかぶせる。足でフンフンと土をかぶせていると、”私っていつから犬になったんだろうか??”とちょっと笑えた。(苦しいのにね)土とか草の匂いしかしないので、かえってすがすがしい。これが、自然でいることの醍醐味?また寝てしばらくすると、Nちゃんがドリスタンを飲んでみる?と暖かいお薬をくれる。おいしい・・・ ドリスタン、、おいしいそして、また寝てしまう。またNちゃんが話している。すると、”フェニシアちゃん、空に星が満点なの。先生が、めったに見れないから、みることができたら本当にラッキーだといってたの。だから、つらいだろうけど、外で見ない?”という。そっかーー、そんなにめずらしいのかぁ・・・と朦朧としながら靴をつっかける。!!!!本当に満点の星が、頭上に広がる。みえすぎるくらい見える。大きく光っている。 あぁぁぁテントに戻り、話もあまりできず、また眠る体制にはいる。今度は寝袋をもうひとつ借りた。目をつぶっていると不安になってくる。ここには病院どころかお医者さんもいない。もし、明日ひどくなっていたら、車も来れない。ひょっとしてヘリコプターとか呼ぶのかな。私みんなと一緒に上へいけないのかな。でも、ここで一人で残ることもできない。どうにも、できない。明日いかなきゃ、上で修行している先生たちにも会うことができない。ここまできて、こんなところで苦しくなって、リタイアしたら、何のためにやってきたのか、全然意味なくなっちゃうな。あぁ、私、明日はどうなるんだろう。この苦しいのは、少しはひいてくれるのかな。そうやって、また、ふぅふぅいいながら、眠りに落ちていったのである。
2003年09月25日
コメント(5)
何時間も山道をのっていれば、いよいよ”そのとき”がやってくる。そう、それは、トイレのないところでのそれである。みんなバスを降りて、消えていく。男性右手、女性左手。こんなシンプルな分け方なんですよ。 ヨヨヨ最初はやめておこうと思ったけれど、急に思い立って、やっぱりいこう!と決心。出遅れて申し出ると、”大丈夫ですよ。あっち!”とインド人ガイドさん。(日本語流暢)その方向は確かに大きな石というか岩があるけど、でも、道路沿いだよ??と、彼の顔をみると、”大丈夫ですよ。”となんでもないかのようにいう。そっか、、、大丈夫なのか、、、と信じて進み、岩陰へ。バスからこちらが見えないかチェックし、おずおずと、ファスナーに手をかけると、なんと!!後ろから対向車が。。ええっ!!!????セーフである、セーフ。まだ、何も始まっていない。そうっか、前だけじゃなくて、後ろも注意しなきゃいけない。(とはいえ、山道のカーブだから、フェイントだってある。)ここは、潔くささっとすますが勝ちね!と思い、ついにしました。 はい・・バスに戻り、ガイドさんに、”あの、、、大丈夫っていってたけど、あっちっから車が来ました。”と、一応いってみたら、ぎょっとした顔をして、”え??車止まったんですか?”と聞かれた。そんなわけは、いくらなんでもない。”いえいえ、すーーっと通っていきましたけど。”というと、”あ、じゃ、大丈夫ですね。” おわり・・・そうだよね。そんなもんですよ。 そんなことでイチイチがたがた言ってちゃ、ダメ!なの。・・・たぶん・・・初めての体験を済ませれば、もうこっちのもん。これからは、できる!! 壁はひとつ乗り越えた。そんな安心感で、また一寝入りしていると、なにやら騒がしく、起こされる。んん??? と、目をこすりながら起きると、いつのまにか山道で止まったバスに添乗員さんが、戻ってきた。”皆さん、この先、がけ崩れでバスが進むことができません。明日から山にはいって帰ってくるまで、バスはこちらにおいていきます。今から、必要な荷物をお手持ちの布のバッグに移し変えて、山の準備をすませてください。ここからは、しばらく歩いていただき、むこうで道ができているところから、また新たに手配した手段で移動いたします。” (このようにして、道はふさがれてしまったわけです)・・・・えっ??????万が一、一泊分じゃなかったの??それって、それって、5泊分詰め替えるってこと?しかも、今、この道端で。山の中で。一瞬何だかわからなかったけど、皆いそいそと準備を開始している。 大人だ!全然動揺していない。 (私だけが、訳がわかっていない)まねして、スーツケースを広げ、とりあえず、ティッシュペーパー!!