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2014年10月10日
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テーマ: 臨戦刀術(92)
カテゴリ: 臨戦刀術


 支那事変勃発の当時、
津浦線を南下して、濟南の手前の平原城に迫ったのは、
磯谷兵団の福栄部隊であった。
平原城では、城壁城内はもちろんの事、
城外にも二重三重に鉄条網を張りめぐらし、
全部の防備に費やした日子は三年といわれていた。
 最初、砲兵がこれに手痛い攻撃を加えてみたが、びくともしない。
飛行機で爆撃しても、かねての防備がものをいって、
鳴りをしずめるのは爆撃最中だけである。
 そこで、歩兵の福栄部隊が、日本軍独特の白兵戦をもってこれを奪取し、
目に物見せてくれようと、城壁の見えるところまでじりじりと迫った。
そして、突撃の戦機がまったく熟し、諸般の準備ととのうのを待って、
部隊長は○○旗と共に馬を進め、突撃喇叭〔ラッパ〕を吹奏して、
一部隊挙がって水火になれとばかり突っこんだ。
 この時、先頭に立った隊長も下士官も、
一斉に日本刀を抜いて鉄条網を切りまくり、
突撃路をとっさの間に開いて、
楔〔くさび〕を打ち込むごとくに城内へとなだれ込み、
敵が三年を要した防禦を、わずか三十分で完全に占領してしまったのである。
 この時つかまえた捕虜の中の一人が、まったく帰順して、
後軍夫としてこの部隊につかわれていた者から、私はいろいろと聞いてみた。
当時、同じ兵団に私も従軍していたからである。
彼のいうには、日本兵は命知らずだから、
ある場合には、残らず銃を撃つのをやめ、銃剣をつけて殺されにやって来る。
三百メートル、二百メートルと迫って間は、全然銃を打 (原文ママ) たぬのだから、
こちらは、手榴弾を構えていて、近づいてから一斉に投げれば全滅してしまう。
だから日本兵の突撃は怖くはない。
と、このように教えられ、それに対応する訓練までしていたにもかかわらず、
さて実際にぶつかってみると、日本刀を揮い、
銃剣を閃めかせて現われた日本兵を遠くに眺めただけで、じっとしてはいられなくなる。
平原城では、指揮官ばかりでなく、督戦部隊までが逃げ足になったので、
せっかく張りきったはずの私達は、手榴弾の一つも投げぬ先に、
残らずそれを棄てて逃げ延びたところを捕まったのだ。
と、臆面もなく、 しゃあしゃあ と話すのであった。
 前述の平原城を、砲撃と空爆だけで攻めたのでは、
日本軍の事だから、結局陥落するにきまってはいるものの、
少なくとも一ヶ月ぐらいはかかったかも知れぬ。
香港でも、バターン半島でも、コレヒドールでも、またシンガポールでも、
火器と空爆だけでは、どんな猛烈にやったところで、
未だに陥落していないであろう。
それを、短時日で落としたものは、実に我が軍の歩兵的な特色である。
もっとも適切にいえば、日本刀を揮って斬り落としたのである。
 福栄部隊の平原城の総突撃は、大突撃として有名なものであったが、
一方、京漢線南下の安田部隊の、南楽城大物斬りの話も、
また異色のある白兵戦として知られていた。
 南楽という小さな県城へ敵が逃げ込んだ。
歩兵部隊が急迫して北門から入り、これを東門外へ追い出す。
安田部隊が、あらかじめ東門附近で伏せていて、
逃げ出す敵兵を鏖殺〔おうさつ〕する。
手筈はこれであって、
しかもまったくその予定の通りの手筈に引っかかった敵兵は、
我が安田騎兵部隊の林のごとく抜きつらねた日本刀のために、
その数百名が残らず殲滅されてしまった。
 この時の話を聞くに、
我が軍では、城門の東口のここかしこに、半円形に兵を伏せた。
かくとも知らぬ敵兵は、我が歩兵部隊のために追われて、
東門から ちょろちょろ と逃げ出してきた。
はるかにこの有様を見た兵隊の中には、はやり出して、
躍り出ようとする者のあるのを、部隊長は堅く制し、
敵がつい目と鼻の先のところへやって来るまでに命令を発しない。
先に立った敵の将校らしい者の拳銃が見え、
話し声がはっきり聞こえる程度に接近したところで、
部隊長は一声、「抜けっ、斬れっ。」と号令を下したので、
たちまちのうちに彼我の乱闘となり、物凄い屍山血河を現出した。
後で、安田部隊長の語るところによると、
「地形の状勢からいうと、機関銃の一斉射撃の方が効果的だったかも知れぬが、
それでは兵隊が承知しない。
日本人らしい戦争をさせてくれといってきかぬだからのう。」
 というのであった。
この日本人らしい戦争というのが千鈞〔せんきん〕の重みのある言葉で、
白兵戦というもの、殊に日本刀を揮って戦うというような戦闘形式は、
日本人という國民性のそのままの表現の一つであって、
戦い甲斐のある戦いであり、男子の本懐とする戦いであり、
しかして、もっとも効果的な戦いであるのである。


 マレー半島メンキボルで、
板家隊が、隊長板家少尉の指揮したわずか二十三名の一隊で、
敵の有力なる砲兵陣地に突撃して、
全員残らずが壮烈な白兵戦を演じて斬り死にを遂げ、
しかも大敵潰滅の原因をつくった話は、八月中旬の感状の発表と共に、
その認識を新たにした事であったが、
この時、もしこの一隊の斯為〔かんい〕極まる行動がなく、
彼我徒らに砲撃の交戦をしていたのみでは、
いわゆるこう着状態から脱する事が出来なかったかもしれない。
これこそは、一隊死んで勝った、真実の「死の勝利」である。
このような壮烈な白兵戦で、
あるいは局面を打開して、敵軍潰滅へと戦局を導き、
あるいは、科学兵器の威力を超越して、堅塁牙城を瞬時に於いて屠った実例は、
あまりにも多いので、このくらいにしておくが、
こうした戦果の根本こそは、生死を度外視した日本人のみの精神、
いわゆる「武士道とは死ぬ事と見つけた。」という精神のわざであり、
そうした精神の持ち主に、日本刀という、
日本精神の形として縮まったものが加えられて、
鬼に金棒となっているからの事である。
 前に述べたスペイン内乱の話、欧州戦争に見る、
日本人としてはちと歯がゆい進行状態等々から考えて、
日本人たるものは、ただ黙して多くを言わず、永遠の日本の確保のために、
世界無比の日本鐵である玉鋼をつくり、
それから日本刀を鍛える事を中絶せざると共に、
白兵戦の基本をなすところの精神の錬成と、日本武道の錬磨とを怠ってはいけない。
 人はややもすれば、近代の科学兵器をもってするいわゆる科学戦に、
前時代の遺物である日本刀を用いるなんぞは、時代おくれもまた甚だしい、
などという事をよく耳にする。
こうした考えこそ、甚だもって時代遅れである事の実情は、大体以上に述べた。







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Last updated  2014年11月26日 00時45分14秒


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