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最近のテレビの映像を見ていると、つくづく我が国はまだまだ捨てたものではないと思う。ロシアの徴兵騒動や中国の民族弾圧など、政府が国民を制圧する様が報道されるからだ。批判的なブログなど書いたらまっさきに政府批判のかどで逮捕されているのではないか。
安部晋三の国葬反対にしても当日まで数千人が国会を取り巻いたり、自由に報道機関がアンケートなど取って政府の支持率何%などと発表できる社会は、悪いものではない。民主主義とは直接関係ないが、警察官はあくまで敬語を使い、協力していただきたいという態度を崩さず、どこかの国のようにちょっと反抗的な態度を見せただけで拳銃を振り回すことはまずない。住民投票も武装兵士立会いの下で自宅まで押しかけて投票させる国もある。言うことを訊かない民族は再教育して洗脳し、科学の発展は国家の発展とばかり、人体実験を繰り返して自動運転などの分野は最先端を走っている。何人の犠牲者が出ようが、外部には一切発表されず闇に葬られる。議会などはあってなきがごとし、議論は時間の無駄というわけだ。すべて国家が進路を決定して国民はそれに従えばよいのだ。そうして得た技術で最新式の兵器を作り、周辺諸国を威嚇して平和を乱すという、民主主義国家から見たらまさに悪の帝国である。考えることや議論することをやめてしまった国民は幸せと言えるのだろうか?浅草や富良野あたりで見かける外国人の仕草が何となくバカっぽく感じるのはわたしの先入観だけのせいではないだろう。
さあどっちの国民が幸せか?夫婦の浮気のように、知らないほうが幸せだと思う人は赤を押してください。
何気なく毎日見ているテレビが、いきなり真っ黒な画面になったり、町会長が町民の家族調査を事細かに調べ上げて市役所に報告するなんてこともやる、いつの間にか告げ口されていて、ある日突然武装警察が家に踏み込んできて逮捕されることもあるかもしれない。そのために町内会長には町民からちょくちょくつけ届けや密告が届くらしい。すべては国家のために協力する義務が国民にはあるからだ。民主主義も似たようなところはあるが、文章には謳っていない。憲法として国民は国の上にあるもので、国は信託されているという難しい考え方からなっている。
共産主義や全体主義(国家主義とも呼び、共産主義とは正反対だがほとんどの部分でやっていることは同じである)の社会では、ごく普通の当たり前の人間が小さな権力を持ち、専制者となりうる。町内会長あたりがいきなり死刑執行人になったり裁判官になったりするのだから始末が悪い。隣人や家族と打ち解けて話もできず、日本ではありふれた家族、社会が成り立たないのだ。ただ、知らぬが仏という考え方もある。自由な社会生活を知らないで、すべて国家に右倣え式が染みついている国民ならばそれでもいいのかもしれない。民主主義の自由な暮らしをしてしまった人は共産主義の暮らしには適応しそうもないが、その逆はいかがだろうか。
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