(とにかく、いつもこれが重要アイテム)あとは、下着とかTシャツとか、雨具とか、靴下とか寝袋とか???もう、わけがわからない。(結局、わざわざもっていった、セーター、マフラーなど、全部忘れていった。)さて、どうして、詰め替えるかというと、ポーターさんに荷物を運んでもらうため、ハードなスーツケースはダメなのである。もとから、大きなザックにきっちりパックしてきた男性陣はささっとすませている。私は、一番ドデカイスーツケース。シロウト丸出し。でも、詰め替えましたよ。なんとか。そして、登山靴に履き替え、歩きましたよ。そのときは、たったの1時間弱ぐらいだったかな。ずっとバスだったので、かえって嬉しかった。現地のポーターたちは、私たちが登山靴はいているところをビーチサンダルやはだしでひょひょっと移動。たくましいのである。頭に単なる”紐”をかけて、私たちの荷物三人分ぐらいを担いで歩く。その姿だけで、感動である。そんなこんなで、やっと手配された車にたどりつく。ジープ4台にわかれて乗る。これが、案外すごかった。臨場感があふれいて、3時間ぐらい山道を突っ走る。どこかの島で、4WDアドベンチャー!!なんていうのとは比較にならない。一歩まちがえば、本当に墜落の世界である。なかなか運転がワイルドな青年で、なんと、走行中にすごい音がしたかと思ったら、対向車とすれ違ったさいに、ドアミラーがわれ、破片が車内をとびちった。こんなことが日本で起こったなら、重責だし、これが5cmずれていたら顔に傷が・・と思うと本当にぞっとするのだが、皆、おこらない。不思議だ・・・ ここだと、それができる。青年も、かなり罪悪感を感じたのだろう、その後は運転の仕方が変わった。夜もくれてやっとたどりつくと、そこはガンゴトリというアシュラム(修道院)がいくつかある小さな村。聖地で、インドの人はこちらを巡礼地として訪れる方も多い。シャワーもなく、部屋にはベッドと、重そうな布団があるだけで、10:00以降は電気もない。懐中電灯必須。 (でも、それを使う前に眠りに落ちていた。)明日からは徒歩だ。。なんとか、頭痛が消えてほしい。。
2003年09月24日
コメント(6)
9月2日(火) リシケシからガンゴドリまでバス朝5時に起き(というか起こされ)6時出発。目も開かない状態でバスにのりこむ。今日は予定表にバス14時間程・・と書いてある。小さいときからあまり車がすきでない私には、かなり脅威である。でも、疲れているし、きっと眠れるに違いない・と、バスも前の方に席をいただいた。何時間か寝ると、山の中で、チャイをだしてくれるところで休憩になる。今日はずーっと山の中を走り続けていくのだろう。自然の景色はそれは美しい。山の道は・・・窓の下は崖?というようなときもあり、迫力満点。インド人のガイドさんによると、バスの運転手のターバンをまいた二人は、シーク教なのだそう。”シーク教徒は良いドライバーにであることで有名なんです。”と、しきりにいっている。ちょっと日本的な感覚だとよくわからないけれど、とにかくそうらしい。でもって、戦争のときは、彼らはすばらしい兵士になるのだそうだ。こういうことは、さらに日本人である私には理解しがたい。そして、彼らにたいするジョークがたくさんあるそうだ。どんなジョークか聞きたかったけど、やめておいた。運転席には二人いるが、アシスタントは運転することを許されないらしく隣に座って、ただ人間ミラーになったり、車をおりて交通量を払ったりするなどの仕事だけ。よく見ると、彼の分は椅子もない。そこは、箱のようになっていて(エンジンか何か?)、だからいつも横座りである。二人はおしゃべりなど一切しない。ただただ前をみている。このアシスタントもこうやって修行したあとに、一人前の運転手になるのだそう。運転席と私たち乗客の間にはドアつきのガラスばり壁がある。なぜか?・・・それは、エンジンの熱がすごいので、せっかくのエアコンが効かなくなってしまうからだそう。ということは、彼らの壁でしきられた運転席は、恐らくサウナ状態かと思われる。。バスはすすみ、ただひたすら山の中を走る。時々起きては、景色を堪能し、また眠る。・・・で、さすがにこの長い時間の山道では、あの問題がさけられなくなってくる。そう・・・トイレです。最初は、ラッキーなことに、偶然以前日本の企業に勤めていた方が山の家を建設中で、こぎれいなトイレットを開放してくださった。 