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どこかが麻痺していないと、為せないことがある。何かが欠落していないと、成せないことがある。たとえば、人間は、麻酔なしに外科手術を耐えられないように。人が人に課するある特定の仕事は、心のある部分が麻痺していないと『やってられない』状態になることがある。しかし、麻酔なしでは不可能な作業をも。人はしばしば、当然のように『可能』と呼ぶ。 --------------------さて今週の30日は、いよいよテキストの第1章、締切。以前のように奇跡が起きて締切が延期されないかぎり、あるいは会社が火事になってくれないかぎり、泣いても笑っても、締め切り。結果は、考えない。やるか、やらないか。選択は、常に単純だ。“もし世界の終わりが明日だったとしても、私は今日、リンゴの種をまくだろう。” ―― ゲオルギウ ---------------------- 手相占いなどしてみた。<運命鑑>http://www.unnmei.com/index.html結果: ・・・・・。なぜ、こんなに当たるんだろう。心理テストとか、質問にたくさん答えるタイプの診断テストが当たる仕組みは理解できる。人間の思考や行動のパターンは一定の類型化が可能だからだ。たとえば、EQテストとか。しかし、手相。これが統計的に少なくともある程度は信頼できる仕組みを科学的に証明できたら、まさにノーベル賞ものだろうな。
Sep 25, 2006
薄々は、気づいていたのだけれど。なるほど。やっぱり、自分とは、こんなにも感覚が違うものなんだな。『一般社会人』というものは。実に5年以上ぶりに会う学生時代の後輩、2人。そのうち1人は、十数年ぶりの再会。当たり前なのだが、ふたりとも、すっかり大人になっていた。で。何が、ついていけないかといって。仕事の話。会社の話。今まで『会社員』というものになったことがない僕は、2人が楽しそうに、ときには、苦々しく愚痴る、会社での失敗談を、どうしても身近なものとして実感できない。ああ、そういうものなのかな、と、聴くだけ。有給休暇を全部とるのは勇気が要る、とか、どんなに時間が遅くなっても上司が残っている間は帰れない雰囲気がある、とか、失敗して始末書を書かされるときは悔し涙が堪え切れない、とか、社章を失くしたのはどうやらとんでもないミスらしくて、数年間、というか今後もずっと会社を辞めるまで誤魔化し続けようとか、会社にとって社員が思想的な価値観を表明するような行為は(なんと私生活においても!)好ましいとは思わないとか、ボランティアをするヒマがあったら営業成績を上げろという雰囲気が当然のようにある、とか、CMでは顧客の方を向いた姿勢を示しているし会社の上層部もそんな感じだけれど、支店長とか、中間管理職は目先の数字ばかりを追って長期的な視野が全くない、とか・・・・・。今夜は、不意打ちで、軽いカルチュア・ショックを受けてしまったよ。日本の企業。超一流とか呼ばれる日本企業。ダメだよ。全然ダメ。まだまだ、未熟なんだな、と、いうことを知ることができた。と、同時に。僕自身が、『世間』の感覚といかにズレているか、を思い知らされた。そんな夜。
Sep 15, 2006
こうして、毎日ブログを更新しようと決めてみると。何かしら書くネタは出てくるものだ。と、改めて感心する。というか。今日、思ったのは、テーマというのは、「ある」のではなく「作る」、または「努力して見つける」ものなんだな、ということ。それはあたかも、好きな人を前にして、何を話そうか、あれ、話すことが思いつかないぞ、どうしよう、でも、何か話さなきゃ、できれば、何かしら中身があることを・・・という切羽詰った情況で、ともかくも何かしらのネタを頭を絞って捻り出そうとする情況に似ている。沈黙したら、すべてが終わり。そういう情況。たとえば、15年前の自分だったら、そんなとき、迷わず沈黙を保って状況を台無しにする(ある意味で尊敬すべき)勇気があったのだけれど。今の自分には、『黙る自信』は、ないかなぁ。。。その代わりに、『話せる自信』は、絶大。とか、言い切れるだけの経験を重ねてきたということかもしれない。 “文章を書くという作業は、とりもなおさず自分と自分をとりまく事物との 距離を確認することである。必要なのは感性ではなく、ものさしだ。” ―― 村上春樹「風の歌を聴け」 「距離を確認する」というほど意識して考えていたわけではないのだけれど。いまの僕自身には。なんとなく、『書く』ということが、自分の実在を基礎付けるために必要な作業である気がしてならないような、切迫感。そういうものは、あるかもしれない。 いや、なんとなく。なのだけれど。文章を通じて以外には表現できない、というか、表現したくないぞ、というような、(しかしたぶん非常に軽い)思い入れ。
Sep 14, 2006
歯医者の待合室で見つけた本。「へんないきもの」。その中の、クマムシ、という生物に、すっかり圧倒されてしまった。魅了されてしまった、と言ってもいい。この生き物。生存のために、酸素を必要としない。水がまったくない状態で、100年以上生きられる。(通常は体重の85%を占める水分を乾燥状態では3%にまで減らすことができる。)しかも、無気圧の、真空状態でも生きられる。絶対零度に近い-272℃から、151℃まで耐えられる。6000気圧でも死なない。(他のあらゆる微生物は3000気圧で死ぬ)人間の致死量の約1,150倍の放射能を長時間浴びせても死なない。電子レンジで3分間チンしても死なない。しかも。外見は、こんな感じ。 こんな生命体が、体長 50μm~1.7mm だったから、よかったよ。これで体長が1~2メートルもあったら、、、、人類なんて、二百万年くらい前にこの生物の支配下に収まっていたか、絶滅させられていたか、どちらかだろう。
Sep 13, 2006
さて、今日の授業は、7時~9時。シャワーを浴びたりとか、食事をしたりとか、出勤の準備は4時くらいから始めれば、余裕かな、と。せっせと、今日が締切の数学の問題選定に励む。午後4時を過ぎて。そろそろ、シャワーを浴びようか、しかし、その前に軽く運動しとこうかな、と。鉄アレイを百数回、振り回す。さて、次は、腹筋。・・・と、思った、その瞬間。7時からじゃなくて、5時からだよ!!と、いうことに、気づいた。現在時刻を確認。なんと、非情にも。 16:24pm!!!ぜ~~~ったいに、間に合わない。スタッフに電話して、受講生には1~2時間待ってもらうように、伝えてもらおう。理由は、『講師のスケジュールの確認ミス』。ハズカシイあああ、実に、10年ぶりに近い、大失態だよ。。。オウ、マイ、ガ~~ッ。 (←欧米か?! by タカ&トシ)と、一瞬、大反省をする自分。しかし。絶好調のときの自分は、ここからが違う。いや、待てよ・・・。電話するのは、ギリギリでいい。いまから、シャワーも浴びず、髭もそらずに、着替えだけして、出発しよう。そして、途中で、どうしてもやっぱり遅れてしまうと判断したら、電車の中からでもいいので、会社に連絡しよう。そう判断した僕は、Tシャツを脱ぎ、運動して汗だくになった体に性感剤、じゃなくて、制汗剤をたっぷりスプレーして、コロンをいつもより多めに振りかけて、Yシャツに着替える。ネクタイをしている時間はないので、電車の中で着けるべく、カバンに放り込む。駅まで、全力疾走。渋谷駅から会社まで。人ごみを、躱わして、躱わして、、、、、全力疾走。間に合った。 なんと、間に合った!!!あまりの奇跡的な強運に、驚いている間もなく、とりあえず、いつもどおり、会心の授業を無事に終える。授業を終わった瞬間、ふと思った。16:24 という、まさにギリギリに間に合う時刻に、自分の勘違いに気づいたのは、なぜだろう。自分は、とてつもない強運の持ち主なのだろうか。それほどまでに、自分の普段の行いは善いということなのだろうか。
Sep 12, 2006
早朝。雷の轟音に、起こされる。寝ぼけ眼で。あまりにも、いつまでも、しつこく怒鳴り続ける天に向かって。「いったい何が不満なんだ!?」と、思わず叫びたくなった。実際。正体が電気だって知らなかったら、絶対に、天が何らかの意思を持って人間に嫌がらせしているのではないか、と考えると思うよ。現代において、金縛りや虫の知らせ、シンクロニシティなどをはじめとした超常現象などが、原因が明確に解明されていないために、とりあえず霊とかspirit などという言葉で一括りにされてしまっているように。昔の人は、雷という意味不明な現象を『天の怒り』だと理解して、怯えきっていたのも、たしかに無理はない、と思う。 “恐怖の数のほうが危険の数より常に多い。” ―― セネカ ------------------ ところで、雷鳴がとどろいている間、僕が布団の中で懐かしく思い出していたのは、一人の女の子。雷が鳴るたびに、稲妻が光る毎に、本気で怖がって。ぎゅーっと、しがみついてきた。雷の正体が何であれ、それを恐怖する『気持ち』は十分に理解できる。「だいじょうぶなんだよ」と、(自分がそれまでの人生のなかで発揮してきたかぎりの最も頼もしく聞こえるはずの声で)安心させようとする、僕がいた。その一言で。そんな短い言葉だけで、思いが通じた。あの頃。 ----------------なんとなく。今の自分だったら。「だいじょうぶだよ」の一言とともに、雷が光ったり音を出したりする仕組みを科学的に、ああだこうだと長々と説明し始めたり、都市の真ん中で1軒の住宅に落雷する確率がいかに低いかを、理論的に説明してしまったりしそうだよ。いや、ほぼ確実に、してしまうと思うよ。 ---------------- ときには、言葉が要らないこともある。リクツがいらないこともある。
Sep 11, 2006
一言、二言、言葉を交わしただけで。無意識に、この人と何かもっと話がしたいな、と。そう、思わされてしまうような、人がいる。僕はそんな人に、正直、心から憧れてしまう。そして、ふと。自分自身を顧みる。まず何よりも、第一印象が、悪すぎ。特に。何かに自分の心が大きく占められているときなど。他人に対して、ついつい、不誠実な態度になる。無愛想になる。いいかげんになる。面倒だとか鬱陶しいとかいう気分を前面に押し出してしまう。・・・・・・・・・。大いに、反省。まったく見ず知らずの他人に接するときの咄嗟の態度を見れば、その人の、人間的な幅の広さを垣間見ることができる。そんなことを思った、日曜日の午後。 “君子は、和して同ぜず。小人は、同じて和せず。” ―― 孔子
Sep 10, 2006
数学三昧。部屋にいてパソコンに向かっていても。通勤電車の中でも。あろうことか夢の中でも。頭の中が、数式やら図形やら座標系やらで満たされる日々。いや、たいへんな授業を引き受けてしまった、と思うよ。とにかく、解くべき問題数が多い。準備に、やたらと時間がかかる。問題の選定に、これまた一苦労。まあ、これはこれで楽しいから、いいんだけど、ね。いいのか?そして、それとは別に。新人講師のトレーニング。彼もまた、数学者。知的刺激に溢れた時間が流れる。 彼の授業の、あまりのイケてなさは、おいといて。 “純粋数学をやりながら、人類に役立つかどうかなんて考えている 数学者は、たぶん歴史上、誰もいないと思うんですよ。 僕も人類の幸福なんて考えたこともないですよ。 幸福とか福祉とかね。 ただ、数学は圧倒的に美しいですからね。 それにひきこまれて、ずたずたになってもいいからいくという。 そういうところがありますね。” ―― 藤原正彦
Sep 9, 2006
好奇心は旺盛なのだけれど、すぐに飽きる。ものごとが続かない。持続力がない。気まぐれ。そんな自分の欠点を大いに自覚して。今回、楽天ブログは毎日更新することに決めてみた。とりあえず、いまのところ1週間は更新が続いている。自分にしては、上出来。今後も、特別の事情がないかぎりは、一言ずつでもいいから、何か書いていこう。と、宣言してみる。 “精神を凌駕することができるのは、習慣という怪物だけなのだ。” ―― 三島由紀夫
Sep 8, 2006
僕は、恵まれていた。自分の進む道を、自分で選択する機会が与えられていた。選択するのは、自分自身だということも知っていた。孤独な道。不安な道。しかし、それは、自由な道だった。自分を生かすための、自分だけが通るための、気が遠くなるほど、自由な道だった。笑顔でなかったのは、つらかったからではなくて、真剣だったから、本気で、生きることを楽しんでいたからだった。さびしくなかった。苦しくもなかった。永遠に歩くことができる、楽しい道だった。やがて、、、、道の途中で、“夢”に出会った自分は、ようやく、心からの笑顔を人に見せることができた。そして、泣いた。夢を手に入れ、歩くことをやめた自分は、いつまでも、夢に寄り添って、泣いていた。
Sep 7, 2006
最近の。座右の銘: やるか。やらないか。 根性がくじけそうになったとき。まあ、どうにでもなるさ、と開き直りそうになったとき。そんなときは、二者択一に限るよ。 単純素朴。それが一番。な、ときもある。
Sep 6, 2006
今のままで、いいのか。ここ数か月、それを考えない日がない。会社では、現在、『超多忙な人』ということになっている。しかし。現在の仕事においては、ほとんどストレスというものを感じることがない。それでいて、適度な充実感や幸福感、そして何より、時間的な余裕や心身のゆとりを、願ってもないほど享受できる。う~ん。。。たしかに、授業は、ほぼ毎回、会心の出来で。以前などは、受講生の「ノリ」によって、自分の気分が大きく左右されたりもしたのだけれど。最近は、どんなクラスでも、どんな受講生でも、何でも来い。って感じで。自分の腕に、絶対の自信がある。インドネシアのチャンピオンを1ラウンドKOした直後の(つまり今現在のノリにノった)亀田大樹並みに、自分に対して無限大の自信がある。自分で言うのも何なのだけれど、心、技、体、すべてにおけるバランス感覚が実に見事だよ、仕事スイッチが入ったときの自分は。で。これで、いいのか、と。今のまま、、、あと数年??悩む自分。迷う自分。 “鉄砲玉が遠くまで飛ぶのは、方向が限られているからさ。” ―― ディアギレフそうなんだ。僕自身、痛烈に実感している自分の人生的な最大の欠点は、「方向が限られていない」という、ただその一点に尽きると言ってもいい。
Sep 5, 2006
余計なものを背負い込みすぎていないか。余分なものを保持しすぎていないか。環境に合わせすぎていないか。自分の欲求を優先させすぎていないか。惰性に流されていないか。可能性を過大視していないか。 ----------------- 10年前の自分は。現在の年齢になっても、依然として同じことをやってるなどとは、まるで想像していなかった。というよりも。同じことをしている自分を想像しかけては、ゾッとしていた。だから、想像しようともしなかった。やがて。月日が経ち。10年間。そう。10年間も。『同じこと』をしている自分がいる。言葉にしてしまえば、『同じこと』。しかし、その本質、その内容は、10年前とは雲泥の差がある。何も知らない人が見れば、草野球も、高校野球も、大リーグも、球を投げて、打って、走る、という、それだけの、同じ行為。しかし、その技術と、才能と、努力と、その1つ1つのプレーがもたらす感動には、絶対的な、圧倒的な、差がある。子どもの頃テレビで観た、刀鍛冶の職人が登場するコマーシャルを思い出した。「三十、四十は、鼻ったれ。六十になって、やっと一人前」『同じこと』を数十年続けないかぎり、なし得ないものが、この世界にはある。たしかに、ある。 “勤勉だけが取り柄なら、蟻と変わるところがない。 なんのためにせっせと働くかが問題だ。” ―― ソロー
