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遂に、遂にフィナーレです。物語の中心に座り続けてきた義経も頼朝も後白河法皇もその身を土に返す日が来て、そして残った者は崇徳天皇の水守だった麻鳥と常磐御前の侍女だった蓬子、歴史には名を残さない凡夫と凡妻吉野雛の巻静と別れた後の義経主従の足取りを追いかける。決して判官贔屓の感情に寄ることなく。歌舞伎で有名な勧進帳も描かれているけれども、劇の要素はかなり低め。義経は笛も持っていないし落しもしない、阻喪らしいことは何もなくて物足りないという感想も僅かにありますが、それだけに全ての嘘を見通しながら関の通行を赦す富樫の男気に涙が零れます。ああ、そうそう。この巻で初めて映画やドラマでお馴染みの弁慶が弁慶らしい振る舞いを披露してくれる。富樫と弁慶の言葉の応酬は歌舞伎(声)で聴くのもいいものですが、文字(目)で読むのもいいもの。このblogでは詳しくは書けませんでしたが、時忠と義経の関係をこの小説では以下のように紹介しています。(本文より)真の時忠を知る者は義経であり、義経を知る者もまた時忠であった、ということまではたれにも思いえなかったであろう。知己とはそんなものであり、また生涯に幾人もいないのがほんとなのかもしれない。鷲ノ尾三郎が焼け落ちる焔とともに義経の最期を見届ける場面で駄五六の言葉を回想する、その言葉もジーンと来ます。(本文より)「なに、武者になれたのがそんなに嬉しくってたまらないって。ばかだなアおまえは。武者ってどんなものか知らねえからだ。いまにみろ、生まれ故郷の山家が、どこより懐かしいところになるか」駄五六は一の谷の戦いで登場してきた平家を逃げ出してきた農民あがりの武者だった男。彼が言うだけにこの台詞はぐっと読者を惹きつけて離しません。・雀仲間・馬糞大路・此君亭・逢状・飯室問答・湖岸の病家・船蔵春秋・母の弓矢・いまひとたびの・高雄の細道・金泥鬼・大つごもり・御室左右記・偽勧進・千鐘全土・二十九の春・談義しびれ・おかしげな男・二獣・あけはな石・冬眠の国・安宅の関・安宅の関・その二・野々市殿・勧進帳・皮剥ぎ追尾・能登の平家・桃源の日は短くて・仇し弓・義経最期・南海夜泊・範頼陥し・椎葉の山波・亡びなき人びと・傘の要らぬ日・勝者の府にも・頼朝の死・吉野雛
2009.05.30
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1978年(昭和53年) 伊・米 ケン・フォリーほか 139分<あらすじ>死者が蘇り、人肉を食らう世界になった。フィラデルフィアで報道に携わるスティーブンは恋人のフラニーと共に都市部を脱出しようとするスティーブンの知り合いのSWATのロジャーとその同僚ロジャーの4人でヘリコプターで抜け出すも。B級映画の極み。そいうや知り合いにこの映画で盛り上がる人がいて、その世界観を語りつくしている姿を遠巻きに眺めていたクチ。こういうB級映画の大多数は(それが自然な作風になるんだろけど)監督や製作陣の趣味や拘りが色濃く反映されていき、鑑賞者が付いていけない、となることが多い。もちろん、この作品だって、コスプレやミリタリーオタクが涎を垂らして鑑賞したくなる作品なんだろう。今でこそ徹夜で仕事して廃人になるひとをゾンビと呼ぶし、冷蔵庫でカラカラに干からびた野菜をみつけるとゾンビ化した野菜発見!とか。ちょっとした常用漢字よりも使う頻度が高い単語になったゾンビ。その世界観がこの作品から始まり、世界に根づいた。文化を作る映画はどこか哲学的、普遍的なものを感じさせる。暴走族がショッピングモールを襲い、ピーター隊VSゾンビVS暴走族の三つ巴戦、いつの世も欲望のために戦いを繰り返す愚かさを教えてくれる。死んでしまった仲間の頭に弾を撃ち抜くことができるか、絶体絶命で自決を選択するか生きる可能性に賭けるか。特撮などは幼稚な技術(この時代だし、却ってこの手作り感があるからこそ安心して鑑賞できる)にも関わらず、もう途中で観るの辞めようと思い続けながら、でもこの世界観の虜になっている自分がいた。ひとりのエキストラが何度も登場しているんだろうけど、この当時での廃業したショッピングモールにこれだけのエキストラが集まるなんて、ものすごいパワーがあったんだろうなあ。
2021.02.21
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まずは周五郎名言集からその1清冽の水にのみ魚の育たぬ如く、善悪併せ近づけて以ってその利すべきところを識るにいたらなくては一国の主人たる資格とは云えない。その2また不愉快なことが起こったらこう思え、いい気持ちだ、なにも不平はないじゃないか、ああさばさばした気持ちだ・・・・・こう三回言ってみろ、そうすれば自然と心が明るくなる。他人に対してもそうだ、あいつは厭な奴だと思うからいかん、あの男にも良いところがある、誰がなんと言っても俺はあおの男が好きだ、なかなか好人物じゃないかと考えるがいい、それが堪忍であり、我慢というものだ。その3人間の値打ちは些細な過ちなどで傷つきはしない、取り返す方法はいくらでもあるんだ。その4世間ではよく時代が悪いという、出世などのできる世の中ではないという。だが拙者はそう思わない、それは生きる力を持たぬ者の弱音です。周五郎が描く人間はいかにも人間臭く、弱いものは弱く書き出しながら何かの転機を境に弱きものの心に宿る強く凛々しく猛々しい自己を育んでいくというワンパターンではある。でもそのワンパターンを色んなヴァリエーションで読者を楽しませてくれ、わくわくもさせるし、ホロリともさせる。戦時中に執筆された作品を当時の人々はどのような気持ちで手に取ったのだろうか?お国のため万歳が叫ばれた時代、僕が想像するほど一途な国に対する忠誠心を求められていたわけではなかったのかな~なんてことを思う周五郎の作品はこの暗い時代でマトモな人々をマトモであり続けさせるために書き続けられていたのではないだろうか。〔曾我平九郎〕〔癇癪料二十四万石〕〔竹槍念仏〕〔風車〕〔驕れる千鶴〕〔武道用心記〕〔しぐれ傘〕〔竜と虎〕〔大将首〕〔人情武士道〕〔猿耳〕〔家常茶飯〕お気に入りは〔武道用心記〕〔竜と虎〕講談調の作品、読んでいて痛快な気分にさせてくれる。〔猿耳〕は犯罪公論なる書籍に執筆された異色の作品。この物語を手塚センセの劇画で読んでみたい。