ナマステ~ 感謝である。それにしても、山の人だからか、インド人だからかわからないけど、ナマステと合掌しながら、余計なことをいわず、ただちょっぴりにこっとしている・というのは、なんだか、心地いい。昨日の沐浴と冷シャワーのせいで、頭痛が消えない。お昼にはお弁当がだされたが、バス酔いで食べることもできない。お弁当箱はきれいな折り紙のようなものがはってある。手作りで、赤い紙に黄色や緑で模様、そして、紐もきちんととめてある。内容はチャパティ(パンのようなもの)と、じゃがいもをゆでたもの、りんごに、マンゴジュースである。質素な中身だけれど、こういったものも食べることができたら幸せな人が下の町にはたくさんいるんだろうな・・(つづく・・)
2003年09月22日
コメント(1)
9月1日(月) デリーからリシケシへバス移動(約6時間ほど) 7時ごろデリーのホテルを出発し、いよいよインド内を移動開始。バスの後ろにすわり、ぼこぼこした道ではおしりが10cmぐらいジャンプしながらのドライブ。なんだか、道はひたすらまっすぐだ。道もしっかりあるし、パーキングエリアのような所によるときれいで、まだまだビックリすることはない。ミルクのたっぷりはいったチャイ(お紅茶)をいただく。この辺までは、希望すればまだコーヒーやジュースを飲むこともできる。 クッキーなんかも、豊富にあって、何の不自由もない。通貨の単位はルピーで、だいたい10ルピーが30円ぐらい。このお札を、枕銭として、あらかじめ旅行社からわたされていた。忘れずに毎日おいていかなくては。バスからはあいかわらず牛やブタや、しばらくすると羊の群れなどが見られる。運転手は彼らに道をあけてほしいからクラクションをならすけれど、そんなにイヤな音ではない。なんだか、優しい押し方のような気がした。雨季のあとだったので、緑も豊富、草木も美しい。しばらくした後のトイレ休憩はとうとういよいよ自然の中で!のものだった。(トイレなし・という意味)私はまだ勇気がなくて、ちょっとパス。 なんとかホテルまで・・・と。バスは走り続けて、やはり後半グロッキー、頭痛に加えて、気持ちが悪くなり席を前に移してもらって、爆睡。 風景見る余裕なし。午後4:00頃目的地のホテルに到着。想像してた通り、ちょっと薄暗く、しめっとした感じ。シャワー(といっても、蛇口があるだけ)とトイレ、洗面台。バスタブは当然なし。ベッドは少しへこんでいるような・・・が、覚悟していたので、思いの他平気だ。(だけれど、やはり水場は、はいるときに足がグーになってしまう。まだまだヤワなフェニシアである。)5:00にガンジス河(ガンガー)に行って沐浴しませんか?と提案してくださった方がいたので、女性は全員パンジャビというパンツスーツのようなものを買うことにした。(上の写真のもの。これにスカーフとパンツがつく)結局1000円ぐらいだったろうか、高いか安いかもうわからないけれど、みんなそれぞれ沐浴用に購入。それをもって、ガンガーへ街中を歩いていく。リシケシはお店もたくさんあるし、街という感じだ。特にものすごく貧しい人なども見かけなかった。(気がする)ムンバイで出発前におこったテロの事件をうけてデモ集会をやっている。派手な騒ぎになる前に帰りましょうといわれ、女性たちはなんと大木の後ろに回って着替える。もちろん私も。と、全員が着替え終わると同時に雨がポツポツと。やがて、強くなり、すぐにざぁ~ざぁ~とふりだした。河のむこうの木々を眺めながら雨にぬれ、私たちはガンジスにすすむ。一歩足をいれれば、冷たい。ミルクティー色の河は、さらさらしている。聞いていた通りだ。肩まではいってみたら、やっぱり冷たくて、そして少し興奮して、きゃっ・・と声をあげてしまう。隣をみれば、対岸の森にむかって、住職が合掌している。あぁ、そうか。ここは、皆が何かを心の中で唱えているんだ。雨はさらに強く降ってきて、頭から流れる水が身体を全部とおって、ガンジス河に流れていく。私たち全員は、天からの水と、足下に流れる河で洗われていく。河から出て大木の下で、雨宿りともいえないずぶぬれの身体で、少し待つ。誰かはそこで、気功を始めて、街のこどもがまねをしながら笑っている。やまない雨に見切りをつけて、濡れついでにこのままもうホテルへ向かおう・と決め、大木の下を全員が去る。