Sep 4, 2006
半月。を美しいと思う。 人が美しい。と思う。 人間がつくったもの。を美しいと思う。 ひとのこころ。をうつくしいとおもう。 “ 「あどけない話」 智恵子は東京に空が無いという ほんとの空が見たいという 私は驚いて空を見る 桜若葉の間に在るのは 切っても切れない むかしなじみのきれいな空だ どんよりけむる地平のぼかしは うすもも色の朝のしめりだ 智恵子は遠くを見ながら言う 阿多多羅山の山の上に 毎日出ている青い空が 智恵子のほんとの空だという あどけない空の話である。 ” ―― 高村光太郎
Sep 3, 2006
最近のお気に入り。のむ大豆。 口当たりのよさとかはどうでもいいから、とにかく健康にいいもの、体にいいものを。と、求める人には、ぜひお奨め。 -----------------Skype 初体験。先月からアメリカに住み始めた親友と。地球の反対側にいる人とでも、何時間でも、無料で、テレビ電話で会話ができる。こんなに便利なものがあるのに、そして、その存在は知っていたのに、どうして今まで利用しなかったんだろう。というか、こんな便利なものの存在を知っている人たち、どうして皆に利用を奨めないのだろう。パソコンの常時接続環境があるかぎり、世界中のどこにいる人とでも無料で会話ができる。カメラとヘッドホンのセットも千円程度で買える。特に、遠距離恋愛中の人たちに、絶対お奨めだと思ったよ、これは。NTT Docomo や NTT の高い電話代を気にして通話を中断する必要もない。ボーダフォンの『LOVE定額』すら、払う必要がない。世界中のどこからでも、誰と何度話しても、無料。しかも、お互いの顔が見える。いや、僕みたいに、友だちが少ない人は、いいんだけどね。友だちが多い人は、携帯やNTT電話で話すヒマとお金があったら、ぜひ、Skype で話すべきだと、切に思うよ。
Sep 2, 2006
なんというか。最近は、夜の記憶が飛んでいる。要するに、それだけ速いペースで酔っ払ってしまっている、ということだ。たとえば昨晩など、かなり酔った頭で日記をアップしたらしいのだが、翌朝にはその記憶が、全くない。いや正確に言えば、ぼんやりとは何か書いた記憶が残っているのだけれど。何を書いたかは、ぜんぜん憶えていない。相当に酔っている時は、楽天でヘンなこと書いたら恥ずかしいと思ってアップしないように気をつけている(いた)んだけど、、、、昨晩などは、その辺のことあまり考えずにあっさり書いてしまった(らしい)。たとえば、数日前など。プロフィールの写真がいつのまにか変更されてるのに気づいて、われながら唖然とした。いつのまに、か。そう、ほんとうに、いつのまにか、に。この写真をプロフィールに載せようとするとは。さすが、酔った自分、と感心。そして、それをあえて意地でも外そうとしないのは、さすが、シラフの自分、と感心。そして今、こんなこと書いてる自分も、相当に酔っている。たぶん、明日の朝は、何を書いたか、記憶がないと思う。そんな日常。も、ときには、ある。
Sep 1, 2006
『お疲れ様』という日本語を、日本語がわかるアメリカ人に英語に翻訳してもらった。You must be tired.「お疲れになっているに違いありませんね」I appreciate your hard work.「頑張ってますよね~」後者に、1票。
Aug 31, 2006
不完全性定理で有名なゲーデルが、アメリカの永住権を得るためのテストを受ける準備をしていたときのこと。勤勉なゲーデルは、合衆国憲法を隅から隅まで研究し、アメリカが独裁政治へと合法的に移行しうる論理的な可能性を発見した。テストの当日、裁判官との面接で。裁判官: 「出身国は、ドイツですか?」ゲーデル: 「いえ、オーストリアです」裁判官: 「いずれにしても、独裁国家でしたな。しかし、わがアメリカ合衆国では、 決してそのようなことは起こりえませんからね」ゲーデル: 「それどころか、私は、いかにしてアメリカが独裁国家へと合法的に 移行できるか、その可能性を理論的に証明できるのです」そう話し始めたゲーデルに、保証人のアインシュタインとモルゲンシュテルンは、あわてて一般質問に話を戻したそうだ。 -------------------------- 「億万長者になりたい人は、投票しよう!」最新号の「クーリエ・ジャポン」で、こんな記事を見かけた。アリゾナ州で11月に行われる住民投票で「投票者懸賞金法」という法案が成立すれば、投票した有権者のうち抽選で1名に100万ドル(約1億円)が当たることになるそうだ。提案者は、州知事に立候補した経験もある眼科医、マーク・オステロ。懸賞金は、同州の宝くじで当選者がいなかった場合の余剰金が当てられるとのこと。選挙のたびに行われる「投票に行こう!」という呼びかけキャンペーンに費やす数百万ドルという税金も節約できるし、投票率も上がるのだから、いいこと尽くし。の、はず。しかし、この前代未聞の提案に対して、新聞やテレビで激しい批判が巻き起こる。「選挙をえげつない金儲けにしてしまってはならない」「どうかしている」「卑しい」「民主性の過程をないがしろにするやり方だ」・・・・。そんなふうに批判されるたびに、提案者のオステロは嬉しくてたまらないそうだ。「滑稽だと思いませんか?」と彼は言う。「選挙の投票率を上げることが民主主義を侮辱するというのだから。そんな矛盾した話は聞いたことがありません」 さて。もし、万一、このシステムがアリゾナ州で可決されて。世界中に真似をする国が、次々に現れて。日本でも、『宝くじ付き投票制度』が導入されたりしたら、どうなるのだろうか・・・。 ------------------ ちなみに、僕自身は、いままで一度も投票というものに行ったことがない。20歳で選挙権を得て以来、地方選挙や国会議員の総選挙も含めて、一度も。何かの折にこんな話をすると、相手の反応は、おおむね次の3通り。(1)一般的な相手の場合「イーサさん、行かなきゃダメですよ~」と言われて。「えへへ」と、苦笑い。(2)正義感の強い人、または政治に関心が高い相手の場合「投票は、行ったほうがいいよ。選挙権というのは、歴史上、多くの人間が命を犠牲にして、ようやく人類が獲得した貴重な権利で、その恩恵を当然のように思って行使しないでいると、少数の指導者に自分たちの意のままに政治が動かされることになって、、、、」とか説教されて。「いや、それは、わかってるんだけどね」と、反論しようとして。「だったら、行くべきだよ。投票したい人がいないんだったら、白票でもいいから投票して、自分の意思を表明すべき。投票に行かないというのは権利の放棄でもあり、国民としての義務の怠慢でもあり、、、」などと熱を込めて語られたり。(3)僕が政治に大いに関心があることを知っている相手の場合「え~~!? どうして??」と、とりあえず、理由を訊いてくれる。この場合、僕の回答は、だいたい以下のとおり。 --------------------- そもそも、投票率が低いことは、民主制にとって嘆くべき状況ではない。特に、現代の日本のような政治状況では。スイスのような人口が少ない国なら、棄権に対して罰金を課すなどして投票を国民の義務にしてしまっても、まあ、うまくいくのかもしれない。しかし、日本のような人口の多い国では、むしろ、棄権する自由や、政治に対して無関心でいる自由も含めて、国民の多様性を重視する方が健全な社会であり続けられるのではないか、というのが僕の考えだ。「民主主義」と称しながら実際は独裁国家であったヒトラー政権下でのドイツでは、投票率が100%に近かった。「民主主義」「人民」「共和国」という象徴的な3つの言葉を正式国名に入れている北の某国でも、選挙のたびに投票率は99%以上になるけれど、国家の実情は、タテマエである正式国名とはまるで真逆。前回の日本の総選挙でも、「何だか面白そうだな」という理由で投票に行った人が増えたおかげで、投票率は非常に高くなったけれど、結果はやはり、小泉首相の思惑通り。つまり、投票率が高くなったからと言って、必ずしも、少数派の人々の多様な意見が反映されるわけではないのだ。むしろ、全く逆に、大衆が「大きな政局の流れ」や、歯切れがよくて見栄えもいい政治家に乗せられて投票し、その結果、指導者の権威に、さらに大きな裏づけを与えてしまうことも多いのだ。ところで、言うまでもなく、民主主義では、多数決によって最終的には全てが決まる。ということは、少数派の意見や希望は、多数派に抑圧されるものだということが、システムとしての前提になっている。『自由主義』でもあるはずの社会で、なぜ、そんなことが許されるのか。それは、国民が、1つのフィクションを(無意識に)信じているからだ。「自分たちが選んだ政治家が決めたことだから、自分たちに対する自由の制限も、義務や禁止も、許容すべきなのだ」という、フィクション。投票という行為は、その民主主義フィクションに参加しています、という国民の無意識の意思表示でもある。フィクションを受け容れます、という儀礼的な手続きでもある。だから、民主主義の敬虔な信仰者は、棄権という行為を何か非道徳的な行為のようなものだと(無意識にせよ)信じてしまっているのだ。 僕に言わせれば、無党派層や政治に無関心な有権者というのは、いわば、車のハンドルの「あそび」のようなものだ。この「あそび」がなければ、権力者や大衆扇動者がちょっとハンドルを切っただけで、国全体があっちに行ったりこっちに行ったり、非常に危なっかしくてしかたなくなるのではないか。「宝くじ付き選挙」なんてものが実施されたら、それに釣られて、政治に全く関心もない有権者や、ワイドショーの言うことを鵜呑みにするような有権者が、こぞって投票に行くような社会になることだろう。たしかに、投票率は異常に高い数字になるかもしれない。しかし、それに比例して、民主制度自体が自滅する危険率も、異常に高まっていくのではないだろうか。“民主主義は、どうやら最悪の政治形態であるようだ。 これまでに試された、すべての政治形態を別にすればの話であるが。” ―― ウィンストン・チャーチル どんなシステムにも、欠点はある。その欠点を大きくするか小さくするかは、システムを利用する者のバランス感覚次第だ。
Aug 24, 2006
やっぱり最近は調子がいいんだな、と思う。この10日間、連続で休みがなかった。しかし、毎日が楽しくてしかたがなかった。3日連続で10時間の授業(5時間×2)があったりしたのだけれど。本当に、疲れない。ストレスが、全くない。仕事が、面白い。そう。こういうときも、ある。“「・・・したい」などという心はみな捨てる。 その代わりに、「・・・すべきだ」ということを自分の基本原理にする。 そうだ、ほんとうにそうすべきだ。” ―― 三島由紀夫
Aug 20, 2006
朝。目覚めると、午前11時を過ぎていた。昨夜は何時に寝たのか思い出せない。いつもよりも頭全体がぼんやりとして、靄がかかっている感じ。体も、なんとなくダルい。実に数年ぶりに、風邪でも引いたかな・・・と、漠然と思いつつ。階段を上がり、書斎へ。パソコンを開くと、就寝時刻がメモしてあった。たっぷりと酒を飲んだ夜は、だいたい寝る前に就寝時刻を記録しておく癖がある。翌朝になると、寝る直前の記憶が完全に失われることを経験から知っているからだ。記録を見ると、22:40pm 就寝。なんと12時間以上、眠り続けていたことになる。これなら、体調もおかしくなるはずだ・・・。「健康管理」という名前のエクセル・ファイルを開く。このファイルには、体重や体脂肪率のほかに、食事や運動内容も記録してある。昨夜の献立:めかぶ、もやし、冷奴、枝豆、ハム。焼酎ロック300ml、ビール350ml、レモン杯500ml、カンパリソーダ350ml、白ワイン300ml、ジャック・ダニエル100ml、赤ワイン250ml。たしかに、この量なら、久々に二日酔いになっても不思議でないな。そういえば、昨日は、突然、気分がなんとなくオチてしまったので、とことん飲もう、と思って飲み始めたのを思い出す。・・・・・・昼下がり。せっせと仕事メールを片付ける。受講生からの質問、学習相談、スコア・アップの報告。教務ディレクターからの教材作成依頼。営業スタッフからの特別クラス開講の相談。会社主催の暑気払いパーティーの案内。同僚からの個人的な依頼。・・・・・・夕方。すっかり体調も回復し、10キロ程度のジョギング。びっしょりと汗が流れるままに、鉄アレイ、懸垂、ベンチプレス、腹筋、という、いつものメニューをひととおり。入念にストレッチをした後、入浴。風呂上り。窓を吹きぬけていく南風が、なんとも心地よい真夏の休日。充実感。 “人生は何物にも値しない。だが、人生に値する何物も存在しない。” ―― マルロー -------------------------------- 「人生」を診断するテストを見つけたので、早速やってみた。こういうテストを受けるといつも思うんだけど、人間っていうのは、たった何十問かの質問に答えるだけで、ここまで的確に類型化できてしまうのだから、単純なものだ。おそろしいまでに、単純なものだ。「恋愛」についてのコメントには、自分でも爆笑。~あなたの人生は何点?~-採点結果-イーサさんの人生は70点です。ランクはBです。(最高:A~最低:E)偏差値は66.1 日本人の中で658万8792位です。項目別評価項目 ランク(A~E)心 A あなたはバイカル湖の水のように澄んだ心の持ち主です。誰とでも楽しく話せて、電車でお年寄りを見かけたら席を譲らずにはいられませんね。いつも人のことを考えて行動し、おまけにとても積極的な性格だから誰からも愛されています。これからも美しい心のままでいてください。 体 B あなたは普通の人以上に健康です。運動も得意な方です。なろうと思えば学校の体育の先生とか、地元のスポーツチームの監督くらいにはなれるでしょう。Aランクまでもう一歩。頑張ってください。 境遇 B あなたは平均よりはいい境遇にいます。しかし、あなたくらいの境遇では他の人の努力次第で簡単に抜かされてしまいます。境遇のすねをかじりすぎずに謙虚に努力してください。 恋愛 D あなたは少しもてないようです。いつも周りのもてている人たちを見ては、心の中で羨ましがっていますね。そして、もてないのは自分のせいじゃない、みんなが自分の良さに気付いてくれてないからなんだ、と思っていますね。この際はっきり言っておきます。あなたがもてないのはそういうところがあるからなんです。あなたのせいなんです。これからは正直に自分を見つめ直して頑張ってみてください。まだまだチャンスはあります。 コミュニケーション D コミュニケーション能力が若干劣っているようです。コミスキ(communication skill)があれば多少のことも話術でなんとかなりますが、あなたのレベルでは、むしろ実際以上に悪印象を与えてしまいます。自分のことだけ考えずに相手の立場に立ったコミュニケーションをとるようにしましょう。仲のいい少数の友達に対してや特定の話題なら楽しく話すことができても、それ以外の事は苦手ではありませんか?少しずつでも、他分野の人たちともコミュニケートしていく必要がありそうです。 将来性 A めくるめくバラ色の未来が両手を広げてあなたを待っています。将来は約束されていると言っていいでしょう。ひとえに今までのあなたの努力のたまものです。このままでの調子でがんばってください。 お金 A 日本人の上位7.8%の収入を得ています。あなたはお金になんの不自由も感じていないはずです。資本主義社会のピラミッドの頂点付近にいます。でも、お金を持っているぶん面倒な問題が増えるかもしれません。余ったお金は、友達におごるとか、慈善事業に寄付するとかして、財力に見合った人間になりましょう。 運 A あなたはものすごい強運の持ち主です。宝くじに当たったこともありますね。ジャンケンでは7割以上の確率で勝っているでしょう。安心してください。あなたには幸運の女神たちがスクラムを組んでがっちり守っています。
