「屋漏 (おくろう) に愧 (は) じず」という言葉がある。

「人が誰も見ていない場所でも、恥ずべきようなことはしない」という意味だ。

良心とは、そもそも他人から押し付けられるべきものではない。

自分自身の心の内に照らして、自ら、律すべきものだ。

しかし、自分の良心のままに従った行為が、『犯罪』とされてしまう運命に
ある人間がいるとしたら、どうだろう。




スカパーのディスカバリー・チャンネルで、「殺人の解明 / 人はなぜ殺し合う
のか」という特集をしていた。

殺人者の脳と一般人の脳を PET スキャンで比較したり、小さな子どもが
いかにして攻撃的な習性を身につけ、ルール破りに走ってしまうか等を
実証的に調査したりしていた。

中でも興味深かった実験は、3~5歳の子どもに、線で描いた枠の中から
出ないでボールを投げさせ、的に当てたら、その子がいちばん欲しがって
いるご褒美をあげる、というゲーム。

大人たちが部屋から出てしまい、マジックミラーで観察していると、
ほとんど全ての子どもが、ルールを破り、枠から出て的に当ててしまう。

そして、ルールを破るまでに躊躇した時間によって、その子の 良心を点数化
するという。

『躊躇した時間が長いほど、良心が強い』というわけだ。

果たして、そう単純な比例関係があると言い切れるかどうかは疑問である
としても、「人がいない場所で、悪いことをどの程度ためらうかが良心を
測るものさしになる」という発想には、じゅうぶん感心させられた。

さらに、そのようにして点数化された良心と脳その他身体の状態との
関連を調べ、将来的には、80%程度の確率で、ある子どもが犯罪者に
なるべき性質を備えているかどうかを予測できるようになるだろう、と
学者は断言する。

つまり、 犯罪者になるべき運命を持った子ども は、自分の心のままに
したがって人生を送ると、どうしても犯罪を行ってしまう運命にある
ということになるらしいのだ。




それを観ていて、19世紀末の天才法医学者、ロンブローゾを思い出した。
彼は、どんな人相を持った人が犯罪者になる傾向があるか、また、どんな
人が先祖にいると、生まれつき犯罪者になるべく運命にあるか等、解剖学や
精神医学に基づいて実証的に研究した。

「頭が小さい人間や目つきが悪い人間は犯罪者になる傾向があり、禿げて
いる人には善人が多い」などと、統計を取ってマジメに研究したので、
一定の評価もあったらしいが、当然ながら、現在では笑いのタネにしか
ならないだろう。

彼の説が正しければ、顔の小さいモデルや、最近、人相が悪くなってきたと
自他ともに認める僕自身など、真っ先に『犯罪者的傾向』の烙印を押されて
しまうことになる。

ただ、僕が思うに、人相と犯罪は、「原因→結果」という関係ではないに
しても、何かある別の原因があって、それが人相と犯罪行為に影響を与えた
ということは、十分に考えられるのではないか。

たとえば、「貧しくて食物が買えない」→「腹が減る」→「タンパク質が
不足する」→「人相が悪くなる」→「カルシウムも不足する」→「神経が
いらだつ」→「犯罪に走りやすくなる」等々、あっても不思議ではない
因果的連関のような気がする。

番組での特集やロンブローゾの研究は、「人→罪」という方向だが、
もちろん、「罪→人」(環境→犯罪者)という方向の研究も多い。

『“社会からの逸脱者”という烙印が、犯罪を助長させる』『合法的な
手段で目的を達成することが困難な環境にあればあるほど、人は法を破る』
『家族や友人との絆が深いほど、犯罪は抑制される』等々。

いずれにしても、人間が法を破って犯罪を犯す原因には、社会的・環境的な
要因、生物学的な要因が、複雑に絡み合う。

だから、「もともと悪い人が罪を犯すのか、罪を犯す原因があるから悪い
人になるのか」という問題は、「鶏と卵」のようなものなのだ。




映画「アメリカンヒストリー X」では、“有色人種は社会の害悪”と
信じ込まされるような環境に育った兄弟の不幸を描く。

素直で感受性豊かだった子ども達は、父親を黒人に殺され、成長するに
したがって「人種差別をなくすことこそ、悪だ」と盲信するようになってしまう。

あるとき、胸にナチスの鍵十字の刺青をしたスキンヘッドの兄が、刑務所内で
高校時代の恩師に、静かに問いかけられる。

"Has anything you’ve done made your life better?"

「おまえが今までしてきたことのうち、1つでも、
        自分の人生をよりよくするようなことがあったか」


「社会や家族を」と言う代わりに、「自分の人生を」と言うあたりが、
この教師のただ者ではないところだ。





人間は、弱くて不完全な生き物だ。

人が人である限り、「罪」というものは、この世界から消え失せることは
ないのかもしれない。

(↑自分がいつも よからぬこと ばかりしていることへの言い訳。。)


“ 主なる神は女に向かって言われた。「何ということをしたのか」
  女は答えた。「蛇がだましたので、食べてしまいました」 ”

                    ―― 旧約聖書 創世 3:13


誘惑に負けてリンゴをかじった女が悪いのか、だました蛇が悪いのか、
それとも、、、





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