すると、嘘みたいに雨がやんでしまった。私たちは見守られているかもしれないわね。誰かがそんなことを言った。雨はやんでも、道路はずぶぬれで、びちゃびちゃになりながらホテルへつく。すると、この大雨で今度は停電。自家発電が動くまで、お待ちください・・とのこと。ま、これも、そんなに驚くことではない。自家発電があって、御の字である。部屋に戻って、シャワーを浴びる。ずぶぬれの髪と身体を洗わなくては・・・が!今度は水しかでない。河でひえて、シャワーでまた冷え、ダブルパンチ。おまけに、ぬれた靴やこのパンジャビが乾くのかな。(翌日、結局生乾きだった。。)そして、お部屋はしめーっとしている。それでも、何もできないから、Nちゃんがもってきてくれた洗濯ひもを駆使して、とりあえず干し、夕食へ。ここからはもう、ベジタリアンだし、アルコールもない。が、案外トマトスープややきそばっぽいヌードルがおいしくて、しかも、どんどんもりつけてくれるのでまたたくさん食べてしまった。・・・インドに行って、やせるっていったの、誰?明日は5時起きで、6時には出発だ。予定では14時間ぐらいのバス移動。あーーー、飛行機なら日本からパリについてもまだ時間があまる。それに、山がくずれてバスが通れなくなるようなことが万が一あるかもしれないので、一泊分ぐらいの用意をスーツケースから小バックにうつしてくださいとの指示。そんな万が一もあるのか、、いやだな。でも、ま、万が一だしね・と思いながら、適当に荷物を移し変える。もう、疲れて頭が働かない。最後にまた、チャイでしめくくると、部屋に戻り、その後はちらほらしゃべるかしゃべらないかで、ぐっすり寝てしまった。5時におきて6時出発か・・・いやぁ、、、まいった。そんなこと、日本じゃ絶対しない。っていうかできない!!
2003年09月20日
コメント(4)
ナマステ~8月31日(日)成田発 デリー行 エアー・インディアツアーなのだが、どなたも初めてお会いする方ばかり、老若男女という感じの組み合わせで、普段の生活では、集まることのなさそうな人の集まり。しかも、誰もが一人で参加を申し込んでいた。機内では、早速始まるベジタリアン・カレーを堪能。添乗員Kさん(以後 Kさん)もいっていたが、まずまず、おいしぃ。ワインを頼むとボトルでくれたところまではよかったが、中味がどうみても少ない。しかも、開けた様子はない。スチュワードにいうと、ん?と言う顔をしたかと思ったら何事もなかったように、別のボトルをくれる。・・・・インド始まりの予感~機内の映画は、昼メロタッチで、言葉なんてわからなくても、展開が手に取るようにわかる。超ライトなのにどろどろなドラマで、いつのまにか釘付け。Kさんいわく、インドは世界に誇る映画産業の盛んな国。年に700~800本日に2本の映画が次々と製作されているとのこと。 質より量! 人口だって10億、数で勝負さ!女優さんたちはもれなく私の好みで、黒髪にサリーなんて着ていたら、グッときちゃうのである。どうも、しぐさもなまめかしくて、ムトゥみたときも、映画だからわざとあんなに愛らしいしぐさなのかと思っていたが、ひとつ解明したことがある。それは、”YES”のときは、首をちょこんと横にかしげるのが彼らのジェスチャーだということ。男性も女性も!首をかしげて、上目遣い45度・をすると、やっぱり誰でもかわいさはアップするのである。 (さ、皆さん 練習を!)さて、飛行機はデリーに到着、さっぱりした空港につきお迎えのバスにのって、ホテルへ。話には聞いていたけど、やっぱり百聞は一見にしかず、デリーの町は官公庁もあるかなりソフィスティケートされたシティなのだけれど、それでもやはり牛がいる。ちょっと中心をはずれれば、なおさら、いる。バスからお決まりの観光客の反応を示し、牛が!!!と喜ぶ私たち。なかには、いのししが走っている姿を見た人もいたらしい。最初と最後だけ宿泊するデリーのホテルはかなりすばらしく、それだけに、翌日からのハードライフを暗示しているような気さえした。”今しっかり休んでおきなさい!”といわれているよう。(そして、それはまさに大当たりの予感であった)おそらくこの日で最後になるであろう、リッチな食事をとるために、ホテルのレストランへ行けば、カレー以外にもめずらしいものが並んでいるし、ベジタリアンのコーナーもきちんとある。