Aug 4, 2006
亀田興毅,世界タイトル奪取。昨夜の一戦は,日本ボクシング史上に残る痛恨の悲劇として人々の記憶に残るであろうことは,間違いない。判定の瞬間。観ていたほとんど全ての観客が,専門家が,そして何より,本人自身が。信じられないような驚きの表情を,一瞬浮かべたほど。今日のスポーツ新聞や一般紙,ワイドショーは,やはり,予想通り。八百長だ!と非難する一般観客の声を紹介したり,テレビ局の視聴率稼ぎのための陰謀だと訴えるコメンテーターの意見を紹介したり,容赦のない痛烈な批判に埋め尽くされていた。その人気がすでに社会現象となっている亀田一家だけに,結果が不本意なときの世間の風当たりも人気に比例して強くなる。しかし。今回の判定結果については,一方的に審判を責めることはできないと思うよ。何よりも,採点システムが,悪い。悪すぎるのだ。ラウンド・マスト・システム。審判は,各ラウンドごとに,どちらが優勢だったかにより,あえて強引にでも差をつけることを余儀なくされる採点方法。このルールの下では,ときに審判が正直に良心に従って判定すると,「見た目」と「結果」に大きな乖離が生じてしまう。その絶好の一例が,昨夜の試合だ。たしかに,第1ラウンドでダウン。最後の2つのラウンドも劣勢。途中,バッティングにより,眼の上を切る。ボクシングを知らない人が見たら,明らかに,亀田の完敗。ボクシングをよく知っていて,採点方法はラウンド・マスト・ルールだということをすっかり忘れている専門家が見ても,亀田の完敗。しかし,「見た目」には全くこだわらず,ラウンドごとのパンチのヒット数だけを考慮すれば,亀田のほうが手数が多かった分,ポイントが優ることも十分にありうる『微妙な判定』だった。決して,かっこよくはない。しかし,こういう勝利もある。亀田興毅でなければ,それで許されたかもしれないが。世間が亀田一家に期待しているのは,結果とか,単なるカッコよさではない。すっきりとした心からの感動なのだ。最後の最後まで,努力の天才が歯を食いしばって耐えたせっかくの名試合を,歴史に残る迷試合にまで貶めた,採点システム。「見た目」と「判定結果」が,これほど大きく乖離してしまうルールを採用したボクシング協会こそ,大いに反省すべきだと思う。昨夜の試合結果を受けて,今後,亀田一家は,痛烈かつ残酷な,そしてときに陰湿なまでのメディアや世間からの妬みや誹謗中傷に襲われることだろう。しかし。亀田興毅には,今回の大きな挫折を跳ね返して,再び,真のヒーローとして,がむしゃらに,相変わらずクソ生意気に,突き進んでほしい,と心から思う。 “あらゆる出来事は、もしそれが意味を持つとすれば、矛盾を含んでいるからだ。” ―― ヘンリー・ミラー
Aug 3, 2006
掃除とか,しているとき。ふと思う。生きているって,いいな,と。素直に,まっすぐに,透明に。そんな自分で,ありたいと思う。 --------------------------------- 最近のお気に入り。発芽玄米。玄米を少しだけ発芽させることで,やわらかく美味しくなり,栄養分も増大。実に素晴らしい食品。人類の英知。5合炊いて,一食分ずつ,ラップに包んで冷凍。食べるときは,ラップに包んだまま茶碗に入れてレンジで5分半。ラップをはがし,箸でほぐして,真ん中に穴を開け,温泉卵を流し込む。そこに納豆のたれをかけると,もう,その香りだけで,至福感。納豆の方には,温泉卵のたれをかけて,とろとろに。朝,起きるとき,何が楽しみと言って,温泉卵かけ発芽玄米ご飯の香ばしい匂いと,独特の食感をイメージするだけで,すっきり目が覚める。というわけで,最近の朝食は,だいたい献立が決まっている。温泉卵,発芽玄米,納豆,めかぶ,海苔,わかめスープ。3日に1度くらいは,これにキムチやヨーグルトが加わる。 ------------------------- ところで,昨夜は,社内の部署間交流会。(と称する合コン)31歳女。30歳男。26歳女。37歳男。初めての顔合わせながら,仕事や恋愛の話題で大いに盛り上がる。そんな中,僕が,「最近,心の底から本当に美味しい!と感じる食べ物は,卵かけご飯なんだ」と発言。すると,一人の女性が,「そういえば,子どもの頃,父親に卵かけご飯を顔にかけられたことがある」と言い出した。これには,みんな,一瞬,絶句。「卵かけご飯を,顔に。。。なぜ???」と訊くと。「家族で朝食してるとき,私が,いらんこと言ったから」彼女は,そんなお父さんが,とても大好きだそうだ。ぼくらもみんな,そんな彼女が大好きになった。 --------------------- “幸福になる必要なんかありはしないと,自分を説き伏せることに成功した あの日から、幸福がぼくのなかに棲みはじめた。” ―― アンドレ・ジード
Jul 27, 2006
例えば,親しい人が,少しだけ困っているとき。それと同時に,あまり親しくない人が,ものすごく困っているとき。そして,その,どちらかを選ばなければならないとき。う~~~ん。。。。選ぶんだよ。どちらかを。なので,選んだ。 しかし。自分は,選んだ後。とても後味の悪い感じで。後悔,しきり。 なんだか。自分が,とっても,ちっちゃい男になってしまったかなー,と実感。 "現実の自分が,もしかしたらなれたかもしれない自分に,悲しげに挨拶をする。" ―― フリードリヒ・ヘーベル 自分の存在が。あまりにも小さくて無力。と,感じるとき。
Jul 19, 2006
“私の全存在は、生活の陳腐さに意味を与えるかもしれない、 いまだ知られざる何かを求めていたのであった。” ―― ユング 今日の授業は,あるとてもユニークな人のおかげで,クラス全体が非常にいい雰囲気になった。僕自身も,最高に愉快な気分になった。この人。先々週の授業初日に,休み時間が明け,クラスのほぼ全員が戻って来た頃に,僕に向かって言った。「この授業は,情報満載なのはいいんですけど,,,一度にいろいろな情報が入って来すぎて,理解が追いつけないです・・・」僕にとって,こういうフィードバックは大歓迎。謹んで受け止める。「あぁ。。。早口って言うことですか。それは,よく言われます。そうですね。気をつけたいと思います」「いえ,早口って言うか・・・」数秒の間。先に,僕が口を開く。「ん?・・・説明のスピードが全体的に速いということですか?もっと間を取りながら,ゆっくり目に進めた方がいいってことでしょうか?」「はい。。。そうして,いただけますか?」「あ,はい。。。気をつけてみます。では,もしわかりにくいところなどがあったら,たとえば,首をかしげたり,してみてください。あるいは,わかりにくい,という表情など,してみてください。そうしていただけると,こちらとしても,スピードを調整しやすくなりますので。いや,でも,そういうコメントやフィードバックは大歓迎ですので,ほかの皆さんも,何か気づいたことがありましたら,どんどんおっしゃってくださいね。メールで頂いても結構です。あそこのあの説明は,ちょっとわかりにくかった,とか。。。」で,授業が再開。クラス全体の雰囲気が,一変。僕が,みんなの表情を見ている,という緊張感からか,あるいは,そういう意見があったことによる刺激からか,受講生たちの集中力が一気に高まったのを,肌で感じとることができた。しかし。なんと。「理解が追いつけない」と言い出した張の本人,授業が始まって5分後くらいに,寝てしまった。これには,びっくり。超びっくり。ときおり,目を開けるが,やはり,どうしても耐え切れない様子ですぐに目がとろんとなり,寝てしまう。ああ,この人。きっと,おそろしく勉強に不慣れな人なんだろうな。あるいは,今日に限って,睡眠不足なのだろうか。それにしても,あんな発言をした後に,寝てしまうかなー。神経がフツーじゃないんだろうなぁ,と,すっかり感心。しかし,大人だし。しかたがないな,と思い,放っておくことにした。授業後。あえて皮肉も兼ねながら,「やっぱり,わかりにくかったですか??」と,その人に訊いてみた。すると,「いえ,,,だいじょうぶです。ついていけるように頑張ります!」と言いながら,初回授業アンケートを僕に差し出す。オフィスに戻って,それを読み,再び,ずっこけた。アンケートの「早すぎる」「難しすぎる」「わかりにくい」という欄に,丸印。いやぁ。。。寝ている人に,どうやって,わかりやすい授業をせぇって言うんだい。それに,ぜんぜん「だいじょうぶ」じゃないじゃないか。言ってることと行動が,あまりにも違いすぎる。もう,この人,面白すぎて笑うしかなかった。そして,自由コメントの欄には,「今日は体調が悪くてついていけませんでしたが,ついていけるように何とか頑張りたいと思います」という記入。まあ,このあたりは,しおらしいと言えばしおらしいが。。。しかし。2日目も,この人,最初の方こそ,集中しようと頑張っていたが,やはり,途中で耐え切れなくなった様子で,授業の大半を寝て過ごす。授業にきている意味ないじゃん,と思いつつも,まあ,相手も大人だし,と思って,そのまま放っておくことにした。すると。3日目。大事件,勃発。宿題の解説が一通り終わったところで,「何か質問がありますか?」という僕の問いかけに対して,またもや,その人が発言。「まだ,ぜんぜん説明が早すぎると思います。重要なポイントは,もっと丁寧に強調して,進めてほしいです。もう少し噛み砕いて説明していただかないと,理解が追いつきませんので・・・」などと,言い出した。「んー,,,,重要ポイントは,きちんと強調しているつもりですけど・・・たとえば,さっきのこれなんかも,一度だけではなく,何度もゆっくり強調してほしいということですか?」「はい。そうしていただかないと,内容が頭にきちんと残らないと思うんです」このあたりで,クラス全体の雰囲気が,いいかげんにしてくれよ~,という表情になる。「いやぁ,,,でも,私の授業は,テンポよく進む,というスタイルで確立していますので・・・それは,ご自身の求める授業のスタイルと,私の授業のスタイルが違う,ということを仰りたいだけだと思うのですが・・・先日お話したように,首を傾げたり,不明な点があれば,どんどん質問していただいても結構ですし・・・」「いや,それじゃ効率が悪いと思うんです。逆に,講師がこちらの求めるスタイルの授業をすれば,受講生の満足度も高くなりますし,それが,結局,お互いのためにもなると思うんですよ。こんなふうに感じてるのは,私だけじゃないと思いますし・・・」「あぁ,,,それが,実はですね。初回に,そうおっしゃったので,ゆっくり授業をしてみたら,アンケートで,非難ゴーゴーだったんですよ。ペースを遅くしないでほしい,今のままでちょうどいい,という意見が,圧倒的に多かったんです。やはり,今のままのペースのほうがいい,と思っている方が,ほとんどだと私は思いますよ」「それは,わかりませんけど,,,,私は,そう思いません。私と同じように感じている方は,多いと思います。」こうなったら,2人で議論していても,水掛け論。この人以外の受講生全員の授業中の目の輝きと集中力をしっかりと肌で感じていた僕は,1つの賭けに出ることにした。「わかりました。では,,,ここでちょっと授業が中断してしまったので,他の皆さんに,伺いたいと思います。この方の意見に,賛成,反対,,,,いや,どちらかというと賛成,あるいは,どちらかというと反対,という,いずれかに決めていただけませんか?皆さんのご意見を伺います。よろしいでしょうか?はい。では,どちらかというと,この方の意見に賛成,という方は?」挙手,ゼロ。「お一人も,いらっしゃらないですか? はい。では,どちらかというと反対,という方は?」9割以上の人が,挙手。僕はといえば,心の中で大きくガッツポーズ。「はい。ありがとうございます。・・・と,こんな感じなんですよ,他の方のご意見は,,,。なので,やはり今のままのスタイルでいきたいと思います。もし,まだ何かご意見があるようでしたら,後ほど伺いますので。」と,そんなことがあってから。それまで以上に,クラス全体が,一体化した。今まで,授業のスピードが少し速いと感じていたであろう人たちも,クラスの大半の人が現在のスピードに満足していることを目の当たりにして,俄然,頑張ってついていかなきゃ,と思ったようだ。僕は僕で,クラスのほとんどの人が露骨に僕の味方をしてくれたことに対して,というより,僕の授業スタイルを本音で認めてくれたという嬉しさで,非常に,異常に,ハイテンションになった。ときおり交える僕の軽口に,何度も大爆笑が起きた。そして,驚いたことに。上の発言をしたユニークな人も,それまでとは人が変わったように,まじめに集中して授業に取り組むようになった。重要なところで,ノートもしっかりとるようになった。僕のネタにも,腹を抱えて愉快そうに笑っていた。休憩時間中に,彼に向かって「どうでしょうか?先ほどの話の続きを今した方がいいですか?」と訊くと,「いいえ。だいじょうぶです。完全に納得しましたので」という返事。その後も,この人も含めて,クラス全体が,非常にいい雰囲気。こうなると,もう,授業が,楽しくてしかたがない。そんな僕自身の気分が飛び火してか,他のクラスも,楽しい。すべての仕事が,最高に,愉しい。 “わたしは,どんなときにでも応用できるような政策をたてたことは,一度もなかった。 つねに,その時,その場で,最大に意義のあることを試みてきたに過ぎない 。” ―― リンカーン つくづく,人間っていうのは予測不可能で面白い。
Jul 15, 2006
ヤバイ。。。やばいくらいに,毎日が,楽しい。心地よい。充実している。ひょっとして,躁病なのか?と,思わず自己診断してしまいたくなるくらい。それはもう,最近は,24時間,ハイテンション。全く完全に,愉快な気分がとどまることがない,ノー・ストレスな日常。異常?うん。あるいは,そうかもしれない。このあいだ,など。朝,目覚める前,どんなに楽しい夢を見て,朝食がどんなに美味しくて,出勤前の数分間のひと時がどれだけ幸福感に満ちていて,そして何よりも,仕事がいかに快楽に満ちているか,そして,仕事の後のプライベートな生活がどんなにも自分にとってかけがいのない時間を提供してくれるか,行き帰りの電車の中での体験がどれだけ面白いか,ということを,ふんだんに数値を使ってリアリズムで克明に記した日記を書いたのだけれど,,,,,それをアップしようとしたところで,残念なことに,誤って文章を全部消してしまった。まぬけ。せっかく,時間をかけて書いたんだけれど・・・。でも。これは,今思うと,アップしなくてよかったかな,とも思う。それほど,ふだんの日記よりもはるかに,自己満足と自己陶酔に溢れていた。(いや,普段の日記がいかに自己満足と自己陶酔と自意識過剰に満ちているかは,自分でも何となく,というか,かなりきちんとわかっている(つもりな)んだ。それでも,それをはるかに上回るほどだったから,やはりちょっと,救いようがない感じ。)というわけで。このところ。こんな感じ。・・・・。うん,わかってる。心配だよ。自分でも。 “10歳にして菓子に動かされ、20歳にしては恋人に、30歳にして快楽に、 40歳にしては野心に、50歳にしては貪欲に動かされる。 いつになったら人間はただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。” ―― ゲーテ