2008.06.17
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Motoharu Radio Show、SeptemberはExtra Weekがあった。「僕のBring It Back Home」(家にもちこんできた)という特集で70s、80sと来てアシスタントの後藤君のナイスな要望で90s特集を!という要望に佐野さんが応えてのオンエアのことのようす。あらためて、後藤君!ナイスです!!90sの曲は就職して音楽どっぷりという環境には程遠い10年だからかメロディを聞いてもタイトルが出てこない曲ばかりで一致した曲といえば「ONE」(U2)くらい。90年代の曲、元春は自身の曲からどれをエントリーするのかな?割と90年初頭が多かったから「Sweet16」から「また明日」あたりかなって予想したいたところ、どなたかのコメントで「ジョージ・フェイム」の名が出てきた時点でこの「エンジェル」が流れてくることが頭の中で確定。この曲はつい先日まで福岡で車を走らせながら聞いていた曲。夜、闇の中でカーステレオから流れてくるこのメロディラインはひどく澄んでいる。メロディラインはいたってシンプル、後半のジョージが弾くハモンドオルガンの音がなんとも哀愁を奏でている。詩のことで紹介しておきたいことがある。この詩は次のように始まる 冬の空に 目を閉じれば 何か聞こえるだろう何かって言うのが佐野元春の現代の詩人たる所以だ。並みの詩人であれば「何か」とせずに例えば「君の声」とか「愛しい歌」とか固定してしまう。それであれば、イマジネーションが固定化されてしまう。ただのラブソングに過ぎなくなってしまう。「何か」って聞き手の時と場合によっていくらでも変わってしまう。詩とは私たちにイマジネーションを与えたり、そこからインスパイアされたりするものが「心に響く」ということなんだろう。今週末で終わってしまう「ソングライターズ」、たった一回観ただけでは僕には語ることなんてできない。もっと何回か視聴してからでないとこのblogに書き起こそうという気になれない。それほど沢山の示唆に溢れている、とても感激して感激のあまり彼らが言ったことを忘れてしまっている(汗)脱線したが、その「何か」この曲に「深み」を与えている。福岡で聞いていたときは「何か」=車のエンジン音であったり、マンションの鍵を閉める音であったり。大坂では「何か」はまだこれというものがない。早く「何か」に繋がる音を見つけたいものである。全歌詞はこちらこんな素敵な曲を一日の最後にラジオで聞かせるなんて、佐野さんは罪な詩人だ。
2009.09.24
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1968年(昭和43年) 英・伊・米 オリビア・ハッセー 138分名家、モンタギュー家とキャプレット家、両家は常に覇権を争うように不仲。その両家の息子ロミオと娘ジュリエットはお互いに一目ぼれの恋に落ちる愛の力で不仲な両家に和平をと願うが、若い二人ではどうすることもできない諍いが起きる。序盤のパーティでのジュリエットことオリビア・ハッセーの可愛さ。いやー、この可愛さはスクリーンで観たらイチコロです。ただ、ハッセーはこの役があまりに似合い過ぎたのか、おそらくこの役が観る側の意識に強く植え付けられたからジュリエット役以降パッとしない。こういう役者さん結構いるもの、STAR WARSのルークやレイア。それを思えばレオナルド・ディカプリオはタイタニックで終わらずに今や深みのある役者。ジュリエットは貧乳だと思っていただが、この映画のジュリエットは豊乳。序盤の少女っぽいジュリエット、中盤でのロミオとの愛の言葉を交わすシーンやロミオと共に朝を迎えるシーン。ここでのジュリエットは打って変わって大人っぽい。少女っぽさと大人っぽさのギャップが意図的なのか、それとも製作中にハッセーが成長したのか。数点蛇足1.ウエストサイド物語 ロミオとジュリエットを原作として製作されたシャークとジェッツのギャング争いのミュージカル シェークスピアの戯曲の口調は17世紀の格調高いセリフもいいけど、音楽に乗せて愛を口ずさむ ウエストサイド物語はよく練り上げられた作品だ。2.携帯電話はものすごい発明だ 誰でもご存知ふたりの結末、悲恋。 このふたり(悲恋の撃鉄を弾いた神父も)に携帯電話さえあれば。 思えば悲恋はいつも「すれ違い」によって起きる。 今の恋愛にすれ違いはなく、常に連絡が取りあえることが可能。 それが恋愛を時にライト感覚にもするし、シリアスな事件にも...。3.土葬しないのね 仮死状態になったジュリエットは土葬されず、教会に安置される。 ジュリエットの周りに数年経過した死体が安置。 欧州は土葬が全てだと思っていたが、或いは富豪や貴族はこのように教会に安置されていたのか?
2020.09.26
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