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”語り継ぐ”と言う名目で、不自由で貧しかった時代を書いてきましたが、これは私の人生のほんの
一部分に過ぎません。5年後(1950年)の朝鮮特需を契機に、日本は経済発展を続け、高度成長期・
バブル経済と物質的には豊かさを増していきました。1964年には終戦後20年を待たず、オリンピックを
開催する国力を持ちました。子育ても。娘たちは青春を。豊かさの中で過ごしました。
次女はイギリス留学し帰国することなく、国際結婚まで…ハー
フの孫のば
あ
ばです。
日本語は あまり話せません
。大学生になった今も、呼びかけは「
ば
あ
ば」会話はyouです。
ズックと呼ばれた通学用の靴は、たまに学校に配給され、籤引きで当たらなければ、下駄ばきで
通学した。四六時中履いているから、下駄の歯は直ぐに減ってしまう。“歯継ぎ”さんで、
減った下駄の歯を足してもらう
。


鼻緒を父のネクタイを利用して作る。ネクタイを鼻緒の幅に切って縫い、表に返す。芯は麻紐。
表地と芯の間には、薄く綿が入っていてような気がする。鼻緒をすげる手さばきも、
回を重ねると鮮やかになっていった。お洒落な鼻緒の下駄は自慢だった。
手作りした。掛布団や、かいまきの襟の別珍と呼ばれる綿ビロードが表地。裏地は父のワイシャツや
小さくなった私のブラウスなど。底は帯芯を利用していた。コハゼは、古い足袋から大事に
取っておいたものを使う。家族用、客用を問わず、掛け布団の襟がはがされた。弟たちは、黒い別珍。
私
はえんじ色。母は自分用に何処からか、紺色の別珍を調達してきた。
「ここが一番大変なのよ。」
底布を縫い合わせる
時だ。布が厚くて、針が通りにくそうだった。

サイズの呼び方は文(もん)
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