Jul 15, 2006
真夏日。全身を汗が滴るにまかせて、読書。少しだけ開けた窓を吹きぬけていく風。やわらかい音楽。薄く淹れたアイス珈琲の香り。至福感。 -------------------自分は、つくづく夏という季節が好きなんだな、と思う。そういえば、もう3年くらい、自宅でエアコンや扇風機を使ったことがない。正確に言えば、客が来たとき以外は、ということになるけれど。一人でいるときは、冷房器具は一切使わない。今日など、軽く5リットル以上は水分を摂取したから、ちょっと体を動かしただけで、どっと汗が出てくる。一日中、シャツから汗が乾くことはない。入浴後は、暫くのあいだ滝のように汗が止まらず、バスタオルが最低4枚は必要。3枚だけだと、全部ぐしょ濡れになってしまい、拭き取れないのだ。しかし、慣れてくると、こういう状態が快感になってくる。水が美味しい。珈琲が美味しい。ビールが美味しい。部屋を吹き抜ける柔らかい南風が、ゾクッとするくらい心地いい。“人は地に法り、地は天に法り、天は道に法り、道は自然に法る。” ―― 老子うん。夏は、思いっきり暑くて然るべきだ。 ------------------- ところで、減量作戦。52kg 前後で、体重が1か月以上ものあいだずっと停滞したままだった。なので、これはこれで1つのベスト体重なのかと思って、とりあえず減量は小休止することにした。酒をやめるか、筋肉を減らすか、あるいはプロボクサー並みに激しい鍛錬をすれば、もっと減らせるかもしれないが、まあ、今回はこれでいいかな、と。しかし、せっかくだから。最近、カロリー摂取量をどのくらい増やすと、どの程度リバウンドするかという実験を始めてみた。食事や運動量を増やしても減らしても、体重の変化にはそれほど大きく反映しなくなったことに気づいたからだ。たとえば、大阪出張の際なども、駅弁、うどん、たこ焼き、韓国鍋、その他ツマミ類も食べたいだけ食べた。しかし、大食いをした翌日、今までどおりカロリー制限の食事に戻しさえすれば、すぐに体重が減るようになった。<朝の体重の推移> ↑ちなみに、55kg に跳ね上がったのは、昼食に回転寿司を食べたいだけ(12皿)食べて、夜に同僚と焼肉を食べたいだけ食べ、酒を飲みたいだけ飲んだ後、午前3時まで居酒屋で飲み普通にツマミも食べた、翌朝。そんな暴飲暴食をした後でも。2日後には、きちんと体重が元の52kg台に戻っている。不思議。 --------------------画像をアップしたら、「脳年齢チェックゲーム」の広告があったので、やってみた。診断結果: 「あなたの脳年齢は、超17歳です」「超」って・・・・。いや、でもこれ、平均的な17歳未満の子どもがやったら、普通の大人より成績悪くなる気がするけどなあ。。そもそも、「年齢とともに脳力が衰える」というのは完全に迷信であって。池谷裕二をはじめとした脳科学者が言っているように、脳の能力は、アルツハイマー等の病気で物理的に破壊されない限り、実は年齢とともに向上するのだ。『歳をとったせいで、記憶力や思考力が鈍った』と考えている人の多くは、自分達が学生時代には毎日、少なくとも何時間も授業を受けて記憶力や思考力を鍛え続けていたという事実を忘れている。単に、大人になって、新しい物事を記憶するという作業から遠ざかっているからとっさにテストされてもうまく反応できないだけなのであって。何日間か訓練すれば、すぐに記憶能力は元に戻るはずだ。僕自身、毎晩浴びるようにアルコールを摂取している割には、現時点での脳力が、今までの人生の中で最も高いレベルにあると実感している。酒とか、年齢とか、夏の暑さとか、そんなものでは、人間の脳はビクともしないように精巧かつ頑丈に、造られているはずなのだ。“神様、自分では変えられないことを受け入れる平静さと、 自分に変えられることは変える勇気と、 そしてそのちがいが分かるだけの知恵をお与え下さい。” ―― マイケル・J・フォックス
Jun 28, 2006
“いまぼくがひたすら望んでいることは――存在すること(to be)なのだ。 どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では<他動詞>なんだよ。” ―― ヘンリー・ミラー「南回帰線」 ----------------------- はじめての、大阪出張。・・・とはいうものの、仕事は、実質3時間。なので、この際、せっかくだから思いっきり観光気分を満喫しよう!と、最初から心に決めていた。あいにく、天気は雨だったけれど。 仕事が済んだ翌日、ちょっと足をのばして、明石港に行ってみたり。 明石海峡、雨で景色をあまり楽しめなかったり。 (ちなみに、左の方にうっすらと見えているのが明石大橋。右の方にぼんやり見えているのが淡路島。)それでも、今回の旅では、関西地方の文化に心ゆくまま触れることができたのが、何よりの収穫であった。僕が(あくまで個人的に)感じた、関西と関東との文化の違い。その1:エレベーターの階を選ぶボタンが、外にある。いやぁ、これは、関西文明の方が進んでいるな、と、ずいぶん感心させられた。たとえば、東京のデパートなどでは、エレベーター・ガールがいない場合、(というか、何ゆえにエレベーターで「上へ参りま~す」などという女性が、依然としてエレベーター・アテンダントなどではなくエレベーター・ガールと呼んでも、社会的に許されるのだろう。看護婦と呼んではダメで、看護師。スチュワーデスと呼ぶのはダメで、フライト・アテンダントならオッケー。なぜ、エレベーターガールだけ、だいじょうぶ??・・・と、ちょっと考えてみたんだけれど。理由は明白。エレベーター・ガールというものが、そもそも、日本にしか存在しなくて、西洋には、ないのだ。だから、誰もこの和製英語にだけは目くじら立てない。そういうこと。)ぎゅうぎゅう詰めになった空間の中で、「5階押して下さい」「すいません、9階、お願いします」などと、ボタンに一番近い人にすべてを依頼しなければ自分の降りたい階には止まらないシステムになっている。しかし、関西の(というか、とりあえず大阪で僕が乗った)エレベーターでは、そんな不便は、起こりえない。実に、すばらしいシステムである。その2:エスカレーターでの、立ち位置。Walk left. Stand right.カナダと同じ。東京と逆。(↑だから、何?)その3:道行く人々が、非常に、フレンドリー。というか、なんというか。親切。とても、親切。僕が、四つ橋線の入り口はこっちかな、いや、こっちの方が近道かな、などと悩んで、前からやってくる人(60代とおぼしき男性)に道を尋ねた。すると、その人、どうやら地下鉄のことなど、よくわからないらしい。なのに。「四つ橋線」など、今までの人生の中で一度も聞いたこともない、という表情をどうしても隠しきれない、その人。懸命に、最善を尽くして、僕がどうすればいいかを、教えてくれようとするのだ。僕は、心から丁寧に、礼を言って。その人の教えてくれた方向に進もうとした。と、そのとき。道端に車を駐車し、こちらの様子を窺っていた(らしい)人が、「四つ橋線?」と声をかけてくれた。この人の、「よつばしせん」という発音を聞いて、あ、この人の方が、断然、信頼できそうだ、と、直観的に判断。(ちなみに、最初の人は、僕と同様、「よつはしせん」と発音していた。)この人、なんと、わざわざ車から降りて、わかりやすいところまで一緒に歩いて、丁寧に道順を教えてくれたのだ。もちろん、最初の人のアドバイスは、全く的を外れているとはいえないけれど思いっきり遠回りで。車から降りて教えてくれた人の指示が、やはり、最短距離だった。しかし、どちらのアドバイスも、僕の心には同じくらいに温かく響いた。さらに、もう一度。別の場所で、大阪の地下鉄の非常にわかりにくい標識を見ながら右往左往していると、またも、背後から、にこやかに「どちらへ行かれます?」と、いう声。「新大阪へ行きたいんですけど、、、、JR線と、御堂筋線、どっちがいいかな、と迷ってたんです」そして、この人も、実に的確に、丁寧にわかりやすく、最善の方法を教えてくれた。たとえば、東京だったら。誰かが道に迷っていても、わざわざ自分から声をかけたりはしない。と、いう人が、ほとんどなのではないか。赤の他人に対しては、自分の助けがマイナスになることは決してなく、プラスにしかならないと確信した場合でもない限りは、お互いに干渉しないようにしよう、というのが、なんとなく暗黙にある、東京人の、ごく普通の感覚なのではないか。うん。やっぱり、これは、ひとつの文化なのだと思う。特に。↓こんな恰好のヤツが、標識見ながら、なにやら考え込んでいたら。 東京だったら、「どちらへ行かれます?」などと親切に向こうから尋ねられることは、まず、ありえないんじゃないかな、と。近寄って行っただけで、いきなり警察に通報されることはあっても。
Jun 23, 2006
というか、訪問者が知りたいのは質問に対する答えなのであって、質問自体ではないはずだから、「本当に訪問者が訊きたい20の質問」か「本当に訪問者が知りたい20のこと」などとしなくては日本語がおかしいとは思うのだけれど、借りる身分で何かとケチをつけるのもなんなので(って、すでにつけてるけど)、とりあえず、そのまま拝借。------------------------------------本当に訪問者が知りたい20の質問
Jun 14, 2006
ある人が、断言するように、言った。「今までの人生で、イーサさんほど性格が悪い人には出会ったことがないです」そして、これは、褒め言葉なのだそうだ。-------------何だかんだと悪ぶりながらも、きっと、溢れ出る優しさは隠せないはず。そんな期待を、あっさり裏切られたそうだ。「イーサさんって、ほんとうに優しくない人ですね」「ええ?? そーかなぁ。こんなに愛に満ち溢れているのに・・・優しいよー」「ぜんぜん優しくない」「あぁ、そうか。たぶん、優しいんだけど、その表現の仕方をよく知らない、ということになるのかな」「優しさを表現できない、ということは、優しくないのと同じこととも言えません?」「うーん。。。たしかに」--------------今、思うと。自分自身が、作為のない率直かつ単刀直入な人間関係を心地よく思うあまり。そういうスタイルを、相手にも押し付けすぎたかな。と、いうより。自分が、相手のスタイルに合わせてみようと、しなさすぎたかもしれない。たとえば、だれかに贈り物を渡すときでも。実用性だけを考えれば、面倒な包装紙なんて不要なのだけれど。しかし、それがあるのと、ないのとでは、印象がだいぶ違う。実用的には一見ムダにも見える包装で、きちんと中身を覆ってから渡すことを「優しさ」「心遣い」あるいは「マナー」と、人は云う。省みると、僕は、『包装紙』といったものの存在を、まるで軽んじている。要するに、ずいぶんと無粋な人間だ。そういうことに、なるのかもしれない。--------------とあるモスクにて。「こんなふうに都会の真ん中にあると、一見、ラブホテルみたいだね」などと甚だ失敬な感想を述べながら、中に入る。その美しさに、息を呑む。その場が醸し出す空気に、しばし、現実を忘れる。---------------というわけで。土曜日は仕事の後、昭和ぼたんさんと、渋谷近辺を散策。その後、カフェで、ビールとワイン。夜は、ぼたんさん行きつけのバーで、カクテルやバーボンなど。--------------ぼたんさんと楽天ブログを通じて知り合ったのは、3年前。彼女は、実に、奥ゆきが深い。と、僕は思う。掘れば掘るほど、すごいものがどんどん出てくる、宝の山のような。ブログの文章を通じても、それは十分に伝わってくるのだけれど。他人のページへの書き込みや、自分のページの書き込みに対する返事をいろいろ読めば読むほど、人間とか人生に対する誠実さ、真摯さ、丁寧さ、といったものを、この上なく感じさせる。ときには、不器用にも切なく生を歩む自分自身を冷酷なまでシニカルに貶とす自分がいて。ときには、ひたむきに繊細に生を駆け抜けた自分を、愛しむように回想する自分がいて。そしてときには、それらの自分を、全部ひっくるめて軽く笑い飛ばしてみせる自分もいて。それに、何よりも、誰に対しても、書き込むときは、きちんと丁寧に、心を込めて書いているのが伝わってきて。「実物」は、一体どんな感じで他人に接する人なのだろう、と。かねてから、僕は、その人間性に惹かれていたのだった。--------------話したこと。庄野潤三作品の味わい深さ。透き通った上澄み。家族。科学。宗教。仮説。信念。霊現象。戒律としての礼拝と風呂上りのビールについての一般的考察。ユリ・ゲラーとガリレオのアナロジー。仕事。ヘンな客。サイ型動物の進化的安定性。組織の歯車 vs 一匹狼。目標。人生観。一点集中の強さ。無限の自己肯定。ブログ文学の展望と可能性。旅人作品絶賛。人生的な影響。分析的批判 vs 全面的称賛。<中略> (←自主規制)ほんとうに大切なもの。守られたもの。直観を踏まえた理性が解答できないもの。母親に微妙に間違えて教られたアルファベット。---------------ところで、昼食は食べなかったという、ぼたんさん。彼女が、その日、口にしたものと言えば。カフェで、ナッツを少々。バーで、ドライ・フルーツを少々。それだけをツマミに、空腹のまま、飲む。飲む。飲む。飲む。 ・ ・ ・ひたすら、飲む。ちなみに、睡眠時間は、毎日、3~4時間とのこと。休日には、5時間程度、ひたすら、散歩するそうだ。趣味は散歩、というのは知っていたけれど。5時間、、、って。超人。という言葉は、まさに、こういう人のためにある。---------------終電時刻も近づいた、ほの暗い深夜のバー。2人とも。いい感じで、ほろ酔い。翌日は朝から仕事がある僕のために、彼女が、超人的な理性を発揮して携帯で最寄り駅や電車の時刻などを調べてくれる。一方、僕はといえば。彼女の美貌と柔和な物腰、セクシーな眼差しに魅入られそうになりながらも、超人的な理性を発揮して、そろそろと店を出る心の準備をする。---------------深夜の、代々木公園。曇り空の下、時折吹く柔らかい風。静寂の中を、ふたり。時間が、ゆっくりと流れる初夏。“人生で一番楽しい瞬間は、誰にもわからない二人だけの言葉で、 誰にもわからない二人だけの秘密や楽しみを、ともに語り合っている時である。” ―― ゲーテ
Jun 5, 2006