今回のツアーの参加者の方はベジタリアンの方も多く、なるほど、そういった方には住みやすい国なのかな?と思ったしだい。インドにいって、やせて帰ってくるんじゃないの?という周りの心配は、どうやらはずれて、逆に太って帰るかもしれない・・という一抹の不安が胸をよぎる。女性三人と、お坊さん・というユニークな新しい仲間で最初のディナーをいただき、部屋へ戻る。同室になることになったのは、ひとつ年上のとても明るいステキな女性Nちゃん。彼女は長年ダンスをしており、実は別のところでヨガのインストラクターもしているのだそう。初めて会ったとは思えないほど、話がはずんでしまい、寝るときは彼女にメディテーションまで誘導してもらいあっというまに爆睡。こうして、デリー一日目は事無きを得て終了~
2003年09月19日
コメント(7)
ナマステ~ (インドあたりで使われるおなじみの挨拶)帰国してから、今日で実は一週間。早い・・・早すぎる・・・・帰国後から、体も心も、元にリセットするのに、今回は、たっぷり時間をとってみた。何故か特に、心は、そうしたがっている気がした。だから、きのうオフィスに復帰するまで、両親と、二人ぐらいの友人に会う以外は、本を読んだり、かたづけたり、メディテーションしたり・・私にとっては、多分今までの人生の中ではナンバー1に輝くタイヘンな旅だった。タイヘン・・・というのは、文字通りでいい意味でも悪い意味でもオオゲサにもそのままにも。とりあえず、よく言われる質問、”また行きたい? それとも二度と行きたくない?”に答えると、チャンスがあればぜひまた行きたい!である。ちなみに、今回のたびは、インド・というよりはヒマラヤへといった方が正しかった。そんなことに、帰ってきてから気づくくらいだから、いかに零下になるヒマラヤで思わぬことにあい続けたか・・実はクレッシェンドに東京が恋しくなり、残りの4・5日は、指折り数えて(本当に朦朧とした頭で指を使って数えずには、もう、自分が何をしているんだかわからない状態になっていた)最後デリーの空港についたときなど、”あーー!やっと終わった!!!”と思っていたのである。機内でも”もうすぐ成田まで○時間!”と数えついてからバスにのるときも、ホッとしていたのに、何故かそれは地下鉄にのったときにおこってしまった。ノスタルジー 〇●☆★ しかも強力な。無機質なきれいな電車内に、雑誌からでてきたようなきれいなスッチーらしいお姉さんを見たとたん、”インドが・・山が・・・ 恋しいようぅぅぅ”と思わず泣きそうになったわたし。牛さんが、豚さんが、小鳥さんが、羊さんが・・・馬をひいてくれた少年の笑顔までがチリン・チリンという鈴の音とともに頭から離れない。そんなこんなで、とりあえず、一週間ボーーっとしていた。インドで私が一番感じたこと・・それは、、インド/ヒマラヤを書き綴った最後に!
2003年09月17日
コメント(8)
明日はいよいよインドへ旅立ちの日である。興奮気味な私は、今ちょっと頭痛までしている。荷物は一応詰め終わった。今日はコンパクトカメラも買ってきた。正露丸糖衣も買ってきた。 うん・明日は、12:00のフライト。8:00前には、家を出なければ。。。友達からのメールや電話が、すっごくうれしぃ。こういう変わった旅だからか、エールっぽい。ありがとう~~~ friends!!たった10日ぐらいのことなのに、ね!"最後のサルサに行ってきた。。"と思わず口走ってしまったら友達が笑っていた。わかってるの、オオゲサ!今回の旅の話をしたら、絶句しちゃった友達もいた。今日用事にうちへよったが、"いよいよですね。大丈夫なんですか?”とリピートしている。ますます、すごいことをするような錯覚に陥る私。ちがうの、ちがうの。そうじゃないの。なんにしても、自分にも周りにも一風変わったこの旅行。いったいどうなるのかしら?今日はまた新たに本を買い込んできた。夢枕獏の神々の山嶺 (気になる彼が最近読んだといってたから・・ 単純な私。。獏さんは、キマイラシリーズではまった記憶が)もう一冊は椎名誠の”インドでわしも考えた”これは・・・実は先生のことが書いてある!と友達にいわれ、興味本位で。でも、ま、インドに行くのでよかろう。。あと、他2冊。それでは、フェニシア、明日旅たち!今からはお風呂~ (しばし、この快楽ともお別れじゃ~)
