正常



ずっと前に古本屋で買った「続 ものぐさ精神分析」(岸田秀 著)を読んで
いると、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」についてのコラムが目に
止まった。

"The Catcher in the Rye"「ライ麦畑でつかまえて」は、高校のとき、英語で
読んだ初めての小説ということもあり、僕にとって想い出深い1冊だ。

岸田氏によると、主人公のホールデンのような人間を『自己不確実型精神病質』
と呼ぶらしい。
(精神病ほどではないが、明らかに正常ではない場合を精神病質という。)

つねに自分に自信がなく、確固とした信念や方針に欠け、他人が少し強く出ると
たぶん自分が間違っているのだろう、と身を引く。しかし、自分が間違っている
という確信もない。

現実感が稀薄なため言葉が大げさになり、何の目的もなしに無限に嘘をつき
続けることができる。

しかし、「ライ麦畑でつかまえて」を心地よい読み物にしているのは、主人公が
自己不確実者でありながら、自分のそんな性格に悩むこともなく、いつも
あっけらかんとしているところだ。そこが、典型的な『自己不確実型精神病質』
とは少し違う。

興味深いのは、著者が、規範の崩壊や価値観の多様化が進んでいる現代では、
ホールデンのような『自己不確実者』は当たり前のような存在になってきて
いるため、すでに『精神病質』とはみなされてない、と書いていることだ。

たしかに、そう考えると「ライ麦畑でつかまえて」が世界中でロングセラーに
なったのも、納得できる。

自分も小さい頃から、親や教師に「夢や目的を持って生きなさい」「信念を
持たなければいけない」「自分を持て」・・・・と、聞かされ続け、
「なぜ、夢を持たなければいけないんだろう」「正しいことなんて本当は
誰にもわからないではないか」「自分なんて、1つに決められないよ」
と、
心のどこかで、ときには面と向かって、反発していた。

ともすれば、『精神病質』に分類されて、一人で劣等感や罪悪感に悩んでいた
ところだったかもしれない。

現代に生きる多くの『自己不確実者』たち。

そんな僕たちに、少年の頃、「自分達は“異常”でも何でもない。今のままで
いいんだ。ほら、人生もなかなか捨てたもんじゃないだろう」という解放感と
心の支えを与えてくれたのが、「ライ麦畑でつかまえて」であり、その影響を
受けた世代が創り出した文学や音楽だったわけだ。

もちろん、高校時代の僕は、この小説のそんなメッセージを無意識に心地よく
「感じる」だけだったわけだが、、、


“言葉で表現できなくなったとき、芸術がはじまる。”
             ----- ドビュッシー




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