晴天。五月晴れというのは、まさにこういうのを言うのだろうな、と感心したくなるほど爽やかな散策日和。Podcast(iPod用のネット配信番組)を聴きながら、鶴見川のほとりをウォーキング。そろそろと夏至も近づきつつあり、陽射しは、容赦のない高角度。--------------- Podcast のなかで、ABC Newsが、こんな話を紹介していた。同時テロの後、アメリカは、大きな賞金をかけて何百人というテロ関係者を捜索し、逮捕した。しかし、賞金稼ぎ達に大金を払って、ようやく捕まえた容疑者たちの中にも、よく調べてみると、テロとは全く無関係だった、という人たちも大勢いる。無実にもかかわらず、アメリカによってテロリストとして収容され、現在は釈放されている「元テロ容疑者」が、世界中に何百人もいるそうだ。ある中国在住のイラン人男性は、アフガニスタン旅行中、銃の使い方を知っている、というだけで、タリバンの訓練を受けたと疑われて逮捕され、悪名高きガンタナモ収容所で、3年間、非人間的扱いを受けた。当時のアフガニスタンでは、銃など、そこら中の家にあったし、タリバンが国の全システムを支配していたわけだから、タリバンと全く関係をもたないままで生活することの方が難しい。「銃の使い方は、好奇心から自分が独学で習ったもので、タリバンから訓練を受けたことは一度もない」という彼の主張が認められたのは、ガンタナモに3年間収容された後だった。しかし、彼にとっては、その後の1年2か月の方が、はるかに辛く苦しい日々だった、という。無実が認められた後も、送還される国が決定するまでは、別の収容所で過ごさなければならない。ガンタナモにいた頃に比べたらはるかに生活環境は改善したとはいえ、毎日、ミルクの紙箱で作ったオモチャや、潰れたサッカーボールなどで仲間たちと遊んで時間をつぶさなければならない退屈な生活を強いられた。アメリカが自分を『犯罪者』とみなしていた間は、イスラム教徒として不当な扱いだと思いながらも、これも運命だと観念していたところがあった。しかし、アメリカから見て『無実』だと判明した後も、自由にしてもらえないという境遇に、虚しさと、憤りと、どうしようもない疲労感が襲う毎日だったという。ちなみに、「元テロ容疑者」たちの多くは、自分の国には戻りたがらない。一度、アメリカに「テロリスト」という烙印を押され、しかも、ガンタナモ収容所で数年送ったとなると、自国で差別的な扱いを受けるのは目に見えているからだ。たとえば、上記の男性の場合、中国に戻れば、些細な理由を口実にしては当局に逮捕され、差別的な扱いを受けるばかりではなく、拷問を受けたり、しばしば、密かに監獄で死に至らされたりすることがある。すべては、アメリカによる『テロリスト』という烙印が原因である。しかし、無実で収容した数百人の「元テロ容疑者」たちに対して、アメリカは被害補償をするどころか、謝罪も反省も全くしようとせず、どこか適当な国を見つけて送還し、釈放して、それでおしまい、なのだそうだ。・・・けれど、まあ、それが戦争というもの、なのだろう。無実だと判明した「元テロ容疑者」の4年半の収容とその後の人生に与えた損害に対して、アメリカがきちんと賠償しなければならない、ということになれば、アフガニスタンやイラクで「誤って」殺されたり怪我を負わされたり生活基盤を破壊されたりした、何万人という民間人たちへの補償はどうなる、ということになってしまう。 “法律の盾の下、正義の名の下に行われる暴虐ほど、醜いものはない。” ―― モンテスキュー 法という正義は、戦争という暴虐に対して、あまりにも無力なものだ。 ------------------ そんな報道に、もの思いつつ。強い陽射しのなか、1時間半くらい歩いた。すると、夜には、Tシャツの跡がくっきり残るほど、真っ赤に日焼けしていたので、びっくり。
May 29, 2006
2年ぶりに会う親友、T。「イーサさん!!! や、、痩せましたねー!!」「うん」「それに、髪の色まで変わって! まるっきり別人ですよ! たぶん道ですれ違っても気づかなかったと思います。すごい変貌ぶり」「8キロくらい痩せたからね」「保釈後のホリエモンみたいですね」「・・・・。それは、あまりうれしくない」Tは、大学の空手部時代の後輩でもあり、大親友でもある。かれこれ15年来のつきあいになる。かつて、一緒に法律の勉強会をしていた時期もあった。そんな彼が、今年の3月、法科大学院を卒業した。記念すべき、日本における「法務博士」第一期生。一昨日、新司法試験の全科目を終えたということで、飲みに誘ってくれたのだ。彼にとって、実に2年ぶりに飲む酒。大学院仲間もたくさんできたのに、まず最初に僕と一緒に飲みたいと思ってくれたことを光栄に思った。ところで、久しぶりに彼と話している途中、ある現象が起きていることに、ふと気づいた。「これ、ささやかだけど、卒業祝い、ってことで」「えっ!? いやぁー。ありがとうございます。開けていいですか」「もちろん」「何だろう・・・。あ、イーサさん、次、何飲みます?同じのでいいですか?」「いや、メニューを。そう言えば、弟さん、独立して店を出すなんて、すごいね」「一緒にボクシング見に行きましたよね。最近は、亀田兄弟に注目していて。。あーっ!?万年筆ですか。。。これは、こんな高価なもの、どうもありがとうございます」「うん。それ、ヘッドの部分が通常より大きいので、書き味がしなやかなんだよ。亀田兄弟は、僕も好きだよ。ちょっと小生意気だけど。。本当に強い相手と戦うところ見たいねぇ。えっと、僕は、ジン・トニック。あの頃とは見違えるほど、一人前になってるんだろうね。ボクサー目指してた頃とは・・・」「はい、ぜひ、機会があったら、食べに行ってあげてください。亀田兄弟は全員、世界チャンピオンくらいにはなれるでしょうね。レモン・サワー1つ。ちょっと紙に書いて試してみてもいいですか?あ、でも、買ったばかりはインク入ってないですよね。これ、店の名刺、渡しときます」「いや、頼んで入れといてもらったよ。予備のインクも箱の底に入ってるよ。さっき慌てて選んだんだけどね。店の人に相談しながら。今度、大阪に出張があるから、そのときにでも、時間があれば、行けるかな。一番下が、一番大物になるんだろうね。大怪我とか事故とかなければ、ね。それ、細字のほうが小さい字をたくさん書くのにも実用的で、いいと思ったんだ」「うん、たしかに。なめらかですね。。一緒にボクシングを見に行ったイーサ、と言ってもらえれば、何かサービスしてくれるはずですよ」という具合。ごく自然に、2つか3つの話題が同時並行で進んでいた。お互い、相手の返事を待たずに、言いたいことだけをどんどん話す。相手の話が一区切りついたのを待って、2、3文ずつ、応答を返していく。まるで、パソコン上で、複数のウィンドウを立ち上げたまま作業を並行処理しているときのような、心地よい刺激。2年ぶりに会うのに、ここまで会話のテンポが噛み合うことに、驚いた。「試験が終わったということで、明日からは、ここ数年で一番のんびりできる時期なんじゃないの」「いやぁ、とんでもないですよ。合格してるかどうかわからないので。また明日から全力疾走です」「え、明日から!? もう来年のために勉強始めるんだ。。。すげえなぁ」「ところで、イーサさん、またゼミ再開しませんか?」「いやぁ、、、ほら、僕は最近もう、すっかり法律の方は、サボってるから、、、それって、甲子園出場校が草野球チームを合同練習に誘うようなものだよ」「そうですか。じゃあ、僕が、新試験の問題を講義形式で解説する、ということでどうですか。勉強再開のきっかけにもなりますし・・・」「うん、そうだね。じゃ、講師に少しでも知的刺激を与えられる学生になれるよう、できるだけブラシアップしておくよ」「楽しみです」これは、たいへんなことになった。“ 「なぜやらないのか?」と自問せよ。 あなたがやっていないことのほとんどすべてが、 なぜやらないのか、十分な理由がない。 ” ―― セス・ゴーディン
May 25, 2006
弟から、電話。ふだんは能天気で、おバカなボケが第一声だったりするのに、今回は今まで聞いたこともないほどの、沈んだ声。「バイクで事故、、起こしちゃってさ・・・」「え!?」怪我は? 他人を巻き込んだのか? 相手の被害は? いつ?と、矢継ぎ早の質問が頭に浮かんだが、こういうときは、相手に話をさせたほうが要点がつかめることが多いので、黙って話を待った。弟によると、左右を十分に確認せずに横から飛び出してしまったため、速度を落とさずに走ってきた原付バイクに、横から衝突されてしまったとのこと。左右をきちんと確認せずに飛び出した弟の方に、9割以上、非がある。相手も自分もバイクは壊れたが、それは自賠責保険でカバーできる。弟の怪我は、顔にちょっとした切り傷ができた程度で、相手の怪我は、手足の打撲程度で済んだ。しかし、相手が病院で「全治2週間」という診断書をもらったため、仕事を休んでいる間の給与の損害賠償+治療費として、14万円、請求されたそうだ。「相手は、怪我したって言っても、大して痛くなさそうだったのに。。。」「ふむ」「たぶん、オレの勘だと、相手は仕事にも休まず行って、その吹っかけてきたお金、丸儲けにしようとしてると思うんだ」「なるほど、それは十分、ありえるね」「診断書なんて、医者は、患者の言いなりで何とでも書くからねー」「うん、そうだろうね」「でも、オレが悪かったんだし、ケチってモメるのも見っともないから、その言われた金額だけ払って、それで話を収めようと思ってる」「なるほど。それが一番かもしれない」「ほんと、オレ、ついてねーよ」「ん、、、いやいや、それは、でも、すごい運がよかったと思うよ」「ん??」「バイク同士の事故で、その程度で済んで、ホントによかったと思うよ。もし、突っ込んできた相手の打ち所がちょっと悪くて、死んでたりしたら、一生、償っても償いきれないことになってたろうし・・・」「あー、、、たしかに。そう言われてみると、、、」「あるいは、相手か自分が、下半身不随とか、一生残る怪我になってたとしても、それはもう、大変だったはずだし」「うーん、、、、そういう見方は、ぜっんぜん、してなかったなあ」「それに比べれば、ちょっと賠償して、これっきりで済むなんて、本当にラッキーだったと思う」「いやー、なんだか、、、一昨日から、ずっと凹んでたんだけど、今の一言で、ぜんぜん気分が変わったよ」「あ、そうかい?」「肩から、すーっと力が抜けた感じ。やっっぱり、お兄ちゃんに話してよかった。気がホント楽になった」「うん、そりゃ、よかった。。。。あ、、、でも、失敗したかなぁ。この際、もっともっと落ち込んで、しっかり反省させといた方がよかったかもな」「いや、そういう問題じゃなくて(笑)。してるよぅ、反省。しーーっかり、大反省してますよ。おとといから、ずっと」「なら、いいけど」 “経験とは、起きた事柄ではなく、それに対してあなたがしたことを指す。” ―― アルドス・ハックスレー 経験を、どう受け止めるかは、心次第。 『何が起きたか』を考えるよりも、『何が起きなかったか』を考えることの方が、はるかに重要な場合もある。した経験よりも、しなかった経験にこそ、感謝すべき場合もある。
May 18, 2006
春。曇り空。薄く入れた珈琲を、時間をかけて味わう午後。中島美嘉のアルバム「BEST」「LOVE」「MUSIC」が交互に心地よく流れる部屋。乙一の短編集「さみしさの周波数」を読んでいた、ある瞬間。不意に襲ってきた、恍惚。この時間が永遠に続いてもいい、と思えるほどの幸福感。 “ 答えを出すこと きっとすべてじゃない あせらなくていいんだよ あなたも ” ―― 中島美嘉 / 「FIND THE WAY」 偉大な芸術の調和が、人の心にもたらすことができるもの。その大きさに、改めて感心させられた休日。 ------------------- ところで、GW中は、毎日7時間の授業があったので、エネルギー補給のためいつも間食をしていた。おかげで、もう少しでリバウンドしてしまう勢いで体重が増えてしまった。筋力トレーニングだけで、有酸素運動をしていなかったことも原因にある。慌てて、昨日はちょっと多めに運動して、強引に下降傾向に戻した。<朝の体重の推移>せっかく、2か月で約7kgの減少に成功したのに、この10日間、ずいぶん足踏みをしてしまった。でも、まあ、体つきは以前とは見違えるほど引き締まったので、良しとしようかな。<BEFORE> ↓<AFTER> ちなみに、↑これは、入浴後、体脂肪率が7%台のとき。現在、朝は12%くらい。 “体脂肪率な、家の体重計で計ったら5.8しかないねん。 試合と試合の合間、 いちばん高いときでも7とか8ぐらいやな。” ―― 亀田興毅風呂でたっぷり汗を流して、やっと亀田兄弟の最も体脂肪率が高いときと同じかい・・・。
May 9, 2006
昨日は、例によって鶴見川のほとりを12~13kmくらいジョギング。1時間くらいかけて、景色を楽しみながら、ゆったりと。2本の足で、どこまでも走りたいだけ走れる、悦びと充実感。恍惚感が、全身に漲る。自宅に近づいたあたりで、ふと、思った。現在の自分は、今までの人生の中で、最高に調子がいい時期なのではないか。精神的にも、肉体的にも。空手部で週4日稽古していた学生時代なども含めて。今の自分は、最も長い距離を走れる。最も体が柔らかい。最も全身の筋肉が発達している。最も体脂肪率が少ない。最も病気にかかる頻度が低い。最も仕事が充実している。最も私生活にゆとりがある。最も本を速く読める。最も記憶力・学習能力が優れている(気がする)。最も夜が激しい。もしも「人生のある一定期間における幸福指数」というものが発明されたなら、保育園時代か現在が、最も指数の高い時期という結果になるかもしれない。“幸福とは、幸福をさがすことである。” ―― ルノアール 幸福一般については、僕はよくわからないけれど。少なくとも「快楽」というものについては、待っていれば期待より小さくなり、自ら行動を起こせば期待よりも大きくなるもの、ということは言えそうだ。 ------------------ 乙一(おついち)という作家の作品を初めて読んだ。「GOTH [ゴス] 夜の章」という短編集。この中に収録されている「犬」という小説に、正直、度肝を抜かれた。びっくりさせられた。やられた。映画やドラマでは、絶対に、絶対に表現できない、実に小説ならではの仕掛け。少なくとも、僕自身、かなり頭を絞ってみたけれど、この作品のエッセンスを伝えつつ映像化する方法が思いつかない。古今東西の数千作品は小説を読んでいるつもりだけど、こういうのには今まで出会ったことがなかった。斬新、の一言。 “芸術ってのは、判断を超えて、「なんだ、これは!」というものだけが本物なんだ。 「ああ、いいですね」なんてのは「どうでもいいですね」ってことだよ。” ―― 岡本太郎 GOTH [ゴス] 夜の章。まさに、「なんだ、これは!!」という、強烈な衝撃を受けた一編。
Apr 29, 2006