2003年08月30日
コメント(10)
日曜の出発まであと少し。やっぱり、トレッキング・シューズは買わなきゃな、と思いまた渋谷のお店へむかった。水曜日はレディース・デーで5%オフ。けっこうウレシイ! 狙ったわけじゃないけど、また水曜。私は初心者だし、足首のたけまでないものを探す。防水のものか、風通しのよいものかの2種類だそうで、ゴアテックスとついていれば、防水のものになるそうな。で、ふと見ると、いかにも、早く在庫処理をしたい!というような値段が半額になっているものがある。サイズも22.5か23しかない。 ・・私にぴったり!!(私22.5しかないのです。)が!デザインが。。。黒・ベージュ・オレンジのアクセントという、”わたしじゃない!”イメージの靴。でもねぇ~~、今後使うかわからない靴のために2万近くも払うのはためらわれたし、サイズもぴったしなので、これに決めました。で、そのあと、靴下と登山用パンツと化繊のT-シャツ。靴にあわせてオレンジのものを買ったので、フェニシアじゃない人間のできあがりです。 はい。巻き髪にワンピースでニッコリしてる場合じゃない!帰ってから、髪をみつあみ、おでこ丸出しで、登山用ファッションショー、一人でやりました。・・・・なんか、、、、ヘン。あーーこれで日焼けとかするんだろうか。リップクリームを忘れると唇がぼろぼろになるそう。日焼けクリーム、、、っていうか、顔全体にカバーしようかな。なんか、あのプロレスラーのマスクみたいな目だけ穴あいてるやつ、、 あーいうの売ってるかしら。そうすると、目のまわりだけやけちゃったりして、、パンダみたいになっちゃうのかしら・・・ あぁぁぁうぅ・・でも、本当の問題はそんなところじゃなくて、やっぱり、雨風、体力。今日旅行社の方とお話したら夜は0度だそうです。驚いたら、100mで0.6℃さがるから、やっぱり高度3000もこせばそうなると言われ納得。どうするんだろう、、こんなに何も知らなくて。何年か前、イギリスで夜キャンピングをしたときに、あまりに寒くて眠れず一時間後にテントをたたみB&Bをさがしまくって、やっと眠ったときのありがたみを思い出しました。でも、、、今回は山の中なので、そんなオプションなし。・・・・もう、考えるのやめます。引き戻せないからね。 考えても。というわけで、ヒトリ登山用ファッションショーをした後、友達がむかえにきて、クラブへ。もう、髪をセットするのがめんどくさいので、みつあみでチャイナなブラウスを着ていくと、本当にそれっぽくなる。"どうして、チャイニーズになっちゃったの?”と驚く知人たちのコメントも、みんな同じで楽しい。久々に以前のフラメンコの先生がいたので、いろいろな会話を楽しんだ。私は腰を痛めてやめたので、身体が固いのが治らないで困る・というと、いろいろ壁を使ったストレッチを教えてくれる。 今ジャズダンスをジムでとっているというと、また、”クラッシック”をやって、身体をまず作らなければ・・”という。あのぅぅ、それはわかっているんです。でも、もうそういう年齢でも、オキュペーションでもないのよ。。といいたかったが、やめた。 先生の一生は、本当に踊りにささげられているのだから。久しぶりに、"胸上、胃内、おしりまえ”の号令?をかけられ、”そういえば、そうだった!”と背筋をのばす。いつも思うのだが、彼らの教えかたというのは、手をぬかない。そして、差をつけない。この人は素質があるから、うまいから・・と差をつけるようなことはない。以前ローラ・グレコという、フラメンコでは名のしれた美しいだンサーのレッスンをうけた。もちろん初心者用だった。先生は、見るだけでも勉強になるから・・とおっしゃっていたが、本当にそうだった。たっているだけで、美しいのである。手を少しあげるだけで、私はぼーーっとしてしまった。もう、自分ができるとかできないとか、関係なかった。で、その彼女も、全然できない方がいたのだけれど、その人を一生懸命教えようとするのである。できるまで。これは、日本のお教室では、あまり見ない光景だった。私の先生もそう。私たちより目上の方で、上達が少し遅れ気味の方でも、絶対に教えようとする。私はこの姿勢が大好きだった。大事なのは、才能じゃなくて、好きな気持ちと、努力と、継続・・
2003年08月28日
コメント(5)
全302件 (302件中 1-50件目)