2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
私と言う存在が「唯一無二」であると思うと死による消滅が怖くなる。しかし私と云う存在は全体の一部、極めて小さな一部に過ぎないと思うと幾らか死を受け入れやすくなる。蟻は一匹ずつが個体の生命体であるが役割分担が明確になっていて全体のコロニーで一つの生命体と見なすことができる。このような集団を「超個体」と呼び、一匹が多細胞生物の一つの細胞のように見ることができる。こういう社会構造は高度に発達した人間社会にも同様に見い出すことができる。世界の人口が60億、人間の肉体を形成する細胞が一人当たり60兆位あるとされている。世界中の人間は絶え間なく生まれ、絶え間なく死んでいく。私の中の細胞も同様に生死を繰り返している。 このように私と言う存在もまた「人類という肉体」の細胞の一つに過ぎないと見なすことができる。全体としての生命体と一個の細胞は大きさこそ違うものの、構造が同じものであるように、無意識を共有する人間の意識もまた他の人間(=隣人)と同じものであるのだ。そういう意味合いにおいてフレクタル(相似)に考えると、地球も一つの大きな「超個体」といえる。 無意識は私が死んでも私が生まれる前と同じような状態になるだけのことで、同じように存在し続けていくのだ。ということは、私の存在は全体を形成する極小な一部であるが、全体の生存に貢献しながら自己も生存するという「共生関係」でもある。 自分の仕事が全体の為に有益であり、自分もその仕事で生計を立てていければ、自分が死んで消滅しても本体が生き長らえれば自分の役目は達成できたと云うことである。本体が生きるということは間接的に自分も生きることである。だから他者のためになることをすると有意義に感じられる。 自分と云うものが世界の全てだと思うと自分の死は絶望的なものに思える。しかし自分と云うものは本体を形成する一個の細胞に過ぎないものだと考えると自分の死は当然のこととして受け入れられそうだし、それほど怖いものと思えなくなり、ごく当然の日常茶飯事の出来事に思えるから不思議だ。といって、死ぬことを思うと少し痛いような苦しいような怖さと、親しくしてくれた人達と別れる寂しさから開放されることはないが・・・・・・・・(/_;)あの世があるなら先に逝った親や優しくしてくれた人達にまた会える。「ごくろうさんだったね」と、迷いの多い人生を送ったわたしも笑顔で迎えてくれそうな気がする。(T-T) そう思うと寿命を全うして逝くのも悪くない心持になる。「チルサクラ ノコルサクラモチルサクラ」「死ぬな!という人もまた死んでいく・・・・・」とは何処かで拝聴して感慨深く覚えておいた言葉でした。(合掌)
2004年09月07日
コメント(0)