心の中に入り込んだ、毒素分解し、害がないものに変質させ、体外に排出できる人分解できずに、有毒なまま、慢性的に体内にとどめてしまう人分解できるのに、あえて体内に常在させ、自分の糧にしてしまう人しようと思えば、いつでも適度に分解できる人にとって毒素は、心地よく脳をうるおす刺激剤 ------------------- 今日の読書: 新谷弘実 「病気にならない生き方」70歳になるこの本の著者、医師になってからの45年間、一度も病気になったことがないそうだ。さらに、胃腸内視鏡の専門医になって以来40年間、第一人者として日常的にガンの切除手術などしながらも、一度も死亡診断書を書いたことがないとのこと。患者に正しい食生活をアドバイスすることによって、「ガン再発率ゼロ%」を実現してきたと言う。 筆者によると、人の寿命を決めるのは、体内で物質を化学的に変質させるのに必要な触媒であるエンザイム(酵素)の総量なのだそうだ。 “市販の牛乳というのは、大切なエンザイムを含まないだけでなく、 脂肪分は酸化し、タンパク質も高温のため変質しているという、 ある意味で最悪の食物なのです。 その証拠に、市販の牛乳を母牛のお乳の代わりに子牛に飲ませると、 その子牛は四、五日で死んでしまうそうです。” ―― 新谷弘実 / 「病気にならない生き方」4、5日で死んでしまうって・・・・。ほんまかいな、とも思ったが、読めば読むほど、この本、非常に説得力がある。脂肪が均質化(ホモジェナイズ)された、いわゆるホモ牛乳(市販の牛乳)は、撹拌する時に牛乳に空気が混じり、脂肪が過酸化脂質(いわば、錆びた脂肪)に変化してしまうそうだ。48度以上の熱でエンザイム(酵素)は破壊されてしまうから、低温殺菌牛乳でも、体に有益なエンザイムは全て死滅してしまって残らない。学校給食での牛乳の導入が、アトピーや花粉症を急増させたのではないか、とまで、この筆者は推測している。しかも、この著者、ヨーグルトを常食としている人の腸の状態は、決まって悪くなっている、30万例の臨床結果から、自信をもって言える、と断言。ヨーグルトを食べると便秘が解消することがあるのは、単に乳糖を分解できずに下痢を起こすからであって、決して腸の調子が良くなったからではないとのこと。これがベストセラーになっているのだから、それは、酪農業界も困窮するはず。今年、北海道で牛乳が大量に余って廃棄されてしまった遠因、この本にあるのかな、と思った。しかし、この本を読んで僕が何よりも驚いたのは、減量作戦を開始して以来の自分の食生活が、著者自身のそれとあまりにも似ていることだった。水を1日に2リットル以上飲む。食事は、野菜、果物、穀物が8~9割。動物性タンパク質はあまり摂らない。朝食は、納豆、玄米ご飯、海苔、めかぶ、というメニューになることがほとんど。毎晩、寝る直前まで酒を大量に飲んでいることと、3日に1度くらいはヨーグルトをたっぷり食べていることを除けば、ほとんど著者が奨めている食生活に一致している。自分が最近、心身ともに最高の状態が続いているのは、無意識に自然と、体が必要としているものを必要なだけ摂取しているから、ということも大きな原因としてあるのかもしれない。ちなみに、この本では、酒の常飲を「百害あって一利無し」のごとくに否定している。しかし、僕の場合、学生時代に空手部で先輩から死ぬほど飲まされ鍛えられて以来、人一倍の量を常飲していることで、アルコール分解に必要な酵素(ALDH)が、すでに体にたっぷり備えられているのではないかと思う。ヨーグルトや牛乳も、実は、20歳前後の頃には、摂取するとすぐに腹の調子が悪くなって、かなり苦手だった。が、今は、まったくそんなことはなく、乳糖を分解する酵素(ラクターゼ)も増えているようだ。本来、自然界においては、乳糖を分解する酵素を必要とするのは赤ん坊だけだから、歳とともにラクターゼが減少するのは当然、と筆者は論じる。その辺りは、僕自身の実感とは違うかな、と思った。人は、あるものを食べ続けたり飲み続けたりすれば、自然と、そのものの有害部分を分解できる酵素を体内に備え始める。有害物質の分解等のために体内の酵素が消費されれば、その分、必要量を摂取すればいいだけのこと。ある食物の適度な摂取量、過剰な摂取量というのは、人によって大きく違うはずだ。ところで、筆者によれば、腸内における「善玉菌」とか「悪玉菌」という呼び名は人間の身勝手な分け方だそうだ。実は「悪玉菌」も、不消化物を異常発酵させることで有毒ガスを発生させ、腸を刺激してガスや便の排泄を促しているという意味で、体の役に立っているという。「増えすぎると問題なだけ」で、必要があって体内に常在しているとのこと。それを敷衍すれば、活性酸素などの有害物質も、増えすぎると問題なだけであって、ある程度の量の常在は、体を刺激して新陳代謝等を促すことで、生命活動に有益な部分もあるのかもしれない。「毒」も、適度な量なら有益になりうる、というのは、心の場合も、体の場合も、同様に言えることなのではないか。 “心は、それ自身が密かに抱いているものを引き寄せる。 環境は、心がそれ自身と同種のものを受け取るための媒体である。 ―― ジェームズ・アレン
Apr 28, 2006
昔から、現実と理想を、いつのまにか頭の中で混同してしまうような思考回路だったせいか。いつどんな状況になっても、根本的なところでは、まあ何とかなるはず、という楽観がある。だから、最後の最後まで、現況を一変してくれるような奇跡が起こることを、呑気に心から信じることができてしまう性格。しかし、僕の願う『奇跡』というものは、ときとして、破壊的かつ逃避的。小学生の頃など、何度、「学校が火事になって、無くなればいいのに・・・」と願ったことか。理由は、と言えば。宿題をやらずに寝てしまったので先生に叱られるのがイヤだとか、仲が良かった友だちとケンカしてしまい、会うのがどうも気まずいとか。今思えば、他愛もない。そして、大人になった今。つい、数日前までの自分が、ひたすら考えていたこと。「会社が火事になって、無くなってくれればいいのに・・・」理由は、と言えば。テキストの執筆が、締め切りに間に合わないから。と言うより、間に合わせようと思えば間に合うのだが、ペースを上げて必死に頑張るのが面倒だから。 じっくりと、自分のペースで納得のいくものに仕上げたいから。今思えば、他愛もない。なぜ、他愛もないかというと、先日、僕にとって願ってもない『奇跡』が起きたからだ。なんと。会社の都合により、テキストの締め切りが数か月先に延長!!!僕のほうは、会社に対しては強がって「4月末までにきっちり原稿を上げますよ」という感じのスタンスを保ち、涼しい顔をしていた。ところが、会社側にとてもとても複雑な事情が生じたため、原稿の執筆をもう少し待ってくれないか、と逆にお願いされるという成り行きになってしまったのだ。締め切りまで1週間となり、内心、相当にあせっていたから、僕としては締切延期は心から大歓迎。やはり、普段の行いが善い人間には、実に都合よく、奇跡が起きるものだ。 --------------- というわけで、時間にゆとりができた僕は、まだ行ったことがなかった六本木ヒルズをぶらついてみることにした。駅を出て、テレビ朝日の隣に降りてみると、都会の真ん中に、一瞬ふっと喧騒を忘れさせてくれるような空間、毛利庭園が出現。ほっとした気分で、ベンチに腰を下ろすと、しかし、突然、雷の轟音。大粒の雨も降ってきたので、屋内に避難することにした。建物の中に入り、所狭しと並ぶショップの数々を、ひととおり見物。斬新なデザインの家具や調度品、雑貨類などをウィンドウ・ショッピング。ミュージーアム・ショップと、おしゃれな雑貨の店には、特に興味を惹かれた。数あるレストランやカフェも、それぞれの店独特の工夫があって、食欲をそそられる。特に、独創的なメニューが目を惹く回転寿司屋には、あわや、ちょっと寄ってみようかという誘惑に駆られた。しかし、減量中の僕は、昼食はもちろん、ベル・エアーで。フィットネスジム「トータル・ワークアウト」がプロデュースしているテイクアウトも可能なレストラン。メニューはデリ形式で、好きな料理を好きな分だけ、大皿に盛り付けてもらう。欲張りな僕は、10種類のメニュー全部を1掴みずつ、大皿一面に盛り付けてもらった。しかし、カロリー値を計算してみると、なんと10種類を合計しても、200kcal未満!しかも、コーヒー / 紅茶も付いて、1000円(!)という価格。料理は、どれも非常においしかった。たんぱく質が豊富で食べ応えがあり、必要栄養素を満たしつつ、十分な満腹感。こんな素晴らしい店が家の近所にあったら、毎日、いや、ほとんど毎食のように通いつめてしまうことだろう。そろそろ、IT 関連企業の1つくらい経営して、ヒルズ族になってみるのもいいかな。食事をしている最中、一人の女性がジムを出て、トレーナーに案内されながら店にやってきた。黒くて大きな帽子を目深にかぶり、見るからに高級そうな衣装をまとって有名人オーラ全開。すらりとした長身。美しい茶色の髪が、大きな帽子にも収まりきらず肩口に揺れている。誰だろう、と好奇心が湧いたので、水をお代わりするついでに近づいてみると、マネージャーらしき人を相手に、何となく聞き覚えのある子どものような声と話し方。エアロビクスの復習でもしてるのか、店の端でステップを踏みぴょんぴょんと飛び跳ねる様子が無邪気だったので、思わずニコニコと微笑んで眺めていたら、目が合った。神田うのだった。なるほど、彼女もこのジムで、しっかり鍛えてるんだな。それにしても、、、かなり、優柔不断のよう。あちこち目移りしながら、ずいぶん時間をかけて、メニューを選んでいた。まあ、それだけ自分の好みや栄養等にも、こだわり抜く性格だということかもしれない。人生に対して、とことん主体的な、彼女らしい。 “理想の男性なんてものは、絶対にいないんです。 私は、この人と決めたら、悪い言い方をすれば、叩き直す。 良く言えば、調教していく。 受身で理想は実現しないですから。” ―― 神田うのやがて、料理をテイクアウトして、トレーナーに案内されながら、ジムに戻って行った。その後しばらくの間、コーヒーを飲みながら、ジムの中でトレーニングをしている人たちを見物していたら、なんだか、僕も、体がむずむずしてきた。早速、家に帰り。ベンチプレス、懸垂、腹筋、背筋、ストレッチをひととおり。フィットネス・ジムに通わなくても、「入会金+1か月分の会費」程度の予算さえかければ、そして正しい知識と意志さえあれば、自宅トレーニングでも、ジムとまったく変わらない効果は得られる。<朝の体重の推移>第4次停滞期に突入した模様だが、完全に想定の範囲内。あと7キロ減くらいが、とりあえず今回の減量作戦の最終目標かな。“『理想』とは、天空の星のようなもの。 我々は、決してそこに到達することはできない。 しかし、行宛のない大海原において、我々に進むべき方向を知らせてくれる。” ―― カール・シュルツ
Apr 25, 2006
そろそろ締め切りも近づき。今日は、10時間くらいパソコンの前に向かっていた。午後7時。まだまだ、じゅうぶんに余力を残しつつ。今日はこのぐらいで、と、早めに仕事を切り上げる。軽く運動した後、入浴。火照った体を、丸い氷を浮かべたジャック・ダニエルで癒しながら。雑誌に目を通したり、DVDを観たり、ブログを更新したり。ずっと以前の自分だったら、全力でやれば短期間で終えることができる仕事であれば、さっさと終わらせてから、他のことをしていただろう。特に、気分が乗ってきているときは、なおさら、趣味など後回しで、くたくたに疲れて眠くなるまで、集中して取り組みたくなっていたはず。しかし。これが今の自分の、バランス感覚。仕事も重要。私生活も重要。趣味も、同じくらい重要。 “210kmまで出せる車に乗っていても、60km制限を守る。 それが、大人になるということ。” ―― 映画「世界でいちばん不運で幸せな私」「どのくらい速く走るか」よりも「どう走るか」のほうが、今の自分には、はるかに重要なことに思える。少なくとも、210kmで走ることが必要とされる状況に直面するまでは・・・。
Apr 20, 2006
日々是平穏。日々是充実。日々是飄々。やると決めたことを目の前にしたとき、自分の中に本気で『やる気』が起きるのを待っていたら、いつまでかかるかわからない。重要なのは、やる気なのではなく、実際に、やるか、やらないか、だけだ。やる気がなくても、やり始める。やり始めたら、アホみたいに愚直に、続ける。何も考えない。無想。 夢や目標までの最終的な距離が遠いときほど、日々の達成感は、小さく刻んで目の前に見える形にしておくほうがいい。小さな達成感を積み重ねることで、無意識に、成功の悦びの感覚がヤミツキになる。一種の、『達成感』中毒。この快感を味わうためなら、多少の苦労や面倒は何とも思わなくなる。そして、そんな状態が続くと、脳内ホルモンが心地よく頭の中を駆け巡っているあいだに、いつの間にか、一歩、一歩、遠かったはずのゴールに近づいている。ポイントは、「小さく刻む」こと。小さな心地よさの連続が、最終的に大きな達成感をもたらす。“私は、すばらしく尊い仕事をしたいと心から思っています。 しかし、私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも すばらしく尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのです。” ―― ヘレン・ケラー
Apr 19, 2006
経験における『価値』とは、主観的なもの。後で冷静になってみると、自分が時間とエネルギーを費やした対象が、実は、それほどの客観的価値はないものだとわかった、と感じることがしばしばある。しかし、主観的にせよ、その時その場で、そのものに希少価値を見出したときの自分が納得して払った対価なら、後悔する必要は何もない。少なくとも、対価を払っていたときの自分は、満足していた。そして、対価を払っていなければ経験できなかったであろう感情も、経験できた。さらに重要なことに、『普遍的に客観的な価値』などというものは、存在しない。 ある経験に『価値』があるかどうかを決めるのは、常に、自分自身でしかない。 “人生は、認識者にとっての1つの実験であってよい。” ―― ニーチェ ------------------- さて、自分自身を用いた、もうひとつの『実験』。減量作戦のほうは、ようやく第三次停滞期を脱出。<朝の体重の推移> 1か月半で、-5キロ。当初の理想的な予定よりは1週間遅れのペースだが、まあまあ順調な滑り出し。しかし、今日のニュースで陣内孝則が役作りのために1か月半で18kgも落としたという記事を読んで、びっくり。90キロから72キロという重いレベルで体重を落とす方が簡単だとはいえ、相当な努力と苦労をしたはず。でも、まあ、他人は他人。快楽主義者の自分の場合は、今くらいのペースで落としていくのが、ちょうどいい。ちなみに、今回の減量作戦を開始するに当たって、心に決めておいたことがある。1.微塵も、無理はしないこと。(仕事や私生活に少しでも支障をきたしたら、本末転倒。)2.酒は飲みたいだけ飲むこと。(禁酒や節酒をしなければならない減量作戦は、継続できないと自分でわかっているので。例えば昨夜のメニューは、ビール500ml、ジャックダニエル・ダブル、カンパリソーダ2杯、白ワイン2杯という組合せ。)3.筋肉がついて体重が増えても、運動だけは止めないこと。(なかなか体重が落ちないのは筋肉が増えていることも原因の1つにあるのだが、運動を止めて肉体の免疫力を落としてしまったら、これも本末転倒。)4.必要栄養素は摂取すること。(健康を犠牲にすることは、論外。あらゆるものを犠牲にするに等しい。)5.睡眠とストレスに注意すること。(最悪の場合に、食事、睡眠、ストレス・コントロールという3本柱のどれかが欠けても、他の2つがきちんとしていれば、何とか心と体は持ちこたえられるもの)・・・・それにしても、なんだか最近、「ダイエット日記」みたいになってきた。
Apr 14, 2006
昨日のヤフーの記事で、喫煙が心疾患のリスクを最大4倍も高めるという研究を紹介していた。「なぜ今さら?」と思ったのでよく読んでみると、「喫煙と発症リスクに関する大規模調査は初めて」とある。なるほど。日本で4万人を対象という規模の研究は初めてらしい。しかし、タバコに害がある、という今ではみんなが知っていることを改めて確認するために、そんなに大金をかける必要が本当にあるのかな、と思う。それに、タバコを大量に吸う人は、そもそも食生活や睡眠、ストレス・コントロール等、全般的な面で、健康にそれほど注意しない人が多いはず。だから、この調査が結論付けているように、「タバコ2箱吸う人は心疾患の危険率が最大4倍」だなんて、短絡的にタバコのみに病気の発生と因果関係を結びつけることができるかどうかも、怪しいと思う。 “木の板のいちばん薄い個所を探して、穴を開けやすいところに、たくさん穴を開ける 科学者には、とても我慢できない。” ―― アインシュタイン それはそうと、最近のタバコの広告は、すごい。以前までの「健康を損なうおそれがある」という控えめで小さな表示から、警告のためだけのスペースをしっかり割いて、「肺がんや心筋梗塞の危険性を高める」ということを明確に警告している。マルボロの広告のように、字がない写真だけの広告を見ると、害悪の警告表示だけが目立って、まるでタバコの逆宣伝をしているかのようだ。そんな社会風潮の中、天邪鬼な僕は、久しぶりに、ちょっとだけタバコを味わってみたくなった。引き出しの奥のジッポを探し出して、オイルを補給。数本だけ残したまま、ずっとほったらかしにしてあったマルボロの箱を見ると、「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」という懐かしい表示。最後に吸ったのがいつだったかは、完全に忘れた。相当に古いので、ものすごく不味くなっていることも覚悟しながら、火をつける。うん。。。普通に、うまい。これだけ強力に健康への害悪が叫ばれている中、愛煙家という人種が社会から絶滅しないのは、彼らが天邪鬼だったり自己破壊的だったりするからだけではなくて、単にタバコがこれほどまでに美味しいから、ということもあるのだろう。久しぶりに吸ったので、吸った後に口の中に残るヤニの感触には違和感があるが、まあ、これからも1か月に1本くらいは吸ってみようかな、という気になった。 ------------------------ ところで、僕は快楽主義者であると同時に、どうやら禁欲も好きなようだ。小食に慣れてくると、今までスーパーであれほど目移りした食品類にも全く惹かれなくなった。近所に美味しそうなラーメン店がオープンしたのだが、行こうという気が全く起こらない。あれほど大好きだったラーメンなのに、特に我慢しようなどと思うこともなく、無意識に、減量という目標の達成を自分の本能的欲求に優先させることができているようだ。というより、すでに減量達成が自分の中で『本能的欲求』になりつつある。食べなくても空腹をほとんど感じない。ふと、何も食べずに生きられる人間がこの世界に実在することを思い出した。以前、「世界まる見え!テレビ特捜部」という番組で、水も食事もまったく摂らないで生きているロシア人女性を取材していた。何日間かに渡って彼女の生活を24時間撮影しているテレビカメラの前で、水も1滴も飲まず、何も食べず、寝て、起きて、日光を浴びるため散歩して、驚くことに、それで、彼女は普通に生活できているのだ。数年前に事故で家族を失って以来、ショックで食事が喉を通らなくなり、数日寝込んだ後、目が覚めて以来、何も飲まず、何も食べていないそうだ。学者の説明によると、おそらく、空気中の水分を呼吸を通じて効率よく体内に吸収する仕組みができたのだろう、とのこと。さらに、体内の微生物が、日光エネルギーと水分から必要栄養分を作り出しているのではないか、とのこと。そんなバカな、と最初は思ったけれど。生命は、不思議に満ち溢れている。60億人に1人か2人くらいは、そんなことができる人間がいない方が逆に不思議なのかも、とも思う。結果に誰も驚かないタバコの研究などにかけるお金があったら、こういう奇跡的な人間の研究にこそ、本格的に予算を割くべきではないか。話は逸れるけれど、生命の不思議といえば、ディスカバリー・チャンネルでのパラサイト(寄生虫)の特集も、すごかった。腸内に寄生するコウチュウには、ぜんそくや花粉症アレルギーを治す力があるという。花粉症アレルギーがひどかった医者が、腸内にコウチュウを飼い始めたら完全に花粉症が完治したそうだ。その医者は、カメラの前で、わざわざ花弁に鼻を近づけ、思いっきり花粉を吸う、というパフォーマンスをしてみせた。しかし、くしゃみも咳も出ず、平然としてる。コウチュウは腸内で血を吸うが、サプリメントで鉄分やたんぱく質を補えば貧血になる心配はなく、健康上、何の問題もないそうだ。どうして、寄生虫が体内にいると花粉症や喘息が治るのか、その理由は医学的には全くわかっていないそうだ。この世界には、科学で説明できないことがたくさんあるから、面白い。
Apr 12, 2006
曇り空の日々が続いている。天気がよくないとジョギングなどする気にもなれず、この2日間、家から一歩も出ていない。部屋で、独り。テレビやDVDを観るのも、音楽を聴くのも、仕事をするのも、すべてパソコン上。だから、家にいる間は、必然的に、ほとんど一日中パソコンの前に向かっていることになる。やれやれ。でも、まあ、これはこれで、自分にとっては心地よいから、いいのだけれど。ちなみに、今日は同僚の講師が作成した解説の赤入れで、ほとんど1日費やしてしまった。反論には、エネルギーが要る。以前働いていた他校ではそれなりに有名だった講師だから、彼なりのプライドもある。なぜ、その書き方が不適切なのか、きちんと学問的な根拠を示して不備を指摘するには、意外に時間とエネルギーが取られるものだ。知識と経験の、ぶつけ合い。彼からの再反論が、とても楽しみだ。 ------------------------ 頭を冷やして。 あらためて冷静に自分を眺めてみると、どうやら、ちょっと意地になっていただけだったのかもしれないな。価値観の柔軟さや思想的な寛容さ、懐の深さなら誰にも負けない、ということを他人にも自分自身にも誇示してみせたくて。『それでも自分は平気なんだ』と、言い聞かせてきた。されど、人間関係。自分の気持ちだけを整理しさえすれば、全てがうまくいくというわけでもない。そろそろ、前に進むべき時なのかもしれない。 ------------------------それにしても、K-1。日本人が、意外に強い。山本KIDをKOした鉄腕ザンビディスに、佐藤が勝つ。韓国王者イム・チビンを、小比類巻がKO。そして、リトアニアの格闘天才、秒殺記録を持つレミギウスを、魔裟斗がTKO。 “負けるのが本当に嫌いだから、それまでの過程はどんなにキツくてもいい。” ―― 魔裟斗彼は、練習量も、遊んでいる量も、自分は誰にも負けない、と公言している。圧倒的なパワーを持った人間に、僕は心から魅了されてしまう。
Apr 11, 2006
さて、減量作戦の進展はといえば。ここ1週間ほど、体重にほとんど変化がない。横ばい状態を脱しようと、昨日は、ジョギングをいつもより増やし、カロリーも普段より減らし、風呂では汗を通常以上にたっぷり流した。なので、今朝は行けるかな、と思ったのだが、ほとんど体重に反映されていなかった。意外。 そこで、グラフをよく分析してみると、どうやら第3次停滞期に入った模様。<朝の体重の推移>生命体の恒常性維持機能。自分の体が、変化に対して必死に抵抗し、適応しようと、もがいている。その頑張ってる様子がグラフから如実に見てとれて、微笑ましい気分にさえなってくる。人間も含めて、動物は通常よりも飢えている状態が続くと、わずかな栄養分をも効率的に体内に取り入れ、蓄積しようとするシステムを発達させる。一日の食事回数が少ない人が脂肪を溜め込みやすい体質になるのも、ダイエット中、またはダイエット直後に、少しでも食事量を増やせば簡単にリバウンドをしてしまうのも、肉体が飢餓状態に備え、必死に適応しようとする結果である。だから、体脂肪率が低くなるほど、体重を落とすのが難しくなる。第1次停滞期よりも第2次停滞期の方が長かったことを考えると、再び減り始めるのに今回は、だいぶ時間がかかるかもしれない。でも、まあ、株価や景気同様、移動平均を分析すればどんな変化でも予測できるってものでは、全然ない。特に、生命現象というものは、不確定要因に溢れている。理論的にあれこれ予想しても、一瞬先には、理論や直観を完全に裏切るような奇跡的な出来事が起こってしまったりすることもあるから、この世界は面白いのだ。 ------------------- 奇跡という言葉で思い出したのだけれど、先日、懸賞で iPod Shuffle が当たった。 自分の普段の行いが、とても善いからに違いない。 “人生には、ただ2通りの生き方がある。 ひとつは、奇跡など何もないかのように生きること。 もうひとつは、あらゆるものが奇跡だと思って生きること。” ―― アインシュタイン
Apr 7, 2006
絶対に傷つけないなんて空虚な約束を僕はできない幸せにしてみせるよなんて傲慢な約束を僕はできない夢なら叶えられるさなんて儚い約束を僕はできない今の僕にできる唯一のことは 一歩を踏み出す 君を待つこと僕にしかできない唯一のことはありのままに歩む 君を待つこと傷ついても不幸せでも夢は遠くてもいつでも戻れる居場所があるならいつかは愉しい瞬間もあるかなと想ってくれる 君を待つこと
Apr 6, 2006
忙しいときほど、逃避。締め切りまで、もうあまり時間がない。と、言いながら。今日もうららかに、河岸をジョギングなどしてる。ブログの更新などしてる。一昨日は、例によって同僚と朝まで飲んだり。しかし、こんなふうに他のことにエネルギーを使う、ということが、実は、自分にとって非常に重要なのことなのかもしれないな、と、最近思う。パワーは、パワーを生む。仕事とプライベート。感性と理性。脳と体。相手と自分。陰と陽。シナジーの心地よい連鎖が生まれる。負のエネルギーが強い人間に自分が無意識に惹かれてしまうのは、『陰』の部分が深い人間ほど、そこから生まれる『陽』のパワーが大きいことを同時に感じ取ってしまうからかもしれない。光が強ければ強いほど、それが生み出す陰は濃くなる。闇の部分が深ければ深いほど、対比される光は輝きを増す。 “ はじめに、闇だけがあった 闇はところどころで、かたまり、あつまっては、わかれた 神の霊が、水のおもてをうごき やがて神はいわれた 光あれ ” ―― アメリカ・インディアン ビマ族の神話 この世界には、光と闇しかない。それぞれが居場所を求め合うのに、理由は要らない。
Apr 4, 2006
かれこれ、十年来の付き合いになる、親友の同僚がいる。ここ数か月、彼と一緒に飲めば、ほとんど必ず「朝まで」にならないことがないというくらい、意気投合している。朝まで何をしているかと言えば、2人だけで、延々と飲み、ただ、話し続けるだけ。話題はといえば、仕事、政治、学問一般、人生、世界、恋愛、悪さ自慢、、、、etc.要するに、何でも話せる相手、ということ。それでも、たいていは、朝6~7時ごろには、電車かタクシーで帰るのだが。あるとき、翌日が仕事、という日があった。よせばいいのに、例によって、朝5時くらいまで飲み続け、翌日は二人とも朝から授業があったので、しかたなく、カプセルホテルに泊まることになった。ほろ酔い気分で、さあ、寝ようか、と思ったとき。同僚が、なんと、あらかじめコンビニで買っておいたらしい缶ビールを2本取り出して、「もう寝るだけだし、飲もうや!」と言い出した。あ、朝の5時だよ。5時間後には、お互い、授業をするんだよ。と、内心呆れながらも、僕も相当に酔っていたので、喜んで付き合った。その日は、5時半ごろ寝て、8時ごろ起きた。授業は、朝10時から夜の7時半まで。休憩を除いて、8時間半。しかし、朝のうちこそ眠気を感じたものの、午後には栄養ドリンクのおかげで、むしろ、いつもよりハイテンションで、少しも疲労感がなかった。同僚も、同じような感じ。彼は今年、39歳になる。僕は今年、37歳になる。働き盛りが、二人。朝5時のカプセルホテルのロビーで、政治とか人生とか恋愛とか、缶ビール傾けながら、学生みたいに熱く語ってる姿って、いったい、どうよ。。。 “ 今僕らは 変わらない時代の尖端で 戸惑いながらも 未来へと続く扉を叩く 遍し空へ 偉人たちの涙を胸に 共に羽ばたこう 今じゃないけど 時は来るだろう ” ―― 森山直太朗 / 「例えば友よ」 ------------------ 最近、これはアリ(ぜひ人に奨めたい)、と思ったもの。1.DISCASツタヤのレンタルDVD, CDを、自宅配送してくれるシステム。貸し出し期限がなく、延滞料の心配がないのが嬉しい。ただ、店舗と比較すると、在庫が少ないのが欠点。2.スパークリング・ウォーター最近は、毎日こればかり飲んでいる。サイダーから砂糖を抜くという簡単な発想なのに、なぜ、日本でもっと早く流行らなかったのか、不思議。3.ゲルマ・パワー 温泉これを風呂に入れたときと入れないときでは、発汗量が断然違う(気がする)。4.グーグル・デスクトップ検索自分のパソコン上で、あるキーワードを含むファイルを、ネット検索と同様、一瞬で検索して一覧リスト表示にしてくれる。パソコンのファイル検索機能なら、ウィンドウズに最初からついているから、、、と思って今まで興味がなかったのだけれど、実際に使ってみて、その圧倒的な便利さに、感動。5.葡萄オイルのドレッシング味が、自分の好みにとても合っている。健康にもよい(はず)。最近、これはナシ(人にお奨めできない or 個人的にダメ)、と思ったもの。1.ターター・コントロール・リステリンこれを使うと、舌だけではなく、歯までが、気味悪いほど真っ青に染まってしまう。そのままでは仕事に行けないので、もう一度歯を磨いた。それでも、なかなか色が落ちない。どうして、あそこまで、どぎつくてしつこい青色着色料を使うのか。全く意味不明。2.カシオの電子辞書授業をしてると、ものすごく小さな音で、遠慮がちに、ピピピピ、と、電子音が響くことが、たまにある。そんな時は、決まって、カシオ。「すみません、電子辞書は、音が出ない設定にしていただけませんか?」「あぁぁぁ、、、すみません、音を消すにはどうすればいいか説明書で調べたんですけど、、、どうしても見つからなかったので、、、、もう、使いません。失礼しました」というやりとりが、今まで、少なくとも2度あった。初期設定で、ボタンを押すごとに音が鳴るのが、個人的にまず許せない。しかし、それは、どこのメーカーでも同じなので、まあそれは百歩譲って置いておくとしても。なぜ、カシオの電子辞書だけ、ここまで、音を消す設定に変える方法をわかりにくくするのか。全く意味不明。3.たれとからしが同時に出る工夫がされている納豆のたれパチン、と容器を折ると、ワンプッシュで、たれとからしが同時に出てくる。まあ、それを「便利」と感じる人もいるだろうから、全く意味不明、とまでは言わないけれど。しかし、僕のように、塩分は薄味が好きで、辛さは強いものを好む人間にとっては、単なるありがた迷惑な工夫でしかない。一般に、消費者の選択の余地を狭めるような画一化を目指す製品は、個人的に嫌い。4.某食品の内容表示前にも書いたとおり、最近は食品のカロリー表示を必ず確認するようにしている。先日、ツマミとして良さそうな真空パックの鶏のササミをコンビニで見つけた。早速、カロリー表示を見てみると、「100gあたり178kcal」とある。そこで、1本あたりの重さを確認しようとしたら・・・・↓この表示。 「1本」って・・・・。わざわざ表示しなくても、見れば、誰でもわかりますから。残念っ!!(←古。) ------------------------ 言い方を変えれば、最近、何かに対して、イライラとか、感じたのは、↑この程度ということ。限りなく、平和な日常。しかし、思えば、今現在。自分の人生の中の『台風の目』の中にいるようなものなのかもしれないな。遅かれ早かれ、想像を超えるパワーとスケールの『嵐』が、やってくる。そんな予感がしてならない、36歳の春。“ 不思議だね 時には全てをなぎ倒して 猛々しく吹く君の"風" よりそえば こんなにも優しくて あたたかいよ ” ―― 大暮維人「エア・ギア」
Apr 1, 2006
“花散れと 河岸に吼える 向かい風” ―― 伊々茶<通釈>川の土手を走っていると、体が押し戻されるほどの強い向かい風が吹き続けている。まるで、「開花したばかりの桜よ、みんな散ってしまえ」と、太い声で吠えながら桜並木に襲いかかっているかのようだ。そんな中、全部散ってしまいそうに見えて簡単には散らず、悠然と咲き続けている桜花は、なんと頼もしいことだろう。人生において、突然吹きつける思いがけない逆風に遭遇しても、この桜の花々のように、泰然自若と対処したいものであるなあ。 ----------------- 僕の体型は、太っても痩せてもいない「普通」という感じだったのだけれど、ふと「やせてみようかな」と思い立って、1か月前から食事制限を始めた。「あしたのジョー」の中で、ジョーと戦うため1日トマト1個だけで生活しつつ、激しいトレーニングをしてガリガリに痩せていく力石徹に強い憧憬を抱いた子どもだったので、食事を減らすこと自体には、個人的に抵抗感がない。19歳で初めて一人暮らしをしたときは、1日の食費200~300円で何日も生活したりして、1年後には10キロほど痩せたという経験もある。ところで、1日の消費カロリーは、平均的な男性で2,500kcal。1kg の脂肪を落とすためには、通算で7,000kcal分ほど、消費カロリーが摂取カロリーを上回る必要があるといわれている。実際は、運動量・基礎代謝量の違いや、ホメオスタシス(変化に対して、体が元に戻ろうとする働き)等の不確定要因も考慮に入れると、もう少し数値を厳しくする必要があるかもしれない。そこで、1日の摂取カロリーを1,500kcal程度に抑え、1日あたり-1,000kcal、1週間で-7,000kcal(-1kg)という作戦でとりあえず行き、体重減少が思うようにいかなくても、あまり気にしないで気長に減量していくことにした。スーパーやコンビニでは、カロリー表示がある食品か、自分が正確にその食品のカロリー値を知っているものにしか手を出さない。毎日、ベンチプレス、懸垂、腹筋、背筋、鉄アレイを、ひととおりこなす。熱い湯に入浴して、たっぷり汗を流す。水分を2リットル以上(アルコール入れると3リットル)摂る。ということを、日課にした。すると、いままでのところ、見事なくらい予定通り順調に体重が落ちている。<朝の体重の推移>今日はジョギングをしたので、入浴後に体重を測ると、53.8kgになっていた。翌朝には、たいてい前日の入浴後の体重より200g低いことが多かったので、明日の朝の体重は、53.6kgくらいになるだろう。もしそうなれば、1か月で最大5キロ落としたことになる。カロリーは抑えつつも必要栄養素は確実に摂取しているので、心身ともに絶好調。今のところ、精神的にも肉体的にも全く体に無理を感じないので、4月末までにあと3~4キロは行けそうかな。“自分にとっての満足の基準は、少なくとも、誰かに勝ったかどうかではない。 自分が定めたことを、達成できたかどうかなんです。” ―― イチロー
Mar 30, 2006
“ひとりの人間がどの程度まで『信念』にではなく『仮説』に基づいて生きていけるか、 限りない大海原に乗り出していけるか、これが力の充溢を測定する最高の尺度である。” ―― ニーチェ理性が欲しているのか、感性が求めるのか、一時の感情の高まりなのか。あるいは、それら全ての総体なのか。それとも、もしかしたら、この揺れ動く心自体、己の生み出した夢想でしかないのか。いずれの「仮説」が正しいにせよ、それが正しいかどうかは、行動を起こしてみないとわからない。 ------------------ 会社がブランド名を変更することになった。それにともない、テキストを全面改訂するということになり、3月初めに執筆を依頼された。締め切りは、4月末。まあ、2か月もあるし、と、掲載する問題をのんびり解きながら、余裕で構えていたら、ほとんど本文には手をつけられないまま、もう1か月が過ぎてしまった。やばい。。。と、言いつつも、内心はそれほど動揺していない。1日5ページずつ書けば、30日で150ページ。10ページずつ書けば、15日で終わる。自信過剰に基づく、根拠のない楽観。しかし時には、目の前に横たわる様々な困難や苦しみを少しも恐れない、この呑気さこそが、人間を前進させる大いなる原動力にもなっているのだと思う。というわけで、いよいよ、今日から、本文執筆開始。BGM は、シューマンの「トロイメライ」。『夢想』と名づけられた名曲に包まれて、脳が心地よい活動を開始する。 -------------------- <私信>僕が今日、どんなに安堵の胸を撫で下ろしたか、君には想像もつかないと思う。天使でも悪魔でもなく、自分自身の魂の声にしたがっておいて、本当によかった。これだけの困難を克服できるとすれば、もう何も怖いものはないという気さえしてくる。Where there is a will, there is a way.大事なときであればあるほど、目先の駆け引きや損得よりも、自分の信じる道に遵って生きたい。心からそう思った。
Mar 29, 2006
昼。久しぶりに、鶴見川土手をジョギング。花びらが風に舞い散る桜並木の下、和やかに昼食を楽しむ会社員。校庭の隅のベンチで、愉快そうにふざけ合う野球部員。釣り糸を垂れ、ぼんやりと川面を見つめる、テントの住人。道端に車を止めて、気持ちよさそうに昼寝をする営業マン。赤ちゃんを抱えながら、すたすたと早足でウォーキングに励むお母さん。みんな、思い思いに、春のやわらかい日差しを受け止める午後。“「しあわせ」をもたらすのは、めったに起きない大きな幸運ではなく、日々の小さな心地よさ。” ―― フランクリン ---------------------ところで、この歳にもなると、自分の価値観や信条を心から熱く語っても、自分が予期してなかったような鋭い反論を返してくれるのは、とうとう、親友の同僚1人くらいになってしまった。というより、僕に反論をしようとする気になるほど距離が近い友人を、僕がそれほど多く作ろうとしていないことも、原因にあるのだが。そんな中、僕の意見や質問に対して、しっかりとパワーがある反論やコメントを返してくれる女性に、最近、出会った。人生観、世界観、美意識、興味・関心において、自分と一致する部分が、非常に多い。一致しない部分も多いのだけれど、しかしだからこそ、大いに刺激も受ける。彼女とは、恋愛を前提に付き合いたいと思うくらい、僕は素直に惹かれている。しかし、先日、事件発生。彼女が好きだと言うカクテルの成分を調べようとして、Yahoo で検索したら、なんといきなり、彼女の(おそらく知人には内緒にしておきたいはずの)ブログにヒット。そこには、彼女の赤裸々で、全く飾らない内面や日常が書かれていた。困ったのは、僕だ。ブログを読んだ率直な感想としては、意外にいろいろな面があるな、とは思ったけれど、まあ、現代の彼女と同年代の女性なら、普通にこのくらいのことはしているし、考えているだろうな、という感じ。以前の恋人に未練があったりすることも、予想の範囲内。(たとえ仮に、現在つきあっている男がいたとしても、僕が彼女を奪って、もっと幸せにしてあげるよと約束してあげたいくらいだ。)しかし、問題は、僕がブログを読んだことを彼女が知ったら、非常に気まずい思いをさせてしまうのではないか、ということ。ブログには、表現はあえてぼかしつつも、僕自身についての記述もあった。そのとき、自分の中の悪魔の声がささやいた。「このまま彼女のブログの存在を知っていることを黙っていれば、彼女の気持ちを探りながら、恋の駆け引きができるというもの。こんな絶好のチャンス、利用しない手はないぜ」同時に、天使の声がささやいた。「正直に言おうよ。できるだけ、彼女の気を悪くさせない方法で、ブログの存在を知ってしまったことを、きちんと伝えよう」もちろん僕は、天使の声にしたがうことにした。というのは嘘で、迷いに、迷った。そして、悩んだ。せっかく「いい感じ」の関係になれたと思った矢先に、こんなことで関係をややこしくしたくないのに・・・・。Curiosity killed the cat.無用な好奇心は、ときに、身を滅ぼすというのは、本当だ。ブログを見つけてしまったことをしきりに後悔しながら、自分が、どう行動するのが、彼女にとっても自分にとってもよいか、必死に考えた。考えた末に、とりあえず、すぐには伝えず、最も彼女の精神的な動揺が少ないであろう機会が訪れるのを、待つことにした。で、2日が経ち、3日が経ち、、、、ブログで少しでも自分自身のことに触れられているのを読むと、何だかこっそり覗き見しているようで、ものすごい後ろめたさを感じた。かといって、その存在を知りつつ、あえて読まずに我慢ができるほど、僕は人間ができていない。。。しかし、どうしても、罪悪感に苛まれて仕方なかったので、僕が知っていることを彼女に「薄々気づかせる」作戦に出ることにした。作戦は、成功した(ようだ)。ただ、薄々気づいてくれたらしいのはいいが、そうなると、僕が知っていることは依然としてはっきりしていないわけだから、2人の間で、ブログのことは話題にできない。ブログに書かれていて、しかし、彼女が僕に直接話してくれていないことについては、知らない(知らなかった)ふりをしなければならない。それって、事実上、嘘をつくのと同じことじゃないか。(実際には、彼女に対して、僕が知っていたのに知らなかったふりをしたとか、誤魔化したりとか、「嘘」に当たるような言動はしなくて済んだのだけれど。)だから、やっぱり罪悪感が消えなくてどうしようもなかったので、僕は、ブログの存在を知っていることを彼女にメールで打ち明けた。そして、こんなことのせいで、せっかく築いた関係を壊したくない、ということも正直に書いた。全てを知った上で、一切を受け容れる気持ちでいるということも、伝えた。返事は、まだない。今になって、とても後悔しているのは、「今回のメールのせいで、完全に嫌われて二度と返事が来なくなるという可能性なども覚悟」している、と書いてしまったこと。覗き見的な自分の行動は、話すためのベストのタイミングをうかがうためには、やっぱり、しかたがなかったことのはずなのに・・・。---------------というわけで。Y さん、以上が、僕の正直な今の気持ちです。
Mar 27, 2006
あなたの美しい部分醜い部分空虚な部分不快な部分一切を受け入れる覚悟ができたときぼくの魂が共鳴を誘う ------------------早速、『自己分析』の成果が、最高の形になって表れた。会心。あまりにも、会心。昨日と今日の授業では、自分でも驚くほど、クラス全体との一体感を満喫できた。授業を、成功か不成功か、うまくいったかいかなかったか、という二分法で考えるのではなく、とにかく、受講生にとって『価値あるもの』を提供しようとサービス精神を徹底した結果、受講生の満足度は大きく上昇し、自分自身も、大いに楽しむことができた。「成功を優先しない」ことによって、失敗を必要以上に恐れなくなっている自分に気づいた。だから、伸び伸びと言いたいことが言える。アドリブも冴える。そして、僕自身が話していて心地よければ、それが受講生にも伝わる。受講生に満足してもらっているのを実感することで、僕自身もますますテンションが高くなる。自分自身が集中するにつれて、受講生の求めているものが、こちら側に敏感に伝わってくるようになる。シナジーの、無限循環。振り返ると、最近、どこか無意識に「知識の切り売り」をしていたところがあった。すでに持っている経験と知識を、最低限必要なだけ頭から取り出して、提供する。それでも、技術次第でそれなりの授業にはなり、それなりの評価は得られるし、それなりの満足度は感じてもらえるのだけれど、やっぱり『心』が伴った仕事にはなってなかったな、と反省。“お客さんに「昔から変わらない味」と思ってもらうには、 本当に何も変わっていない味を作り続けていたらダメ。 世間の味覚の変化に合わせて、常に、少しずつ工夫を重ねてこそ、 「変わらない味」だと思ってもらえる。” ―― 今村五男(ラーメン店「春木屋」創業者) というわけで、今夜は、ワイルドターキー15年。いつもと変わらぬ味の中に、いつもと違った味わいを愉しむ夜。
Mar 26, 2006
春。天気や気温が変わりやすい日が、続いている。そんな季節だからこそ。僕が、今朝、ドトール・コーヒーにて、言い放った一言。「ホットのカフェラテ、アイスで!」(←元気よく笑顔で)店員さん、一瞬ぽかんとした後、次の瞬間、顔を真っ赤にして笑いをこらえていた。で、僕自身もヘンなことを言ったことに気づいたので、「あ、ちがう・・・アイスのカフェラテ、ラージで」(←平静を装い、無表情で)僕が小声で訂正すると、店員さん、なぜかすっかりツボにはまってしまったらしく、ついにケタケタと微妙に声を出して笑い始めた。もちろん、相変わらず、必死にこらえながらなので、顔はますます赤く、苦しそう。僕は、それを見て、「いや、いいですよ、そんなに我慢しなくても。思いっきり笑って」と言ってあげたくなったが、やはり客を笑ってしまうと、後で上司にきつ~く注意されてしまったりするのかもしれない、それはかわいそうだ、と考えたので、そのまま放っておいた。おそらく、この店員さんの頭の中では、何度も何度も「どっちやねん!」というツッコミの言葉が渦巻いて消えなかったんだろうな。 日によって、ホットになったり、アイスになったりがめまぐるしい、気まぐれな春の天気のおかげで、心がふっと和んだ朝。 ------------------ ところで、昨日は、実に数年ぶりになるかもしれない、衝動買いをしてしまった。渋谷のとあるデパートで、天才的なアパレル店員に出会ったからだ。スーツを後で買うため下見だけしようかな、と思い、まずフロアを一通りウィンドウショッピングして回ろうとして、1軒目の店に入る。しかし、その1軒目の店で、この店員に会い、なんと入店して約10分後には、「ぜひこの店で買いたい」という気分にさせられてしまったのだ。この店員、ブランドやファッションに関する知識が、驚くほど豊富。何が流行っていて、何が微妙に時代遅れか、どんな人にはどんな時にどんなものが似合うか、何がアリで、何がナシか、、、、立て板に水のごとく、後から後から、明快に言葉が飛び出す。説明が要領を得ていて非常に分かりやすく、たいへん説得力がある。熱心でありながら、物を売りつけようという押し付けがましさがない。客の褒め方が、さりげなく客観的。早口なのに聞き取りやすく、僕のコメントや質問に対する相槌のタイミングも、実に心地よい。会計のとき、電卓を4回くらい打ち直してから、ようやく電卓自体が壊れていることに気づくという、天然ボケぶりも最高だった。予算を軽くオーバー、、、どころか、予め予定していた金額の2倍以上の買い物をしてしまったけれど、ちっとも後悔はしないだろう、と素直に思う、いい買い物だった。「プロの仕事」というものに、久々に魅せられた。 “意識する存在にとって生存するということは、変化することであり、変化するという ことは、経験を積むことであり、経験を積むということは、無限におのれ自身を 創造していくことである。” ―― ベルグソンその仕事ぶりに本当に心の底から感激したので、僕の感想を、率直に店員に告げる。そして、若く見えるけれど相当に経験を積んでるのかな、と思ったので、この仕事を始めてから、どれくらいになるのか、と尋ねると、なんと「1年です」という答え。天才。と、いうものを目の当たりにして、鳥肌が立った。
Mar 24, 2006
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